霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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北桑田宣教

インフォメーション
題名:10 北桑田宣教 著者:出口和明
ページ:250 目次メモ:
概要:明治37年(1904年)9月20日、戸籍上「上田王仁三郎」と改名。10月、王仁三郎は綾部を脱出し、西田元吉を連れて北桑田で宣教。「日の出神」の御用は清吉ではなく王仁三郎。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-07-20 02:31:36 OBC :B138908c10
0001 この夏、0002王仁三郎は中村竹吉、0003四方平蔵に命じて故郷の曽我部役場に改名の届出をさせた。0004筆先によって実質的にはすでに出口家の養子でありながら、0005現界では上田家の戸主である以上、0006依然改姓は許されなかった。0007上田の姓はそのままでも、0008ともかく喜三郎を神示の名〈王仁三郎〉と公に認めさせねばならぬ。
0009 戸籍上、0010本名を変更することはよほどの理由がなければならなかったが、0011この場合、0012うってつけのわけが存在した。
0013 故郷南桑田郡曽我部村字穴太の小字裏条(うらじょう)に上田嘉市という酒呑みの百姓がいた。0014農事のひまな時は醤油を売り歩いたので、0015醤油熊という渾名(あだな)があった。0016明治十六(一八八三)年十月に三男坊出生。0017同じ穴太の王仁三郎が僅か数え年十三歳で偕行(かいこう)小学校の代用教員に抜擢された年である。0018神童の誉れ高い上田喜三郎先生にあやからせたかったのであろう、0019嘉市は三男坊に喜三郎と命名した。
0020 狭い穴太に上田喜三郎が二人いるということは、0021郵便配達の事故も多いし、0022村の事務も混乱しやすいという、0023もっともな改名理由なのだ。
0024 嘉市の三男坊喜三郎は明治四十二(一九〇九)年、0025船井郡三の宮から北村ふでを嫁にもらうが、0026ふではどういうわけからか戸籍名は使われず、0027ずっと「すみ」と呼ばれていた。0028従って穴太ではもう一組、0029上田喜三郎、0030すみ夫妻が存在したのだ。
0031 さて、0032穴太の上田喜三郎にかけ合って理由の証明役に立ってもらい、0033無事改名届出をすまして帰ってきた中村と平蔵は、0034得意気にこう触れまわっていた。
0035「とうとう鬼の正体現わしちゃったわい。0036悪神の会長は、0037鬼三郎と改名しよったで」
0038 聞きつけた王仁三郎、0039驚いて自分で穴太までとんでいった。0040役場には、0041上田鬼三郎と届けてあったのだ。0042ややこしい手続きをふみ直して、0043明治三十七年(一九〇四)九月二十日、0044ようやく郡役所から上田王仁三郎と改名の許可がおりる。
0045 北桑田、0046宇治方面の信徒から、0047「会長さんに来てほしい」としきりに西田元吉の伝言が届く。
0048 十月二十一日、0049八木会合所福島寅之助方の秋季大祭に招かれたのを機に、0050王仁三郎は脱出を決意した。
0051 四方平蔵、0052中村竹吉、0053義姉の龍、0054中村の新妻こまの四人が同行。0055秋晴れの早朝を須知山峠や枯木峠を渡り、0056保野田を越えて檜山へ。0057龍は急に腹痛を訴えて、0058野道にしゃがみ込んだ。0059王仁三郎に頼まれた芝居である。
0060 平蔵や中村がおろおろ介抱しているどさくさに、0061王仁三郎はぬけ出して紅井村(現船井郡丹波町豊田)の鍛冶屋へとび込んだ。0062前夜からそこに西田元吉が待ち受けていたのだ。
0063 頃はよしと、0064龍は仮病をやめた。0065ほっとして気がつけば、0066会長の姿が見えぬ。0067あわてて、0068中村と平蔵は旧道を、0069龍とこまは新道を、0070二手に分かれてあとを追った。
