霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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回顧録 初陣

インフォメーション
題名:回顧録 初陣 著者:瑞月(出口王仁三郎)
誌名:神霊界 掲載号: ページ:98
概要: 備考: タグ: データ凡例:漢字やフリガナの明らかな誤字は修正した。句読点、改行は適宜修正した。 データ最終更新日:2025-03-05 00:41:39 OBC :M192919210101c23
 橋はかねになる(かね)は紙になる、今に日本はからとなる、と童謡子(どうようし)(うた)つた天満(てんま)天神(てんじん)の二大橋を初めて眺めた当年二十八才の田舎青年。水の都と聞き居たりし大阪の繁栄、煙の多く立登(たちのぼ)る煙の都をながめて(ただ)呆然たるのみ。
 前途に大志を抱いて上阪(じやうはん)したる丹波もの、懐中の五十(かね)は十数日の宿泊料(やどちん)にもぎ()られ、一つの(こう)も見えねば遥々(はるばる)と国へ土産の詮方(せんかた)も無く、敬神家の彼は忽ち天満天神の華表(とりゐ)(くぐ)るのであつた。
 拍手再拝、祝詞の声も清々しく、何か心の秘密を訴ふるに似たり。
 彼は神苑内に囲養(ゐやう)せる丹頂の鶴に目を注いで一人言(ひとりごと)
 アア面白い、(いや)目出度い者が居る。画でかいたつるは今日(けふ)まで幾度(いくたび)か見たことがあれど、本物の(いき)た鶴は見初(みはじ)めだ、(どぢやう)でも買つてやらうかと、懐中(ふところ)を探りて白銅一枚、細き(どぢやう)の代価に投じた。つる二三羽しのび足にてひよこひよこと近付き(きた)り、長き(くちばし)にて(つつ)き喰ふ、その(ゆか)しさに青年は、我を忘れて興に入る。片方の神馬(しんめ)は足ずり荒く、僕にもチツト豆をおごれと口には言はねど、二声(ふたこゑ)三声(みこゑ)たかく(いなな)く愛らしさ。青年は、馬君(うまくん)すまなかつたと口の(うち)、これにも白銅一枚はずんでやる。前程(さきほど)より様子を見てありし一人の老翁(おきな)右手(めて)を挙げて、先生一寸(ちよつと)と声をかける。
 青年は何事ならんと近付き一礼すれば、老翁(おきな)()た丁寧に礼を(かへ)し、言葉静かに、
先生は丹波の御人(ごじん)と御見受け申すが、今日(けふ)大阪への神教(おみち)宣伝(びらき)は時機()ほ早し、一日片時も早く帰国なし十年修業の(こう)を積みし上、再び当地に(きた)つて布教せられよ、必ず神意を完全に伝達するの時あらん。軽挙妄動は大志あるものの最も(いまし)むべきことぞと厳直(おごそか)に注告した。
 青年は(おほい)に驚きつつ、師よ貴翁(あなた)何国(いづこ)何人(なにびと)ぞやとの尋ねに、老翁(おきな)は言葉も(おだや)かに、
(われ)もとは富士山に永年(えいねん)修業せしものぞ、今は世の変遷につれて()くも(いや)しき易者の身の上、小林(いさむ)とは仮の名、後日再会の(せつ)(わが)本名を告げむ。健在なれや青年、(なんぢ)が十年の辛苦難難(さつ)()ると(ことば)の下より涙の雨。
 青年も思はず俯伏(ふふく)落涙(らくるゐ)にむせび一言も発し得ず、暫時(しばらく)ありて(かしら)を上ぐれば、何処(いづこ)へ行きけむ、老翁(おきな)の影だにもなし。
 不思議の人に会つた青年、アア今のは神様ではなかりしかと忽ち疑雲に心天(こころ)の月日を包まれたりしが、瞑想(やや)(ひさし)ふして彼は又一人言(ひとりごと)。忘れもせぬ二月の九日、芙蓉仙人より賜はりし教訓。
