霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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皇典釈義 4/5

インフォメーション
題名:皇典釈義 4/5 著者:出口王仁三郎
誌名:神霊界 掲載号: ページ:25
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-05-24 12:38:25 OBC :M192919180815c014
第二十三節 人類出生の始め
⦿日本神代史に於て、(はじめ)て人体を具備されし、神の御出生ありしは琵琶湖(あめのまない)中の竹生嶋に多紀理毘売命、市寸嶋比売命、狭依毘売命、(ならび)に近江の醸造(かも)(ごほり)蒲生郡のこと。に御出生ありし天之菩卑能命、天津彦根命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、活津日子根命、熊野久須毘命この五男神の出生順序は古事記のものとは異なる。日本書紀(本文及び一書)や旧事本紀のものとも異なる。古事記では、オシホミミ・ホヒ・アマツヒコネ・イクツヒコネ・クマノクスビの順である。の三姫神、五彦神なりとす。(ここ)に天照皇大御神は、太陽を機関として、近江国伊香具(いかご)の宮を本営として『神明といふ也、今は東浅井郡山田村の神明現・滋賀県長浜市小谷上山田町924(和泉神社と同所)に鎮座する山田神明宮のことか? 祭神は大日孁貴尊。https://dl.ndl.go.jp/pid/994015/1/90といふ也、此里人(うなぎ)不食(たべず)』毎年十月節に至る毎に出発(ゐでたた)して胆吹山(ゐぶきやま)伊吹山のこと。に登り玉ひ、潮東「湖東」の誤字か?の山脈を踏み伝ひて、川処(かはが)(ごほり)蒲生郡の南隣の甲賀郡のことか?白黒嶽(しろくろだけ)(ひく)尾山(をやま)『今は日雲山といふ』に(のぞ)み、海原に稜威を放ち玉ふ。須佐の男の神は大陰水性底本では「性」ではなく「姓」だが誤字であろう。機関(せをひもの)とし、日枝山比叡山のこと。底本では「枝」ではなく「技」になっているが誤字であろう。を本営として、常に坂本(さかもと)の一の宮現・大津市坂本の日吉大社のこと。に住み玉ひ、十月節に至る毎に(ゐで)三井(みい)を経て石山の剣泉(つるぎいづみ)を保ち、瀬田の宮に(たけ)(ゐで)大津市の建部大社(近江国一宮)のこと。瀬田川沿いに鎮座している。対神山(たながみやま)『今は田上山といふ』現・大津市田上の田上山(たなかみやま)のこと。を後楯として、日雲山(ひくもやま)現・滋賀県甲賀市土山町鮎河の東南にある日雲山だと思われる。集落の中心部には元伊勢「甲可日雲宮」の比定地の一つ大神宮社を合祀した三上(みかみ)六所(ろくしょ)神社が鎮座している。「甲可日雲宮」はもともと日雲山の中腹「御神ヵ平」にあったと伝えられている。https://dl.ndl.go.jp/pid/9571141/1/278 https://dl.ndl.go.jp/pid/6046005/1/6 https://dl.ndl.go.jp/pid/4431653/1/4 https://dl.ndl.go.jp/pid/9538145/1/10伊吹山(ゐぶきやま)に稜威を放ち玉ふ。(以下人類学者、進化論者の真面目なる研究を望む)
その初め伊邪那岐神が三柱の大御神を産み玉ひし時に、近江国を斎庭(ゆには)と定め、中央に於て北南に一線断して、東部を顕界(たかあまはら)御樋代(みひしろ)として三大歴儀(みくらたなのかみ)を授けて天照大御神に(のり)給はく、()(みこと)顕界(たかあまはら)底本ではフリガナは「たかまがはら」。を知らせと。()りて天照大御神は此国の最上部なる厳児(いかご)の宮に鎮まり給ふ也。『今伊香具の神明といふ也』御嫡厳子(いかご)なるが故に、イカゴと(まを)し奉る也。其所を厳子(いかご)(ごほり)といふ也。今は伊香具(いかご)(ごほり)といふ也。其西部は湖水を保ちて、幽界(うなばら)御樋代(みひしろ)として須佐の男の命に(のり)給はく、汝が命は海原を知らせと。因りて須佐之男命は当国の最下部なる坂下(さかもと)の一の宮に鎮まり給ひつつ毎年十月節に至る毎に、三井を経て石山の麓たる剣泉(つるぎいづみ)原佩(とりは)き給ひ、瀬田(せた)建部(たけび)にたけび給ふ也。