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軍部・右翼との関係

インフォメーション
題名:軍部・右翼との関係 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:324 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-06-20 20:09:56 OBC :B195402c6113
 内務当局が、大本と革新派軍人との結びつきを極度におそれたことについて、それを直接に立証する資料はきわめてすくない。したがって事件後に発表された関係者の談話や、敗戦後に公表されたり、これまでに入手しえた当局側の秘密文書によって推定する方法をとらざるをえない。しかもそれらのうちには、検挙担当者が故意に宣伝効果をねらって誇張した内容もあり、真相から逸脱した発言もないではない。そこで『大本七十年史』の編纂にさいしては、公正を期するためあらためて、当局側にあった関係者に面会して取材することにした。その取材によると、以前に公表されたものと相当にことなった見解を表明している人々もある。時の推移と人々の立場の変化が、こうした見解のひらきをうんでゆく。編纂にあたって取材した聞き書や当時の関係史料を総合して、なるべく事態の推移を客観的にふりかえってみなければならない。そこでまず内務当局が重大事突発の原動勢力とみなした大本および昭和青年会・昭和坤生会・昭和神聖会の諸運動と、軍人および右翼団体との接触がどんなものであったかを、史料にそくしてたどってみることにする。
 昭和六年夏ころ、革新的青年将校が満州との往復の途次、亀岡天恩郷にたちより、聖師に面談したことがあった。彼らの情報から、満州における板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐らの動きがつたえられていた。また参謀本部作戦部長建川美次少将から、六月一日に「満蒙問題解決方策大綱」が内密に研究され、さらに八月三、四日の会議で満蒙問題の解決を昭和一〇年に目標をおき、それまでに国内改造・国防国家態勢を樹立することになっているということもしらされていた。一九二四(大正一三)年の入蒙以来聖師によって、アジア経綸はまず満蒙問題の解決からであると主張されていたので、軍人・財界人たちがしばしば来訪して、聖師の意見をきいていたのは事実であり、満蒙に関しての聖師の意見は重視されてもいた。
 満州事変がおこると聖師は日出麿総統補を急派した。待ちかまえていた世界紅卍字会員から、日本軍が差押えていた銀行の公金中、私有に属するものの解除を懇請してきたので、総統補は軍と交渉してこれを解除させた。事変によって生活物資が窮乏しているのをしった総統補は、世界紅卍字会員中の豪商らにはかり、必需物資の輸送・流通を軍に交渉して円滑ならしめ、また難民の救済や人心安定の宣撫工作など辺地にまで手をのばした。軍もまた自由な活動をゆるした。反日的空気のたかまりのなかで、道院・世界紅卍字会員が日出麿師の指導にしたがう情況をみた在満日本人のなかには、青年将校と大本との関係はふかいつながりがあるという流言をするものもあった。そして、あるいは大本は世界紅卍字会をして政治的に進出させるのではないかと疑惑視するものもできてきた。そのため奉天憲兵隊特高課岩丸軍三郎が総統補に面談して、「紅卍字会をして此の際、政治的に立たしむる計画のためなりとの世評があるが、その真否如何」(「真如の光」昭和6・11)と質問しているほどである。そのうえ宣統帝擁立問題(五編二章)がからみあって、悪意にみちた憶測もおこなわれるようになった。
