霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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随筆(一)ノアの洪水と方舟

インフォメーション
題名:随筆(一)ノアの洪水と方舟 著者:出口王仁三郎
ページ:271
概要: 備考: タグ: データ凡例:2021/4/11底本(全集5)と照合して校正 データ最終更新日:2024-06-01 17:39:03 OBC :B121805c201
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正8年7月15日号(第90号) > 随筆
ノアの洪水と方舟
ノアとナオのとの方舟即ち大神の教
[#図 ノアとナオのとの方舟即ち大神の教]
 ノアの言霊(ことたま)はナと(かへ)(なり)(また)ナオの言霊ノと(かへ)るのである。ノの(みたま)洪水(こうずゐ)でアの(みたま)(そら)である。神は(よご)れたる世を洗ふ(ため)に、カサタナハマヤラ、キシチニヒミイリ、クスツヌフムユル、ケセテネヘメエレ、コソトノホモヨロの(みたま)活動力(くわつどうりよく)で、四十日(よそか)四十夜(よそよ)雨を()らし、世を立替(たてか)へて、ノアの霊反(たまかへ)しのナの(みたま)即ち火水(かみ)(神)の世を立てたのであるが、ノアの(みたま)だけでは方舟(はこぶね)にならぬ。ナとオの(みたま)を加へて、ノの(みたま)(かへ)し、正中(せいちう)皇国(すめらみくに)のスの(みたま)常久(とこしへ)鎮座(しづめ)て、(ここ)に初めて完全無欠の方舟が今度(こんど)造り(あが)るのである。ナオの霊反(たまがへ)しのノの(みたま)は続く言霊ともなり(みづ)御魂(みたま)ともなるのである。即ち万世一系天壌(てんじやう)無窮(むきう)なる瑞穂の神皇国(しんくわうこく)(たち)(さか)えるのである。ノアの洪水は決して太古の事柄(ばか)りではない、今()の前にノアの立替(たてかへ)が出て来て()るのである。次にナオの立直(たてなほし)が始まる。それ(まで)には神息総艮(きりすと)霊界物語第1巻第24章の章題では「神息統合」を「キリスト」と読ませているが、ここでは「神息総艮」である。神霊界でも同じ。他にもう少し後ろの方にもある。の旧約にあるやうな事変が突発するのである。㋐㋑㋒㋓㋔の五大父音(ふおん)は、天津(あまつ)祝詞(のりと)()立花(たちばな)小戸(おど)であつて、天帝の大活動力であり、ワヰウヱヲの五音は地主(なを)の活動力で、所謂(いはゆる)国常立(くにとこたち)神霊(みこと)である。天地(てんち)十柱(とはしら)の言霊が(あら)はれて世の太初(はじめ)から世界創造の大業(たいげふ)を継続されてあるが、今度は天地の大言霊(だいげんれい)たる㋐㋑㋒㋓㋔(立花(たちばな)(おど))とワヰウヱヲ(下津(したつ)磐根(いはね))の大々的活動が始まつて、弥々(いよいよ)神政の成就を(まつた)うさるるのである。日本(につぽん)神国(しんこく)の言霊の(さちは)ふてふ神民(しんみん)(まを)すに及ばず、大神(おほかみ)御綱(みつな)(かか)つた大本の役員信徒は、(この)(さい)大覚醒して、皇道維新の鴻業(こうげふ)翼賛(よくさん)(たてまつ)り、一天(いつてん)一地(いつち)一君(いつくん)の神政建設の神業(しんげふ)に努力せねばならぬ一大責任が(そん)することを忘れてはならぬのである。ノアの神勅(しんちよく)を受けて(おほい)なる方舟を造り、世界の大洪水(きた)ることを予言し、万民(ばんみん)を救はむとした。