月夜見命は夜見(よる)食国(をすくに)(しら)せと。因りて此月夜見命は大造化、産霊の真を執り持ち給ひて、(あめ)御影(みかげの)神、日の御影神を結びて三神山(みかみやま)に鎮まり給ふ也。(此三神山は三神、造化の所也)然り而して(いか)主神(ぬしがみ)なる伊邪那岐の大神は大主神(いぬかみ)(ごほり)の多賀の宮に鎮まり給ひて、御子神(たち)御行為(みしわざ)照覧(みそなは)し給ふ也。()れかくの如く顕幽(ひがしにし)を別ち定め、東部は高天原の御樋代也。西部は湖水(あめのまない)を保ちて海原の御樋代也と定めて、神詔勅(みことのり)のまにまに天照大御神は(霊)顕界を(つかさど)り給ひ、須佐之男命は(体)幽界を主り給ひ、(ここ)に天照大御神は須佐之男命の御佩(みはか)せる十拳剣を乞ひ渡して、三段(みきだ)に打ち折り奴那(ぬな)(とも)感応(もゆらに)湖水(あめのまない)に振りすすぎて真醸(さがみ)()みて、十三年三ケ月を此海底に醸祭(かみまつ)る。其(とき)海水一切、海原(ことごと)く之に朝して、皆其精を貢ぎ奉る也。かくて十四年目の正月に之を伊吹山に向ひて伊吹放ち給ふ。此時に已に水中に於て()まれし所の魂精液(つるぎ)魂精神(みたま)は漸次熟する機あるを久米(くめ)の神、押日の神がスクひ出だし来りて其魂精の第一、第二、第三なるを堅大島(たておじま)『今は竹生(たけふ)嶋といふ。又チクブシマといふ』に鎮め奉る。
三姫神の御出生底本では見出し「三姫神の御出生」と「天保日命の御出生」の位置が間違っていると思われるので、妥当な位置に直した。
此の神事によりて三姫神を此嶋に生み成し給ふ也。是が日本皇国に女人(ひめびと)を生み出し給ふ極元(こもと)也。
天保日命の御出生
又建速須佐之男の命は、天照大御神の、左の()みづらに(まか)せる(たま)を乞ひ渡して、滋賀の石倉(いはくら)現・滋賀県大津市西の庄15-16に鎮座する石坐(いわい)神社か?造醸(かも)し給ひて、天の保日命を産み顕はし給ふ。其機臨々昭々奴那止母音動揺(ぬなともゆら)「母」の字が有る。に天の真名井に振りすすぎて真醸(さがみ)造醸(かみ)て伊吹山に吹きて、吹き(うつ)る伊吹の真霧に成る次第は、古事記を真解する事によりて(あきら)か也。
天津彦根命の御出生
第二に、右の()みづらに(まか)せる玉を乞ひ渡して奴那止音動揺(ぬなともゆら)「母」の字は無い。に天の真名井に振りすすぎて、真醸(さがみ)造醸(かみ)て吹き(うつ)る伊吹の真霧(さぎり)に成り玉ふ人を天津彦根の命と申す也。此命は造醸(かも)郡の佐目(さめ)村の山奥御金(おかね)(とう)現・滋賀県東近江市佐目町に鎮座する「お金明神」のことか? 山奥に巨大な岩塔がある。に生れ給ふ也。此御金(おかね)(とう)の本名は彦根の産屋(とや)と云ふ也。又此所(ここ)を昔は造醸(かも)郡の内に入れしを、今は神幸(かみさき)郡の内に入れられたり。又此造醸(かも)郡を今は蒲生(かも)郡と書き、又神幸(かみさき)郡を神崎郡と書く也。又川処(かはが)郡を甲賀郡と書き,大主神(いぬかみ)郡を犬上郡と書き、石処(しが)郡を滋賀郡と書く類の事は別に説あり。第三に、()かづらに()かせる(たま)を乞ひ渡して奴那止音動揺(ぬなともゆら)「母」の字は無い。に天の真名井に振りすすぎて、真醸(さがみ)造醸()みて吹き(うつ)る、伊吹の真霧(さぎり)に成り給ふ人を、
天之忍穂耳命の御出生
正哉(まさか)吾勝(あかつ)(かち)速日(はやひ)天之忍穂耳(あめのおしほみみの)(みこと)と称し奉る也。此尊は五十百津(いほつ)真生玉(まがたま)のみすまるの(たま)の中に(おい)て、首尾(もとすえ)(わか)ちて、中の精真()を選みたる自然の中正、真なるが故に厳嫡正統(いかしのくらゐ)を踏み居給ふ也。故に其造醸(かも)の御所も中正の部分に位して、脇児(わきご)(さと)なる吾勝山(あがやま)に定め給ふ也。此吾勝山、亦の名を吾児山(あかごやま)と謂ふ。亦長峰の内腹に孕める山なるが故に、()内山(うちやま)とも謂ふ也。厳嫡(いかご)御産屋(みうぶや)なるが故に、其伏霊(ほどろぎ)厳重而(いかめしくして)、満山唯一箇の厳也。誠に巍々烈々たる也。此厳嫡子(いかご)を近頃太郎子(いかご)とかきて、之を字音(じをん)に誤まり太郎子(たろぼう)(さま)(まを)して、愛宕山の太郎坊といふ天狗也と思ふ者あり、大に非也。『此山、今阿賀(あが)山といふ。宮を阿賀神社といふ。即ち吾勝(あがつ)山の略也。吾児山の略也』現・滋賀県東近江市小脇町2247の阿賀神社(太郎坊宮)のこと。祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神。
