霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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〔一一〕海幸山幸之段

インフォメーション
題名:〔一一〕海幸山幸之段 著者:出口王仁三郎
ページ:191
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-06-14 09:07:51 文字数:10058 OBC :B121805c112
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正9年9月11日号(第126号) > 古事記言霊解(二)
 古事記(こじき)の上巻(じやうくわん)に、火遠理命(ほをりのみこと)が竜宮(りうぐう)に御出(おい)でになつて、潮満(しほみつ)の珠(たま)を御持(おも)ち帰(かへ)りになりました、といふことが載(の)つて居(を)ります。今(いま)其(そ)の大略(たいりやく)を現代(げんだい)に合(あは)せて、講義(かうぎ)を致(いた)したいと思(おも)ひます。何時(いつ)も申(まを)す通(とほ)り此(こ)の古事記(こじき)は古今(ここん)を通(つう)じて謬(あやま)らず、之(これ)を中外(ちうぐわい)に施(ほどこ)して悖(もと)らない、と云(い)ふのでありまして、神代(かみよ)の昔(むかし)も今日(こんにち)も、亦(また)行(ゆ)く先(さき)の世(よ)の総(すべ)ての事(こと)も、測知(そくち)することが出来(でき)る様(やう)に書(か)かれてあるので、是(これ)が天下(てんか)の名文(めいぶん)である所以(ゆゑん)であります。而(しか)して此(こ)の古事記(こじき)の上巻(じやうくわん)にある事(こと)は、大抵(たいてい)ミロク出現(しゆつげん)前(ぜん)に於(おい)て、総(すべ)ての事(こと)が実現(じつげん)する事(こと)になつて居(を)ります。前(まへ)の方(はう)は略(りやく)して、次(つぎ)の項(かう)から御話(おはなし)致(いた)さうと思(おも)ひます。
『故(かれ)火照命(ほてりのみこと)は、海佐知毘古(うみさちひこ)として、鰭広物(はたのひろもの)、鰭挟物(はたのさもの)を取(と)りたまひ、火遠理命(ほをりのみこと)は、山佐知毘古(やまさちひこ)として、毛麤物(けのあらもの)、毛柔物(けのにごもの)を取(と)りたまひき。爾(ここ)に、火遠理命(ほをりのみこと)、其(そ)の兄(いろせ)火照命(ほてりのみこと)に、各(かたみ)に佐知(さち)を相易(か)へて、用(もち)ひてむといひて、三度(みたび)乞(こ)はししかども、許(ゆる)さざりき。然(さ)れども、遂(つひ)に纔(わづか)に、得(え)相易(か)へたまひき。爾(かれ)、火遠理命(ほをりのみこと)、海佐知(うみさち)を以(も)ちて魚釣(なつ)らすに、都(かつ)て一魚(ひとつ)も得(え)たまはずて、亦(また)其(そ)の鉤(つりばり)をさへ、海(うみ)に失(うしな)ひたまひき。於是(ここに)、其(そ)の兄(いろせ)火照命(ほてりのみこと)、其(そ)の鉤(はり)を乞(こ)ひて、山佐知(やまさち)も、己(おの)が佐知々々(さちさち)、海佐知(うみさち)も、己(おの)が佐知々々(さちさち)、今(いま)は各(おのもおのも)佐知(さち)返(かへ)さむと謂(い)ふ時(とき)に、其(そ)の弟(いろと)火遠理命(ほをりのみこと)答白(の)りたまはく、汝(みまし)の鉤(つりばり)は魚釣(なつ)りしに一魚(ひとつ)も得(え)ずて、遂(つひ)に海(うみ)に失(うしな)ひてきとのりたまへども、其(そ)の兄(いろせ)、強(あなか)ちに乞(こ)ひ徴(はた)りき。故(かれ)其(そ)の弟(いろと)、御佩(みはかし)の十拳剣(とつかつるぎ)を破(やぶ)りて、五百鉤(いほはり)を作(つく)りて、償(つぐな)ひたまへども、取(と)らず。亦(また)一千鉤(ちはり)を作りて、償(つぐの)ひたまへども、受(う)けずて、猶(な)ほ其(か)の正本(もと)の鉤(はり)を得(え)むとぞ云(い)ひける』
