霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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浮いたか瓢箪

インフォメーション
題名:06 浮いたか瓢箪 著者:出口和明
ページ:128 目次メモ:
概要:出口直の長男・出口竹蔵が京都で見つかり、17年ぶりに綾部に帰ってくる。出口の本家は竹蔵が相続し、大本の出口家は直そして澄が相続することになる。弥仙山岩戸開きの御用に竹蔵の名前がないため、喜三郎のはからいで朝野(直日)の運び係で行くことになる。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-06-26 08:43:23 OBC :B138908c06
0001 京都三条蹴上(けあげ)の傾きかけた長屋の一軒が、0002(もっこ)竹や藁を編んで作った篭で、土や農産物などを入れて運ぶ用具。の竹さんのこの頃の城である。
0003 大きな節くれだった指で竹さんの編む(もっこ)は、0004丈夫で長持ちすると評判だ。0005問屋に喜んで引きとられた。0006必要以上に儲けたいという意識に乏しいから、0007数は上がらない。0008日が暮れてランプをつけると、0009さっさと仕事をしまう。0010同じ土間で米を磨ぎ、0011くどに火を起こしてかける。
0012 いんま(今)に日傭いから花が帰ってくるさけと、0013竹さんは思う。0014今度は河川工事の土方やそうなから、0015えらいしんどかろ。
0016「あい、0017帰ったよ」
0018 花が機嫌よく口笛を吹きながら帰ってきて、0019土間に(たらい)を置き、0020水を張って行水を始める。0021子供に吸わせたことのない形の良い乳房が、0022ぷりんと揺れる。0023もう三十歳を越しているのだろうが、0024労働で鍛えた浅黒い裸身は締まっていて、0025五つ六つ若く見せる。
0026 米が炊き上がる寸前、0027竹さんは鍋の蓋をとり、0028塩味をきかしたおからを投げこむ。0029充分むす。0030後は飯とおからをよくかきまぜるだけ。0031おからに塩味がきいているので、0032お菜はいらない。0033竹さんの料理はおから飯が多いが、0034多少手のこむ時もある。0035菜飯である。0036漬物の菜っ葉をよく絞って刻み、0037ふき上がった飯に放りこみ、0038むれてからかきまぜる。0039つまり菜っ葉を刻むだけ手数がかかる。
0040 小さな卓袱(ちゃぶ)台に、0041竹さんと花はさし向かいに坐る。0042飯茶碗におから飯がこんもり盛られ、0043湯気をたてる。0044二人の間には一升徳利、0045おから飯をつまみに酒宴が始まる。0046酒がまわってくると、0047竹さんは眼を細めて唄い出す。0048いつものあの唄を。
0049〽浮いたか瓢箪(ひょうたん)  軽そうに流れる
0050 行先知らねど  あの身になりたや
0051 酔い心地の花の胸にも、0052川波にゆれる瓢箪が見えてくるような、0053瓢々とした唄いっぷりである。0054それに続くのは竹さんのチョンガレ、0055花が口三味線を合わせる。0056誰かに聞かせるでもない、0057ただ自分で唄って自分で聞いて陶然(とうぜん)となる。
0058〽親がちょんこして  わしこしらえて
0059 わしがちょんこすりゃ  叱られる
0060 ちょんこちょんこ
0061 ちょんこどころか今日この頃は  五厘の煙草も買いかねる
0062 ちょんこちょんこ
0063 仕事先で仕込んできた花の唄がとび出す。0064土方仲間の卑猥な唄が多いが、0065花が唄うとそうは聞こえない。0066のど仏まで見せて、0067花は楽しげだ。
0068 男女が何年か同棲していれば、0069人は当然夫婦と呼ぶ。0070竹さんと花は、0071気が向けば抱き合って寝もするが、0072彼らの間に夫婦の意識はない。0073もともと独立した人格の男女が、0074一人の人間の腹と背のように夫婦という合わせ物を作り上げる。0075その接着剤は何であろうか。0076愛憎、0077欲望、0078世間体、0079義理、0080打算、0081因縁……けれど竹さんと花の間には、0082それらしいものは何もない。0083同棲して何年にもなるのに、0084互いの過去は知らないし、0085知りたいとも思わぬ。0086互いに相手を束縛せぬ。0087経済的にも独立している。0088食事の支度も、0089一日交代の契約である。
