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「邪教」との断定

インフォメーション
題名:「邪教」との断定 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:394 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195402c6213
 大本検挙への動きを最初にキャッチした「大阪毎日新聞」は、はやくも八日午前五時には号外第一報を発行した。その号外によると、検挙の動機は、「第一には脱税疑獄の派生的事件に関係ありとする観察と、また別個に皇道大本教本部自体の行動に関する重大なる疑惑、および皇道大本の附随結社として中央知名の士を網羅する昭和神聖会の資金関係についての疑惑であるとも噂されてゐる」と報じており、けじめは報道陣にあっても、事件の性格はとらえられてはいなかった。それほどに検挙についての当局の秘密は厳重にたもたれていたのである。この号外は京都市内にまず配布され、京都市民をおどろかせたが、大本本部外に居住する信者や、軟禁中にこれを入手した奉仕者は、検挙が脱税や昭和神聖会の資金関係の疑惑としって、事件の前途を比較的かるくうけとった。
 ところが、第二号外・第三号外がでるにしたがって報道の内容が一変してきた。「またも大本教の大不敬」の大見出しで、不敬事件としての検挙の詳細を報ずるとともに、各社とも治安当局の談話をつぎつぎに発表しだしたのである。「不敬教義の検察が目的で神聖会の弾圧ではない。大本教禁止は言明の限りでない」という唐沢警保局長談や、「今回は小範囲、漸次拡大していく」との薄田談話が掲載された。これらに付随して、一五年前の第一次大本事件の「功労者」藤沼庄平や、中村古峡の談話も発表された。
 全国の各新聞も一せいに、大本を「邪教大本」「妖教」「怪教」として事件の経過を報道した。なかには、社説や論説・寸評・戯画などでもさかんに大本事件をとりあげ、その論鋒はほとんど出口王仁三郎に集中し、これを非難攻撃した。
 八日の「読売新聞」号外では、「大本教再び邪教の本体暴露」の大見出しで、不敬事件の確証があがったとしている。こうして大本の弾圧には大不敬事件としての性格があたえられると同時に、満州事変ごろから数年間うすれていた大本邪教観がふたたび流布されるようになったのである。そして九日には、大本は治安維持法の適用をうけ、ちかく解散・禁止の処分をうけるであろうとの観測が報ぜられはじめた。「東京朝日新聞」はその社説で、「解散をも辞せざる断乎たる邪教取締りを敢行すべきであり」と主張している。ここでは、いち早く事件をキャッチした「大阪毎日新聞」の記事を引用しておこう。「……大本教が今日まで表面皇道精神を説き皇室中心主義を唱道しながら、裏面には皇室の尊厳を冒涜せる不敬罪を構成する内情が明確となつたため、今後はいよいよ大本教を邪教と断定することに決定した。内務・司法両省協議の上、近く同教の解散禁止処分などの処置に出るもののごとく……内務省一部においては刑法第七十四条不敬罪により処罰すべきものとの見解をもつてゐるが、また一部においては今後押収する証拠品の結果如何によつては、治安維持法が適用されるべきであるとの見解を有してゐる。いづれにしても内務省としては、大本教の存在を絶対に認めず、日本から根本的に払拭する意気込で今後の証拠固めを行つてゐる」と論じ、さらに一〇日の社説では、「吾等は政府当局が、単にこの事件の結末のみをもつて足れりとせず、広く国民生活の人局から、あらゆる淫祠邪教の掃蕩について、抜本塞源の方策を講ぜんことを切望せざるを得ない」として、邪教の掃蕩を要望した。また「大阪朝日新聞」もその社説で、「同時に片手落のないやうに、類似の傾向の認められた教団に対しても厳粛なる態度を以て望むべきである」とのべ、その他の論説でも、大本事件から発展して、文部省立案の宗教団体法案や宗教政策、さらに国民の教育問題にも論及した。こうして検挙の直後に、はやくも大本を「邪教」とする世論が形づくられていったのである。
