霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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皇典釈義 1/5

インフォメーション
題名:皇典釈義 1/5 著者:出口王仁三郎
誌名:神霊界 掲載号: ページ:3
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-09-05 05:57:22 OBC :M192919180815c011
皇典釈義
本書所載の記事は言霊学者中村孝道氏の所説と、故大石凝(おほいしごり)翁著天地(てんち)はえ(ぬき)の巻を参酌(さんしやく)し、()つ王仁が永年研究したる言霊学の意義をも加え、以て本巻を成したるもの也。
 大正七年八月八日 皇道大本
出口王仁三郎
皇典釈義例言
一、本書は、神典の極めて大綱概要を釈義する者なるが故に、詳細なる意義は尽さざる所(すこぶ)る多きを免れず、読者()し疑義の点あらば必ず(これ)(ただ)すべし。著者は決して之が回答の労を執るに(やぶさ)かならざるべし。
二、本書には、仏教専用の熟語、(もし)くは聖書類似の語句を使用したる所(すくな)からず。これ全く止むを得ざるに出たり。我国には高速なる思想を発表するに適したる術語は、仏教専用の者を(おい)て他に之を求むべからず。無理な新熟語を使用せむよりはとて採用したる次第也。読者(さいはひ)に諒之──言霊学より()ヘば純粋の日本語にて、奈何(いか)なる高遠なる思想をも謂ひ現はし得べき語あるも、(はじめ)て聞く人には(あたか)も外国語を聞くの感あるべし。()(にはか)に使用すべからざる所以(ゆゑん)也。されど間々この言霊を使用せし所あり。吾人は我国の学者が言霊学上の術語を多く使用するに到らむ事を切望する也。
三、神典の仮名遣ひは厳なるが上に厳也。本書も(また)厳格なる仮名遣ひに従はむ事を欲したるも、現今の活字ルビ等には発音を適当に写したる仮名字なし。故に若し厳格に仮名遣を正さむならば多数の活字を新調せざるべからず。印刷部もこれに耐へざるを以て、一時在来の活字の(まま)を採用し、(あるひ)は伊邪那岐、伊邪那美の伊にの仮名を充て魂にタマシ「イ」を天地逆様にした文字。の仮名を充てたる等、多少の用意を(かすか)に見せたれど、本書は専ら仮名遣を放棄したる者たる事を深く読者に訴へ置く者也。
四、現代に於ける我国著名の学者も、神話と宗教と歴史との三者の関係上に種々の故障を認めて、祖先崇拝に説を止むる者多きも、大日本国の神典は神話即ち歴史にして、歴史即ち宗教なり。この天地一貫の大真理大事実を究むるにあらざる限りは、大日本神典は(にはか)に説くべきに非らず。日本の神話は希臘(ギリシヤ)の神話に同じからず。日本神典は権威(とぼし)き自覚上の宗教とは同日に論すべからず。
五、(あるひ)は言語学上の立場よりして言霊学を疑ひ、原子説より天津(あまつ)神算木(かなぎ)を無視せむとする論者も出でなむか。言霊説は現今のヱネルギズムに一大光彩を添えしめ、天津金木は(かへつ)て原子動説の根元を顕示する也。(もし)()れ人類起源説の如き進化論学者の深く三省すべき所なりとす。(いたづら)に西人の憶説にのみ執して、我が国固有の記事を忘却すべからず。天文地文上の所説の如き、今回は之に謂ひ及ばずと(いへ)ども、(これ)(また)学者の(つと)に研鑽に従事すべき重要事件たりとす。


皇典釈義
斯乃邦家之経緯
王化之鴻基焉
第一節 全大宇宙
