霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
目 次設 定
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
フォント

ルビの表示



アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注 [?][※]や[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。まだ少ししか付いていませんが、目障りな場合は「表示しない」設定に変えて下さい。ただし[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]


文字の色
背景の色
ルビの色
傍点の色 [?]底本で傍点(圏点)が付いている文字は、『霊界物語ネット』では太字で表示されますが、その色を変えます。[×閉じる]
外字1の色 [?]この設定は現在使われておりません。[×閉じる]
外字2の色 [?]文字がフォントに存在せず、画像を使っている場合がありますが、その画像の周囲の色を変えます。[×閉じる]

  

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。


マーキングパネル
設定パネルで「全てのアンカーを表示」させてアンカーをクリックして下さい。

【引数の設定例】 &mky=a010-a021a034  アンカー010から021と、034を、イエローでマーキング。

          

婿選び

インフォメーション
題名:09 婿選び 著者:出口和明
ページ:217 目次メモ:
概要:朝野の種痘問題。明治37年5月30日、二女・梅野が生まれる。6月5日、直の兄・桐村清兵衛が死去。天王平に葬る(これより天王平が大本の墓地と決まる)。龍の結婚問題。中村竹吉と結婚しようとするが王仁三郎は猛反対。結局、木下慶太郎と結婚することになる。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-07-18 19:20:16 OBC :B138908c09
0001〽ねんねをしやれ おねんねなされ おきて泣く子はつらにくい なんのにくかろこの子はかわい なけばないたでなおかわい ホイホイ
0002 中庭から聞える舌足らずの朝野の歌声である。0003母受け売りのひなびた子守唄、0004どこか調子のはずれた節まわしまでそっくりだ。0005王仁三郎は細く障子を開けた。
0006 朝野は一人で人形遊びをしていた。0007紙を丸めて顔を作り、0008端切れを着物にまとった手づくりの姉さま人形である。0009八つ手の葉が敷蒲団、0010柏の葉が掛蒲団、0011もうすぐ姉になることを意識しての所作であろうか。
0012 いつまでも眺めていたい気持ちをふり切って、0013王仁三郎は机に戻った。0014彼は子にべたべた甘い父親であった。0015ついぞ怒ったことがなかった。0016朝野が生まれてから、0017手があいている時はおしめ替えも澄にさせなかったし、0018おしめの洗濯まで自分がした。0019年若い澄まかせでは不安だった。0020夜中に何度ものぞいて寝息をたしかめた。0021おぶえるまでに成長すると、0022背にして読書するのが楽しみになった。0023意志を示しだせば、0024要求するものは何でもかなえてやらずにはいられない。0025王仁三郎の育児法は情にほだされるまま、0026まるで理性のかけらもないかのようであった。
0027 父吉松が死んだとき、0028王仁三郎は幼い妹君に問うた。
0029「父ちゃん死んで、0030悲しいけ」
0031 君はきょろんと答えた。
0032「何でえな。0033うち嬉しいで。0034父ちゃん、0035もうどついてやないもん」
0036 それを聞いた時の悲哀は、0037今でも忘れられぬ。0038子供をなぐる父親にだけはなるまいと、0039心に誓った。
0040 いつなりとも妻子を捨てて、0041世界のため、0042人類のため殉ずる覚悟はできている。0043今でこそ役員たちに押し込められ爪を隠して空しい月日を送っているが、0044やがては獅子と化し、0045咆哮(ほうこう)を上げてまっしぐらに突き進むべき時が来よう。0046家族と共にいるこの一時、0047せめては小猫を舐めころがす親猫ともなって、0048肌と肌でじかに通じる親の温み、0049父の味を伝えたい。
0050 朝野の成長を見守ることは、0051王仁三郎の屈託を吹きとばすこよない慰めであった。
0052 毎年春秋になると、0053朝野について頭を痛めねばならぬ問題があった。0054種痘(しゅとう)である。0055朝野誕生の秋、0056役場から種痘の通知が来た。
0057「お澄や、0058この子には疱瘡(ほうそう)は植えさせられまへんで」と、0059直は言った。0060澄は知っているだけの疱瘡(天然痘)の説明をした。
0061「お母さん、0062無理ですわな。0063うちが植えさそまいと思うても、0064役場がむりやり植えさせますで」
0065 直はきっとなった。
0066「水晶のお種をつらぬかねばならぬさかい、0067血をまぜこぜにはできぬ。0068直日には(やいと)もすえることはならんで」
0069 明治三十五年のこの時、0070王仁三郎は大阪に出ていて、0071世祢(よね)と妹(きみ)龍門館(りゅうもんやかた)にいた。0072巡査が直を説得に来たが、0073直は静かに言うばかり。
0074「大本の子に傷はつけられません」
0075「気違い婆には相手になれん」と怒って巡査は帰ったが、0076送って出た世祢に「後で罰金二十銭持ってこい」と言い残した。
0077 世祢が澄に伝え、0078澄の独自の判断で罰金を支払うことにした。0079母に内密で二十銭を工面するため、0080なけなしの箪笥(たんす)は空になった。0081母や役員たちに知れぬよう、0082この時の罰金は、0083当時十一歳の君に警察まで持参させた。
0084 君は泣き虫だったから、0085日頃、0086巡査を恐れていた。0087「泣いとるとお巡りさんに連れてかれるぞ」と、0088兄におどされる。0089二十銭もの大金を持ったのも初めてだった。