 火照命(ほてりのみこと)の経綸(けいりん)は海幸彦(うみさちひこ)で、釣鉤(つりばり)の事(こと)であり、火遠理命(ほをりのみこと)の経綸(けいりん)は山幸彦(やまさちひこ)で、弓矢(ゆみや)であります。矢(や)と云(い)ふものは一直線(いつちよくせん)に、目的(もくてき)に向(むか)つて進(すす)んで行(い)つて、さうして的(まと)にあたるのであります。海幸彦(うみさちひこ)は外国(ぐわいこく)の遣(や)り方(かた)で、鉤(はり)に餌(ゑ)を付(つ)けて美味(うま)いものの様(やう)に装(よそほ)うて居(を)る。さうすると魚(うを)が出(で)て来(き)て、釣鉤(つりばり)があると知(し)らずに呑(の)んで、生命(いのち)を取(と)られてしまふのである。今日(こんにち)の日本(につぽん)の国民(こくみん)全体(ぜんたい)が、総(すべ)て日本(につぽん)の遣(や)り方(かた)は古(ふる)いとか色々(いろいろ)の事(こと)を言(い)うて、一切(いつさい)の事(こと)を軽(かろ)んじて、さうして外国(ぐわいこく)の鉤(はり)に餌(ゑ)が、ぷんぷんとして居(を)るのに、総(すべ)ての者(もの)が心(こころ)を寄(よ)せて居(を)る。然(しか)るに之(これ)を食(た)べて見(み)るが最後(さいご)、口(くち)を引(ひ)つかけられて生命(いのち)を取(と)られて了(しま)ふ。一方(いつぱう)の矢(や)の方(はう)は、己(おのれ)を正(ただ)しうして後(のち)に放(はな)つて始(はじ)めてパンと適(あた)る。此方(こちら)が正(ただ)しくなければ何(ど)うしても的(まと)に適(あた)らぬのである。餌(ゑ)の方(はう)は此方(こちら)が仰向(あふむ)けになつて寝(ね)て居(を)つても引(ひ)つかかるのであるが、矢(や)の方(はう)は中々(なかなか)練習(れんしふ)を要(えう)する。魂(たましひ)と肉体(にくたい)とが一致(いつち)せぬことには、山幸(やまさち)は出来(でき)ぬのであります。それで山幸彦(やまさちひこ)は日本(につぽん)の御教(みをしへ)で、即(すなは)ち火遠理命(ほをりのみこと)は、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御遺訓(ごゐくん)を真直(まつすぐ)に、正直(せいちよく)の道(みち)を以(もつ)て、此(こ)の世(よ)の中(なか)を治(をさ)めて行(ゆ)くと云(い)ふので、つまり之(これ)を諷(ふう)されたのであります。
 海幸彦(うみさちひこ)の方(はう)は権謀(けんぼう)術数(じゆつすう)の方法(はうほふ)を用(もち)ひる。旨(うま)いものを前(まへ)に突(つ)き出(だ)して、さうして其(そ)の実質(じつしつ)は曲(まが)つて居(を)る。旨(うま)いものだと見(み)せて、其(そ)の頤(あご)を引(ひ)つかけて了(しま)ふ。此(こ)の海幸(うみさち)と山幸(やまさち)とは、大変(たいへん)違(ちが)ふのであります。海幸彦(うみさちひこ)の方(はう)は鹽沫(しほなわ)の凝(こ)りて成(な)るてふ外国(ぐわいこく)即(すなは)ち海(うみ)の国(くに)であります。