かくすれば かくなるものと しりながら
ひくにひかれぬ やまとだましひ
天明らけく地治まれる聖明の御代の三十余り一つの年、頃は如月の九日、半円の月は皎々として天空に輝やき渡り、地にはふく郁たる梅の花の香り床しく人の心も花やかに、素人天狗の浄瑠璃会に、老若男女の群集は蟻の甘きに集ふ様なり。吾妻太夫の三筋の糸に曳出されて先登一の登壇者はかみしも姿厳めしき長楽太夫、田舎娘の肝煎らせ宛語るは熊谷一の谷敦盛卿との組打場、壇特山の憂別れ迄首尾よく演り付くればヤレ露払ひ万歳と拍手の声は雨霰降つて湧いたる大人気なり。
続いて三調、駒太夫、四明、勇山次々に素人天狗の銅鑼声や根深節も、物珍しき田舎人の耳には、天女の音楽とも聞こえ大当り大持てにて、恰かも鰯網もてくじらの太功記は十段目
夕顔棚の此方より露われ出でたる武智光秀、必定久吉此の家に忍び入る社屈竟一、唯一討と気は張弓、心は矢竹………
と糸の調子に打乗りて、一生懸命語り行く。折しも軒の籔垣押破り、顕れ出でし四五の暴漢、物をも云はず突然座敷へ乱入し、驚く聴衆に眼もかけず、四辺蹴散し踏み散し、壇上の太夫を引摺落し、猫が鼠を握みし如く、凱歌を奏して戸外へ提げて行く。一座は興醒め周章狼狽、互に眼引袖引きつつ後難を恐れて誰一人仲裁の労を取らむとするものなし。ああ今捕へられて行つた若者は誰であらう。ああ彼が運命や如何に。
今の今まで照輝きし無心の月は忽ち暗雲に閉ぢられて西山の頂に影をかくすのであつた。
茲は精乳館の牧畜場内、館長室の戸は竪く閉されて、一団の不可思議が潜んで居る様子、牛乳配達夫は未明より館主の量渡しを待つて居る。旭日は遠慮会釈も無く天に冲する。館主は何時まで待つても起きて来さうに無い。余りのヂレツタさに配夫は本宅の方へ走つた。暫らくすると母は配夫の後から面色を変へて行つて来て突然雨戸を押開け忽ち王仁の寝室に。
顔を見られては大事と手早く夜具を被らんとした、此時遅く彼時早く、母に額の負傷を認識されて仕まつた。ああ是非もない、母はワツと其場に泣き倒れた儘前後不覚。ああ何とせん方涙なくなくも、庭の真奈井の清水を口に含ませ介抱すれば正気付きぬ。母は涙を拭ひも敢えず語るやう。去年までは是の父親が生存して居られた為に、何人にも攻められ苦しめられた事は一度も無かつたに、後家の子だと思ひ侮どつて此様な惨酷な目に合すのであらう、ああ悲しい、夫の逝かれた後は此王仁一人を杖とも柱とも頼んで憂年月を送つて居るのに、去年の冬からこれで、恰度九回目、打つやら蹴るやら乱暴狼籍、九死一生の苦しみを加ふるとは、ああ何たる世間は無情ぞや、弟の周章者は夜前復讐にとか往つて反対に大負傷を受けて帰つて伏して居る。思へば思へば残念至極、誰か強い人が来て兄弟二人の敵を打つて呉れる人は在るまいか、神も仏もなき世かと、子故の暗に迷ふ親心、愚痴の繰言聞き入る王仁の心は千万無量。