 一二月一〇日、「内務省検閲済」と明記した検挙の理由が各新聞に公表された。これはあきらかに当局の意向を反映したものである。
大本教の内容に不敬の事実を突き止めた内務省は、検挙に慎重を期するため係りの事務官を左翼専任の永野事務官に変更し、一ケ月前同事務官は京都に急行、京都特高課員、同地方裁判所検事とともに、琵琶湖畔にアヂトを設けて専心大本教関係の文書を精査した結果、いよいよ最小範囲内において、大本教を不敬罪によつて絶滅し得る確信を持ち、一方大審院と交渉して、急に京都検事正の更迭を行って大本教大検挙陣を編成したものである。当局が大本教を日本人として許し得ぬ不敬教として弾圧するにいたつた事実を列挙すると次の通り
一 大本教の根本教義よりして、皇道の大本は大本教にありとし、そこに不敬罪以上の日本国民として最も忌むべき国体変革の思想を醸成してゐる。当局が刑法第七十四条の不敬罪以上に、死刑若しくは無期懲役に出来る治安維持法で罪にし得るといふ理由はここにある。二 かかる思想よりして出口は自己を日本における真の統治者としてゐる。三 自己の名前を○○といひ、信徒からかかる名宛ての手紙が数通発見されてゐる。四 信徒の査閲をする場合は○○○と称し妻の澄子を参謀長としてゐる。五 特選出口王仁三郎○○○として辞令を出してゐる。六 信徒の家に出掛ける場合の行列を○○に擬し前駆後駆を付けてゐる。七 王仁三郎の周囲に近侍(女性)を置き宿所には警備員をおく。八 「国の鎮め」と同調子の瑞垣の曲を奏せしめる。九 王仁三郎のことをいはせるのに大○の言葉を使用させる。十 あらゆる機会において皇室を○○してゐる。十一 綾部を首都として高天原はここに再現されるといふ。十二 前駆後駆を付ける場合宮内省通牒と類似の文書形式を用ひてゐる。(「東京日日新聞」昭和10・12・10)。
 公判はおろか警察での取調べも開始されぬさきに、「王仁三郎と大本教が不敬不逞の国賊」であるという断定が国家の名においてなされ、しかも治安維持法によって「死刑若しくは無期懲役」にしようとする意図かはやくも声明されていることは、見逃せない問題である。
 こうした不敬・国体変革という非難と並行して、王仁三郎は近侍やおおくの女性信者と醜関係があり、その生活が豪奢きわまりないものであるというたぐいの捏造がなされた。ことに数日前に旅立って不在であった王仁三郎の居室に作為の展示をおこなって、一二月一六日以降わざわざ新聞記者や有力者をまねいてこれを見せるなど、検挙にあたった当事者たちによって卑猥な材料が準備され、この種の非難か故意に流布されたことを注目すべきである。
 第一次大本事件では検挙後数ヵ月たったのちに、邪教観が形成されていったのにたいして、第二次大本事件では大検挙の報道と同時に、邪教観を当局が率先してあおっていったのである。こうした中傷がかなり成功した背景には、第一次大本事件以来、大本は邪教であるという印象が社会の一部に潜在的に残っていたことと、昭和一〇年の政局をゆるがした国体明徴運動によって、不敬思想・異端思想を排除する政治的社会的条件が成熟していたことなどがある。さらに革新右翼陣営が、大本への圧迫を不当弾圧として批判する鉾先を封ずるため、当局がこうした謀略をめぐらしたことも見落すことができないであろう。
〈社会の反響〉 全国の新聞は第二次大本事件に関し、大号外について連日にわたり虚実をまじえて大々的に報道をなし、「大本邪教観」の流布に拍車をかけた。とくに「大阪毎日新聞」は「現代の謎・大本教」、「東京日日新聞」は「俎上の大本教」と題して共に五日間にわたる特集をなし、また「大阪朝日新聞」は「嵐吹く大本教」として三日間におよぶ囲みもの記事を連載した。さらに大阪毎日・東京日日新聞社は大検挙の直後、パンフレット『大本教事件の全貌』(画報八頁・本文五〇頁、定価一〇銭)を発行した。たちまち売切れ大増刷をしたが、さらに『果して怪教か?類似宗教の解剖』(七二頁)を刊行した。その巻末には阿部真之助による「大本教の正体─妖怪出口王仁三郎」の一文がのせられているが、その末尾に「私は茲では、新聞の報道を素直に信用して、大本教が国家の威信を一度ならず二度までも冒涜したるが故に、弾圧を受けたものと解釈したのであるが、果してその通りなら、今度こそは、大本教は再び起つ能はざるに至るであらう。しかし他面では、私の解釈と正反対の解釈をしてゐる説もある。それは如何なることであるか、ここで説述を憚る筋があるので、諸君の想像に任せて置くが、私の解釈が間違つてゐるなら、大本教は打たれても叩かれても、しぶとく再び起ち上るに相違ない」との、ふくみのある言葉がみえている。
