霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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皇典釈義 5/5

インフォメーション
題名:皇典釈義 5/5 著者:出口王仁三郎
誌名:神霊界 掲載号: ページ:35
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-04 03:37:09 OBC :M192919180815c015
第二十四節 神倭伊波礼彦天皇の本義
⦿神倭伊波礼彦尊と称し奉る御名の義は、神其儘(そのまま)大和の国に豊御食(とよみけ)()こし()す。主として上件説く所の、天津御祖神の(もろもろ)(いは)れを、真具(まつぶさ)(きき)()賜ひつつ、天津日嗣に継ぎ渡らせ賜ひて、幾々億兆万々劫代底本では「劫」ではなく「却」だが誤字であろう。以下、同じ誤字が何ヶ所かあるが「劫」に直した。を唯一代の如くに神を祭り、世を政り賜ふ、天津誠の(いは)れを、若返り若返りつつ知ろしめし賜ふ彦御子(ひこみこ)也と(まを)(こころ)也。()れ此(いは)れ彦の尊を称し奉る御名の中には、幾々、億兆、万々、劫代の大御代が厳張極(いはれ)(こもり)り賜ひて、(また)幾々、億兆、万々、劫々の後の御代御代を、醸し賜ふ一切の(いは)れを保ち賜ふ也。又若御食主(わかみけぬの)尊と(まを)し奉る御名の(こころ)は若返り若返りつつ大御食(おほみけ)を聞こしめす大主(あるじ)と成りつつ、億兆万々代渡らせ玉ふ(こころ)也。又豊御食主(とよみけぬの)尊と称し奉る御名は、其の幾々億兆、万々劫々代を若返り若返りつつ知ろしめしし、御代御代を(とよ)めて御一代の如くに御食(みけ)を聞こしめす、御主に渡らせ賜ふ(こころ)也。
日本建国の由来、実に此の如く夫れ淵遠也。尊厳也、深厚也、神倭伊波礼彦命に神武天皇と申す漢字(からざまの)(みな)を奉り、御一代の如くに解し誤り、我邦の紀元は二千五百幾年也なぞと称し居るは、皇国の歴史を解し得ざる愚輩也。
大和御征討
⦿神倭伊波礼彦天皇の大和御征討は、天上の霊理(すぢ)に対する大御威徳の発揮也。地上の罪悪に対する大膺懲也。人身に於ける根本の穢を去り賜ふ也。『人生は百三十七才までは必ず生存力ある者との決定を与へ給ふ』故に征討の事終るや、鳥見山(とみのやま)霊畤(まつりのには)「畤」は底本では「(田=寺)」を建てて(はるか)に大孝の本義を行ひ給ふ日本書紀神武天皇四年二月条に記された事蹟。。神倭伊波礼彦天皇は即ち高祖高宗の御霊徳を実践窺行し賜ひて後世千載の為めに一切の範を垂れさせ賜ふ也。
神日本伊波礼彦命の御武勇なりしは皆人の知る所なれば史実に譲りて之を謂はず。蓋し勇は御剣の御徳也。御武勇の御発作は宇宙静平の御志に出でたる也。「葦原中国者伊多玖佐夜芸帝阿理計理」との御逆鱗に発せし也。「平聞看天下二政(あめのしたのまつりごとをばたひらけくきこしめさむ)」の大御慈悲に発せし也。其の御武勇は即ち天上御祖神の稜威御発揚の外に何物もなかりし也。天上御経綸の実を地上に示さむの御志にましませし也。其の御武勇の己に出でずして天に出で、其の御征討の地上整理と共に、天上霊則の真釣りに出でしが為に、神勇神武一身に集めて、天軍神兵の向ふ所真に光気の八荒に渡るが如きものありし也。陛下の御武勇は後世の列聖皆之に範を撮り賜ひし也。日に向つて闘ひしを悔い賜ふ如き、何ぞそれ敬天の御聖慮の深かりしや。