0071 新道を行く龍に、0072西田と打ち合せを終えた王仁三郎が声をかける。0073談笑しながら新旧道の合する須知町までくると、0074中村たちがふくれた顔で待っていた。
0075 散りかかる紅葉を踏んで観音峠を越え、0076園部を経て、0077一行が八木についたのははやたそがれ前、0078おりしも八木の氏神本郷の春日神社(祭神、0079経津主命他三神)の杜はドドン、0080ドンドン……秋祭の宮太鼓が鳴り渡り、0081素人芝居や相撲大会、0082夜店も立ち並んで賑々しく浮き立っていた。
0083 福島家の大祭には、0084遠近から信徒達がかなり集っていた。0085久の熱っぽい宣教ぶりが実を結んだのであろう。
0086 盛大に祭典も終わり、0087人々が散ってから、0088五人は狭い部屋に折り重なるようにして寝につく。0089平蔵と中村は王仁三郎の行動を疑って、0090油断なく見張っていた。0091厠へまでもついてくる。
0092 業をにやした王仁三郎は、0093さんざんやんちゃを言った。
0094「お前ら、0095目が冴えて寝られんようやのう。0096ちょうどよいさけ、0097肩をもましたろ。0098わしも凝って凝って寝つけんのや。0099おい、0100平蔵はんは肩、0101中村はせっせと足をもめ」
0102 二人に全身をもませながら、0103王仁三郎は誘いこむような空いびきをかく。0104夜更けては、0105さすがの強者どもも疲れ果て、0106とうとう肩や腰に崩れ伏してしまった。
0107 龍が手真似で合図をする。0108王仁三郎の手荷物は、0109そっと龍が窓下に運んでおいてくれたのだ。
0110 他愛ない顔の二人に蒲団をかけてやり、0111彼らの「寝る」姿を眺めやりながら、0112王仁三郎は即興的いたずらの書置きに筆を走らせた。
0113「山坂の旅に疲れて足くネル。0114腹痛起こして横にネル。0115しかも大道の真ん中で、0116四方中村首ひネル。0117ここが痛いかと腰ひネル。0118ネル間に会長どこへやら、0119たずネル由もなきね入り。0120会長の行方をたずネル為に、0121お前は旧道たずね行け、0122こちらは新道たずネルと、0123須知の町の行き合いで、0124女形が道中ネルように、0125パッと出くわし一寸すネル。0126ネルの首巻きネルぱっち、0127空から雨がフランネル、0128神の祭りも相すみて、0129役員連がえらそうに、0130りくつをこネル首ひネル。0131子の正刻になりければ、0132どいつもこいつもよく寝入る。0133夜具のトンネル穴ばかり。0134ねつを福島会合所。0135あとの祭りで四方中村」
0136 表には西田元吉が待ちかねていた。0137幸先よしと二人は駆け出した。0138八木、0139広瀬、0140鳥羽、0141室河原、0142小山を過ぎ、0143園部本町の港屋旅館に隠れ入る。0144港屋で待っていた浅井はなと新しく入信した片山源之助という園部の材木屋が、0145喜んで勇み立った。
0146 片山は西田の教えを受け、0147幽斎修行を始めて天眼通を修得した。0148西田の師である王仁三郎に会いたさにはるばる綾部へ参っても、0149役員達が邪魔して会わしてくれぬと片山はこぼした。
0150「狂人の集まりの綾部などへ帰るのは止めて、0151どうぞ園部に止って下さい」と、0152三人はこもごもと訴えた。
0153 片山源之助の審神や指導に夜が明けた。0154宿の朝食を馳走になり、0155再会を約して西田と二人、0156園部を離れる。0157今頃八木では、0158あの書置きをみて、0159さぞ平蔵たちが青すじ立てて怒っているだろう。
0160 西田と笑いながら船岡を過ぎ、0161殿田の手前を東へ、0162船井郡世木中の八幡神社の境内に入る。0163白衣の神主がすがすがしく庭を掃き清めていた。