山幸彦(やまさちひこ)は日本(やまと)の国(くに)の事(こと)であります。所(ところ)が他人(たにん)の花(はな)は美(うつく)しく見(み)える、又(また)自宅(うち)の牡丹餅(ぼたもち)より隣(となり)の糠団子(ぬかだんご)と云(い)うて、自分(じぶん)の商売(あきなひ)よりも、人(ひと)の商売(あきなひ)は結構(けつこう)に見(み)えるのであります。であるから、誰(だれ)でも商売(あきなひ)を変(か)へたいと思(おも)つて居(を)る。日本人(につぽんじん)は外国人(ぐわいこくじん)を結構(けつこう)だと思(おも)つて居(ゐ)るし、外国人(ぐわいこくじん)は日本人(につぽんじん)を結構(けつこう)だと思(おも)つて居(ゐ)る。日本人(につぽんじん)は外国人(ぐわいこくじん)を頗(すこぶ)る文明(ぶんめい)の国(くに)で良(よ)い所(ところ)ばかりだと思(おも)つて居(ゐ)るが、豈図(あにはか)らむや裏(うら)の方(はう)に行(い)つて見(み)ると、惨憺(さんたん)たる地獄(ぢごく)の状態(じやうたい)であると云(い)ふ事(こと)が分(わか)るのであります。
 それで山幸彦(やまさちひこ)は海幸彦(うみさちひこ)を、一つ試(ため)して見(み)たいと思(おも)つた。是(これ)が所謂(いはゆる)和光(わくわう)同塵(どうぢん)であつて、向(むか)ふの制度(せいど)を日本(につぽん)に移(うつ)し、日本(につぽん)の制度(せいど)を向(むか)ふに移(うつ)さむとされたのであります。丁度(ちやうど)今日(こんにち)の日本人(につぽんじん)一般(いつぱん)が、此(こ)の釣鉤(つりばり)にかかつて居(を)るのであります。而(しか)も此(こ)の釣鉤(つりばり)たるや、太公望(たいこうばう)の様(やう)な真直(まつすぐ)な鉤(はり)ではない、皆(みな)曲(まが)つて居(を)つて、餌(ゑ)がつけてある。然(しか)し何(ど)うしても日本(につぽん)に之(これ)は合(あ)はぬから、得(う)る所(ところ)は一つも無(な)い、のみならず合(あ)はぬから、海(うみ)へ落(おと)したと出(で)て居(を)ります。
 又(また)海幸彦(うみさちひこ)も山猟(やまがり)には失敗(しつぱい)した。矢張(やは)り是(これ)は外国(ぐわいこく)には適当(てきたう)せぬのであります。国魂(くにたま)に合(あ)はぬのであります。それで矢張(やは)り元(もと)の通(とほ)りに換(か)へよう、外国(ぐわいこく)は外国(ぐわいこく)の遣(や)り方(かた)に、日本(につぽん)は日本(につぽん)の遣(や)り方(かた)にする、到底(たうてい)日本(につぽん)の皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御遺訓(ごゐくん)を、其(そ)のまま外国(ぐわいこく)に移(うつ)す事(こと)は出来(でき)ない。又(また)向(むか)ふの国(くに)のものを、其(そ)のまま日本(につぽん)でやる事(こと)も出来(でき)ぬ。元通(もとどほ)りにやると云(い)ふ時(とき)に、如何(いか)なるはづみか知(し)らぬが、元(もと)の鉤(はり)は海(うみ)へ落(お)ちて無(な)い様(やう)なことになつた。そこで海幸彦(うみさちひこ)は元(もと)の鉤(はり)を返(かへ)して呉(く)れ、と云(い)ふ請求(せいきう)が喧(やかま)しい。
