霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第四章 無題録

インフォメーション
題名:第四章 無題録 著者:出口王仁三郎
ページ:598 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-02-03 18:15:24 OBC :B121802c213
   一
教育
 今日(こんにち)の教育家は、(しん)の大道を(きは)めて居らぬ。(しん)の学理を知らぬ。人の師範たる教育家で()(なが)ら、肝腎の、教育(けういく)大勅(だいちょ)語の大精神を了得せず、日々有害無益の教を説き、愚人の(あら)はした愚説のみを教場(けうぢゃう)に立って受売(うけうり)する、蓄音機の()うなものである。天地の大道たる敬神尊皇愛国(けいしんそんわうあいこく)の本義を体得し()(これ)を実行し得ざる教育家に()いて学ぶは、実に危険である。国民性を傷害し、日本魂(やまとだましひ)を滅却せしむるもの、実に多大である。
 第一に天祖、国祖を祭り、次に祖先(せんぞ)に仕へ、(もっ)て忠孝の大義を実践(じっせん)窮行(きゅうかう)し、報本(ほうほん)反始(はんし)(じつ)を挙ぐるを(もっ)て、教育の大本(たいほん)をすべきものである。教育家にして(しん)に我国体を理解し、四海同胞、神人一系の神機(しんき)(さと)らば、大高中小学、幼稚園内に至聖場(しせいぢゃう)を設けて、天祖国祖を奉斎し、忠孝一本の本義を、教師自ら実行し(もっ)て、被教育者に模範を示して貰ひたい。
 日本は神国であると云ふ。神国なれば神国らしい行ひを守り、世界に(はん)を示さねばならぬ。神国天来の使命が諒解(りょうかい)さへ出来たら、国民一般が神心に成り、至治泰平、五六七(みろく)の神世が出現するから、現在の人心不安も混乱も、経済界の沈衰も、奇怪なる思想も、朝日の前の露の如く、(たちま)ち消滅して了ふのである。今日(こんにち)為政者(ゐせいしゃ)も教育家も君国を(うれ)ふる一片の至誠あらば、一刻も早く改心、改造に奮進せねばなるまい。
政治
 日出(ひいづ)る国の国民の代表者(だいへうしゃ)為政者(ゐせいしゃ)は、光華(かうか)明彩(めいさい)六合(りくがふ)照徹(せうてつ)する、神智(しんち)と神徳を保有し、(もっ)て全世界の暗黒無道の惨状を救ふ()き天職が在る事を忘れては成らぬ。(しか)(なが)今日(こんにち)鼻高(はなだか)()んな注文をするのは、(いささ)か無理かも知れぬ。日本だけの修理固成さへ持て余して、窮々(きうきう)()って眼を()はして()()うな次第柄(しだいがら)だから。
 天地の公道に(もと)づき、政治の根本を確立せば、天下は至治泰平の神国を招来するを()るのである。世界の大勢(たいせい)に順応するは良いが、公論と衆論とを誤解して、衆愚(しうぐ)多数政治(たすうせいぢ)と云ふ()うな事に成ったら、()れこそ天下国家の滅亡を(きた)すやも知れぬ。公平無私なる皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の御遺訓に()って、政治の本領を真解(しんかい)さし()い。
 国務大臣は第一に国祖を鄭重(ていちゃう)に祭祀し、朝夕(あさゆふ)(おこた)らず至誠を(もっ)て敬礼し、天祖所示(てんそしょじ)の施政方針を遵守(じゅんしゅ)大神(おほかみ)の御心を心と、仁慈の徳を備へて、国民に(のぞ)むべきものである。国務大臣にして()の信念と至誠なき時は、国民の議論(ぎろん)(しゅっ)し、(つひ)には(いま)はしき危険思想を醸成(じゃうせい)し、(もっ)祖宗(そそう)建国(けんこく)の大精神を破潰(はかい)せしむるの(おそれ)なきやを(うれ)ふ。敬神の(ねん)(うす)き大臣は、日本神国の為政者(ゐせいしゃ)たるの資格は絶対に無いものである。(かしこ)くも光格(くわうかく)天皇(てんわう)御製(ぎょせい)
 『神様の国に生れて神様の道がいやなら外国(とつくに)()け』と(あふ)せられて()る。外国へ行った所で、矢張り外国も神の一()同仁(どうじん)に守り玉ふ国であるから、猶更(なほさら)ダメであらう。