0164「おう、0165待っとった、0166会長はん」
0167 見れば神主は内藤半吾だ。0168かって園部で、0169ちゃらんぽらんの牧夫時代の王仁三郎に知り合って以来、0170友であり、0171保護者であり、0172弟子としてついてきた元園部藩士の菓子屋の主人が……。
0173「ここで、0174神主となって時節を待とうと思うのや」
0175 内藤の言葉に、0176王仁三郎は胸が熱くなった。0177内藤もまた会長派として綾部には容れられぬ一人なのだ。0178三人は熱をこめて今後の布教について相談した。
0179 正午過ぎ、0180内藤半吾に別れを惜しんで、0181世木の八幡神社を後にした。
0182 山あいの路は次第に細くけわしく、0183やがて人の尾峠にさしかかる。0184人一人やっと通れるぐらいの峻坂(しゅんぱん)をよじのぼり、0185枯葉の上に寝ころんで落日を見る。
0186 峠の頂きに、0187古びた小さな地蔵堂があった。
0188「このあたりの伝説ですがなあ……」と前置きして、0189西田は語った。
0190 その昔、0191この人の尾峠の裾の里、0192宇津村に流れて来た落ち武者がいた。0193前九年の役に衣川で敗れ京都で獄門に(さら)されたはずの安倍(あべの)貞任(さだとう)だと、0194村人は信じた。0195帝に仇なす不忠者と村人たちは彼を殺し、0196塚に葬った。0197翌朝、0198またひょっこりと落ち武者が武具いかめしく現われて、0199村人を驚かした。0200確かに昨日殺した武者である。0201幽霊でないのを知って、0202再び殺して埋める。0203再三、0204再四、0205彼はよみがえってきた。
0206 時の陰陽博士に教えを乞うと、0207「彼はあまりに悪に強い人間であるため、0208地獄の入口からでもこの世に戻る魔力を持っている。0209しかし彼を七つに斬って、0210東西南北に埋め(だいだい)の針で止めたら生き還る力を失う」とのこと。0211村人たちは、0212その方法に従って、0213ついに彼を滅した。
0214 宇津の四方の山々には、0215彼のバラバラの体が埋まっている。0216つまり、0217尻を葬ったのがこの人の尾峠、0218山一つ向こうの貞任峠には頭を、0219東に肩を葬った肩谷(別名高谷)、0220足手山などがあり、0221それぞれの塚には、0222小さな地蔵堂が祭ってある。0223以来、0224この地方では蜜柑類は絶対に育たないという。
0225 小暗いまでに茂り合う松林を抜け、0226峠の急坂を下ると、0227そこはもう北桑田郡宇津村(現北桑田郡京北町)の字下宇津の里だ。0228保津川の上、0229大堰(おおい)川の清流に沿って下浮井(うけい)0230上浮井、0231粟生(おう)谷の三村落、0232合わせて六十数戸が点在する。0233村落にせまる山々には杉や檜の巨木、0234若木が整然と立ち並んでいて、0235いかにも森林の宝庫、0236山国である。
0237 西田の案内で、0238とっつきの下浮井村の資産家安井清兵衛を訪ねた。
0239 リウマチで十数年来、0240身体の自由を失っていた清兵衛は、0241西田元吉のお取次で杖にすがって立てるまでになっていたが、0242王仁三郎の鎮魂で、0243杖を捨て座敷中を歩き出した。0244本人は無論、0245妻も息子縫之助も嬉し泣きに泣いた。
0246 その夜は安井宅に一泊した。0247清兵衛は家族の者に山の松茸をとってこさせ、0248上等は売り、0249屑や虫食いを選んで馳走してくれた。
0250 清兵衛の足が立つという噂を聞いた村人たちが集まってきて、0251騒いでいる。
0252「やっぱりたいしたもんや。0253あのけちの清やんがのう、0254足治した客には、0255松茸食わしとってじゃが……」
0256「へぇーい、0257そら足が治ったり、0258よっぽど不思議なこっちゃのう」
0259 清兵衛は貞任峠や人の尾峠あたりの山々など親類の財産を併合して富み栄えたような爺だから、0260村人の受けはよくないらしい。
