霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
×
設定
URL:
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
行間
ルビの表示


アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注[※]用語解説 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

脚注[*]編集用 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

外字の外周色 [?]一般のフォントに存在しない文字は専用の外字フォントを使用しています。目立つようにその文字の外周の色を変えます。[×閉じる]
現在のページには外字は使われていません

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。

〔二〕巻絹

インフォメーション
題名:〔二〕巻絹 著者:出口王仁三郎
ページ:262
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-06-14 18:25:18 文字数:4303 OBC :B121805c117
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正10年3月1日号(第135号)【出口王仁三郎執筆】 > 謡曲言霊録 二 巻絹
   一
 ワキ『そもそも是(これ)は当今(たうぎん)に仕(つか)へ奉(まつ)る臣下(しんか)なり、扨(さて)も我君(わがきみ)あらたなる霊夢(れいむ)を蒙(かうむ)り給(たま)ひ、千疋(せんびき)の巻絹(まきぎぬ)を三熊野(みくまの)に納(をさ)め申(まを)せとの宣旨(せんし)に任(まか)せ、国々(くにぐに)より巻絹(まきぎぬ)を集(あつ)め候(さふろ)ふ』
 此(こ)の謡曲(えうきよく)の全文(ぜんぶん)を通読(つうどく)する時(とき)は、唯(ただ)単(たん)に都(みやこ)に住(す)める男(をとこ)が、大君(おほぎみ)より下(くだ)されし、勅諚(ちよくぢやう)の日限(にちげん)を違(たが)へし罪(つみ)により、縛(ばく)せられたのを、和歌(わか)の徳(とく)によりて神(かみ)の助(たすけ)を受(う)け得(え)たる事(こと)を、作(つく)つたやうに見(み)えるのである。そして神様(かみさま)が巫女(みこ)に神懸(かみがかり)して、縄(なは)を解(と)き神楽(かぐら)を舞(ま)ひなどして、神慮(しんりよ)を和(なご)め奉(まつ)ると云(い)ふ筋書(すぢがき)のやうであるが、是(これ)を日本(につぽん)言霊(げんれい)の神鏡(かがみ)に照(て)らして解釈(かいしやく)する時(とき)は、実(じつ)に深遠(しんゑん)微妙(びめう)の神界(しんかい)の御(ご)経綸(けいりん)の厳立(げんりつ)せる事(こと)を窺(うかが)ひ得(え)られるのである。
 ワキ『そもそも是(これ)は当今(たうぎん)に仕(つか)へ奉(まつ)る臣下(しんか)なり』当今(たうぎん)とは、当(たう)時代(じだい)の天(あめ)の下(した)を知食(しろしめ)し給(たま)ふ、天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(てんわう)の御事(おんこと)であつて、臣下(しんか)とあるは、三公(さんこう)以下(いか)の文武(ぶんぶ)百官(ひやくくわん)は、皆(みな)臣下(しんか)である。然(しか)るに全(ぜん)文章(ぶんしやう)を通(つう)じて其(そ)の内(うち)に潜(ひそ)む真相(しんさう)を窺(うかが)ふ時(とき)は、臣下(しんか)とあるは、皇道(くわうだう)大本(おほもと)で称(とな)ふる所(ところ)の変性(へんじやう)男子(なんし)の御魂(みたま)である。