 このほか森田書房から黒島大三著『大本教の本体を暴露す』(四〇頁)、城西出版社から久世健二著『没落する大本教と王仁三郎を解剖す』(五一頁)、普及社から樺山寛二著『大本教の正体と検挙の真相』(四一頁)、伊藤義賢の『真宗より観たる大本教の批判』(八三頁)など、相ついでこの種のパンフレットが刊行されている。
 なお昭和一〇年一二月に発行された「中央公論」新年号には、「邪宗教は何故繁昌するか」と題して高島米峰が宗教を論じたのち、「(こひねがは)くば、内務省は、一大本教を検挙したるを以て足れりとせず、若干のインチキ性を具有するものに対しては、その既成教団たると、新興類似宗教たるとに論なく、一斉に検挙し、一網に打尽せられんことを、敢て切望する」と結び、同誌の二月号と三月号には村松梢風が「大本教亀山城妖怪物語」を連載した。また「日本評論」には「大本教とひとのみち」(大宅壮一・青野季吉)、「文芸春秋」には「大本教検挙の報道戦」、「改造」には「大本教検挙の考察」(高津正道)、「話」には「出口王仁三郎と大本教の信者達」、「婦人公論」には「時事総評─大本教再弾圧」(杉山平助)などが掲載された。また週刊誌「サンデー毎日」なども大本事件を取材し、世人の関心と話題は大本に集中し、大本は邪教であるとの風説が国内に行きわたった。こうした新聞報道はとおく欧米などにも波及してゆく。
 だが、なかには大本検挙に疑問を示すものもあった。たとえば「中外日報」(昭和10・12・12)はその社説で、「事有つて後動くは下々の策」とし、「大本教の大検挙はたまたま待設けた熟果を枝折つた観があり、二十万信徒の困惑を如何に明澈(めいてつ)すべきかは、社会的に見ても重要な問題だと考へる」とのべ、「検察当局は日頃果してどれだけの注意を払ってゐたか」と批判した。さらに昭和一一年一月一二日の社説には「宗教を知れ」として、当局を攻撃した。その社説には「宗教に対する支配者的意思が次第に明瞭化すると共に、その大筋の動きがどうであれ、それ自身に予定した一つの枠にすべての宗教を嵌込まうといふ意図が読める。……しかし、支配者がいかに新興既成一切の宗教を自分たちに都合のよい枠に嵌込まうとしても、決してその通りにならぬのが宗教といふものの本質である」とのべ、「今日まで往々試みられた支配者の宗教に対する取締乃至手入れには、殆ど滑稽としか見えないそれ自身の宗教的無知をバクロしたものが多かつた。そして今後もこんな調子で所謂宗教統制などを試みやうとするならば、その失敗はもとより社会的弊害の及ぶ所蓋し測知すべがらざるものがあらう」と批判した。同時に「気早なジャーナリズムの間には、それを忖度して輪に輪をかけたデマゴーグを飛ばし」とジャーナリズムの態度をも論難しているのである。
 新聞「日本」(昭和10・12・14)のように、「世間の一部には同教が、天皇機関説排撃戦に真摯果敢なる運動を為しつつあった事実等に鑑みるも、果して伝ふるが如き国体変革の不逞意図を包蔵するものとは想像されず、今回の検挙は多分に政治的意味を有するにあらずやと観る者もあり、何れにしても今後の取調べに依り『教義』の内容等も明瞭になるべく、之れが措置は各方面より頗る注目されてゐる」と当局の政治的意図をのべるものや、同紙の寸評「青眼白眼」のように、「国体不明徴の政界鰐を以て教界王仁の国体冒涜を摘刔せんとするは、畢竟是れワニの尻笑に終るなからんや。真人の臍に茶は沸く。大本教の審判に利剣を揮はんとせば、其人や秋霜烈日の至誠人ならざるべからず、岡田内閣は去りて之を後賢に委するを要す」とするものもあった。