神勇神武の大根源
天地の大経綸を阻害する行為を憤りて、絶大の精神を傾注し之を排去せむとするが大武勇の根本たる也。畏れ多き事なれども爰に天祖か○○にて昇天する須佐之男命を待ち向へさせ賜ふ時の御武勇の御有様を記し置くべし。
「即、解御髪、纏御美豆羅而、乃於左右御美豆羅、亦於御鬘底本では「(髟ー曼)」、亦於左右御手、各纏御持八尺勾総之五百津之美須麻流之珠者、曽毘良邇者、負千入之靭、附五百入之靭、亦所取佩伊都之竹鞘而、弓腹振立而、堅庭者、於向股踏那豆美、如沫雪蹶散而、伊都之男建踏建而、待問云々読み下し文「すなはち御髪を解きて、御角髪(みみづら)()きて、すなはち(ひだり)(みぎ)御角髪(みみづら)にも、また御鬘にも、また左右の御手にも、(おのおの)八尺(やさか)勾璁(まがたま)五百箇(いほつ)御統(みすまる)(たま)()き持ちて、(そびら)には千入(ちのり)(ゆぎ)を負ひ、ひらには五百入(いほのり)(ゆぎ)を附け、また稜威(いつ)高鞆(たかとも)を取り()ばして、弓腹(ゆはら)振り立てて、堅庭(かたには)向股(むかもも)()みなづみ、沫雪(あはゆき)()(くゑ)(はらら)かして、稜威(いつ)男建(をたけび)()(たけ)びて待ち問ひたまひしく」(岩波文庫『古事記』p32から引用)
何ぞそれ御武勇なるや。
古事記は一大兵法書也
古事記全巻(ことごと)く、神軍の大兵法を伝へたるものと見る事を得べし。兵法の奥義は伊邪那岐命が伊邪那美命を黄泉国に追ひます一条に秘められ、後に建御雷男神が天孫御降臨の先駆を為し賜ふ時も、この兵法の秘事を行ひ賜へり。神武天皇の巻に八咫烏を遣はすといふ一条の兵法は正しく同様の奥義にして、()ほ神功后皇の三韓征討の一条に、真木灰(まきのはいを)納瓠(ひさごにいれ)底本では「(瓜ー夸)」云々とある一条が神軍の大兵法たる也。兵法の奥義とは別義にあらず、産霊の維繊「繊維(せんい)」の誤字か?を正しく解き別けて、大経綸の支障を去る事也。支障が去れば即ち光気は八荒(はつくわう)八方の果ての意。燦々(りんりん)として照り渡り行く也。
十六菊の御紋章
彼の十六菊章と申すは、大御経綸の糸筋の八荒に輝き照り渡る御摸様を顕したる御紋章にて、十六菊章と日章旗とは同様の御意義たる也。十六菊章は賢侍間の御褥の御紋章にして、只今の菊章は外の輪劃だけを存して、内容の一切は秘せられたる也。此の菊章の中ヘ一ぱいに天津金木を内実せしめなば、天国の荘厳は限前に拝観せられ、天津御神の御深慮は(あきらか)に窺ひ奉らるべき也。
⦿大日本国の神道は忠孝是れ也。忠孝即ち御祖神の御名を顕はし、御祖神の御心のまにまに惟神(かむながら))実践躬行する事也。絶対的信仰を忠孝といひ、不信を不忠不孝といふ。故に不忠不孝は大罪悪にして、不忠不孝の外に根本の罪は無き也。征討の業終るや神日本伊波礼彦命には、(すなは)霊畤(まつりのには)「畤」は底本では「(田=寺)」鳥見山(とみのやま)に建てて、大孝の本義を顕はし給ひし也。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ是レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