第四に左の御手に(まか)せる玉を乞ひ渡して、真造醸(さがみ)造醸(かみ)て吹き(うつ)る伊吹の真霧に成る人を、
活津彦根命の御出生
活津彦根(ゐくつひこねの)(みこと)(まを)す。此命は醸造(かも)(ごをり)の東桜谷村の奥石(おくし)石児(いしこ)山の児守石(こもりいし)現・滋賀県蒲生郡日野町奥師の石子山のこと。山中に多数の奇岩巨岩があり「児守石(子守石?)」はその一つだと思われる。https://dl.ndl.go.jp/pid/9571440/1/316の所に(うつ)され伏霊(ほどろ)ぎて成り立ち玉ふ。
第五に右の御手の手纏の玉を乞ひ渡して、真醸造(さがみ)造醸(かみ)て吹き(うつ)る伊吹の真霧に成り給ふ人を、
熊野奇日命の御出生
熊野奇日(くまのくすひの)(みこと)(まを)す。此命は、造醸郡の熊野村の滝現・滋賀県蒲生郡日野町熊野の「熊野の滝」のこと。より五町斗り下に割谷(われたに)割石(われいし)有り。此所に吹き(うつ)され伏霊(ほどろぎ)て成り(たち)給へり。(また)
天押日命
天押日(あめのおしひの)(みこと)は早く神勅を受け給ひて、田な神山現・大津市田上の田上山(たなかみやま)(別名・田神山)か?に成り立ち給ひて、川蔵極(かはが〓れ)の宮に鎮まり給ひ、
天津久米命の御出生
天津久米命は杉谷現・甲賀市甲南町杉谷。大正期は甲賀郡南杣村。の巌に成り立ち給ひて、矢川の宮現・滋賀県甲賀市甲南町森尻310に鎮座する矢川神社のことか?に鎮まり給ふ也。(五伴緒に二種の御成立ある事は別に説あり)
此三柱の姫御子、五柱の彦御子、二柱の(とも)()等は、此近江の国を斎庭(ゆには)として、其坪々に吹き(うつ)されて、造醸(かも)の宮に数々の年月(としつき)を憩ひ玉ひける也。其憩ひ玉ふ処は皆其界の大気天真、地真来り朝して護衛し奉る故に、其辺の地が伏霊(ほどろ)ぎて、コヲロマヲロ結晶(こを)りて石と成る也。()ほ石の辺は皆大気の伏霊(ほどろき)にて、稜威を天中に放ち貫き居る也。かくて多々の年度を経渡り給ひつつも、天照大御神が太陽を機関(せをひもの)として、日々に新霊なる光線真温を作りて放ち与へ給ふ所の真恩を()け、(また)須佐之男命が太陰を機関(せをひもの)として、夜毎に恵み与へ恵み与へ給ふ所の真味を()け給ふ也。春は天気が降り来りて其石の中に()み通り入りて精神を養ふ也。即ち是が(をしもの)と成る也。同時に地気は発蒸して天に昇り霞と成る也。是を糞として(ここ)に新陳交代し、栄気を増し給ふ也。夏は冬分に食ひ居りたる温気を、吹き(かや)し出して天中に(かや)して、暑を作るの資料とする也。是と同時に天中より(かえ)り来りて、地中に収まり入る水性底本では「性」ではなく「姓」だが誤字であろう。の滋味を得て(をしもの)とし、秋は春分に来りて養となりし所の天気は天に(かへ)り、是と同時に春分に霞と成りて天に昇りたる地気が(かへ)り来る也。之を()けて(いき)とし、(をしもの)とし、冬は火気の温精が天中より降り来り入りて(かも)の力を増し、是と同時に地中の水気は天中に昇り、出でて外部を寒霜(ひや)し、凝り纏めて(みづから)自然に感覚を得、智識を内に養ひつつ、春夏秋冬に天、地、火、水の精粋が(たがひ)に昇降交代するに(したがつ)て、身の新陳を交代せしめ給ひつつ、幾々万年を唯一睡として、世に有りとあらゆる物事の変化を(ことごと)く感じ尽くし、(つひ)に内に活機独立するだけに、外に相応すべき神霊機関を身に備はり、保ち尽して、極めて厳乎たる剣膚(たちはだ)を授かり、世界の一切を自由自在にする器量をも備はり、其神機純熟しける時に、其包裏(つつ)み居る所の御(えな)石が堅に真二つに割れて、初めて生れ出で給ひける也。()れ其の竹生嶋に生れ給ひし人を田凝姫(たごりひめの)(みこと)、次に市杵嶋姫命、次に沖津嶋姫命と(まを)し奉る也。その滋賀の石坐(いはくら)(うま)れ給ひし人を天保日(あめのほひの)(みこと)(まを)す。