霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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石亀料理

インフォメーション
題名:05 石亀料理 著者:出口和明
ページ:110 目次メモ:
概要:明治36年、喜三郎は人造生乳会社の社長を辞め、大阪で宣教に専念する。居候先の内藤家の隣家の老婆が天王寺の石亀を盗って殺して売っているのを見て、亀の霊に祈る。大阪に半年滞在した後、綾部に帰る。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-06-25 06:46:26 OBC :B138908c05
0001 明治三十六(一九〇三)年、0002上田鬼三郎三十三歳の正月は、0003大阪で迎えた。0004妻も子も綾部に残したまま、0005愛染坂の内藤正照家で気楽な居候の身であった。
0006「人造精乳の社長を辞めさせられるちゅう噂やけど、0007上田はん、0008まさかほんまと違いまっしゃろなあ」
0009 松の内の過ぎぬうちに聞こえてきた噂に、0010鬼三郎贔屓(びいき)の正照の妻いちが不安げに訊いた。
0011「嘘やない。0012これや」と、0013鬼三郎は首を叩いて笑った。
0014 いちは目をむいた。
0015「なんでやのん。0016そんな阿呆な……」
0017「綾部からしつこう蓑笠隊が嫌がらせに来よるいうのが表向きの理由や。0018『世間体が悪いし、0019それが販売成績にひびかんとも限らんし、0020この際、0021手え退()いてほしい』と頼まれてのう。0022予期せんことでもなかったわい」と、0023鬼三郎の口調にはこだわりがない。
0024「はねつけてやったらよろしやんか。0025会社が設立できたんは誰の力や思とるんやろ。0026京都帝大の坪井博士に分析証明書もろたり、0027ちんどん屋までして人造精乳を世間に認めさせたんは、0028上田はん、0029あんたの才覚だっせ。0030松原はんも山田はんも、0031あんまりえげつないわ。0032苦しい時はさんざ利用しといて、0033会社が按配よう行き出したらとたんに社長を追い出して、0034自分らでうまい汁吸いとうなったんどっしゃろ」
0035 まくし立て始めたら、0036口に絆創膏(ばんそうこう)でも貼らぬことには止まらぬいちである。0037鬼三郎は苦笑した。
0038「ただで辞めるわけやない。0039わしの方から二つの条件出しといた」
0040「あったりまえや。0041どんと退職金でももろたらよろし」
0042「別段、0043銭は欲しゅうない。0044一つは、0045幸吉や由松や政一をこのまま修生社で使うてもらうこと」
0046「阿呆かいさ。0047幸はんなら、0048今では山田はんに負けんだけ製造技術が上手になっとってんそうやろ。0049幸さんに出られて困るのは、0050会社の方やおまへんか」
0051「そうや。0052松原も幸吉留任の件は喜んどったで。0053もう一つは、0054人造精乳修生社初代社長として置き土産にもう二、0055三ヶ所、0056支店の足がかりをつくって身を退()きたいさけ、0057辞任を春頃までのばしてもろたんや」
0058「あれ、0059追んだされる会社のために……」
0060「違う。0061弟たちの残る会社のためにや」と、0062涼しい目でいちを見返り、0063ぺこんと頭を下げた。
0064「暖こうなる頃まではまだしばらくあるさけ、0065ここにまた厄介になりまっせ」
0066 東に西に走った。
0067 出資者の松原も、0068技手の山田、0069販売主任の若林も、0070いずれ首となる会社のために奔走する鬼三郎の意図を計りかねていた。0071何か深い魂胆あってのことではないかと気を許さない。
0072 疑心暗鬼の彼らにはおかまいなく、0073鬼三郎は着々と手を打って新しい地を開拓。
0074 大阪市南区上大和町一に大阪支店を、0075滋賀県長浜町船橋通り橋詰に長浜支店を、0076それぞれ春を待たずにつくり上げた。0077その土地の名望高い博士や病院長の人造精乳分析証明書もとりつけて宣伝する。
