芦の山峠を越えて猪ノ鼻の茶店にしばし腰かけてをり
茶を啜り休らひ居れば田舎さびし四十男が立寄りやすらふ
この男茶をのみながらぎろぎろといやらしきまでわが顔覗けり
気の悪い男とわれは顔そむけまたも一杯番茶をすする
私は吉野の者です貴方様は変りしお方とわが顔を見る
わが妻の病気のために穴太まで参拝しますと問はず語りする
穴太寺観音さまへ参詣かと尋ねてみれば否とくびふる
あらたかい神が穴太へ現れたと聞いて参拝するのですと言ふ
私こそ穴太で神の道ひらく喜楽といへば手を拍ち喜ぶ
わが家に御入来あつてわが妻の祈念を頼むと落涙合掌す
山坂をたどりたどりて摂丹の国境までのぼりやすらふ
国境に一本柊の古木あり北枝針あり南枝針なし
鬼の棲む丹波にむかふ梢には痛き針あり不思議と人のいふ
津の国にむかふ南のこずゑには針一つなき丸葉のみなる
柊と丸葉の伝説じゆんじゆんと吉野の男われに話せり
この男きざみ煙草を吸ひながら妻の病状をつぶさに語れり
狸の仇
吉野なる五平の家に来てみれば小さきながらも家新らしき
門の戸を開くれば熱の香ぷんぷんと屋内こめて臭気鼻をつく
われゆけば床跳ねおきて病人は団栗眼をみはりて坐る
病人の前に端坐し神言を奏上すればべろべろ舌出す
その方は何物なるかとなじり問へば正一位稲荷と鷹揚に宣る
その方は稲荷にあらず豆狸と急所さされて眼をむき舌出す
舌の先無闇にのびて顔中を舐めまはすこそ可笑しかりけり
噴き出さんばかりの可笑しさこらへつつ口をつまへて睨みつけたり
彼の女われにならひて口つまへ睨みかへせるスタイルをかし
おもむろに天の数歌宣りつればまたもやべろべろ舌出し眼をむく
裏藪にながらく棲んだ狸です藪を伐られてゆくところなし
藪伐りしあとにこの家建てられて親子夫婦が迷ふと歎く
棲むところなきためこの家の女房の腹に入りしと狸の述懐
喜楽さましばらく待つて下されよ腹が減つたといひつつ飯食ふ
飯櫃を土間にぶちあけ四つ這になりて残らず食てしまひけり
三升の飯を一度に食ふといふ狸の憑いたあはれな妻なり
この狸一族残らず呼びあつめ飯食ふさまの迅きにおどろく
両眼に涙たたへて五平氏は貧乏世帯が荒らされると泣く
病人に端坐させつつ鎮魂をなせばげらげらと笑ひ出したり
アハハハハ正一位稲荷大明神ぞ退れ退れと舌長にいふ
この家は常富一族が食ひつぶすかまうてくれなと背を向けていふ
神界に奏上せんとわれいへば狸おどろき合掌して泣く
これだけは平にお許し下されと狸の妻の泣く声悲しき
この家にわざはひせずば裏庭に祠を建てて祀るとちかふ
神の座に私を祀りて下さらばわざはひせぬと狸はあやまる
裏にはに小さき祠を急造し狸まつれば妻は癒えたり
この家の主人も妻もよろこびて教きかんとわれをとどむる
この村に教の道をひらかんと吾も四五日とどまりてをり
神様に助けられたと夫婦等は村ことごとくふれてまはれり
野狸をしづめるやつは野狸の大親玉と村びと非難す
野狸は退散せよと村人はつぎつぎ来りて吾を逐ひたつ
かむながら道を説けども霊界のさまをかたれど耳無しの里
この家にわれ道説けば外の面より老若男女石を擲げ込む
この村は法華の信者ばかりなり神様なんかいらぬと逐ひ出す
あはれなる村人救ふよしもなくわれはこの家を立ち出でにけり
梅かをる五平の軒に春の日の名残りをしみてたちいでにけり
きさらぎの春をかをれる白梅の花清しもよわが道に似て
村人の誤解
野狸の怨霊しづめて救ひしを闇の世界はあしざまにいふ
野狸に左右されをる法華宗はまことの神を嫌ふもうべなり
村人にいちいち狸憑依して力かぎりに神にそむけり
わが噂遠き近きに喧伝し世人はわれを狸とあやまる