霊界物語は、伊都能売御魂霊国の天人たる大八洲彦命の御精霊を、瑞月聖師の体に充たして口述発表されたるミロク御経綸上の一大神書でありまして、ミロクの世になると天下の人々が読まねばならぬ宝典でありますが、目下の目的としては一日でも早く一人でも多く因縁の身魂(精霊も人も)に読んでもらい、以てミロクの御用に奉仕する指南車たらしめんがためであります。あたかも歩兵に対する鉄砲のようなもので吾々に取りて極めて必要なものであります。
さて瑞月聖師がこの霊界物語御口述の状況について、私どもが傍らにありて親しく見聞したる事実を略述します。
御口述の始まったのは大正十年旧九月十八日からでありまして、京都刑務所未決監より御帰りになってから間もなくでありました。御帰りになった当時より一種の病的感覚が起こり、二、三の医師と共に私も度々診察致しましたが、器質的疾患はどこにも無いにも拘わらず、全身倦怠苦悶等名のつけようのない容態のため、絶えず撫でさすりをしておらねばならず、その烈しき時は薬剤によりて一時的軽快を企つるのほか方法はなかったほどであります。薬剤の多くは医学上副作用と称して身体の細胞に対して面白からざる影響を来たすもので、従って薬剤療法はよほど注意を要するものなることは入信以来教えられているところでありますから、まず二、三の処方を作り聖師様の御指図を受けたるものツマリ神示の薬剤を差し上げたのであるから、即時に驚くべき効果はありますが、それもただ一時的であってヤガテ苦悩は依然として来去し、やむを得ず横臥のまま口述なさったのであります。しかし御口述中は不思議にも何の苦痛も起こらないので、日を経るに従いいわゆる「床縛り」であることを自覚され、それ以来服薬は廃止されたのであります。何分古今東西に類例のない大著述大事業であって、しかも速成を要するから、神様から強制的に口述せしめられたのであります。ただし一巻を終わるごとに神様より安息日(普通一日間)を与えられてあるので、この床縛りということが判ってからは、もし中途に御口述を休止さるるようのことがあれば、たちまち烈しき苦悩が起こり、神示の薬剤を以てしても寸効がないのでありました。私どもは常にこの事実を目撃し、ただただ御苦労の御役であると恐縮するよりほかなかったのであります。
初めに大八洲彦命云々と申し上げましたが、この神様御一柱によりて口述さるるのではなく、その日その日の口述範囲に関係ある真精霊様が神集われ、大八洲彦命総指揮の下にそれぞれ分担的に聖師様を通じて口述さるるのであります。しかして聖師様に内流し来たるこれら天使等様の説示はいずれも霊的に種々の方法によるのでありまして、聖師様は単にこれを読み上げ、またはその状況を物語せらるるのであります。これによりて一方興味を促し、一方心機を新たにしてなるべく疲労を軽減せしむるための大神様の厚き思し召しであると察せられます。即ちあるときは幾行かの文字が次々に空中に現れ、または文句を記したる紙面が眼前に来たり(この霊界の神が写真に撮れたことがあり保存してあります)、あるいは口述場面が活動写真的に眼前に映り出し、また時として霊的神劇が展開し聖師様みずからその劇中の立役者とならるることがあります。無論このさい聖師様の聖霊ではありますが、霊眼の時とは異なり実際の場面において行わるるのであるから、ある時は熱帯地方、ある時は寒国、また海に山に野に川にと世界各地に活動さるるのであるから、自然その霊界劇中の出来事が聖師様の肉体に影響し、暑中に寒さを感じて衣を重ねられたり、寒中に暑くなったりすることはしばしばであって、時には身は安臥口述しながら挫創火傷、打撲等、御口述の状況そのままの現実的症状を来たすことがあります。かくの如きは霊的知識の無き限りとうてい説明も出来ず、また信じられぬことであるが、事実はドコまでも事実であります。御神業のため救世のためとは言いながら、誠に御気の毒に堪えざる次第であります。
かかる次第であるから世界各地の状況、史実、言語、風俗等、過現未に亘り、神幽現三界を通じ、必要に応じて判らざるなしであります。聖師様に対し真に誠心誠意を以て教えを請えば、神事人事何事といえども詳細に説示さるるのは、かく大神様の神格の直接内流及び諸天使を通じての間接内流により胎蔵を啓示さるるからであります。
また筆録者においても滾々として尽きざる御口述に対し、本来神言(神に二言なし)は一回にして聴き取らねばならぬのでありますから、耳と目と手との間断なき注意は真に一生懸命の努力であります。その一巻(原稿約千二百四十枚)を口述さるるに要する平均日数は三日乃至四日であるが、第四十六巻の如きはわずか二日間にて終わり、従って第一日には八百枚を筆録したのでありまして、実に類例のないことであろうと思うのであります。
さらに天声社における幾多の手数を重ねて、ようやく皆様の手に渡るのであります。御承知の通り大本の人々は物質的にはほとんど無報酬の下に夜を日に継ぎ奉仕しているのでありまして、殊に天声社の多数職員の半ば以上は青少年でありますが、かの人々たちは「早くこれを作り上げねば神様の御経綸が遅れ聖師様が御困りになるから」との、実に涙を催さしむる美しき信念の下に働いているのでありますから、御参綾の節は御参観を願いたいものであります。聖師様はこれについて
「物質万能の現今において、かくまで清き舎身的奉仕の下に大急ぎで作り上げるのは何のためであるか、一日でも早く、一人でも多く、これを読了してもらい、以てこの度の大神業に奉仕せしめんがためである。実の誠を言えば、もし信者にしてこれら神書を読まぬ人ありとすれば、この一事すでに神様の御気勘に叶わぬのである。大体この神書は、内分の神に背いたものには判る道理がないから、発売すべきものではないが、ある事情のため神様に許して頂いて売品としたのである」
と仰せられておられます。今まで聖師様は霊界物語に対してはほとんど放任的に人々の批評に任せておられたのでありますが、時節の切迫はここにいよいよある程度までその真相を説示して頂くこととなったのであります。以下これをお取次致します。