霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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〔一一〕海幸山幸之段

インフォメーション
題名:〔一一〕海幸山幸之段 著者:出口王仁三郎
ページ:191 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B121805c112
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正9年9月11日号(第126号) > 古事記言霊解(二)
 古事記の上巻に、火遠理命(ほをりのみこと)が龍宮に御出でになつて、潮満(しほみつ)(たま)を御持ち帰りになりました、といふことが載つて居ります。今其の大略を現代に合せて、講義を致したいと思ひます。何時も申す通り()の古事記は古今を通じて(あやま)らず、(これ)を中外に施して(もと)らない、と云ふのでありまして、神代の昔も今日も、(また)()く先の世の総ての事も、測知することが出来る様に書かれてあるので、(これ)が天下の名文である所以であります。(しか)して()の古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に(おい)て、総ての事が実現する事になつて居ります。前の方は略して、次の項から御話致さうと思ひます。
(かれ)火照命(ほてりのみこと)は、海佐知毘古(うみさちひこ)として、鰭広物(はたのひろもの)鰭挟物(はたのさもの)を取りたまひ、火遠理命(ほをりのみこと)は、山佐知毘古(やまさちひこ)として、毛麤物(けのあらもの)毛柔物(けのにごもの)を取りたまひき。(ここ)に、火遠理命(ほをりのみこと)、其の(いろせ)火照命(ほてりのみこと)に、(かたみ)に佐知を相易()へて、用ひてむといひて、三度(みたび)()はししかども、許さざりき。然れども、遂に(わづか)に、得相易(えか)へたまひき。(かれ)火遠理命(ほをりのみこと)海佐知(うみさち)()ちて魚釣(なつ)らすに、(かつ)一魚(ひとつ)も得たまはずて、(また)()(つりばり)をさへ、海に失ひたまひき。於是(ここに)()(いろせ)火照命(ほてりのみこと)()(はり)を乞ひて、山佐知(やまさち)も、(おの)佐知々々(さちさち)海佐知(うみさち)も、(おの)佐知々々(さちさち)、今は(おのもおのも)佐知(さち)返さむと()ふ時に、()(いろと)火遠理命(ほをりのみこと)答白()りたまはく、(みまし)(つりばり)魚釣(なつ)りしに一魚(ひとつ)も得ずて、遂に海に失ひてきとのりたまへども、()(いろせ)(あなか)ちに乞ひ(はた)りき。(かれ)()(いろと)御佩(みはかし)十拳剣(とつかつるぎ)を破りて、五百鉤(いほはり)を作りて、償ひたまへども、取らず。(また)千鉤(ちはり)を作りて、償ひたまへども、受けずて、()()正本(もと)(はり)を得むとぞ云ひける』
火照命(ほてりのみこと)の経綸は海幸彦(うみさちひこ)で、釣鉤(つりばり)の事であり、火遠理命(ほをりのみこと)の経綸は山幸彦(やまさちひこ)で、弓矢であります。矢と云ふものは一直線に、目的に向つて進んで行つて、さうして的にあたるのであります。海幸彦(うみさちひこ)は外国の()り方で、(はり)()を付けて美味(うま)いものの様に装うて居る。さうすると(うを)が出て来て、釣鉤(つりばり)があると知らずに()んで、生命(いのち)を取られてしまふのである。今日の日本の国民全体が、総て日本の()り方は古いとか色々の事を言うて、一切の事を軽んじて、さうして外国の(はり)()が、ぷんぷんとして居るのに、総ての者が心を寄せて居る。(しか)るに(これ)を食べて見るが最後、口を引つかけられて生命(いのち)を取られて(しま)ふ。一方の矢の方は、己を正しうして(のち)に放つて始めてパンと(あた)る。此方(こちら)が正しくなければ()うしても的に(あた)らぬのである。()の方は此方(こちら)が仰向けになつて寝て居つても引つかかるのであるが、矢の方は中々練習を要する。魂と肉体とが一致せぬことには、山幸(やまさち)は出来ぬのであります。それで山幸彦(やまさちひこ)は日本の御教で、即ち火遠理命(ほをりのみこと)は、皇祖皇宗の御遺訓を真直に、正直(せいちよく)の道を(もつ)て、()の世の中を治めて()くと云ふので、つまり(これ)(ふう)されたのであります。