の教育勅語の御本旨(とく)と拝載すべき也。
忠孝の志の厚き者は勇気必ず内に満つ。勇気なければ忠孝の道は尽し難し。人々克く忠孝を尽さむと欲せば勇気を養ふべし。勇気は献身的なる精神より来る矣。献身は天則を守るより出るなり。常に絶対的信仰の状態に在つて、之を離れざるを我が国語にて麻柱(あななひ)と謂ふ也。『麻柱の文字は和名抄に依る』麻柱といふ道が大日本国の唯一の道也。
麻柱の大道
麻柱といふは至誠の全力を悉く君に捧げて、我が功あるを直に君の功とし、我が一切の所行を悉く君御一人の御所行也と為し更に我を誇らず。天下に君一人をのみ、光々と照臨し玉ふべく祈り奉るを申す也。大臣も、小臣も民も、皆悉く御皇室の分身として、君の手足となり、全身の部分々々となりて、君御一人御皇室御一家を照り顕はし奉り、君も、大臣も、小臣も、民も皆皆全一大御至尊に麻柱奉るのが、大日本国の神道の本義たる也。且つ全体たる也。斯かる大儀は我が日本国の如く宿種一系の御血統を継がせ玉ふ、万世不易の国柄にあらずば了解出来難きが如く、天上の大荘厳国は日本国を通じ見なければ、之を正観する事(あた)はざる也。麻柱の道を守る者の心の中には報恩の念のみ(さかん)にして、報恩の一念の外には何等の存念も、希望も皆無たる也。報恩謝徳の念を忘却する時、我慢、邪慢、増上慢と名づくる我執が出て来る也。この慢魔が自由妙果の霊身を堕落せしめて全く罪悪の奴僕と身を下し了る也。若し清浄の身を持し、麻柱の中に安住するを得ば、これ神の宮殿の中に住み、神の御衣を服とし、神の室に坐する也。天地の万物皆身に応じて来るべし。(ここ)に於て一切の物事を吾が産みの子也、吾が縁児也と視成して秩序正しく至善に育てあぐるならば、これ真実の世の親也、宝也。誠の忠臣也。孝子たる也。此くする者は子孫富み栄え、幸長く常しなへに其家に集り来て、日の臣,道の臣、斎主(いはひぬし)(つかさ)を保ち、天地も位を避け、日月も光を譲り、鬼神もまつろい従ひ奉り、動植一切は悉く御心の(まま)に仕る也。若し少しにても己()たり顔に、我儘心を出すならば、忽ち其の(をさ)まり在る所の位は消え失せて、世の罪屋と成り、心くらみて人に見捨てらるるに到るべし。真に謹み慎むべき事也。神の御光が玉の如く、鏡の如く、剣の如く照りますが如く、道に住する人の身よりは、この三徳が白光を発ち備はる也。一切の者を子視して大親心となれば、これ一切の御親にして、霊体の光自から身に添ふべし。一切の罪悪を裁く程の大将軍となれば、神軍の兵法、その身に備はりて、宝剣の御光その身を照らすべし。一切のものの師となつて一切を弟視し、之に智量を恵み与へなば、これ世の大導師たる也。必光その身に添ふべし。この三徳を一身に集めて眷々服膺するものは、大祖神の一切の御徳の光を得て、至忠至孝の人と成る也。仮令(たとへ)ゐかなる霊光その身に輝くとも、これ神力の応現にして、己身に一分の力もなき事を決して忘るべきにあらざるなり矣。
美曽岐祓械の事