 日本(につぽん)の国(くに)は外国(ぐわいこく)の文明(ぶんめい)を羨望(せんぼう)したので、明治(めいぢ)初年(しよねん)外国(ぐわいこく)文明(ぶんめい)が入(はい)つて来(き)た。さうして日本(につぽん)文明(ぶんめい)を之(これ)と交換(かうくわん)したのである。所謂(いはゆる)外国(ぐわいこく)は日本(につぽん)の国(くに)を指導(しだう)して、自分(じぶん)の貿易国(ぼうえきこく)にしようとか、或(あるひ)は之(これ)で引(ひ)つかけようとか思(おも)つたに違(ちが)ひない。所(ところ)が既(すで)に其(そ)の鉤(はり)は、海底(かいてい)に沈(しづ)んで了(しま)つた。丁度(ちやうど)向(むか)ふの教(をしへ)は日本(につぽん)の国(くに)に持(も)つて来(く)ると、恰(あだか)も熱帯(ねつたい)の植物(しよくぶつ)を寒帯(かんたい)へ持(も)つて来(き)た様(やう)に、到底(たうてい)育(そだ)つ事(こと)が出来(でき)ない。此方(こちら)のものも、向(むか)ふには適当(てきたう)せぬと云(い)ふ事(こと)になる。さうすると其(そ)の賠償(ばいしやう)として、御佩(みはか)せる十拳剣(とつかのつるぎ)を破(やぶ)つて五百鉤(いほはり)を作(つく)つて償(つぐな)はうと思(おも)つた。日本(につぽん)武士(ぶし)が二本(にほん)さして居(を)つたのが、帯刀(たいたう)を取(と)られて了(しま)ふ。一本差(いつぽんざし)も取(と)られて了(しま)ふ。丁度(ちやうど)廃刀令(はいたうれい)を下(くだ)すの余儀(よぎ)なきに立到(たちいた)つたのである。是(これ)が十拳剣(とつかのつるぎ)を破(やぶ)つて色々(いろいろ)の鉤(はり)を作(つく)られた事(こと)で、所謂(いはゆる)昔(むかし)の剣(つるぎ)より今(いま)の菜刀(ながたな)、斯(か)う云(い)ふ事(こと)になつて来(き)た。昔(むかし)は武士(ぶし)は喰(く)はねど高楊枝(たかやうじ)と云(い)つて居(ゐ)たが、今(いま)は中々(なかなか)さう云(い)ふ事(こと)は出来(でき)ない。矢張(やは)り饑(ひもじ)いので、千松(せんまつ)の様(やう)な事(こと)になる。その為(ため)に十拳剣(とつかのつるぎ)をすつかり取(と)つて、向(むか)ふの言(い)ふ通(とほ)りになつて、丸裸(まるはだか)丸腰(まるごし)になつて了(しま)うた。それでもまだ向(むか)ふは得心(とくしん)が行(ゆ)かない。元(もと)の鉤(はり)を返(かへ)せ返(かへ)せと云(い)つて頻(しきり)に迫(せま)る。併(しか)し日本(につぽん)の貿易国(ぼうえきこく)にしようとか、旨(うま)い事(こと)を考(かんが)へて居(を)つた其(そ)の鉤(はり)は落(お)ちて了(しま)つた。さうして却(かへ)つて此方(こちら)から、カナダや米国(べいこく)に移民(いみん)したり、或(あるひ)は英国(えいこく)の植民地(しよくみんち)に移住(いぢゆう)するとか云(い)ふ様(やう)な事(こと)で、鉤(はり)の方(はう)の国(くに)の方(はう)へ、日本人(につぽんじん)がどんどん行(い)つて了(しま)ふ。今度(こんど)は日本人(につぽんじん)が鉤(はり)を使(つか)ふやうになつて来(き)た。それが為(ため)に、海幸彦(うみさちひこ)は元(もと)の鉤(はり)を得(え)むとして頻(しきり)に責(せ)めるが、向(むか)ふの国(くに)は御(ご)維新(ゐしん)前(ぜん)には何(ど)うかして旨(うま)い汁(しる)を吸(す)ひたいと考(かんが)へて居(を)つたが、今日(こんにち)となつては、ああして置(お)いては大変(たいへん)だ、吾々(われわれ)は枕(まくら)を高(たか)うして眠(ねむ)る事(こと)が出来(でき)ぬ。それで一刻(いつこく)も早(はや)く何(なん)とかして、利権(りけん)を獲得(くわくとく)して了(しま)はうと云(い)ふ考(かんが)えを起(おこ)して居(を)るのであります。所謂(いはゆる)元(もと)の釣鉤(つりばり)を望(のぞ)んで居(を)ると云(い)ふやうな事(こと)が諷(ふう)されてあるのであります。それが今日(こんにち)、現実的(げんじつてき)に実現(じつげん)して居(を)るのであります。