 君国の為に奉仕する官吏(くわんり)は、比較的巨額な棒級を戴いて居って、位階は賜はる、勲等は戴ける、軍人は亦た一つの勲功(くんこう)があると直ちに金鵄(きんし)勲章(くんしゃう)を貰ふ。実に国家の待遇は手厚きものである。皇道(くわうだう)大本(おほもと)は、真個(しんこ)国家(こくか)の為に無棒給(むほうきふ)(もっ)て君国の為に、身命を捧げて居る、聖なる団体であり、個人としても実に立派な敬神(けいしん)尊皇(そんわう)愛国(あいこく)の実行者である。(しか)るに大本(おほもと)に世間から贈って来るものは、新聞や雑誌の異記(○○)窘章(○○)である。神諭(しんゆ)章句(しゃうく)に何処か不都合の点が在るとかにて、今度は爾々(いよいよ)大本(おほもと)に対し神諭(しんゆ)()(まき)禁止窘章(○○○○)を天の一方から下されたが、吾々(われわれ)(これ)を神の大御心と思うて、日夜神前に感謝して居る次第である。(これ)神諭(しんゆ)前以(まへもっ)(しる)されて()るからである。
 神諭(しんゆ)の文章は一切神界の消息のみを漏らされたもので、要するに内的の問題である。吾々(われわれ)は世界に顕幽(けんいう)両界(りゃうかい)の在る事を確信する以上は、幽界の消息が偶々(たまたま)現界(げんかい)の何処かに似た所が在るからと()って、現界の法規(ほふき)(もっ)て罰すると云ふ事は、顕幽を混同したる不明の処置である。仏教の経典も基督教(キリストけう)の聖書も彼が果して顕界に対する記事で在るとすれば、(これ)も第一に禁止(きんし)窘章(くんしゃう)を与へねばなるまい。アア神の事は神のみぞ知る。神霊現象と幽界の真相に()とき現代人の頭では如何(いかん)ともする事は出来ない。
 日本国の官吏(くわんり)や教育家たるものは、最も深く国体の淵源(えんげん)(きは)め、三種の神器の御本能を真解し、(もっ)て国民に(のぞ)まねばならぬ。三種の神器の本能は、八咫鏡(やたのかがみ)、即ち言霊の威力である。曲玉は統治の本体(ほんたい)である。(つるぎ)は日本国の土地全部の表徴である。(しか)し三種の神器の御本能は、拙著(せっちょ)皇道(くわうだう)大意(たいい)詳説(しゃうせっ)して置いたから、(ここ)には省略する。
 中世以降皇国の思想界は(ほと)んど仏教の独占的天下であった。其次(そのつぎ)儒教(じゅけう)基督教(キリストけう)(やや)勢力(せいりょく)()って()った位である。日本は神国であり(なが)ら、世界の人類の(まなこ)よりは仏教国と云はれて来た。固有の神道は在っても、頑迷(がんめい)固陋(こらう)なる神道家のみにして、(がう)(ふる)はず、(いたづ)らに神道の名のみを保存して来た位である。明治大正の御代と成ってからは、欧米の学説思想が漸次(ぜんじ)襲来(しうらい)すると共に、在来の(ほとけ)(じゅ)()の宗教の光は、日光に氷の消ゆる如く、(ほと)んど絶滅に等しき状態で、只々(ただただ)殿堂(でんだう)伽藍(がらん)形骸(けいがい)微々(びび)として存するのみである。神道も()た十三派を樹立すると(いへ)ども、(いづ)れも無力無智、到底天下を指導するの器にあらず。(これ)に反して外来思想の悪潮流(あくてうりう)浸々(しんしん)として油の浸潤(しんじゅん)するが如く、我国上下の民心を動揺させつつあるのである。()(かん)(しょ)して独り皇道(くわうだう)大本(おほもと)のみが、丹波(たんば)の山奥から(すべ)ての艱難を()め、教敵を()ごめ、四(めん)楚歌(そか)に包まれながら、旭日(きょくじっ)沖天(ちうてん)(いきほひ)(もっ)て、躍進(やくしん)台頭(たいとう)しつつ在るは、現代宗教家又は思想家の為に、万丈の気焔(きえん)を吐けるものであるとも()へる。(しか)しそれだけに又世間一般の嫉視(しっし)と反感と圧迫と猜疑(さいぎ)と誤解を受け易く、社会主義だの共産主義だの、過激主義だの反国家主義だのと云ふ難癖を付けようとするものが、沢山に現はれて来るのである。喬木(けいぼく)()く風に(もま)るの(たとへ)の如く、()んと無く皇道(くわうだう)大本(おほもと)に対して反感攻撃の声が高く広く海外までも響くやうに成って来た。明治時代の思想界と大正現代の思想界は、非常に異って来た。()の時に(おい)大本(おほもと)が社会に対し、皇道を宣伝せむとする立場は、益々(ますます)困難(こんなん)の度を加へて来た。(しか)(なが)(これ)大本(おほもと)の非常なる大発展に(ともな)ふ当然の成り(ゆき)であって、出る杭は打たれると等しく、()むを得ぬ次第であるが、今日(こんにち)の如く総ての艱難と障害の殺到する間に処して、(たゆ)まず屈せず、()(まで)進撃(しんげき)猛戦(まうせん)して()く所に、無限の愉快が(ともな)ふ。『天将降大任於是人也、必先苦其心志。労其筋骨餓其体膚空乏其身。行払乱其所為。所以動心忍性、曾益其所不能』と孟子(まうし)()ったのは、決して個人に対して而己(のみ)の語では無い。国家の上にも、皇道(くわうだう)大本(おほもと)の上にも適用すべきものである。吾々(われわれ)()の覚悟を(もっ)て、今後は(そう)(そう)(ちから)の在らむ限り進撃する(かんがへ)である。艱難これ(なんぢ)(たま)にすと云ふ事がある。雨降らば降れ、風吹かば吹け、至誠一貫、(もっ)て君国に尽す以上は、何事も惟神(かんながら)に任すのみである。江山(こうざん)の好風景は必ずしも、晴天(せいてん)白日(はくじっ)の時にのみ限らない。風雨の(とき)(かへ)って風致(ふうち)雅趣(がしゅ)()ふるものである。