母気絶の急報に八十五才の祖母は気丈の性質とて杖にすがりて入来り此場の様子を早くも呑込み王仁に向ひ、汝は最早二十八歳、物の分別も解らなならぬ年頃では無いか、如何に義侠だとか人助けだとか謂つて人を助けても、我身の亡ぶ様な人助けはチト考へねば成るまい。相手も在ろうに兇悪無頼の博徒輩と喧嘩の達引とは如何に物好きにも程度が在るではないか、汝は平素強きを挫き弱きを扶くるが日本魂じやと謂つて居るが、八面八臂の魔神ならば知らぬこと、そんな怯弱な身体で居ながら無謀の挙動は何事ぞ、八十に余る生先さ短かき老母や、良人に逝かれて間もなき一人の母や、まだ東西も弁へやらぬ頑是なき可憐の妹の在るのを汝は忘れたるか。妖怪学だの哲学だの、無神論だのと空理窟ばかり言うて勿体ない、神々を無視して居た報が来たのであらう。宜しく冷静に反省して見よ。今回の事は全く天地神明の御神慮に依つて慈愛の鉄槌を汝の面上に降し玉ひて平素の小高き鼻柱を折らせ玉ふたのであらう。必らず必らず兇漢を恨むことはならぬ、一生の大恩人だと思ふがよい。韓信の股を潜つたのも時世時節ぢや、踏にぢられた蒲公英には殊更厚い花が咲く例もあるからなあ、それに付ても亡き汝の父上は幽冥から其行状の直る迄は高天原へも得行かずに中空に迷ふて居るであらう程に、全然心を入替へて真正の人間に成つて呉れ、それが祖母への死土産だと涙を片手に慈愛の釘打たれて王仁は唯無言。
森厳なる神庁に引出されて神の審判を受くる心地、負傷の痛苦も打忘れ涙に呉るる折しも近所の人々見舞の為に入来る。表には小学生が声を揃へて節面白く、
父よ恋しと 墓山見れば 山は狭霧に 津々まれて
墓標の松も くもかくれ 晴るる暇なき そでのあめ
屋根には烏が唯一羽、可愛々々と鳴き立つる
牧牛は空腹を訴へる如に大声に吠ゆ
皇神は めぐみのむちを あたへつつ 心のねむり さまし玉へり
よきことに まがこといつき まがことに よきこといつく よのなかのみち (宣長)
ことわりの ままにもあらずて よこさまの よきもあしきも 神のこころぞ (宣長)
夜は浸々と更け渡る、水も眠れる丑満時刻、森羅万象寂として声無きに、王仁の胸裏の騒がしさ、昨朝の祖母の教訓や母の悲歎は未だ耳に在る。胸には警鐘轟く雷、得も言はれね煩悶苦悩、今といふ瞬間は有力なる神なると共にまた悪魔なり、善悪正邪の分水嶺上、忽然として一点の旭光に接したのである。一点の旭光、そは如何、直霊の魂の反省、これ。
久かたの あまつ月日の かげはみじ からの心の くもしはれずば (宣長)
父ばかりが大事の親では無い、母もまた大切なる親である。祖母はまた親の親である。斯る見易き判り切つた道理を今迄漢心洋意の狭霧に包まれて、勿体ない。父ばかりを尊み母を軽視して居たのは大間違だ、父が亡くなつた以上は、モウ何事を為しても心痛する親は無きものと思ひ、仁侠気取で数々危険の場所へ出入し、大恩ある母の思を今迄気付かなんだのは、ああ何たる迂愚ぞ、そも何たる不孝ぞ。ああ諺にも、いらはぬ蜂はささぬといふことがある。生じいに無頼の悪人輩と戦ひ且つこれを挫かんとしたのは、余り立派な行為でも無い。蛇が折角千辛万苦して漸くに蛙を捕え、今呑うとする際に人あり、其蛇を打ちたたき弱い方の蛙を助けてやつたなら、其蛙は大いに喜ぶであらうが、肝心の餌を取逃された蛇の心は如何であらうか。
世のなかは よごとまがごと ゆきかはる なかよぞちぢの 事は成つる (宣長)
母は愛に溺れて我子の失は少しも顧みず、唯父が亡く無つたから人々が侮つて忰を虐待するものだとのみ思ひひがめて居らるる様だ。父の亡くなつたのは、王仁ばかりではない。広い世の中には幾千万人あるとも知れぬ程だ。然れど父が亡くなつた為に世間の同情を得たものこそあれ、王仁の様に、たとへ一部の社会にもせよ憎まれたものは少ない。鐘も撞く者が無ければ決して響くものではない。之を思へば祖母の教訓は真の神の直諭である。一々万々確固不易の真理だ。心一つの持ち様で親や兄弟妹や他人にまで迷惑をと思へば、立ても居ても居られぬ。改過の念は一時に。