0078 鬼三郎が創設して以来わずか半年余りで、0079京都本店の他、0080園部・大阪・長浜と支店を擁するに至ったのだから、0081新しく開拓した事業としては、0082大変な高度成長であった。
0083 園部支店の製造技手として鬼三郎の末弟の小竹政一が若手ながら腕をふるい、0084京都本店では山田技手に次弟上田由松を配した。0085三弟上田幸吉は新支店大阪の責任者とし、0086やがては長浜支店もみさせている。0087そして鬼三郎は、0088約束の時よりも早く、0089あっさりと社長を辞めた。0090何一つ要求しなかった。0091順調に始動しだした会社には、0092もう未練がないように――。
0093 まだ浅い春を、0094鬼三郎は内藤家を根城として、0095専心布教の日々へと戻った。0096鬼三郎の霊力と教説に服して入信した者を次々参綾させる。0097決まって反会長派に転向して帰ることを承知しながら、0098綾部へと送りこまずにいられないのだ。
0099「ざるで水を汲み上げる気か」と、0100内藤正照は、0101歯がゆくて仕方がなかった。
0102 綾部の役員らのために、0103大阪砲兵工敞三千の共鳴者も、0104大阪本部一万坪建設の話もふいにされ、0105おまけに社長の椅子から引きずりおろされる羽目に至って、0106まだこりぬのか。
0107 鬼三郎ほどの霊力、0108実行力を兼ね備えた男がその気になって独立すれば、0109立派に一教団をひきいていけようものを。0110これほどひどく痛めつけられつつも、0111綾部を忘れきれない鬼三郎の気が知れぬ。0112追われる会社のあとあとのために無償で働く心と通じていて、0113理解しがたかった。0114それでいて十五も年下の鬼三郎から離れられず、0115利害をよそについて回る内藤であった。
0116 鬼三郎の茶目気は、0117この大阪宣教時代にも発揮されていたらしい。0118市内の稲荷下げを審神してまわって、0119夜ふけての帰途であった。
0120「内藤はん、0121ちょっと一服していこ。0122かみそり貸してんか」と鬼三郎は道端に寄って、0123もそもそと(ふんどし)を解き出した。
0124「何しなはる。0125こんなとこで……」
0126「この六尺、0127ええかげんボロになりよったし、0128処分するのや」
0129 鬼三郎は、0130六尺褌の端を内藤から借りたかみそりで三尺ほど切りとって、0131「これは(あか)こすり」とつぶやいて懐へ押しこみ、0132残りを側の橋の欄干にかけて眺めた。
0133「どうや、0134内藤はん、0135何に見える」
0136「風になびいとる褌。0137うす汚れたよれよれの晒の褌。0138源氏の白旗にはどう見ても見えまへんで」
0139「いかにも。0140けど、0141ものは試し。0142まあ、0143見とってみい」
0144 鬼三郎は内藤の袖を引っぱって、0145土手の柳の下にかくれた。0146銭湯帰りの年増女が橋を渡って来る。0147蔭から鬼三郎が念力をかける姿勢となった。0148女は歩みを止め、0149素早くあたりを見渡して、0150褌を手にとる。0151月の光でしげしげと眺めた。
0152「よい柄の帯やこと。0153なんでこんなとこに置いたるのやろ。0154もったいない……」とつぶやき、0155丁寧に畳んで、0156いそいそと抱いていく。
0157「あれ、0158どうなってまんねん」
0159 きょとんとしている内藤に、0160手を叩いて鬼三郎は笑いこけた。
0161「わしががきの頃、0162よう豆狸に化かされて、0163ひどい目におうた。0164狐や狸が人を化かす。0165わしかて化かせん法はないと思たんや」
0166 内藤家には風呂がなかった。0167だから宣教の帰途、0168たいていは内藤と共に手ぶらで銭湯にとび込む。0169手拭いも石鹸も糠袋もない、0170あるのはただしめている褌一本だ。0171それが手拭いの代用をした。0172全身の垢をこすり出した頃には、0173同時に褌の洗濯もでき上がろうというもの。
0174 長風呂の内藤につき合いかね、0175一足先に銭湯を出た鬼三郎は四天王寺西門の石鳥居をくぐって、0176人気のない境内に入った。0177しまい風呂に(ぬく)もった体に、0178ひんやりした夜風が快い。0179洗った褌の切れ端をひろげて、0180パッと水気を切った。0181おぼろな月の光りが五重塔の屋根をすべりおり、0182金堂の錣葺(しころぶき)を青く照らしている。