0090 彼らを一つ屋根に寄せたものは、0091自他に対する徹底した無関心さと酒好きのせいであろう。0092別々に流れてきた二つの瓢箪が、0093偶然淀みに流れついて、0094次の風が吹くまで寄り合い、0095ぷかぷか浮いているようなもの。0096明日も昨日も思案の外、0097誰のことにもわずらわされぬ今の境涯こそ、0098竹さんの求めた理想であった。0099全く気の合った飲み仲間花も申し分ない。
0100 それが今夜、0101気がすむまで飲みきらぬうち、0102聞きなれぬ声で妨げられた。
0103 座したまま破れ襖一枚あければ、0104もう三畳の玄関の間だ。0105蓑笠つけた大時代な旅姿の男が二人、0106ものものしい顔つきで立っていた。
0107(もっこ)の竹さんのお家は、0108ここですかいな」
0109「あいよ、0110(もっこ)の竹さんの家は、0111ここどすで」とにじり寄って、0112舌ったるく花が答える。
0113 年嵩(としかさ)の男は、0114眼が悪いのか、0115吸いつきそうな眼つきを花に寄せた。
0116(もっこ)の竹さんいうたら、0117出口竹蔵さんではござへんかい」
0118「さあ、0119うち知りまへんで……」
0120 丸顔の頑丈そうな男が、0121重ねて、0122せきこんで尋ねた。
0123(もっこ)の竹さんいうたら、0124丹波の綾部の人でっしゃろ」
0125「はあ、0126どこの人やら聞いたことあったかいな。0127ちょっと……」
0128 花は困ってふり向いた。0129何年も同棲している男の苗字や故郷ぐらい、0130やっぱり覚えとかなならん時もあるのやなあと、0131花は思った。
0132 竹さんがよろよろしながら立ってきた。
0133「あんたはん、0134竹はんでっしゃろ。0135竹蔵はん……教祖さまが……お母さんが捜してはりまっしゃないか」
0136 年嵩の男が、0137夜遊びにほうけた子供をたしなめる口調になった。
0138 竹さんの体がぶるっと震えた。
0139「出口竹蔵……聞かんでよ。0140さてなあ……わしは、0141綾部ちゅうとこ、0142行ったことないでよ」
0143「けど、0144綾部言葉じゃがなあ。0145京都へ土方に来とる者が『確かに蹴上で出口竹蔵さんを見た。0146(もっこ)の竹はん言うとったが、0147お直はんとこの竹蔵さんや』と、0148帰ってきて言うてくれちゃった。0149方々捜し回って、0150やっとここまでたどりついたんやでよ……」
0151 竹さんは、0152大きな分厚い掌で、0153べろっと自分の顔を一なでした。0154それから、0155自分が誰であったか本当に忘れてしまった風に、0156途方に暮れて(すす)色の天井を見まわす。
0157 と、0158丸顔の若い方が短く叫んだ。
0159「間違いござへん、0160平蔵さん。0161あれ、0162あれや……」
0163 指さす先に、0164竹さんの首があった。0165のど首に、0166えぐった無残な古傷がひきつっている。0167竹さんの太い指が傷あとに走り、0168泣いたような顔になった。0169のみで突き、0170血みどろの首をくくってぶら下がりながら、0171なお死にきれなかった感覚が……十七年前の死に損ないの竹蔵の素顔がそこに立ちすくんでいた。
0172「やっぱり……やっぱり竹蔵さんでしたかいな。0173ああ、0174ありがたや」
0175 平蔵と呼ばれた男は思わず合掌し、0176それからもどかしげに草鞋の紐を解き出していた。
0177 男たちは、0178二間しかない奥の間の卓袱(ちゃぶ)台の前にかしこまり、0179改めて四方平蔵、0180竹原房太郎と名乗った。0181気弱い微笑を張り付けたまま、0182竹蔵はだまりこくっている。0183かたわらの花は、0184残り少ない徳利の酒を茶碗にとくとくとあけ、0185差し出す。0186二人の客がそれを断わると、0187花は自分ののどにぐっと流し入れる。0188(しずく)があごを伝った。
0189「目出度いこってすわな。0190十七年ぶりの親子御対面やで。0191長男の竹蔵はんを迎えなさる教祖さまのお心を思うたら……」と、0192平蔵が鼻汁をすすり上げた。