道を守る最第一の修行は罪を祓ふに在り。伊邪那岐命が黄泉より(かへ)りまして、吾者到於伊那志許米志許米岐穢国而在祁底本では「(示=邑)」理故吾者為御身之禊而到坐築紫日向之橘小門之阿波岐原者禊祓也この漢文には底本ではフリガナが付いているがここでは省略した。岩波文庫『古事記』p28によると読み下し文は「「()はいなしこめしこめき(きたな)き国に到りてありけり。(かれ)()御身(みみ)の禊()む。」とのりたまひて、竺紫(つくし)日向(ひむか)(たちばな)小門(をど)阿波岐(あはき)原に到りまして、禊ぎ祓ひたまひき」を始とし、我邦の古例に於ては(みそぎ)(はらい)を以て大儀式となし給ひ、六月、十二月両度の大祓あり。朝庭行年の重要事と為し賜ふ矣。罪とは人類を初め一般生類、並びに宇宙、森羅の一切諸法を以て、(ただち)に至大始祖が一念の境界なりと知らず、及び無視無終の原因結果を、大御親神に帰し奉らざる時に於て、(はじ)めて根本の悪罪は成立する也。身勝ち取りの心が、罪に入る門戸たる也。眼に私欲の惑あらば眼を祓ひ清め、耳に私欲あらば耳を、鼻に罪あらば鼻を、口に罪あらば口を、(こころ)に罪あらば意を悉く六根を祓ひ清めて、大御親神の御意志に打ち任せ奉り、大孝道の本義を照り顕はすべき也。此身は今も()ほ御親の胎内に玉の緒によりて息し活き居る者たるを忘るべからず。
慚愧清浄底本では「慚恥清浄(心偏に鬼の字なき故に恥の字を用ゆ)」。以下の「慚愧」も底本では活字が無いため「慚恥」になっている。
慚愧(ざんき)又慚愧、これ修行の最要也。慚愧とは我執の妖魔を切り掃ふ勇なきを慚愧する也。慚愧には省、恥、悔、畏、覚の五情これ神道の戒律也。他に戒律はなき也。勇気は剣の徳也。この剣はくざくざ「くさぐさ(種々)」の誤字?の妖魔を薙ぎ退治せる剣たる也。勇は即ち活動の方面、修行の方面、裁断の方面也。大日本国教の修業は絶対勇にして、憶病即不信となる也。不信とは勇なき意也。勇なきは活動のなき也。活動なきは死也。死は永遠の闇黒也。大日本国の教は孤児に親を逢はしめ、臣に君を遭はしめ、痴児に師を獲せしむる也。誰か幾年遭はざりし親に接して泣かざる者ある。誰か幾年失せし君に遭つて泣かざる者ある。誰か良師を獲て感喜雀躍せざる者やある。この君こそ実に無始無終なるが故に、臣も亦無始無終、永遠の臣となる也。この親こそ永遠無窮の親なるが故に、子も同じく永遠無窮の生命に入り、子たる慈愛を受くる也。医術の上に自然療能といふ事あり、この自然療能といふ作用は実に天賦の不可思議能力たる也。(天癒と命名して居る人もある)その天賦の療能が、何処より来たるものたるかは頗る学者の惑ふ所なり。日本神道の意義よりしては頗る明瞭なる訳柄にして、神誓神力は全一大御体の中に遍満充実して、玉体常に平安寂定たる也。万有には必ず常に天賦の構成力が付与せらるる也。若し宇内が全一の大御体にてなかりせば、万物にこの霊能は存在せざるべし。この天癒の能力あるは会々以て宇内一君の御存在を立証し奉る種ともなるべし。勿論この構成力が必然の破壊力となりて、万物は(ことごと)く破滅を免れず、人は生れて而して自から老い、又自ら死するなるが、この破壊と構成との大能を一手に掌握して、不可思議の御神業を怖れ尊み奉り、大御親にまします神の神霊威力を拝察し讃へまつるべき也。
吾人は天祖の大御心を常に服膺して、御遺風顕彰に全幅底本では「幅」ではなく「副」の精神を傾注すべき也。学を修むるも業を習ふも、生活の業に従事し、恭倹精励事に当るも、其の根本を常に忘却すべからざるべし矣。
