大本の教義は、開祖の筆先に発し、筆先を根幹として大成されている。開祖の筆先を原典として、これを漢字まじり文に整え、その真意を分かりやすくして発表したものが「大本神諭」である。
大本神諭には、大本出現の意義が、くりかえし、力強いことばでのべられているが、なかでも「明治二十五年旧正月」付の「初発の神諭」は、筆先全体の主旨・精神をもっともよく表現し、大本出現の意義を端的にのべている。初発の神諭は、開祖の帰神中のことばや、初期の筆先を、のちに聖師出口王仁三郎がとりまとめて、一九一七(大正六)年四月の「神霊界」に発表したものである。その原典となった筆先は、一八九三、四(明治二六、七)年ごろのものであるが、内容的には、開教当初の帰神のおりに、すでにことばとして開祖の口から発せられたものとつたえられている。
その冒頭の部分には、つぎのようにのべられている。
三ぜん世界一どにひらく梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅でひらいて松でおさめる神国の世になりたぞよ。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。いまは獣の世、強いものがちの、悪魔ばかりの世であるぞよ。世界は獣の世になりておるぞよ。悪神に化かされて、まだ眼がさめん暗がりの世になりておるぞよ。これでは、世はたちてはゆかんから、神が表にあらわれて、三ぜん世界の立替え立直しをいたすぞよ。用意をなされよ。この世はさっぱり新つにいたしてしもうぞよ。三ぜん世界の大せんたく、大そうじをいたして、天下泰平に世を治めて、万古末代つづく神国の世にいたすぞよ。神の申したことは、一分一厘ちがわんぞよ。毛すじの横はばほどもまちがいはないぞよ。これが違うたら、神はこの世におらんぞよ。(明治25・1)