⦿この全大宇宙は、全一大御神の御精霊体也。祈年祭(としこひまつり)、大祓等の祝詞に(いはく)、「高天原(たかあまはら)()(かみ)(つまり)(ます)(すめらが)(むつ)神漏伎(かむろぎの)(みこと)神漏美(かむろみの)命、云々」高天原とは全大宇宙也。『第三節参照』 (かみ)(つまり)(ます)とは神(つまり)坐の意にて、全大宇宙には神が充塞遍満して、霊々(びりとも)極乎(せぬ)たる義なる也。即ち全大宇宙其儘(そのまま)が全一大御神の御精霊体なる也。全一大御神の御精霊体の外に宇宙無き也。全一大御神の御精霊体は、御霊(みたま)御体(からたま)との二つに分れたり。神漏伎命とは御霊系の神々也。神漏美命とは御体系の神々也。『第二節参照』 共に我が(すめら)御祖(みおや)(がみ)にましす也。全大宇宙(たかあまはら)は即ち霊、体、一体の全一大御祖(あめのみなかぬしの)(かみ)にまします也。『第二節参照』
(つまり)(ます)を神(しづま)(ます)の意に解し、高天原といふ地名の霊所に神が鎮坐(しづま)りますの義とするは大なる誤り也。
第二節 天御中主神 ⦿の声 言霊学
⦿古事記に(いはく)天地初発之(かみよがなりたつ)(とき)、高天原成神名天御中主神、次、高御産巣日神、次、神産巣日神、此三柱神者、並、独爾成坐而隠身也読み下し文「天地(あめつち)初めて(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。」(岩波文庫『古事記』p18から引用)。「天地初発之」のフリガナ「かみよがなりたつ」は底本(皇典釈義)通り。」 天地初発之時とは、神代が成り立つ時の事也。高天原(たかあまはら)とは、全大宇宙也。『第三節参照』 独神とは三神一体(こころ)也。国語に()みて⦿()といふは『⦿字を用ゐたるは別に説あり』終始を超絶したる天爾の実在を示したり。隠身とは霊々妙々至極にして、聖眼不能視之、賢口不能(なんともいふことのできぬ)語之(こころ)也。国語に()みてスミキルといふは、()()るの意にて、隠身の意義を完全に発表したる(ことば)也。『後の註参照』 高御産巣日神は御霊系の御祖(みおや)(がみ)『神漏伎系の御祖神也』神産巣日神は御体系の御祖神なり。『神漏美系の御祖神也』 天御中主神は即ち霊、体一体の、全一(おほ)御祖(みおや)(がみ)にまします也。
⦿()といふ声は支那始め外国には決して無し、(したがつ)て漢字にての音に充つる字無し。独神と充てたるは元より当字(あてじ)也。⦿()(すべらぎ)極元(こもと)也。⦿()の一音は解するに(ことば)なし。無始無終といふも全意を尽さず。絶対といふも当らず。至誠無息『中庸の語』上天之載者(ことば)無声無臭至矣『同上』といふも符牒となる。⦿()なるが故に三世(かきは)常往(ときは)スミキリ也。⦿なるが故に、無辺周遍のスミキリ也。不生不滅、不増不滅、至大至小、至大無外、至小無内の極徳也。活機極烈なるが為めに、静寂不動なる⦿の一音に一切の神の御精霊(みこころ)は含蓄されたり。⦿を発足点として宇宙間に充実する(ことば)を、『音声、語訓、語法等が宇宙を経綸造営するもの、これ即ち神の道也』研覈(けんかく)するが言霊学(ことたまがく)也。(こゑ)即ち(こころ)なるが故に、言霊学を研鑽すれば霊界の道理を詳細に拝承する事を得べし。『第四節参照』言霊学は古事記に因らざれば決して之を究むる事能はざる也。古事記全巻、言霊学の宝典也。『本書には言霊学を説かず志ある士は専門に之を修めらるべき也』
第三節 高天原
