ビキニの水爆実験以来、国際情勢は険悪の度をまし、平和をもとめる民衆のねがいもまた切実なものとなった。こうした大衆の平和への悲願を反映して、国内では、世界連邦運動と並行して原水爆禁止運動が全国的に展開され、これらの大衆運動は日ましにもりあがりをみせてきた。しかし一方では、一九五七(昭和三二)年五月に、イギリスがクリスマス島で水爆実験をおこない、八月にはソ連が大陸間弾道弾(ICBM)の実験に成功した。岸内閣は戦術原爆保有の可能性を示唆し、翌昭和三三年には、日米安保条約改定交渉開始とともに、憲法第九条の改正が現実の問題としてうかびあがってきた。九月にはソ連が核実験を再開して情勢は一段ときびしさをまし、平和運動にたいする当局の抑圧も露骨となるなかで、一日もはやく平和への足がかりをつくりあげることが、緊急の課題となってきた。
人類愛善会では一九五九(昭和三四)年二月二日に、亀岡天恩郷万祥殿で第九回委員総会をひらき、全機能をあげて「世界連邦国家宣言促進運動」をおこし、その実現のために一〇〇万署名を獲得し、あわせて「人類愛善新聞」特集号三〇万部を発行する旨を決議した。
人類愛善会の名によって大本が推進してきた世界連邦都市宣一言運動は、第一号綾部・第二号亀岡以来、足かけ一〇年で、北は北海道の根室から南は九州の喜界島にいたる一四五の都市が宣言した。県議会で「宣言」を議決したものも、岡山県をはじめ五県におよんでいる。また各地の青年会・婦人会・宗教団体・学生会・工場・会社その他でも、人類愛善会の推進による「団体宣言」・「職場宣言」がなされ、その数は五三にのぼった。このような実績にたって、人類愛善会総本部では、二月八日付のつぎのような懇請文を、首相、衆・参両院議長、両院全議員に送付した。
原水爆戦争による人類の破滅を避け、恒久平和を招来するためには世界連邦を実現することこそ最善緊急の道であるということは、いまや世界の指導的知識人がこぞって唱道するところでありますが、日本はこの歴史的事情および国際的立場よりして、その実現を推進すべき特殊な使命をもつものと確信いたします。この推進について、すでに岡山、富山、石川、長野、福岡の五県および京都市、広島市、金沢市などをはじめとする百四十余の自治体がそれぞれの議会において決議宣言している事実にも鑑がみ、日本国会は速やかに、世界連邦実現についての日本国宣言を決議し、もって日本の超党派的外交の大路線とすることにつき、積極的にご配慮賜わらんことを、二月二日開催の本会全国委員総会の議決に従い、懇請する次第であります。
世界連邦運動への国民の関心はしだいに高まり、新聞紙上では、朝日・毎日・産経・読売をはじめ、京都・山陽・四国・山形・中外日報等の地方新聞でも世界連邦をとりあげるようになった。「朝日新聞」はその社説で「世界連邦を日本の国是とせよ」「世界連邦を日本の外交の基本路線とせよ」などと強調し、また「世界連邦への道」という連続の企画記事を報道した。また一月二六日には湯川秀樹・茅誠司・前田多門・下中弥三郎・平塚らいてう・上代たの・植村環をメンバーとする「世界平和アピール七人委員会」が、「日本政府と国会はすみやかに世界平和日本宣言を発し、世界平和を希求する日本の基本方針を明確にすべきである」との勧告文を発表した。国会でも川崎秀二らによつて世界連邦の問題が発言され、海外ではバートランド・ラッセル卿やA・J・トインビー博士らによって、さかんに世界連邦の重要性が主張された。
このような情勢を背景として人類愛善会は、「世界連邦国家宣言促進運動」を決議し、二月二一日の世界連邦建設同盟総会に提案した。そしてその決議のもとに、請願署名の国民運動を展開し、政府および国会に請願することとなった。この総会で出口伊佐男会長は同盟の副会長に選出されている。
