古事記の上巻に、火遠理命が竜宮に御出でになつて、潮満の珠を御持ち帰りになりました、といふことが載つて居ります。今其の大略を現代に合せて、講義を致したいと思ひます。何時も申す通り此の古事記は古今を通じて謬らず、之を中外に施して悖らない、と云ふのでありまして、神代の昔も今日も、亦行く先の世の総ての事も、測知することが出来る様に書かれてあるので、是が天下の名文である所以であります。而して此の古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に於て、総ての事が実現する事になつて居ります。前の方は略して、次の項から御話致さうと思ひます。
『故火照命は、海佐知毘古として、鰭広物、鰭挟物を取りたまひ、火遠理命は、山佐知毘古として、毛麤物、毛柔物を取りたまひき。爾に、火遠理命、其の兄火照命に、各に佐知を相易へて、用ひてむといひて、三度乞はししかども、許さざりき。然れども、遂に纔に、得相易へたまひき。爾、火遠理命、海佐知を以ちて魚釣らすに、都て一魚も得たまはずて、亦其の鉤をさへ、海に失ひたまひき。於是、其の兄火照命、其の鉤を乞ひて、山佐知も、己が佐知々々、海佐知も、己が佐知々々、今は各佐知返さむと謂ふ時に、其の弟火遠理命答白りたまはく、汝の鉤は魚釣りしに一魚も得ずて、遂に海に失ひてきとのりたまへども、其の兄、強ちに乞ひ徴りき。故其の弟、御佩の十拳剣を破りて、五百鉤を作りて、償ひたまへども、取らず。亦一千鉤を作りて、償ひたまへども、受けずて、猶ほ其の正本の鉤を得むとぞ云ひける』
火照命の経綸は海幸彦で、釣鉤の事であり、火遠理命の経綸は山幸彦で、弓矢であります。矢と云ふものは一直線に、目的に向つて進んで行つて、さうして的にあたるのであります。海幸彦は外国の遣り方で、鉤に餌を付けて美味いものの様に装うて居る。さうすると魚が出て来て、釣鉤があると知らずに呑んで、生命を取られてしまふのである。今日の日本の国民全体が、総て日本の遣り方は古いとか色々の事を言うて、一切の事を軽んじて、さうして外国の鉤に餌が、ぷんぷんとして居るのに、総ての者が心を寄せて居る。然るに之を食べて見るが最後、口を引つかけられて生命を取られて了ふ。一方の矢の方は、己を正しうして後に放つて始めてパンと適る。此方が正しくなければ何うしても的に適らぬのである。餌の方は此方が仰向けになつて寝て居つても引つかかるのであるが、矢の方は中々練習を要する。魂と肉体とが一致せぬことには、山幸は出来ぬのであります。それで山幸彦は日本の御教で、即ち火遠理命は、皇祖皇宗の御遺訓を真直に、正直の道を以て、此の世の中を治めて行くと云ふので、つまり之を諷されたのであります。
海幸彦の方は権謀術数の方法を用ひる。旨いものを前に突き出して、さうして其の実質は曲つて居る。旨いものだと見せて、其の頤を引つかけて了ふ。此の海幸と山幸とは、大変違ふのであります。海幸彦の方は鹽沫の凝りて成るてふ外国即ち海の国であります。山幸彦は日本の国の事であります。所が他人の花は美しく見える、又自宅の牡丹餅より隣の糠団子と云うて、自分の商売よりも、人の商売は結構に見えるのであります。であるから、誰でも商売を変へたいと思つて居る。日本人は外国人を結構だと思つて居るし、外国人は日本人を結構だと思つて居る。日本人は外国人を頗る文明の国で良い所ばかりだと思つて居るが、豈図らむや裏の方に行つて見ると、惨憺たる地獄の状態であると云ふ事が分るのであります。