心機忽ち一転再転、終には感覚の蕩尽、意念の断滅。
翌朝に成つて王仁の姿が見えぬ、家族は大心配
不図床の壁を見ると筆太に
大本大神
然も王仁の筆跡
机の引き出しには羽化登仙の遺書一通
あやしきを あらじといふは 世のなかの あやしきしらぬ しれごころかも (宣長)
抑遺書の文意は如何、天下国家の一大事、然も三大秘密、王仁の生母は忽ち火中に投入れた。後日の難を慮つたのであらう。
渾円球上二つなき、三国一の四方面、富士の神仙、本田芙蓉仙人の神使松岡大天狗は王仁を学者の所謂夢中遊行に導き、其の霊魂は遠く高く天空に逍遙したのである。芙蓉仙人は茲に六神通の秘訣を授けた。
仙人の目的は社会の改善、宇内哲学の一変、皇道の発揮、宗教倫理の改革、王仁果して此大責任に堪へ得るであらうか。外に一冊の教示、書名は
【天啓】
有明の月は西山の頂に薄れ行く。不図顧れば王仁の身は高熊山の巌窟に静座して居る。ああ不可思議の極。
眼下の渓路を薪苅の若者二三、野卑な唄を高く謳つて通る。
亀岡五軒町神籬教院稲荷大明神の託宣
水辺を注意せよ。暇取ると生命が危い、発狂の気味あり。
宮川妙霊教会の神占
恋ふる婦人と東の方へ向けて駆落したのだ。近日に消息あり、とは滑稽。
篠村新田の弘法大師の占
神隠しだ。天狗に魅せられたのだ。大変な大馬鹿者か狂人に成つて一週間の後には帰宅する。
周易の判断
金を壹百円持つて出て居る、外国へ行く心算だ。大志を抱いて韓国から満州へ渡り、馬賊の群に加はる、とは途方も無い判断
王仁の帰宅は其翌日であつた。
しるべすと しこのものしり なかなかに よこさのみちに ひとまよはすも (宣長)
節季前だから夜抜をした。思ふ女が在つて逃げた。天狗につままれた。発狂した。狐狸に誑されて深山へ行つた。河内屋や若錦に恐れて逐電した。大不孝ものだ。大馬鹿だ。分らぬ奴だ。腰ぬけ野郎だ
言ひたい次第に人の口々
我は空行く鳥なれや
○○○○○○○○○○
遙かに高き雲に乗り
下界の人が種々の
喜怒哀楽に執はれて
身振り足振りする様を
我を忘れて眺むなり
実に面白の人の世や
されどもあまり興に乗り
地上に落つる事もかな
み神よ我と倶にあれ
まかつびい よひとのみみか ふたぐらむ まことかたれば きくひとはなし (宣長)
王仁は其月の十五日、しかも正午前宮垣内の伏屋へ帰つた。家族の驚喜、恰かも死者の冥府から帰つた様に、殊に母の顔には何とも形容の出来ぬ輝が見えた。
帰つたと聞いて近所や株内の人々が追々詰めかける、そして何処へ行つて来た、何して居つた、留守中の心配は大抵の事ではなかつた、と五月蝿ほどの質問、一々応答する日には際限が無いから、
大望があつて家出を仕ました、それも神命のまにまに。
あとは無言。
株内の松さん、口を尖らして、曳れものの小歌とはこの事だ、ヘン、人を馬鹿にしてる。皆さん眉毛につばでも付けてかからぬとお紋狐につままれますよ、田芋か山の芋か、蒟蒻か瓢箪か知らんが余程の安本丹だ。そんな事云つたとて此の黒い目でチヤンと睨んだら外れぬぞ、アハハハ、怠惰息子の狂言も古い古い、こんな奴に相手になつて居ると終には尻の毛まで抜かれる、危険々々、と面ふくらし畳を蹴つて帰つて行く。次には四五人の注告。王仁は無言で聞くばかり、弁解したつて無駄だから。