此神は滋賀に生れ玉ひて、蒲生(かも)(ごをり)奇日野(くしひの)の大宮に育ち給ふ。馬見岡(うまみをか)神社現・滋賀県蒲生郡日野町村井711に鎮座する馬見岡(うまみおか)綿向(わたむき)神社のこと。祭神は天穂日命(アメノホヒノミコト)・天夷鳥命(アメノヒナドリノミコト)・武三熊大人命(タケミクマオウシノミコト)の三柱。「日野大宮」とも呼ばれる。(これ)也。蒲生郡の彦根の産屋『伊勢千種越千種街道(滋賀と三重を結ぶ江戸時代の街道)のこと。の傍也』に生れ給ひし人を、天津彦根命と称す也。此神は彦根の産屋に生れ玉ひて、犬上(いぬかみ)郡の彦根の錦亀山(かみやま)彦根城(別名・金亀城(こんきじょう)のこと。に育ち給ふ。井伊直政彦根藩の初代藩主。1561~1602年。が城を築く時に兵穢を恐れて芹川(せりかは)の田中に移す。芹橋の下なる田中神社現・滋賀県彦根市後三条町122に鎮座する彦根神社のこと。旧社号は田中神社で、享保19年(1734年)に彦根神社に改めた。祭神は活津日子根命。是れ也。蒲生郡脇児の郷、吾勝山に生れ玉ひし人を、正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命と称し奉る也。この神は吾勝山(あがやま)『今は阿賀山といふ』に生れ賜ひて、伊香具(いかご)正式には伊香(いか)郡だが「いかごぐん」とも呼ばれた。巌児(いかご)の下の宮に育ち賜ふ也。今伊香具郡大音村、伊香具神社現・滋賀県長浜市木之本町大音(おおと)688に鎮座する伊香具(いかぐ)神社のこと。祭神は伊香津臣(いかつお)命。是也。
此阿賀山は長峰の腹に孕まれ賜ひて、其形富士山の如く、満山唯一箇の巌にして、巍々烈々たる神山也。巌の筋々(すぢめ)(まつ)(かし)等の木茂りて神さびたる也。其七分目程の所に百尺余りの石が、東西に渡りて竪に開け、三尺斗り割目(われめ)を顕し居る也。今は其割目を道路と平均に埋めて、敷石をさへ敷きて、只管(ひたすら)参詣の便のみを計り、(あまつさ)へ欄場を造りて眺望を能くする也。伊吹山は艮に在り、三神山は西に在り、共に欄場よりは見えず、其の見ゆる所奇日山は辰の方に在り、奥石の石児山は其西の尾麓に在り、熊野村は奇日山の南の麓也。日雲山は巳の方に在り、油日山は其南也。南の方に水口の城山見ゆ。城山の南(はるか)に杉谷の巌在り。此杉谷山の西に連絡せる山上山の飯道山(いひみちやま)あり。坤の方(はるか)にそびゆる山は棚神山(たなかみやま)也。
此割石の割目は()ほ地の下、底の方幾尺有るか測量する日を待て知るべし。此割目の中に御胎孕(みこもり)御諭徴(みしるし)は有るべき也。蒲生郡の桜谷の奥石の石児山(いしこやま)の子守石を御胞(みえな)として生れ出給ひし人を活津彦根命と称す。此人は石子山に生れ賜ひて、犬上郡の彦根に育ち賜ふ。今は彦根の観音堂の天神社現・滋賀県彦根市馬場1丁目3-10に鎮座する天満宮北野神社、及び隣接する金亀山(きんきざん)北野寺(きたのじ)のこと。北野神社の祭神は菅原道真公だが、古代は活津彦根命を祀っていたと伝えられている。北野寺の本尊は聖観世音菩薩。是也。
相殿に天満宮を祭りたるが、世の人(かへつ)て天満宮のみを知りて主神(ぬしがみ)を相殿の如く思ひ誤まり居る也。
その熊野村の割れ谷の割れ石を御胞として生れ賜ひし熊野楠日命は、(ここ)に生れ賜ひて甲賀郡の新宮現・滋賀県甲賀市甲南町新治(しんじ)1172に鎮座する新宮神社のことだと思われる。祭神は伊弉冉尊・速玉之男命・天之忍穂耳命の三柱。に祭られ給ふ。
甲賀郡深川より伊賀の玉滝村に至る、街道の辺の新宮村大正期は甲賀郡南杣村。現・甲賀市甲南町新治(しんじ)に在る神社也。(いにしへ)産火(さんび)の物忌を(つかへ)る産所有りしが、今は算所と云つて落人(をちびと)、浪士の在所となれり。又立野あり。
(また)(この)儀式を以て天照大御神は太陽を機関(せをひもの)とし玉ひ、須佐之男命は、太陰を機関(せをひもの)とし玉ひつつ、国々所々に人種を造醸し玉ふ也。されば四海の(うち)(ことごと)(みな)兄弟也。至大至真の産霊に依りて各々至祖の体が既に成りたるにより、以来は
血統永続の根源