0183 広い内池に沿ってまわると、0184怪しい灯が見える。0185忍び足になった。
0186 池のみぎわに燭台を置いて、0187腰の曲がった老婆が襟巻(えりまき)を頭からすっぽりかぶり、0188しきりに池の面を探っている。0189見覚えのある七十がらみの隣家の住人だ。
0190 年に似ぬ敏捷な動作でさっと玉網ですくい取ったのは亀。0191天王寺池に無数に住む名物の石亀である。
0192「おい、0193婆さん、0194殺生せんときや」
0195 声をかけると、0196老婆はゆっくりと細長い首をねじ向けた。
0197「なんや、0198内藤の家の居候(いそうろう)かいな。0199人のことかまわんと、0200とっとと()んで小便こいて寝よし」
0201「石亀盗んでどないすんねん。0202泥亀(すっぽんの別名)や言うて騙して売る気やろ」
0203「ふん、0204これでも人助けじゃよ」
0205「阿呆ぬかせ……」
0206「ほんまじゃ。0207泥亀やと思うて喜んで生き血飲んどりゃ、0208効き目は現われる。0209わしの(りょう)った肉や生き血を待っとる患者がたんとおる。0210泥亀は諸病を除く強精剤だっせ。0211病後や産後に抜ける女の髪でも、0212これを飲んどりゃ黒う長うなるのんえ。0213お前さん、0214痔は出とらんかい。0215よう効くで。0216生き血が嫌なら肉、0217骨、0218肝、0219食えんとこはない。0220甲羅は干しといて漢方の薬屋に売る。0221いつの間にか鼈甲散(べっこうさん)に化けとるのや」
0222「それは本物の泥亀の話やろ。0223こんな石亀なんか……」
0224「病は気から……泥亀やと思わせたらよいのや。0225この年寄りの人助け商売さまたげてみいさ、0226地獄へ逆おとしえ」
0227「寺の亀盗んどいて何が人助けや。0228盗んだ上にまだ人をだます。0229どっちゃにしても婆さん、0230地獄へ堕ちんなんのはお前やぞ」
0231「へん、0232懲役覚悟じゃ。0233豚箱や地獄が恐うて、0234この世に食うていけるかい。0235お前さん、0236痔がなけら、0237胸はどうや。0238労咳(ろうがい)にでもなった日には嫁はんも来んで。0239隣のよしみで安うしとくがな」
0240「いらんいらん、0241聞いただけで胸が悪うなった。0242気いつけや婆さん、0243お前には殺された石亀の怨霊がうようよ憑いとるぞ」
0244「へん、0245怨霊の方が逃げて行きよるわえ」
0246 婆は嗄がれ声で笑った。0247それでも、0248背を向けかける鬼三郎に、0249脅しを忘れない。
0250「居候、0251交番に届けたらあかんえ。0252告げ口しよったら、0253この婆が祟って化けて出まっせ」
0254 池っぷちの植込みを抜けたところが内藤家の台所口だ。0255内藤正照はもう帰っていて、0256茶の間の火のない炬燵で居眠っている。0257縫いものをしていたいちが顔を上げた。
0258(おそ)おしたなあ。0259湯ざめしますで」
0260 鬼三郎は隣の婆の一件を語った。0261茶の間の窓から天王寺の池はよく見えるが、0262婆さんのいる場所は木に妨げられて見えぬ。0263いちは婆さんの商売を知っていたらしく、0264さして興味を示さない。
0265「隣の亀婆さんかもとったら、0266風邪ひくやおまへんか」
0267 いちのいれてくれた熱い茶を飲みながら、0268鬼三郎はまだこだわっていた。
0269「一人暮らしやさけ、0270あの婆さんも食うためにはしゃないんやろ」
0271「子も孫もありながら、0272誰一人寄りつかんらしおすえ。0273あれではなあ」と、0274いちが嘆息した。
0275 自室に移って、0276鬼三郎は万年床にもぐりこんだ。
0277 古壁一つで仕切られた隣家に婆の帰ってきた気配がして、0278破れ穴から灯がもれる。0279やがて、0280しゅっしゅっと庖丁を研ぐ音、0281ごそごそと亀の動き回る音、0282何やら独り言、0283気になって寝つかれぬ。