それで山幸彦は海幸彦を、一つ試して見たいと思つた。是が所謂和光同塵であつて、向ふの制度を日本に移し、日本の制度を向ふに移さむとされたのであります。丁度今日の日本人一般が、此の釣鉤にかかつて居るのであります。而も此の釣鉤たるや、太公望の様な真直な鉤ではない、皆曲つて居つて、餌がつけてある。然し何うしても日本に之は合はぬから、得る所は一つも無い、のみならず合はぬから、海へ落したと出て居ります。
又海幸彦も山猟には失敗した。矢張り是は外国には適当せぬのであります。国魂に合はぬのであります。それで矢張り元の通りに換へよう、外国は外国の遣り方に、日本は日本の遣り方にする、到底日本の皇祖皇宗の御遺訓を、其のまま外国に移す事は出来ない。又向ふの国のものを、其のまま日本でやる事も出来ぬ。元通りにやると云ふ時に、如何なるはづみか知らぬが、元の鉤は海へ落ちて無い様なことになつた。そこで海幸彦は元の鉤を返して呉れ、と云ふ請求が喧しい。
日本の国は外国の文明を羨望したので、明治初年外国文明が入つて来た。さうして日本文明を之と交換したのである。所謂外国は日本の国を指導して、自分の貿易国にしようとか、或は之で引つかけようとか思つたに違ひない。所が既に其の鉤は、海底に沈んで了つた。丁度向ふの教は日本の国に持つて来ると、恰も熱帯の植物を寒帯へ持つて来た様に、到底育つ事が出来ない。此方のものも、向ふには適当せぬと云ふ事になる。さうすると其の賠償として、御佩せる十拳剣を破つて五百鉤を作つて償はうと思つた。日本武士が二本さして居つたのが、帯刀を取られて了ふ。一本差も取られて了ふ。丁度廃刀令を下すの余儀なきに立到つたのである。是が十拳剣を破つて色々の鉤を作られた事で、所謂昔の剣より今の菜刀、斯う云ふ事になつて来た。昔は武士は喰はねど高楊枝と云つて居たが、今は中々さう云ふ事は出来ない。矢張り饑いので、千松の様な事になる。その為に十拳剣をすつかり取つて、向ふの言ふ通りになつて、丸裸丸腰になつて了うた。それでもまだ向ふは得心が行かない。元の鉤を返せ返せと云つて頻に迫る。併し日本の貿易国にしようとか、旨い事を考へて居つた其の鉤は落ちて了つた。さうして却つて此方から、カナダや米国に移民したり、或は英国の植民地に移住するとか云ふ様な事で、鉤の方の国の方へ、日本人がどんどん行つて了ふ。今度は日本人が鉤を使ふやうになつて来た。それが為に、海幸彦は元の鉤を得むとして頻に責めるが、向ふの国は御維新前には何うかして旨い汁を吸ひたいと考へて居つたが、今日となつては、ああして置いては大変だ、吾々は枕を高うして眠る事が出来ぬ。それで一刻も早く何とかして、利権を獲得して了はうと云ふ考えを起して居るのであります。所謂元の釣鉤を望んで居ると云ふやうな事が諷されてあるのであります。それが今日、現実的に実現して居るのであります。
『於是其の弟、海辺に泣き患ひて居ます時に、鹽椎神来り問曰く、何にぞ、虚空津日高の泣き患ひたまふ所由はといへば、答言へたまはく、我、兄と鉤を易へて、其の鉤を失ひてき。是て其の鉤を乞ふ故に、多の鉤を償ひしかども、受けずて、猶其の本の鉤を得むと云ふなり。故泣き患ふと告りたまひき。爾に、鹽椎神、我、汝が命の為に、善議せむと云ひて、即ち、無間勝間の小船を造りて、其の船に載せまつりて教曰く、我、其の船を押し流さば、差暫し往ませ、味御路あらむ。乃ち其の道に乗りて往ましなば、魚鱗の如、所造る宮室、其れ綿津見神の宮なり。其の神の御門に到りましなば、傍の井上に、湯津香木在らむ。故、其の木の上に坐しまさば、其の海神の女、見て相談むものぞと教へまつりき』
