『霊界物語』のとくところによると、宇宙の大元霊神は唯一絶対の神であり、「主神」または「主の神」ともとなえる。大元霊のはたらきは火(霊)と水(体)とにわかれ、その本体を火水(神─霊)といい、水火のはたらき(用)を水火(息─生命力のあらわれ)という。イキによって言霊を生じ、言霊によってさらに霊の動き、はたらきがあらわれる。霊のはたらき、すなわち言霊である。
大本では宇宙の大元霊神を大国常立大神(天之御中主大神)ととなえ、火(霊)の活動を高皇産霊神、水(体)の活動を神皇産霊神という。この火と水とのむすびによって活動力を生じ、活動力によって宇宙万有が創造された。このことから万物はことごとく「霊・力・体」からなりたつというのである。また言霊学的にいえば、言霊の神力によって宇宙は創造せられ、万物は生成化育しているということになる。その宇宙大生命力の本源は大元霊神なのである。
大元霊なる主神の大御心は神愛と神智であり、そのはたらきは愛善信真とよばれている。この愛善信真が主神の神格であって、それは主神の意志や智性のあらわれである。愛善は主神の霊的熱であり、信真は霊的光である。主神の霊的はたらきによって、つぎつぎに分霊の神々があらわれ、主神の神格によって神霊の世界がしだいに創造された。さらにその映像として物質世界が創造されていったのである。これが創造の原則であって、この宇宙の法則を霊主体従という。
主神はその神格をわけで厳の御魂および瑞の御魂としてあらわれられる。厳の御魂は国常立尊・日の大神(伊邪那岐大神)・天照大神とあらわれられる。その神性は至厳至直で父神の立場とはたらきであり、これを太元神とも称する。瑞の御魂は豊雲野尊・月の大神(伊邪那美大神)・素盞嗚尊とあらわれられ、至仁至愛の神性で、母神の立場とはたらきであり、とれを救世神または救の神ともいう。主神=大国常立大神によって、その神徳が完全に発揮された状態を天照皇大神といい、瑞の御魂によって、その神徳を完全に発揮された状態を神素盞嗚大神という。この場合、主神の神格のあらわれとして、神素盞嗚尊大神を主の神ともいう。
厳の御魂は神格の本体であり、瑞の御魂は神格の用・はたらきである。そのゆえに神素盞嗚大神は、天地万有一さいの統御神たる主神の神権の用として、神・幽・現の三界を守り、救いのはたらきをせられるというのである。
宇宙は霊界と現界(自然界)とよりなり、霊界には、天界と中有界と地獄界との三大情態がある。天界には天国(日の国)と霊国(月の国)とがあり、地獄界には根の国と底の国とがある。中有界は天界と地獄界との中間の情態で、精霊界ともよぶ。これらは神々の世界であり、人間死後の精霊の世界である。
主神は天国においては厳の御魂・日の大神とあらわれ、霊国においては瑞の御魂・月の大神とあらわれられる。霊国は信真の光にみたされた天使らの霊的国土である。天使らは神命のまにまに媒介天人として天国に往来し、主神の神格をとき神徳をとりつぎ、天人の向上を指導し、天国団体相互の連絡につとめる。また中有界にくだって精霊を指導育成し、地獄界の精霊たちの救済にもあたっている。さらに現界人の霊魂に感応して、地上の天国化にもつくしている。天国は愛善の徳にみたされた人の精霊が、天人となって安住する楽園であり、天国の繁栄のためにつかえている。
『霊界物語』によれば、天界の天使・天人らは天津神であり、地上における正しい人々らは国津神であって、虚偽悪欲のため堕落し、愛善信真の大道にそむいている精霊たちは、悪霊・邪神とされている。
要するに天使・天人をはじめすべての精霊は、みな宇宙の大元霊神の分霊であって、一神より多神を生じ、多神も一神に統合帰一され、あたかも一人としての大神人体をなすとする『霊界物語』の神観は、一神論と多神論の両面をふくみ、また宇宙は一神から発した霊力体のあらわれとするところから、汎神論の面をも包含しているということができる。「神は宇宙にただ一柱ましますのみなれども、その御神格の情動によって、万神と化現したもうものである」(『物語』48巻21章)とあるように、神は唯一絶対の実在神であるが、万神はその神格のあらわれや、活動のいかんにより、それぞれの神名をつけられているのであって、そのすべてを人格神と解すべきではない。ときには例外はあるが、命という場合は精霊体をもたれた人格的存在であり、尊はその尊称として用いられている。
『霊界物語』では、筆先にあらわれた神々を解説し、日本の古典をはじめ、仏典、聖書などにある神名、仏名についても、独特の解明をしている。
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○海洋万里 第25~36巻 p661