0193「あんたが出なさった頃は、0194まだ政五郎はんが生きとってじゃったげなが……あれから後のことは知っとってですかい」
0195 首をひとふりしただけで、0196竹蔵の唇がちらと曲がった。0197言葉のかわりにわらったのか。0198平蔵が感情を抑えて、0199早口になった。
0200「中気と酒毒(しゅどく)で寝たきりの政五郎はんは、0201明治二十年の春に、0202お直はんに死水を取られて死んじゃったげな」
0203 竹蔵の唇がまた微かに歪んだ。
0204「二十三年に三女のお久さんが産後の血のぼせで気がおかしゅうなる。0205二十四年の暮には、0206一番上のお米さんがまる気違い。0207二十五年の旧正月頃から、0208母さんのお直はんまで、0209人から見れば気がふれて……」
0210 竹蔵はうつむき、0211いかつい肩をぎゅっと縮める。
0212「その年の十二月、0213次男の清吉はんが近衛師団に入隊して、0214それきりや、0215……二十八年に台湾で死んだいう公報が入ったが……」
0216「清吉が……清吉が……」
0217 唇が大きく曲がりかけるのを、0218分厚い掌でおおった。
0219「二十六年にはお直はんは座敷牢に入る。0220北西町ではお米はんも牢の中や。0221家出していた二女のお琴はんがやっと戻って、0222王子で所帯を持ちなはる。0223お澄はんは七つから子守りにやられて、0224お龍はんとも別れ別れの奉公暮らし。0225本宮の家は大槻鹿蔵はんが売り払うてしもたさけ、0226帰ってくるねぐらもない……みんな因縁ごとでっしゃろ。0227どん底の地獄まで落ちなはった苦労のかたまりの中からこそ、0228艮の金神さまはこの世にお出ましなされたのやで」
0229 血の気を失った唇は、0230問いを発する勇気も残らぬのか、0231竹蔵はうつろな眼を平蔵に当てた。
0232「二十七年からわしもお直はんの神さん、0233艮の金神さまを信じて御用さしてもろてますのや。0234わしだけやない、0235この竹原も役員衆もえっとおってや。0236三十三年正月には、0237あんたはん、0238十八になった末子(おとんぼ)のお澄はんが結婚しなさって、0239この三月にはそら愛らしい女の子を授けられちゃった。0240三千世界のけがれを澄ます三代のお世継の水晶のお種ですで」
0241 重苦しい空気を一度に吹き晴らす勢いで平蔵は言い、0242頬を崩した。
0243「ともかく、0244教祖さまのとこへ一遍帰っとくなはれ。0245奥さんもいっしょに明日……」と、0246竹原がせきこんで言った。
0247 平蔵と竹原が明日も来ることを約して帰ると、0248竹さんと花の間に、0249ぎこちない空気が流れた。0250初めてのように、0251相手の存在を意識した。0252どちらも寝つかれなかった。
0253 竹蔵は、0254十七年前、0255父政五郎とこうやって枕を並べて寝た夜を思い出していた。0256共に寝ついていた中風の父政五郎に、0257生まれて初めて甘えた心で訴えたことを。
0258「……わし、0259重いんやな。0260年とった父さん、0261母さん、0262下にはまだよちよちの澄まで、0263ごちゃごちゃと七人の弟妹……それが、0264ある、0265と思うだけで、0266ごつう重いんやな。0267なんちゅうのか、0268その長男の責任ちゅうんじゃろうか」
0269「わしがしんどいのん、0270長男として期待されるこっちゃ。0271どうせわしのような死に損ないは、0272あたぶさいわるうて綾部におられんさかい、0273思い切って誰も知らんとこ、0274行きたいのや。0275(やと)人足(にんそく)なら、0276誰からも期待されんやろ。0277きめられた時間だけ働いて、0278あとはあるだけの銭で好きな酒を飲む。0279誰をもかまわへんし、0280誰からもかまわれとうない。0281もう自殺する度胸もないさかい、0282あぶくみたいに流されながら、0283消えるまで生きとらなしょうがない」
0284 須知山峠まで、0285母さんはひそかに送ってくれた。0286一反風呂敷に秤を持った、0287いつもの屑買いの風体(ふうてい)で。0288見送る母さんの眼から逃れて、0289濃い丹波霧の中に早く溶けこみたかった。
0290 二十三歳のあの別れの日がつい昨日のようだ。0291忘れたはずの、0292無縁のはずの故郷を恋うる血が、0293こらえようもなくふつふつ胸の底からたぎり立ってくる。0294傷つき、0295傷つき、0296ここまで辿ってきて、0297ようやく本当の自由を得たと思った今になって。