0261 翌朝、0262清兵衛は西田元吉に言った。
0263「も一つ鎮魂してもろて、0264座敷だけやのうて、0265山まで歩けるだけ治してくれはったら、0266うちの山の杉や檜の屑さがしてお宮建てたげるで。0267ほてから、0268わしが隠居代わりに宮さんのお守りして上げてもええが、0269どうでっしゃろ」
0270 俄然(がぜん)0271西田は怒った。
0272「何じゃと、0273神さまのお礼に屑の木よってお宮建てたいやと。0274おまはん、0275狐や、0276狸祀るのとは違うで。0277一番よい木をえりすぐって、0278身も心も清めて建てさしていただくのが、0279神の宮というもんじゃ。0280神さまに救うてもろときながら、0281その根性が改心でけんようなら、0282また元のようになって、0283欲のために財産まで失うこっちゃろ。0284わしは帰る」
0285 言い出したら聞かぬ一本気な西田だ。0286王仁三郎をせき立てて、0287安井家をとび出した。
0288 上浮井の里を通り抜け、0289村の氏神八幡宮社(現京北町大字栃本村)の前を過ぎて一町ほど、0290村道より下ぶちの川寄りに杉皮葺きの小さな、0291いかにも貧しげな家がある。
0292「庄やん、0293おるかい」と心安げに西田が声をかける。0294小西庄太郎の妻すえが浅黒い顔を出した。0295折り悪しく、0296主人は黒田近くの宮村の弟内田官吉のところへ養生に行って留守とのこと。0297王仁三郎と西田は、0298仕方なしに黒田をさして六里の山路を歩き出した。
0299 宇津を出はずれたあたりの山路で、0300よれよれの着物に縄の帯の若者二人と出会った。0301狭い道を体をかわしてすれ違う時、0302ぷんとひなた臭い匂いがした。
0303 彼らは、0304たびたび宇津へ宣教に来ている西田を見覚えていたのだろう。
0305「屋敷はらいや」と、0306若者の一人が囁いた。
0307「屋敷はらいって何じゃい」と王仁三郎が聞きとがめる。
0308「テンツルテンの命じゃい」
0309 わっと若者二人は逃げ出して、0310つないであった筏伝いに山猿のように川向こうへとび渡る。0311「馬鹿にさらすない」西田がわめく。0312若者二人は川向こうに立って、0313手を振り足を踏んで踊り出した。
0314「柿の木残して首つりたーまえ、0315テンツルテンの命」
0316「お前の懐テンツルテンと言うとるんやで」と、0317王仁三郎が言う。
0318 王仁三郎と西田は苦笑いして、0319ふところを見せ合った。0320西田が二銭、0321王仁三郎が三銭、0322合わせて五銭。
0323「布教に三銭以上持ち出したことはない。0324ほんまにテンツルテンの命やわい」と王仁三郎。
0325「くそっ、0326安井のドけちおやじめが。0327あんなとこに二度と行ってやるけい」
0328 思い出して、0329また西田が憤然とする。0330朝食にもあずからぬうちに安井家をとび出したのだ、0331難物の足を見事に立たせながら。0332険しい山坂道にすきっ腹がこたえる。0333昼を過ぎても、0334合わせて五銭では一膳(いちぜん)飯屋にも入れぬ。
0335 ようやく宮村の内田官吉の家を探しあて、0336滞在中の小西庄太郎に会った。0337ともかくも好意の茶漬けを御馳走になり、0338二人は人心地をとり戻した。0339ここは北桑田の丹波高地のド真ん中だ。0340さすがの晩秋の山里は袷を重ねても冷えを覚える。
0341 薬風呂から上がってきた小西は、0342初対面の王仁三郎に這い寄って拝んだ。0343「あがの兄貴は、0344生神さんみたようなお人じゃ」と、0345常々西田に聞かされていたのだ。
0346 小西庄太郎(五十歳)は関節リウマチで三年間へたりこんでいたが、0347園部の金明霊学会支部へ駕籠に乗って参り、0348西田元吉の鎮魂を受け本復した。0349喜びの余り材木を献納し、0350支部を拡張してまで熱心な信者となった。
