霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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回顧録 高熊山

インフォメーション
題名:回顧録 高熊山 著者:王仁(出口王仁三郎)
誌名:神霊界 掲載号: ページ:89
概要: 備考: タグ: データ凡例:漢字やフリガナの明らかな誤字は修正した。句読点、改行は適宜修正した。 データ最終更新日:2025-03-05 00:41:30 OBC :M192919210101c22
かくすれば かくなるものと しりながら
ひくにひかれぬ やまとだましひ
 (あめ)明らけく()治まれる聖明(ひじり)の御代の三十余り一つの年、頃は如月(きさらぎ)の九日、半円の月は皎々(こうこう)として天空(てんくう)に輝やき渡り、地にはふく(ゐく)たる梅の花の香り(ゆか)しく人の心も花やかに、素人(しろうと)天狗の浄瑠璃(じやうるり)会に、老若男女の群集は蟻の甘きに集ふ(やう)なり。吾妻(あづま)太夫(だいふ)三筋(みすぢ)の糸に(ひき)出されて先登(せんとう)一の登壇者はかみしも姿(いか)めしき長楽(てうらく)太夫、田舎娘の(きも)()らせ(つつ)語るは熊谷(くまがひ)(いち)(たに)敦盛(あつもり)(きやう)との組打場(くみうちば)壇特山(だんとくざん)(うき)(わか)れ迄首尾(しゆび)よく()()くればヤレ露払(つゆばら)ひ万歳と拍手の声は雨霰(あめあられ)降つて湧いたる大人気(おほにんき)なり。
 続いて三調(さんてふ)駒太夫(こまだいふ)四明(しめい)勇山(ゆうざん)次々に素人天狗の銅鑼(どら)声や根深節(ねぶかぶし)も、物珍(ものめづら)しき田舎人(ゐなかびと)の耳には、天女の音楽とも聞こえ大当り大持(おほも)てにて、(あた)かも鰯網(いわしあみ)もてくじらの太功記は十段目
夕顔棚(ゆふがほだな)此方(こなた)より(あら)われ出でたる武智(たけち)光秀(みつひで)必定(ひつぢやう)久吉(ひさよし)此の(うち)に忍び()(こそ)屈竟(くつきやう)(いち)(ただ)一討(ひとうち)と気は張弓(はりゆみ)、心は矢竹(やだけ)………
と糸の調子に(うち)乗りて、一生懸命語り行く。折しも(のき)籔垣(やぶがき)(おし)(やぶ)り、(あらは)れ出でし四五の暴漢、物をも云はず突然座敷へ乱入し、驚く聴衆に眼もかけず、四辺(あたり)蹴散(けちら)し踏み(ちら)し、壇上の太夫を引摺(ひきずり)(おと)し、猫が鼠を(つか)みし如く、凱歌を奏して戸外へ()げて行く。一座は(きよう)醒め周章狼狽、(たがひ)()(ひき)(そで)引きつつ後難を恐れて誰一人仲裁の労を取らむとするものなし。ああ今(とら)へられて行つた若者は誰であらう。ああ彼が運命や如何(いか)に。
 今の今まで(てり)輝きし無心の月は忽ち暗雲(あんうん)に閉ぢられて西山(せいざん)(いただき)に影をかくすのであつた。
 (ここ)は精乳館の牧畜場内、館長室の戸は竪く(とざ)されて、一団の不可思議が潜んで()る様子、牛乳配達夫は未明より館主の(はかり)渡しを待つて居る。旭日(あさひ)は遠慮会釈も無く天に(ちう)する。館主は何時(いつ)まで待つても起きて来さうに無い。余りのヂレツタさに配夫(はいふ)は本宅の方へ走つた。(しば)らくすると母は配夫の後から面色(かほいろ)を変へて()つて来て突然雨戸を押開(おしあ)け忽ち王仁(わに)の寝室に。