 世は末期(まつご)に瀕せり、邪神の荒ぶる世となれり。今の時に(あた)つて惟神(かむながら)の大道を宣伝し、本教のラツパを吹き立てて全世界(このよ)を革正するもの(なく)んば、国家社会を維持すること難く、遂に世界の滅亡(ほろび)(きた)すべきこと鏡にかけて見る如し。汝はこの末の世の光温(ひかり)となり塩となり、薬剤(くすり)となり、または四魂(しこん)五情(ごじやう)の全き活動(はたらき)によりて天地(あめつち)の花となり果実()となりて、世の為神教(をしへ)のために(つく)せよ、真勇(しんゆう)なれ、真親(しんしん)なれ、真愛(しんあい)なれ、真智(しんち)なれ。かかる大任を全成(ぜんせい)せんは容易の(わざ)にあらず、今後十年の(うち)は汝が研究の時期なるべし。(その)(うち)には千辛万苦を覚悟せざるべからず。忍耐が最も肝要なるぞ、屢々(しばしば)神の試みに会ひて邪神の群に包囲さるる事あらん。前途に深き渓谷(けいこく)あり、峻坂(さか)を登る時あり、針の山あり、蛇の室屋(むろや)、蜂の室屋に入ることあり、暴風怒濤に遇ひ一命(いちめい)(あやふ)きことあり、手足の爪まで(ぬか)れて神退(かむやら)ひに退(やら)はるることあり。されど少しも恐るるな、屈するな、神を力に誠を杖に、(たけ)り進め、如何なる艱苦に会ふも神の御心と思へ、一時の失敗や艱難のために神に遠ざかるな、初心を(まぐ)るな、救世の神勅を生命(いのち)の続く限り遵奉せよ。神は汝を照らし、汝に添ひて守らん、呉々(くれぐれ)も十年間の修業を忘るなとの神示(おしめし)は、(わが)脳裏に深く刻まれてあるに、今()た異人より同一の教訓(をしへ)を賜はりしは、東西符節(ふせつ)(あは)すが如し、これぞ全く神示ならんと感歎(やや)久しふして社内を退(しりぞ)く。
帰途
 永き春日(はるひ)(やや)西にかたむきて川水(かはみづ)金輪(きんりん)の光を流す淀河(よどがは)の水瀬も深き浪花潟(なにはがた)、水の都の天神橋上、独り思案にくるる青年あり、東南(たつみ)に山岳の如く端然として築かれたる宏壮なる豊太閤(ほうたいかう)の古城を眺めてまたも一人言(ひとりごと)
人間の運命ほど不思議なものはない、矢矧(やはぎ)の橋に(こも)(まと)ひし腕白(わんぱく)小僧の藤吉郎(とうきちらう)も、忍耐勉励(べんれい)(こう)あらはれて登竜の大志を達し、威権赫々(かくかく)旭日東海の波を蹴つて躍り(いづ)る如く六十余州の天下を掌握し、三韓を征し大明を驚かせ万古不朽の偉業を伝へたり。我も又一介の青年、境遇()た彼の当時に酷似す。精神一到(いつたう)何事かならざらん、何ぞ太閣の成功に(あまん)ぜんやと往来(しげ)き橋の上、我を忘れて男健(おたけ)びなしつつ空想に(から)るる刹那、不意に突当(つきあた)りし十二三才の小児あり。(その)跡より息せき切つて(はせ)来る三十前後の大男、矢庭に小児(こども)を鷲掴み、打つ蹴る倒す乱暴狼籍に小児(こども)は悲鳴を上げて(なき)叫ぶを、物見だかい大阪人の常として、忽ち橋上は往来止めの姿と(かは)る。男は()ほ飽き足らずやありけん、手首を固く採り、腕を抜けん(ばか)りに警察へ連れ行かむとす、青年は見るに見兼ねて、大人(たいじん)暫時(しばらく)待たれよ、(これ)には深き仔細(しさい)のあらむ、(きか)まほしと尋ぬる声に、大の男は言葉も荒々しく、旅人御構(おかま)ひあるな、これはチボの卵なり、唯今(ただいま)主人の店頭(みせさき)にありし実母散(じつぼさん)婦人薬。一服を掻き(さら)へ逃げ出せし図太き小僧()、今後の(いましめ)に橋詰の巡査に引渡さんと鼻息荒く権幕高し。