 なお個人の立場で当局の大本弾圧を批判した人もあった。大社教の千家尊建は「中外日報」(昭和10・12.14)に、「潰すな、建てかへさせよ─大本事件につきて」という一文を発表した。また茅ケ崎で病気療養中の内田良平は、事件が起きて後も自宅の床の間に、はばかることなく王仁三郎直筆の観音像の軸をかけ、すこしもかわらない態度であった。そして王仁三郎にたいし、〝曇りなき月も獄屋に入る影の暗く見らるることの悔しさ〟〝世を挙げて罵る声の浅ましや正しき人を悪しざまに見て〟(内田良平遺稿『歌袋』)の二首を詠んでおり、さらに、昭和一一年一月二四日には『時代思想の顕現せる天理教と大本教』(B6判七八頁)を脱稿して、一〇〇〇部をひそかに刊行し、大本を弁護した。内田はそのなかで「歴代政府当局者は……自己の政権を維持する上に不利を感ずる如き場合にのみ、其の弾圧取締りを行使して憚からなかった」とのべ、当局の「無責任なる宗教取締」と卑劣な態度をするどく批判している。
 しかしこうした批判の記事や発言は、大本攻撃の記事・発言にくらべれば九牛の一毛にすぎず、それさえも当局によって圧迫された。たとえば「大日本新聞」の昭和一一年一月一七日号は、「大本教肯定擁護の記事」であるとの理由で発売禁止になっている(『文部省思想局資料』)。
 じっさいに大本事件の報道にたいする当局の態度は公正をかいていた。このころは、大事件に関する新聞報道は一定の期間、記事の差止めを命ずるのが通例となっていたが、第二次大本事件に関し、当局の弾圧に迎合する報道については、その態度をつらぬいていない。当局からいちおう各庁府県にたいし、「十二月八日検挙に着手したる大本教の不敬被疑事件」につき、当日「示達」をもって新聞記事の差止めを命じているにもかかわらず、全国の新聞がただちに大本事件の報道を相ついで大々的におこなったのを黙認し、しかもそれらの新聞には何ら事実上の処分はなされなかった。むしろ逆に大本攻撃の材料がつぎつぎと警察当局より提供された。そこには大本を邪教視せしめる悪評を社会にまきちらして、大本を社会から孤立させようとする意図がひめられていた。
※内務省警保局がおこなった新聞記事差止は、出版関係法令にもとづくものではなく、「当時における客観情勢より判断し、当該事項の報道が果して安寧秩序を害するや否やによって決定」し、行政運用上の手段としておこなっていたものである。実際に記事差止をなす場合、当該事項の軽重によって三段階に分類されている。
すなわち(1)示達(当該記事が掲載せられたるときは多くの場合禁止処分に附するもの)、(2)警告(禁止処分に附することあるやも計り難きもの)、(3)当該(掲載せざるよう希望するもの)であるが、第二次大本事件の新聞記事差止は、一番重い「示達」によっておこなわれたものである。
なお、第一次大本事件のさいも新聞記事の掲載が差止められたが、これは新聞紙法第十九条の「新聞紙ハ公判ニ付スル以前ニ於テ予審ノ内容其ノ他検事ノ差止メタル捜査又ハ予審中ノ被告事件ニ関スル事項又ハ公開ヲ停メタル訴訟ノ弁論ヲ掲載スルコトヲ得ス」により、大阪地方裁判所検事局が差止めたものであることを付記しておく。
〔写真〕
○はやくも午前5時には第一号外がまかれていた 大阪毎日新聞 東京日日新聞 p395
○しゃにむに大本を抹殺せんとする当局の意図が紙面にムキだしにされていた p396
○かくて邪教のイメージが社会にふかくきざみこまれた 社説 論評 特集 戯画…… p397
○関係者に両聖地が公開されたがそこには当局の手で卑劣な工作がほどこされていた 上 亀岡 下 綾部 p399
○新聞に呼応して雑誌がかきたてパンフレットがまきちらされ なさけようしゃなくペンの暴力がくわえられた 街頭にはんらんした雑誌パンフレットの一部 p400
○一部には当局を批判した報道もあったが…… p402

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