非常に腹の虫が空虚を訴へる。王仁は自から膳を出して麦飯二椀矢庭に掻込んだ、山海の珍味に勝る幾倍。
精神恍惚として頻りに眠たい。傍人には一切無頓着、部屋の真中にゴロリと横たはつた儘白川夜船で華胥の国へ。
翌日の午後三時頃漸く目が醒めた。きまりの悪さうな顔付で、産神の神社へ無我夢中に参詣、其足で父の墳墓へ小松を曳いて樹てに往つた。此行動第一不審の種、日没と倶に王仁の帰宅、顔色は何処となく不安蒼白。
十七日の早朝から王仁の身体は益々変に成つて来た。催眠術に感じた様に、四肢より強直を発し次いで口も舌も強硬不動、一言も口が利かない、一寸の身動きも出来ぬ死者同様。
今日で三日ぶり鱶の様に、能く草臥れたものだ。自然と目の醒める迄寝かすが宜からうと家族の一致。
王仁は益々神経鋭敏に成つて来る、身体こそ動かざれ、目や口こそあかざれ、時計の針の音まで聞いて居る。
四日経つても微動もせぬ、醒めもせぬ、家族は忽ち不審の雲に包まれ俄かに周章だした、近所から株内から、瞬く間に人の山、誰が頼んだものか竹庵先生の声、脈を見る熱を度る、打診、聴診、望診、問診、触診と非常の丹精、エライしびれです。強直状態が今晩の十二時まで持続すれば最早ダメだ、体温は存して居るから死んだのでは無からう。兎角不思議だと首を振つて居る。
王仁は何とも無いよと言つて飛起きて驚かしてやらうと思つたが、矢張ビクとも出来ない、口も利けない。
竹庵先生の沓の音耳に響く。
羽織袴で
入来る天理教の先生、妙な手付で、
ちよいとはなし かみのいふこと きいてくれ あしきのことは ゆはんでな このよのちいとてんとを かたどりて ふうふを こしらえ きたるでな これがこのよのはじめだし あしきをはらうて たすけたまへ てんりんわうのみこと
大の男が二三人、日の丸の扇を開いて笛や太鼓や三味線で囃し立る。祈るのか踊るのか、随分喋がしい宗教だ。先生色々と十柱の神の神徳を説いた末、この病人は全く天の理が吹いたのだ、一心に天理王命を依頼なさいと繰返し繰返しての御説教。
妙見信者のお睦婆さんが親切に尋ねて来た。御題目だとか云うて八釜敷、南無妙法蓮華経を唱へる、頭も顔も腹も手も足も珠数で打やら撫るやら、しまひには、是れお狐さん、お前一体何が不足で憑きなさつた、遠慮なしにトツトと仰しやれ、小豆飯か揚豆腐か、鼠の油煎か、何なりと注文次第調へて進げやう、それを食て一時も早く帰つて下さい。王仁心中にて人を馬鹿にしやがると思つた。
二十三日早朝、誓願寺の祈祷僧が来た。法華経に心経、拍子木、太鼓、鉦たたき、汗水に成つて勤行する。喧ましい、耳が聾になりそうだ。
王仁心中に余程耳の遠い神さんだと思へば可笑しくて堪らぬ。
『拍子木打ち太鼓をたたき経を誦む、法華僧侶の芸の多さよ』
この坊主ますます八人芸で、幣束を手に持ち高天原に六根清浄の祓を奏げる。神仏混交の妖僧め、俄然彼の身体震動して、巧者にも狐下げを演じ出した。部屋中を転げ回つて、ウンウン、我こそは妙見山に守護致す正一位天狐常富稲荷大明神なり、伺の筋あらば、近く寄つて願へとの御託宣、一座低額平身息を殺して畏こまる。