0284 せっかく温まった蒲団から這い出して、0285竹骨の間にわずかに開いた壁穴をのぞいた。0286そこは隣家の台所。0287ランプの火影がゆれて、0288婆はまさに石亀料理の最中だ。0289耳をすませば、0290「亀よ亀、0291泥亀になれよ、0292泥亀に……」と呪文のように呟いている。
0293 鬼三郎は、0294小さな壁穴に口をつけた。
0295「婆よ婆、0296婆亀になれよ、0297婆亀に……」
0298「居候、0299早う寝くされ」と、0300婆が向こうから壁穴に口をつけてどなる。
0301「お前ががさごそしよるさけ、0302寝られんわい」
0303 またのぞこうとすると、0304ふいに目前が暗くなって、0305いやな臭気が鼻をつく。0306壁穴に雑巾が詰められたのだ。
0307 本を読んでも、0308気になって頭に入らない。0309も一度、0310壁穴に寄って穴に指をさしこむ。0311雑巾がはらりと落ちて、0312婆の手元が見えた。
0313 幾つ目かの亀が、0314爼板(まないた)に乗せられるところだった。0315怯えた亀は裏向けられ、0316首も手足も甲羅の中に縮め切っている。0317どんと下腹をこぶしで打つと、0318首がのぞく。0319瞬間、0320首をつかみ出して、0321つけ根を庖丁で切り込み、0322逆さにする。0323生き血が滴々とコップにしたたる。0324コップの半ば近くまで酒らしい液体が入っていて、0325生血と混り合う。0326酒で臭味を消し血の凝固を防ぐ工夫か。
0327 婆の指は素早く動いて血をしぼり切った亀の(あご)をはずし、0328食道ごと抜きとる。0329甲羅の背にすっと庖丁をあて、0330そこにツボがあるのか、0331開いて足の関節をはずす。0332あとは肉と内臓を手際よく分けていく。
0333 解剖の経験は、0334獣医を志望した頃の鬼三郎にもあった。0335が、0336神の道に入った今は、0337苦い記憶でしかなかった。
0338 目の位置を変えると、0339下から受ける灯明りにくまどられた陰惨な婆の顔がすぐそこにあった。0340上を向いて並んだ鼻孔、0341への字形の大きな口、0342のど元からしみだらけの皮がしわしわと垂れている。
0343 ――亀や。0344(ごう)を経た婆亀そっくりじゃ。
0345 ぞっと寒気がした。0346数年間、0347亀を殺し続けるうち、0348亀の怨霊がこもり切って、0349顔全体までこうも似てきたのだろうか。
0350 思わずとりかけた鎮魂の指を放して、0351鬼三郎は思いに沈んだ。0352悪を懲らすというだけなら、0353霊の力で婆をひっくり返すこともできよう。0354が、0355懲らすまでもなく、0356荒廃した婆の魂の堕ちゆく先は、0357手にとるように分かっている。0358彼女に必要なのは罰でなく、0359救いなのだ。0360省みる魂と共に、0361生きる手だての変革なのだ。
0362 この婆だけではない。0363広い世間には、0364食うために罪を犯さねばならぬ人々が無数にいよう。0365盗まず、0366騙さず、0367まともに生きていける力を、0368お前はどうやって与えてやれるというのか。
0369 鼠小僧次郎吉のように、0370己れは獄門覚悟で、0371この世の(ぜい)(おご)る奴らから大金を盗み出し、0372底辺にうごめく彼らにばらまく。0373確かに一時的な英雄気取りに酔うことはできよう。0374が、0375それだけの一人よがりに過ぎぬ。0376かつて、0377自分が侠客たらんと志した時と、0378一歩も前進はない。
0379 社会主義者らの群に身を投じて、0380政治機構の根本的革命を画すべきか。0381しかし政治の形を変え、0382上を下にひっくり返しただけで、0383果して一列に万民の心が治まるものだろうか。
0384 神の大望である立替え立直しはまず改心から、0385と筆先はせまる。0386霊主体従が真の道。0387心から体へ、0388霊より体へと立替えて行かねば、0389ついには欲と欲がぶつかり合う大戦いを引き起こす結果となろう。
0390 人生の目的をただ一身の栄達にかけ、0391金力を誇って表面のみ飾りたてんと腐心する現代の人々。0392神も霊界の存在も否定、0393肉眼に見得る物の外は信ぜずとする智者学者の群。0394物質世界にのみ生きようとする彼らの心の眼を開かしめ、0395物質万能のこの世を根底から立替えて、0396万民和楽のみろくの世を(きた)らす力が、0397まこと艮の金神にあるのか。