 抑々(そもそも)、我(わが)天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(てんわう)様(さま)は、天地(てんち)開闢(かいびやく)の初発(しよつぱつ)より、天津神(あまつかみ)の選定(せんてい)し、天降(あまくだ)し給(たま)ひたる、天立(てんりつ)君主(くんしゆ)に坐(ま)しまし、天地(てんち)万有(ばんいう)一切(いつさい)を知食(しろしめ)し給(たま)ふ、御天職(ごてんしよく)で在(あ)らせらるるを以(もつ)て、宇宙(うちう)一切(いつさい)の神人(しんじん)は、皆(みな)、天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)の御子孫(ごしそん)たる天皇(てんわう)の御支配(ごしはい)を受(う)けねばならぬのである。故(ゆゑ)に、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうしう)の御(ご)神霊(しんれい)の外(ほか)は、如何(いか)なる神様(かみさま)でも、皆(みな)日本(につぽん)天皇(てんわう)の臣下(しんか)である。国常立尊(くにとこたちのみこと)は、地球(ちきう)を修理(しうり)固成(こせい)し給(たま)ひし、国土(こくど)の祖神(そしん)ではあるが、一旦(いつたん)地系(ちけい)、即(すなは)ち臣系(しんけい)の神(かみ)とならせ給(たま)うた以上(いじやう)は、如何(いか)に御(ご)神力(しんりき)が強(つよ)くとも、御徳(おんとく)が深(ふか)くとも、時代(じだい)時代(じだい)の、天皇(てんわう)様(さま)の臣下(しんか)として、忠実(ちうじつ)に奉仕(ほうし)さるるのは、天地(てんち)の大法則(だいほふそく)で、是(これ)が麻柱(あななひ)の大道(だいだう)といふものである。
 『扨(さて)も我君(わがきみ)あらたなる霊夢(れいむ)を蒙(かうむ)り給(たま)ひ』新(あらた)なる霊夢(れいむ)を蒙(かうむ)り給(たま)ひと云(い)ふ意義(こころ)は、最(もつと)も注意(ちゆうい)すべき大問題(だいもんだい)である。新(あらた)になると云(い)ふ事(こと)で、昭和(せうわ)の維新(ゐしん)とか、社会(しやくわい)の革新(かくしん)とか、国家(こつか)の進運(しんうん)に関(くわん)する神政(しんせい)革新(かくしん)の神界(しんかい)の御(お)示(しめ)しである。霊夢(れいむ)とあるは、神霊(しんれい)の示顕(じけん)、御(ご)神勅(しんちよく)の意義(いぎ)であつて、決(けつ)して吾人(ごじん)の夜半(やはん)に見(み)たる如(ごと)き雑夢(ざつむ)を云(い)ふのではない。夢(ゆめ)は忌(い)めの意(こころ)である。実(じつ)に清浄(せいじやう)不穢(ふゑ)にして、一点(いつてん)疑(うたが)ひなき神界(しんかい)の御(お)示(しめ)しを、其(その)時代(じだい)の今上(すめら)陛下(おほぎみ)が、御蒙(おんかうむ)り遊(あそ)ばしてと云(い)ふ事(こと)で、是(こ)れが世界(せかい)革新(かくしん)の神勅(しんちよく)の大眼目(だんがんもく)である。
