人間の精霊ぐらゐ恐ろしきものはあらずと身ぶるひ為しぬ
家鶏の声遠くきこえて東雲の空はほのぼの明けそめにけり
よくみれば篤の持ちたる灯燈は春蔵の墓のものなりにけり
神前に天津祝詞をのりつれば篤の狂気はしばしやみたり
こりや野崎しつかりせよと背うてば篤三やうやく気がつきにけり
春蔵の霊がときどきうつります祓ひ給へと合掌して泣く
ともかくも綾部に来れと篤三をうながし友蔵三人帰綾す
よくみれば篤三の顔は傷だらけこけつ転びつ狂ひしあとみゆ
西原の村のはづれに来てみればとある家よりお松がとび出す
このお松まるき目玉をむき出し口を尖らし飛びかからむとする
篤三はお松をみるより抱きつき会ひたかつたと互ひに叫ぶ
春蔵の亡魂なりと云ひながらお松は吾にかみつかむとす
『お松』友蔵よ上田の奴の供をする貴様はほんとの友助とそしる
狂人は相手にせぬと云ひながらわれと友蔵足早に帰る
篤三は又もや邪霊に憑依されお松と二人が追つかけ来る
いつのまにかわが六尺の褌は篤三の手に握られてをり
六尺のまはしを後よりわが首にひつかけむとして追つかけ来る
からうじて大橋詰に帰りみれば四方勇佑迎へ来にけり
勇祐は鬼のわらびをかまへつつお松と野崎を睨まへてをり
篤三もお松も四方勇佑のこぶしに恐れて追つかけ来らず
友蔵をしたがへ綾部大橋を渡りて金明会に帰りつきたり
お金明会に帰りてみれば御開祖は声さわやかに祝詞のらせり
われもまた開祖のあとに静坐して天津祝詞の奏上なせり
朝明けの庭に男女の叫び声耳さすごとく聞え来にけり
窓あけてみれば勇祐篤三やお松の叫び声なりにけり
程もなく三人金明会になだれこみあらぬことども口走りたり
勇祐の審神は駄目だ気に入らぬとお松と篤三肩そびやかす
その方は何者なるかと御開祖の言葉に二人はひれ伏しにけり
御開祖の言葉にお松は正気づきこれより狂態ひたとやみたり
篤三は依然と狂態つづけつつ堂山の滝にうたれて帰幽す
この冬は曇天つづき何鹿の野は三四尺雪にうづまる
惟神道ふみ分けて約三年百のなやみに漸く馴れたり
治まれる御代にしあれば世の常の業に就かんかと幾度か思ひし
千早振る広けき天地の大道をせばめて苦しむ人の世は憂し
垂乳根の生みの母まで打ち忘れ教御祖の道に仕へつ
風にもまれ雨にたたかれくさぐさの悩みに耐へて年は果てたり
かへりみれば悩みの多き年なりき舌の剣にまなかひの霜
雪つぶて霜の剣に攻められて三十年の冬はゆき過ぎにけり
いろいろの神のためしにあひながら明治三十三年は暮れたり