0398 いつもそこに落ちる思いであった。
0399 丹波の一隅で、0400三千世界の立替えを叫び続ける義母出口直とその一団――。0401信じきれず、0402そむききれぬまま、0403遠くはなれて鬼三郎は綾部を偲ぶ。
0404 石亀の料理は、0405明け方近く終わった。0406婆の足腰は、0407冷え切ったに違いない。0408哀れな隣人のために、0409鬼三郎は起き直り、0410壁に向かって心をこめた霊波を送る。0411口で説いて分からぬなら、0412霊夢で見せよう。0413婆の魂のすでに感応するところ、0414やがては死後の魂の堕ち行く先を。
0415 婆よ、0416省みてくれ。0417神にすがって、0418残り少ない人生を立て直してくれ。
0419「居候、0420起きとるかい」
0421 壁穴から洩れる嗄がれ声に、0422鬼三郎は目ざめた。0423陽はかなり高い。
0424「うーん、0425何じゃい、0426婆亀」
0427「ちょっとこっちへ来ていさ」と、0428婆が弱々しげに頼む。
0429「おう気味わる。0430生き血しぼられたら、0431わややのう」と憎まれ口を叩きつつ、0432鬼三郎は急いで身支度した。
0433 隣家の門口から、0434よどんだ生臭さが鼻をついた。0435思わず鬼三郎は、0436悲鳴を上げる。
0437「窓を開けてくれや。0438霊気がにごっとるさけ苦しいわい」
0439「風が冷たいで」
0440 かまわず鬼三郎は、0441閉めっぱなしの雨戸を繰り上げ、0442まぶしい初春の陽だまりの中に坐った。0443甲羅ほどに盛り上がり、0444曲がった腰をよたつかせて、0445婆がうずくまる。
0446「今朝はどうしようもなく頭がうずくのえ。0447お前さんは神さん拝むのやろ。0448わしは神も仏も好かんが、0449ちょっとは気になるのや」
0450「今朝の夢見がわるかったな」
0451 婆は鈍い眼で鬼三郎を見上げた。
0452「亀やら蛇やらが仰山(ぎょうさん)わしの体に巻きついて、0453体中の生き血を吸うんや……」
0454「正夢やのう。0455お前が好んでつくった血の池地獄や。0456神が刑罰のためにつくった地獄やない。0457生きながら自分でつくっておいて、0458肉体の衣を失った裸の魂が、0459自分でそこへ転がり込む。0460現界での肉体の苦しみより、0461死後の霊界での魂の苦しみの方が、0462ずっと深くて長いのやぞ」
0463「けど夢は五臓六腑の疲れや。0464わしは信じへん。0465天国も、0466地獄も、0467坊主らがおどしのためにつくり上げた嘘っぱちや……」
0468 鬼三郎が笑った。
0469「嘘なら恐がらんでもええ。0470けど、0471また同じ夢を見るやろ」
0472 あわてて、0473婆がすがった。
0474「げんくそ悪い……わしは一人じゃ。0475子や孫は薄情もんばっかりや。0476わしが死んだら、0477この家を()り合うても、0478わしに線香一本供える者はないやろ」
0479「ええやんけ。0480死後の魂を信じんお前や。0481もうじきさっぱり灰にかえる身やろ。0482あとの供えもんなんぞ、0483関係ないわい」
0484 婆の眼が光った。
0485「なんちゅういけずな拝み屋じゃ、0486お前は」
0487「わしは拝み屋やないぞ。0488それとも婆さん、0489神さん拝んで欲しゅうなったか」
0490 婆は、0491疑い深げに細長い首を振った。
0492「しょうむない。0493神さんなど頼みはせんわ」
0494「そうやろのう。0495お前は神も人も頼まんと一人で生きていけるやろが、0496わしは亀たちが哀れでかなんのや。0497一つ、0498お前に殺された亀たちの霊に祈ったるか」
0499 鬼三郎は台所に向かって正座した。0500中身のない甲羅が幾つもつみ重ねられている。0501大祓(おおはらい)祝詞を言霊清しく称えた。
0502 二、0503三日過ぎた朝、0504壁穴からまた声があった。
0505「なあなあ居候、0506来てくれんかい……。0507わしのためにも、0508どうぞ神さん拝んでおくれ」
