山桜にほへる八木の鶴山の稲荷おろしの家を訪ひゆく
御嶽教稲荷おろしの教会のおもてに鶴山とみと記せり
教会の門をくぐれば稲荷おろし婆さんは偽の神がかりせり
稲荷おろしと一人の紳士相むかひ膝づめ談判に狐を困らす
双の目は狐の如くつり上り口はとがりてみにくき婆婆なり
この紳士日置の明田貫五郎だましよつたといきまきてをり
わが伜八木の芸者に浮かれゐしを浪速に逃げたと啌をぬかせし
糞くらひ狐が己をだましたと明田氏しきりに婆婆を責めをり
その方は何者なるかとわれ問へば古き狐と泣きわぶる婆婆
二十年まへに憑りしこの狐腹の中にてたまごろとなる
玉ごろが腹の中にて荒れまはり稲荷おろしをしますとてなく
村長の私をだましたこの婆婆は尾のない狐と怒る明田氏
鎮魂をすれば婆さんは飛び上り座敷の中を狂ひまはれり
こんな人に来られちやたまらぬ一時も早く帰りてくれよと頼む
商売の邪魔する人はいち早く帰つておくれと正体現はす
明田氏はわれに対ひて慇懃に住所姓名たづねかけたり
姓名を名告れば明田氏驚きてわが家に来れとしきりに頼む
大金をふところにしてわが伜逃げたといつはる狐といかる
大阪へ人を頼みてさがしみれば伜は八木に芸者とねてをり
教会のま近の青楼にゐるものを大阪等と出放題いふ婆婆
教会の世話方けふからすつかりとお断りだといかる明田氏
十年間狐にだまされ教会を建ててやつたとつぶやくをかしさ
これからは必ず嘘は言ひません御世話たのむと泣きつつ婆婆いふ
古狐けつでも食へといひながら明田氏急ぎ門を出で去る
われもまた教会を出で明田氏と鶴首山にのぼりゆきたり
鶴首山
鶴首山稲荷のほこらの右左狐の陶器ならべてありけり
七つ八つ赤き鳥居のたててあり白と赤との幟ならべる
古狐祀る社をみてあれば下女をともなひ婆さん登り来
この婆さん何人なるかとよく見れば穴太の斎藤直子なりけり
鈴の緒に手をかけガラガラゆすりながら正一位稲荷としきりに拝む
をかしさにわれふき出せばこの老婆われを頻りに睨めつけてをり
稲荷さんを拝むが喜三やん悪いかと口尖らせて小言のたらだら
大幣をうち振りうち振り稲荷下げおとみ婆さんが登り来るみゆ
大幣を前後左右に振りまはし狂ひまはれる稲荷下げ婆婆
嘘ばかりぬかす婆よと明田氏は大声あげて呶鳴りゐたりき
この声におとみ婆さんは驚きて雲を霞と逃げ帰りゆく
神様の悪口をいふ罰当りどこの人かとお直さんが言ふ
八木稲荷
明田氏を伴ひ祠をあとにして秋田かな子の教会にゆく
八木町の秋田の家に到りみれば陶器の狐あまた並べり
ここも亦迷信者らしき信徒が託宣聞きて鼻すすりをり
あげ豆腐小豆飯など沢山にならべたてたる稲荷の神殿
稲荷下しわが顔みるや大幣をその場に捨てて土蔵に逃げ入る
土蔵の戸をぴしやりとしめて稲荷婆婆窓より首出し腮しやくりをり
三日でもここにをるからこりや喜楽日が暮れるまで待つがよいわい
鶴山の急報によりてこの婆婆も土蔵にかくれてわれをさけたる
をかしさをこらへてわれは明田氏と秋田の教会立出でにけり
日置の奇蹟
両人は八木の大橋うちわたり膝栗毛にて日置にいそぐ
たそがれて日置の明田氏邸に入り夕餉すまして話にふける
村人は次つぎわれを訪ひ来り神の話に夜は更けにけり
蹇や盲聾訪ひきたりみな神徳をうけてかへれり
村人は奇蹟に感じこの村に止まり給へとしきりに頼む
つぎつぎに奇蹟あらはれ七八日われこの村に止まりにけり
○余白に
常世ゆく闇のみ空をはらしつつ鶴亀山にすめる月かげ
高山にわきたつ雲のかたまりのいやひろごりて闇は深めり