『於是(ここに)其(そ)の弟(いろと)、海辺(うみべ)に泣(な)き患(うれ)ひて居(ゐ)ます時(とき)に、鹽椎神(しほつちのかみ)来(きた)り問曰(とひけら)く、何(いか)にぞ、虚空津日高(そらつひだか)の泣(な)き患(うれ)ひたまふ所由(ゆゑ)はといへば、答言(こた)へたまはく、我(あれ)、兄(いろせ)と鉤(つりばり)を易(か)へて、其(そ)の鉤(はり)を失(うしな)ひてき。是(かく)て其(そ)の鉤(はり)を乞(こ)ふ故(ゆゑ)に、多(あまた)の鉤(はり)を償(つぐな)ひしかども、受(う)けずて、猶(なほ)其(そ)の本(もと)の鉤(はり)を得(え)むと云(い)ふなり。故(かれ)泣(な)き患(うれ)ふと告(の)りたまひき。爾(ここ)に、鹽椎神(しほつちのかみ)、我(あれ)、汝(な)が命(みこと)の為(みため)に、善(よきこと)議(はかり)せむと云(い)ひて、即(すなは)ち、無間勝間(まなしかたま)の小船(こぶね)を造(つく)りて、其(そ)の船(ふね)に載(の)せまつりて教(をしへ)曰(けら)く、我(あれ)、其(こ)の船(ふね)を押(お)し流(なが)さば、差暫(ややしば)し往(いで)ませ、味御路(うましみち)あらむ。乃(すなは)ち其(そ)の道(みち)に乗(の)りて往(い)ましなば、魚鱗(いろこ)の如(ごと)、所造(つくれ)る宮室(みや)、其(そ)れ綿津見神(わたつみのかみ)の宮(みや)なり。其(そ)の神(かみ)の御門(みかど)に到(いた)りましなば、傍(かたへ)の井上(ゐのへ)に、湯津香木(ゆつかつら)在(あ)らむ。故(ゆゑ)、其(そ)の木(き)の上(うへ)に坐(ま)しまさば、其(そ)の海神(わたのかみ)の女(みむすめ)、見(み)て相談(はから)むものぞと教(をし)へまつりき』
 是(ここ)に於(おい)て火遠理命(ほをりのみこと)は当惑(たうわく)して泣(な)き悲(かなし)んだ。即(すなは)ち神界(しんかい)に於(おい)ては、世界(せかい)の状態(じやうたい)及(およ)び特(とく)に日本(につぽん)国(くに)の政治(せいぢ)経済(けいざい)商業(しやうげふ)実業(じつげふ)、一切(いつさい)の状態(じやうたい)を非常(ひじやう)に憂慮(いうりよ)し泣(な)き悲(かなし)んで居(を)られると云(い)ふ事(こと)であります。そこへ鹽椎翁(しほつちのおきな)が現(あらは)れる。鹽椎翁(しほつちのおきな)と云(い)ふ事(こと)は、つまり水火地翁(しほつちのおきな)と云(い)ふ事(こと)で、肉体(にくたい)は女(をんな)で魂(みたま)は男(をとこ)、即(すなは)ち地(ち)の御(ご)先祖(せんぞ)様(さま)である国常立尊(くにとこたちのみこと)が、出口(でぐち)の守(かみ)と現(あら)はれたと云(い)ふ事(こと)でありませう。鹽椎翁(しほつちのおきな)は、何(なに)が為(ため)に此(この)世(よ)の中(なか)が治(をさ)まらぬかと、色々(いろいろ)御(ご)心配(しんぱい)になつて居(を)ると云(い)ふ事(こと)を、よく御(ご)存(ぞん)じでありますから、其(そ)の傍(そば)に寄(よ)つてお尋(たづ)ねになつた。何(なに)が為(た)めに御(お)泣(な)きになるのか。さうすると火遠理命(ほをりのみこと)は、我(われ)は猟具(れふぐ)と釣鉤(つりばり)を換(か)へて漁(すなど)りした所(ところ)が、其(そ)の釣鉤(つりばり)を失(うしな)つて了(しま)つた。