 顔を見られては大事(だいじ)と手早く夜具を被らんとした、此時(このとき)遅く彼時(かのとき)早く、母に額の負傷を認識されて()まつた。ああ是非もない、母はワツと其場に泣き倒れた(まま)前後不覚。ああ何とせん(かた)涙なくなくも、庭の真奈井(まなゐ)清水(せいすゐ)を口に含ませ介抱すれば正気(しやうき)()きぬ。母は涙を拭ひも敢えず語るやう。去年までは(これ)父親(てておや)が生存して居られた為に、何人(なにびと)にも攻められ(くる)しめられた事は一度も無かつたに、後家(ごけ)の子だと思ひ(あな)どつて此様(こん)惨酷(みぢめ)な目に(あは)すのであらう、ああ悲しい、夫の()かれた後は(この)王仁(わに)一人を杖とも柱とも頼んで(うき)年月(としつき)を送つて居るのに、去年の冬からこれで、恰度(ちやうど)九回目、打つやら蹴るやら乱暴狼籍、九死一生の苦しみを加ふるとは、ああ何たる世間は無情ぞや、弟の周章者(あわてもの)夜前(やぜん)復讐にとか()つて反対に大負傷を受けて帰つて伏して居る。思へば思へば残念至極(しごく)、誰か強い人が来て兄弟二人の(かたき)を打つて呉れる人は()るまいか、神も仏もなき世かと、子(ゆゑ)(やみ)に迷ふ親心、愚痴の繰言(くりごと)聞き入る王仁(わに)の心は千万無量。
 母気絶の急報に八十五才の祖母は気丈の性質とて杖にすがりて(いり)(きた)り此場の様子を早くも(のみ)込み王仁(わに)(むか)ひ、汝は最早二十八歳、物の分別も解らなならぬ年頃では無いか、如何(いか)に義侠だとか人助けだとか()つて人を助けても、(わが)身の亡ぶ様な人助けはチト考へねば成るまい。相手も()ろうに兇悪無頼(ぶらい)博徒(ばくと)(はい)と喧嘩の達引(たてひき)とは如何(いか)に物好きにも程度(ほど)が在るではないか、汝は平素強きを(くじ)き弱きを(たす)くるが日本(やまと)(だましひ)じやと謂つて居るが、八面(はちめん)八臂(はつぴ)魔神(ましん)ならば知らぬこと、そんな怯弱(ひよわ)身体(からだ)で居ながら無謀の挙動(ふるまい)は何事ぞ、八十に余る生先(おひ)さ短かき老母や、良人(をつと)()かれて間もなき一人の母や、まだ東西も(わきま)へやらぬ頑是(がんぜ)なき可憐(かれん)の妹の在るのを汝は忘れたるか。妖怪学だの哲学だの、無神論だのと空理窟(からりくつ)ばかり言うて勿体ない、神々を無視して居た(むくい)が来たのであらう。(よろ)しく冷静に反省して見よ。今回の事は全く天地神明の御神慮に依つて慈愛の鉄槌を汝の面上に(くだ)し玉ひて平素の小高き鼻柱を折らせ玉ふたのであらう。必らず必らず兇漢(けうかん)を恨むことはならぬ、一生の大恩人だと思ふがよい。韓信の(また)(くぐ)つたのも時世(ときよ)時節ぢや、(ふみ)にぢられた蒲公英(たんぽぽ)には殊更(ことさら)厚い花が咲く(ためし)もあるからなあ、それに(つい)ても亡き汝の父上は幽冥から(その)行状の直る迄は高天原へも()()かずに中空(ちうくう)に迷ふて居るであらう程に、全然心を(いれ)替へて真正(しんせい)の人間に成つて呉れ、それが祖母への死土産(しにみやげ)だと涙を片手に慈愛の釘打たれて王仁(わに)(ただ)無言。
 森厳(しんげん)なる神庁(しんちやう)(ひき)出されて神の審判を受くる心地、負傷の痛苦も(うち)忘れ涙に呉るる折しも近所の人々見舞の為に(いり)(きた)る。表には小学生が声を揃へて(ふし)面白く、