 『千疋(せんびき)の巻絹(まきぎぬ)を三熊野(みくまの)に納(をさ)め申(まを)せとの宣旨(せんし)に任(まか)せ、国々(くにぐに)より巻絹(まきぎぬ)を集(あつ)め候(さふろ)ふ』巻絹(まきぎぬ)とは、疋(ひき)の絹(きぬ)を巻(ま)きたるを云(い)ひ、三熊野(みくまの)とは、紀伊国(きいのくに)牟婁(むろ)郡(ごほり)にある熊野(くまの)権現(ごんげん)の事(こと)であると云(い)ふ。もとは、(み)の字(じ)を美称(びしよう)の意味(いみ)にて添(そ)へたのが、後世(こうせい)は熊野(くまの)三山(さんざん)の意味(いみ)に取(と)りて、(三)の字(じ)を書(か)く事(こと)となつたのである。然(しか)し千疋(せんびき)の巻絹(まきぎぬ)といふのも、実際(じつさい)の絹布(けんぷ)では無(な)い。又(また)三熊野(みくまの)といふも、実際(じつさい)は紀伊国(きいのくに)の地名(ちめい)を引用(いんよう)したまでである。文章(ぶんしやう)の作成(さくせい)上(じやう)、之(こ)れを仮(か)りて用(もち)ひられたもので、言霊(ことたま)の八咫鏡(やあたかがみ)にうつる真意(しんい)は、次(つぎ)の如(ごと)く実(じつ)に幽玄(いうげん)微妙(びめう)なる神理(しんり)が含(ふく)まれてゐるのである。
 『マキギヌ』の言霊(ことたま)を解(かい)する時(とき)は、
 (マ)は、円満(ゑんまん)具足(ぐそく)の身魂(みたま)で信実(しんじつ)也(なり)。一(ア)の位(くらゐ)[※底本(『出口王仁三郎全集 第5巻』p264)では「一」にフリガナは無(な)い。これは数字の一ではなく水茎文字のアである。間違わないように霊界(れいかい)物語ネットでは「ア」とフリガナを付(つ)けた。]に当(あた)る日本人(やまとびと)である。
 (キ)は、上(うへ)なき言霊(ことたま)にして、世(よ)を統(す)べ澄(す)み切(き)りて、世界(せかい)一切(いつさい)を愛護(あいご)する身魂(みたま)である。
 (ギ)は、無生(むせい)無死(むし)の神魂(みたま)であつて、天津御祖(あまつみおや)の神(かみ)に至誠(まこと)を捧(ささ)ぐる身魂(みたま)である。
 (ヌ)は、麻柱(あななひ)の府(みやこ)である。主(しゆ)たるの徳(とく)を保(たも)つ事(こと)である。又(また)何事(なにごと)にも我意(がい)を立(た)てず、従順(じうじゆん)にして、君子(くんし)の至徳(しとく)を保(たも)つ身魂(みたま)である。
 以上(いじやう)マキギヌの四言霊(げんれい)を約(つづ)めて解説(かいせつ)する時(とき)は、智(ち)勇(ゆう)愛(あい)親(しん)の四魂(しこん)完全(くわんぜん)に運用(うんよう)し、五情(ごじやう)の活用(はたらき)全(まつた)き、真(しん)の日本人(につぽんじん)たる真人(しんじん)と云(い)ふ事(こと)である。アア仁義(じんぎ)道徳(だうとく)廃頽(はいたい)し、悪鬼(あくき)邪神(じやしん)の横行(わうかう)せる、現(げん)世界(せかい)の常暗(とこやみ)を照明(せうめい)し、天国(てんごく)浄土(じやうど)の神政(しんせい)を樹立(じゆりつ)すべく、巻絹(まきぎぬ)に相当(さうたう)せる、一大(いちだい)真人(しんじん)の我(わが)神洲(しんしう)各地(かくち)に出現(しゆつげん)して、三熊野(みくまの)の代(よ)に革新(かくしん)され、以(もつ)て万世(ばんせい)一系(いつけい)の我(わが)皇室(くわうしつ)と共(とも)に、豊葦原(とよあしはらの)瑞穂国(みづほのくに)(地球(ちきう))の天壌(てんじやう)無窮(むきう)に隆(さか)えむ事(こと)を希望(きばう)する次第(しだい)である。
 『ミクマノ』の言霊(ことたま)を解説(かいせつ)すれば、
 (ミ)は、形態(けいたい)具足(ぐそく)の言霊(ことたま)である。屈伸(くつしん)自在(じざい)にして、天意(てんい)の儘(まま)であり、太陰(たいいん)の位(くらゐ)を保(たも)ち、光彩(くわうさい)陸離(りくり)たる宝玉(はうぎよく)と成(な)る言霊(ことたま)である。
 (ク)は、三大暦(みくらたな)の起元(きげん)であり、成(な)り付(つ)く言霊(ことたま)である。