 故に吾々(われわれ)は金輪際まで五六七(みろく)神政(しんせい)出現(しゅっげん)の為に、宏大(くわうだい)無極(むきょく)の皇道を(もとゐ)として、終始せねばならぬ。(いやし)くも純正(じゅんせい)純真(じゅんしん)神教(けんけう)(けい)とし、人道を()とする()が皇道の教に率由(しゅつゆ)して、我国は上下一致億兆一心盛んに大経綸を行ひ、皇祖皇宗の御遺訓を顕彰(けんしゃう)するに当って、豈能(あによ)(これ)(さへ)ぎる夜母津比良坂(よもっひらさか)が在るであらう乎。大本(おほもと)は中傷に讒誣(ざんぶ)に嫉妬に誤解の毒矢を(かぶ)さるる如きは、(あへ)介意(かいい)する所では無い。
 顕界に生れて顕界の事を悟り得ざる人間の分際として、肉眼を(もっ)て見る(あた)はざる、幽界の消息の解るべき筈がない。(いは)んや神を無視し物質界のみに心酔(しんすゐ)累惑(るいわく)せる浅学者輩(せんがくしゃはい)(おい)ておやだ。幽界の神示(しんじ)たる大本(おほもと)神諭(しんゆ)が、俗人輩(ぞくじんはい)に分って(たま)るものでない。御神諭(ごしんゆ)に『神のことは、人間の智慧学問の力では到底分るもので無いと云ふ事が判ったなれば、それが本当に判ったのであるぞよ』と示されてある。故に肝腎の大本の幹部でさへも、真相を握るに非常な苦心をする。()して圏外者(けんがいしゃ)の解る()き筈は無い事を一(どう)(さと)って貰ひたい。
   二
 松の()五六七(みろく)の世の政治は、先づ第一に、政治家も教育家も陸海軍人も、実業家も宗教家も、天祖国祖の神霊を敬祭し、()っ誠心誠意を(もっ)て忠実に奉仕するもの(ばか)りで無くてはならぬのである。
 陸海軍の長官は(みづか)ら衆に先んじて、天祖国祖の神霊を祀り、部下の軍人をして神の大御心を諒解(りゃうかい)せしめ、陛下の聖旨(せいし)寸毫(すんがう)も違はざる様に教導せなくては、神軍の威力を発揮する事は出来ぬ。又士官学校へ入学せむとするものは、天祖国祖、天皇の大御心を、諒解(りゃうかい)せるや否やを充分に調査して、採否を決すべく、学問の有無勝劣の如きは寧ろ第二位の採用条件とすべきものである。
 敬神尊皇(けいしんそんわう)の大義を、国民一般に知悉(ちしつ)せしむる為に、大中小の学校は言ふに及ばず、天下の新聞雑誌を(もっ)て国民教養の為、皇室の尊厳と神明(しんめい)稜威(りょうい)を、心の底より感得せしめなければ、松の()五六七(みろく)の世には成らぬ。
 国体の尊厳と神明(しんめい)稜威(みいづ)と、天皇神聖不可犯の理由とを諒解(りゃうかい)()らざる人物を(もっ)て、文武官(ぶんぶくわん)(また)は教員宗教者とせざるの神律を定めねばならぬ。民を治むるものは、先づ(もっ)て身を修め家を(ととの)ふるを(もっ)て先とす。国土を治むるは人間の天職であり、神を治むるは正しき神の責任である。神は天地(てんち)惟神(かんながら)の大道に()って活動さるものである。故に神界の立替立直しは神の御役であり、顕界の立替立直しは人間の役目である。今は神界と人間界とは余程隔絶して居るが、五六七(みろく)の世は幽顕(いうけん)()神人(しんじん)合体(がったい)の黄金世界を現出する事である。
 外務の長官は、衆に先んじ、先づ官庁に至聖所(しせいじょ)を設け、天祖国祖を奉祀し各国民族の祖先の(みたま)を祭り、朝夕供物を献じ、長官自ら敬礼を終りて(のち)に国務に奉仕するのが神国の行ひである。御国の為、世界各国人の為に幸福ならむ事を赤誠(せきせい)()めて祈願し、他民族(たみんぞく)の幸福を侵害せず、物質の供給は彼我(ひが)相通(あひつう)じ、(たがひ)に幸福を進め、兵力を(もっ)て外交の手段とせぬ事である。又外交に奉仕する官吏(くわんり)は、日本民族の正しき血液の流れたものを採用され、決して混血児や外人を妻に持って居る()うな人物は、外交官のみならず、総ての官吏(くわんり)抜擢(ばってき)採用(さいよう)されない事になる。(また)通訳官(つうやくくわん)()の国に(おい)て正しき血統を有し、一家を平和に構成せる立派な紳士(しんし)淑女(しゅくじょ)(もっ)て、()(にん)(あた)らしめられる。各国へ派遣されたる外交官は、先づ第一に天祖国祖及び我家(わがいへ)の祖先を敬祭し、()()(くに)()の土地の国魂(くにたま)を敬祭し、土地の霊魂に対して至誠至情を捧ぐるのみならず、()の地の人種を尊敬し、人種無差別の態度を()する真人(しんじん)たる事を条件として、採用されるのである。(これ)が神世の外交策である。