父よ恋しと 墓山(はかやま)見れば 山は狭霧(さぎり)に 津々(つつ)まれて
墓標(ぼへう)の松も くもかくれ 晴るる暇なき そでのあめ
 屋根には(からす)(ただ)一羽、可愛(かあい)々々(かあい)と鳴き立つる
 牧牛(ぼくぎう)は空腹を訴へる(やう)に大声に吠ゆ
皇神(すめかみ)は めぐみのむちを あたへつつ 心のねむり さまし玉へり
よきことに まがこといつき まがことに よきこといつく よのなかのみち (宣長)
ことわりの ままにもあらずて よこさまの よきもあしきも 神のこころぞ (宣長)
 ()浸々(しんしん)()け渡る、水も眠れる丑満(うしみつ)時刻、森羅万象(せき)として声無きに、王仁(わに)の胸裏の騒がしさ、昨朝(さくてう)の祖母の教訓や母の悲歎は未だ耳に在る。胸には警鐘(とどろ)(いかづち)、得も言はれね煩悶苦悩、今といふ瞬間は有力なる神なると共にまた悪魔なり、善悪正邪の分水嶺上、忽然(こつぜん)として一点の旭光(きよくくわう)に接したのである。一点の旭光、そは如何、直霊(なをひ)(みたま)の反省、これ。
(ひさ)かたの あまつ月日の かげはみじ からの心の くもしはれずば (宣長)
 父ばかりが大事の親では無い、母もまた大切なる親である。祖母はまた親の親である。(かか)る見易き判り切つた道理を今迄漢心(かんしん)洋意(やうい)の狭霧に包まれて、勿体ない。父ばかりを尊み母を軽視して居たのは大間違(おほまちがひ)だ、父が亡くなつた以上は、モウ何事を為しても心痛(しんつう)する親は無きものと思ひ、仁侠気取で数々(しばしば)危険の場所へ出入(しゆつにふ)し、大恩ある母の(おもひ)を今迄気付かなんだのは、ああ何たる迂愚(うぐ)ぞ、そも何たる不孝ぞ。ああ(ことわざ)にも、いらはぬ蜂はささぬといふことがある。(なま)じいに無頼(ぶらい)の悪人(ばら)と戦ひ()つこれを(くぢ)かんとしたのは、余り立派な行為でも無い。蛇が折角千辛(せんしん)万苦(ばんく)して(やうや)くに(かはづ)(とら)え、今(のま)うとする際に人あり、(その)蛇を打ちたたき弱い方の(かはづ)を助けてやつたなら、(その)(かはづ)は大いに喜ぶであらうが、肝心の(ゑさ)取逃(とりにが)された蛇の心は如何(どう)であらうか。
世のなかは よごとまがごと ゆきかはる なかよぞちぢの 事は(なり)つる (宣長)
 母は愛に溺れて(わが)子の(しつ)は少しも(かへり)みず、(ただ)父が亡く無つたから人々が(あな)つて(せがれ)を虐待するものだとのみ思ひひがめて居らるる(やう)だ。父の亡くなつたのは、王仁(わに)ばかりではない。広い世の中には幾千万人あるとも知れぬ程だ。()れど父が亡くなつた為に世間の同情を得たものこそあれ、王仁(わに)の様に、たとへ一部の社会にもせよ憎まれたものは(すく)ない。(かね)()く者が無ければ決して響くものではない。之を思へば祖母底本では「母」だが文脈上「祖母」が正しいので修正した。の教訓は(しん)の神の直諭(ちよくゆ)である。一々万々(ばんばん)確固(かくこ)不易(ふえき)の真理だ。心一つの持ち様で親や兄弟(いもうと)や他人にまで迷惑をと思へば、(たつ)ても居ても居られぬ。改過の念は一時に。
 心機(たちま)ち一転再転、(つひ)には感覚の蕩尽(とうじん)、意念の断滅。
 翌朝に成つて王仁(わに)の姿が見えぬ、家族は(おほ)心配
 不図(ふと)(とこ)の壁を見ると筆太(ふでふと)