0298 ――母や弟妹が気の狂うだけの苦しみにもがいていた十七年もの間、0299家族をほったらかしといたわしが、0300今更どの面下げてのこのこ戻れるけい。
0301 竹蔵はうめいた。0302孤独の、0303元の、0304ついさっきまでの瓢箪になって流れにかえりたい。0305(もっこ)の竹さんにかえりたい。0306が、0307聞いたばかりの肉親の消息が、0308わなわなと魂をふるわせる。0309一目会いたい願いが、0310せつなくこみ上げる。
0311 何度目かの寝返りを打った時に触れた花の手を、0312藁にすがる思いで引き寄せた。0313花は引き寄せられるままにより添って、0314竹蔵の熱い胸に腕をからませた。
0315「わし、0316明日の朝あの人たちが来る前に、0317どこかへ消えちまうでよ」
0318「……」
0319「綾部に帰んだら、0320今みたいな自由はないのや」
0321「どうえ、0322あんた。0323十七年もたんのうするだけ好きすっぽう生きてきて、0324そら年貢のおさめ時が来たんやわ」
0325他人(ひと)のことや思て、0326気楽に言うてくれるわい。0327忘れられた(みの)虫は一人で木の枝にぶら下がって、0328風吹きゃ揺れとる。0329わしのでける生き方いうたら、0330そんなとこやな。0331四十にもなって、0332せっかくつくり上げた蓑から引き出されとうないのや」
0333「引き出してくれはる人もない者が、0334揺れとりゃええのや」
0335「お花、0336女のお前がなんでこんな気楽な生き方でけるのや」
0337 花はうす笑いを浮かべ、0338横を向いた。
0339「うちは、0340あんたと違うえ。0341身寄りは一人もない、0342根っからの流れ瓢箪や。0343生まれ故郷も、0344親もどこやら……。0345信じたものには突き放されて、0346それでも求めて、0347しがみついて、0348一人立ちできる年頃になった時はぼろ布みたいに傷だらけやわ。0349人並の幸せいうもんあきらめてから、0350ようようこの世も楽しゅう見えてきたんえ」
0351「わしは親弟妹を突き放して逃げてきた男や。0352ド甲斐性なしの、0353死に損ないの長男や。0354わしがそんな男と分かったら、0355同じ釜の飯も喰いたないやろ」
0356「ふーん、0357どないしょう。0358あんたが死に損ないやいうことぐらい、0359初めからそののどの傷で分かっとった。0360そやさかい、0361あんたに気ィ許したんか知れんで。0362けど、0363今のあんたは別の竹はんや。0364うちとのくされ縁もこれまでやなあ」
0365 竹蔵は起き直って、0366おずおずと花の(ひとみ)をのぞき込んだ。0367今になって、0368そこにある魂をみつけたように。
0369 竹蔵は口ごもった。
0370「綾部の人はわしらを夫婦と思とったわな……なんじゃったら、0371それでもよいで。0372このまま二人で綾部に行って、0373死ぬまで一緒に暮らしてみよかい」
0374「……」
0375 花は腕をのばして徳利をつかみ、0376口をつけてむさぼり飲んだ。0377酒の代わりに入れた、0378酔いざめの水であった。
0379 法被姿の竹蔵と風呂敷包みを背負った花が、0380四方平蔵と竹原房太郎に連れられて綾部に帰ってきたのは、0381五月五日の夕暮れであった。0382裕福な家々には鯉のぼりが五月の風をはらんで泳いでいた。
0383 竹原の注進で、0384直は龍門館(りゅうもんやかた)の門口に出て、0385帰ってきた息子を迎えた。
0386 出ていった十七年前と変わらぬ、0387しおたれた法被姿。0388が、0389確かに息子は変わっていた。0390たくましい肩から伸びた太い腕、0391厚い胸、0392それを支えるがっちりした腰、0393その日暮らしの肉体労働が、0394身も心も弱い息子を鍛えてくれたのだ。0395自分の望むままの外の水が、0396息子に合ったのだろう。
0397 しかし四十になってはや白いものが混じり初めた頭を見た時、0398直は悲喜こもごもこみ上げるものを抑えきれなかった。0399竹蔵が連れて来た嫁の花には、0400好感がもてた。
