こんな奴の仲裁するは駄目なりと武部氏あとにわれ馳せ帰る
階段を馳せ下る姿下司は見て逃しはせぬと追ひかけ来る
ずぶ六の下司は階段下りさま足を傷つけ倒れて血を出す
またしても因縁つける下司熊のうるささ思ひて逃げ出しけり
南陽寺惟平翁の室に入り下司の鋭鋒避けてかくれぬ
南陽寺真下の野路を下司熊はよろめきながら跛足ひきゆく
泰平も妻のおとくもきよろきよろと眼光らせ野路辿りゆく
つくづくとわが顔を見て師の君は何事ありしと静に問はせり
ありしこと詳細語れば師の君は獣に相手になるなと宣らせり
霊学に熱中すれば末遂に兇党界に堕つと教ふる師の君
折角にわが学びたる六神通断念したり師の教ききて
喜楽大明神
わが叔父の家にゆかむと小夜更けを月光浴びて河内にむかふ
常磐橋渡れば家の軒かげに下司熊われを待ち伏せてをり
偉さうに仲裁するといひながら貴様はすぐにかくれたとなじる
酒酔に仲裁するも詮なしとその場を去りしばかりと答ふ
ともかくも酒代を出せと下司熊は片手の指を五本見せをり
五十銭銀貨渡せば下司熊は馬鹿にするなと地になげつける
虎の仔の五円紙幣を取出して下司に渡せばいただき帰る
下司熊は月夜の野路に合掌し喜楽大明神とをがめり
女の悲鳴
朧夜の野路を辿りつ曽我谷の道のかたへの家にやすらふ
一つ家の主人は伏見の稲荷下げくろい顔した四十男よ
黒い目をぎろりと光らせわが顔を睨むが如く彼は見てをり
苦しげに女のうめき声聞ゆ何人なるかとわれは問ひみし
ひとり身の稲荷下しの一つ家にうめく女をあやしみにけり
何人がゐるかと問へば稲荷下し横井は知らぬと首をふりをり
横井さんに欺されましたお助けと叫ぶ女の声は悲しき
よくみれば手足を縄にしばられて四十女が横たはりをり
この男は大師の御夢想といひながら女の背に灸すゑしあと
迷信の深き横井は詣で来し信者を無理に灸据うるといふ
小さくとも俺の住処だ一ときも早く帰れと横井は呶鳴る
無茶な事やめたがよからうと言ひながらわれ一つ家を立出でにけり
このをとこ警察官にふみ込まれ三週間の拘留されたり