 原田熊雄述の『西園寺公と政局』にも、「彼等の行動は怪しからん話である。どうしてもあれはなんとかしなければならん」といわれており、「これは一応政府に注意しておく必要がある」とものべられている。このころから大本にたいし、要注意の視線が政府・財閥よりそそがれだしたのである。しかも、満州においては「人類愛善新聞」一万部を軍が直接購入して、各部隊に配布するという異例の事態もあり、軍との関係をとりざたされる材料ともなった。
 一九三一(昭和六)年一〇月一八日、昭和青年会は全国的な統一組織をつくった。こえて翌年の五月一五日には、五・一五事件がおこった。海軍将校と陸軍士官学校の生徒の一団が、犬養首相の官邸を襲撃し、また別の隊は、警視庁・政友会本部・三菱銀行などをおそい、橘孝三郎の指導する愛郷塾生らも変電所などをおそった。事件は成功しなかったが、この犬養内閣を最後に政党内閣はおわりをつげ、軍と官僚・政党らの協力による挙国一致内閣がつくられてゆく。その年の五月二七日には藤沼庄平が警視総監に就任したが国家主義運動の動向査察がおおきな治安維持の命題となるにつれて、内務省は古賀内務属を専任係として、国家主義的行動団体を調査・査察しだしたのである。そのような情況下に、昭和青年会は六月に会服を制定し、八月三日から亀岡本部における団体訓練を開始したのである。昭和青年会に当局の目がひかったのはいうまでもない。ことに昭和青年会員のなかには、軍の飛行隊に属する現役青年将校がいて、防空展覧会の開催にあたっては、それら青年将校が密接にはたらきかけ、資料の提供にたずさわったりもした。また昭和青年会員のなかには在郷軍人会に属するものが相当にいて、それらがつねに団体訓練の指導にあたった。国防研究会の設立・愛国恤兵財団助成会への援助のほか、昭和坤生会と協力して国防献金・傷病兵の慰問・出征帰還軍人の送迎などにも熱心であった。いきおい軍部との連絡はひんぱんとなった。陸軍パンフレット問題平凡社百科事典マイペディアより引用「1934年陸軍省新聞班がパンフレット〈国防の本義とその強化の提唱〉を発表した事件。軍国主義を賛美し,統制経済の強化などを主張したもので,軍部の政治関与として政友会・民政党,財界・言論界も反対,陸軍の釈明で一応の解決をみた」がおきたときも、昭和青年会には陸軍省新聞班より三〇〇〇部も送達され、その支持と宣伝に協力を要請されている。その後、発行のたびごとに多数の送達をうけた。海軍省普及部のパンフレットもまた同様であった。『昭和八年中ニオケル社会運動ノ状況』という内務省警保局の極秘文献をみると、「維新日本の建設、天皇政治の確立、議会中心主義打破、産業大権の確立、一君万民、無搾取国家建設等の綱領を掲げ、内政改革、革新日本建設の主張を為し……昭和五、六年以降、新興国家主義運動の伸展を見るに至るや……既成団体中よりも之に追随、加担、合流するものを生じ、今や国家主義運動即日本革新運動てふ状勢を招来しつゝあり」として、「国家主義団体の総数は昭和八年末に於て四百七十九を算する状況にある」と記載されている。そしてそのうちで有力な団体として「皇道大本、昭和青年会」が別記され、府県別に支部・会員数等をこくめいに表示してある。この表示により他の団体と比較してみると、昭和青年会の支部・会員数が一頭地をぬいて大きな団体とみなされていたことかわかる。信仰を基礎に訓練統制され、軍部と関連のある特種の団体であると内務省はみていたのである。
 昭和青年会が、大本の各大祭ごとに、亀岡東光苑で全国から集合した会員・支部旗の査閲分列式をおこない、そのつど憲兵隊・京都師団より臨席し講評をうけていたことも他の団体ではみられぬことであった。こうした集会行事にさいしては、その行事の目的・場所・日時・集合人員・責任者を警察に届け出て、警察の許可をえておこなわなくてはならぬことが、当時の法規には定められていた。責任者は集会の届出をなし許可をえていたが、憲兵や軍人の臨席に心づかいしてか警官は出席をこのまず、終了後責任者にあたりちらすことがおおくて、「昭和青年会は軍部の手先きか」と毒づいたこともあったという。