0401 二階の神前に二人を坐らせて、0402直は感謝の祈りを捧げる。0403鬼三郎が澄を連れて上がってきて、0404義兄に挨拶した。0405こだわらぬ淡々とした態度ながら、0406竹蔵は強烈な光に押されたようで、0407眼を上げられなかった。
0408 チビのくせにどえらいゴンタとしか覚えていなかった幼い末の妹澄が美しい人妻となり、0409母親となっている。0410その澄の笑顔にも、0411竹蔵はたじろぐ思いがした。0412自分には耐えきれなかった極貧をくぐり抜け、0413狂気の母や姉や他人の元にあって、0414真直ぐ育ち得た妹の強靭(きょうじん)さ。
0415 澄には長兄の記憶がない。0416この人が兄さんだと言われても、0417急には実感が湧かなかった。
0418 平蔵が直の前に進み出て報告した。0419おそらく借金だらけだろうと思って直が工面した金は、0420使わなくてすんだ。0421竹蔵は一文の貯えもなかったが、0422また、0423一文の借金もなかった。0424特に挨拶せねばならぬ人もなかった。0425寄居虫(やどかり)がひょっこり宿を代えるぐらい気楽に、0426三条蹴上の長屋を引き払うことができた。
0427 竹蔵帰るの知らせで、0428役員信者たちが次々に喜びを述べに来た。0429四女の龍も姿を見せた。
0430「お祝いに、0431皆さんにお神酒をいただいてもろとくれ」
0432 はずんだ足音を立てて階段を降りていく澄に、0433直は苦しかった昔を思い出していた。
0434 田舎の大きなぐい呑みの盃が竹蔵の手に包みこまれると、0435小さくかわいく見える。0436それほど竹蔵の指は、0437大きく厚く節くれ立っていた。
0438 この子に好きな酒を飲ませてやりたいばかりに、0439龍が大きくなったら酒屋をさせようと夢みていた直。0440病床の夫が欲しがる酒を買うため、0441質種に屑買い道具の秤をさし出して突き返された、0442あの頃であった。
0443 ものも言わず固くなっていた竹蔵が、0444酒の香をかぐと、0445ほうっと自分をとり戻したようであった。0446ぽつんぽつん酔いと共に口もほぐれ出したが、0447過去のことには一言も触れなかった。0448花も負けずに飲んで、0449愚直な役員信者を驚かせた。
0450 直は微笑を絶やさず、0451竹蔵から眼も離せぬ風である。0452ゆるぎない日常の生活態度を求める教祖出口直はそこになく、0453あるのは、0454ただおろかしいばかりに子煩悩な母親に過ぎなかった。
0455 竹蔵の家出理由は、0456鬼三郎も聞かされていた。0457徹頭徹尾無気力な人間という澄の長兄に、0458興味があった。0459生まれた土地、0460家に縛りつけられ、0461身動きも出来ぬ長男。0462財産もないくせに、0463あるのはただ老いた親と大勢の弟妹を扶養せねばならぬ義務ばかりだ。
0464 鬼三郎も長男であるだけに、0465どうにもならぬ家の重みを知っていた。0466竹蔵を見る眼に同情の光があった。
0467 生家を捨てて逃げたというだけなら、0468鬼三郎とて竹蔵と変わらぬ。0469一人になりたがった竹蔵と違うところは、0470捨てた家より何万層倍も重い救世の使命を背負わされたことであろう。0471しかし竹蔵とて、0472神が綱をかけて引き戻した以上、0473いやでもその背に重荷を負わされずばすまぬ。
0474 その夜のうちに出た筆先を持って、0475翌朝、0476鬼三郎が竹蔵に説明する。
0477「竹蔵さん、0478これは筆先いうて神さまのじかのお言葉やさけ、0479よう聞いてや。0480出口竹蔵は父出口政五郎の後を相続する。0481出口直は末子の澄を連れて分家し、0482神さまの方を相続する。0483つまり出口家の本家の後継は竹蔵さん、0484大本の世継の二代は澄と神定まったんや。0485筆先という奴にかかったら、0486個人の自由もへったくれもないのやで。0487あんたがどない逃げようと泣き叫ぼうと、0488くもの巣にかかってもがくトンボのようなものや。0489このわしが良い見本じゃ」
0490 竹蔵の表情に、0491予期した如き反撥の色はあらわれなかった。0492意味もなくへらへらと笑った。
0493 竹蔵と花は東四辻の共同生活の仲間入りした。0494相変わらず竹蔵は(もっこ)を編む。0495竹蔵の作る(もっこ)はここでも評判が高く、0496田町の高山荒物店が買占めにきた。