0090 ぎゅっと痛いぐらい銭を握りしめ、0091顔を真赤にして、0092君は警察署に入っていった。0093手続きは事務的にすんで、0094巡査に帰ってもよいと言われた時、0095初めてがくがく震えている足に気づいた。
0096 疱瘡(天然痘)が日本に入ったのは、0097奈良時代の天平七(七三五)年。0098大宰府を経て都にまで広がったのが記録に見える最初らしい。0099朝鮮半島から伝来したものであろう。0100その後しばしば大小の流行を繰り返し、0101多数の死者を出した。0102幕府が種痘所を設けておおやけに種痘するようになったのは、0103安政五(一八五八)年のことである。
0104 明治七(一八七四)年の布達、0105文部省種痘規則第八条によると、0106「小児出生七十日ヨリ満一年マデヲ種痘ノ前期トス。0107爾後(じご)七年毎ニ必ズ接種シテ、0108天然痘ヲ予防シ、0109且前効ノ存否ヲ検スベシ」とある。
0110 明治九(一八七六)年、0111内務省より天然痘予防規則が出され、0112明治十八(一八八五)年には前回の規則が廃され、0113新しい予防規則が出る。0114それによると、0115小児出生後満一年以内に種痘を行なうことを義務づけ、0116「種痘ズミノ者ハ医師ヨリ種痘証ヲ受領シ、0117戸長役場ニ届ケ出ルベシ」、0118「ソレラヲ犯シタルモノハ、0119五銭以上五十銭以下ノ科料ニ処ス」と決められている。0120朝野の二十銭の罰金は、0121その種痘規則に拠ったものであろう。0122種痘証は縦十センチ、0123横十五センチぐらいの(さら)していない黄色味を帯びた厚い和紙でできており、0124担当医の印が押してあった。
0125 明治三十(一八九七)年には伝染病予防法(法律第三十六号)が制定、0126コレラ、0127赤痢(疫痢を含む)、0128腸チフス、0129パラチフス、0130痘瘡(とうそう)0131発疹チフス、0132猩紅熱(しょうこうねつ)0133ジフテリア、0134流行性脳脊髄膜炎、0135ペストの十種を法定伝染病とした。
0136 種苗(しゅびょう)の製造は、0137原料として保管してある痘病(とうびょう)ウイルスを家ウサギの皮膚に接種し、0138続いて比較的年齢の若い牛に接種して種苗を作る。0139さらにその種苗を牛の腹部面の表皮の格子様に傷つけた箇所に擦入(さつにゅう)し、0140接種後五日目に熊手状のものでその部分をごしごしこすり、0141落ちたものを材料として生ワクチンを作る。0142この製造法は、0143明治、0144大正、0145昭和を通じて変わらぬという。
0146 その種苗の製造法を直は知るまいが、0147畜類を媒介とすることを直感的に感じとり、0148忌み嫌ったのであろう。
0149 三代朝野のまじり気なしの血を保ちたいとの直の願いは、0150むしろ執念であった。
0151 翌三十六(一九〇三)年春には、0152澄は王仁三郎と相談して秘密のうちに朝野の種痘をすませることにした。0153その朝、0154朝野を負って抜け出ようとした澄は、0155直に呼び止められた。
0156「お澄、0157行ってはならんで、0158お前はこの子に疱瘡を……」ともどかしげに直は訴える。
0159「分かっておくれ。0160この子に疱瘡を植えたら、0161世界は一旦泥海になるのやでよ。0162そう神さまが言うとられるのじゃ。0163もしそんなことになったら、0164わたしは申し訳に自害しても追っつかぬのやで」
0165 神命より国の法律を優先させようとする王仁三郎夫婦への深い嘆きが、0166直の全身にただよっていた。0167仕方なくこの年もそっと王仁三郎は罰金を払う。
0168 それを知らぬ役員たちの鼻息は荒かった。
0169「どうやい。0170大本の三代さんの水晶の身魂じゃさかい、0171役場や警察もよう手え出せん。0172牛の種植え、0173ようせんわい」
0174 これでは世間にどんな誤解を受けるか分からぬ。0175王仁三郎は、0176四方平蔵を呼んで罰金を支払ったことを打ち明けた。0177平蔵の顔色が変わった。0178大本の中はたちまち蜂の巣をつついた騒ぎとなる。0179蓑笠つけた役員たちは警察署に押しかけ、0180「支払った罰金を返せ」と(こわ)談判を始めた。
0181「銭を惜しんで言うのやござへん。0182種痘が悪い言うのでもござへん。0183この濁りきった世界にただ一つ授けられた水晶の種、0184まじり気なしのあの子にだけはさせてはならんのです。0185その種痘をせなんだというてあやまりの罰金を出してみなはれ、0186日本が外国に頭を下げて負けた形になるのでござる。0187日本のためにも、0188あれは返しとくなはれ。0189返してもらうまでは、0190ここを一歩も動きまへんで」
0191 彼らは坐りこんで駄々をこねる。0192いったん受取った罰金を警察が返さぬのは知れ切ったこと。0193らちがあかぬまま、0194今度は役場にねじ込む。0195法律で決まっているから仕方がないという回答である。0196中村竹吉が高飛車に決めつける。
0197「それなら法律を改正せい。0198水晶の種をどうでもけがすというなら、0199悪法をすぐ改めよ。0200神の命令を聞かねば役所が潰れるぞよ。0201それでもよいか、0202どうだ」
0203 ここでも相手になってくれぬので、0204然らばと福知山の検事局まで押しかける。
0205 てこずった検事局では、0206たまりかねておどしつけた。
0207「国法を無視してそんなわけの分からぬことを言えば、0208軍隊をさし向けて大本を叩き潰すがよいか」
0209 日頃はおとなしい四方平蔵までがむきになり、0210痩せ腕をまくり上げて力み返る。
0211「やあ、0212おもしろい、0213軍隊が大本を潰せるものかどうか、0214神力と軍隊の力くらべをしようわい。0215何万の軍隊でもさし向けてみよれ」
0216 しかし、0217所詮、0218厚い壁は頭突きでは押し倒せぬ。0219何ヶ月もごたごたしたあげく、0220泣き寝入りになった。
0221 今年もまた種痘の時期がきた。0222澄が警察に呼び出され、0223懇々と説諭された上、0224「婆さんがどうしても聞かねば、0225お前の家へ大砲を向けると言え」と、0226おどされた。