盗みし小僧は薬の(つつみ)投出(なげいだ)し、両手を突き涙ながらに(なき)詫ぶる可憐(いぢらし)さに、青年はこの小児(こども)(うぶ)よりの盗児(ちぼ)にあらざるべしと推量し様子を聞けば案に(たが)はず、小児(こども)の母は年頃(としごろ)子宮病に悩まされ生命(いのち)旦夕(たんせき)に迫れども、極貧の家庭には医薬の手立(てだて)も為し(あた)はず、()ながら母の死を見るに忍びず煩悶しつつありしに、隣人(となりびと)の話に、子宮病には実母散を飲めば全快すると聞きては矢も楯も堪らず、母を思ふの一念より前後の弁別(わきまへ)もなく店頭(みせさき)にありしを(もち)逃げせしことを語りてワツト(その)場に(なき)倒れたる孝子(かうし)の心にほだされて、青年も思はず知らず貰ひ泣き、懐中より五十銭を探りて男に与へ薬を(あがな)ひ、小児(こども)(かは)りて謝罪なすにぞ、男は(つら)をふくらせながら、今日は(きみ)に免じて忘れてやる、以後は(つつ)しめと、一服十銭の薬に五十銭を受取り肩(いか)らして(かへ)り行く無情さ、血も涙も通はぬ男かなと、(いかり)の色を目に表はし(だい)の男を見送りぬ。
草枕(くさまくら) 旅にし(いで)て さとりけり (そら)おそろしき 人の心を
 大阪といへば日本三大都会の一、商業発達の土地、七福神のみの楽天地と思ひ居りし青年は、今日面前(まのあたり)貧児(ひんじ)の境遇を聞きて、何処(いづこ)も同じ秋の夕暮れ、暗黒界はここにもあるかと溜息つくつく思ひに沈むのみ、不図(ふと)見れば何時(いつ)の間にやら往来の人に紛れて小児(こども)の姿も見えずなりぬ。
瑞月()ふ、今の橋の上の出来事は悉皆(しつかい)神の御業(みわざ)にして、青年の心を試み玉ひしものなることを後日に至りて知られたり。
 異翁(おきな)(をしへ)に青年は、帰心(きしん)矢の如く心の駒に鞭を打ち、人力車(くるま)も呼ばず徒歩(とぼ)々々(とぼ)と梅田の駅に月見軒(つきみけん)、支度なさむと懐中(ふところ)見れば残りの金は二銭半、汽車はあれども乗る(すべ)も、何と線路の正中(まんなか)を一直線に膝栗毛、腹も吹田(すいた)駅路(うまやじ)の茶店にひさぐ蒸芋(むしいも)は、九里(くり)四里(より)うまい十三里の道程(どうてい)、一歩々々と茨木(いばらき)の町より道を北にとり、丹波を指して帰り行く。頃しも三月十五夜の月は東の山の()底本は「は」だが文脈上「に」が妥当。、丸き(おもて)を表はしてニコニコ()めど、青年は(ゆふべ)の空の何となく心淋しき一人旅、東も西も南北も知人もなくなく山路(やまみち)を、空の月のみ(ちから)とし、一度通ひしおろ覚え、何処(どこ)やら不安の心地して、岐路(きろ)ある処に停立し首を(かた)ぐる時も時、忽ち前方(まへ)へ白衣の旅人四五(けん)()きへ現はれて、青年進めば(かれ)進み立止(たちとど)まれば又立止(たちとど)まり、声を(かく)れど返辞(へんじ)もなさず、岐路ある(ごと)にあらはれてこの青年を視守(みまも)るが如し。青年は(あやし)み乍らも力を得、足は運べど空腹と疲労(つかれ)のために(にはか)に眠気の鬼に襲はれて、(われ)(わが)手に倒るること幾度(いくたび)か、馬に五十駄の黄金(かね)(いや)との俗謡は(かか)る時をやいふならむ、()けつ(まろ)びつ早くも西別院村底本は「西別所院村」だが、下の方では正しく「西別院村」と出てくる。の村外れ、下り坂にとさしかかる、水さへ音なき丑の正刻(せうこく)(かたへ)細谷川(ほそたにがは)を隔てて墳墓(ふんぼ)あり、ここに雨露(あめつゆ)を凌ぐに足る()小舎(こや)を認め、天の(あたへ)と飛び立つ思ひ、六地蔵の(やかた)後方(しりへ)に身を横たへ、手枕せしまま華宵(かしよ)の国へ千石船(せんごくぶね)で愉快の旅行(たびぢ)
 四方(あたり)寂然(せきぜん)として静まり返る時しもあれ、夢か(うつつ)幻影(まぼろし)か、枕頭(まくらべ)近く女の忍び泣く声いとも(かす)かに(きこ)ゆる刹那、青年の(おもて)(ひえ)たる水の幾滴(いくしづく)、かかるは驚き眼を(さま)せば、怪しや六地蔵の前に一人の婦人(をんな)、赤児を(せな)に負ひながら土瓶(どびん)片手に地蔵の頭上より清水(まみづ)(あび)せつつ、(しき)りに何事か訴ふるものの如きに青年は、思はず轟く心臓の鼓動を()ひて鎮圧しつつ息を殺して伺ひありしに、怪しの影は一歩々々と(ゆる)ぐ如くに徐々(しづしづ)と新しき墓の前に至りてマツチを()り蝋燭を点じ、合掌なしつつ忍び(なき)つつ伏し(かが)むいやらしさ。