是に於て火遠理命は当惑して泣き悲んだ。即ち神界に於ては、世界の状態及び特に日本国の政治経済商業実業、一切の状態を非常に憂慮し泣き悲んで居られると云ふ事であります。そこへ鹽椎翁が現れる。鹽椎翁と云ふ事は、つまり水火地翁と云ふ事で、肉体は女で魂は男、即ち地の御先祖様である国常立尊が、出口の守と現はれたと云ふ事でありませう。鹽椎翁は、何が為に此世の中が治まらぬかと、色々御心配になつて居ると云ふ事を、よく御存じでありますから、其の傍に寄つてお尋ねになつた。何が為めに御泣きになるのか。さうすると火遠理命は、我は猟具と釣鉤を換へて漁りした所が、其の釣鉤を失つて了つた。そこで色々と鉤を作つたけれども、元の鉤を返せと云つて責められる。それで泣くのである。実に日本の現状は、行きも戻りも出来ない事になつて来た。今日の日本は外国の教を受けた為に、皇祖皇宗の御遺訓を充分に発揮するどころか、其の日本人の心まで、海幸彦の釣鉤にかかつて了つて居るのであります。是に於て鹽椎翁は無間勝間の船を造り、さうしてそれに火遠理命を御乗せ申した。
メナシは、水も漏さぬと云ふ事。カタマは、堅くして叩いても崩れぬと云ふ事である。即ち皇祖皇宗の御遺訓を真解し賜はつた所の大本神諭が夫れであらうと思ふのであります。神様の教を指して、メナシカタマの舟と云ふ。何故かと云へば、此舟に乗つて居つたならば、如何なる狂瀾怒涛に遇ふと雖も、覆へる、溺れると云ふ事は無い、実に世界を済度する所の舟である。之を作つてさうして之に乗せて綿津見の神の宮へ、御出でなさいと申したのである。綿津見の宮は竜宮の事であります。竜宮には海の竜宮と、陸の竜宮とが在るのであります。
『故、教へし隨に、少し行でましけるに、備に其の言の如くなりしかば、即ち、其の香木に登りて坐しましき。爾に、海神の女、豊玉毘売の従婢、玉器を持ちて、水酌まむとする時に、井に光あり。仰ぎて見れば、麗しき壮夫あり。甚異奇と以為ひき。爾、火遠理命、其の婢を見たまひて、水を得しめよと乞ひたまふ。婢乃ち水を酌みて、玉器に入れて貢進りき。爾に、水をば飲みたまはずして、御頸の璵を解かして、口著に含みて、其の玉器に唾入れたまひき。於是、其の璵い器に著きて、婢璵を得離たず。故、璵著けながら、豊玉毘売命に進りき。爾、其の璵を見て婢に、若し門の外に人有りやと、問ひたまへば、我が井上の香木の上に人在す、甚麗しき壮夫にます。我が王にも益りて、甚貴し。故其の人、水を乞はせる故に、奉れば、水をば飲まさずて、此の璵をなも唾入れたまへる。是れ得離たぬ故に、入れながら将来て、献りぬとまをしき。
爾、豊玉毘売命、奇しと思して、出で見て、乃ち見感て目合して、其の父に、吾が門に、麗しき人有すと白したまひき。爾に、海神自ら出見て、此の人は、天津日高之御子、虚空津日高にませりと云ひて、即ち内に率て入れ奉りて、美智の皮の畳八重を敷き、亦絁畳八重を、其の上に敷きて其の上に坐せまつりて、百取机代物を具へて御饗して、即ち、其の女豊玉毘売を婚せまつりき故、三年といふまで、其の国に住みたまひき。