0227 直は平然たるもの。
0228「兵隊なと大砲なと向けるがよい。0229龍門館が粉々になっても、0230水晶の種は残さねばならんでのう。0231私のことで我を張るのやない。0232世界のために言うているのじゃ」
0233 直の決意を知り、0234役員たちの覚悟は知っても、0235王仁三郎は、0236三年目の今年こそは馬鹿げた繰り返しを避けたいと思っていた。0237一応、0238金明霊学会の名で駿河の稲荷講社の軒下を借りているが、0239その筋が本気で調査する気になれば、0240稲荷講社とは本質的に違う神を信じ、0241独自の教義を持つ大本の実体が知れる。0242立替え立直しを渇望する不穏な団体とにらまれれば、0243存続することさえ許されぬ。0244種痘ぐらいのことでこじらせて、0245教団の存否にかかわる問題にまで発展させたくない。0246たとえ今年、0247何とかごまかし得たとしても、0248朝野が種痘するまでは年々、0249きりもなく起きることである。
0250 王仁三郎は澄と打ち合わせて、0251今日こそ誰にも内緒で朝野を連れ出すつもりであった。0252時間はよしと立ち上がり、0253中庭を見た。0254さっきまでそこで人形遊びをしていた朝野の姿はない。0255あわてて龍門館をくまなく捜した。0256臨月の腹をかかえて機織りをしていた澄も、0257知らぬという。
0258 二階では、0259四方平蔵と村上房之助が筆先を拝読し、0260竹原房太郎が簡単な事務をとっていた。
0261「お前たち、0262朝野を知らんか」
0263 竹原が筆を置いて、0264王仁三郎を見上げた。
0265「知りまへんで。0266今朝は学校で植疱瘡があるげなで、0267神さまが隠しなさったのやござへんかい」
0268「ばかな」と、0269吐き捨てるように言った。0270今日が種痘の日と、0271彼らはちゃんと意識している。
0272「お前ら、0273意地悪せんと教えてくれ。0274ほんまに知らんのなら頼む。0275手分けして朝野を捜してくれ。0276人さらいにさらわれたかも知れん。0277どこにもおらんのや」
0278「先生は種痘に連れて行ってんつもりやござへんか」
0279「それどころかいな。0280朝野の無事な姿さえ見たら……。0281お前ら、0282何落ち着いとる」
0283 取り乱した王仁三郎の姿は哀れであった。0284三人は真顔になって捜しに出て行った。
0285 王仁三郎は直に知らせるべきかどうか迷ったが、0286余計な心配はかけたくなかった。0287ふと、0288中村が今朝はまだ姿を見せぬのに気がついた。0289落ち着かず表へ出ると、0290四方祐助が門前の草をむしっている。
0291「祐助はん、0292中村はんを見なんだか」
0293「ああ、0294中村はんなら、0295さっき……いやいや、0296わしは一向に知りまへんで」
0297 祐助は危うく口をにごし、0298草抜きに心を奪われている振りをした。
0299「祐助はん、0300中村がどうした。0301正直に教えてくれ」
0302 肩をゆさぶって問いつめる王仁三郎の真剣な形相に、0303祐助は観念して白状した。
0304「三代さんをおぶって、0305駆けるようにして東へ行く中村はんに会うたんですわな。0306わしがわけを聞くと、0307中村はんは涙をぽろぽろ出しながら、0308言うちゃったわな。0309『三代さんを龍門館へ置いといたら軍隊が押し寄せて三代さんを奪い、0310水晶のお種に牛の血をまぜるかも知れん。0311そんなことになったら世界の一大事や。0312今日一日だけ命に替えてもわしがお預かりする』こう言うてんじゃでよ。0313行先を聞いたら、0314『それは誰にも言えん。0315わし一人が叱られたらよいことじゃさかい』と……」
0316 中村と一緒にいることが分かって、0317王仁三郎はほっとした。0318中村の一途な心情を聞けば、0319怒ることもできぬと思った。
0320 午後、0321捜しに行った四方平蔵らも空しく引き揚げて来た。0322直には内密であったが、0323夕拝には、0324朝野の無事を誰もが真剣に祈った。
0325 澄が階段から顔を出して言った。
0326「先生、0327朝野が帰って来ましたで」
0328 王仁三郎は階段を駆け降りる。0329朝野が上がり(がまち)に立ち、0330ブスッと言った。
0331「うち、0332疱瘡はいやや」
0333 疱瘡の恐ろしさをおそらく繰り返し朝野の耳に吹き込んだであろう中村は、0334土間に土下座したままであった。
0335 直や役員たちがこうまでしても朝野の純血を保とうとする気持ちを、0336王仁三郎は笑えぬ。0337世の中は何もかもごちゃごちゃになり、0338この傾向はますます強まろう。0339こんな時勢に、0340どんな犠牲を払っても、0341まざりけなしを貫き通そうとする意志は尊い。
0342 ――中村が朝野を隠さねば、0343わしはきっと朝野の肌に疱瘡を植えたろう。0344そのことで血が穢れるとは思わぬ。0345しかしこれこそまざりけなしの水晶の種と信じる役員信者たちの誇りは、0346ずたずたに切り裂かれるのだ。0347そして純血に対して、0348彼らの心に免疫ができる。
0349「ありがとう」と中村に言いたかったが、0350王仁三郎はさっと朝野を抱き上げ、0351怒ったように直の部屋へ向かった。
0352 これからの毎年、0353朝野の疱瘡問題は慣例のように続き、0354その都度、0355役員には極秘に王仁三郎が罰金をおさめて切り抜けねばならぬことになる。
0356 三十七年以後の種痘問題に関する叙述は繁雑になるので省略する。
0357 五月十四日、0358大槻伝吉(二十八歳)は、0359妻みつ代(二十二歳)、0360長男伝三郎、0361次男伝二郎(二ヶ月)を連れて帰綾(きりょう)した。0362四方平蔵、0363竹原房太郎が直の意を帯びて迎えに行き、0364強引に連れ戻してきた。0365大槻夫婦のさびしさを汲んで、0366王仁三郎がそれとなく直に働きかけもしたのだが……。
0367 みつ代は生まれた土地岐阜県稲葉郡鏡島村を離れて、0368初めて夫の里に来た。0369園部で汽車を下り、0370伝二郎を負い直した。0371片手に荷、0372片手に伝三郎の手を引く夫。0373貧しい家財道具は、0374四方、0375竹原が振り分けてかつぐ。0376綾部までの山坂道は果てしなく心細かった。