常富稲荷の託宣に由ると、
今より三十余年前株内に与三と云ふ男の狸憑があつた。其与三の狸を退散の為に松葉でくすべて殺した、其恨みを報ゆる為に与三の亡霊が狸をお先に使つて悩めて居るのだ。此常富の神力に依つて怨敵退散さするぞ、有難く思へ、一時間の間に死霊も狸も降伏するとの神示
聞居る王仁の可笑しさ。
一座は有難涙に掻呉れて、鼻をすする声、一時間経つても半日経つても死霊は退かぬ、狸も去なぬ。
夕方に松さんが来た、坊主の祈祷も常富の託宣も当には成らぬ、嘘ばつかりだ。それよりも手料理に限る、第一病人が墓へ参るといふのが可笑しいじやないか、土狸に極まつた、青松葉位でくすべたつて功を経た奴だから往生せまい、七味さんしよでも混ぜてくすべたら往生する、本人も二三日前に参つて居る。狸の勢で身体が温いのだ、オイ狸さん、モウだめだ、覚悟は宜いかと、失敬な、頭を蹴つたり鼻をねぢたり。
母は泣き声で準備の整つた事を松さんに告げて居る。
松さん得意になつて、オイ狸、これから蕃がらしと松葉の御馳走だ、と迷信家が寄つて来て殺人を始めやうとするのである。
コウなると王仁も何どころじやない。全身の力を固めて起き上らうとしたが微躯ともせぬ、勿論口も利けぬ。
今や暴挙に着手せんとする一刹那、一寸待つて、云い度事がある、と母の涙声、これ伜、生きて居るか死んで居るか知らぬが、例へ死んでも性念があらう、好く聞いてお呉れ、明日にも知れぬ老人や子供を連れて後家の身でどうならうぞ、力に思つた伜はこの有様、私の心配チトしつかりして今一度物を云ふてお呉れ、と王仁の頬にハタとしがみ付かれる。
母の眼から王仁の顔へ涙の雨。
其時一筋の綱が何処からともなく手に触れる心地、その綱に手早く取付いたと思ふ途端、不思議にも王仁の身体は活動自在。
一座の驚喜。
王仁万歳、復活の心地。
王仁の天眼通と鎮魂の妙術は忽ち遠近に噂が拡まつた、神占が百発百中する、盲目や聾が全癒する。如何なる病人も全治すると云ふので朝から晩まで人の山、飯食ふ暇さへ無い位、天狗さんぢや、金神さんぢや、稲荷さんぢやと、人の評判。
石田小末と云ふ盲目が全治して千里眼に成つて、伺事が好く中たると、噂はそれからそれへと高まる一方。
例の松さんが出て来た。神床の前に尻をまくつてドツかと坐はり、恐い顔して王仁を睨み、コリヤ極道奴、貴様はそろそろ山子営業をやる積りだらう。ヨシ今に化の皮を引めくつて赤恥かかして見せてやらう。株内近所へよい程心配かけさらしてまだ其上に、そんな真似は何んだ、ナゼ有望な牧畜や乳屋を勉強せぬ。神占の何のかのと吐して人を胡麻かそうと思つたてだめだ、尾の無い土狐とは貴様の事だ、貴様が本当に伺ふのなら今此方が一つ検査をしてやらう、万が一にも中つたら己れの財産残らず貴様に与らう、四百円の地価だぞ、と口きたなく罵りながら湯呑の中へ何か物品を入れて其口を厚紙で張り、音せぬ様にそつと前におき、サアいらうことはならぬぞ、此儘この中に何が何程入れてあるか、天眼通先生サア中て見よ、滅多に中る気遣がない、太陽が西から出ても、アハハハと飽く迄軽侮。
王仁は手品師でないから知らないと答へた。