 (マ)は、水(みづ)の座(くら)にして、中明無為(すみきり)の言霊(ことたま)である。又(また)水(みづ)を以(もつ)て廻(まは)り囲(かこ)む意義(いぎ)である、日本国(につぽんこく)の四面(しめん)環海(くわんかい)なるも、マの言霊(ことたま)である。
 (ノ)は、天賦(てんぷ)の其儘(そのまま)の言霊(ことたま)である。活機(くわつき)臨々(りんりん)として、総(すべ)てに支障(ししやう)なき意(い)である。
 以上(いじやう)ミクマノの四言霊(げんれい)を約(つづ)むる時(とき)は、太古(たいこ)の天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)の御(ご)神勅(しんちよく)の実現(じつげん)、実行(じつかう)さるべき時(とき)に臨(のぞ)みたる日本(につぽん)神国(しんこく)の祥瑞(しやうずゐ)的(てき)現象(げんしやう)である。
 要(えう)するに、万世(ばんせい)一系(いつけい)の天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(てんわう)様(さま)に、厳正(げんせい)なる神(かみ)の御宣示(ごせんじ)があつて、その山川(やまかは)も寄(よ)りて仕(つか)ふるてふ、至尊(しそん)の天皇(てんわう)が、臣系(しんけい)の国常立尊(くにとこたちのみこと)に、天下(てんか)万民(ばんみん)を巻絹(まきぎぬ)の如(ごと)く、至真(ししん)、至美(しび)、至善(しぜん)の日本(やまと)魂(だましひ)と改新(かいしん)せしめ、以(もつ)て三熊野(みくまの)なる五六七(みろく)の神世(みよ)に治(をさ)むべく、厳命(げんめい)を御降(おくだ)しに成(な)つたと云(い)ふ、神秘的(しんぴてき)の明文(めいぶん)である。地(ち)の高天原(たかあまはら)なる綾(あや)の霊地(れいち)に現(あらは)れて、錦(にしき)の御機(おんはた)の真神絹(まきぎぬ)を織(お)り出(だ)し、世界(せかい)の経綸(けいりん)に任(にん)じ給(たま)ふ経緯(たてよこ)の神(かみ)の御(ご)経綸(けいりん)は、要(えう)するに国々(くにぐに)より巻絹(まきぎぬ)の美(うる)はしき勇(いさ)ましき身魂(みたま)を集(あつ)め給(たま)ひつつあるのである。
   二
 『さる間(あひだ)都(みやこ)より参(まゐ)るべき巻絹(まきぎぬ)遅(おそ)なはり候(さふろ)ふ、参(まゐ)りて候(さふろ)はば神前(しんぜん)に納(をさ)めばやと存(ぞん)じ候(さふろ)ふ』
 『さる間(あひだ)都(みやこ)より参(まゐ)るべき巻絹(まきぎぬ)遅(おそ)なはり候(さふろ)ふ』是(これ)は凡(すべ)て都会(とくわい)の住民(ぢゆうみん)は、常(つね)に生存(せいぞん)競争(きやうさう)激烈(げきれつ)を極(きは)め、私利私欲(しりしよく)に心身(しんしん)を傾注(けいちゆう)するの余(あま)り、神(かみ)の御教(みをしへ)に依(よ)つて、身魂(みたま)を研(みが)き清(きよ)むるの暇(いとま)少(すくな)く、容易(ようい)に体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の行動(かうどう)を改(あらた)め難(がた)くして、改心(かいしん)の遅(おく)れたることの意義(いぎ)である。大本(おほもと)神諭(しんゆ)にも『都会(ひろみ)の人民(じんみん)ほど改心(かいしん)が遅(おそ)いぞよ。誠(まこと)の者(もの)は田舎(いなか)に隠(かく)してあるぞよ。