   大本大神
 (しか)王仁(わに)の筆跡
 机の引き出しには羽化(うくわ)登仙(とうせん)の遺書一通
あやしきを あらじといふは 世のなかの あやしきしらぬ しれごころかも (宣長)
 (そもそも)遺書の文意は如何(いかん)、天下国家の一大事、(しか)も三大秘密、王仁(わに)の生母は忽ち火中に(なげ)入れた。後日の難を(おもんぱか)つたのであらう。
 渾円球(こんえんきう)「渾円球」とは地球のこと。(ふた)つなき、三国一の四方面、富士の神仙、本田芙蓉仙人の神使(しんし)松岡大天狗霊界物語では松岡が芙蓉仙人であり、本田親徳は異霊彦(言霊彦)である。王仁(わに)を学者の所謂(いはゆる)夢中遊行(ゆぎやう)に導き、其の霊魂は遠く高く天空に逍遙したのである。芙蓉仙人は(ここ)に六神通の秘訣を授けた。
 仙人の目的は社会の改善、宇内(うだい)哲学の一変、皇道の発揮、宗教倫理の改革、王仁(わに)(はた)して(この)大責任に堪へ得るであらうか。(ほか)に一冊の教示、書名は
 【天啓】
 有明の月は西山の頂に薄れ行く。不図(ふと)(かへりみ)れば王仁(わに)の身は高熊山の巌窟に静座して居る。ああ不可思議の(きはみ)
 眼下の渓路(たにみち)薪苅(たきぎがり)の若者二三、野卑な唄を高く謳つて通る。
亀岡五軒町(ごけんちやう)神籬(かむろぎ)教院稲荷大明神の託宣
 水辺を注意せよ。(ひま)取ると生命(いのち)が危い、発狂の気味あり。
宮川妙霊教会の神占
 恋ふる婦人と東の方へ向けて駆落(かけおち)したのだ。近日に消息あり、とは滑稽。
篠村(しのむら)新田(しんでん)の弘法大師の(せん)
 神隠しだ。天狗に魅せられたのだ。大変な大馬鹿者か狂人(きちがひ)に成つて一週間の(のち)には帰宅する。
周易(しうえき)の判断
 (かね)を壹百円持つて出て居る、外国へ行く心算(つもり)だ。大志を抱いて韓国から満州へ渡り、馬賊の群に加はる、とは途方も無い判断
 王仁(わに)の帰宅は(その)翌日であつた。
しるべすと しこのものしり なかなかに よこさのみちに ひとまよはすも (宣長)
 節季(せつき)前だから夜抜(よぬけ)をした。思ふ女が在つて逃げた。天狗につままれた。発狂した。狐狸(こり)(だま)されて深山(みやま)へ行つた。河内屋(かはちや)若錦(わかにしき)に恐れて逐電(ちくてん)した。大不孝ものだ。大馬鹿だ。(わか)らぬ奴だ。腰ぬけ野郎だ
 言ひたい次第に人の口々
我は空行く鳥なれや
 ○○○○○○○○○○底本では伏せ字。霊界物語第37巻第6章では「我は空行く鳥なれや」が繰り返されている。
 遙かに高き雲に乗り
 下界の人が種々(いろいろ)底本では「の」が脱けている。
 喜怒哀楽に(とら)はれて
 身振り足振りする様を
 我を忘れて眺むなり
 ()に面白の人の世や
 されどもあまり(きやう)に乗り
 地上に落つる事もかな
 み神よ我と(とも)にあれ
まかつびい よひとのみみか ふたぐらむ まことかたれば きくひとはなし (宣長)
 王仁(わに)は其月の十五日、しかも正午前宮垣内(みやかいち)伏屋(ふせや)へ帰つた。家族の驚喜、(あた)かも死者の冥府から帰つた様に、(こと)に母の顔には何とも形容の出来ぬ(ひかり)が見えた。
 帰つたと聞いて近所や株内の人々が追々詰めかける、そして何処(どこ)へ行つて来た、何して居つた、留守中の心配は大抵の事ではなかつた、と五月蝿(うるさい)ほどの質問、一々応答する日には際限が無いから、