松さんが仕たり顔で、ザマ見い土山子奴、とうとう尻尾を出しやがつた、オケオケ、此時節に馬鹿な真似さらすとフンノバスゾと、松さんが王仁の顔をいやらしい程覗き込んで、残念なか口惜いか、早く改心せい狸野郎、と益々傍若無人の彼の口、王仁も余り五月蝿から彼の疑心を晴すために、
一銭銅貨が十五枚だ。
感激する数多の参詣者。
松さん妙な面付きで、ハハア案の定狐使ひだ、飯綱だ、一体そんな者を何処で買つて来たのか、何匹居るのぢや、一匹が一円もするか、一寸私に見せて呉れ、一寸でよい、長ふ見せとは言はぬ、と理の解らぬ質問。
迷信家位困つたものは無い。王仁は言葉を尽して透視作用だと説明する。
元来の無学者だけに馬耳東風、トウシだか水能だか知らぬが、そこらに小狐を出さぬ様にして呉れ、ヒヨイと取付れでもしたら大変だ、皆さん用心なさい、こいつは飯綱使だから、と信者の中で大音声。松さんは翌日朝速ふから村内隈なく、王仁は飯綱使ぢや、相手になるな、と賃金取らずの好い広告。
これはしも 人にやあると よくみれば あらぬけものが 人のかわきる (篤胤)
侠客の小丑が怪我を仕たと謂つて足に繃帯したなり、突然神前へ這上り、一度拝んで呉れと横柄に拱手して掛合に来た。元より怪我したと云のは嘘の皮、万一王仁が、さうかと云つて正直に祈願でもしたら、天眼通がこれが判らないか、実は嘘だ、と笑つたりねだつたり困らせてやらんとの奸計。また、王仁が嘘偽を看破した時は指間に秘め隠した小刀で繍帯を解き宛切つて出血せしめて困まらせ、謝罪に酒代でも取てやらんとの算段、見て取た王仁は相手にせず、放棄して素知らぬ風で他の信者に鎮魂を施して居た。
小丑もチト癪に触つたと見え牡牛のやうに荒れ出した。障子を折る、戸を破る大乱暴、安閑坊の喜楽、これでも罰を得中てぬか、腰抜け、鼻垂れ、馬鹿野郎、今此小丑は神床へ小便してやるから、性念の有る真正の神なら立どころに己に罰を中てて見よ。それが出来ぬ様な神なら、全く土溝狸だ。早くも前をまくり神前に向つて放尿、丸切犬の所作だ。
王仁は人間だとは思はないから放棄して居ると、益々図に乗るは小人の癖、終には尻を捲りて王仁の鼻先でプンと一発、笑ひ罵り帰つて行く。其あとへ弟の芳松が野良から忙ただしく馳帰り、小丑の乱暴を聞いて口惜がり、この神さんは神力がない、何故罰でも宛てふん延して下さらぬのか、と小言八百、王仁は聞きかねて、
猫や鼠は神殿の中でも糞尿を垂れる、烏や雀は神社の棟へ上つて糞汁をかける、それでも神罰は中らない、元来が畜生だから、人間も人格を失つたら人面獣心、畜生同然、畜生に神罰は中らない。
言はせも果てず芳松は、何馬鹿たれる、と突然に神壇の下へ頭を突込んだ。其儘直立、神座も神具も忽ち転落。拾つては戸外へ投げ付ける。信者は驚いてチリチリバラバラ、弟は尚も猛り狂ふて、兄貴、こんな神を祭つたて、拝んたて、屁の役にも立たぬぞ、モウ今日限りこんな事は止めて呉れ、この神の為に家内中が心配したり、人に笑はれたり、障子を折られたり、家の仇敵だ、と愚痴をこぼして怒つて居る。
其日の夜中頃、芳松の枕頭には男女五柱の神が立たせ玉ふて、頻りに御立腹の様子が歴然と見えて、恐ろしいとて一睡も得せず、夢中に成つて謝罪する可笑しさ、これで少しは改心が出来るだらうと思つて居ると、果して翌早朝から神殿を清め供物を献じ祝詞を奏げるやら打て変つた敬神の行為。
からさまの さかしら心 うつりてぞ よひとの心 あしくなりぬる (宣長)