今度(こんど)は天(てん)の大神(おほかみ)の御命令(ごめいれい)を戴(いただ)いて、二度目(にどめ)の天(あま)の岩戸(いはと)を開(ひら)くに就(つい)ては国々(くにぐに)所々(ところどころ)にマクバリてある、純粋(きつすゐ)の日本(やまと)魂(だましひ)、水晶(すゐしやう)の身魂(みたま)を地(ち)の高天原(たかあまはら)へ引寄(ひきよ)して、結構(けつこう)な立派(りつぱ)な錦(にしき)の機(はた)を織(お)り上(あ)げて、天(てん)の誠(まこと)の大神様(おほかみさま)へ、天下(てんか)泰平(たいへい)に世(よ)を治(をさ)めて御目(おめ)に掛(か)ける経綸(しぐみ)であるぞよ。一日(いちにち)も早(はや)く、日本(につぽん)の人民(じんみん)改心(かいしん)致(いた)されよ。モウ時節(じせつ)が迫(せま)りて来(き)たから瞬(またた)く間(ま)もないぞよ。後(あと)の悔悟(こうかい)は間(ま)に合(あ)はぬぞよ。今度(こんど)は神様(かみさま)の御命令(ごめいれい)であるから、愚図愚図(ぐづぐづ)いたして居(を)ると、万劫(まんごう)末代(まつだい)取返(とりかへ)しの成(な)らぬ事(こと)になりて、ヂリヂリ舞(まひ)をいたさねばならんやうになるが、そこへなりてから神(かみ)に縋(すが)りて、改心(かいしん)を致(いた)しても、そんなら許(ゆる)して遣(や)ると云(い)ふ訳(わけ)には行(ゆ)かんから、改心(かいしん)いたして錦(にしき)の機(はた)の御用(ごよう)を致(いた)すなら今(いま)ぢやぞよ。神(かみ)は急(せ)けるぞよ』云々(うんぬん)と度々(たびたび)催促(さいそく)されてあるのも、ミクマノに納(をさ)むべき、都会人(とくわいじん)の身魂(みたま)の改心(かいしん)の遅(おく)れる事(こと)を、大変(たいへん)に御心配(ごしんぱい)下(くだ)さつた、親切(しんせつ)なる神諭(しんゆ)である。
 三千(さんぜん)世界(せかい)の大(だい)修斎(しうさい)を実行(じつかう)し給(たま)ふに就(つい)て、天(あめ)の下(した)に只(ただ)の一人(ひとり)も遺(のこ)さず漏(も)らさずして、神界(しんかい)の御経綸(おしぐみ)の神業(しんげふ)に参加(さんか)せしめ、天地(てんち)経綸(けいりん)の司宰(しさい)たる人生(じんせい)の本分(ほんぶん)を全(まつた)からしめむと焦慮(せうりよ)し給(たま)うたのも、水泡(すゐはう)に帰(き)して了(しま)つて、即(すなは)ち『都(みやこ)より参(まゐ)るべき巻絹(まきぎぬ)遅(おそ)なはり候(さふろ)ふ』の結果(けつくわ)を来(きた)すべしとの神(かみ)の予告(よこく)であつたのである。然(しか)しながら、至仁(しじん)至愛(しあい)の大神様(おほかみさま)は、飽(あ)くまでも救済(きうさい)せむと思(おぼ)し召(め)して、譬(たと)へ遅(おく)れたりとも、之(これ)を神直日(かむなほひ)大直日(おほなほひ)に見直(みなほ)し聞(き)き直(なほ)し詔(の)り直(なほ)して、大神(おほかみ)の大前(おほまへ)に於(お)ける神業(しんげふ)に参加(さんか)せしめむとの御(ご)神慮(しんりよ)が、即(すなは)ち『参(まゐ)りて候(さふら)はば神前(しんぜん)に納(をさ)めばやと存(ぞん)じ候(さふろ)ふ』との御神語(ごしんご)を以(もつ)て、表示(へうじ)されて居(を)るのである。又(また)別(べつ)に『ミヤコ』の意義(いぎ)を言霊(ことたま)に依(よ)つて略解(りやくかい)する時(とき)は、
 (ミ)は、玉(たま)の位(くらゐ)を顕(あらは)し定(さだ)め、物質(ぶつしつ)克(よ)く整(ととの)ひ極(きは)まり、産霊(むすび)の形(かたち)を顕(あらは)し、神(かみ)を明(あきら)かに拝(はい)し、人(ひと)の群集(ぐんしふ)充満(じうまん)して、居住(きよぢゆう)する意味(いみ)である。
 (ヤ)は、地上(ちじやう)一切(いつさい)の事物(じぶつ)を包裏(はうり)し、且(かつ)八隅知志(やすみしし)皇大君(すめおほぎみ)の御坐(おは)します、中心(ちうしん)地点(ちてん)である。