 大望(たいまう)があつて家出を仕ました、それも神命のまにまに。
 あとは無言。
 株内の松さん、口を(とが)らして、(ひか)れものの小歌とはこの事だ、ヘン、人を馬鹿にしてる。皆さん眉毛につばでも付けてかからぬとお(もん)(ぎつね)につままれますよ、田芋(たいも)か山の芋か、蒟蒻(こんにやく)瓢箪(へうたん)か知らんが余程の安本丹(あんぽんたん)だ。そんな事云つたとて此の黒い目でチヤンと睨んだら外れぬぞ、アハハハ、怠惰(なまけ)息子の狂言も古い古い、こんな奴に相手になつて居ると(しまひ)には尻の毛まで抜かれる、危険々々、と(つら)ふくらし畳を蹴つて帰つて行く。次には四五人の注告(ちうこく)底本は「注告」。「忠告」の誤りだと思うが意味は通るのでこのままにしておく。王仁(わに)は無言で聞くばかり、弁解したつて無駄だから。
 非常に腹の虫が空虚を訴へる。王仁(わに)(みづ)から(ぜん)を出して麦飯(ばくはん)二椀矢庭(やには)(かき)込んだ、山海(さんかい)の珍味に勝る幾倍(いくばい)
 精神恍惚として(しき)りに眠たい。傍人(ぼうじん)には一切無頓着、部屋の真中にゴロリと横たはつた(まま)白川夜船で華胥(くわしよ)の国へ。
 翌日(あくるひ)の午後三時頃(やうや)く目が醒めた。きまりの悪さうな顔付で、産神(うぶすな)の神社へ無我夢中に参詣、(その)足で父の墳墓へ小松を曳いて()てに()つた。(この)行動第一不審の(たね)、日没と(とも)王仁(わに)の帰宅、顔色(がんしよく)何処(どこ)となく不安蒼白。
 十七日の早朝から王仁(わに)身体(しんたい)益々(ますます)変に成つて来た。催眠術に感じた様に、四肢(しし)より強直を発し次いで口も舌も強硬不動、一言(いちごん)も口が利かない、一寸(ちよつと)の身動きも出来ぬ死者(しにもの)同様。
 今日で三日ぶり(ふか)の様に、()草臥(くたび)れたものだ。自然と目の醒める(まで)寝かすが()からうと家族の一致。
 王仁(わに)は益々神経鋭敏に成つて来る、身体(しんたい)こそ動かざれ、目や口こそあかざれ、時計の針の音まで聞いて居る。
 四日経つても微動もせぬ、醒めもせぬ、家族は忽ち不審の雲に包まれ(には)かに周章(あわて)だした、近所から株内から、瞬く(うち)に人の山、誰が頼んだものか竹庵(ちくあん)先生の声、脈を見る熱を(はか)る、打診、聴診、望診、問診、触診と非常の丹精、エライしびれです。強直状態が今晩の十二時まで持続すれば最早ダメだ、体温は存して居るから死んだのでは無からう。兎角(とにかく)不思議だと首を振つて居る。
 王仁(わに)は何とも無いよと言つて(とび)起きて驚かしてやらうと思つたが、矢張(やつぱり)ビクとも出来ない、口も利けない。
 竹庵(ちくあん)先生の(くつ)(おと)耳に響く。
 羽織袴で(いり)()る天理教の先生、妙な手付で、
ちよいとはなし かみのいふこと きいてくれ あしきのことは ゆはんでな このよのちいとてんとを かたどりて ふうふを こしらえ きたるでな これがこのよのはじめだし あしきをはらうて たすけたまへ てんりんわうのみこと
 大の男が二三人、日の丸の扇を開いて笛や太鼓や三味線で(はや)(たて)る。祈るのか踊るのか、随分(さは)がしい宗教だ。先生色々と十柱の神の神徳を説いた末、この病人は全く天の()が吹いたのだ、一心に天理王(てんりわうの)(みこと)を依頼なさいと繰返(くりかへ)し繰返しての御説教。