⦿全大宇宙を高天原(たかあまはら)と称す。(けだ)し高天原の意義はタカアマハラの六声之を完全に発表する也。タとは即ち対照力(たたのちから)の義也。東は西に対し、南は北に対し、陰は陽に対し、動は静に対し、明は暗に対し、顕は幽に対し、生は死に対す。『の一音あるが故に高御産巣日、神産巣日の二系成立せし也』六合、八角、八荒に皆悉くこの対照力(たたのちから)起りて、至大浩々恒々たる至大気海を全く張り詰むる時は、茲に(はじめ)(たま)の形(あら)はるる也。蓋し(たま)といふ二声(ふたこえ)(こころ)は、対照力(たたのちから)が全く張り詰めて成り(さだ)まりたるなりといふ(こころ)なり。かく全く張り詰めたる億兆劫々、数の限りの対照力(たたのちから)は、皆悉く両々相対照して其中間を極微点(こごこ)連珠糸(さぬき)にて掛け貫き保ち()るなり。此(こころ)を声に(あらは)して(対照力())(掛貫力())(神霊顕彰而為宇宙())(全く張り詰め玉と成る()「対照力」全体に対して「た」、「掛貫力」全体に対して「か」、「神霊顕彰而為宇宙」全体に対して「あ」、「全く張り詰め玉と成る」全体に対して「ま」とフリガナ。といふ也。又この極微点(こごこ)連珠糸(さぬき)なす神霊元子(こえのこ)が、活機臨々乎として活動し居る(こころ)を称して、一言に(神霊活機臨々())といふなり。又その膨脹焉して至大凞々たる真相を、一言に(至大凞々())といふ也。又その造化機が運行循環しつつ居る(こころ)を称して、一言に(循環運行()「神霊活機臨々」全体に対して「あ」、「至大凞々」全体に対して「は」、「循環運行」全体に対して「ら」とフリガナ。といふ也。かくして全く至大天球(たかあまはら)成就(なりたち)(をは)(なり)(けだ)タカアマハラ六声の(こころ)は、(対照力())(掛貫力())(神霊顕彰而為宇宙())(至大球成就())(至大凞々())(循環運行())の(こころ)也。これ造化開闢の極元(こもと)なり。『高天原をタカマノハラ又はタカマガハラと()むは誤り也』
神代(じんだい)神楽(かぐら)(おきな)三番(さう)(うた)に、タータータラーリ、タラリーラー、タラリ、アガリ、ララーリトー、チリーヤ、タラリ、ララリトウー云々と謂ふは、この神秘を誤り伝へたる者也。
第四節 至大天球中の修理固成 魂線 識心
⦿御霊系の御祖(みおや)(がみ)、高御産巣日神、御体系の御祖神、神産巣日神がこの高天原の内実(うち)を、修理固成せむの目的にて、御容(みすがた)誘導霊(ゐざなぎの)誘導霊(ゐざなみの)神に変じまして、秩序昭々として、万有を産み顕はし玉ふ、古記事(いはく)「於是天神諸命詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神修理固成是多陀用幣流之国賜天沼矛而言依賜也読み下し文「ここに天つ神(もろもろ)(みこと)もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「この(ただよ)へる国を(をさ)(つく)り固め成せ。」と()りて、(あめ)沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。」(岩波文庫『古事記』p19から引用)」伊邪那岐命は、即ち霊系(高御産巣日神の御系にましまして、伊邪那美命は即ち体系(神産巣日神の御系)にまします也。伊邪那岐命、伊邪那美命()至大天球之中(たかあまはら)を、(あまね)く修理固成して、宇内(〓〓〓〓)フリガナ4文字が読めない。系統(しすてむ)を大成し玉ひ、万有の(もと)となるべき者を、(ことごと)く産み顕はし玉ふ也。霊系(天系)と体系(地系)との、()ムスビの複雑なる()振舞(ふるまひ)()りて、この宇内の一切は、成就しけるなり。宇内経営とは、即ち天御中主御祖神の、御精霊(みこころ)御霊体(みすがた)とを、顕はし示し玉ふ意義(こころ)也。