 (コ)は、一切(いつさい)の真元(しんげん)と成(な)り、一切(いつさい)の事物(じぶつ)を要(かな)め、治(をさ)め籠(こ)め総(す)ぶる事(こと)である。
 要(えう)するに天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(てんわう)の御坐(おは)し坐(ま)す、政治(せいぢ)の中枢地(ちうすうち)を称(しよう)して『都(みやこ)』と云(い)ふのである。現今(げんこん)の大阪(おほさか)も大都会(だいとくわい)と称(しよう)して居(を)れども、決(けつ)して是(こ)れを『ミヤコ』と称(しよう)する事(こと)は出来(でき)ぬのである。
   三
 次第男『今(いま)を始(はじ)めの旅衣(たびごろも)、紀(き)の路(ぢ)にいざや急(いそ)がむ』
 『オノコ』の言霊(ことたま)を略解(りやくかい)する時(とき)は、
 (オ)は、大(だい)地球(ちきう)の蒼生(さうせい)を済度(さいど)し、且(か)つ興(おこ)し助(たす)け、以(もつ)て親(おや)の位(くらゐ)を守(まも)り、億兆(おくてう)分子(ぶんし)の始末(しまつ)を知(し)るの言霊(ことたま)である。
 (ノ)は、臣下(しんか)の働(はたら)きにして、上意(じやうい)を下(しも)に顕示(けんじ)し、玉光(ぎよくくわう)の所在(しよざい)を極(きは)め、以(もつ)て支障(ししやう)無(な)き言霊(ことたま)である。亦(また)天下(てんか)万民(ばんみん)をして、至治(しち)泰平(たいへい)ならしむる、重臣(ぢゆうしん)の天職(てんしよく)である。
 (コ)は、一切(いつさい)を総轄(そうかつ)し、且(かつ)何事(なにごと)も氷解(ひようかい)せしめ、疑(うたが)はしむる事(こと)なく、過去(くわこ)と現在(げんざい)を洞察(どうさつ)する、親子(しんし)一如(いちによ)の言霊(ことたま)である。
 以上(いじやう)『オノコ』の三言霊(げんれい)を約(つづ)むる時(とき)は、輔弼(ほひつ)の重臣(ぢゆうしん)、即(すなは)ち国務(こくむ)大臣(だいじん)と云(い)ふ、上級(じやうきふ)の為政者(ゐせいしや)の意義(いぎ)である。大本(おほもと)神諭(しんゆ)にある、世(よ)に出(で)て居(を)れる守護神(しゆごじん)であり、一の番頭(ばんとう)、二の番頭(ばんとう)である。神諭(しんゆ)に『世(よ)に出(で)て居(を)れる守護神(しゆごじん)は、今度(こんど)の二度目(にどめ)の天(あま)の岩戸(いはと)開(びら)きに就(つい)ては、今(いま)の処(ところ)神(かみ)の眼(め)から見(み)れば、御一方(おひとかた)も間(ま)に合(あ)ふ方(かた)は無(な)いぞよ。一時(いちじ)も早(はや)く世(よ)に出(で)て居(を)れる守護神(しゆごじん)から改心(かいしん)為(な)されて、今度(こんど)の御用(ごよう)に立(た)ちて下(くだ)されよ。モウ遅(おそ)くなつたぞよ。時節(じせつ)が遅(おく)れて来(き)たぞよ。神(かみ)急(せ)けるぞよ。月日(つきひ)も刻限(こくげん)も定(さだ)まりて在(あ)るから、一の番頭(ばんとう)、二の番頭(ばんとう)に改心(かいしん)さして、助(たす)けてやりたいと思(おも)うて、艮(うしとら)の金神(こんじん)が、天(てん)の大神様(おほかみさま)へ御願(おねが)ひ申(まを)して、日時(ひとき)を延(の)ばして頂(いただ)いて居(を)るから、改心(かいしん)致(いた)して御用(ごよう)に立(た)つのは今(いま)の中(うち)ぢやぞよ』云々(うんぬん)とあるのは、一時(いちじ)も早(はや)く、巻絹(まきぎぬ)を都(みやこ)の男(をとこ)から『ミクマノ』の神前(しんぜん)へ納(をさ)めよとの神示(しんじ)である。
