蓬髪独立論 度変窟稿
或人王仁に謂ふて曰く。古人曰ふ。聖人は物に凝滞せず。而て能く世と与に推移す。子何ぞ少しく世と推移せざる宜く以て髪を断ず可しと。
王仁危坐し而て答て曰く。子の言甚だ高きに似たりと雖も。然も其見の何ぞ浅きや。抑も物に凝滞するは。固り不可なり。然り而て世と与に推移する者。亦た大に不可なり。仮設当世は邪悪且つ淫風に充つ。即ち子は能く当世と与に推移する乎。曰く敢て能くせざるなり。王仁曰く子且つ敢て能くせず。而て況んや聖人に於てをや。然らば則ち古人の言皆言ず可らざる乎。曰く然らず信ず可き者有り。信ず可らざる者有り。要は只其意を取るべき耳。夫れ物に凝滞せざるは。蓋し邪曲に凝滞せざるの謂なり。能く与に推移する者。蓋し能く善に推移するの謂なり。豈邪風に凝滞し悪習に推移するの謂ならむ哉王仁の結髪朝日新聞評して元始的なり北海道の熊祭りにビリカメノゴを謳ふ人に似たりと謂ひ終には王仁にビリカメノゴ君の異名を附与す。王仁に於ては寧ろ光栄とする所なり。然りと雖も王仁の結髪たる則ち何ぞ推移に関せん乎。抑も王仁が結髪する所以の者五あり。是れ断髪す可らざる故なり。人霊は頭脳中に鎮居す。故に頭毛と称す。曰く髪。髪は即ち神の謂なり。神髪何ぞ断ず可けん哉。是れ断ず可らざるの第一義なり身体髪膚之を父母に受く敢て毀傷せざるは孝の始なり是れ断ず可らざるの第二義なり。王仁幼にして父の教戒を受く。是れ断ず可らざるの第三義なり。王仁結髪する者固より神魂愛養の主旨に出づ。是れ断ず可らざるの第四義なり。黄昏人色を弁ぜざる時。常に自ら之を結ぶ。光陰と金銭を消費せざるの利益あり。万一之を断ぜん乎。則ち屡々光陰と金銭とを消費す忙窮王仁の能はざる所。
是れ断ず可らざるの第五義なり。此の五不可断義有り。奚ぞ猥りに断ず可ん哉。或人又曰く。子の結髪の理由は既に命を聞けり敢て問ふ。子は斯くして汎く世人と交はらざるは何ぞや。曰く世人多くは奢侈を好む。
予独り節倹を好む。世人多くは異端を好む。予独り正道を好む。世人多くは淫風を好む。予独り正義を好む。世人多くは不信を好む。予独り誠信を好む。世人多くは不忠を好む。予独り忠を好む。世人多くは不孝を好む。予独り孝を好む。世人多くは文冥を好む。予独り文明を好む。世人多くは怪化を好む。予独り開化を好む。世人多くは不仁なり。予独り甚だ之を悪む。是れ予の広く世に交はらざる所以なり。蓬髪豈独立を好まん哉。蓋し止むを得ざるに出づるなり。
(「敷島新報」大正四年一月十五日号)