 五六七(みろく)の家政の()(かた)(っい)ては、大本(おほもと)神諭(しんゆ)屡々(しばしば)教示(けうじ)されてあるから、今更(いまさら)喋々(てふてふ)するの必要も在るまいと思ふが、第一に我国民(わがこくみん)の結婚に(えう)する冗費(じゃうひ)(ぐらゐ)馬鹿(ばか)らしいものは無い。(ことわざ)にも娘五人持てば家が倒れると云ふぐらゐで、全世界に()ける第二の贅沢な()(かた)は日本である。先づ()の時に要する結婚費は、全国平均して年収入の二十(わり)乃至(ないし)二十五(わり)冗費(じゃうひ)して居るのである。一千九百十五年英国のハウスキトビング()()せられたる、世界各国の結婚費の比較表を、調べて見ると明瞭である。(しか)し今日の日本は、()の時の表よりもモットモット結婚費が(かさ)まって()って、年収入の五十割も費やして居る、一世一代の嫁入(よめいり)だから片肌(かたはだ)()がねば成らぬなどと、益々(ますます)体主霊従(たいしゅれいじゅう)()りを発揮して居るのは、(まこと)慨歎(がいたん)に堪へない次第であります。左表は即ち一千九百十五年の調査であるから、其の積りで見て下さい。
 国別   年収一万円の家庭   年収二千円の家庭
 英国(えいこく)   八分   一割
 仏国(ぶっこく)   一割   一割
 独国(どくこく)   一割   一割
 米国(べいこく)   二割   二割
 伊国(いこく)   四割   四割
 西国(すこく)   五割   七割
 露国(ろこく)   八割   八割
 日本(にっぽん)   二十割   廿五割
 支那(しな)   三十割   三十割
(これ)()って(これ)を見れば、(わが)日本(にっぽん)支那(しな)の次になって居るが、現今では日本が世界で第一位になって居るのである。何故(なにゆゑ)に結婚費が(かく)の如く膨張したかと云へば、畢竟(ひっきゃう)必要(ひっえう)以上(いじゃう)の余計な衣類を(こしら)へたり、身分不相応に、盛大なる披露会を催したりするから、年収の四五十割と云ふ、世界各国に図抜けた率を示して居るのである。外観(ぐわいくわん)外聞(ぐわいぶん)に要する費用を節約さへすれば、各国の結婚式は各階級とも年収の一二割でも良い事になる。(いは)んや五六七(みろく)の家庭の()(かた)(おい)ては、(なほ)(そう)の簡単で、費用などは五部位より()らぬ事になるのである。又結婚費の中には、嫁入又は婿取のために、特に必要を生じた新夫新婦の礼服(れいふく)寝具(しんぐ)諸道具(しょだうぐ)装身具(さうしんぐ)(とう)の新調や、儀式や披露(ひろう)其他(そのた)の事に要する経費の全体の事で、在来持ち合せの衣類、其他の日用の調整に要する費用や、父母の財産の一部を分与する持参金(ぢさんきん)(とう)は、勿論含まれて居らぬのである。その結婚費は中流以下の家庭では、一時に(これ)を支出する事が、(はなは)だ困難であるから、どうしても()の半額位は、本人の幼少の頃から、結婚費として積立てて居る人もあるさうである。日本の中流以上の家庭では、結婚の際には(みだり)に沢山の衣類や荷物を(こしら)へて、持参させる悪い習慣がある。(これ)は一種の虚栄心から来たもので、実際余りに必要の無い沢山の衣類を新調し、(むな)しく箪笥(たんす)の底に寝かして置くと云ふ事は、(はなは)だ無意味で、経済上からも、是位(これくらゐ)(っま)らない事は無い。上中下流と云はず結婚の際は差当り必要な衣類一通り丈け持たせて()り、()の余りの金は、新夫新婦(しんぷしんぷ)の社会に立って活動する時の資本金とすれば、実に一挙両得と云ふべきものである。