 海幸彦(うみさちひこ)の方は権謀術数の方法を用ひる。旨いものを前に突き出して、さうして其の実質は曲つて居る。旨いものだと見せて、其の(あご)を引つかけて(しま)ふ。()海幸(うみさち)山幸(やまさち)とは、大変違ふのであります。海幸彦(うみさちひこ)の方は鹽沫(しほなわ)の凝りて成るてふ外国即ち海の国であります。山幸彦(やまさちひこ)日本(やまと)の国の事であります。所が他人の花は美しく見える、又自宅(うち)の牡丹餅より隣の糠団子と云うて、自分の商売(あきなひ)よりも、人の商売(あきなひ)は結構に見えるのであります。であるから、誰でも商売(あきなひ)を変へたいと思つて居る。日本人は外国人を結構だと思つて居るし、外国人は日本人を結構だと思つて居る。日本人は外国人を(すこぶ)る文明の国で良い所ばかりだと思つて居るが、豈図(あにはか)らむや裏の方に行つて見ると、惨憺(さんたん)たる地獄の状態であると云ふ事が分るのであります。
 それで山幸彦(やまさちひこ)海幸彦(うみさちひこ)を、一つ試して見たいと思つた。(これ)が所謂和光同塵であつて、向ふの制度を日本に移し、日本の制度を向ふに移さむとされたのであります。丁度今日の日本人一般が、()釣鉤(つりばり)にかかつて居るのであります。(しか)()釣鉤(つりばり)たるや、太公望(たいこうばう)の様な真直な(はり)ではない、皆曲つて居つて、()がつけてある。(しか)し何うしても日本に(これ)は合はぬから、()る所は一つも無い、のみならず合はぬから、海へ落したと出て居ります。
 又海幸彦(うみさちひこ)山猟(やまがり)には失敗した。矢張り(これ)は外国には適当せぬのであります。国魂(くにたま)に合はぬのであります。それで矢張り元の通りに換へよう、外国は外国の()り方に、日本は日本の()り方にする、到底日本の皇祖皇宗の御遺訓を、()のまま外国に移す事は出来ない。又向ふの国のものを、其のまま日本でやる事も出来ぬ。元通りにやると云ふ時に、如何なるはづみか知らぬが、元の(はり)は海へ落ちて無い様なことになつた。そこで海幸彦(うみさちひこ)は元の(はり)を返して()れ、と云ふ請求が(やかま)しい。
 日本の国は外国の文明を羨望したので、明治初年外国文明が入つて来た。さうして日本文明を(これ)と交換したのである。所謂外国は日本の国を指導して、自分の貿易国にしようとか、(あるひ)(これ)で引つかけようとか思つたに違ひない。所が既に()(はり)は、海底に沈んで(しま)つた。丁度向ふの教は日本の国に持つて来ると、(あだか)も熱帯の植物を寒帯へ持つて来た様に、到底育つ事が出来ない。此方(こちら)のものも、向ふには適当せぬと云ふ事になる。さうすると其の賠償として、御佩(みはか)せる十拳剣(とつかのつるぎ)を破つて五百鉤(いほはり)を作つて償はうと思つた。日本武士が二本さして居つたのが、帯刀(たいたう)を取られて(しま)ふ。一本差(ぽんざし)も取られて(しま)ふ。丁度廃刀令を下すの余儀なきに立到つたのである。(これ)十拳剣(とつかのつるぎ)を破つて色々の(はり)を作られた事で、所謂昔の(つるぎ)より今の菜刀、()う云ふ事になつて来た。昔は武士は喰はねど高楊枝(たかやうじ)と云つて居たが、今は中々さう云ふ事は出来ない。矢張り(ひもじ)いので、千松の様な事になる。その為に十拳剣(とつかのつるぎ)をすつかり取つて、向ふの言ふ通りになつて、丸裸丸腰になつて(しま)うた。それでもまだ向ふは得心が()かない。元の(はり)を返せ返せと云つて(しきり)に迫る。(しか)し日本の貿易国にしようとか、旨い事を考へて居つた()(はり)は落ちて(しま)つた。さうして却つて此方(こちら)から、カナダや米国に移民したり、(あるひ)は英国の植民地に移住するとか云ふ様な事で、(はり)の方の国の方へ、日本人がどんどん行つて(しま)ふ。今度は日本人が(はり)を使ふやうになつて来た。それが為に、海幸彦(うみさちひこ)は元の(はり)を得むとして(しきり)に責めるが、向ふの国は御維新前には()うかして旨い汁を吸ひたいと考へて居つたが、今日となつては、ああして置いては大変だ、吾々(われわれ)は枕を高うして眠る事が出来ぬ。それで一刻も早く何とかして、利権を獲得して(しま)はうと云ふ(かんが)えを起して居るのであります。所謂元の釣鉤(つりばり)を望んで居ると云ふやうな事が(ふう)されてあるのであります。それが今日、現実的に実現して居るのであります。