そこで色々(いろいろ)と鉤(はり)を作(つく)つたけれども、元(もと)の鉤(はり)を返(かへ)せと云(い)つて責(せ)められる。それで泣(な)くのである。実(じつ)に日本(につぽん)の現状(げんじやう)は、行(ゆ)きも戻(もど)りも出来(でき)ない事(こと)になつて来(き)た。今日(こんにち)の日本(につぽん)は外国(ぐわいこく)の教(をしへ)を受(う)けた為(ため)に、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御遺訓(ごゐくん)を充分(じうぶん)に発揮(はつき)するどころか、其(そ)の日本人(につぽんじん)の心(こころ)まで、海幸彦(うみさちひこ)の釣鉤(つりばり)にかかつて了(しま)つて居(を)るのであります。是(ここ)に於(おい)て鹽椎翁(しほつちのおきな)は無間勝間(まなしかたま)の船(ふね)を造(つく)り、さうしてそれに火遠理命(ほをりのみこと)を御乗(おの)せ申(まを)した。
 メナシは、水(みづ)も漏(もら)さぬと云(い)ふ事(こと)。カタマは、堅(かた)くして叩(たた)いても崩(くづ)れぬと云(い)ふ事(こと)である。即(すなは)ち皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御遺訓(ごゐくん)を真解(しんかい)し賜(たま)はつた所(ところ)の大本(おほもと)神諭(しんゆ)が夫(そ)れであらうと思(おも)ふのであります。神様(かみさま)の教(をしへ)を指(さ)して、メナシカタマの舟(ふね)と云(い)ふ。何故(なぜ)かと云(い)へば、此(この)舟(ふね)に乗(の)つて居(を)つたならば、如何(いか)なる狂瀾(きやうらん)怒涛(どたう)に遇(あ)ふと雖(いへど)も、覆(くつが)へる、溺(おぼ)れると云(い)ふ事(こと)は無(な)い、実(じつ)に世界(せかい)を済度(さいど)する所(ところ)の舟(ふね)である。之(これ)を作(つく)つてさうして之(これ)に乗(の)せて綿津見(わたつみ)の神(かみ)の宮(みや)へ、御出(おい)でなさいと申(まを)したのである。綿津見(わたつみ)の宮(みや)は竜宮(りうぐう)の事(こと)であります。竜宮(りうぐう)には海(うみ)の竜宮(りうぐう)と、陸(あげ)の竜宮(りうぐう)とが在(あ)るのであります。
『故(かれ)、教(をし)へし隨(まにま)に、少(すこ)し行(い)でましけるに、備(つぶさ)に其(そ)の言(こと)の如(ごと)くなりしかば、即(すなは)ち、其(そ)の香木(かつら)に登(のぼ)りて坐(ま)しましき。爾(ここ)に、海神(わたのかみ)の女(みむすめ)、豊玉毘売(とよたまひめ)の従婢(まかたち)、玉器(たまもひ)を持(も)ちて、水酌(みづく)まむとする時(とき)に、井(ゐ)に光(かげ)あり。仰(あふ)ぎて見(み)れば、麗(うるは)しき壮夫(をとこ)あり。甚(いと)異奇(あやし)と以為(おも)ひき。爾(かれ)、火遠理命(ほをりのみこと)、其(そ)の婢(まかたち)を見(み)たまひて、水(みづ)を得(え)しめよと乞(こ)ひたまふ。婢(まかたち)乃(すなは)ち水(みづ)を酌(く)みて、玉器(たまもひ)に入(い)れて貢進(たてまつ)りき。爾(ここ)に、水(みづ)をば飲(の)みたまはずして、御頸(みくび)の璵(たま)を解(と)かして、口著(みくち)に含(ふく)みて、其(そ)の玉器(たまもひ)に唾(つばき)入(い)れたまひき。於是(ここに)、其(そ)の璵(たま)い器(もひ)に著(つ)きて、婢(まかたち)璵(たま)を得(え)離(はな)たず。