子より孫、孫より曾孫、曾○より玄○、来○、毘○、仍○、雲○、脈○、系○、紀○、遠○、裔○、胤○、種○、仁○、素○と連綿⦅○ハ孫字ノ代也⦆と同一条脈の内に於て、其の父の神精を母胎に収め、以て発育するに随ひ、其脈統天〓みいづ舎版では「命」。に在る所の神霊微細識等が来り旺して、成長し、現存し行くもの也。かくの如く終始同一物にして、大至祖、至始元の造成と、現今父母所生の胎成と大小の差ある事は別に精しき説あり。嗚呼尊哉。此身や前条の(ことわり)を聴くもの誰か歓喜の念を生ぜざらん。絶大歓喜の念は大感謝の念を促し来たり、絶大感謝の念は(つひ)に報恩の念を惹き起す也。絶大報恩の念は更に変じて一切万有に対する至大の同情と為り、大神慮の宣伝者となり、絶大の慰安と絶大使命の念とは、其人に深く宿つて去らざるに到るべし。之を神使といふ也。
種姓の厳立
かく此身は各自(その)至祖より歴々遺伝し来たる者にして、未だ(かつ)て一片時も中絶したる者にあらず。体温()ほ然り、(いはん)や霊魂、神霊、性質、姓胤をや。姦婦が異姓の子を孕まざる限りは(あへ)て変乱無き者也。故に今日の我身は至祖也、至宗也の霊魂脈を受け継ぎ、歴々として遺伝し来りたる者也。(爰に大綱、小紀、嫡庶等の分別あるは別に詳説ある也)かくて子々孫々(きはま)り無く遺伝し行きて、終始現存唯一代の如く、唯一年の如くに若返りつつ若返り居る者也。
日本国体の厳立
故に万機の職掌も、亦皆其真統の血脈に具備する也。(あへ)て混乱すべからざる大儀式也。若し一点も之を乱す時は大変(したがつ)て起る也。誠に慎むべき大儀也。皇国の人々は真に敬神愛国の根本義を確実に体認し、天理人道の極典を実際に識得し、一系連綿世界無比の皇上を奉戴し、万世無窮不易の天津日嗣の朝旨を遵守し奉り、世界万国に冠たるの美風を振り興すべき者也。
人道の根本義
()(つと)に志操、篤実、品行、方正にして(あへ)て他を犯さず、慈善心、至誠心ある時は、此全備脈を毀傷損害する事無きが故に、全く之を保ちて一身を発育する也。(したがつ)て智恵照明にして且つ鋭敏也。宿世の志操品行の完全なる者は温良、恭謀譲、長命福徳也。()し私利私欲の為に隣脈を妨害し、悪縫(わるもつ)れして混乱紊結する時は不具廃疾種々の禍殃(くわあう)、忽ち其身に(せま)り、
其人(あるひ)は愚痴,或は貧苦、餓鬼魂情を有し、或は奸佞、或は邪悪、或は狐疑、或は賊才、或は瞋恚、或は貪欲、或は多病、或は発狂、或は短命、或は不具、或は廃疾、種々の災禍、其身に(せま)りて、苦界地獄に陥りて、一寸さきは暗黒となり、日月と共に此の世を(たのし)む事を知らず。仮令(たとへ)世才あり、亦出藍(しゆつらん)の能ありとも、道理の根元を推し究むる根機なく、区々蒙々として唯流行を追ひ、時風に是従ふのみ也。
元因(もと)を去らざる限りは、永世に苦界に沈淪(ちんりん)して、種々無量の苦悩を受くべきや必せり。
地徳を受けし人々の御出生
(ここ)に地徳を備はりて民と成りたる人々は、その銘々の玉の緒の株の所に魄精の神液(すね)が浮み来りて(へこ)み溜りて、凝々(こをろこをろ)底本ではフリガナが「こヽろこヽろ」(こころこころ)になっているが、『大石凝真素美全集 第一巻』p43では「こをろ」になっている。「こをろ」の方が意味的に妥当だと思われるので、霊界物語ネットでは「こをろこをろ」にした。として其上面に幕を張りて居る所ヘ、彼の気形の人象が更に(魂精神(たま))を受け持ち来らしめられて、其神液(すね)の中に(つか)りつつ、且つ食ひ且つ塗りつつ、其神液(すね)の密中に睡る時は、大気は厚く降り来りて其上を覆ひ、伏霊(ほどろぎ)仁土(はにつち)と成る也。其内に孕まれて多々の年度を経過すれども(つひ)に石と成らず、仁土(はにつち)の内に孕まれて此霊身()を成就する事を得たる者也。故に其生れ出でたる時は、(あたか)も蝉が土中より出たるが如く、(あな)穿(うが)ちて生れ出ける也。
大和国吉野郡井戸村現・奈良県吉野郡川上村井戸に在る人生(ひと)(あな)は、井光(いびか)古事記では「井氷鹿(いひか)」、日本書紀では「井光(いひか)」と呼ばれる国津神。吉野首(よしののおびと)らの祖。神武東征の折、吉野にて出会った。光がある井から出て来た。尾が生えている。が生れ出たる所にして其の一ツ也。古事記中巻の始を見るべし。