⦿天上に行はるる事は地上に行はれ、地上に行はるる一切は人身に行はる。故に天上の真実を身に体する者は、地上に在つて即ち天国の人たり。日本神道は一切が事実也天地地上顕幽生死を貫通して常に永遠史乗中の存在也この永遠全貫の大歴史は古事記に於て(はじめ)て之を見日本国に於て(はじめ)て之を証すべし故に我邦に於ては歴史以外に宗教なく史乗悉く是れ天地人道を具象的に顕示証明する所の神典たる也。我等は歴史を重むする事、生面よりも大切にせざるべからず。我邦の神典は生たる実在にして、眼前の事理に接迫す信賞必罰の厳なる、慈悲の無尽なる、事理の明昭なる、日月相並むで照らし賜ふとの証明あるに、少しも違はざる也。我等の生命は歴史也。歴史を飾る為めには吾等の生命は鴻毛よりも軽き也。永遠の歴史の中に人と為るは、現在の歴史に尽くすの一事より他に途なし。日本人の覚悟はこの一つ也。外国の如く教義と歴史と縁遠く、宗教と国政とが縁遠きとは(おほい)に異る所也。宇宙開闢よりの神の御仕事が即ち歴史であり、且つ其儘の神典たるは()に貴き限りならずや。
日本神道 大意
⦿夫れ、唯一御精霊体は、三世(かきは)常住(ときは)⦿()なるが故に、神代即ち現在也。現在即ち神世たる也。(ここ)を以て永遠の歴史を通じて、神は常に此世の経綸にぞ当らせ給ふなる。微小なるもの必しも微小ならず。幽冥なるもの必しも隠闇ならず。未然は目睫の裡に存し、遥遠(すで)に察瞭の中に在る也。故に寸秒の中に無始無終の大劫を蔵め、方寸の間に天地の万有(ことごと)く秘めらる。迷妄の徒、此理を知らずして、未来に天国浄土を(こいねが)つて、目前に偉大霊能の神業あるを知らず、()に嘆ずべきの限りにあらずや。眼を開けば(すなは)ち荘厳の霊界身の周辺に逼迫するあり耳を傾くれば(すなは)嚠喨(りうりやう)底本では「リウ喨」たる天籟(てんらい)の身の周辺に逼迫するを感ぜざる(あた)はざるべきに、(いたづら)に毒漿「漿」は底本では「(將=水)」の酔に浸りて森厳の浄界に遊び、御祖神の膝下に参ぜざるの哀れさよ。須佐之男命が放逐(やらは)れて出雲の国に至り賜ふ際に、娘を中に措ゑて、老翁老媼の泣き居るに遭ひ賜ふ。(おきな)が名は足名椎(あしなづち)(おうな)が名は手名椎(てなづち)、娘が名は櫛名田姫と謂ひけり。足名椎、手名椎とは即ち手足を勤労する所の農民を指して謂ふ也。現在の世には手足を勤労する所の農民其数(はなは)だ多し。これ足名椎手名椎の御在世にはあらずや。
八岐大蛇の物語
八岐大蛇とは山田の(おろし)也。秋風一たび山野の草木を見舞はむか、落葉(らくえふ)枯凋(こてう)(つひ)に免るべからざる運命とはなるなり。稲田に生ふる奇稲田姫(くしなだひめ)も、年毎にぞ大蛇に見舞はれては取喰はるる也。須佐之男の大神、大蛇の来るべきを予知し賜ひ、稲田の熟稲を刈りて之を桟敷(さじき)に修め、八塩折(やしほをり)の酒を()みて颪の来るに乗じて、之を醸造せしめ給ふ。大蛇来らずば稲田の穂は(みの)るの期なし。年毎に来ずば蒼生に与ふべき醸酒は得られざる也。今も()ほ大蛇は年毎に稲田を見舞ひて、万民は之が為に甘き酒をぞ恵まるるなる。神代誰か遼遠なりと謂ふや。大蛇の来るや来るべくして来る也。この天則を切り分け切り分け詮議しなば、結尾に到りて何ぞ安危、閑争、治乱、興廃、得失、存亡、動止、進退の神則を得ざるべきや。大蛇の尾より草薙の剣は出でける也。この天則神剣は決して個人の私すべきにあらざる也。天に納めて公の器となすべしとて、天照大御神に奉れるは、真に至当の義とや申すべき。
四季循環の神事