言霊学よりこの二神の御振舞を解し奉れば、伊邪那美命は鳴り鳴りて鳴り合はざるの声─即ちーの声、伊邪那岐命は、鳴り鳴りて鳴り余まれるの声─即ちーの声『人(ためし)にアー、ウー、を発声し見よ、必ずア声は、いかに鳴るとも、鳴り合はぬなるべく、ウ声は必ず口内一杯に余つて、出づべきに』この「ア」「ウ」の二声を各分持ち玉ひ、一切の声を産み出し玉ふ事を説く也『(けだ)し男女の通有倫理は夫唱婦和が大道たる事、伊邪那岐命伊邪那美命の国産みの条にて明かなる也(女人(をみな)先言(まづいふ)不良(ふさはず))これ千古の格言なる也』一切の音は「ア」「ウ」の二声に基く事は言語学を修めたる人ならば、皆知る所なり。其の産み出し方(ならび)に、秩序の厳乎たる事は、言霊学を専攻して後、之を精しく知らるべし。大事忍男神より次下(つぎしも)は、語典語則を説きて、雑複に趣く也。龍田(たつた)の風神の吹き廻しの如き(龍田の神の宝物に黄金のタタリといふあり、タタリは、糸を()る器械也)糸を繰る如く、活用を自在に説く也。心の数のある限りは、言語(ことば)あり。言語の変化のあるだけは、心識(こころ)ある也。この心の糸を玉の緒といひ、或は魂線(たましひ)といふ。宇宙は即ち、魂線(たましひ)が複雑に実相経綸され居る所たる也。魂線(たましひ)を声の活用と見るが、言霊学にて、魂線(たましひ)を、糸筋(いとすぢ)と見て詮鑿(せんさく)し奉るが、天津(あまつ)神算木(かなぎ)の運用也。之れ古事記研究の二大分科也『本書には、天津神算木の運用を説かず志ある士は、特に之を専修せられよ』
「伊勢大神宮の御宝物として、虚空(そら)(いろ)(きぬ)を織りかけにして、()を二ツつなぎて神宮に納め、重き御宝物と為し玉ふ所以は、衣食を重むじ給ふ者也といふは、第二なり。その真意義は、細長線(しのいと)なす霊魂(たましひ)が、世に組織して劫大約(おほつな)年月(としつき)に渉りて、新霊(あらたへ)温霊(にごたへ)を織り成し玉ふを、寓意し玉ふ者なりと知るべし」
古事記は、魂線(たましひ)の数を、七万六千幾十条(かぞ)ヘ(尚ほ、四十二億幾千万の計精あれど、人力にては容易に出来ず、大嘗会に真木の灰三十六石を使用する、神秘重々あり)一々に条理(すぢ)を正して之を整ふる仕方を説く也。(すぢ)(のり)(ゐや)(みち)の事は、後に説くべし。宇宙間の組織(できておる)紋理(あやすぢ)─即ち魂線(たましひ)条理(いとすぢの)活動(はたらき)(音声の実相変化(なりたち))─直言すれば、大御神の、造化御経綸(よをいとなみたまふ)の御有様を、拝承し奉るが、神典の根本義たる也。故に研究に従ふ者は、誠心誠意敬虔の態度を以て慎みて学ぶべき也。
人の心は、魂線(たましひ)の作用なるが故に、心理作用を現はす国語には多く()(たま)等の語多し。二三の例証を挙ぐれば、球之緒が覚約(をぼえしまり)()茫漠(ろか)たるを(をろか)といふ也。此球之緒が対照する力なく、流れ居るを(をそれ)といふ也。球之緒が轟くを(をどろ)くといふ也。此球之緒が物に渋り着きて、放ち与ふるを嫌ふを、吝嗇(をし)(をし)むといふ也。此球之緒が物事を種々索量するを思ひといふ也。此球之緒に水の垂る如き刃を見せて心に()ゆる火を消ゆるべく冷やすを(をびやかす)といふ也。此球の緒が()えゆくを突き戻るべく怪事(はかりごと)(をどす)といふ也。此球の緒が無力者にては有力者に会ふ時は恐縮する也。この恐れ縮むを(をぢ)るといふ也。此球之緒が円成(なりかたまり)したる身を(をれ)といふ也。球之緒が夢に邪気(もの)(さは)らるるを(をさは)るといふ也。又()はるるを心襲(をそはる)といふ也。球之緒を他に見せずして(おのれ)勝ち得むと謀る者を専醜(をずし)といふ也。此球之緒が欠損に成りたるを(をくる)といふ也。球之緒が恐れて身に添はず、消え離れなむとするを魂消(たまげ)といふ也。是よりして恥を忍びて厚顔に物するを緒萎(をめ)緒萎(をめ)といふ也。此球の緒の力強きを緒力(をじから)強しといふ也。耐忍力(をしから)強しともいふ也。