 我大日本帝国は天祖の国を開き、皇祖(くわうそ)天照大御神(あまてらすおほみかみ)万世(ばんせい)(けい)の基礎を樹立し給ひ、皇統真(くわうとうしん)に連綿として東海の表に芙蓉(ふよう)神嶺(しんれい)と共に、永遠無窮に厳立(げんりつ)し、治国安民の実績(じっせき)炳乎(へいこ)として日星の如く、()皇徳(くわうとく)宇内(うない)普遍(ふへん)照徹(せうてつ)し、天津日嗣(あまっひつぎ)の隆盛なる(こと)天攘(てんぢゃう)と共に弥栄(いやさか)えに栄えまし、万国(ばんこく)(みな)仰望(けふばう)せざる無き聖明(せいめい)の国体である。()れぞ全く我国には、天地(てんち)未剖(みばう)陰陽(いんやう)未分(みぶん)の際より、国祖の陰に陽に広き厚き、御守護の(しか)らしむる処である。大本(おほもと)神諭(しんゆ)には極めて明瞭に此の事実が現はれてある。()(すなは)ち日本皇道の威徳である。我皇道は実に湛然(たんぜん)冲虚(ちうきょ)にして、万教(ばんけう)()く浄化し、万法(ばんぱう)を包容帰一し、万事を指導するの大道(だいだう)である。国家の綱紀(かうき)(これ)()って伸張(しんちゃう)し、国民の化育(くわいく)(また)(これ)()って隆盛を(きた)すのである。(あふ)げば(これ)列聖(れっせい)の威徳と成り、凝っては忠勇(ちうゆう)義烈(ぎれつ)日本魂(やまとだましひ)となり、(あっま)っては武道の威烈(ゐれつ)となり、(ひそ)んでは人倫(じんりん)根幹(ねもと)となり、発しては克忠(こくちう)克孝(こくかう)の大精神となる。国家(こくかう)(これ)(よっ)(さか)え、世道(よのみち)(これ)()って静安(せいあん)に、民風(みんぷう)(これ)()って優秀善良となる。アア皇道の大本(おほもと)()れ実に治国(ぢこく)平天下(へいてんか)大道(だいだう)にして、国運(こくうん)興隆(こうりゅう)の基礎ならずと称するものが有るであらうか。世俗の皇道(くわうだう)大本(おほもと)に対する罵声(ばせい)雑評(ざっぴょう)は、所謂(いはゆる)盲者象(もうじゃぞう)を評するの(たぐゐ)のみ。(わが)皇道(くわうだう)大本(おほもと)は実に()の大精神を奉体して奮起せるものである。
斎法の要旨(えうし)
(さい)に幽顕の二大法があって幽斎(いうさい)顕斎(けんさい)()ふ。幽斎は神殿(しんでん)宮社(きうしゃ)奠幣(てんぺい)なくして、真神を祈るの道である。顕斎は神殿あり、奠幣(てんぺい)あり、(もっ)象神(しゃうしん)を祭祀するの道である。(しか)して幽斎は臨時随所に(おい)て、天下公共の為にのみ真神(しんしん)を祈り、顕斎は、一定の至聖所(しせいじょ)に神を祭り、天祖(てんそ)列聖(れっせい)(ならび)に祖先に対し、報本(ほうほん)反始(はんし)の至誠を(もっ)て、(つつし)(かし)こみ仕へ奉るの道である。私は(いま)(ここ)に、顕幽の区別を立てずして、斎法の要旨(えうし)大本(おほもと)信徒(しんと)の為に記しておくのである。
 (さい)には()(しょく)(ぎゃう)(すゐ)(そく)との、五つの方法がある。そして(くわ)()()(けつ)(じう)とに(おなじ)うせず。(しょく)()(ちく)(りん)(しう)とを用ひず。(ぎゃう)(いん)(さん)(さつ)(そう)とに触れず。(すゐ)は厳かに連斎(れんさい)流沐(りうもく)とを行ひ、(そく)祓除(はつぢょ)と祝詞とを修むるものである。本来(ほんらい)()が神国は霊宗(れいしう)祭元(さいげん)の国風である。霊宗(れいしゅう)とは心性(しんせい)(あきらか)にすること、斎元(さいげん)は、皇祚(くわうそ)を守る事である。神は聖真(せいしん)善美(ぜんび)(もっ)て体と()し、霊徳発揮を(もっ)て、神の用と為し給ふ。故に(いつ)くに重礼(ぢゅうれい)(もっ)てし、祭るに至誠を(もっ)てし、祈るに清浄(せいじょう)正直(せいちょく)(もっ)てする時は、(ここ)に神人合一して無限の神力(しんりょく)顕彰(けいしゃう)し給ふのである。以上は斎法の要旨(えうし)にして(すなは)ち潔斎の義である。潔斎は(すべ)て身内身外共に清浄なるを要旨(えうし)とする。尚ほ(いつき)物忌(ものいみ)(いはふ)(とう)の義を()せるあり、其の儀式の多き数ふるに暇なき程である。大宝令(たいほうれい)には、散斎(さんさい)(つき)致斎(ちさい)日等(かとう)(さだめ)()れども、其の方制は社会の階級に依り、繁簡(はんかん)の差別あるも畢竟(ひっきゃう)()()()()の意に(ほか)ならぬのである。
 今茲(いまここ)儒者(じゅしゃ)心斎説(しんさいせっ)引証(いんしゃう)する。
『顔回(いは)く、()(もっ)て進む事なし(あへ)()(はう)を問ふ。仲尼曰く、(さい)せよと(中略)顔回曰く、回が(いへ)(ひん)にして唯酒(たださけ)を飲まず、(なまぐさ)(くら)はざること数月なり。()の如きは(すなは)ち斎と()()けむやと。仲尼(いは)く、(これ)祭祀(さいし)の斎にして心斎(しんさい)(あら)らざるなり。回(いは)(あへ)心斎(しんさい)を問ふ、仲尼(いは)く、(なん)(こころ)を一にせよ、(これ)を聴くに耳を(もっ)てすること無くして、(これ)を聴くに心を(もっ)てし、(これ)を聴くに心を(もっ)てする事なくして、(これ)を聴くに気を(もっ)てせよ。聴くは耳に(とど)まり心は()に止まる。気になるものは(きょ)にして、物を待つものなり。()だ道は虚に集まる、虚は心斎(しんさい)なり』