 たまたま一九三三(昭和八)年二月六日、対国際連盟緊急大会が京都でもよおされた際、法的な手続きは在郷軍人会が一切の責任をおうという約束であったので、昭和青年会は会場にあてられていた東本願寺境内へ集合した。東本願寺側は非常に狼狽したが、しかし、在郷軍人会の圧力によって国民大会がひらかれ、おわって京都市中のめぬき通りを示威行進した。帯剣した軍人の指導者によって在郷軍人・昭和青年会員が行進したので、憲兵隊がこれを護衛した。軍部と内務官僚とのあつれきがきざしかけていたときであっただけに、警察部としてはそのとりあつかいに苦慮していた。
 同年六月一七日、大阪においてゴー・ストップ事件※がおきた。軍部と内務官僚とのあつれきは、この事件からいっそうはげしいものとなった。
※大阪でおきた軍と警察の対立。六月一七日外出中の第四師団の一兵士が、市中で交通信号を無視して巡査にとがめられてけんかしたというささいな事件が、軍人が侮辱されては軍の威信にかかわるとした第四師団と、法規はまげられないとする大阪府の対立となり、大事件に発展し、五ヵ月間紛争をつづけたが、府側の譲歩によって解決した(『日本近代史辞典』)。
 藤沼警視総監の手記には「警視総監は満州事変後の軍部の暴動反乱による被暗殺者の一人です。警視庁全員と共に、しかもその先頭に立って治安に専念するといふことは軍部の越権と戦ふことであります」とあり、また「私の任官(昭和七年五月)間もなく憲兵司令部では全国に命令して警察官の非行の調査を行ひました。私は注意を要することと、ひそかに気をつけてをりました」とものべられている。ゴー・ストップ事件当時の憲兵司令官は秦真次中将で、中将は中佐時代(大正七年)綾部大本に参拝してから大本とは関係があって、昭和青年会に助言したり、かげから援助していた人であった。これにたいして藤沼総監は第一次大本事件のときの京都府警察部長であり、大本検挙の責任者でもあった。
 これよりさき、一九三一(昭和六)年一〇月には、十月事件(錦旗革命事件)がおきた。この事件は同年三月に計画された、いわゆる三月事件から尾をひいているものであるが、桜会のメンバーが主役であった。桜会は陸軍省・参謀本部の少壮将校が中心となり、国家改造をもくろみ組織せられたもので、発起人には橋本欣五郎(当時参謀本部ロシア班長)・坂田義明(陸軍省調査班長)・樋口季一郎(東京警備司令部参謀)の三中佐以下二〇数人がなっていた。満州事変勃発の前には、陸軍の革新論者のあいだに「大陸先行論」と「内地先行論」の二つの潮流があったといわれる。前者は満州を占領して理想国家を建設したのちに、これを内地革新におよぼそうとするものであり、満州事変の計画者であった板垣・石原・花谷らの主張がうけつがれていた。これにたいし桜会の橋本一派は軍部独裁政権の樹立が主目標であって、対外問題を有利に国内改造に作用させ、満州における関東軍の計画に同調しつつ、一〇月ごろ内外呼応して国内改造の目的をたっせんと企図していたものである(秦郁彦『軍ファッショ運動史』)。このクーデター計画は結局失敗におわったが、十月事件の主謀者橋本の手記によると、「事件決行の為には先づ大衆を改造の為高調に達せしむる必要あり、之れが為には満州事変を利用し『国家改造するにあらざれば事件を遂行し得ず』てふ主旨により万事の行動を律す。此対象として学者、学生、官吏、実業家等に吹き込みたるも彼等は何等の勇気無く、殆ど効力無し。在郷軍人、愛国団体は大いに見るべきものあり。……愛国団体としては大川周明の行地社、岩田愛之助の愛国社等を指導し、共に優秀なる成績を示し、背後の予に対する援助者として神戸の松尾忠二郎、万俵喜蔵、藤田勇等大いに努むる所あり。又大本教出口王仁三郎は特に予に面会を求め、有事の際は東京、次で全国の信者を動員すべく、予の身辺護衛として植芝剣士を捧げたり」(中野雅夫『橋本大佐の手記』)としるしている。さらにこの手記の編者中野は、橋本の手記にくわえて、「…この社会的背景に桜会員が兵を率いて蹶起する、在郷軍人八十万がこれに呼応する、無産党三派は三月事件いらいの関係で労働者農民を率いて加わるだろう、これに加えて大本教四十万の信徒が蹶起する。