胆太(いぶと)忍耐力立(をしたつ)といふ也。球之緒が栄を失ひ締を失ひて鈍弛(とろろぎ)なる事するを緒弛(をとろふ)といふ也『衰の字を用う』此球の緒の強き人は豪胆也。故に緒太(をぶと)しといふ也。格式を解放してたはむるるを(をどけ)といふ也。小女の類が気兼して誠にさしひかへ慎み居るを緒細子(をぼそこ)といふ也。俗にをほこといふ。(此類の「を」は皆「を」と書くべきを「お」と書き居るは誤也。正すべき也)又その球の緒が、既に興りて心と成り、声と鳴り出で、色に顕れば、(かたち)造りて眼に入り、耳に入る由縁の、道筋に染み付き居る物を、(さが)といひ()れ込み居る物を(をぼえ)といひ飛び走り出むとする所を(こころ〓〓)フリガナの最後2文字が読めない。『素盞嗚尊と近江の神々』p19ではフリガナが無い。といふ也。又飛走せ出ずして内に集ひ居る所を(おもひ)といふ也。又此球の緒照り(とほ)る所を(さし)といふ也。蓋し智量(てり)は其全体(まるみ)也、純精(すみこ)也、(さし)は世の形象(ありさま)が、人の五官に(さし)(あた)りあふ活用(はたらき)也。此活用(はたらき)が、六識、七識、八識、九識、と成りて、事、明細に心の形象を顕し示す也。而して其数は七万六千七百二十九の品を顕はすなり。
宇宙創成に関して、(ここ)に古事記の天文地文説を陳ぶべき順序なれど、古事記の天文説は現今の天文説とは(すこぶ)(おもむき)を異にし之を詳細に説く事は、一巻の書物を要する程なり。さりながら、之を簡単に説かば、読者必ず迷惑して、(かへつ)て誤解を招かむのみ。タカアマハラの六声の「ラ」の一声が宇内に三倍輪の螺旋順行を生じて地底より天底ヘ向ふ気と、天底より地底に向ふ気の摩擦作用によりて、神霊元子に波動を生じ、この波動の、極烈なると遅鈍なるとの関係より、日月星辰の生じ成る理由は、現今の星霧説等の遠く及ぶべき所にあらず。此波動の極速と遅鈍の別あるより、次の四魂(しこん)の分類は成立する也。
第五節 四魂 五母韻
⦿()魂線(たましひ)を其活機(はたらき)に因て、四分類し。(くし)(みたま)(あら)魂、(にぎ)魂、(さき)底本でフリガナは「さち」ではなく「さき」になっており、そのままとした。と申す。魂の奇しき部を奇魂と申し、魂の荒き部を荒魂と申し、魂の(にこや)かなる部を和魂と申し、魂の()ぬるが如き部を(さき)魂と申す。この四魂の外御精霊体に残部ある事なき也。四魂がこの世を成就しける也。幸魂の御始祖は国常立神也。和魂の御始祖は豊雲野神也。荒魂の御始祖は角杙(つぬぐひ)活杙(いくぐひ)底本では「角材」「活材」で、「杙」ではなく「材」になっている。也。奇魂の御始祖は意富斗能地(おほとのぢ)神、大斗乃弁(おほとのべ)神也。宇比地邇(うひぢに)神、須比智邇(すひぢに)神は、統治の位にましまして、一霊を代表し玉ふ也。又魂称を奉って(いく)(みたま)と申す也。この四魂は、霊系高産巣日神、体系神産巣日神が、相互の御交通に()りて出でませし也。即ち「霊の霊」「幽の幽」「霊の体」「幽の顕」「体の霊」「顕の幽」「体の体」「顕の顕」の意義也。活魂は即ち霊、体、一体の神位たる也。
この四魂を言霊によりて説けば
口を一杯底本では「抔」に、()きて、咽の奥底より呼気を吹き出すべし、この時、必ず「あー」と鳴り出づべし、「あ」声は如何に鳴らすとも常立(とこたち)にして変化(かはり)なし、故に「あ」声を称して国常立(くにのとこたちの)神、国底立(くにのそこたちの)神と申す也『伊邪那美神はこの声を受持ち玉ひて宇内の修理固成に出でます也』「あ」声を出しながら、漸次口を(つぼ)めて、(くちびる)(まさ)(あひ)会はむとする時に、自然に鳴り出づるは「おー」なり、気息口内に淀みて口(まさ)に組うと為す時に、出づる声なるが故に豊雲野神と申す也『又名は国狭土神と申す』「お」声を出しながら口を全く塞ぎ切る時、自然に鳴り出づるは「ウー」なり、故にウ声を宇上比地邇神底本では「上」の字が無いが、後に出て来る説明に「宇の下に上点を施し」とあるので「上」を挿入した。