0351 彼には困った癖があって、0352酒なら日に三升、0353飲み屋の女相手に朝から呑み浸る。0354宇津村の男衆の誰でもがする山仕事が嫌いで、0355特技はもっぱら魚取り。0356夏なら鮎、0357寒中でも雑魚をとって暮らしていた。0358魚取りでは村近在でも庄太郎にかなうものはない。0359昼、0360たまさかに酒を呑んでいない時には、0361軒下に坐って投網の手入れだ。0362が、0363川雑魚ぐらいで彼の大酒を支えきれはしなかった。0364そのため宇津の村社八幡宮の宮守の仕事をもらい、0365わずかに村から扶助を受けていた。
0366 一人息子の増吉(二十三歳)が、0367この初夏招集されて二十連隊に入り、0368日露戦争に出征しているという。0369その無事帰還も祈って、0370庄太郎は信仰に励んでいた。
0371 彼のリウマチを助けた際、0372西田は念を押すことを忘れなかった。
0373「よいか、0374庄やん。0375酒は二、0376三年呑まんようにせいよ。0377川に入って魚とることもふっつり止めい。0378聞かんといてみい、0379今度はリウマチどころか、0380よいよい(中風)になってまうでよ」
0381 その通りとなった。0382庄太郎はほろ酔いで宇津の川原へ籠り魚を(すく)いに行き、0383川面へつき出た柳の幹から足をすべらして淵に落ち込んだ。0384再び高熱を発して手足が()え、0385うめき通しに苦しむ。0386今度は西田のお取次でも、0387痛みが止まっただけで立てなかった。0388そこで西田が、0389兄貴の王仁三郎を綾部から引き出してきたわけである。
0390 一夜の泊りが二夜となった。0391その間に王仁三郎の三度の鎮魂で庄太郎は起き上がり、0392手足の自由をとり戻していた。
0393「ほんまや、0394生神さんじゃ」と、0395驚いた小西の弟内田官吉が宣伝する。
0396 村人達が集まり、0397吾も吾もと鎮魂を願い出たので、0398王仁三郎は動けなくなった。0399病気治しだけでなく、0400王仁三郎は熱誠こめて道を説く。0401宮村、0402黒田近辺の村人たちはこぞって入信を乞うたが、0403綾部からの妨害をおそれて許さなかった。
0404 王仁三郎は西田元吉に元教、0405小西庄太郎に松元の名を与え、0406村人たちに「今後は、0407ともかく西田元教、0408小西松元の二人を師と仰いで信仰せい」と言った。
0409 驚く小西に王仁三郎は諭した。
0410「さっきの鎮魂で、0411それだけの霊力は名と共に与えておいた。0412心配せいでも、0413何事でもお前を使うて神さまがなさるのや。0414ただ自分で出来たように錯覚して、0415慢心だけはしてくれるな」
0416 宇津と黒田、0417宮村を小西松元にまかせて、0418三日目、0419王仁三郎は元教と共に更に旅立っていた。0420花背(はなせ)0421芹生(せりう)(現北桑田郡京北町大字芹生)と行く先々の宿りに、0422道は開けていった。0423岩根木根踏みさくみつつ貴船(きぶね)0424鞍馬を越え、0425京都を過ぎて宇治へ向かう。
0426 宇治の大橋を東に渡ったところが、0427元教の同郷の紀州出身の鍛冶屋南郷国松の家である。0428南郷方を根城に、0429元教の教線は宇治一帯にもひろがっていて、0430噂を聞き伝えた人々が、0431王仁三郎を喜び迎えた。0432長途の宣教の旅に疲れた夜更けを、0433王仁三郎は宇治のせせらぎに誘われて快く眠った。
0434 ――ひどい男や。0435教祖さまに言いわけも立たんわな。0436わしをこれだけ苦しめよって。
0437 畳を叩いて泣いているのは、0438八木に置き去りにしてきた四方平蔵だ。0439明け方、0440王仁三郎の見たほろ苦い夢であった。
0441 日露戦争によって、0442舞鶴の軍事的価値は増大した。
