宮川の稲荷の山をおとなへばここにも稲荷下げの男あり
稲荷下げのやかたを訪へば五十男眼をぎよろつかせ吾を睨めり
この山は天降白狐の棲処なり狸の親玉かへれと呶鳴る
上『千早振る神のまことの大道をひらかんわれは狸にあらず』
汝こそ白狐の肉宮と宣りつれど溝狸よとわれはいましむ
この主人山本平馬といふ男大麻うちふりわれに迫り来
大麻を前後左右にふりまはしわれに向つて怨敵退散
心経をとなへ神言奏上し怨敵退散とくるふ山本
山本の狂ふ姿のをかしさにわれは思はず噴き出しにけり
をかしさのつつみ破れて噴き出せばますます山本怒り出したり
われもまた双手を組んで数歌を黙誦すれば逃げ出す山本
山本は御幣うちふり山上に脱兎の如く逃げのぼりゆく
われもまた山上めがけて登りゆけばあちこち並ぶ稲荷の石塚
山城の稲荷の山を模倣せる宮川稲荷の山は小さき
模倣せる石塚のまへにたたずめば恐れ多くも軽侮の念わく
山上の霙
七行場模倣したれど滝もなく山はさびしく霙ふるなり
霙ふる山の尾の上にたたずめば山本祠のまへに端坐す
降りしきる霙襖に隔てられ山本のかげ見えずなりけり
山本は般若心経陀羅尼品つづいて天津祝詞をのりをり
山本の声は次第にかすれ行きて狐の真相あらはれにけり
わが立てる姿知らずに山本は怨敵退散しきりに唱ふる
神徳で道場破りの喜楽奴を祓ひたまへと祈るをかしさ
天地の神に黙祷ささげつつうんと呶鳴ればおどろく山本
山本は大幣ささげ弓なりに祠の前にたたずみてをり
心力をこめて数歌宣りつれば山本おどろき飛び上りたり
こんこんと狐の声を張り上げて韋駄天走りに山をおりゆく
数十ケ所の石塚つぎつぎ巡覧しいちいちわれは数歌を宣る
霙降る空をかへして天津日は尾の上に高くかがやきたまふ
曲神はここにも神の仮面きて世を濁さんと構へゐるなり
道のため世のため曲を祓はんとつつしみ敬ひ太祝詞宣る
天津日に照されさつと吹く風に梢の霙雨のごと落つ
上下の露にわが衣しめらひて山下る足にうるさくまとふ
やうやくに山をくだれば山本の稲荷教会に人声たかし
笑顔の罠
教会の世話方らしきが五六人笑顔つくりてわれを迎ふる
教会の先生が御無礼をしましたと平身低頭信徒わびをり
こころには染まぬなれども信徒の心おもひて家にたちよる
教会にわれ入りみれば山本は発熱つよく横臥してをり
山本は夢現にて喜楽さんゆるしたまへと囈言いひをり
側人にかまはず数歌宣りつれば頭抱へて起きあがりたり
その声を聞けば命が亡びます許せ許せとうつむきて泣く
曲神を退けやらんといや高にわれは数歌宣りあげにけり
野狐や野天狗狸の邪霊どもいやつぎつぎに飛び出したり
いろいろのこと口走り偽りを今迄せしと泣きつつ詑ぶる
世話方や信者は顔色蒼ざめていかになるかと溜息つきをり
駐在所の巡査来るまで甘言をもちてわれをば止めおきたる
ガチヤガチヤとサーベルの音させながら村の巡査は入り来りけり
釈明
なに故に家宅侵入したるかと威猛だかなる巡査の角声
無理矢理に引き込まれたる吾にして家宅侵入とは思ひもよらず
この男招き入れしか一人来しかなどと巡査は山本に問ふ
山本はわれをば罪におとさんと無理侵入と答へゐたりき
それみたかとしたり顔なる警官は駐在所までわれを連れゆく
警官は手帳取り出し住所姓名いとおごそかに調べ出したり
厳かに訊問はじむる折もあれ教会信者いきせききたる
この信者ありし次第をこまごまと巡査に向つて釈明なしをり
曲神の中にも一人善人のまじりありしを神に感謝しぬ
警官は御苦労でしたと慇懃にわれを放免なして送れり
○余白に
千早ふる神は愛なり善なれば皆平等に光をたまふ
つかの間も神はやすませ給はねば働かずして食ふ権利なし
虚偽虚飾不善は地上に鬱積し一歩も進めぬ世とはなりけり