0377 伝吉は帰綾後、0378婚姻届を出し二人の子供を嫡出子とする。0379塩見じゅんの長男塩見長義経営のシルケット紋織工場に就職。0380みつ代は昼間は子供二人を米に預け、0381乳のあい間に生糸を引く。
0382 鹿蔵はすでに牛肉屋を廃業し、0383表を塩見(たつ)に貸していた。0384辰つぁんは四十ぐらいの相撲取りみたいな大男で、0385上林(かんばやし)からきた嫁の菊と二人所帯。0386表の二畳間二間と三坪ほどの土間を借りて生糸屋をしていた。0387辰つぁんは二等(まゆ)を買ってきて糸つむぎ。0388土間には時代おくれの座繰が三台。0389女房菊とみつ代と大島から流れてきた言葉の不自由な女との三人が、0390繭を煮ながら座繰をまわした。0391毎年、0392六月から十月まで仕事があった。
0393 一日働いて日当八銭と聞いていたが、0394みつ代はその銭を握ったことはない。0395辰つぁんは賃金を鹿蔵にじかに手渡す。0396みつ代はただ昼飯を辰のところで食うだけであった。
0397「おかあ、0398五厘おくれなあ……」と五つの伝三郎がねだりにくる。0399金を持たぬみつ代に、0400やれるわけはなかった。
0401「ひもじかったらこれ食いな」
0402 仕事場の横の台にのせてある、0403繭をとったあとの(さなぎ)をそっと握らせる。0404それがおやつであった。0405あめ玉一つ買ってやりたさに一度だけ鹿蔵に賃金の交渉をすると、0406「子供に小遣いやるくらいなら、0407仕事してくれるな」と言われた。
0408 みつ代は糸を引きながら故郷の歌をうたう。
0409〽岐阜はよいとこ 金華山のふもと 長良(ながら)鵜飼(うかい)が寝てみえる
0410 日が落ちると、0411鹿蔵は何気なさそうに外へ出る。0412当時の北西町筋は広小路あたりよりもずっと田舎であった。0413農夫が、0414つないだ牛の背をこすって小屋へ入れたり、0415軒下に広げた(もみ)を取り込んだりしていた。0416離れを博奕宿にした鹿蔵が、0417素人の客を引き入れながらの張番だ。0418丹波鹿の異名のもと、0419子分衆を顎でつかった昔の威勢と引き比べれば、0420それも哀れであった。0421博奕場での米は、0422年を忘れたように生き生きと、0423客の世話にも気がとどいて、0424鹿蔵よりもむしろなくてはならぬ存在であった。
0425 この博奕宿で、0426みつ代は思わぬ小銭をかせいだ。0427博奕に負けた客の質草を持ち、0428しょっちゅう本町の質屋へ走らされる。0429客がくれる使い賃を楽しみに。
0430 龍門館では、0431この頃、0432直は二階に移り、0433王仁三郎は離れの別荘に篭り切りであった。0434勝手に「臥竜亭(がりゅうてい)」と命名した。0435すでに『本教創世記』を脱稿、0436『道の(しおり)』全四冊にかかっていた。
0437 五月三十日、0438母屋の方から産声が聞こえた。0439驚いて筆を投げ出し母屋へ走ると、0440分娩を終えた澄が泰然として言った。
0441「また割れとりますで」
0442 女子であった。0443失望しながらも、0444王仁三郎は新しい生命を抱き上げて感動の涙をこぼした。0445第二女は梅野と名づけた。
0446 明治三十七(一九〇四)年六月五日、0447直の兄桐村清兵衛が没した。0448享年七十二歳。0449親戚、0450役員たちが集って、0451綾部一の瀬の天王平(てんのうだいら)に葬った。
0452 清兵衛の墓を嚆矢(こうし)として、0453爾来(じらい)0454天王平が大本の墓地と定まった。0455当時は起伏の激しい禿山で、0456近松光次郎ら若者たちが測量し、0457整地した。
0458 大本式の葬儀の終わった後も、0459直は神前に端座し、0460いつまでも祈念した。
0461「なにとぞ兄を神さまのお傍近くお召し下さいませ」
0462 誰一人直をかえりみる者もいなかった苦境の時、0463幾度か手をさしのべてくれたただ一人の実兄であっただけに、0464どうにかして信仰の道に入れたかった。0465だがおだやかな笑みを浮べて直の言葉を聞きながらも、0466息を引き取る瞬間まで神に向かって手をあわせようとしなかった。
0467 桐村家の跡継ぎの源三は、0468清兵衛が死ぬと綾部を引き払って大阪へ去った。
0469 遠く離れていた人が戻って来、0470また新しい子が生まれ、0471古い人が死ぬ。0472そして今、0473大本内部では、0474出口直の四女(りょう)の結婚が大問題になっていた。0475直の八人の子供のうち、0476死んだという清吉を除けば、0477今だに独身なのは竹蔵と龍だけである。
0478 龍は料理旅館亀甲屋(きっこうや)に奉公し、0479まじめな気質とかげ日向ない働きぶりで、0480主人の信用が厚かった。0481年はもう二十五歳、0482三つ下の妹澄が二児の母親であるから、0483当時としては婚期を逸していた。
0484「今年中に、0485龍の婿を捜さんなりませんでなあ」と、0486直が王仁三郎に言った。
0487 王仁三郎は、0488役員信者の顔を思い浮かべてみた。0489信仰の強さから言えば、0490四方平蔵、0491中村竹吉を筆頭に、0492後は順位をつけがたい。0493四方与平、0494福林安之助、0495木下慶太郎、0496四方藤太郎、0497竹原房太郎、0498村上房之助、0499後野市太郎、0500福島寅之助、0501野崎宗長、0502松井元利、0503西田元吉、0504浅井はな、0505四方祐助、0506飯田亀吉、0507塩見じゅん……彼らは神のためなら笑って命を捨て得る人たちであろう。0508一段下がると、0509田中善吉、0510本田作次郎、0511小島寅吉、0512安田某、0513西村栄次郎、0514御牧治三郎、0515供川弥一郎、0516時田金太郎、0517四方安之助、0518四方純らがいる。0519これらの人たちが集まって、0520大本を左右するのだ。