(しか)れども(その)時代の人は一人も信じなかつたのみならず、愚弄(ぐろう)軽侮(けいぶ)し、(その)方舟を見て散々(さんざん)嘲笑(てうせう)したのである。(方舟とは神の誠の救ひの(をしへ)()也)段々(だんだん)大洪水の日は近づけども、多くの人民は益々(ますます)放逸(ほういつ)、強情、無頓着、破廉恥漢(はれんちかん)ばかりで、日増しに罪を重ねるばかりであつた。今日(こんにち)の社会は(あだか)もノアの方舟建造当時と少しも(かは)らぬのである。不信悪行(あくかう)、利己の濁流(だくりう)は、天地に(みなぎ)つて()るのである。今日(こんにち)最早(もはや)山麓まで浸水して()るなれど、ノアとナオとの方舟(一名(いちめい)目無堅間船(めなしかたまのふね))に乗る事を知らぬ盲目(めくら)聾者(つんぼ)ばかりである。
 天地の元の御先祖なる生神(いきがみ)は、至仁(しじん)至愛(しあい)(まし)ますが(ゆゑ)に、世界の人民を一人でも多く救ひたいと(おぼし)()し、(さき)にはノアの方舟を造りて世人(よびと)に警告せられ、今(また)(ここ)に大神は下津(したつ)磐根(いはね)()高天原(たかあまはら)に出現して、明治二十五年の正月から、変性(へんじやう)男子(なんし)御魂(みたま)の宿り給ふ神政(しんせい)開祖(かいそ)出口(でぐち)直日主(なほひぬしの)(みこと)の手と口を(もつ)て前後二十七年間、懇切(こんせつ)世人(せじん)(むか)つて日夜警告を与へ給うたのである。()れど今も(いにしへ)も人の心は同じく、邪悪に充ち頑迷にして天来の福音(ふくいん)を聞かず、神の救助船(きうじよせん)を見て散々(さんざん)に嘲笑する者ばかりで、神様も今の世界の人民には改心の()(やう)がないので、誠に困つて()られるのである。どうしても改心が出来ねば、()むを得ず(だい)修祓(しうばつ)が執行されるより(ほか)(みち)は無いのである。(じつ)に今の人民くらゐ暗愚(あんぐ)にして頑固な不正直な、身勝手な者は無いのであるから、吾人(ごじん)は世界の前途を案じて心配するのである。神界から堪忍袋(かんにんぶくろ)底本では「堪」ではなく「勘」だが誤字であろう。()を切らして、弥々(いよいよ)最後の日が()るにしても、神様は(さら)に公然と世間の人民に予告は()さらぬ。何故ならば至仁至愛の神は二十七年に(わた)つて、(すで)(すで)に守護神と人民に昼夜(ちうや)(わか)たず御示諭(ごじゆ)手続(てつづき)(れう)せられ、変性(へんじやう)男子(なんし)の肉体は最早(もはや)上天(しやうてん)遊ばして、天から御用を()されて()られるからである。変性(へんじやう)女子(によし)身魂(みたま)宿(やど)は今(この)地の(うへ)に現存して()れども、女子(によし)立直(たてなほし)御用(ごよう)であるから、立替(たてかへ)の警告は出来ぬのである。月日(つきひ)刻限(こくげん)(きま)つて()れども、発表する事の出来ぬ天地からの役目である。
 今や世界の各所(かくしよ)(おい)て、神息総艮(きりすと)霊界物語第1巻第24章の章題では「神息統合」を「キリスト」と読ませているが、ここでは「神息総艮」である。神霊界でも同じ。他にもう少し前の方にもある。の再臨を絶叫(ぜつけう)して()るが、キリストは(すで)に地の一方に肉体を()つて(あら)はれて()り、(げん)に十字架に(かか)つて、天下万民の為に無限の辛苦(しんく)()めつつあれども、(そば)()る人民にも解りては()らぬのである。いよいよ審判の日が来ても、(その)瞬間までに(あらた)に神からの通知は無いのである。