告発問題のため弁護団の態度が硬化して延期をかさねていた公判も、一〇月一八日(第七九回)開廷されて、いよいよ小野謙三検事による論告がはじまった。一八日・一九日と総論が述べられ、まず検事のみた「皇道大本の根本目的」が、主として大本文献の引用にもとづいてすすめられた。それによると「皇道大本の根本目的は立替立直によるみろく神政成就にある。王仁三郎が統治者となった時が神政成就なり」とし、その根本理由(根本教義)としてあげているのは、「(1)国常立尊の退隠再現説、(2)素盞嗚尊の神逐再現説」である。なおこれに「国常立尊退隠再現説・素盞嗚尊神逐再現説を結合し、所謂霊現移写の関係より説明せんとする説」をくわえているが、これらは「予審終結決定書」記載の犯罪理由を裏づけて説明したものであった。ここで見逃すことができないのは、検事が予審終結決定に「盤古大神即チ瓊々杵尊」、「国常立尊即チ大国主命」とある表現をとりあげず、霊界のことは現界に移写するという「霊現移写」の理論などから論述したことである。その論旨は、大検挙前に内務省側と京都府特高課と合同研究し、内務省側で作成した理論を支持したものであったといえよう。
立替え立直しの意義についてはつぎのようにのべている。「立替立直はみろく神政の方面より云へば、みろく神政成就の手段であり、一面みろく神政成就は日本の統治者の立替立直と同意なりと云ふことも出来る。而して立替は広い意味に於ては日本及世界の統治者を廃止し、現在の政治、法律、財政、経済、教育、宗教等総ての機構を破壊することを意味し、立直は右破壊後の修理固成即建設であり、之を具体的に云ふ時は、立直は王仁三郎が日本及世界の独裁君主となり、王仁三郎の考へ通りの政治を行ひ、日本及世界を平和幸福なる至仁至愛の世となすことを意味する」というのである。そして、昭和三年三月三日みろく大祭に藉口して国体変革を目的とする結社を組織したと論告した。
総論をおわって、一〇月二一日(第八一回)各論にうつり、各被告人が「不逞目的を認識」していたとして論述し、最後に、求刑をおこなった。王仁三郎は無期懲役、すみ・伊佐男は各懲役一五年、井上(留)・高木・東尾は各一二年、御田村・大深は各一〇年、森・桜井(同)・西村・桜井(重)・河津・藤津・広瀬は各八年、貞四郎・新衛・山県・中村(純)は各七年、土井・藤原・細田(市)・田中・国分(義)は各六年、その他は五年以下三年以上の懲役で、五六人の全被告人が有罪として求刑された。これで三日間にわたり合計約二〇時間におよぶ検事の論告がおわった。
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○公判の日を待ちかねて信者は廊下につめかけ出廷する聖師に面会した p529