世界連邦建設同盟総会の当日、「世界平和アピール七人委員会」の湯川・茅・下中・植村らの四人は、岸首相・赤城宣房長官・福田自民党幹事長らと会談し、一月二六日の「勧告文」にたいする回答をもとめた。この会談の内容は湯川博士によって同盟総会で発表され、そのなかで下中から「世界連邦国家宣言の要望にたいし、首相もこれを諒とした」と報告された。また平和七人委員会からの勧告については、衆議院の議会運営委員会で二回にわたって議題となり、衆議院の外務委員会でも、社会党の大西正道(世界連邦日本国会委員)が岸首相にたいし質問をおこなった。
この年の六月一三・一四日には金沢市で、世界連邦平和都市第六回全国大会がひらかれた。宣言都市はすでに八県・一七一市町村にたっしていた。大会には知事・市町村長・議長・議員をはじめ関係諸団体代表・オブザーバーなど約五〇〇人が参加し、衆・参両院と政府に国家宣言の決議を要請すること、国家宣言の請願署名運動をおこすことなどが可決された。同時に大本北陸本苑で、第三回世界連邦全国婦人連絡協議会総会がひらかれ、湯川スミをはじめ東京その他各地から、代表およびオブザーバー約二五〇人があつまった。そのなかには大本婦人の参加もおおかった。
世界連邦国家宣言の早期実現を要請する全国署名運動は、世界連邦建設同盟・同日本国会委員会・同平和都市連絡協議会および人類愛善会の手によって、金沢大会後いっせいに開始された。とくに運動の提案者である人類愛善会では、七月を「特別運動月間」として署名目標数を一〇〇万とさだめ、「人類愛善新聞」特集号三〇万部の一部売りとともに、全組織をあげて運動にとりくんだ。
一ヵ月をへた八月六日の人類愛善会再発足十周年記念の会員大会では、署名獲得数一〇三万五〇〇〇人、新聞特集号の頒布三〇余万部と発表された。同年末までに、同盟・国会委員会・都市協など他団体であつめた署名数は二〇余万人、人類愛善会の分とあわせて総計一三〇万人にたっしている。これを、より有効に政府や国会に反映させるため、翌一九六〇(昭和三五)年二月一三日、東京で世界連邦建設同盟全国総会がひらかれるのを機会に、「世界連邦国家宣言促進デモ行進」がおこなわれた。あさ九時、東京駅横の常盤公園に、各府県代表・人類愛善会代表ら約二〇〇人があつまった。一行は幟やプラカードをもち、署名簿を担架につんで、出口伊佐男人類愛善会名誉会長、出口栄二同会長(昭和34・8月改選)、牧野虎次、山田節男・赤松常子参議院議員、湯川スミらを先頭に、呉服橋から八重洲口-数寄屋橋-土橋をへて、衆・参両院にむかって行進した。両院の玄関には、世界連邦日本国会委員会のメンバーが出迎え、請願代表団は、中村高一衆議院副議長に面会して請願文を読みあげ、一三〇万人の請願署名簿を手渡した。副議長は「私も世界連邦主義者ですから、全力をあげて努力します」と約束した。
その後も、人類愛善会および建設同盟の理事、国会委員会のメンバー、在京の世界連邦主義者たちは、政府ならびに国会の各機関に、何回にもわたって波状請願をつづけた。
〈宇都宮憲爾の訪欧〉 一九六一(昭和三六)年七月、ウィーン大学でひらかれた世界連邦主義者世界協会の第一〇回総会には、日本代表団の一人として宇都宮憲爾人類愛善会岡山県連合会長が出席した。この大会には世界二七ヵ国から約三〇〇人の代表があつまったが、日本からは片山晢元首相・三木行治岡山県知事ら二〇余人の代表が参加した。この総会では、日本代表の提案により、世界連邦主義者世界協会の会長に湯川秀樹博士を推薦することが満場一致で可決され、さらに次の第一一回世界大会ならびに同年次総会を日本でひらくことを決定した。宇都宮は総会後、欧米一一ヵ国二〇都市を歴訪し、世界連邦運動を推進するとともに、人類愛善運動にもつとめ、五〇日間の旅をおえて帰国した。
〔写真〕
○人類愛善会は運動の手となり足となって大衆のなかへ連邦思想を浸透させていった p1129
○人類愛善会は各地で講演会をひらき民衆を啓蒙した 東京 山ロホール p1131
○100万署名を達成し世界連邦国家宣言の国会請願をおこなった 請願行進の人類愛善会名誉会長(中央)と会長(右)左端は赤松常子参議院議員 p1132
○民衆のねがいをこめた130万の署名簿 p1133