 青年は何となく恐怖(おそれ)にかられて身の毛も(よだ)ち、寸時(すんじ)もここに居堪(ゐた)えず急ぎこの場を逃げ(いで)んとせしが待てしばし、(われ)は顕幽二界の救済者たらむとする霊学の修行者なり。今幸ひにして(かく)の如き怪異に出会(であは)し研究の好材料を得たるは全く神の御心ならむ。熟々(つらつら)考ふれば、天下(もと)より妖怪変化の有るべき筈なし、(しか)もこれあらむかとて昏迷驚惑()(しつ)せんとせしは、(けだ)(わが)精神疲労の結果、無稽の現象に感染せしにはあらざる()と、キツト(きも)を据え眼を配れば妖怪にはあらで、田舎婦人の何事か秘密の出来事の為め深夜に亡夫の墓に詣でたるらしく、力無げにヨボヨボと(もと)来し細谷川を渡りて姿は木立(こだち)に紛れて見えずなりぬ。
 婦人(をんな)の姿()せしより青年も又長居ならじと、渓流(けいりう)を渡り山路(やまぢ)(いで)たる一刹那、アアコワイ!と婦人(をんな)の叫び足下に聞こゆるにぞ、再度の仰天しながらも、何もコワイことは無い、人だ人だと呼ばはりつつ、後振り(むき)もせず一目散に法貴谷(ほうきだに)の方へと走り行きぬ。
奇遇
 五月雨(さみだれ)(そら)低ふして時鳥(ほととぎす)の声遠近(おちこち)にきこゆる曽我部(そがべ)の農村穴太(あなを)宮垣内(みやかいち)教会場(をしへのには)も、犬の手も人の手と称する田植えの最中、片時を争ふ農家の激戦場()に忙殺されて、神の(をしへ)の門を(くぐ)る信徒の足も途絶えし折から、服装(みなり)(いや)しき一婦人、両眼のあたり白布もて縛りたるが盲目者(まうもくしや)と見えて杖を力に、先生は御在宅なりやと(おとの)ふこえに、教主は出迎(いでむか)へ、まづまづこれへと座敷へ通し来意を問へば、眼病全治祈願のためとて平伏(ひれふ)しぬ。
 何処(どこ)となく見覚えのある婦人(をんな)と教主は不審(いぶか)り乍ら住所、姓名、来歴を問ふに、婦人(をんな)はいとも(はづ)かしげに面色(おもいろ)あからめ語るらく、御話(おはなし)申すも御耳(おんみみ)(けが)れ、恐れ入りたる次第なれど、お言葉に従ひ(まをし)上げん、(わらわ)は西別院村の寡婦(かふ)にして何某(なにがし)と申すものの妻、見る陰もなき陋居(ろうきよ)に住む貧乏神の屋根は()り、壁は骨を(あら)はし、明日(あす)(かて)を貯ふるの余裕もなき貧困の(うち)に、夫は永年(なが)重病(やまひ)に悩まされ、妾は産婦の重き身、労働することさえも叶はねば、(その)日の糊口(ここう)にさし支え、(ぜに)となるべき物は売り払ひ、金となるべきものは(てん)(つく)して、目に一物(いちもつ)の遮ぎるものは無ければ、医薬の道の手術(てだて)なく空しく死を待つ無惨(みぢめ)生活(くらし)、遂には草根(くさのね)を食べ木皮(きのかは)()んで一時の生命(いのち)(つな)ぎしも、夫婦の身体(からだ)は何故か水腫(すゐしゆ)(おこ)し、夫は遂に幽冥(さかい)を隔てし人となり、取り残されし妾は未だ出産後わづかに二周日(にしうじつ)、血の若き身の赤児(あかご)を抱えて形ばかりの葬祭も済ませ、面白からぬ日を送る内にも村人の無情(むじやう)さ、米代(こめしろ)を払へ醤油代を渡せと日々(ひび)の催促に、何と詮方(せんかた)涙も尽きて、一層(いつそ)妾も夫の後を追ひて現世(このよ)(いとま)を告げんかと思案に沈みながらも、一人の赤児の愛に引かれて死にもならず、心弱きは女の常、何の(かんがへ)もなきまま大阪の姉を頼りて一時の(きう)(のが)れむと、去る三月十五日旧暦3月15日。夜半(よなか)頃、赤児を(せな)に破れ()を後に見捨てて出行(いでゆく)(ほど)に、途上亡夫(をつと)を葬りし墓に立寄り、(かたはら)に人も無ければ心の限り愚痴の繰言(くりごと)くり返し、心残して立去る時しも、夫の墓の(ほとり)より現はれ(いで)たる怪しの物影に思はず知らず泣き叫べば、不思議にもその影は亡夫の亡霊なりしか何事か大声に(よば)はりつつ(わが)()の方へと()せ行きたり。