於是(ここに)()(いろと)、海辺に泣き(うれ)ひて居ます時に、鹽椎神(しほつちのかみ)(きた)問曰(とひけら)く、(いか)にぞ、虚空津日高(そらつひだか)の泣き(うれ)ひたまふ所由(ゆゑ)はといへば、答言(こた)へたまはく、(あれ)(いろせ)(つりばり)()へて、()(はり)を失ひてき。(かく)()(はり)を乞ふ故に、(あまた)(はり)を償ひしかども、受けずて、(なほ)()(もと)(はり)を得むと云ふなり。(かれ)泣き(うれ)ふと()りたまひき。(ここ)に、鹽椎神(しほつちのかみ)(あれ)()(みこと)(みため)に、(よきこと)(はかり)せむと云ひて、即ち、無間勝間(まなしかたま)の小船を造りて、其の船に載せまつりて(をしへ)(けら)く、(あれ)()の船を押し流さば、差暫(ややしば)(いで)ませ、味御路(うましみち)あらむ。(すなは)()の道に乗りて()ましなば、魚鱗(いろこ)(ごと)所造(つくれ)宮室(みや)()綿津見神(わたつみのかみ)の宮なり。()の神の御門(みかど)に到りましなば、(かたへ)井上(ゐのへ)に、湯津香木(ゆつかつら)()らむ。故、()の木の上に()しまさば、()海神(わたのかみ)(みむすめ)、見て相談(はから)むものぞと教へまつりき』
 (ここ)(おい)火遠理命(ほをりのみこと)は当惑して泣き(かなし)んだ。即ち神界に(おい)ては、世界の状態及び特に日本国の政治経済商業実業、一切の状態を非常に憂慮し泣き悲んで居られると云ふ事であります。そこへ鹽椎翁(しほつちのおきな)が現れる。鹽椎翁(しほつちのおきな)と云ふ事は、つまり水火地翁(しほつちのおきな)と云ふ事で、肉体は女で(みたま)は男、即ち地の御先祖様である国常立尊(くにとこたちのみこと)が、出口の(かみ)と現はれたと云ふ事でありませう。鹽椎翁(しほつちのおきな)は、何が為に此世の中が治まらぬかと、色々御心配になつて居ると云ふ事を、よく御存じでありますから、其の傍に寄つてお尋ねになつた。何が()めに御泣きになるのか。さうすると火遠理命(ほをりのみこと)は、我は猟具(れふぐ)釣鉤(つりばり)を換へて(すなど)りした所が、()釣鉤(つりばり)を失つて(しま)つた。そこで色々と(はり)を作つたけれども、元の(はり)を返せと云つて責められる。それで泣くのである。実に日本の現状は、()きも戻りも出来ない事になつて来た。今日の日本は外国の教を受けた為に、皇祖皇宗の御遺訓を充分に発揮するどころか、其の日本人の心まで、海幸彦(うみさちひこ)釣鉤(つりばり)にかかつて(しま)つて居るのであります。(ここ)(おい)鹽椎翁(しほつちのおきな)無間勝間(まなしかたま)の船を造り、さうしてそれに火遠理命(ほをりのみこと)を御乗せ申した。
 メナシは、水も漏さぬと云ふ事。カタマは、堅くして叩いても崩れぬと云ふ事である。即ち皇祖皇宗の御遺訓を真解し(たま)はつた所の大本(おほもと)神諭(しんゆ)()れであらうと思ふのであります。神様の教を指して、メナシカタマの舟と云ふ。何故かと云へば、此舟(このふね)に乗つて居つたならば、如何なる狂瀾怒涛(きやうらんどたう)に遇ふと(いへど)も、(くつが)へる、溺れると云ふ事は無い、実に世界を済度する所の舟である。(これ)を作つてさうして(これ)に乗せて綿津見(わたつみ)の神の宮へ、御出(おい)でなさいと申したのである。綿津見(わたつみ)の宮は龍宮の事であります。龍宮には海の龍宮と、(あげ)の龍宮とが在るのであります。
 『(かれ)、教へし(まにま)に、少し行でましけるに、(つぶさ)()(こと)の如くなりしかば、即ち、()香木(かつら)に登りて()しましき。(ここ)に、海神(わたのかみ)(みむすめ)豊玉毘売(とよたまひめ)従婢(まかたち)玉器(たまもひ)を持ちて、水酌(みづく)まむとする時に、井に(かげ)あり。仰ぎて見れば、麗しき壮夫(をとこ)あり。(いと)異奇(あやし)以為(おも)ひき。(かれ)火遠理命(ほをりのみこと)()(まかたち)を見たまひて、水を得しめよと乞ひたまふ。(まかたち)(すなは)ち水を()みて、玉器(たまもひ)に入れて貢進(たてまつ)りき。(ここ)に、水をば飲みたまはずして、御頸(みくび)(たま)を解かして、口著(みくち)に含みて、()玉器(たまもひ)に唾入れたまひき。於是(ここに)、其の(たま)(もひ)()きて、(まかたち)(たま)を得離たず。