其土中より出たる初は(うご)(うご)「蠢」は底本では活字が無いためか「(春-虫)」と表記されている。『大石凝真素美全集 第一巻』p43-45では該当の活字が使用されているので、霊界物語ネットでもそのように直した。この節の最後までそのような文字が何ヶ所かある。蠢=(春─虫)/儱侗=(人-龍人-同)/黿=(元-龜)/=(去=龜)/渙=(水=奥)/飍=(風=風=風)/壟=(龍=土)/=(魚-王)/=(靈=鬼)/=(父=龍)/」として(うご)(うご)たり漸々に黿鰐蛟龍(すくも)の類と成り多々の年度を経て後に皆其(から)を脱ぎて人と成る也。彼の巌より出で玉ひたる五彦御子の如きは霊気結晶して成り玉ひし極身なるが故に烈々たる相好(ありさま)は神威凜乎として雷声よりも鋭く満膚(はだへ)は金鱗よりも(いかめ)しく骨格、爪牙、稜威を放ちて毛髪奮然として神与すれば天を射る也。克く声音の霊府を(あらく)りて飛飍(つむぢ)雲雨を起し常に気勢(つまご)白雲に乗じて天中を進退する事自由自在にして到らざる所なく為さざる事なし。其到る所は忽ち中府(みやこ)と成りて大天(これ)を護衛し気類(ことごと)(これ)に朝す。実に龍飛び鳥翔るが如き者にはあらざる也。故に此石中より生れ出玉ひたる(極身(おほみ))を称して壟神(かみ)(まを)し奉り其(ひめ)を称して(わに)(まを)し奉る。其大臣(おみ)等の身を(かた)と謂ふ。又其小臣(をみ)等の身を(ひとごのかみ)と謂ふ也。其威徳一切神に()ぎて神霊なる也、()(つまご)に説ける壟神(かみ)大王が気勢(みいづ)白雲に御して至大天球之中を悉く親臨して照覧し玉ふ時は此(かたかみ)(ひとごのかみ)等皆陪従し奉りて常に守護し奉りける也、
天中の御測量
かくて天中の測量を了り玉ふや、海陸に降りて一人地球を親臨し玉ひつつ、海陸の一切を落る隈なく測量し了り玉ふ時は、天球及地球は橘の如き者也と見定め玉ひ、焉に年度の往来する事は、桜花の咲き散りつつ、幾億兆万々年も果し無き也と見定め玉へり。是が後に朝廷に橘桜を植ゑ玉ふ因と成りたり。其海陸を親臨し玉ふ時は、其(かばね)(つかさ)に因て、其儘(そのまま)海中に止まりで海神と成りたる者あり。(また)本土に止まりて、山津見神(やまつみのかみ)と成りたる者もあり、概ね御供に事ヘ奉りて更に大気の上に騰り、天照大御神に奏して、葦原の中津国はいたくさやぎて有りけりど、宣り玉ふ時に、一切親査、測量済と成り、至大天球之中(たかあまはら)の物事を明かに御腹の内に知覚し、「声の形と、天地の形と等しき也。声の産霊と天地の産霊と等しき也」と見定め玉ひける故に、世界一切の事を御腹の中なる声の(つぼ)に収め()り玉ひて以来は、
声の本質、宇宙の実相
声を以て居ながら至大天球之中(たかあまはら)を知ろしめす事と定め玉ひて、さしも烈しく(いか)しく()剣膚(たちはだ)は必要を了りたるを以て、漸々に其剣膚(たちはだ)解脱(ぬが)し玉ひける故に、漸々頭小胴大と成り、食物に気を喰ふ事少なく、味を喰ふ事多く成り玉ふ。然れども未だ火食せず、骨格の稜威も、毛髪の神与も、爪牙の構も、次第に温和に成りゆき玉ひ、声を以て神勅(のりと)()り玉ひ、声を以て世を聞こしめし玉ふ。故れ世を経綸(まつりごと)し給ふ事、万声(よろづこえ)を以て千々(ちぢ)八千々(やちぢ)に織る(はた)()なみ底本では「椶(ひ)」だが『大石凝真素美全集 第一巻』p46では「捘(ひ)」になっている。「椶」は「棕」の異体字で樹木の「棕櫚(シュロ)」に用いる。機織りの道具の「ひ」は「杼」か「梭」の字を使う。その誤字か?に依りて(はら)に因らずして、化生して相好(みかたち)を改め、天中の事も、皆(ことごと)く賑しく御腹の内なる声の局に収め、覚え保ち玉ふに依りて、御名も改まり、
瓊々杵命の御化生
天饒(あめにぎ)国饒(くににぎ)天津(あまつ)日高彦(ひたかひこ)(ほの)瓊々杵(ににぎの)(みこと)と称し奉る也。更に日嗣(ひつぎ)の御子として、(もろもろ)(おみ)(たち)を連れ玉ひて、日向国高千穂の峰に降り玉ひ、大山津見神の(むすめ)木の花咲哉姫命を入れて(ひこ)日日出見(ほほでみの)(みこと)胎生(はらめ)給ふ。此の彦日日出見尊は此東北方面なる日本国の海山の万機を親臨し玉ひつつ、真実此天地に有る所と声の(つぼ)に在る所と正しく、符号を合するや否を、明細に試験し玉ひたるに、皆(ことごと)く合格一致する事を見極め玉へり、轍ち至大天球之中(たかあまはら)に実相組織する所の(まこと)は即ち声也、又此国土備りて正体(まさみ)底本では「此体(まさみ)」だが『大石凝真素美全集 第一巻』p47では「正体(まさみ)」になっており、そちらが妥当だと思うのでそのように直した。を顕し示し居る所の真も即ち声也、人の身に備はりて、天地に伸び、神に通ひ物に(とほ)り、奇妙(くしびに)霊妙(くすしき)の行ひを極め、自由自在の事をする所の真も、即ち声なりと知ろしめし極め玉ひて、尚海神(わたつみ)の宮に至り玉ひ、