顕界之大王(すさのをのかみ)の御身は大地球に遍満し給ひて、千古の神事を現時の事証に顕はし給ふ也。即ち冬間地中に籠る温気は、春に至つて漸時天に冲せむとして、先づ地気を中天に登らしむ。これ春の空の霞み霞みて靉靆(あいたい)たる所以也。地気の上登するや、天気之に応じて地中に入らむとし、(ここ)(地)(天)相交つて、地上の万艸(ばんさう)、一望(ことごと)麹塵(きくぢん)の色を呈し、樹木一時に緑芽を着け、又紅紫爛漫の花を綴る。此時万有の情交(ひとへ)に密にして、駘蕩(たいたう)として春の光にぞ酔ふなる。古事記に記して須佐之男命が、天照大御神に謁せむが為に、天上に登ると在るは(これ)の事也。春花花収まつて次に果実を結ぶ。果実の中、已に未来の種子を宿して、霊体一実、吾人をして(うた)た天理自然の妙用に喫驚せしむ。(あめ)のまなゐの御神事は、年毎に無情の草木にすら宿り来つて、この行事を取り営まさせ給ふ也。誰か神代を遼遠の過去たりと謂ふや。夏季に入つて地上に妖気多し。妖気は即ち須佐之男命の御すさび也。妖気単に妖気にあらず。必然のすさびを必然にすさび給ふが須佐(すさ)びの神の神業たる也。天神の怒つて天岩戸に隠れさせ給ふは、即ち温気地下に入つて、寒天凄殺として木枯吹きすさび、風雪空に荒るる也。蛇蛙等この時に当つて深く地中に潜みて、地下熱の慈恵にぞ(しとね)暖く眠るなる。天岩戸の御隠れ(また)貴き御神事にあらずや。寒風のすさむが為に、土壌為に分解せられて草木深く根を下す也。厳寒なかりせば底本では「なかりせば」ではなく「なかつせば」になっているが誤字であろう。春暖の好季は来らざる也。貴きかな二神の御神事や。吁々(ああ)已に無情の草木にすら、神代の(まま)の御行事は営まれて微小の者と(いへ)ども、一として神の恩恵に漏るる者なし。
人体の尊貴
特に恩寵深き人間の身の上に神代神事の一切を宿して、大精霊体を其儘(そのまま)の縮写たるに外ならざるこそ尊き限りなれ。又宇内全一の霊体を玉に宿して神宝に写し、宇内統理の君主に授け玉ひ、又宇内全一の御霊体の内容を顕示し、整然として森厳崇高の天国を鏡に宿し給ひ、これ即ち天上至尊の御容也。此は是れ即ち朕を見る也との給ひ、更に荘厳崇高の御配坐の中に凜乎(りんこ)として犯すべからざる神則あるあり。治乱興廃の事自ら掌中に在り、草薙の宝剣は天地の極則なり。此極則神法ありて、世に(はじ)めて律あり、則あり、万有(ここ)に活き森羅(ここ)に動く。宇内の大法を国土に移して、極身(きみ)大身(おほみ)小身(をみ)手身(たみ)の四大身の経営となり、宇内の大法を人身に移して、四大生理の極則を見る也。大日本国の神道は必致にして唯一也。至尊即ち茲に国土を実現して、祖神、祖神即ち尊師、(しゅ)()(しん)三体の全象(ここ)に国土を実現して、天則即ち地上を律し、国法即ち人身に符号す。切れども離れず、離さむと欲して寸余微隙なし。人性生命あり、茲に国土を存在し、天壌無窮矣、(すなは)ち茲に国土存在の無窮を証せり。神理一貫して、天と国と人と永遠に終始結縁す貴き哉斯道畏き哉斯国楽しき哉斯身噫々(ああ)此機微の妙用何の辞を以てか之を述べん
ヒトの二声