と申し『此ウ声には充つべき文字なきが故に今烏字のウを取りて之に充てたり』又「ウ」声を強く呼んで其極に達せしむれば、自然と「すー」と鳴るべし、故に「す」声を「ウ」声の妹神(いもがみ)須去比智邇神と申す也『宇比地邇神の宇の下に上点を施し須比智邇神の須の下に去点を施したるは、音の上り行くと、音の下り行く標点也。アクセントを現はす也』又「ウ」声を呼びながら、舌()て、下顎を、突きて、(くひ)の如く喰ひ入らしむれば『塞ぎ切りたる目を一転して裏に開く形也』自然に「ゑー」と鳴るべし「ゑ」声を強く呼んで其極に至れば、舌自から転じて上顎に、杙の如く喰ひ入り「れー」と鳴るべし。故に「ゑ」声を称して妹活杙神と申し「れ」声を称して妹活杙神と申す也、又「ゑ」声を呼びつつ、全く口中の気息を転回し、圧し尽す時は、自然に「いー」と鳴るべし、い声を強く呼んで其極に至らしむれば、自然に「ぎー」と鳴るべし。これ声の大なる止りの父、大なる止りの母なるが故に「い」声を称へて、大戸邇神と申し、「ぎ」声を称へて大戸辺神と申す也。かくして「あ」「お」「ウ」「ゑ」「い」の五声『大母音也』成就する也(命ミコト御言(みこと)也)
あおウゑいと順列すべきを、普通にあいうゑおと順し居るは大なる鄙事(ひがごと)にして、世界乱雑の基也。律呂に合せず声調を破る、速に訂〓一字脱落。『素盞嗚尊と近江の神々』p24でも一字空いている。改むべき也。
「あ」「お」「ウ」「ゑ」「い」を口より鳴り出さしむる形式(さま)と、高御産巣日、神御産巣日二神(ふたかみ)の右に螺旋してまひ昇り玉ひ、左に螺旋してまひ降り玉ふ御行為よりして、水精、火台等の生づる摩擦運行の摸様と、全く同一(ひとつの)形式(かた)たる也。実に此宇宙には先づ最初に「あ」「お」「ウ」「ゑ」「い」の五大音声充実して鳴り渡りける也。此音声今も虚空に満ち〓ちたれども『素盞嗚尊と近江の神々』p25では「満ちたれども」。、余に大なるが故に人の耳には感ぜざるのみ。此の五大音声が根元を為して無量無辺の音声を生じ、森羅万象一切は成立する也。此五大音声成立の全面を称して面足神と(まを)し奉り、一切の語源に立ち渡らせ玉ふが故に、阿夜可志古泥(あやかしこね)神を妹とは為し玉ふ也。(⦿と母韻との関係は大切なれど略す)
故れ大皇国の言霊を磨き極め照り徹す時は、ありとあらゆる物事の産霊(うむすび)を説き尽くし、其大造化の実相を知り得るのみにあらず。極典古事記を天地火水の天造之(あまつ)神算木(かなぎ)に掛け行ひて千坐(ちくら)置坐(おきくら)に置き足らはし尽しつつ、満涸(みちひ)の球をつかひ奉る事、高良(こら)玉垂(だまたり)の神の如くに至るべし。是に於て天造之(あまつ)法言(のりと)天真地真物真(ふと)法言(のりと)を宣り尽す時は、大祓の辞の真相(まこと)は現はれて、天津神国津神はその道々より神つどひに集ひ来り玉ひて、天造之(あまつ)(まこと)の事柄を明に顕はし示し玉ふ也。かくてこそ誠に尊く奇霊(くすし)き人の位を天樋形(あめひがた)奇樋形(くしひがた)に事ヘ奉る。今も神代の真実は明に行ひ立て顕はし得べき也。是誠に神人一致、祭政一致、顕幽一致、億兆一致、古今一致、幾々却大約(おほつな)の御代を唯一年の如く、唯一日の如く、唯一代の如くに立ち渡らせ玉ふ、天津日嗣の大皇儀の真が、極乎恒々(として)常立(とこた)ち玉ふ(もとい)也。
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