0443 明治三十一(一八九八)年七月、0444すでに大阪、0445福知山間の鉄道は開通し、0446一日四往復走っていた。0447その延長である舞鶴―綾部―福知山間の鉄道工事は、0448昼夜兼行の突貫工事で進められた。0449このため多数の工夫が郡内に入り込み、0450明治三十六(一九〇三)年には約千人の工夫が鉄道工事に従事し、0451その上に六十一人の親方がいたという。
0452 東四辻の住人たちも、0453粥腹をかかえて働いていた。0454多くの工夫の中でも、0455大本人種はすぐに分かった。0456長い髪を風になびかせていたからである。
0457 長髪の流行の元は、0458王仁三郎にあった。0459大阪から帰って以来、0460閉じこもって執筆に専念するうち、0461髪は伸びるがままにしておいた。0462と、0463髪がアンテナの役をつとめて、0464霊感が得やすい。
0465 王仁三郎の髪は、0466伸びるにつれて末広がりに増えていく。0467櫛の歯も通らぬぐらいに密生する。0468調べてみると、0469根元から五つ六つに分かれた枝毛のそれぞれが、0470長く黒く伸びているのだ。0471ふくらんで、0472始末におえぬほどの髪となった。
0473「会長はん、0474無精せんと散髪しなはれ」と、0475見かねて誰かが言った。
0476「髪は神に通ずるさけ、0477切ってはならんと小松林命が言うとる。0478霊界の波長をまず受け止めるのが髪。0479髪は豊かな方が、0480神界の御用も多うなるのや」
0481 王仁三郎のすることなすこと逆にとる彼らも、0482この言葉だけはまともに受けた。0483伸ばしたくても生えぬ禿頭の祐助の他は、0484一人残らず競って真似だしたのだ。
0485「伸びい。0486はよ伸びい」と、0487若い近松や福本などは短い自分の髪を引っ張るのがくせとなった。
0488 彼ら工夫仲間に、0489大槻伝吉の姿も時に見かけるようになる。0490勤めているシルケット紋織物工場が戦争のあおりを受けて不景気のため、0491操業中止の時が多かったからである。
0492 舞鶴―福知山間の鉄道開通は、0493明治三十七(一九〇四)年十一月三日。0494福知山を発車した下り一番列車が石原(いさ)0495綾部と東進、0496綾部から北上して梅迫(うめざこ)を経て舞鶴に至る。0497一日四往復。0498運賃は綾部から福知山まで十六銭、0499舞鶴まで二十五銭、0500大阪まで一円五十八銭であった。
0501 開通当日の綾部の乗客五百五十人、0502降客四百十人。0503この日、0504早速、0505脱線事故を起こした。0506下り二番列車が梅迫駅を出て舞鶴に向かう途中機関車が脱線し、0507二時間かかって復旧。0508同月七日は下り終列車が梅迫駅に着く手前で脱線。0509機関車、0510緩急車、0511客車共三輌が線路を越えて田の中に落ちる。0512幸い死傷者はなかった。0513黒煙を吐き吐き、0514蒸気機関車は黒く重たい車体を連ねて、0515ようやくこの綾部の里にまで文明の風を運び始めていた。
0516 黒い(はこ)の四角い黒い枠につかまって、0517朝野は爪先立ち、0518ひたと眼を据えて見た。0519ひどく泣いたあとの頬の涙は、0520もう乾いていた。
0521 外は果てしなく動いてゆく。0522すきとおった灰色の波が一面にうねり、0523しろじろと光をはねる。0524音もなくただ静かに揺れなびき、0525どこまでも揺れなびき、0526ひるがえりつつ、0527限りもなく続いていく。
0528 さらさら、0529しろじろ――。
0530 それは小さな心を押しあけ、0531浸し、0532いっぱいにゆれる。0533乾いた眼をみひらき、0534一人ぽっちでゆれる自分に耐えつつ、0535朝野はこの世に生まれて最初の記憶を脳裡に刻んだ。