0521 彼らが時勢に暗く理知に欠ければ、0522その信仰は狂信となる。0523悲しいかな、0524王仁三郎の理想とする勇、0525親、0526愛、0527智の四魂そろった正しい信仰者は、0528これだけいる中で一人として見当たらなかった。0529どうしても彼らの中の独身者から龍の婿を選ぶとすれば、0530年にふさわしいのは木下、0531竹原、0532村上ぐらいだろう。
0533 やがて直から、0534三人の候補者が龍に示された。0535竹原房太郎(二十八歳)、0536木下慶太郎(二十五歳)、0537中村竹吉(三十四歳)。
0538 王仁三郎は、0539あっと思った。0540中村竹吉の名が意外だった。0541そういえば中村も確かに独身だった。0542澄が欲しいばかりに、0543女房のお菊を戸籍から引き抜いた男だ。0544信仰の強さからいけば、0545中村は四方平蔵と並んで横綱級だが、0546反王仁三郎派の筆頭でもある。
0547 農閑期中、0548福島久は上の子二人を八木に置いて綾部に滞在、0549直の傍近く仕えていた。0550久のひたむきな信仰、0551正直一途な人柄、0552ふるなの弁、0553しかも直の血筋であることは、0554役員信者たちの信望を得るのに十分だった。
0555 中村はその久と組み、0556王仁三郎排斥運動をいっそう強めている。0557王仁三郎がおとなしく臥竜亭で執筆しているうちに、0558金明霊学会の実権は、0559中村と久の手に握られていた。0560この上、0561中村が澄の姉龍の婿になれば、0562高姿勢の中村一派に大本を牛耳られることは明らかである。
0563 内心不服でありながらも、0564王仁三郎が事態を静観していられたのは、0565婿選びの決定権が龍にあることだ。
0566 つい最近まで、0567別れた女房とまたずるずる同棲していた中村である。0568首筋に垢をため、0569わざとぼろをまとい、0570左右揃わぬ履物をはき、0571奇矯(ききょう)な行動の絶え間がない。0572どう間違っても、0573若い娘に選ばれるはずがない。0574直としても愛娘の夫は若い独身の男を望むであろう。0575中村を加えたことは単なる直の政治的配慮であろう。
0576 そう思いかえしつつ、0577王仁三郎に対する、0578直の底意地の悪さとひがみたくなる。
0579 真夏の夕方、0580龍門館の神前に、0581直、0582王仁三郎、0583澄、0584久が集まって、0585龍の返事を待っていた。0586下には役員たちも詰めている。0587夕拝の後、0588龍の選んだ花婿の名が発表されるはずであった。0589竹原も、0590木下も落ち着かぬ。0591平生(へいぜい)名利(みょうり)を超越した顔の彼らも、0592直の娘婿に選ばれることは、0593大本信者なるが故にまた特別なのであろう。
0594 中村は(われ)関せず(えん)という風に小机に向かい、0595筆先を拝読している。
0596 龍は悪びれず直を見詰めた。
0597「うちなあ、0598じっくり考えましたんやけど……」
0599 龍の口元に視線が集中する。
0600「中村はんさえよければ……うちは……」
0601「え……中村?」
0602 王仁三郎はとっさに信じられなかった。0603うなずく龍を見て、0604激しい衝撃を感じた。
0605 直はおだやかに笑んでいる。0606龍の口から誰の名前が出ようと、0607それはおそらく変わらなかったろう。0608久は喜びに崩れた声を上げた。
0609「おめでとう、0610お龍」
0611「ああ、0612ほっとした。0613お龍姉さんがいつまでも一人でおってやと、0614うち、0615落ち着かへんでなあ」
0616 朝野を膝にした澄が、0617こだわりなく言った。0618王仁三郎はうめく。
0619「待ってくれ、0620お龍はん。0621なんで中村を選んだ」
0622 不思議そうに、0623龍は義弟を見た。
0624「中村はんは立派なお人ですさかい……」
0625「中村がお龍はんの婿なんて……誰かに入れ智恵されたんやろ」
0626「お久姉さんは中村はんをすすめてくれちゃったけど……それでも、0627うちの心で決めたことですわな。0628木下はんとも竹原はんとも、0629話おうてはみました」
0630「それで中村を……」
0631「中村はんの信仰が一番純粋で熱心やと思います」
0632「そりゃ信仰は熱心やが、0633度が過ぎとる。0634狂っとる。0635間違った信仰や」
0636「間違っとると思いまへん。0637中村はんほど、0638お筆先に打ち込み、0639お筆先通り実行しとってん人はござへん。0640中村はんが悪いのなら、0641お筆先が間違うとるのですか」
0642「う……その……あいつはお筆先の字句だけを捉えて()のみにし、0643その奥の真の意味を悟ろうとせん。0644人間的には、0645奇魂も幸魂も足らんのや」
0646「神さまの言葉をそのまま素直に聞くことが、0647そんなにいかんことじゃろか。0648会長さんこそ、0649教祖さまや筆先に逆らってばかりいて、0650大本の教えは信じとってないみたいですわな」
0651 おとなしくて気立ての良いだけの女かと思っていたのに、0652さすがは直の娘だけあって、0653いざとなると自分の意志をぴしっと主張する。0654見くびっていた相手に、0655小手、0656面、0657胴と続けて取られた気がした。
0658「それにわたし……理屈だけでなく、0659中村はんが好きじゃもん」
0660 あっけにとられているうちに、0661激しい「突き」であった。
0662 王仁三郎はしどろもどろになった。
0663「お龍はんに中村は不似合いや。0664年かて食っとるし、0665何もわざわざ再婚者を選ばんでも……」
0666「お澄さんはどうです。0667先生との年の開きなら、0668もっとありますやろ。0669先生の前の奥さんのことかて、0670別にお澄さんは問題になぞしとっちゃらへん。0671二、0672三年前なら、0673わたしもまだ若うてきれいな男はんを好きになったやろと思いますわな。0674亀甲屋にいて、0675宴会に来てん男はんをたんと見とるうち、0676そんな形ばかりよい人にはあきてしもた。0677わたし、0678神さまの大望(たいもう)に命を賭けてなはる中村はんに魅かれます」
0679「うちにも、0680お龍姉さんの気持ち、0681よう分かる」と、0682澄が同調した。