ヒトの二声は天地万有を一身に受止むるの言霊也。小宇宙必ずしも小ならず、大宇宙必ずしも大ならず。ヒトと名の付く者は忽ちに覚醒して、大御精霊体に同化一如するの大自奮力を起さずして可ならむや。古事記全巻の神代神業は人一人の身の中に蔵まれり。人一人の身の上に千古万古の御神業は宿り、生命一貫の神世は秘められたる也。(なむぢ)の内臓器官、神経系統、血脈系統等を験せよ。皆(ことごと)天上(そうらる)系統(しすてむ)運行に相合致して分秒の差もなき事を発見せむ。『詳細は複雑なれば略す、専修を要す』特に人類に限つて符与せられたる言詔音声は、天恵中の最大特典にして、八咫鏡の御威徳より出でたる也『大要義有り』音声の中に神は宿り在す也。言語音声の産霊する者これ天地万有也。天爾の言語音声を悉く身に蔵めたるをヒトといふ也。天地のあらゆる音声は七十五声に納まり、七十五声はアオウヱイの五声に納まり、五声は⦿()の一声に納まる。之を詳細に解けば宇宙の万有一として解せざる事なき也。生命維持の上に要する諸力も(また)(ことごと)五伴緒(いつとものを)の緒力たるを忘るべからず、誰か心霊を卑みて我所有なりといふや、誰か己身を私領して(ほしいまま)に心身の経綸を蹂躙するぞ。身を愛するは国を愛する所以也。国を愛するは神に(したが)ふ所以也。神命厳乎として尊厳限りなし。道は真に(ちか)きに在り、道は真に離るべからず。吾人大日本国の至道に於て根底の厚き事地も及ばず、意義の高遠なる事、天も及ばざる者ある事を観得たり。吾人の天に命を負ふ所何ぞ夫れ重きや。慎まずむばあるべからざる也。
身体髪膚を直接に受け得たるは父母より也。親子一体の大生命界に入れば、永遠の御祖神あるのみ也。御祖神と父母との中間に在りて大権を掌握して、真釣りの本義を執り行はせ給ふは陛下也。忠孝は一如也。敬神忠孝二義に在らず。孝道の本義は敬神に在り。忠道の本義も亦敬神に生ず。敬神を外にしての忠道孝道は邪道たる也。敬神の大道義より忠君孝親の階段的道義出たり。此大義名分は厳乎として毫も犯す事能はず。誰か忠孝の理義に踏み迷ふものぞ。誰か進退極まるの歎語を発する者ぞ。男女も元と一体、魂の前に応ずると、魄の前に応ずるとの差あるのみ。霊を体の纏ふ者は男なり。体を霊の纏ふ者は女也。『此理天のまなゐの御うけひに因て明かなり』然り而して夫唱婦和を天則とは為す也。男女、雌雄も()ほ天地初発の義を存して、霊系体系の本旨を体するぞ。畏き極みにあらずや。夫婦相和は人倫の(もとゐ)也。四海兄弟、一大玉体界に住して、至楽の裡に在り、土壌に甘漿「漿」は底本では「(將=水)」湧き、天空に美彩を飾る、至宝界中に至宝の身を受け、至威界に天剣の実を体に宿し、至智界に音声の朗かなるを自在に発す。皇天の目、皇天の鼻、皇天の耳、皇天の口、皇天の膚、皇天の意、さながら集ひ来つて、現土に動き、現身に活く、誰か一日として感謝報恩の念を忘るるものぞ。歓喜雀躍、人生の至楽を味はざる者ぞ。
融和は天の道也。人に疾病(しつぺい)あるは融和の気に障害を生じたるが因也。故に人疾病(しつぺい)(かか)らば、(よろ)しく大融和界の大実義を心に念じ、身を其の神界中に投じて、一毫も私意を挟む事無ければ自然に全癒すべき者たる也。自然の療能は人体中に自然に行はるる天恵也。抗素の不識の間に働く事を知り得む人、神業の偉徳に誰か感泣せざらむや。「八雲立つの御歌の徳」が自然療能の根元也。疾病は道也。天の疾病を回復せむが為に、不識の間に活きます大御能力の難有くもまた難有きかな「難有」は二ヶ所とも底本通りだが「有難」(有り難い)の誤字か? 「ありがたくもありがたきかな」。この自然療能の原因を推し広めて考ふる時、人は必ず神の御徳の曙光にや接すべからむ。この曙光を熱心誠実に辿る人は必ず至大の光華に接し、永遠の生命にぞ導かるるなるべし。