於是、火遠理命、其の初の事を思して、大なる歎一つしたまひき。故、豊玉毘売命、其歎を聞かして、其の父に白したまはく、三年住みたまへども、恒は嘆かすことも無かりしに、今夜大なる歎一つ為たまひつるは、若し何の由故あるにかと言したまへば、其の父の大神、其の聟夫に問ひまつらく、今旦、我が女の語るを聞けば、三年坐しませども、恒は歎かすことも無かりしに、今夜大なる歎為たまひつと云せり、若し由ありや。亦、此間に到ませる由は、奈何にぞととひ奉りき。爾、其の大神に、備さに、其の兄の、失せにし鉤を罰れる状を語りたまひき。是を以て、海神、悉に海之大小魚を召集めて、若し此の鉤を取れる魚ありやと問ひ給ふ。故、諸の魚ども白さく、頃者、赤海鯽魚なも、喉に鯁ありて物得食はずと愁ふるなれば、必ず是れ取りつらむとまをしき。於是、赤海鯽魚の喉を探りしかば、鉤あり。乃ち取出でて、清洗して、火遠理命に奉る時に、其の綿津見大神、誨へまつりけらく此の鉤を、其の兄にたまはむ時に、言りたまはむ状は、此の鉤は、淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤と云ひて、後手に賜へ。然して、其の兄高田を作らば、汝が命は下田を営りたまへ。其の兄下田を作らば、汝が命は高田を営りたまへ。然為たまはば、吾、水を掌れば、三年の間、必ず其の兄、貧窮くなりなむ。若し、其れ、然為たまふ事を恨怨みて、攻戦なば、鹽盈珠を出して溺らし、若し、其れ、愁請さば、鹽乾珠を出して活し、如此して惚苦めたまへと云して、鹽盈珠、鹽乾珠、併せて両箇を授けまつりて、即ち悉に、和邇魚どもを召集めて、問曰たまはく、今、天津日高の御子、虚空津日高、上国に出幸まさむとす。誰は幾日に送り奉りて覆奏さむととひ給ひき。故各各、己身の尋長の隨に、日を限りて白す中に、一尋和邇、僕は一日に送りまつりて還り来なむと白す。故爾、其の一尋和邇に、然者汝送奉りてよ、若し海中を渡る時に、な惶畏せまつりそとのりて、即ち其の和邇の頸に載せまつりて、送り出しまつりき。故如期、一日の内に送り奉りき。其の和邇返りなむとせし時に、所佩紐小刀を解かして、其の頸に著けてなも返し給ひける。故、其の一尋和邇をば、今に、佐比持神とぞいふなる。
是を以て、備さに海神の教へし言の如くして、其の鉤を与へ給ひき。故、爾より後、稍愈貧しくなりて、更に荒き心を起して迫来。攻めむとする時は鹽盈珠を出して溺らし、其れ、愁ひを請せば鹽乾珠を出して救ひ、如此して惚苦めたまふ時に、稽首白さく、僕は、今より以後、汝が命の、夜昼の守護人と為りてぞ仕へ奉らむとまをしき。故、今に至るまで、其の溺れし時の種種の態、絶えず仕へ奉るなり。
於是、海神の女、豊玉毘売命、自ら参出て白したまはく、妾已くより妊身るを、今産むべき時に為りぬ。此の念ふに、天神の御子を海原に生みまつるべきにあらず。故、参出到つと白したまひき。爾即ち、その海辺の波限に、鵜の羽を葺草に為て、産殿を作りき。於是、其の産殿未だ葺合へぬに、御腹忍へがたくなりたまひければ、産殿に入坐しき。爾に、産みまさむとする時に、其の日子に白言したまはく、凡て、佗国の人は、産時に臨れば、本国の形になりてなも産生なる。故妾も今、本の身になりて産みなむとす。妾を勿見給ひそとまをし給ひき。於是、其の言を奇しと思して、其の方に産み給ふを窃伺みたまへば、八尋和邇に化りて、葡萄委蛇ひき。即見驚き畏みて、遁退きたまひき。爾に、豊玉毘売命、其の伺見たまひし事を知して、心恥かしと以為して、乃ち其の御子を生置きて、妾恒は、海道を通して往来はむとこそ欲ひしを、吾が形を伺見給ひしが、甚怍かしきことと白して、即ち、海坂を塞きて返入りましき。是を以て、其の所産御子の名を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂す。