(かれ)(たま)()けながら、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)(たてまつ)りき。(かれ)()(たま)を見て(まかたち)に、()し門の()に人有りやと、問ひたまへば、()井上(ゐのへ)香木(かつら)の上に人(いま)す、(いと)麗しき壮夫(をとこ)にます。()(きみ)にも(まさ)りて、(いと)貴し。(かれ)()の人、水を乞はせる故に、(たてまつ)れば、水をば飲まさずて、()(たま)をなも唾入れたまへる。()得離(えはな)たぬ故に、入れながら(もちまゐ)来て、(たてまつ)りぬとまをしき。
 (かれ)豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)(あや)しと(おもほ)して、()で見て、(すなは)見感(みめで)目合(まぐはひ)して、()の父に、()が門に、麗しき人(いま)すと(まを)したまひき。(ここ)に、海神(わたのかみ)自ら出見(いでみ)て、()の人は、天津日高之御子(あまつひだかのみこ)虚空津日高(そらつひだか)にませりと云ひて、即ち内に()て入れ(まつ)りて、美智(みち)の皮の(たたみ)八重(やへ)を敷き、(また)絁畳(ぬたたみ)八重(やへ)を、()の上に敷きて其の上に()せまつりて、百取机代物(ももとりのつくゑしろもの)(そな)へて御饗(みあへ)して、即ち、()(みむすめ)豊玉毘売(とよたまひめ)(あは)せまつりき(かれ)三年(みとせ)といふまで、其の国に住みたまひき。
 於是(ここに)火遠理命(ほをりのみこと)()(はじめ)の事を(おもほ)して、(おほき)なる(なげき)一つしたまひき。(かれ)豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)其歎(そのなげき)を聞かして、其の父に(まを)したまはく、三年住みたまへども、(つね)(なげ)かすことも無かりしに、今夜(こよひ)(おひき)なる(なげき)一つ()たまひつるは、()し何に由故(ゆゑ)あるにかと(まを)したまへば、其の父の大神、其の聟夫(みむこのきみ)に問ひまつらく、今旦(けさ)()(むすめ)の語るを聞けば、三年(みとせ)()しませども、(つね)(なげ)かすことも無かりしに、今夜(こよひ)(おひき)なる(なげき)()たまひつと(まを)せり、()(ゆゑ)ありや。(また)此間(ここ)()ませる由は、奈何(いか)にぞととひ(まつ)りき。(かれ)()の大神に、(つぶ)さに、其の(いろせ)の、()せにし(つりばり)(はた)れる(さま)を語りたまひき。(ここ)()て、海神(わたのかみ)(ことごと)海之大小魚(はたのひろものはたのさもの)召集(よびあつ)めて、()()(つりばり)を取れる(うを)ありやと問ひ給ふ。(かれ)(もろもろ)(うを)ども(まを)さく、頃者(このごろ)赤海鯽魚(たひ)なも、(みのど)(のぎ)ありて物得食(ものえく)はずと(うれ)ふるなれば、必ず()れ取りつらむとまをしき。於是(ここに)赤海鯽魚(たひ)(みのど)を探りしかば、(つりばり)あり。(すなは)取出(とりい)でて、清洗(すま)して、火遠理命(ほをりのみこと)(たてまつ)る時に、()綿津見大神(わたつみのおほかみ)(をし)へまつりけらく()(はり)を、()(いろせ)にたまはむ時に、()りたまはむ状は、()(はり)は、淤煩鉤(おぼち)須須鉤(すすち)貧鉤(まぢち)宇流鉤(うるち)と云ひて、後手に(たま)へ。(しか)して、()(いろせ)高田(あげた)を作らば、()(みこと)下田(くぼた)(つく)りたまへ。()(いろせ)下田(くぼた)を作らば、()(みこと)高田(あげた)(つく)りたまへ。然為(しかし)たまはば、(あれ)、水を()れば、三年(みとせ)の間、必ず()(いろせ)貧窮(まづし)くなりなむ。()し、()れ、然為(しかし)たまふ事を恨怨(うら)みて、攻戦(せめ)なば、鹽盈珠(しほみつたま)(いだ)して溺らし、()し、()れ、愁請(うれひまを)さば、鹽乾珠(しほひるたま)(いだ)して活し、如此(かく)して惚苦(たしな)めたまへと(まを)して、鹽盈珠(しほみつたま)鹽乾珠(しほひるたま)(あは)せて両箇(ふたつ)を授けまつりて、即ち(ことごと)に、和邇魚(わに)どもを召集(よびあつ)めて、問曰(とひ)たまはく、今、天津日高の御子、虚空津日高(そらつひだか)上国(うはつくに)出幸(いで)まさむとす。