 荘子(さうし)人間世第(にんげんせいだい)四に(いは)
()れ人の気の虚なるや、()と天の虚霊(きょれい)たるが故に、()く物を()ち物を()る。心斎(しんさい)(えう)虚気(きょき)にあり。心斎(しんさい)は神を待ち、神に接する所以なり、虚気は道の集まり、道の成る所以なり。冲虚(ちうきょ)霊明(れいめい)は天の本体たり。()()(これ)(たい)する時は、神通(じんっう)無碍(むげ)妙用(めうよう)()べし』
祭祀(さいき)典則(てんそく)
 (さい)慎敬(しんけい)(っく)すにあり、礼式は厳粛(げんしゅく)静和(せいわ)(むね)とし、騒慢(さうまん)し又は軽疎(けいそっ)なる()からず。供儀(きょうぎ)清素(せいそ)新鮮(しんせん)(えう)として耀飾(えうしょく)し又は悋惜(りんせき)す可からず。奏楽(そうがく)正調(せいてう)高雅(かうが)(たうと)び、濁雑(だくざつ)(およ)卑野(ひや)(つつし)むべし。祭具(さいぐ)白木(しらき)土器(かはらけ)類素(たぐひそ)にして(しん)なるを用ひ、火は燧石(ひうちいし)にて打ち、手は清水(しみづ)にて(きよ)むべし。献燈(けんとう)(およ)御手洗(みたらし)(せい)(かんが)()し、(およ)神事(しんじ)を行ふには、愉悦(ゆえつ)と親和とを(もっ)てし、進退は宜しく其の節に(あた)り、動静(どうせい)(うやうや)しかる()し。(さて)正殿(しゃうでん)に向ふ時は儀容(ぎよう)を整へ一(しう)(ぱい)(おのおの)法則(はふそく)(かな)(しゃく)を用ひ、玉串(たまくし)を捧げ、左足(さそく)陽天(やうてん)()み、右足(うそく)陰地(いんち)()み進むに(おごそ)かに、()するに(しゅく)なるべし。(かく)神明(しんめい)玉串(たまくし)(けん)じ、祝詞(のりと)(しょう)するに(のぞ)みては、神明(しんめい)(まさ)(ここ)()ますの(おもひ)あるを(えう)す。事終(ことをは)れば(すなは)揖拝(しうはい)の礼を行ひ(うやうや)しく退()()し。
 宮中(きうちう)には宮中の祭式をり。大本(おほもと)には大本の祭式あり。神社には神社の祭式あり。一家には一家の祭式あり。個人には個人の祈祷(きとう)あり。(おごそ)かに定日(ていじっ)を守り、(うやうや)しく神事(しんじ)を行ふ()し。仮初(かりそめ)にも(これ)(はい)(これ)を怠る()からず。(これ)祖神(そしん)遺訓(ゐくん)にして、大本(おほもと)開祖(かいそ)神示(しんじ)なり。(すなは)祖先(そせん)遺風(ゐふう)顕彰(けんしゃう)するの道なり。
 (ぎょせい)
  わが国は神の末なりかみまつるむかしのてぶり(おこた)るな夢
 神人交感(しんじんかうかん)聖諦(せいてい)祈祷(きとう)に在り、(よっ)(もっ)て慰安を受け、確信を()るのである。人性(じんせい)(たれ)か神恩に()るる者が在るであらうか。(けだ)し神の恩徳(おんとく)を感ずるは、神を認め(はい)するの初めであって、神恩を感謝するは神の子たる人の真情(しんじゃう)である。人生誰か希望なきものあらむ、その希望を神に訴ふるは、即ち祈祷である。吾人(ごじん)祭祀(さいき)()って神に報本謝徳(ほうほんしゃとく)の意を表し、祈祷に依って真心を神に訴へ奉るのである。(これ)が人生自然の道である。自然は真理である。(けだ)し真理に()って吾人(ごじん)真情(しんじゃう)を訴ふるに(おい)て、大慈大悲に()します神明(しんめい)如何(いか)でか(これ)感納(かんなう)し給はぬ事があらうか。吾人は至誠至直君国(しせいしちょくくんこく)の為に身命(しんめい)を捧げて神明の大道に奉仕し、神恩(しんおん)皇徳(くわうとく)を天下に宣伝しつつあるものである。(いづく)んぞ(これ)をしも、迷信妄信と()ふ事が出来るであらうか。吾人(ごじん)は全身全魂を捧げて君国の為に神に訴へ神に(いの)つつあるのである。
 御製
  目に見えぬ神の心に通ふこそ人のこころの誠なりけれ