然れども後は、其の伺み給ひし情を恨みつつも、恋しき心に得忍へ給はずて、其の御子を治養しまつる縁に因りて、其の弟、玉依毘売に附けて、歌をなも献りける。其の歌曰、
阿加陀麻波 袁佐閇比迦礼杼 斯良多麻能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理
爾其の比古遅答へたまひける歌曰、
意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀違泥斯 伊毛波和須礼士 余能許登碁登邇』
さうして竜宮に行つてから、自分の落した釣鉤の事に就て来れる所以を御話しになつた。それから豊玉比売を妃として、三年海外に留学をせられたと云ふ事になる。つまり日本国にメナシカタマの舟が現れて来て、それに乗つて、初めて皇道の光が稍発揮しかけて来た。三年程の間に、皇道の光が発揮しかけて来たのである。丁度今日の時代に適応して居るのであります。
さうして居る中に、火遠理命は以前の事を思うて、大きな歎きを一つし給うた。即ち昔の事を思うて、斯う云ふ結構な教が我国にある。
『澆季末法の此世には、諸善竜宮に入り給ふ』
と和讃に誌されてある通り、本当に我国には誠の教、本当の大和魂、生粋の教があつたのである。さう云ふ結構な教があつたのを知らずに、三年間居つた。此の真直なる山幸を捨てて、さうして海幸になつて居つたと云ふ事を、初めて悟られて、大に誤つて居つたと云ふ事を、神界に於て歎かれたのであります。ここに大なる歎きをせられたので、綿津見の大神は、豊玉姫命に其の訳を聞かれると是々爾々と云ふ事であつた。そこで綿津見の神は大小の魚共を悉く集めて、鉤の行方を探した。其の魚の中でも名を知られて居る、例へばウイルソンの如く、其の名を世界に知られて居ると云ふやうな魚を名主、此魚の中の一番王様といういふのが鯛であります。その鯛の喉に鉤が詰つて居つた。つまり口では旨い事を云つて居るけれども、何か奥歯に物が詰つた様な、舌に剣がある様な、引つかける所の言葉、釣鉤の様な言葉がある。国際連盟とか、平和とか、民族自決とか、或は色々の事を言つて居りますけれども、釣鉤といふものを口の中に入れて居る。みな言葉で釣つて了ふのであります。正義人道とか、平和とか云つて、戦はしないと言つて居る。其の尻からどんどん軍備を拡張して、己の野心を逞しうせむとしつつあるのであります。所謂此の鯛の喉に、海幸彦の鉤が隠れて居る。其の鉤を発見して之を持ち帰つて来た。つまり鯛の言ふ事は当にはならぬ。総て斯う云ふものを喉に引つかけて居る。斯くして綿津見の神の力に依つて之を発見して、さうして之を貰つて、御帰りになると云ふ事になつたのであります。
かくて其の兄に、此の鉤を渡す時に、憂鬱針、狼狽針、貧窮針、痴呆針と言つて、手を後に廻して御返しなさいと、綿津見の神が言はれた。兄とは兄の事で、外国思想にかぶれたものである。今日は物質の世であるから、外国が兄である。三つ位の日本の弟と、七つ位の兄と喧嘩すれば、何うしても弟が負けるにきまつて居る。それから此の大きな鯛の、所謂ウイルソンか何か知らぬけれども、其の中の鉤を持つて帰つたといふ事であります。それで世界の平和とか、文明とか言つて居るけれども、これを有難がつて居る連中の気が知れないのであります。