0683 龍をあきらめて、0684王仁三郎は向きをかえ、0685直につっかかった。
0686「教祖はん、0687この縁談にはわしは反対です。0688中村だけはあきまへん」
0689 久が横から引き取った。
0690「会長はん、0691今頃になってごてだすなんて卑怯やござへんか。0692教祖はんが『三人の中から婿を選べ』言うちゃった時、0693はっきり中村はんの名前が入ってました。0694それを知らんかったとでも言いなさるんですかい。0695お龍にさんざ悩ませ、0696考えさせ、0697やっと心が決まって一生連れ添う人を選んでから『中村だけはあかん』……どこの世界にそんな理屈が通りますかいな。0698さすがにお龍ですわな。0699これで大本は万々歳、0700ようやくみろくの世の型が固まることでっしゃろ。0701こんなにみんなが喜んどってやのに横車入れるのは、0702小松林の悪神一人じゃ。0703会長はん、0704どうぞ小松林はちょっと除けといて、0705お龍のために祝ってやっとくなはれ」
0706 理が久にあり、0707王仁三郎は自分がいかに無茶を通そうとしているか知っていた。0708人一倍義理人情を解し、0709理よりは情にほだされ、0710愛の哀しさ、0711苦しさには存分に泣かされてきた王仁三郎だった。0712それなのに、0713龍の愛を否定し、0714求めあう二人を裂く。0715誰がみても悪役であった。0716しかし、0717憎まれても恨まれても、0718中村だけははねのけねばならぬ。0719自分のためばかりでなく、0720龍の幸せのため、0721大本の未来のために断じて。
0722「先生、0723お龍はんが中村はんを好きなら、0724それで結構やござへんかい。0725お龍はんの幸せを第一に考えておくれなはれ。0726何をそんなに怒っとってんじゃいな」
0727 むっと黙りこんだ夫に、0728落ち着いて澄が言った。0729久が皮肉る。
0730「会長はんの婿はんと違いますのやで。0731もっとも中村はんは、0732小松林さんの気に入る義兄さんにはならんじゃろが……」
0733 そうか、0734罠か。0735罠にかけられたと、0736この時になって王仁三郎は思いあたった。
0737 龍が三人の男の中から中村を選ぶなど、0738誰にとっても意外であったろう。0739けれど久は初めから中村一人が目あてだった。0740信仰心の強い龍を口説いてまずその気にさせ、0741反対するであろう王仁三郎や一部の役員を封じる手を考えた。0742木下、0743竹原と並べて三人候補の中から、0744龍に選択の自由を与えるならば、0745待ったをつけられる筋合いはなかろうと。0746つまり竹原と木下は、0747初めから中村を選ばせるための隠れ蓑に過ぎなかった。
0748 わしの読みが甘かったのだ。0749中村の陰謀か? 久の画策か? 否、0750否、0751すべての裏に教祖直がある。0752澄の奴まで踊らされていたのでは……。
0753 疑い出せばきりがない。0754畜生、0755母親までわしをなぶり者にしやがって。
0756 形相すさまじく、0757王仁三郎はとび上がった。0758伸ばしかけの長髪が、0759ぱっと天井近くに広がる。
0760「中村ごとき気違いを義兄にはせぬぞ。0761断じて許さん」
0762 直は坐ったままで静かに言った。
0763「龍の決めたこと、0764これも御神意じゃと思いますさかい……」
0765「何が御神意。0766会長のわしを閉じこめ、0767大本の前途をあやまらせる元凶を婿にはさせんぞ。0768気違いに刃物は持たせられんわい」
0769 久がきっと身を立て直した。
0770「気違いとはようも言うた。0771中村竹吉はんなら男の中の男や。0772四つ足身魂の小松林の悪神とは違いますで。0773生粋の大和魂の持ち主を気違い呼ばわりするなら、0774この久が許さしまへん」と王仁三郎に詰め寄って、0775まなじりをつり上げる。
0776「わしが苦心して道を切り開けば、0777一つ残らず役員たちをそそのかしてつぶし歩く、0778あることないことふれまわって妨害させる。0779それが日本男子のすることか。0780三千世界の立替え立直しを叫ぶ艮の金神の神業とでも言うのか」
0781 日頃こらえた口惜しさや筆先への懐疑が、0782一度はけ口を見付けると、0783奔流のように王仁三郎の腹から飛び出してくる。0784王仁三郎は直に向かった。
0785「艮の金神が何じゃい。0786変性男子と変性女子が揃って大本の中で勇んで御用ができるようになると重ね重ねの嘘いつわりにも、0787もうだまされはせんぞ。0788中村を龍の婿にしくさって、0789けむたい審神者を孤立させ、0790ますます気違い教団をつくり上げる邪神どもの仕組みであろうが。0791種馬同然、0792わしを一間につなぎ止めて味ない飼葉(かいば)をあてがい、0793後継ぎさえ産ましておけば用はないちゅうにゃろ。0794お前らに飼い殺しにされとるようなわしとでも思うてけつかるか。0795こんな田舎教団の大将には、0796いっそ中村がふさわしかろう。0797丹波の山奥の山猿教団で終わるが似合いか知れん。0798わしは穴太へ去んでやる。0799もうがまんできん」
0800 王仁三郎の激昂と反対に、0801直は平静だった。
0802「先生にかかってなさる小松林命さんには帰ってもろてもよろしいが、0803肉体は帰ることはなりませんで」
0804 王仁三郎は憤然と立ち上がった。
0805「おう、0806小松林は帰ってやろう、0807肉体も連れてな。0808不服なら、0809この二本の足をなえさせるなと腰抜かせるなとして止めてみい」
0810 くるっと単衣を脱ぎ捨てて、0811褌一つの王仁三郎になった。
0812「裸一貫でここまで来た養子や。0813ヨウシ(養子)、0814裸で()ぬわい」
0815「お龍、0816先生があんなに怒っとってじゃ。0817もう一度考え直してみたらどうや」
0818 熱のこもらぬ直の言葉に、0819身を固くしていた龍が蒼い顔を横に振った。
0820「そうや、0821お龍はん、0822小松林の悪神に負けたらあきまへんで」と、0823久が力づける。
0824 女房のくせに泣きすがって止めようともせず、0825他人ごとのようにぼんやり眺めている澄。0826その膝から、0827王仁三郎はいきなり朝野を奪い取った。