第二十五節底本では「二十七」になっているが「二十五」が正しい。
⦿神代即ち今日、今日即ち神代の理を達観する人を大人といふ也。大人の心の中には天地の万機一身に納まり、神霊、神魂自在に使令し得べし。神魂を使令せば天地も為に感動し、火水を自在にして万事意の如くならずといふ事なし。()かも常に麻柱(あななひ)の道を守つて、君臣父子の常道を破らざるは、真の現神(うつしかみ)とや申すべからむ。忠臣の霊を神社に祀るは此の理に基く也。吾人幸に生れて盛世に遭ひ、惟神の聖明に浴する事を得、惟神の道を此土に聴きて、惟神の御神業に従事する事を得たり。何等の幸福か之に過ぐる者あらむや。 (つつしん)で惟みれば今上陛下御即位あらせられたる初、天地神明に告げて、五箇条の誓文を宣らせ玉ひ、旦つは御宸翰もて、天下億兆に示して
列祖の御偉業を継述し、一身の艱難辛苦を問はず、親ら四方を経営し、(なんぢ)億兆を安撫し、遂に万里の波涛を拓開し、国威を四方に宣布し、天下を富獄の安きに置かんことを欲す。五箇条の御誓文と同時に発表された「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」の一節。
と仰せ下されしこのかた、万乗の尊を以つて艱難(みづか)ら当らせ給ひ大御心を国政の発展に留めさせられ、大御慈悲を常に蒼生の上に垂れさせ給ひ、夙夜(しゆくや)に心労を砕かせられ、遂に明治廿二年憲法を宣布ましまし、衆庶に国家の責任を(わけ)たせ玉ふや。
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ大日本帝国憲法の憲法発布勅語の一節。
との詔を下したまひ、また重ねて
朕か親愛する所の臣民は即ち朕か祖宗の恵撫慈養したまひし所の臣民なるを念ひ其の康福を増進し其の懿徳良能を発達せしめむことを願ひ又其の翼賛に依り与に倶に国家の進運を扶持せむことを望み云々大日本帝国憲法の憲法発布勅語の一節。
と仰せられき。
我等は陛下の忠良なる臣民として何を以てか陛下の御聖旨に答へまつらんや。奪励努力、一意尽忠の真心より外に他あるべからざる也。又明治二十三年十月三十日には、畏くも「教育に関する勅語」を(くだし)玉ひて、万民の因て修むる所を明にし玉ひ、
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ教育勅語の一節。
と仰せられき。大御祖神の御精霊体を受け継ぎ玉ひて、万乗の至尊と崇めます君こそ、即ち現身の大御祖神にぞましますなる、現神の大御至尊にぞましますなる、現神の大御尊師にぞましますなる、永遠無窮の歴史を通じて、神業発作の大理想を現実の上に顕はさむとせば、即ち極めて簡略なる数語の中に納むる事を得べきを知るべし。我等の尽すべきは現在也。我等の尽すべきは現土也。我等は現在現土を永遠の史上全体なりと信じ、秒々の日影を無窮に遂ふの不変の臣子たるべき也。これ即ち惟神の本義にして皇典の最大綱要也。本皇典は之を解けば即ち天地に〓一字読めない。「浴」か?く、之を巻けば芥子(けし)も容るる事()し。而して千条万綱、綿々縷々(るる)として複雑無限の義理を保てり。無上至極の宝典こそ奇しくも亦霊しき哉。
(終り)
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