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綾部と亀岡を急襲

インフォメーション
題名:綾部と亀岡を急襲 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:382 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195402c6211
 ついにその日がきた。一九三五(昭和一〇)年の一二月八日、午前零時を期して強権が発動されたのである。内務省の唐沢警保局長・相川保安課長総指揮のもとに、近代日本宗教史上未曽有の大本大検挙がはじまった。午前零時、「臨時歳末一斉警戒」の名目で召集されていた京都府下二六署の警察官約五〇〇人を、京都御所の苑内をはじめ二〇数ヵ所に集結し、各中隊を大型バス一台および乗用車四台に分乗させた。警官らにはその目的や、ゆきさきも教えられていなかった。午前一時、京都府警察部の永岡保安課長のもと、五中隊二〇〇人で編成された綾部大隊か先発し、午前三時には豊原警務課長のもと、六中隊二三〇人で編成された亀岡大隊が進発した。すでに綾部・京都間八〇キロの交通は遮断され、沿道の要所ごとに警官が厳重に警戒するなかを、バス隊は窓のホロをふかくおろしたまま、山陰街道をまっしぐらに走った。
 京都府の薄田警察部長・杭迫特高課長は、検挙の動きをキャッチした大阪毎日新聞社の記者の目をカムフラージするため、現地にはおもむかず、その間、官舎で記者と応接していた。しかし同新聞社の記者は二日前の六日夕方、天恩郷光照殿で東京へ出発直前の出口宇知麿に面会をもとめ、当局の気配をつげて質問したが、宇知麿は「思いあたることは全然ない」とこたえた。翌七日から亀岡北町の新聞取次店楠健三方で待機していた大阪毎日新聞社の記者は、検挙隊が到着する直前の午前三時すぎに天恩郷に潜行し、光照殿で出口日出麿をインタビューした。この会見記は、他社にさきがけてだされた八日朝の号外にのっているが、それによると、「問─大本に対しその筋の活動が進捗してゐるらしいが何か心あたりはないか。答─父王仁三郎が今日松江市の大本別院創立五周年大祭に赴き、また神聖会の総ての事務を司つてゐる宇知麿が東京に赴き留守であるが、自分としてはただ意外の感に打たれるばかりである。神聖会の動きについても警察ならびに憲兵隊その他の内偵が進められてゐたことは承知してゐたが、合法的以外には一歩も出てをらず心配はない。資金関係についても他の右傾団体が当局の調べをうけてゐるが、神聖会のみは一度も手がかかつてゐないから、いづれあることは覚悟してゐたが、この点もすべて帳簿に明かに載つてゐる。……新経済饑構論も理論を実行に移す行為には一歩も出てゐないから、この点も心配はない」とのべられている。
 亀岡にむかった警官隊は老ノ坂峠のトンネル東口で一たん下車を命じられ、そこではじめて検挙指令が伝達された。そして決死的覚悟をもってのぞむようにと申しわたされた。武装警官は腕に白布をまき、白たすきをななめにかけ、音をたてないためにぞうりにはきかえた。こうして午前四時までには完全に天恩郷を包囲してしまった。やがて四時半一せいに合図の言葉「火事々々」あるいは「電報々々」などと連呼し、苑内の各建物や、目ざす役職員の宅をおそい、出口元男※(日出麿)をはじめ東尾吉三郎(吉雄)・高木鉄男・出口新衛(五十麿)・西村昂三(光月)・桜井重雄(八洲雄)・河津雄次郎(雄)・藤津進(日水勇)・細田東洋男・上野威(春明)・笹岡(松岡)康男・井口平次郎(鉄外)・志田富夫・松浦精一をつぎつぎに検挙して京都へ護送した。大本本部の会計課長であった中村純一は、警察当局の命令により大本会計に関する代理人とせられ、身柄はそのまま亀岡署に留置された。そのほか一五〇人を亀岡署に検束し、簡単な尋問ののち、四〇人を釈放した。また検束をまぬがれた奉仕者・修業者らは大祥殿や豊生館に軟禁された。
※被疑者・被告人らの氏名は、検挙されてから事件の解決にいたるまで戸籍名を用いる。カッコ内は通称をしめす。
 先発して綾部にむかった大隊は、中隊ごとにわかれて老ノ坂をこえた。そして観音峠で検挙の指令が伝達され、四時までに綾部へ到着した。待ちうけていた応援の綾部署員らがこれにくわわって、三〇〇人の警官が何鹿郡設のグランドに集結し、四隊にわかれて大本総本部を包囲した。まず電話線を切り、未明の四時半、総本部の受付・教主殿・五六七殿・穹天閣などに突入した。そして無抵抗の信者を綾部署に五〇人、祖霊社に一〇〇人検束し、尋問のうえ六七人(男四四、女二三人)を留置した。警官がふみこんだときの緊迫した情景は、三代教主出口直日によってつぎのように回想されている。「幼い子供三人と就睡していると(教主殿)、突然火事だ火事だという何人とも知れぬ人の声に私は目が覚めました。その時の火事だという声は随分低く押しつけたもので、突発事件を近所に聞えぬよう内部の者のみに知らせるべく注意をはらった緊迫感のこもったものでした。