0828「その代わり、0829朝野はわしが連れてゆく。0830朝野はわしが産ました子や。0831梅野は乳呑んどるさけ、0832くれてやる」
0833 朝野を負おうとして押入れに首を突っ込むが、0834あせったせいか負い(ひも)が見当たらぬ。0835手に触れた六尺褌を引き出して、0836それで裸の背に朝野をくくりつけた。
0837「さあ、0838朝野、0839こんな気違い屋敷から逃げ出そ。0840足抱いて乳呑ますような母さんなど放っといて、0841父さんと二人で暮らすんやぞ」
0842 数え年三歳の朝野は、0843異常な事態を知ってか知らずか、0844父の肩におく小さな指に力をこめ、0845母を見返る。
0846「朝野はなりませぬ。0847水晶のお種の子を……お澄、0848朝野を……」
0849 さすがにおろおろと直が叫んだ。
0850 役員たちは二階の異変を察して階段の下に詰め、0851息を凝らして見上げていた。
0852「何をぼけっと眺めてくさる。0853この能なしの、0854駄ぼら吹きの、0855石頭の寄せ集めどもめが……」
0856 王仁三郎が階段の上から役員たちに向かってどなるや、0857ダダッと駆け降りた。
0858 火焔の渦巻が、0859王仁三郎をくるんで舞い落ちてくる。0860その勢いに呑まれて、0861彼らは思わず道をあけた。0862王仁三郎の体がとてつもなく大きく、0863恐ろしく見えたのだ。
0864 筆先を読む中村の声が聞こえた。0865さっきから中村が只一人、0866階下の座敷の真ん中に坐って、0867独特の節まわしで筆先を音読していた。
0868「変性女子は、0869変性男子に反対しもって錦の機を織るのであるぞよ。0870神は何事も承知しておれども、0871余り永らく反対いたして改心できぬと世界中の苦しみが永いぞよ。0872会長がよくなれば半年おくれて澄がよくなるぞよ。0873澄がよくなれば次に役員、0874氏子がよくなるぞよ。0875そうなりたら、0876世界に仕組みてある差しぞえの身魂を選り抜いて、0877この大本へ引き寄せて、0878なにかのこと、0879霊魂(みたま)相応の御用をおおせつけて世の立直しをいたすから、0880会長から一番先に改心をして、0881素直になりて御用を聞いて下され。0882勤め上がりたら、0883まずは世界にない結構が出てくるから、0884今までの人間心(にんげんごころ)を大河に流して、0885疑わずと筆先通りの行ないをいたして下され。0886出口直が日々のどから血を吐いて苦しみておるのを見ておる艮の金神の心も、0887ちと推量いたして下されよ」
0888「くそっ、0889曲津(まがつ)()が、0890だまされるもんか」
0891 王仁三郎はとり囲む役員たちを踏み潰す激しさで中村の傍へ寄り、0892むき出しの毛ずねでぱっと筆先を蹴り上げた。
0893「おばあちゃん」と、0894背の朝野が泣き出した。
0895 中村が転倒しつつ、0896「小松林、0897改心せい、0898改心せい」と、0899声をふりしぼる。
0900「黙れ、0901気違い」
0902 絶叫するなり、0903王仁三郎は土間にとび下りた。
0904「行かんといとくなはれ」と、0905役員たちは口々に叫ぶ。0906涙声すらまじっている。
0907 王仁三郎は、0908こわばった指で、0909草鞋(わらじ)紐を結んだ。0910来綾(らいりょう)以来の役員たちの執拗な妨害が頭を馳せめぐる。0911中村一派には何度か命も狙われた。0912その命より大事と思った大量の著述を灰にされた。0913その都度、0914瞋恚(しんい)が脳天を突き刺した。0915だが背を向けて彼らの声を聞いていると、0916少しも憎んでいない自分に気付く。0917それがしゃくだった。
0918 立ち上がると、0919わっと前後左右から役員たちが組みついてきた。0920平蔵、0921木下、0922後野、0923竹原、0924村上らだ。0925みな頬ずりしたいほど可愛い奴。0926顔中涙の四方祐助が足にしがみついている。0927愛憎の念がこんがらがって、0928自分でもわけが分らない。
0929「ええいっ、0930邪魔さらすな」
0931 振り飛ばした。0932ふだんにない馬鹿力に、0933彼らは土間にふっとんだ。
0934 一歩足を踏み出しかけて、0935入口に立ちはだかる澄を見た。0936夕陽の照り返しを背にして立つ素足の澄は、0937まるで後光を背負っているかのようだ。
0938「お澄、0939そこ退けっ」と叫んだ。
0940 意表外の光景を見た。0941澄がひらりと白い湯文字の裾を返し、0942高々とまくり上げる。0943形の良い白い足が伸びていて、0944その先に薄い(くさむら)0945そして二人の子供をなしたと思えぬ引き締まった腹が逆光の中にほんのりと浮く。
0946 あっけにとられて、0947王仁三郎は妻の顔を見た。
0948 役員たちも度肝を抜かれて立ちすくんだ。
0949 澄はにこっと笑み、0950人目にさらした叢のあたりを手で軽く叩いた。
0951「先生、0952ここに未練はござへんかい」
0953「……し、0954しまえ……阿呆」
0955 やっとそれだけ言って、0956王仁三郎はニヤッとてれ笑った。
0957天宇受売(あめのうずめ)命みたいなやっちゃ。0958お澄にはかなんわい」
0959 心の中でつぶやきつつ、0960背の朝野をおろして、0961妻に手渡した。0962負けて満足であった。
0963 龍の結婚問題は急転直下解決した。0964王仁三郎が中村竹吉の代わりに龍の婿にと推したのは、0965木下慶太郎であった。0966元伊勢水の御用の出修に、0967木下は王仁三郎の心のままに生粋の水晶の水を汲み取る役目を果たした。0968教団の公認手続きのために駿河へ行った時も、0969木下一人を供にした。0970印鑑が一つ足りないばかりに木下を綾部まで取りに帰らせ、0971それが弥仙山篭りにつながった因縁もある。0972今、0973木下は筆先に服して、0974王仁三郎の反対側についている。0975しかし中村や竹原らのこちこち頭と違って、0976彼には王仁三郎の理想を理解するまだしも柔軟な素地があると判断したからだ。