今の世界は口先ばかりの誠で、肝心の精神は鬼と大蛇(をろち)四足(よつあし)()りきつて()るから、(まん)五ケ年間の(おほ)喧嘩(げんくわ)を始めて、畜生の性質を遺憾なく暴露したにも(かかは)らず、神国(しんこく)の守護神までが畜生の助太刀(すけだち)に出て参り、今度は又その畜生にモ一ツ大きい喧嘩を吹き掛けられて、()むを得ず致さなならぬ事に成るのである。その喧嘩の(をは)りが注意すべき時である。神の選良(せんりやう)となつた人民には、最終の日の来ることは数日(ぜん)に知らされるなれど、普通(ふつう)(じん)の眼から見れば、()平日(へいじつ)の如き輝き、月は万里の波を(てら)し、天気清朗にして、蒼空(さうくう)一点の雲影を(とど)めず、士農工商は平素の如くに働き、(あるひ)永久(とこしへ)に天下泰平、国土安全、子孫繁栄の夢に()ひ、十年計画、百年の大計(たいけい)など企画する際、一天(いつてん)(たちま)妖雲(えううん)(おこ)し、雷電(らいでん)地震、海嘯(つなみ)到る(ところ)湧起(ゆうき)し、親子兄弟の間も救助する事(あた)はずして、悲惨の終末を遂げ、山川(さんせん)草木(さうもく)(みな)(どよ)み、常夜(とこよ)(やみ)となりし時、木花(このはな)咲耶姫(さくやひめ)の神霊(あらは)れまして、六合(りくがふ)初めて晴明(せいめい)となり、目出度(めでた)(あま)岩戸(いはと)を開かれ、至仁(しじん)至愛(しあい)五六七(みろく)の神政が樹立さるるのである。
 一旦(いつたん)心に決した善なる事も、(たちま)ち利害の念に左右されて、折角の良心の輝きを曇らす人がある。(これ)は第一に神を(あざむ)き、(わが)心を(あざむ)くものである。時と場合に()つては、少々無害なる嘘は言つても(ゆる)すべきだが、()が良心を(あざむ)(くらゐ)不快にして()つ罪の深い事は無いと思ふ。今の世の中は十(ちう)の八九まで自分の心を(あざむ)く人が多い。
 土耳古(とるこ)君府(くんぷ)君府とはトルコの都市コンスタンティノープル(現イスタンブール)のこと。は欧洲に()ける最大重要なる地点であつて、(この)地を支配すれば欧洲を自由に支配する事が出来る。それで今回の満五ケ年の戦争も、原因は君府(くんぷ)の奪取にあるのだ。(しか)一旦(いつたん)戦争も終熄(しうそく)して平和の曙光(しよくわう)を認めたやうだが、何時(いつ)また爆発するとも限らない。それよりも(わが)国民は東洋の君府(くんぷ)に注意を(をこた)つてはならぬ。
 大本は敬神尊皇(そんわう)報国(はうこく)主義を(もつ)て天下に(あら)はれたのである。(しか)るに中には敬神の第一義を忘却して、今日(こんにち)は神様ばかり祭つて、宗教じみた事を()()る場合でないと(とな)へる人もあるさうだ。日本は神国、神の建てたる国である。神の(ひら)きし国である。神の(まも)る国である。表現神(へうげんしん)としては天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)が君臨遊ばし、皇祖(くわうそ)天神(てんしん)及び地祇(ちぎ)を崇敬して、祭政一致の政治を遊ばす尊き神国である以上は、皇道大本の信者たる者は(その)(ぶん)に応じて、()づ第一に神様を丁寧にお祭り(まをし)()げて、誠敬(せいけい)の心を(つく)すべきが当然であるにも(かかは)らず、肝心の上に立つ人から(これ)を阻止するやうな態度に出られては、開祖様の二十七年間の御主張は(ことごと)(たち)()えになるのである。
(大正八・七・一五号 神霊界誌)
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