 妙見(めうけん)信者のお(むつ)婆さんが親切に尋ねて来た。御題目だとか云うて八釜(やかま)(しく)、南無妙法蓮華経を唱へる、頭も顔も腹も手も足も珠数(じゆず)(うつ)やら(なで)るやら、しまひには、()れお(きつね)さん、お前一体何が不足で()きなさつた、遠慮なしにトツトと(おつ)しやれ、小豆飯(あづきめし)か揚豆腐か、鼠の油煎(あぶらあげ)か、何なりと注文次第調(ととの)へて()げやう、それを()て一時も早く帰つて下さい。王仁(わに)心中にて人を馬鹿にしやがると思つた。
 二十三日早朝、誓願寺の祈祷僧が来た。法華経に心経(しんぎやう)、拍子木底本では「評木(へうぼく)」だが、著作集では「評木(ひょうしぎ)」つまり拍子木と解釈している。数行後に「拍子木打ち太鼓をたたき」と出てくるので拍子木にした。、太鼓、(かね)たたき、汗水に成つて勤行(ごんぎやう)する。(やか)ましい、耳が(つんぼ)になりそうだ。
 王仁(わに)心中に余程耳の遠い神さんだと思へば可笑(をか)しくて(たま)らぬ。
『拍子木打ち太鼓をたたき経を()む、法華僧侶の芸の多さよ』
 この坊主ますます八人芸で、幣束(へいそく)を手に持ち高天原に六根清浄の(はらひ)()げる。神仏混交の妖僧め、俄然(がぜん)彼の身体(しんたい)震動して、巧者(かうしや)にも(きつね)()げを演じ出した。部屋中を転げ回つて、ウンウン、我こそは妙見山に守護致す正一位天狐(てんこ)常富(つねとみ)稲荷大明神なり、(うかがひ)(すぢ)あらば、近く寄つて願へとの御託宣、一座低額平身息を殺して(かし)こまる。
 常富(つねとみ)稲荷の託宣に()ると、
今より三十余年(ぜん)株内に与三(よさ)と云ふ男の狸憑(たぬきつき)があつた。(その)与三の狸を退散の為に松葉でくすべて殺した、(その)恨みを報ゆる為に与三の亡霊が狸をお先に使つて悩めて居るのだ。此常富(つねとみ)神力(しんりき)に依つて怨敵退散さするぞ、有難く思へ、一時間の間に死霊(しれい)も狸も降伏するとの神示
 (きき)居る王仁(わに)可笑(をか)しさ。
 一座は有難涙に(かき)呉れて、鼻をすする声、一時間経つても半日経つても死霊は退()かぬ、狸も()なぬ。
 夕方に松さんが来た、坊主の祈祷も常富(つねとみ)の託宣も(あて)には成らぬ、嘘ばつかりだ。それよりも手料理に限る、第一病人が墓へ参るといふのが可笑(をか)しいじやないか、土狸(どたぬき)()まつた、青松葉(ぐらゐ)でくすべたつて功を経た奴だから往生せまい、七味(しちみ)さんしよでも混ぜてくすべたら往生する、本人も二三日前に参つて居る。狸の(せい)身体(からだ)(ぬく)いのだ、オイ狸さん、モウだめだ、覚悟は()いかと、失敬な、頭を蹴つたり鼻をねぢたり。
 母は泣き声で準備の整つた事を松さんに告げて居る。
 松さん得意になつて、オイ狸、これから(とう)がらしと松葉の御馳走だ、と迷信家が寄つて来て殺人を始めやうとするのである。
 コウなると王仁(わに)も何どころじやない。全身の力を固めて起き(あが)らうとしたが微躯(びく)ともせぬ、勿論(くち)()けぬ。
 今や暴挙に着手せんとする一刹那、一寸(ちよつと)待つて、云い(たい)事がある、と母の涙声、これ(せがれ)、生きて居るか死んで居るか知らぬが、(たと)へ死んでも性念があらう、好く聞いてお呉れ、明日(あす)にも知れぬ老人(としより)や子供を連れて後家(ごけ)の身でどうならうぞ、力に思つた(せがれ)はこの有様、私の心配チトしつかりして今一度(もの)を云ふてお呉れ、と王仁(わに)の頬にハタとしがみ付かれる。