0977 澄も木下を義兄にすることが大本にとってどれほど重大なことであるか、0978ようやく理解したらしい。0979お道のために木下と結婚してくれるよう、0980真剣に龍を口説いた。0981澄の説得は、0982半ば意地になりかけていた龍の心をぐらつかせた。
0983「お母さん」と、0984迷える娘は直の前に出た。0985直がしみじみと言う。
0986「中村はんがどんなに気張りなさっても、0987他の誰をもってきても、0988先生の代わりだけは勤まりはしませんのやで。0989お龍、0990木下はんが嫌いやなかったら、0991どうぞ先生の言うてん通り従うておくれ」
0992 龍はついに木下との結婚を承諾した。
0993 八月四日、0994木下慶太郎は、0995龍と挙式、0996分家して出口姓をついだ。
0997 木下慶太郎の婚礼に刺激されて、0998大本内は結婚ブームに沸き立った。0999失意の中村竹吉に、1000福島久は自宅に近い南桑田郡千代川村字川関の八木こま(三十歳)を紹介した。1001こまは八木会合所の熱心な信者であり、1002久の腹心となって反会長の宣伝に走り回っていた。1003また、1004王仁三郎の世話で、1005竹原房太郎には船井郡富本村から広瀬ゆきを(めあ)わせた。
1006 木下、1007中村、1008竹原の三人がそれぞれ妻帯したのを見て、1009村上房之助が怒り出した。
1010「あんまりや、1011畜生。1012あいつらは、1013『女を見れば目がけがれる。1014女房なんぞけがらわしい。1015大望成就のあかつきまで妻は持たぬぞ』なんぞぬかしおって、1016あのでれでれしたさまはなんじゃ。1017見とられまへんわな。1018あいつらが女房持つなら、1019わしかて持たな損や。1020先生、1021わしにも世話しとくなはれ」と、1022村上は王仁三郎にねだった。
1023 日頃は反会長の気焔に燃える彼らも、1024こういうことになると、1025やっぱり王仁三郎に頼りたくなるらしい。1026王仁三郎は、1027四方平蔵を仲立ちにして、1028森津由松の長女()り(二十二歳)をもらってやった。
1029 女房をめとって巣づくりにはげむ四人は、1030心機一転、1031どことなく所帯じみ、1032人並みな物質欲を持ち始めた気配である。1033王仁三郎は苦笑して、1034彼らの微妙な変化を眺めた。
1035 新郎どもが居合わせた席で、1036王仁三郎はひやかした。
1037「どうや、1038女房はきたないもんか」
1039 彼らは頭をかいて微笑んだ。1040村上はしたり顔に言う。
1041「人間は女房を持たねば、1042世の中の微妙なことは分からんでよ」
1043 ぷっと王仁三郎はふき出した。
1044「ほんまに分かっとらなんだのう」
1045 この一連の結婚によって、1046出口(木下)慶太郎や村上が王仁三郎に好意を寄せ出したのは、1047思わぬ収穫であった。
1048 花に去られた出口竹蔵も、1049この秋、1050直の命で身を固めた。1051新婦は幾度か出戻った四方与平の妹(ちょう)(四十歳)である。1052「花と蝶とは面白い取り合わせや」と照れながら、1053竹蔵は生真面目な蝶にも満足そうであった。
1054 竹蔵の血から、1055ようやく放浪癖が抜け出たらしい。
1056 お仕組みとはいったい何だったのだろうと、1057龍は思った。1058龍は、1059中村竹吉と結婚することが神の仕組みであると思いつめていた。1060姉久も中村も熱烈にそう言った。1061それがまことなら、1062木下と結婚したことは、1063龍が神を裏切ったことであり、1064ために艮の金神の仕組みは破れてしまったのか。1065それとも、1066初めから木下の妻になるのが神の仕組みだったのか。1067そうとすれば、1068何のための回り道。
1069 改めて龍は考える。1070木下との結婚話を受けた時、1071自分はお道のため悪神小松林の犠牲となって思う人をあきらめた悲劇の主人公のつもりでいた。1072身を捨てて木下に嫁いだつもりだった。
1073 朝に夕に吐息する哀れな中村を見るのは、1074身を裂かれんばかり辛かった。
1075 中村がこまを妻にしてほどなくのある日、1076龍は偶然、1077中村竹吉が王仁三郎をつかまえてくどくのを見た。
1078「会長はん、1079わしはもう駄目や。1080聞いとくれい。1081わしはお澄はんを何とかあんたから取り戻しちゃるつもりやった。1082けど、1083もう二人も子を生ましたさかいあかん。1084しやないさかい、1085お久はんを八木から引き戻して、1086わしの嫁にする気やった。1087それもあんたに睨まれてうまいこといかん。1088あと残っとるのはお龍はんばかりや。1089小松林に邪魔されなんだら、1090もう一寸で、1091お龍はんも大本もわしのもんになるとこやったのに……」
1092 深く吐息して、1093龍の目前を中村は出て行った。
1094 茫然自失の龍に、1095ひっそりと王仁三郎が告げた。
1096「言うても信じてもらえんやろうが、1097わしはこの春頃、1098中村はんが狂信と野心のあまりに狂うて死ぬ夢を見せられとるのや。1099だからお龍はんの婿にはしたくなかった。1100自分の長年の(たくら)みを人前かまわずしゃべるのも、1101おかしい兆候とは思わへんか」
1102 龍はうなだれた。1103何ということだろう、1104中村が愛したのは私ではない。1105大本をわがものにしたいばかりの欲心を激しい愛と錯覚したのだ。1106出口の血筋でさえあれば、1107中村にとって相手は澄でも久姉でもよかったのだ。1108阿呆な私のために、1109艮の金神は、1110こんな回り道をさせて、1111ようやく目を開かせた。1112中村とのおろかしい恋を危うくせき止めてくれたのが小松林。1113悪神とばかり一方的に決めつけて見ていた王仁三郎が、1114ほんとうは愛の心をもった正しい人ではなかったか。1115母さんもいつか言うちゃったように、1116今は変化(へぐ)れてはいても。
1117 龍の心にまといついていた中村の影が落ちた。1118生まれ変わったように、1119龍の心は素直に夫に向かって開けていた。1120もったいないほどやさしく、1121若々しく、1122純で誠実な夫であった。