満州では戦闘中の関東軍が呼応する。こうなれば嫌でも革命は成功したであろう」とのべている。しかし、これは大本側の関知するところではなかった。その後、橋本が三島野戦重砲連隊長時代に昭和青年会と接触し、青年会の運動や会合のさいげきれい援助したことは事実であるが、橋本がいうほどにふかいつながりがあったかどうかは疑問である。だが、大本と橋本とのつながりが、国家改造運動主義者のなかに、大本への期待を生みだしつつあったことは否定されない。
 さらに二・二六事件の被告菅沼三郎大尉の告発書(昭和一二年二月二〇日付)のなかには、昭和八年の十月ファッショ事件について、「軍部内の清軍派と統制派とが接近合流し、民間ファッショ団体とも合縦連衡して画策したもので、先の神兵隊事件と後の大本教事件とも前後一連の関係にあつたもので、昭和八年八月、三島野戦重砲連隊長に赴任した橋本欣五郎大佐が、海員組合委員長の浜田国太郎としばしば沼津で会談し、国家改造のため北満に第二の柳条溝事件を起し、それと海員組合がゼネストをやって軍隊輸送を妨害し、政府に三ケ条の重大要求を突きつけて倒閣し、国家改造内閣を樹立しようと企てたものである。これに呼応して民間ファッショ団体の大川一派、藤田勇一派、岩田愛之助の愛国社、佐々井一晃の新日本国民同盟、大本教団体が暴動を起し、それを田中清少佐等が戒厳に導こうとしたもの」(矢部貞治『近衛文麿伝』上)であるとのべられている。ここにも橋本─桜会─大本の関係が流布され、国家革新の一連の動きとして重要視されていたことが反映されている。内務省が軍とのつながりを注目するようになったのも偶然ではない。
 一九三二(昭和七)年から翌年にかけて、当局による思想弾圧はいっそうはげしさをくわえていった。昭和七年の一〇月には一五〇〇余人にのぼる共産党関係者のいっせい検挙がなされ、その後もひきつづき取締りが強化されていった。一九三三(昭和八)年の四月には、京大教授滝川幸辰の自由主義的な『刑法読本』が問題となり、辞職か強要されて滝川事件かおこっている。社会大衆党も軍部にこび、総同盟などの労働組合も右旋回していった。
 一九三四(昭和九)年七月二二日、昭和神聖会が発会した。この発会以前、「協導団」の構想がつくられるにあたり(五編三章)出口聖師をまじえて、代議士長島隆二やその他愛国団体の有志と、大本信者である内海健郎の関係料亭でいくどとなく会談がおこなわれた。その間に種々の流言が真偽とりまぜてながされた。多少の資金が協導団結成の運動費としてでたことは事実であって、聖師によって、のちに、「いろいろの団体の人と会ったが、金くれのものばかりで」ともかたられている。この協導団は流産したが、運動資金についてのうわさがたかかったので、大本の総務会でも問題となり、総務の大国以都雄を調査のため東上させたほどである。内務省当局が、革新陣営への資金源として大本にたいする疑惑をふかめたのもこのころであろう。さきに大日本生産党の結成(昭和6・6・28)に聖師が援助し、また頭山満・内田良平と聖師が山陰を旅行し、松江において藤原勇造らに奔走させ、信者の献金を集めてもちかえらしたことなども話題になった。しかしそれは運動資金というほどのものではなかった。
〔写真〕
○民心にとけこんだ大本の活動は政府要路を刺激した 満州奉天駅頭の出口日出麿師 p326
○政党政治の時代がおわり 戦争とファシズムの時期に突入した p327
○昭和青年会の団体訓練には官憲のするどい査察の目かそそがれた p328
○対国際連盟緊急大会に参加した昭和青年会員 京都 東本願寺 p329
○政府は右翼革新の脅威にさらされていた 愛国14団体の近畿国民大会 p330
○警察は労働争議にも介入し数おおくの労働者を検束した p332
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