 神は非理(ひり)(よろこ)び給はず、非礼(ひれい)()け給はずと云ふ事がある。理と云っても(しん)に徹せざるの理があり、礼と云っても(しん)を尽さざるの礼がある。(しん)の理は(けん)(あら)ずんば(てっ)せず。(しん)の礼は聖に(あら)ずんば尽さず故に徹せざるの理は疑惑を生じ、尽さざるの礼は不敬と成るのである。神に仕ふるの道は、信を先にし誠に(とど)まる()し。理も礼も(また)(みづか)(これ)(ともな)ふ。故に神に仕へ神に祈るの道は、誠と信との一路に在りとするのである。人の至誠たる内に潜みては神人の黙契(もくけい)となり、外に発しては決意の告白となる。(あるひ)祭文(さいぶん)となり(あるひ)祷辞(とうじ)となる。其の公式に用ひらるるのを祝詞と云ひ誥文(こくぶん)と云ひ誓文(せいぶん)と云ふ。仏説に(もとづ)ける護摩(ごま)加持(かじ)呪文(じゅもん)(およ)密印(みっいん)(とう)の類も、要するに祈祷の一種であって、一心を凝結せしめ、精神を集中せしむるの標象であるに過ぎぬ。アア実に(しん)(しん)と和するの所以(ゆゑん)にして、誠は神に通ずるの所以である。神に()せされば人格は向上し難く、神に通ぜざれば聖域に達し難し。故に信仰なき礼は以て敬とするに足りない。誠実なき祈祷は道とするに足らぬのである。信仰は神と人とを幽契(いうけい)し合一し、亦人と人とを結合せしむるの大連鎖である。誠は精神を統一せしめ気力を結晶せしむるの大動力である。信仰は至誠と相俟(あひま)って熱を起し、至誠は信仰と相俟(あひま)って光を放つ。嗚呼(ああ)(しん)()泰山(たいざん)を鳴動せしめ、一(せい)()く万古を貫徹す。(それ)(しん)なる(かな)(それ)(まこと)なる(かな)(まこと)に信と誠は敬神の第一要義である。
 御製
  鬼神もなかするものは世の中の人の心のまことなりけり
()御製(ぎょせい)(つつし)(うかが)ひ奉るに、人の至誠の力の最も強ければ、仮令(たとへ)鬼神(きじん)(いへど)感泣(かんきう)すべきものなりとの、聖意を世人に示させ給ひしものであります。
 天地(てんち)草創(さうさう)の事は(みな)神伝(しんでん)思工(しこう)()づるもので在って、(もと)より尋常一般の理を(もっ)て窺知すべきものではない。宇宙一切の物事は(すべ)て神の創造に依る事を確信して疑はない所以(ゆゑん)は、吾人(ごじん)は神と人との別有(べつあ)るを知る故である。神は(もっ)て人に伝へ人を(もっ)て人に伝ふ。人心の淳朴(じゅんぼく)にして風俗の敦厚(とんかう)なる、教無くして教あり。道無くして道有り。(しか)して道の大本(たいほん)は天地の神明に()づ。天地(てんち)神明(しんめい)慶福(けいふく)を無窮に伝ふる所以(ゆゑん)のものは、必ず皇道の大本(おほもと)()らざるは無いのである。体主霊従人士の(いは)く、万世(ばんせい)(けい)天壌(てんぢゃう)無窮(むきう)の国体や良し。天地(てんち)未剖(みばう)陰陽(いんやう)未分(みぶん)の際より()ちし国にして古きは古し、(しか)れど、我国の上世(かみよ)文明(ぶんめい)(ひら)けたるは、(ことごと)(これ)支那(しな)()るは何ぞやと、アア(かく)の如き言を()すもの、天下(てんか)滔々(とうとう)として(あは)の如しである。(また)(いは)今日(こんにち)の文明は泰西(たいせい)()る。我国は(これ)(もっ)国利(こくり)民福(みんぷく)()く、単に国の古きのみを(もっ)て世界に誇るを得むやと、実に外尊(ぐわいそん)内卑(ないひ)世迷言(よまいごと)()ふべき而己(のみ)。人生に必需なる物は、宮殿(きうでん)家屋(かをく)より大なるは()く、衣服より急なるは()く、穀物より()きは()く、刀剣より要なるは()く、火工より便なるは()し。(しか)して我国は神代の遠きに(おい)て既に(ことごと)く具備されて有ったのである。(しか)るに太古の日本人は土穴に棲み原野に遊牧せし如く、解する連中が在るのは()しからぬ。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)御世(みよ)にも八尊殿(やひろどの)魏々乎(ぎぎこ)として天空に(そび)ゆる有りしを知れ。(いにしへ)の日本人は獣を(くら)ひ血を飲みしならむと()ふ馬鹿学者がある。見よ、天照大神(あまてらすおほみかみ)の御世に狭田(さた)長田(ながた)千五百秋(ちいほあき)の豊穣の事蹟(じせき)がある事を。太古の日本の民、(これ)を裸体なりしと()ふ馬鹿ものが在るが、神代(かみよ)(すで)栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)稜羅(りゃうら)錦繍(きんしう)を織り玉ひし事の実蹟あるを知らずして、之を蒙昧(もうまい)なりと言ふ()刀剣(たうけん)戌矛(じゅじゅん)を鍛へて、以て護国の具に供したる(わが)古代(こだい)(これ)を称して無智と()()天之岩戸(あまのいはと)の大変事に際して、天香具山(あめのかぐやま)の鋼鉄を採掘して鏡を製造するなど、総て火工の発明は今日の文明に何等(なんら)変る事は無いのである。