0497 花は鉄道工事の日傭いに出た。0498綾部を初めて通る汽車。0499福知山、0500舞鶴間二十四(マイル)阪鶴(はんかく)鉄道が敷設工事を始めていて、0501土工が大勢入り込んでいた。
0502 食事は龍門館で十数人がひしめいて食うのだから、0503自分たちばかり快く飲んではいられない。0504半月ほどしてから、0505竹蔵は花に訴えた。
0506「出口家の本家を相続せい言うさかい、0507ちっとは財産があるのかと思たら、0508田の一枚もあらへん。0509自分で稼いだ銭で、0510好きな酒も好きなだけ飲めんわな。0511阿呆らしてあかんわ」
0512「そうでっか」とそっけなく花が言い、0513
0514「故郷に帰れば、0515竹はんも他の男はんと同じや。0516うちの好きやった(もっこ)の竹はんとちごてしもた」
0517「お花……」
0518 竹蔵ののばす手を振りはらって、0519花は続けた。
0520「あんたはそれでよいのえ。0521立派な母さんも、0522妹さんも、0523義弟さんもおってや。0524それが財産やないの。0525昔の気楽な暮らしは忘れることや。0526しっかりここに根をおろしやっしゃ」
0527 翌朝、0528花は身一つで須知山峠に立っていた。0529背にはすかいの風呂敷包み、0530片手には一握りの早わらびをつかんでいた。
0531 花をつき動かしているのは、0532直の言葉であった。0533やわらかい、0534いたわりと深い悲哀をこめた直の一言だった。
0535「竹蔵、0536えらい苦労しなはって……けど、0537自分一人の……それだけの苦労やったなあ」
0538 分からなかったその意味が、0539この頃ようやく身にしみてきた。
0540「ここの人達は世間とは違うのや。0541自分一人のための幸せも苦労も決して願ってはらへん。0542うちといっしょにいたら、0543あの人はまた流れてやろ。0544自分一人の暮らしから、0545ついには抜け出せずに終わってしもてや。0546この母さんに息子を返そう」
0547 花は心を決めた。0548今夜のねぐらのあてはなかった。0549行きついたどこかで飲んで、0550寝て、0551日が昇る頃にはその日稼ぎの仕事にもぶつかるやろ。
0552「大丈夫、0553うちの瓢箪は沈まへん」
0554 花は右手の早わらびを高く振り上げた。
0555「さいなら、0556(もっこ)の竹はん」
0557 鉄道工事の人夫に出たはずの花は、0558いつまで待っても帰ってこなかった。0559高山荒物店の主人が、0560できあがった竹蔵の(もっこ)を見て首をひねった。0561いつもの重厚な力強さがない。
0562 五日目頃から、0563花がおそらく永久に綾部を去ったであろうことを、0564竹蔵は自分に納得させた。0565不義理と怒る筋合ではなかった。0566同棲はただ便宜上。0567二人の食事が一人の手間ででき、0568半分の家賃ですみ、0569生理的要求が互いの犠牲を強いずかなえられる、0570それだけのはずであった。0571初めから、0572義務と責任のともなわぬ自由を求める二人の男女の寄り合いなのだ。0573離れ去るのに何の束縛があろう。
0574 けれど男と女という奴は、0575二本の杭が無関心に並び立つようには、0576なかなかそうはまいらぬらしい。0577ただ酒を汲み交わすそれとない行為の積み重ねの中にすら、0578人情が流れる。0579人情という厄介な心の(つる)はいつか手をのばし、0580絡み合い、0581そ知らぬ顔して愛のつぼみを抱いていたのか。
0582「花のような女には、0583もうめぐり会えはせん」
0584 竹蔵の胸にはぽっかりと風穴があいた。
0585 花を追って出るならこの時であったろう。0586しかし、0587心はそうでも、0588体がついていかなかった。0589行方定めぬ花に再び出会えるあてはなかった。0590出会えたとしても、0591また元の暮らしに戻れるとは思えぬ。0592愛にとらわれた竹蔵の心は、0593もう軽そうに流れる瓢箪のように、0594花には寄り添えまい。
0595 世間の波風にさらされて孤独に暮らすには、0596もう四十であった。0597かつて死ぬほどの重荷でのしかかっていた親弟妹への長男としての責任は、0598十七年間の年月が取り除いてくれていた。