 母の眼から王仁(わに)の顔へ涙の雨。
 其時(そのとき)一筋の(つな)何処(どこ)からともなく手に触れる心地、その(つな)に手早く(とり)付いたと思ふ途端、不思議にも王仁(わに)身体(からだ)は活動自在。
 一座の驚喜。
 王仁(わに)万歳、復活の心地。
 王仁(わに)の天眼通と鎮魂の妙術は忽ち遠近に噂が拡まつた、神占(しんせん)が百発百中する、盲目(めくら)(つんぼ)が全癒する。如何(いか)なる病人も全治すると云ふので朝から晩まで人の山、(めし)食ふ暇さへ無い(くらゐ)、天狗さんぢや、金神さんぢや、稲荷さんぢやと、人の評判。
 石田(いしだ)小末(こすゑ)と云ふ盲目(めくら)が全治して千里眼に成つて、伺事(うかがひごと)が好く()たると、噂はそれからそれへと高まる一方。
 例の松さんが出て来た。神床(かむどこ)の前に尻をまくつてドツかと()はり、恐い顔して王仁(わに)を睨み、コリヤ極道()、貴様はそろそろ山子(やまこ)営業をやる(つも)りだらう。ヨシ今に(ばけ)の皮を(ひき)めくつて赤恥かかして見せてやらう。株内近所へよい(ほど)心配かけさらしてまだ(その)上に、そんな真似は()んだ、ナゼ有望な牧畜や乳屋(ちちや)を勉強せぬ。神占の何のかのと(ぬか)して人を胡麻(ごま)かそうと思つたてだめだ、尾の無い土狐(どきつね)とは貴様の事だ、貴様が本当に(うかが)ふのなら今此方(こちら)が一つ検査をしてやらう、万が一にも(あた)つたら()れの財産残らず貴様に()らう、四百円の地価だぞ、と口きたなく罵りながら湯呑の中へ何か物品を入れて(その)口を厚紙で張り、音せぬ様にそつと前におき、サアいらうことはならぬぞ、此儘(このまま)この中に何が何程(なにほど)入れてあるか、天眼通先生サア(あて)て見よ、滅多に(あた)気遣(きづかひ)がない、太陽が西から出ても、アハハハと()(まで)軽侮(けいぶ)
 王仁(わに)は手品師でないから知らないと答へた。
 松さんが仕たり顔で、ザマ見い土山子(どやまこ)()、とうとう尻尾を出しやがつた、オケオケ、(この)時節に馬鹿な真似さらすとフンノバスゾと、松さんが王仁(わに)の顔をいやらしい(ほど)覗き込んで、残念なか口惜(くやし)いか、早く改心せい狸野郎、と益々傍若(ばうじやく)無人(ぶじん)の彼の口、王仁(わに)も余り五月蝿(うるさい)から彼の疑心を(はら)すために、
 一銭銅貨が十五枚だ。
 感激する数多の参詣者。
 松さん妙な(つら)付きで、ハハア案の(でう)狐使ひだ、飯綱(いづな)だ、一体そんな者を何処(どこ)で買つて来たのか、何匹居るのぢや、一匹が一円もするか、一寸(ちよつと)(わし)に見せて呉れ、一寸でよい、長ふ見せとは言はぬ、と(わけ)(わか)らぬ質問。
 迷信家(ぐらゐ)困つたものは無い。王仁(わに)は言葉を(つく)して透視作用だと説明する。
 元来の無学者だけに馬耳(ばじ)東風(とうふう)、トウシだか水能(すゐのう)だか知らぬが、そこらに小狐(こぎつね)を出さぬ様にして呉れ、ヒヨイと取付(とりつか)れでもしたら大変だ、皆さん用心なさい、こいつは飯綱(いづな)使(づかひ)だから、と信者の(うち)大音声(だいおんじやう)。松さんは翌日(あさ)速ふから村内(そんない)(くま)なく、王仁(わに)飯綱(いづな)使(づかひ)ぢや、相手になるな、と賃金取らずの好い広告。