竜宮の豊玉姫
綿津見(わたつみ)の神の(むすめ)王仁(わに)豊玉姫(とよたまひめの)(みこと)を入れて孕め玉ひて大海を統御する真璽(即ち塩満玉、塩涸玉、四個也)『此真璽今猶ほ歴々として保存しある也』を四個得玉ひて綿津見の真も即ち声也と覚り、極めて陸に帰り玉ひ、思召(おぼしめし)玉はく、天津大御神の大神勅なる七十五声を以て、此秋津大御国を統御し玉はば、元より声の()ぶる所なる、天地の(そこ)()の浦も玉の身の内外も、世の物事皆(ことごと)く大御心の随々(まにまに)(をさま)(たひら)ぎて、常磐(ときは)に世は治まりなむと弥々見極め賜ふに因りて、声の真が至大天球之中に透き徹り、照り通りて大御身誠に和らぎ(やさし)く成り賜ひて、天の羽衣は悉く脱ぎ(すて)賜ふ時に、豊玉姫の命は其御子を産む時に当りて、此陸に出来り賜ひて奏し賜ふ。是に於て浜辺の渚に産屋を作り、其脱ぎ(すて)賜ひし所の()の羽衣を以て其産屋の屋根を()かし玉ふ。其産屋未だ葺きあヘぬに其産屋に入りて御子を産み給ふ。此時に尊は既に天の羽衣を脱ぎ捨て、屋根の葺草(ふきぐさ)にし給ひつるに、命は未だ全く脱ぎ給はず、元の(わに)に成りて産み給へるを見られ給ひて、(うら)恥かしく思召(おぼしめし)て、恨みつつも海陸の通路を絶ちて綿津海の宮に帰り入り玉ふ。(よつ)て其妹玉依姫(たまよりひめ)の命を陸に登らせて御歌を奉りて其御子を(ひた)し奉らしめ玉ふ。此御子を
鵜草葺不合命の御出生底本では「鵜」は活字が無いためか「(弟-鳥)」と表記されている。一般的には「草葺」だが底本では「葺草」になっている。誤字だと思われるので一般的な「草葺」に修正した。この項の見出しと本文、計3ヶ所。
鵜草葺不合(うがやふきあへずの)(みこと)底本では「鵜」ではなく「烏」。(まう)(たてまつ)る也。此鵜草葺不合命底本では「鵜」ではなく「烏」。は上件段々の秩序(てつづき)を理め、天の羽衣を屋根の葺草(ふきぐさ)とし給ひたる宮に産れ賜ひけるが故に、厳装麗(いかめしき)(みや)を造りて以て荒膚(あらはだ)と定め給ひ、其宮に住み給ひて、供手而(たむだして)底本ではフリガナは「たむだきち」。『大石凝真素美全集 第一巻』p48では「たむだして」。世を知ろしめし賜ふに思召(おぼしめし)給はく、
人体の御熟成
至大天球之中(たかあまはら)に実相組織し居る所の(真霊妙精(かみ))即ち声が、其儘(そのまま)写りて此大御腹に収まり、鎮まりたる故に(此身の地球(からだ)なる)(からだ)至大天球之中(たかあまはら)と同体と成り、膨満融福にして、大御腹の名をさへ保ちて、七十五声の(つぼ)を備へたる也。即ち背の方に収機局を蔵して、御門(みかど)を耳に開きて世の声音を開き入れ玉ひ腹の方に発機局を蔵して、御門を口に開きて七十五声を明朗(ほがらか)に吹出し、大御心を其儘(そのまま)現実に顕はし給ふ也。 人誠に謹慎して声言を正朗にし、鮮明にし、真実にする時は、天授の心経栄旺えて、智恵照り徹り、福徳自然に備はり、億兆是に帰し、高寿備はり極安楽を成就する也。此の比々憐々として実相充実する所の声言を、「理」「法」「礼」「道」に叶へしめ照らし祭り修め養ふ時は、万機心の思ふ所を仕遂げて、子孫をも栄え昌えしめ、亦復又その血筋に若返り生れ来りて、残の(たのし)みを楽み奉る事を得る也。
心経錯乱
然るを心迷ひて我が心経を紊乱せしめ、我心を愛子の身の内に鋳込みて、可愛(いとしい)ー惜しいと引掛け又男女に引掛けて(こひ)ーし(なつ)ーかし(ねた)ましいー(うらや)ましいー()しいー(いと)はしいと鋳込み、又()くいー(うら)めしいー瞋恚(ねたま)しい、頑愚(かたくな)しい、又物を見聞きて、(をそ)ろしい(おびただ)しい、(ゆき)たし、見たし、()ひたし、()ひたし、嗅きたし謂はしたし、着せたし等と心経を横に引渡し、他に及ぼし掛くる時は、その心経の錯乱は死しての後も(なほ)止まず、縫れもつれて佗の愚物共の心経と絡み合ひ、永劫闇黒に居て、人の身を()け生れ出でむ事(むずか)し矣、此れ已に前に説く所の如し。