誰は幾日(いくか)に送り奉りて(かへりごと)(まを)さむととひ給ひき。(かれ)各各(おのもおのも)己身(おのがみ)尋長(ながき)(まにま)に、日を限りて(まを)す中に、一尋和邇(ひとひろわに)(あれ)は一()に送りまつりて還り来なむと(まを)す。故爾(かれ)()一尋和邇(ひとひろわに)に、然者(しからば)(なれ)送奉(おくりまつ)りてよ、()海中(わたなか)を渡る時に、な惶畏(かしこま)せまつりそとのりて、即ち()和邇(わに)(くび)に載せまつりて、送り出しまつりき。(かれ)如期(いひしがごと)一日(ひとひ)の内に送り奉りき。()和邇(わに)返りなむとせし時に、所佩紐小刀(みはかせるひもがたな)()かして、其の(くび)()けてなも返し給ひける。(かれ)()一尋和邇(ひとひろわに)をば、今に、佐比持神(さひもちのかみ)とぞいふなる。
 (ここ)()て、(つぶ)さに海神(わたのかみ)の教へし言の如くして、其の(つりばり)を与へ給ひき。(かれ)(それ)より(のち)稍愈(いよよ)貧しくなりて、更に荒き心を起して迫来(せめく)。攻めむとする時は鹽盈珠(しほみつたま)(いだ)して溺らし、()れ、(うれ)ひを(まを)せば鹽乾珠(しほひるたま)(いだ)して救ひ、如此(かく)して惚苦(たしな)めたまふ時に、稽首(のみ)(まを)さく、()は、今より以後(ゆくさき)()(みこと)の、夜昼の守護人(まもりびと)()りてぞ仕へ奉らむとまをしき。(かれ)、今に至るまで、其の溺れし時の種種(くさぐさ)(わざ)、絶えず仕へ奉るなり。
 於是(ここに)海神(わたのかみ)(みむすめ)豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)、自ら参出(まゐで)(まを)したまはく、(あれ)(はや)くより底本では「姙」、異体字(はらめ)るを、今(みこう)むべき時に()りぬ。()(おも)ふに、天神(あまつかみ)の御子を海原に生みまつるべきにあらず。(かれ)参出(まゐで)()つと(まを)したまひき。(かれ)即ち、その海辺(うみべた)波限(なぎさ)に、()の羽を葺草(かや)()て、産殿(うぶや)を作りき。於是(ここに)、其の産殿(うぶや)(いま)葺合(ふきあ)へぬに、御腹(みはら)()へがたくなりたまひければ、産殿(うぶや)入坐(いりま)しき。(ここ)に、(みこう)みまさむとする時に、()日子(ひこぢ)白言(まを)したまはく、(すべ)て、佗国(あだしくに)の人は、産時(こうむをり)()れば、本国(もとつくに)の形になりてなも産生(うむ)なる。(かれ)(あれ)も今、(もと)の身になりて産みなむとす。()勿見(なみ)(たま)ひそとまをし給ひき。於是(ここに)()(こと)(あや)しと(おもほ)して、其の(まさかり)(みこう)(たま)ふを窃伺(かさま)みたまへば、八尋和邇(やひろわに)()りて、葡萄委蛇(はひもこよ)ひき。(かれ)見驚(みおどろ)(かしこ)みて、遁退(にげそ)きたまひき。(ここ)に、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)()伺見(かきまみ)たまひし事を(しら)して、心恥(うらはづ)かしと以為(おもほ)して、(すなは)()御子(みこ)生置(うみお)きて、妾恒(あれつね)は、海道(うみつぢ)を通して往来(かよ)はむとこそ(おも)ひしを、()が形を伺見給(かきまみたま)ひしが、(いと)(はづ)かしきことと(まを)して、即ち、海坂を()きて返入(かへりい)りましき。(ここ)()て、()所産(あれませる)御子(みこ)(みな)を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひだかひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)(まを)す。
 (しか)れども(のち)は、()(かきま)み給ひし(みこころ)(うら)みつつも、恋しき心に得忍(えた)へ給はずて、()の御子を治養(ひた)しまつる(よし)()りて、()(いろと)玉依毘売(たまよりひめ)()けて、歌をなも(たてまつ)りける。()歌曰(うた)
  阿加陀麻波(あかだまは) 袁佐閇比迦礼杼(をさへひかれど) 斯良多麻能(しらたまの) 岐美何余曾比斯(さみがよそひし) 多布斗久阿理祁理(たふとくありけり)
 (かれ)()比古遅(ひこぢ)答へたまひける歌曰(みうた)