 『今(いま)を始(はじ)めの旅衣(たびごろも)』今(いま)までは何程(なにほど)深遠(しんゑん)なる神諭(しんゆ)も、警告(けいこく)も、馬耳(ばじ)東風(とうふう)に聞(き)き流(なが)して居(ゐ)た為政者(ゐせいしや)も、弥(いよいよ)覚醒(かくせい)して、遅(おく)ればせながらも、巻絹(まきぎぬ)を納(をさ)めむとする段(だん)になつたと云(い)ふことである。政治(せいぢ)も、教育(けういく)も、宗教(しうけう)も、実業(じつげふ)も、其他(そのた)一切(いつさい)の世間(せけん)の出来事(できごと)が行(ゆ)き詰(つま)つて了(しま)つて、二進(につち)も三進(さつち)も行(ゆ)かないやうになり、上(あ)げも下(おろ)しも成(な)らぬ混乱(こんらん)状態(じやうたい)、常暗(とこやみ)の社会(しやくわい)を現出(げんしゆつ)し、到底(たうてい)洋服(やうふく)主義(しゆぎ)では、天下(てんか)は治(をさ)まらぬと云(い)ふことに気(き)が付(つ)いて、今(いま)までの外尊(ぐわいそん)内卑(ないひ)の態度(たいど)を一変(いつぺん)し、皇国(くわうこく)固有(こいう)の惟神(かむながら)の大道(だいだう)を遵奉(じゆんぱう)し、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうしう)の御遺訓(ごゐくん)に依(よ)りて、治国(ちこく)平(へい)天下(てんか)の大道(だいだう)と為(な)すに至(いた)つた其(その)経路(けいろ)を『今(いま)を始(はじ)めの旅衣(たびごろも)』と云(い)ふのである。
 『紀(き)の路(ぢ)にいざや急(いそ)がむ』本文(ほんぶん)の儘(まま)に何心(なにごころ)なく読(よ)み行(ゆ)けば、紀伊国(きいのくに)の三熊野(みくまのの)権現(ごんげん)へ巻絹(まきぎぬ)を持(も)つて、急(いそ)ぎ、納(をさ)めに出立(しゆつたつ)するやうに、見(み)られるのであるが、前述(ぜんじゆつ)の通(とほ)り、紀(き)の路(ぢ)は決(けつ)して紀伊国(きいのくに)の意味(いみ)では無(な)い。之(これ)を言霊学(ことたまがく)上(じやう)より見(み)る時(とき)は、『カミ』の霊返(たまがへ)しの(キ)であり、『クニトコタチ』の霊返(たまがへ)しの(キ)であり、『キミ』の霊返(たまがへ)しの(キ)である。亦(また)紀(き)は木(き)の仮字(かりじ)であつて、木(き)は東(あづま)の国(くに)の意味(いみ)である。日東(につとう)皇国(くわうこく)は即(すなは)ち世界(せかい)から見(み)れば木(き)の国(くに)である。要(えう)するに国常立尊(くにとこたちのみこと)の常住(じやうぢゆう)し給(たま)ふ、日本(につぽん)神国(しんこく)の意味(いみ)であつて、神漏岐(かむろぎ)と神漏美(かむろみ)のキミ二神(にしん)、又(また)は日(ひ)の大神(おほかみ)伊邪那岐(いざなぎの)命(みこと)、月(つき)の大神(おほかみ)伊邪那美(いざなみの)命(みこと)のキミ二神(にしん)の経綸(けいりん)あらせらるる神国(しんこく)の中心(ちうしん)地点(ちてん)が、所謂(いはゆる)紀(き)の路(ぢ)である。都(みやこ)の男(をのこ)の根本的(こんぽんてき)改心(かいしん)の結果(けつくわ)、遅(おく)れ乍(なが)らも、神界(しんかい)経綸(けいりん)の中心点(ちうしんてん)に向(むか)つて、巻絹(まきぎぬ)なる身魂(みたま)を引連(ひきつ)れ、取(と)るものも取(と)り敢(あへ)ず、急(いそ)いで神業(しんげふ)に参加(さんか)せむとするの寓意(ぐうい)である。
(大正一○・三号神霊界誌)
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス】
合言葉「みろく」を入力して下さい→