0536 梅野が生まれたこの年の冬、0537妹に母を奪られた寂しさに駄々をこねて泣き止まぬ朝野を連れ、0538真倉(まくら)の後野市太郎の母が初めての汽車に乗せてくれた。0539梅迫をこえたあたり、0540窓下は一面の冬の薄野だった。0541泣き止んだ朝野がいつまでも窓にしがみついて眺めていたという。
0542 まる二年と九ヶ月、0543この時の心象は鮮烈に残った。
0544 八月末からの遼陽(りょうよう)会戦は激戦一週間、0545両軍多大の死傷者を出し、0546露軍は退却した。0547海軍は黄海戦で勝利し、0548制海権を握った。0549十月の沙河(さが)の会戦では勝負決せず、0550対陣のまま冬営に入る。0551総攻撃を幾度も繰り返した旅順(りょじゅん)攻囲戦は十一月三十日、0552ようやく二〇三高地を占領、0553旅順港内を見下ろして攻撃できる位置に立った。0554開戦以来の戦闘は、0555苦戦の連続である。
0556 大本の役員信者たちは戦況に一喜一憂しながら、0557ひたすらに直の次男清吉の帰還を切望する。0558戦死の通知があり遺族年金まで支給されていながら、0559彼らは「死んでおらぬ」の筆先を額面通り受取り、0560外国で大働きをしていると信じている。0561なぜなら筆先によると出口清吉は日の出神であり、0562日の出神は「龍宮の乙姫と引きそうて、0563変化(へぐ)れに変化れ、0564外国で大働きをする」と示されている。
0565 今度の戦いで日本が勝つことは間違いないが、0566「九分九厘でどんでん返すぞよ」の言葉通り、0567九分九厘まで追いつめられる。0568その一厘の瀬戸際で日本を逆転勝利に導くのが艮の金神のかかる出口直であり、0569そのお手伝いをするのが日の出神のかかる清吉ではないか。0570早く帰還してもらわねば、0571肝心要の神機を逸する。
0572 彼らの清吉待望を、0573宣教から帰って臥竜亭で執筆に専念する王仁三郎はむなしい思いで眺める。
0574 国祖は伊邪那岐尊の御子大道別(おおみちわけ)の荒魂、0575奇魂に()出神(でのかみ)0576和魂、0577幸魂に琴平別(ことひらわけ)と名づけられた。0578陸上は日の出神、0579海河では琴平別神が分担して神界の経綸の完成に奉仕し、0580国祖再現にあたっては聖地に出現し地盤的太柱(ふとばしら)となる神機発揚の神である。0581要するに特定の個人にかかる人格神にあらず、0582御用に付された神名だ。0583そして今、0584清吉の果たせなかった日の出神のお(はたらき)を、0585この王仁三郎がしていることに気付かぬか。0586だからこそ昨年五月、0587四魂(しこん)揃った岩戸開きが行なわれたのではないのか。
0588 王仁三郎は五月二十二日(旧四月八日)より書き始めた『道の(しおり)』と題するノートに、0589一気に筆を走らせる。
0590一、0591暗き世をてらして、0592日の出のひかりを現し給ふは、0593日の出神なり。0594日の出神は男の身魂によりて、0595弥仙の御山に現れ給い、0596(いや)高き稜威(みいず)を現し給えども燈台下暗くして女子(にょし)よりほかに知るものはなし。0597神の大御心(おおみこころ)は、0598心のなか清まらざれば覚ることあたはじ。
0599一、0600日の出神は、0601変性(へんじょう)女子(にょし)に引添ひて、0602高天原へ現れ給へども、0603誰知るものなし。0604生魂(いきみたま)の如何なるものかを誰知らず。0605憐れなり。
0606一、0607死んで居らぬ肉体にも、0608言い様説き様によりて、0609生身ともなり、0610死身ともなるべし。0611生身と生魂(いきみたま)の区別を()(わきま)へて不覚を取る勿れ。
0612一、0613其ままの肉体にて使はれるものと、0614肉体を代へて使はれる生魂とあり。0615肉体代るとも生魂の働きあるものは、0616其の者の肉体生きたるも同じきなり。0617(『道の栞』完)
0618 十二月七日(旧十月三十日)のこの日をもって『道の栞』四巻を全部脱稿する。