   意岐都登理(おさつとり) 加毛度久斯麻邇(かもどくしまに) 和賀違泥斯(わがゐねし) 伊毛波和須礼士(いもはわすれじ) 余能許登碁登邇(よのことごとに)
 さうして龍宮に行つてから、自分の落した釣鉤(つりばり)の事に(ついて)(きた)れる所以(ゆゑん)を御話しになつた。それから豊玉比売(とよたまひめ)を妃として、三年海外に留学をせられたと云ふ事になる。つまり日本国にメナシカタマの舟が現れて来て、それに乗つて、初めて皇道の光が(やや)発揮しかけて来た。三年程の間に、皇道の光が発揮しかけて来たのである。丁度今日の時代に適応して居るのであります。
 さうして居る(うち)に、火遠理命(ほをりのみこと)は以前の事を思うて、大きな(なげ)きを一つし給うた。即ち昔の事を思うて、()う云ふ結構な教が我国にある。
 『澆季(げうき)末法(まつぽふ)此世(このよ)には、諸善龍宮に入り給ふ』
と和讃に(しる)されてある通り、本当に我国には誠の教、本当の大和魂、生粋の教えあつたのである。さう云ふ結構な教があつたのを知らずに、三年間居つた。此の真直なる山幸(やまさち)を捨てて、さうして海幸(うみさち)になつて居つたと云ふ事を、初めて悟られて、(おほい)に誤つて居つたと云ふ事を、神界に(おい)(なげ)かれたのであります。ここに(おほい)なる(なげ)きをせられたので、綿津見(わたつみ)の大神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)()の訳を聞かれると是々爾々(これこれしかじか)と云ふ事であつた。そこで綿津見(わたつみ)の神は大小の魚共(うをども)(ことごと)く集めて、(はり)の行方を探した。()(うを)の中でも名を知られて居る、例へばウイルソンの如く、其の名を世界に知られて居ると云ふやうな(うを)名主(なぬし)此魚(このうを)の中の一番王様といういふのが(たひ)であります。その鯛の喉に(はり)が詰つて居つた。つまり口では旨い事を云つて居るけれども、何か奥歯に物が詰つた様な、舌に剣がある様な、引つかける所の言葉、釣鉤(つりばり)の様な言葉がある。国際連盟とか、平和とか、民族自決とか、(あるひ)は色々の事を言つて居りますけれども、釣鉤(つりばり)といふものを口の中に入れて居る。みな言葉で釣つて(しま)ふのであります。正義人道とか、平和とか云つて、戦はしないと言つて居る。其の尻からどんどん軍備を拡張して、(おのれ)の野心を(たくま)しうせむとしつつあるのであります。所謂()の鯛の喉に、海幸彦(うみさちひこ)(はり)が隠れて居る。()(はり)を発見して(これ)を持ち帰つて来た。つまり鯛の言ふ事は(あて)にはならぬ。総て()う云ふものを喉に引つかけて居る。()くして綿津見(わたつみ)の神の力に依つて(これ)を発見して、さうして之を貰つて、御帰りになると云ふ事になつたのであります。
 かくて()(いろせ)に、()(はり)を渡す時に、憂鬱針(おぼち)狼狽針(すずち)貧窮針(まぢち)痴呆針(うるち)と言つて、手を(しりへ)に廻して御返しなさいと、綿津見(わたつみ)の神が言われた。(いろせ)とは(あに)の事で、外国思想にかぶれたものである。今日は物質の世であるから、外国が兄である。三つ位の日本の弟と、七つ位の兄と喧嘩すれば、()うしても弟が負けるにきまつて居る。それから()の大きな鯛の、所謂(いはゆる)ウイルソンか何か知らぬけれども、其の中の(はり)を持つて帰つたといふ事であります。それで世界の平和とか、文明とか言つて居るけれども、これを有難がつて居る連中の気が知れないのであります。
 憂鬱針(おぼち)──今日は所謂(いはゆる)憂鬱針(おぼち)に釣られて居るのであります。即ち物質文明と云ふもので、世が乱れて来た。(あるひ)はマツソンの手下となつて居るといふ有様である。憂鬱病にかかつて、自殺したり、或は鉄道往生をしたり、もう悲観し切つてしまつて、何をしても面白くないと云ふ人間計りであります。
 狼狽鉤(すずち)──(これ)は非常に狼狽して居るといふ状態で、例へば政治界を見ても、外交上の狼狽、即ち支那(しな)問題とか、朝鮮問題とか、其の他思想上の問題一切のものが、皆狼狽をして居る。(これ)狼狽針(すずち)であります。
 貧窮針(まぢち)──(これ)は申すまでもなく貧乏の事であります。