太古より祭祀の礼を行ひ、(もっ)報本(ほうほん)反始(はんし)の道明らかに行はれ、改過(かいくわ)遷善(へんぜん)の行事として大祓(おほはらひ)の儀式有り。()つ衣食大いに足り、兵器完備し、天地人の大道(だいだう)(あきら)かなり。(ここ)(おい)()皇化(くわうくわ)を海外に()き玉ひ、素戔嗚命(すさのをのみこと)は朝鮮に、少名彦命(すくなひこのみこと)常夜国(とこよのくに)(南米)「常夜国(南米)」は「北米」の誤りか?()き給ひて教化の跡を垂れ、内には万世一系の天嗣(てんし)を立て、天下経綸の大業を制し、国造(くにつくり)県主(あがたぬし)稲置(いなぎ)(あたへ)別等(わけとう)職掌(しょくしゃう)あり。棊命(きふ)星羅(せいら)して、(もっ)て其の根基(ねもと)を固め、(しか)して宝祚(ほうそ)動揺(どうえう)するの憂無(うれいな)からしめ玉うた。()祖宗(そそう)の内を治め外を(ぎょ)(もっ)て国を建て玉ひしの大体である。我国は(かく)の如くにして万事整頓し、数万歳の太古に(おい)て、(すで)(すで)に一大文明の隆盛を極めて居るのである。()んぞ外国の文明を借りて、(もっ)て国家に()するの要あらむやである。支那(しな)には皇天上帝(くわうてんじゃうてい)()り、印度(いんど)には梵天帝釈天(ぼんてんたいしゃくてん)()り、西洋にはエホバの説有りと(いへど)も、(いづ)れも皆我古典に其の大本を発せざるは無いのである。
 支那(しな)の国を聞くや素戔嗚尊(すさのをのみこと)少名彦命(すくなひこのみこと)の際に在るが、()の故に天を(おそ)(めい)を知るを(もっ)て教を()つ。其の説や(すこぶ)る古典に近いものがある。(しか)し現代の支那(しな)は天を(おそ)(めい)を知るもの、上下(じゃうげ)押並(をしなら)べて絶無なる状態である。印度(いんど)の開けたる。(これ)()ぐに欧米の諸国の開けたるは、実に輓近(ばんきん)の事である。()愈々(いよいよ)(ちか)くして、(をしへ)(いよいよ)雑多(ざった)に、(もっ)て人心を惑乱せしむるに立至(たちいた)ったのである。彼等の所謂(いはゆる)皇天(くわうてん)上帝(じゃうてい)梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)も、エホバも皆日本神州固有の祖神たるを知らずして、天下の愚者(ぐしゃ)囂々(がうがう)として、(かへ)りて彼等の教法を借り、(もっ)て愛国愛人の道を説かむと欲す、其の(あやま)れるや実に(はなは)だしと()ふべきである。支那(しな)印度(いんど)欧米(おうべい)の教法なるものは、()の君を忘れ、父母を忘れ、国を忘れ、身を忘れ、祖宗の遺訓を忘れて居るのである。(かく)の如き教法を(もっ)て果して愛国愛人の道を(つく)()るであらう()豊太閤(ほうたいかう)(かん)を征するに当り()って(いは)く「()れ日本は神国なり、神は(すなは)ち天帝にして、天帝は則ち神なり、秀吉(ひでよし)(つとに)夜世(よよ)(うれ)聖明(せいめい)を神代に(かへ)し、威名を万世に伝へむと欲する(なり)」と。(しか)して()明虜(みんりょ)撻伐(たつばつ)するに(あた)りては、(こころざし)四百余州(よしう)をして(ことごと)神州(しんしう)良俗(りゃうぞく)美風(びふう)に化せしめ、(もっ)て神政を億万年に輝かさむとするにあったのである。太閤(たいかう)(つと)帝系(ていけい)(もっ)上帝(じゃうてい)()づると()し、(しか)して帝系(ていけい)上帝(じゃうてい)より()づるは、神典の遺訓則ち皇道の大本(たいほん)()るとなし、太閤(たいかう)の古典を信ずる事(かく)の如く(あつ)く、帝系(ていけい)の盛大を鳴らして(もっ)て国威を殊方(しゅほう)絶域(ぜつゐき)に張らむと()たのである。今日の学者輩は私智自ら喜び、異邦の教法邪説を(もっ)て国家を(やす)んぜむと欲し、却って神州国体の精華を忘れ、国家の大計を(あやま)って居るのである。其の見る所の高下大小は太閤(たいかう)に比して実に霄壤(せうぢゃう)の差があるではないか。
 アア神のみ神を知り、聖のみ聖を知る。神智神勇の権化(ごんげ)豊太閤(ほうたいかう)の如き英傑の士に(あら)ざれば、神聖の大道を窺知(きち)する事が出来ぬのである()吾々(われわれ)は天下の愚人が皇道(くわうだう)大本(おほもと)に対する態度に省み、一層この感を深うする次第である。
(大正九、一一、一八稿、同二月号神霊界)
 

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