秋あさき十月半ばのことなりき正信四方竹村吾を訪ふ
上谷で協議の結果をもたらして面会に来たとしたり顔する
三人は本宮山にさそひ出し綾部退却の勧告をなす
いやらしき笑みをたたへて春蔵はまづ一番に切り出しにけり
春『長らくのお世話になつた先生に帰国を願ふと決定しました』
春『一日も早く帰つてもらはねば金明会が統一しません』
春『気の毒でたまりませんが一同の相談ですから是非に及ばず』
春『先生は開祖の教の邪魔になり神に気障りあるお方です』
春『一年ほど穴太に帰つて下されば後は立派に道が立ちます』
春『一二年あなたのお出でが早かつたそれ故信者が統一しません』
野心持つ彼春蔵は臆面もなく出しやばつて勝手なこと言ふ
妙なこと言ふよとわれは春蔵の顔をみつめてほほゑみてをり
春蔵は気味悪さうに蒼白な顔にてしきりに首をうち振る
開祖様の命令なればいつにても帰郷するよとわれ答へけり
春蔵は手持不沙汰の面持でわが顔もみずびりびりふるへる
正信はここよと威丈高になり信者一統の代理と嘘つく
正『大神様はじめ役員一同の代表者のわれ御承知を願ふ』
正『綾部には立派な金光教会があるからあなたの必要はない』
正『お直さんが気をいら立てて平蔵があなたを呼んで来たのが間違ひ』
正『一言の相談もなく派の違ふ霊学なんかを寄せたがあやまり』
正『金光は立派な公認教会よ大きな顔して布教が出来ます』
正『そのすぢの認可さへ無き金明会は偉さうに言うても到底駄目だよ』
正『お直さん平蔵ぐらゐが骨折つて何が出来るか考へなされ』
正『警察がさしとめに来ぬその中に一時も早くお帰りなされ』
正『足もとの明るいうちに帰らねば狐の尻つぽがあらはれますぞや』
正『無学なる紙屑買の婆さんを開祖様とはものが言はれぬ』
正『牛乳屋くらゐがいくら気ばつても到底神の道は開けぬ』
正『花のあるうちに帰るがよろしかろお直さんは私がお世話をします』
正『一刻もはやく決心したうへで確答願ふこの三人に』
正『お前さんこれだけ人に嫌はれてをつても綾部を帰るがいやかい』
正『お前さんはよくよく行くとこのない人だ腹が立つならお帰りなさい』
正『これみたかと言はんばかりに奮発して一つの教会でも建ててみなさい』
正『こんなこと言ふと済まんがお前さんの力で教会なんか建つまい』
正信の罵詈雑言を聞かぬがにわれ平然と顔をみてをり
正信はさも心地よげにほほ笑みつわれを尻めにかけて腕ふる
嘲笑と侮辱の限りをつくしつつ得意顔なる正信あはれ
正信にかはつて竹村仲蔵はまた暴言をはき出しけり
竹『百姓の蛙きりやら牛乳屋さんが神の道とは似合ひませんぞ』
竹『草深い田舎の者をだまさうとくだらぬ霊学をもつて来たのだ』
竹『神罰は覿面尻ぽが見えました狐狸の霊学綾部へもてきて』
竹『草深い綾部は何程田舎でもまだ目のあいたものがをるぞや』
竹『百姓の伜が神道家になつて如何してろくなことが出来るか』
竹『土臭い蛙とばしのみみずきりまだしも牛乳屋が性に合うてる』
竹『お前さんの自由になるやうな馬鹿者は綾部の田舎にもをりませんぞや』
竹『一日も早く穴太で百姓をなさるがあなたの御身のためぞや』
竹『蛙子のお玉杓子は鯰にはならずやつぱり蛙になります』
竹『お玉杓子手足がはえて尻きれて先祖ゆづりの蛙となるぞや』
竹『御筆先八年九年しらべたがまだ満足に布教が出来ぬ』
竹『去年まで蛙とばしのお前さん審神や布教が出来るものかい』
竹『一日も早くお道の勉強をした上綾部へ来るなら来なさい』
竹『綾部には日本一の神がかり春蔵さんがあれば大丈夫』
竹『神様のお邪魔をせずにいさぎよう男の意地でお帰りなさい』
竹『生神の福島先生ござる故あなたは場ふさぎ邪魔になります』
竹『開祖様が何程をれと云はれても客と白鷺立つが見事ぢや』
竹『開祖さんは大神様に一心であまり人物を買ひかぶつてござる』
竹『一日も早く帰つて百姓せよと穴太の母から手紙が来ましたよ』
竹『心ようあなたが帰つて下さらば天地の神にもお詑びがかなふ』
竹『大勢の役員信者が喜んでお母さんには孝行になる』
竹『大勢の者にこれ程いやがられあなたは綾部にゐたいのですか』
竹『教祖さん一人の金明会でない屑の出ぬ中お帰りなされ』
嘲笑讒誣立腹させて帰さんと非常手段に出でたる三人
大江山峰吹く風のかそかにて四人のおもてを冷やかになめゆく
秋の色やうやく深く椎の葉の落つるも淋しき本宮の山
郡是製糸会社のサイレン音高く何鹿平野をゆるがせてをり
山下をめぐれる和知の清流は音さへ立てずしづかなる夕べ
一刹那
堪忍袋今や切れんとせし刹那出口澄子は登りきたれり
三人は澄子の登り来るみて手持不沙汰に顔そむけをり
澄『先生の御姿見えずと開祖様が御心配です帰つて下さい』
澄『平蔵さん勇佑さんが先生のありかをあちこちさがしてゐますよ』
澄『先生は本宮山に違ひないと考へひとり迎へにきました』
澄『開祖さんが一緒に御飯が食べたいとお待兼ねです早くお帰り』
三人に軽き会釈をおくりつつ澄子と二人山下りけり
三人は似合ひますなど大声にわが後姿を見送りひやかす
無関係の中を三人のひが目にてひやかし半分笑うてゐやがる
一時間の後に以前の三人は顔あをざめてかへり来れり
堪忍袋
一室にわれ端坐してこの綾部退去せむかと思案に暮れをり
金明会の役員及び神がかりの状態見捨てて帰りもならず
綾部をば今帰りなば何もかも彼三人がめちやめちやにするだらう
堪忍の袋の紐を強くしめて鎮定するまで待たんとおもへり
神宣
折もあれ開祖は平蔵伴ひて襖おしあけしづかに入らせり
神様の御都合なれば穴太へは帰られませぬと開祖宣らせり
開『神様の御経綸成就するまでは帰されないと神のお言葉』
開『役員や信者の反対強くとも私とあなたの二人でよろしい』
開『平蔵さんしつかりなされ神様は如何してもお離しなされませんから』
開『神様や先生の言葉を腹に入れ人の言葉に迷ひなさるな』
開『先生と私とあれば大丈夫みろくの御代は開けますぞや』
開『しつかりと性根をすゑて人人の言葉に迷はぬやうにしなさい』
いろいろの教訓四方に与へつつ開祖は自分の居間に帰らす
この日より四方の態度一変しかげに日向にわれを保護せり
平蔵の決心したる夕べより大本の基礎かたまり初めたり