 痴呆針(うるち)──馬鹿を見る事であります。日本人全体には大和魂があるけれども、外国の横文字にはほうけて阿呆になつて居る。 横文字も必要ではあるが、それにほうけて自分の懐には何もない。大和魂がないといふのは所謂(いはゆる)痴呆針(うるち)にかかつたといふ事であります。折角龍宮迄行つて、()んな釣鉤(つりばり)を持つて帰つたかといふと、こんなもの計りであつた。
 綿津見神(わたつみのかみ)が続けて申されるのには、是等(これら)(はり)兄上(このかみ)に返すには後手に御渡しなさい。さうして()(いろせ)が怒つて高田を作つたならば、()(みこと)は下田を(つく)り給へ。()(いろせ)が下田を作つたならば、()(みこと)は高田を(つく)り給へと申されたのは、何でも反対に行けといふ意味であります。つまり外国が()しも笠にかかつて出てきて戦争をしかけたならば、此方(こちら)は慎んで戦争(いくさ)をせない様にせよ。()し又日本に向つて無理な事を言つて来る、人道に反した事を言つて来るならば、此方(こちら)は充分に皇道に(もとづ)いて、正々堂々誠の道に高く(とま)つて、()の手段を取れ。()ういふ様な事であります。さうして潮満珠(しほみつたま)潮乾珠(しほひるたま)といふ二つの宝を持たされました。()し飽くまで先方が反対して来るならば、潮満珠(しほみつたま)を御出しになれば、必ず水が湧きでて兄様を溺れさせますし、若しあやまつたならば、潮乾珠(しほひるたま)の方を出して活かしてやり、活殺自在(くわっさつじざい)にたしなめておやりなさい、と申されました。即ち(これ)は仏教で申しますと、如意宝珠(にょいほっしゅ)(たま)といふ事であります。
 ()(しほ)といふ事は、火水(ひみづ)(あひ)合致(がっち)したものでありまして、吾々(われわれ)は皆一人々々(ひとりひとり)潮乾珠(しほひるたま)潮満珠(しほみつたま)を持つて居るのであります。(これ)を言霊学上からいひますと、伊都能売(いづのめ)(みたま)といふ事になります。
 火遠理命(ほをりのみこと)一尋鰐(ひとひろわに)に乗つて、愈々(いよいよ)(もと)の国日の本の国へ、帰られたのであります。()一尋鰐(ひとひろわに)といふ事には、非常に重大な意味があります。又()火遠理命(ほをりのみこと)は、日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)の事であります。御筆先にも『日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)の世になるぞよ』といふことがありますが、愈々(いよいよ)火の燃え上つた如く中天に輝く所の御盛徳を持つた、日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)が、海原を御渡りになる。其の時に一尋(ひとひろ)もある大鰐(おほわに)が、(これ)を助けたと云ふ事になつて居るのであります。其の時に豊玉姫(とよたまひめ)も共に御連れ帰りになりました。さうすると豊玉姫(とよたまひめ)は妊娠せられた。御子さんが出来たのであります。(しか)し子と云ふ事は原子分子一切の子である。それから、非常に腹が膨れるといふ事になつて子を産む。龍宮も海を離れた島ですから、地の龍宮と云ふ事になります。それでお二人の(なか)に一人の子が出来た。さうすると豊玉姫(とよたまひめ)は、子を産まむとする時に夫に向つて、(わらは)国津神(くにつかみ)の子であるから、元の姿になつて()を産みますから、産屋を御覧ならないやうに、何処かへ行つて居て下さい、と堅く申されました。そこで鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)を産まれました。()()の羽の屋根が()き合へない(うち)に御生れになつたから、さう申すのであります。