又此身の天球なる頭は地球と同体と成り、緊精(よくしまりたる)の形を備はり、目を以て天中に注ぎ、耳を以て天声言音を入れ、口を以て天声を発し鼻を以て天真を呼吸し、髄脳を以て天霊を収め、口を以て天食を入れつつ、(ひた)()る所の至大天球を自由自在に目耳鼻口髄脳に資りつつ、又自由自在に反射して、天地の大造化を全く(ここ)(あづか)底本でも『大石凝真素美全集 第一巻』p49でも「領(あづか)り」である。「預り」の誤字かも知れない。」玉ふ、奇妙(くずしく)霊妙(くづやか)の真実を産霊修めて、全く今の世の人の形と成り給ひ、御親等が解き脱ぎ(すて)玉ひし荒膚(あらはだ)の諸を写し代へて大宮を造営して荒膚と為し玉ひ、御衣(みそ)を以て、
和膚と火食
和膚(にぎはだ)と為し給ひ、爰に火食を創めて、諸の大臣、小臣、民等をも悉く此儀を(あやか)らしめ賜ひて、剣膚(たちはだ)を脱ぎて殿家を作りて住ましめ、火食に就かしめ賜ふ。故れ是よりして至大天球中に実相瀰綸する所の、極微点の連珠糸を人の腹の内に収め給ふが故に人の結婚が即ち天地の産霊と成りて、胎を以て御子を産み給ふ事と成れり。蓋し天性は直立し在る也。地質は平臥し在る也。故に天中に居る火は直騰する也。地中に居る水は平降する也。此火水の象を以て天は直性也、地は平質也といふ所以を推証すべし。人は此天地の真を全く稟け得たる神霊体なるが故に、立つ時は一直立(まつすぐ)也。()す時は一正伸(まつたいら)也。産霊(むすび)坐す(すわ)る時は腰以上は天也、(すぐ)也。腰以下は地也、正也。実に火水、直正の象と同律也。此形は鳥、獣、魚、虫、輩の(あへ)疑似(まね)る事(あた)はざる所也。又(すべ)て物事相ひ産霊(むすぶ)時は反対(うらうら)の象を顕はす也。
産霊の真儀
是即ち神約の(いちじるし)き所也。誠に造化の常也、循環の門也、秩序也。(ためし)に人に対面して見よ。(かれ)の左は我右也、我左は(かれ)の右也。草木は地に(ねざ)し、天に幹し居る也。然るに其結びて成就したる果実の仁中の精は皆悉く天に根し、地に幹して居る也。(むすび)の妙体神約の有る所、一ツに皆如此(このごとき)也。故に人の身も相産霊(むすび)て此個々の小天地を造醸し賜ひける也。故に天球(あたま)(あやかり)なる頭は至大なるべきに、(かへつ)て緊小の玉と成り、地球の(あやかり)なる(からだ)は膨大融福の玉と成り、其用も、頭は地球が天中に涵り居る通りの用を為し、胴は天球が一切を胎蔵し居る通りの用を為し居る也。(併し女は頭は地球也、胴が天球也)故れ鵜草葺不合(うがやふきあへずの)底本では「鵜」ではなく「烏」。は此一切の真を産霊収め、此一切の(いは)れを皆(ことごと)く知り尽し給ひて御一身に保ち給ひ、(もろもろ)大臣(おほみ)小臣(をみ)(たみ)をも悉く治め給ひけるを、玉依姫の命は聞こしめし玉ひ、見し明らめ玉ひ、此(もろもろ)(いはれ)を『即ち天地開闢の時より今日に至る、幾億兆万々年の造化の次第を(あきらか)に保ち居る謂れ也』(あきらか)に大御腹の内に呑み込み知り収め賜ひて大国母の位を践み賜ふに依りて、正しく今の世の后と同体に和ぎ賜ひける時は、幸を受け賜ひて、
神倭伊波礼彦命の御出生
神倭伊波礼彦(かむやまといはれひこの)尊を()れまし賜ひける也。又頭の精が顕はれ出で、心の活用を全く主る、空体なる手は一平正(たひらか)に備はり、又胴の精が顕はれ出で、体の活動を全く主る足は、一直立に備はり有るを以て能く克く考へ見るべし。
天地と人体との根本関係
地水(つちみづ)(たひら)の象を頭と手とに備はり、天火直の象を胴と足とに具はり居る也。天中に就りたる草木の果実が天に(ねざ)し、地に幹し居る神約を以て見るも、天に(ねざ)し地に幹し居る天中の玉の身なる事を知るべし。又胎を生れ出る時は頭を先にして降臨の形也。(よつ)て呼吸を主とする鼻の形は直也。食味を主とする口の形は正也。又声音を出す口の形は円満也。其声音を入るる耳の形は直也。色相を容るる眼の形は正也。(すべ)て天地の真精を其儘(そのまま)(あやか)りたる神霊(くすやか)なる身体なるが故に、(すべ)て直正ならざる所莫し。故に其産霊を以て心機を顕はし、身を以て礼操を顕はす時は、事として謂はざる事無く、為さざる事なし矣。
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