これはしも 人にやあると よくみれば あらぬけものが 人のかわきる (篤胤)
 侠客の小丑(こうし)が怪我を()たと()つて足に繃帯したなり、突然神前(しんぜん)(はい)(あが)り、一度拝んで呉れと横柄に拱手(うでくみ)して掛合(かけあひ)に来た。元より怪我したと(いふ)のは嘘の皮、万一王仁(わに)が、さうかと云つて正直に祈願でもしたら、天眼通がこれが判らないか、実は嘘だ、と笑つたりねだつたり困らせてやらんとの奸計(かんけい)。また、王仁(わに)が嘘偽を看破した時は指間(しかん)に秘め隠した小刀で繍帯を解き(つつ)切つて出血せしめて()まらせ、謝罪に酒代(さかて)でも(とつ)てやらんとの算段、見て(とつ)王仁(わに)は相手にせず、放棄して素知らぬ(ふう)()の信者に鎮魂を施して居た。
 小丑(こうし)もチト(しやく)(さわ)つたと見え牡牛(をうし)底本では「牝牛(をうし)」。のやうに荒れ出した。障子を折る、戸を破る大乱暴、安閑坊(あんかんばう)の喜楽、これでも(ばち)得中(えあ)てぬか、腰抜け、鼻垂れ、馬鹿野郎、今(この)小丑(こうし)神床(かむどこ)へ小便してやるから、性念の有る真正(まこと)の神なら(たち)どころに(おれ)(ばち)()てて見よ。それが出来ぬ様な神なら、全く土溝(どぶ)(だぬき)だ。早くも前をまくり神前に(むか)つて放尿、丸切(まるきり)犬の所作だ。
 王仁(わに)は人間だとは思はないから放棄して居ると、益々図に乗るは小人(せうにん)(くせ)(つひ)には尻を(まく)りて王仁(わに)の鼻先でプンと一発、笑ひ(ののし)り帰つて行く。(その)あとへ弟の芳松(よしまつ)正しくは由松だが底本では「芳松」。が野良から(あわ)ただしく(はせ)帰り、小丑(こうし)の乱暴を聞いて口惜(くやし)がり、この神さんは神力(ちから)がない、何故(なぜ)罰でも(あて)てふん(のば)して下さらぬのか、と小言(こごと)八百、王仁(わに)は聞きかねて、
猫や(ねづみ)は神殿の中でも糞尿(ふんねう)を垂れる、烏や雀は神社の(むね)(あが)つて糞汁(ふんじう)をかける、それでも神罰は(あた)らない、元来が畜生だから、人間も人格を(うしな)つたら人面(にんめん)獣心(じうしん)、畜生同然、畜生に神罰は(あた)らない。
 言はせも()てず芳松(よしまつ)は、何馬鹿たれる、と突然に神壇(かむだな)の下へ頭を(つき)込んだ。其儘(そのまま)直立、神座(しんざ)も神具も忽ち転落。拾つては戸外へ投げ付ける。信者は驚いてチリチリバラバラ、弟は(なほ)(たけ)り狂ふて、兄貴、こんな神を祭つたて、拝んたて、()の役にも立たぬぞ、モウ今日限りこんな事は止めて呉れ、この神の為に家内(かない)(じう)が心配したり、人に笑はれたり、障子を折られたり、家の仇敵(かたき)だ、と愚痴をこぼして(おこ)つて居る。
 (その)日の夜中頃、芳松(よしまつ)枕頭(まくらべ)には男女五柱の神が立たせ玉ふて、(しき)りに御立腹の様子が歴然(ありあり)と見えて、恐ろしいとて一睡も得せず、夢中に成つて謝罪する可笑(をか)しさ、これで少しは改心が出来るだらうと思つて居ると、(はた)して翌早朝から神殿を清め供物(くぶつ)を献じ祝詞を()げるやら(うつ)て変つた敬神の行為。
からさまの さかしら心 うつりてぞ よひとの心 あしくなりぬる (宣長)
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