 ()()の羽といふ(うち)には、深い意味があるのであります。()の羽を以て屋根を()く、()()といふ事は、稚比売君命(わかひめぎみのみこと)と深き因縁のある事であります。()の神様は非常に(からす)と因縁がある。()と云ふ事は()と云ふ事であります。()は羽なくては駄目である。それで其の羽で(もっ)て屋根を()く、其の出来ない(うち)に御子が生れたのであります。火遠理命(ほをりのみこと)は恐いもの見たさで、そつと御窺(おうかが)ひになると、立派な玉の様な御子が御出来に成つて居る。御子は生れて居りますが、其の母の豊玉姫(とよたまひめ)は龍神の本体を現して居る。(おほい)なる龍神が玉の様な()を抱いて居る。それを見て(おほい)に驚いた。龍神といふものは、天津神(あまつかみ)計りと思つて居たが、地津神(くにつかみ)にもあるかと云ふ事でお驚きになつた。(むし)()の驚きは恐怖の驚きでなくして、感心の余りの吃驚せられたのであります。さうすると豊玉姫命(とよたまひめのみこと)は、自分の姿を見られたものですから、恥かしくてもう御目にかかれませぬと言うて、元の海へ隠れた。()の御子さんの事を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひだかひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)と申し上げるのであります。()の神は皇室の為めに尽さむとして居るのであります。又豊玉姫(とよたまひめ)は還元して居る現状を見られて、申訳がないと云ふ事になつて再び海に隠れて、元の所に潜伏せられ、其の御産(おう)になつた鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)を御育てする為に、玉依姫(たまよりひめ)と云ふ龍宮で一番良い所の、選りに選つた神様を御遣はしになつて、御育てになつたのであります。其の時に()う云ふ歌を御言附(おことづ)けになりました。()の歌は中々意味があります。
 『赤珠(あかだま)は緒さへ光れど白珠の 君が装ひし貴くありけり』
 赤球──日の大神、白珠──月の大神、其の珠の緒が、冴え光つて居つたといふ事である。君──伊邪那岐(いざな○)伊邪那美(いざな○)とか、神漏(かむろ)()神漏(かむろ)()とかのキミ(○○)で、即ち両陛下を指してキミと申すのです。『キ』は太陽で『ミ』は月の事であります。(いづ)(みたま)は日、(みづ)(みたま)は月、即ち天辰日月(てんしんじつげつ)が輝いて、完全無欠なる美しい、()つ尊い国が出来たといふ事を、非常に御喜びになつたのであります。()玉依姫(たまよりひめ)の事を龍宮の乙姫様と云うて居ります。()の神様が御育てした、鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)が立たれると、天下は良く治まつて、日月は晧々(かうかう)として輝き、陰陽上下共に一致する。即ち『貴くありけり』と()はれたのは天下泰平に宇宙が治まつた所の形をば、讃美されたのであります。其の以前に日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)(また)の名火遠理命(ほをりのみこと)が、豊玉姫(とよたまひめ)に御送りになつた歌があります。
 『沖つ鳥(かも)()く嶋に(わが)()寝し (つま)は忘れじ世のことごとに』
 沖つ鳥と云ふ事は、沖の嶋といふ事であります。()の日本以外の外国を指して云ふのであります。(あるひ)は龍宮の嶋を指して言つたのであります。鴨着く嶋──嶋と云ふ事は、山篇(やまへん)に鳥である。嶋には鴨とか、底本では「鷗」、異体字(かもめ)とか言ふ鳥が沢山群がつて居る。()しも鳥が居なかつたならば嶋ではない。女島(めしま)男島(をしま)は真白けに鳥が群がつて居る。鳥が沢山居る嶋が鴨どく島である。(わが)()()し──といふ事は共に暮したいといふ事であります。(つま)は忘れじ──ツは大津といふ事で、大きな海の水の事であります。マは廻つて居るといふ意である。例へば島のシと言ふ事は水であつて、マと言ふ事は廻る事、即ち水が廻つて居ると言ふ事で、小さい島の意味になります。(あるひ)は又シメと云ふのも、ぐるぐる水が廻つて居る形である。又真中に建造物(たてもの)のあるのは、城とも言ふのである。故に日本国を秀津真(ほつま)の国と言ふのである。
 ツとシとは反対であつて、ツは外国の事である。潮流(など)も日本と反対に流れて居ります。忘れじ世のことごとに──といふ事は、万国を一つに平定される事である。世のことごとに、は守るといふ事である。幾万年変つても、()の国は忘れないで、()の御神勅に依つて治めなければならない。日月星辰(じつげつせいしん)のある限り、飽くまでも治めてやると言ふ、有難い御言葉であります。
(大正九・八・ニ四亀岡ニテ講演筆記 九・九・一一号神霊界)
   
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