 (わらは)思ふに、まだ墳土(はかつち)乾かず五十日祭さへも済まざるに、夫の墓ある土地を離れんとしたるは妾の不都合この上もなし、夫の霊は他国へ行くを(ほつ)せざるにやあらむと心を取直(とりなを)し、妾も再び帰宅せしが其時の驚愕(おどろき)は身に(わざはひ)し、遂に(かく)くの如く両眼を失し、且つ昼夜疹痛(いたみ)に苦しむこと限りなく、一人の赤児も又十日以前に乳の乏しき(ゆゑ)か、身体(からだ)痩せ(おと)ろへ、無き人の(かず)()りぬる悲しさ、妾は最早、此世に生きて(のぞみ)なけれども、せめては夫や我子の霊を(とむら)ひて、幽魂(たましひ)を慰めんものとのみ思ふより(ほか)は無けれども、何を言ふても盲目(まうもく)黒白(あやめ)()からぬ不便(ふびん)の身、推量あれよと泣き(まろ)ぶ、始終を聞き入る教主の心は一節(ひとふし)々々胸に(くぎ)
 心にあたるは(すぎ)にし春の弥生の十五の月の夜半(よは)の出来ごと、大阪より帰りの途次、眠気に堪えずして()ある墓場に仮寝(かりね)石枕(いしまくら)(はか)らず(くわい)せし妖怪変化と疑ひしその影は(まさ)しくこの婦人(ふじん)なりし()。事情逐一聞くにつけ、気の毒にも(かれ)が眼病にかかりし原因は、突然走り(いで)たる(わが)姿を亡夫の幽霊と誤認し、驚愕(おどろき)の余り逆上してかかる不具者となり(はて)しかと思へば不便(ふびん)不憫の意。さ、いや(まさ)り、(たつ)ても居ても堪えがたく、ただこの上は神明(かみ)救助(すくひ)を仰ぐより(ほか)手段(てだて)荒菰(あらこも)の上に教主は(うやうや)しく拍手再拝祈願の祝詞も清々しく一心不乱に勤行(ごんぎやう)の至誠に神明(かし)こくも(ゆる)させ玉ひけん、不思議にも両眼の痛み(とみ)()四辺(あたり)をヂツト見回しながら思ひがけなき此の世の光明(ひかり)に飛び立つばかり(うち)喜び、先生々々()()きました。アア勿体なや(かたじ)けなやと伏し拝むこの場の奇瑞、教主は即時の霊験と不思議の奇遇に、神界の深遠なる御経綸(おしぐみ)に敬服し、あら(たふ)とや大神の大御業(おほみわざ)、人心小智の窺知すべきにあらずと、深くも感じて有難(ありがた)なみだ、五月雨(さみだれ)の空暗く、晴間なさけの小旗川(をばたがは)小幡川のこと。、橋も流るる思ひなり。
瑞月()ふ、この婦人(ふじん)山田(やまだ)小菊(こぎく)霊界物語第37巻第15章では「石田小末」。名告(なの)り、瑞霊(みづのみたま)教主に就きて幽斎を学び、神術(かむわざ)(おほい)に発達し、遂には小松林、松岡などの高等神霊(かか)らせ玉ひて、教主に種々幽界の有様を親示(しんじ)せしこと多かりしが、其後(そのご)百日を経て再び大阪へ行かんとて教主に別れを告げしまま行衛(ゆくゑ)を今に知らずといふ。
初陣
大本の神の(をしへ)を伝へむと 山路(やまぢ)はるかに越ゆる津の国
浪花江(なにはえ)のよしもあしきも神業(かみわざ)の 知らずに下る(よど)の流れを
帰途
千早振(ちはやぶる)神の(をしへ)をかしこみて (こま)立てなほす元の住処(すみか)
足曳(あしびき)山路(やまぢ)夜半(よは)辿(たど)る身は 月の神こそちからなりけり
奇遇
ゆくりなく巡り遇ひたるうれしさに (まこと)の神の恵み覚りぬ
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