0599 ひとかけらの財産もなかったが、0600出口家の本家の戸主となりながら、0601扶養すべき母や妹澄は分家して義弟の鬼三郎が面倒みるはずだし、0602他の弟妹たちもどうにかそれぞれやっている。0603自分一人が食えばよかった。0604東四辻の共同生活も、0605朝夕の礼拝さえつとめていれば、0606かなり気楽であった。
0607 自分の特殊な立場にも気づいた。0608役員や信者の家に行くと、0609湯茶の代わりに茶碗酒を出してくれた。0610彼らは、0611竹蔵が酩酊して唄う歌にも、0612下手な洒落一つにも、0613うんうんうなずいて聞いてくれた。0614夜こっそり飲む寝酒さえ、0615誰も見咎めようとしなかった。
0616 彼らの寛容さは、0617竹蔵が出口家本家の相続人ということからきていた。0618二度と家出したりせず、0619おとなしく出口家を継いでくれてさえいれば、0620満足であったのだ。0621それ以上の改心を求める者もいなかった。0622神界の御用を果すべき、0623大本の世継ではないのだから。
0624 世間から紙屑のように相手にされなかった竹蔵は、0625夢にもみなかった今の甘やかされた立場が、0626決していやではなかった。0627花によってできた風穴は、0628人々の特別の好意が埋めてくれた。0629大本という防波堤の内側に、0630そろそろと竹蔵は根を下ろし始めていた。
0631変性(へんじょう)男子(なんし)(直)・変性女子(にょし)(鬼三郎)の和合ができ、0632三代の世継を授かったお礼をかね、0633弥仙山(みせんざん)に参拝せよ」という意味の筆先が出て、0634大本の内部は喜びに沸き立った。
0635 腑に落ちぬ顔の竹蔵に、0636四方平蔵が熱した口ぶりで強調する。
0637「この度の参拝は、0638あだやおろそかに考えてはなりませんで。0639一昨年の旧九月八日に教祖さまが弥仙山に籠られてから、0640岩戸はしまりきりじゃった。0641その岩戸が四魂(しこん)揃うての弥仙山参りによって開け、0642()けの(からす)の日の出の守護となる……」
0643「四魂いうたら、0644なんやいな」
0645「教祖さま、0646会長はん、0647二代澄さん、0648三代朝野さんの四つの霊魂(みたま)ですわな」
0649 ますます分からぬ竹蔵にかまわず、0650平蔵は続ける。
0651「そればかりやござへん。0652嬉しゅうてならんのは、0653会長は小松林がのいて、0654いよいよ坤の金神の御守護を受けてんじゃげな。0655会長はんと二代はんには、0656あらかじめ三週間の水行するよう神命が下ってなあ、0657あれほど水行ぎらいの会長はんが、0658二代はんと一緒に水行しだしちゃったんじゃでよ。0659『神も時世(ときよ)時節(じせつ)にはかなわんぞよ』と筆先にござるが、0660いよいよ神代以来二度目の天の岩戸開きの神機到来じゃ」
0661「へえ……何じゃら知らんがたいそうどすなあ」
0662 彼らの昂奮ぶりに同調できる素地はなかった。0663けれど、0664弥仙山参りの準備が着々と進むに連れ、0665竹蔵は落ち着かなくなった。
0666 ――ともしびの消ゆる世の中いまなるぞ。0667差しそえいたすたねぞ恋いしき(旧明治三十五年正月八日)
0668 その差しそえの役員が選ばれた。0669四方平蔵、0670中村竹吉、0671木下慶太郎、0672福島寅之助、0673村上房之助、0674後野市太郎、0675四方藤太郎、0676福林安之助、0677四方与平、0678田中善吉、0679竹原房太郎、0680飯田亀吉の以上十二名である。
0681 綾部とその周辺の信徒に、0682家族ぐるみの参加が呼びかけられた。0683といっても総勢七十四名、0684参加者全員にそれぞれの任務が振りあてられる。0685まず弥仙山頂上(おそら)の宮の祭典に参列できる資格者が神示される。0686出口直、0687鬼三郎、0688澄、0689朝野、0690十二名の役員、0691朝野の守役の四方とみ、0692塩見じゅんの十八名である。0693残りの者には、0694お迎え役、0695お留守番、0696お留守番手伝い、0697お待受け、0698お待受け手伝い、0699お見立てのどれかを命じられる。
0700 お迎え役は全部で三十八名、0701お迎え場所を七ヵ所に分けて決められ、0702その中の二名は中の宮まで、0703十七名は頂上の宮までと、0704登山が許された。0705足立正信が綾部を去って以来、0706信仰を落としていた四方純の名も、0707八幡社までお迎えの三名のうちの一人に入っていた。