憂鬱針──今日は所謂憂鬱針に釣られて居るのであります。即ち物質文明と云ふもので、世が乱れて来た。或はマツソンの手下となつて居るといふ有様である。憂鬱病にかかつて、自殺したり、或は鉄道往生をしたり、もう悲観し切つてしまつて、何をしても面白くないと云ふ人間計りであります。
狼狽鉤──是は非常に狼狽して居るといふ状態で、例へば政治界を見ても、外交上の狼狽、即ち支那問題とか、朝鮮問題とか、其の他思想上の問題一切のものが、皆狼狽をして居る。是が狼狽針であります。
貧窮針──是は申すまでもなく貧乏の事であります。
痴呆針──馬鹿を見る事であります。日本人全体には大和魂があるけれども、外国の横文字にはほうけて阿呆になつて居る。横文字も必要ではあるが、それにほうけて自分の懐には何もない。大和魂がないといふのは所謂痴呆針にかかつたといふ事であります。折角竜宮迄行つて、何んな釣鉤を持つて帰つたかといふと、こんなもの計りであつた。
綿津見神が続けて申されるのには、是等の鉤を兄上に返すには後手に御渡しなさい。さうして若し兄が怒つて高田を作つたならば、汝が命は下田を営り給へ。若し兄が下田を作つたならば、汝が命は高田を営り給へと申されたのは、何でも反対に行けといふ意味であります。つまり外国が若しも笠にかかつて出てきて戦争をしかけたならば、此方は慎んで戦争をせない様にせよ。若し又日本に向つて無理な事を言つて来る、人道に反した事を言つて来るならば、此方は充分に皇道に基いて、正々堂々誠の道に高く止つて、其の手段を取れ。斯ういふ様な事であります。さうして潮満珠と潮乾珠といふ二つの宝を持たされました。若し飽くまで先方が反対して来るならば、潮満珠を御出しになれば、必ず水が湧きでて兄様を溺れさせますし、若しあやまつたならば、潮乾珠の方を出して活かしてやり、活殺自在にたしなめておやりなさい、と申されました。即ち是は仏教で申しますと、如意宝珠の珠といふ事であります。
此の潮といふ事は、火水相合致したものでありまして、吾々は皆一人々々潮乾珠、潮満珠を持つて居るのであります。之を言霊学上からいひますと、伊都能売の魂といふ事になります。
火遠理命は一尋鰐に乗つて、愈々本の国日の本の国へ、帰られたのであります。此の一尋鰐といふ事には、非常に重大な意味があります。又此の火遠理命は、日子穂々出見命の事であります。御筆先にも『日子穂々出見命の世になるぞよ』といふことがありますが、愈々火の燃え上つた如く中天に輝く所の御盛徳を持つた、日子穂々出見命が、海原を御渡りになる。其の時に一尋もある大鰐が、之を助けたと云ふ事になつて居るのであります。其の時に豊玉姫も共に御連れ帰りになりました。さうすると豊玉姫は妊娠せられた。御子さんが出来たのであります。併し子と云ふ事は原子分子一切の子である。それから、非常に腹が膨れるといふ事になつて子を産む。竜宮も海を離れた島ですから、地の竜宮と云ふ事になります。それでお二人の間に一人の子が出来た。さうすると豊玉姫は、子を産まむとする時に夫に向つて、妾は国津神の子であるから、元の姿になつて児を産みますから、産屋を御覧ならないやうに、何処かへ行つて居て下さい、と堅く申されました。そこで鵜葺草葺不合命を産まれました。未だ鵜の羽の屋根が葺き合へない中に御生れになつたから、さう申すのであります。
