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元伊勢お水のご用

インフォメーション
題名:元伊勢お水のご用 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:223 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195401c1621
 「今年は絶命の世の立替えになりたから、丹後の元伊勢に参拝を致してくれぬばならんぞよ」と、一九〇一(明治三四)年旧二月六日神示があって、開祖は四月二六日(旧三月八日)に元伊勢へ参拝することになった。
 元伊勢は京都府加佐郡河守上村字内宮(現大江町)現・福知山市大江町内宮にあって、天照皇大神を祭る社である。崇神天皇のころ、大和国笠縫から遷幸した吉佐の宮の旧跡であるといわれているが、つまびらかではない(『加佐郡史』)。『霊界物語』(第一六巻)によれば、剣先山霊界物語では「剣尖山」のふもとを流れる宮川(五十鈴川)の上流に英子姫(素盞嗚尊の娘)が神殿を造営したのが伊勢神宮造営のはじまりであると述べている。
 元伊勢のうぶだらい産盥産釜(うぶがま)は、五十鈴川のほとり岩戸神社より六〇メートル下流の谷川にある巨大な巌に、天然に穿(うが)たれた二つの岩穴である。常に清水をたたえており、昔から汲み取り禁制で、もし禁を犯してけがすことがあれば、天災が起こるといい伝えられていた。
 元伊勢における水の信仰は、綾部市田町の区民が、明治初年まで毎年四月二三日若宮下の清水をくんで元伊勢に参拝し、家族らは明智平でその帰りを迎えた風習にもうかがわれる。
 このたびの参拝について、筆先には「元伊勢のうぶだらい・産釜の水晶の御水は、昔から傍へも行かれん尊とい清き産水でありたなれど、こんどの世の建替えについて、綾部の大本から因縁のある身魂に大望な御用をさして、世を立直すには、昔の元の水晶の変わらん水をとりにやらしてあるぞよ。艮の金神の差図でないと、これはめったにとりには行けんのであるぞよ。この神が許しを出したら、どこからも指一本さえる者もないぞよ。こんどの元伊勢の御用は世界を一つにいたす経綸の御用であるぞよ」(明治34・旧3・7)とあって、うぶだらい・産釜の水晶の水をもって、世界の泥をすすぎ身魂の洗濯をして、元の神世にかえす重大なご用とされたのであった。
 一九〇一(明治三四)年四月二一日(旧三月三日)、木下慶太郎が、下調査にいって、うぶだらいは神官が見張りをしており、水を汲むには、四メートルあまりの橋が必要であることをたしかめてきた。四月二六日、開祖は会長・すみをはじめ三六人で、一二キロの道を徒歩でゆき、以久田・志賀郷村をへて、その日の夕刻に内宮の松代屋に到着した。さっそく、森津由松に様子を見にやらせると、日暮れになったので、見張りの神官が帰宅したことがわかった。会長はうぶだらい・産釜にゆき、みそぎをして神に祈願し、霊水をくみとった。ついで木下慶太郎・森津由松は、後野市太郎が用意してきた青竹の筒二本をたずさえ岩戸へかけつけた。すると、下調べのときには無かった朽木(くちき)が、どうして流れよったのか橋になっていた。それを渡ってうぶだらい・産釜のところまでゆき、竹筒をそのまま水中に突っ込んで水をくみとり、松代屋へ引揚げてきた。そのとき一行(後より六人参加)は夕食の最中であった。木下は開祖にご用をはたしてきたことを報告し、朽木のことを話すと、開祖はよろこんで、その朽木が竜神であることを明らかにしたという。翌日お礼参拝をし帰路についたが、途中、館の福林安之助の懇望があって福林宅に立寄り、医者がみはなした信者の子供・村上吉之助の腹膜炎をなおし、夕刻に帰綾した。
 くんできた水は神前に供え、そのあと、開祖のいいつけで、木下が、大島と杉井角助と四方源之助の三つの井戸へ水を差し入れ、残りの水は五月四日(旧三月一六日)、沓島・冠島の中間の竜宮海へ注入した(竜宮海へ注入した年月日は、年表および大本略史と相違しておるが、ここでは『霊界物語』の第三八巻によった)ここの文章はおかしい。霊界物語第三八巻第二〇章「元伊勢」には竜宮海に注入した日付は書いてない。大本年表には5・4(旧3・16)と書いてある。。元伊勢の水をくみとってきたことは綾部へ帰着するまで知らなかった者が多く、井戸に差したことはながく秘密にされていた。大島の井戸というのは、現在の大本神苑にある井戸で、このときからこの水が金明水と命名されたが、のちに三代教主直日の産水にも用いられた。角助の井戸は出口家の元屋敷の井戸で、この水を銀明水とよんでおり、この井戸は二代教主すみ子の産水がくまれた井戸である。この井戸は、筆先に「出口の井戸掘りたおりは、出口なおにも掘らしてあるぞよ。因縁のある井戸であるぞよ」(明治36・9・21)とあって、開祖が手伝われて掘ったものである。四方源之助の井戸は統務閣のそばにあったが、みな第二次大本事件のときに埋められ、後日、金明水の銀明水の井戸は元のごとく掘りだされたのである。
 元伊勢の水を三つの井戸に差し終わったころ、大本では広前のランプが落ちたり、風呂場から火が出たり、中村竹蔵の背へランプが落ちかかるなど、三回まで引きつづいて失火しようとしたが、会長がこれを事前にみつけて消しとめ、大事にならずにすんだ。この火事沙汰を皆が不思議に思っていると、会長は神懸りとなり、そのことについて深い神慮があったことの神示がでた。
 開祖は「今に京都・大阪あたりからこの御水をいただきにくるようになる」と役員・信者にもらされていたが、現在も全国の信者がこの水をくんで持ち帰り、いろいろの神徳をいただいている。
〔写真〕
○岩戸神社 p223
○出修・宣伝の旅装(左-後野市太郎 右-木下慶太郎) p224
○うぶだらい うぶがま(中央の岩にうがたれた穴) p225
○水を汲んだ青竹 p225
○銀明水(二代すみ子の産湯の井戸) p226
   
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