0708 発表された名簿に、0709いくら探しても出口竹蔵の名はない。0710竹蔵はあわてた。0711自分だけ参加を認められないとなると、0712(われ)関せずの態度が逆にぐらりと揺れた。0713()け者にされたように淋しく不満だった。
0714 竹蔵は、0715龍門館の鬼三郎を訪ねた。0716階段の下の狭い部屋から、0717澄の織る(はた)の音が聞こえる。0718奥の七畳半の間で執筆していた鬼三郎は、0719笑顔で迎えた。0720義弟であり七つも年下である鬼三郎だが、0721なぜか竹蔵は、0722いつも甘えたい気分にさせられる。
0723「会長はん、0724この頃は水行しとってんやげなが、0725悪神の小松林さんが逃げ出しちゃったいうのはほんまやろか」
0726 鬼三郎はにんまりした。
0727「阿呆くそていかんわ。0728どいつもこいつもいきり立っとる時に筆先の命令を聞かへなんだら、0729どないされるか分からんやんけ。0730それに気候は暖かやし、0731水浴びもまあまあ風邪ひくほど冷とない」
0732「それでも……ついこないだまで教祖はんと会長はんが神がかりして派手に大喧嘩しとっちゃったのが、0733この頃おとなしゅうなっとるげな」
0734 鬼三郎は真面目な顔になった。
0735「それが分からん。0736確かに小松林はんも、0737髪の毛逆立てるほど怒ってんことはのうなった。0738そう思うと、0739神界は変性男子と女子が和合できたんかなあと思ったりもする。0740けどわしはわし、0741ちょっとも変わっとらんぞ」
0742「ほんなら、0743大本の神さんも教祖はんも信じとってないんか」と竹蔵が不安そうに訊く。
0744「正直なとこ、0745だんだん信じられんようになる。0746教祖はんの人柄とこれは別や」
0747「神さんだまして、0748(ばち)当たらんやろか」
0749 鬼三郎は長い舌を出した。
0750「お澄と相談して、0751ちょこっと猫かぶっとるのや。0752艮の金神が悪神やと審神(さにわ)できたら、0753澄と朝野を連れて綾部から出ていくし、0754本当に正しい神ならばお詫びに命でも投げ出したる。0755それを見きわめるために弥仙山へものぼる。0756弥仙山参りは旧四月二十八日と決められた。0757この日は朝野が生まれてから数えて四百四十四日、0758ともかく朝野を授けて下さった神さんには素直にお礼せんならん」
0759 竹蔵は思わずきおい立って言った。
0760「朝野なら、0761わしにとっても可愛い姪のはずや。0762その弥仙山参りの行事に、0763なんで神さんは出口家の惣領のわしを除け者にしなはるんやろ」
0764「竹はんも、0765弥仙山に参拝したいのか」と、0766鬼三郎は意外そうに竹蔵を見た。
0767「大本の人間なら、0768鼻たれ小憎までこんどの数のうちに入っとる。0769本家のわしだけ行かんのはどうもなあ」と竹蔵はてれくさそうに笑い、0770鬼三郎の視線が眩しいのか、0771大きな掌で顔を撫でまわす。
0772「教祖はんに一緒にお願いしてみよ」と、0773鬼三郎は竹蔵の肩を叩いた。
0774 鬼三郎から竹蔵参加の申し出を受けて、0775直は溜息をついた。
0776「この度のお参りでは、0777長男を返してもろたお礼も十分申し上げたい思うてます。0778けれど、0779筆先に竹蔵の名前が出んさかい、0780連れて行くわけにはいきません。0781神さまの御用だけは、0782わたしの思い通りにはならんでなあ」
0783 竹蔵はうなだれたが、0784鬼三郎は押して主張した。
0785「鞍馬山詣りの時、0786福林安之助はんは荷物持ちということでお供を許された前例がありましたなあ」
0787「荷物というても、0788今度は別にござへんわなあ」
0789「あります。0790朝野ですがな。0791険しい山の登り下りに朝野運ぶのは、0792澄や女の守役では無理でっしゃろ。0793御苦労でも、0794伯父さんの竹蔵はんにお願いしたい」
0795 鬼三郎の思いやりであった。
0796「神さまにお願いしてみます。0797でも聞いていただけるかどうか、0798竹蔵」
0799 直の厳しく深いまなざしに、0800竹蔵は思わず身を伏せた。0801生まれて初めて、0802真剣に神に祈った。