此の鵜の羽といふ中には、深い意味があるのであります。鵜の羽を以て屋根を葺く、此の鵜といふ事は、稚比売君命と深き因縁のある事であります。此の神様は非常に烏と因縁がある。鵜と云ふ事は烏と云ふ事であります。烏は羽なくては駄目である。それで其の羽で以て屋根を葺く、其の出来ない中に御子が生れたのであります。火遠理命は恐いもの見たさで、そつと御窺ひになると、立派な玉の様な御子が御出来に成つて居る。御子は生れて居りますが、其の母の豊玉姫は竜神の本体を現して居る。大なる竜神が玉の様な児を抱いて居る。それを見て大に驚いた。竜神といふものは、天津神計りと思つて居たが、地津神にもあるかと云ふ事でお驚きになつた。寧ろ此の驚きは恐怖の驚きでなくして、感心の余りの吃驚せられたのであります。さうすると豊玉姫命は、自分の姿を見られたものですから、恥かしくてもう御目にかかれませぬと言うて、元の海へ隠れた。此の御子さんの事を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と申し上げるのであります。此の神は皇室の為めに尽さむとして居るのであります。又豊玉姫は還元して居る現状を見られて、申訳がないと云ふ事になつて再び海に隠れて、元の所に潜伏せられ、其の御産になつた鵜葺草葺不合命を御育てする為に、玉依姫と云ふ竜宮で一番良い所の、選りに選つた神様を御遣はしになつて、御育てになつたのであります。其の時に斯う云ふ歌を御言附けになりました。此の歌は中々意味があります。
『赤珠は緒さへ光れど白珠の 君が装ひし貴くありけり』
赤珠──日の大神、白珠──月の大神、其の珠の緒が、冴え光つて居つたといふ事である。君──伊邪那岐伊邪那美とか、神漏岐神漏美とかのキミで、即ち両陛下を指してキミと申すのです。『キ』は太陽で『ミ』は月の事であります。厳の魂は日、瑞の魂は月、即ち天辰日月が輝いて、完全無欠なる美しい、且つ尊い国が出来たといふ事を、非常に御喜びになつたのであります。此の玉依姫の事を竜宮の乙姫様と云うて居ります。此の神様が御育てした、鵜葺草葺不合命が立たれると、天下は良く治まつて、日月は晧々として輝き、陰陽上下共に一致する。即ち『貴くありけり』と謂はれたのは天下泰平に宇宙が治まつた所の形をば、讃美されたのであります。其の以前に日子穂々出見命、亦の名火遠理命が、豊玉姫に御送りになつた歌があります。
『沖つ鳥鴨着く嶋に吾率寝し 妹は忘れじ世のことごとに』
沖つ鳥と云ふ事は、沖の嶋といふ事であります。此の日本以外の外国を指して云ふのであります。或は竜宮の嶋を指して言つたのであります。鴨着く嶋──嶋と云ふ事は、山篇に鳥である。嶋には鴨とか、鴎とか言ふ鳥が沢山群がつて居る。若しも鳥が居なかつたならば嶋ではない。女島男島は真白けに鳥が群がつて居る。鳥が沢山居る嶋が鴨どく島である。吾率寝し──といふ事は共に暮したいといふ事であります。妹は忘れじ──ツは大津といふ事で、大きな海の水の事であります。マは廻つて居るといふ意である。例へば島のシと言ふ事は水であつて、マと言ふ事は廻る事、即ち水が廻つて居ると言ふ事で、小さい島の意味になります。或は又シメと云ふのも、ぐるぐる水が廻つて居る形である。又真中に建造物のあるのは、城とも言ふのである。故に日本国を秀津真の国と言ふのである。
ツとシとは反対であつて、ツは外国の事である。潮流杯も日本と反対に流れて居ります。忘れじ世のことごとに──といふ事は、万国を一つに平定される事である。世のことごとに、は守るといふ事である。幾万年変つても、此の国は忘れないで、此の御神勅に依つて治めなければならない。日月星辰のある限り、飽くまでも治めてやると言ふ、有難い御言葉であります。
(大正九・八・二四亀岡ニテ講演筆記 九・九・一一号神霊界)