0509 明治三十六(一九〇三)年三月一日、0510正午の号砲を合図に、0511大阪天王寺今宮の三十三万平方メートル(十万坪)の敷地を第一会場として(第二会場は堺)、0512一帯は第五回内国勧業博覧会の見物客でうずまった。0513会期は七月三十一日までの百五十余日間。
0514 明治政府は殖産興業に力を注ぎ、0515博覧会、0516共進会を開設したが、0517わけても重点をおいたのはこの内国博覧会といえよう。0518一、0519二、0520三回までは東京上野。0521明治二十八年の第四回は京都であった。0522更に第五回の大阪博は最大のもの。0523観覧人員五百三十万人と言えば、0524第一回の四十五万はむろん、0525京都博の百十万人に比べても五倍に近い。
0526 四月十六日の読売新聞は報ずる。
0527「本月一日以来、0528阪神地方は全国一の一大ホテルと化し、0529両地に入り込みたる男女の数は幾百万なるを知らず……」
0530 この大阪博では、0531巡航船、0532市街電車、0533蒸気自動車などが初めて大阪に紹介され、0534会場のイルミネーションや冷蔵庫などの新製品が評判であった。
0535 内藤家から会場は近い。0536鬼三郎は連日通いつめ、0537貪婪(どんらん)に新知識を吸収した。0538肥松(松根)、0539行燈、0540ランプしか知らぬ田舎者が京、0541大阪のガス燈に眼をみはったのはついこの間、0542今は夜を追放せんばかりに輝く電光に、0543新時代の息吹きをひしひしと感じとった。
0544 アメリカのライト兄弟が世界最初の動力飛行に成功したのは、0545この年の十二月である。
0546 期間中、0547弟幸吉を連れて、0548鬼三郎は食堂や見世物、0549芝居興行などでにぎわう千日前の道筋の旅館に投宿もした。0550二階の手摺りにもたれて道行く人波を見下ろす。0551新旧いりまじる風俗模様の中に、0552外国の男女も往き来していた。
0553「あれあれ兄やん、0554牛も馬も人も引っ張っとらんのに車が一人で走りよるのう」
0555 幸吉が自動車を見かけて、0556感嘆の大声を発した。
0557 女掏摸(ずり)が通行人の金時計をすりとり、0558素早く丸(まげ)の中に隠した現場も、0559二階から目撃した。0560陽に反射して、0561髷の中がきらっと光った。0562人の輪ができ、0563やがて抵抗しながら千日前の交番に引き立てられて行く。
0564「髪の中やし、0565調べればすぐ分るやろ」と、0566幸吉が言った。0567鬼三郎が、0568にやっとした。
0569「お前に分らんのか。0570時計はもう髷の中にはあらへん。0571あいつ、0572女のかくし場所に移しよったで」
0573 幸吉には通じなかったらしい。0574だが物見高く街路におり、0575ややしばらくして駈け戻ってきた。
0576「兄やんの言うた通りやったぞ。0577交番の中であの女、0578裸にして調べとった。0579どこにもないさけ、0580湯巻きの中までのぞいたら、0581足の間に時計の鎖がぶら下がっとったげなで」
0582 さまざまの世間の縮図がこの街にあった。0583丹波の山奥では味わえぬ刺激でもあった。0584止むなく丹波へ引き戻されるまでの短期間に、0585実に四十五回、0586鬼三郎は大阪博に足を運んだ。
0587 半年もの大阪滞在を切り上げさせたのは、0588母危篤の園部からの電報である。0589一瞬、0590鬼三郎は信じられなかった。0591が、0592真偽はともかく引き上げの時期が来たのだろう。
0593 内藤正照といち、0594急速に鬼三郎を頼り初めている隣家の婆にもなごりを惜しんで、0595大阪を後にした。
0596 やはり、0597偽電報であった。0598園部の母世祢は息子の小竹政一を助けて元気で園部修生社の人造精乳配達に歩いていたし、0599妹君は商家に奉公していた。0600鬼三郎を待ち構えていたのは、0601案の定、0602三人の綾部の役員たちである。
0603 山々の桜は散りはてて、0604山つつじの匂い初める幾峠を越え、0605龍門館へと向かう鬼三郎。0606その前後を中村竹吉、0607四方平蔵、0608竹原房太郎がむっつりと固めていた。