火事だと聞いて目覚めた瞬間、大本から火を出しだのではないかと心配しておりますと、ものものしい武装警官がどやどやと乱入してきました。それで火事ではなく何か事件が起ったのだとわかり、やや安心しました。その人達は乱入するなり『日出麿は何処へ行った』と尋ねます。『亀岡に行っています』と答えましたが信用出来ないらしく、何遍も聞きただします。私は連行されるものと思ったので、早速、着衣や髪をなおそうとして部屋隅の電燈の紐を引こうとすると、何をするといって、取りまいている人々が私の両腕や肩をおさえました。『隅の紐を引っぱって電燈をつけて下さい』といって明るくして貰い、つぎに『着物を取って下さい』と依頼し、着物を着て髪を結い、手洗いまでもついてきて下さいというと、さすが警官も少々安心した様子でした。そのうちに東の空が追々白んで明るくなり、一室(教主殿に棟つづきの統務閣)につれてゆかれて警官達と煖炉を囲み雑談をし出しました。警官の一人が感想を聞きますので、『火事でなく事件だったので安心しました』と答えると、意外な面持ちをしていました」(「木の花」昭和26・12)。この日の夜、直日は子供の直美・麻子・聖子の三人とともに、上野の桜井同吉の留守宅に軟禁された。
 綾部では、岩田久太郎(鳴球)・栗原七蔵(白嶺)・桜井同吉(同仁)・瓜生鏡鎌・吉野光俊(花明)・山口利隆・杉本豊次郎(晋一)らが検挙せられ、京都へ護送された。雨森松吉は綾部署に留置されたまま、警察当局の命令により綾部における大本会計の代理人とされた。
 この日、綾部総本部と亀岡本部では約五〇〇人の奉仕者・修業者が軟禁され、そのうち三〇〇人ばかりが検束されている。幹部は出口元男以下二七人が検挙されたが、だれ一人として令状を示されたものはいなかった。幹部の大半は、この日以来数年間を未決勾留されることになる。
 検挙隊が突入した直後の午前五時には、京都地方裁判所の判事・検事一行一五人が亀岡本部と綾部総本部とに到着し、一せいに捜索を開始した。 京都地方裁判所検事局としては、徳永検事主・小野検事が京都にあって指揮にあたり、現場には予審判事六人・検事九人が派遣された。 綾部では四班にわかれて総本部内の二一ヵ所・幹部宅一〇ヵ所の捜索が強行され、亀岡では四班にわかれて本部内の二七ヵ所・幹部宅二一ヵ所が捜索された。当局の指示した押収の目的物は、「(1)お筆先(神諭)、出口王仁三郎全集、霊界物語、瑞祥新聞、真如の光、昭和、神の国、その他大本関係出版物、(2)大本において特に厳秘取扱と思料さるべき文書ならびに物品、不敬尊厳冒涜にわたる文書、原稿、記号、指令などをふくめるものと思料さるべき往復文書、その他日記、メモ類、(3)大本関係写真フィルム、(4)凶器類、(5)その他本件につき参考と思料さるもの」と広範囲にわたっていた。この捜索は天井裏から床下などにもおよび、八日から一三日まで六日間にわたっている。その状況については『苟も事件に関係ありと認め押収したる証拠品約五万点、不逞兇逆の企図を確証するもの数ふるに遑なし」と『杭迫日記』に記されている。しかし、とくに当局が神経をとがらして捜索した兇器とみなされるものは一物もなかった。押収した証拠品は京都府警察練習所二階の二教室に保管し、教官七人・練習生四一人の多数で警備隊を編成して、厳重な管理がおこなわれた。
 検索隊が各二万四〇〇〇坪をこえる綾部総本部と亀岡本部一帯を包囲し、部外者の苑内出入を禁止したことはいうまでもない。ちなみに当時新聞に掲載された記事や写真もすべて警察が提供したものであって、国家権力のすさまじい介入がこの大検挙の報道にも凝集されている。午後七時、内務省は建物を警察管理下におき、つぎの措置をとった。
(1)出口家、幹部を検挙留置する、(2)信者を警察署で取調べる、(3)奉仕者・修業者の出入を一切禁止する、(4)町内居住の信者の出入を禁止する、(5)奉仕者・修業者は大本会計より旅費を支給し帰郷させる。
 すなわち内務省は大本神苑を封鎖するとともに、検束をまぬがれた信者に帰郷を強制し、早くも午後九時までに第一次として亀岡六〇人、綾部八〇人の信者に帰郷を命じた。
〔写真〕
○大本事件を一つの転機として日本の歴史はファシズム戦争へと暗転した 神殿の強制破壊 p382
○マスコミが総動員されいちはやく官憲の手で大本邪教観がデッチあげられた p382-383
○8日未明警官約300人が亀岡天恩郷を急襲 ①更生館②瑞月庵③透明殿④万祥殿敷地⑤中ノ島⑥明光殿⑦春陽亭⑧大銀杏⑨月宮殿⑩高天閣⑪光照殿⑫大祥殿⑬月照山⑭瑞声閣⑮天声社⑯安生館⑰東雲社⑱蓮月庵⑲緑生館⑳花壇㉑東光苑 p385
○……警官300人が同時刻に綾部総本部をおそった ①言霊閣②教祖殿③教主殿④祖霊社⑤元屋敷⑥神光社(機場)⑦金龍海⑧大八洲神社⑨五六七殿⑩至聖殿⑪穹天閣⑫三六亭⑬長生殿基礎⑭東石の宮⑮工芸館(機場)⑯教碑⑰神声碑⑱歌碑⑲機場 p387
○建物はただちに警察の管理下において封印し出入は一切禁止された p388
   
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