故(かれ)、璵(たま)著(つ)けながら、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)に進(たてまつ)りき。爾(かれ)、其(そ)の璵(たま)を見(み)て婢(まかたち)に、若(も)し門(かど)の外(と)に人(ひと)有(あ)りやと、問(と)ひたまへば、我(あ)が井上(ゐのへ)の香木(かつら)の上(うへ)に人(ひと)在(いま)す、甚(いと)麗(うるは)しき壮夫(をとこ)にます。我(あ)が王(きみ)にも益(まさ)りて、甚(いと)貴(たふと)し。故(かれ)其(そ)の人(ひと)、水(みづ)を乞(こ)はせる故(ゆゑ)に、奉(たてまつ)れば、水(みづ)をば飲(の)まさずて、此(こ)の璵(たま)をなも唾(つばき)入(い)れたまへる。是(こ)れ得離(えはな)たぬ故(ゆゑ)に、入(い)れながら将(もちまゐ)来(き)て、献(たてまつ)りぬとまをしき。
 爾(かれ)、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)、奇(あや)しと思(おもほ)して、出(い)で見(み)て、乃(すなは)ち見感(みめで)て目合(まぐはひ)して、其(そ)の父(ちち)に、吾(あ)が門(かど)に、麗(うるは)しき人(ひと)有(いま)すと白(まを)したまひき。爾(ここ)に、海神(わたのかみ)自(みづか)ら出見(いでみ)て、此(こ)の人(ひと)は、天津日高之御子(あまつひだかのみこ)、虚空津日高(そらつひだか)にませりと云(い)ひて、即(すなは)ち内(うち)に率(ゐ)て入(い)れ奉(まつ)りて、美智(みち)の皮(かは)の畳(たたみ)八重(やへ)を敷(し)き、亦(また)絁畳(ぬたたみ)八重(やへ)を、其(そ)の上(うへ)に敷(し)きて其(そ)の上(うへ)に坐(ま)せまつりて、百取机代物(ももとりのつくゑしろもの)を具(そな)へて御饗(みあへ)して、即(すなは)ち、其(そ)の女(みむすめ)豊玉毘売(とよたまひめ)を婚(あは)せまつりき故(かれ)、三年(みとせ)といふまで、其(そ)の国(くに)に住(す)みたまひき。
 於是(ここに)、火遠理命(ほをりのみこと)、其(そ)の初(はじめ)の事(こと)を思(おもほ)して、大(おほき)なる歎(なげき)一つしたまひき。故(かれ)、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)、其歎(そのなげき)を聞(き)かして、其(そ)の父(ちち)に白(まを)したまはく、三年(みとせ)住(す)みたまへども、恒(つね)は嘆(なげ)かすことも無(な)かりしに、今夜(こよひ)大(おひき)なる歎(なげき)一つ為(し)たまひつるは、若(も)し何(なに)の由故(ゆゑ)あるにかと言(まを)したまへば、其(そ)の父(ちち)の大神(おほかみ)、其(そ)の聟夫(みむこのきみ)に問(と)ひまつらく、今旦(けさ)、我(あ)が女(むすめ)の語(かた)るを聞(き)けば、三年(みとせ)坐(ま)しませども、恒(つね)は歎(なげ)かすことも無(な)かりしに、今夜(こよひ)大(おひき)なる歎(なげき)為(し)たまひつと云(まを)せり、若(も)し由(ゆゑ)ありや。亦(また)、此間(ここ)に到(き)ませる由(ゆゑ)は、奈何(いか)にぞととひ奉(まつ)りき。爾(かれ)、其(そ)の大神(おほかみ)に、備(つぶ)さに、其(そ)の兄(いろせ)の、失(う)せにし鉤(つりばり)を罰(はた)れる状(さま)を語(かた)りたまひき。是(ここ)を以(も)て、海神(わたのかみ)、悉(ことごと)に海之大小魚(はたのひろものはたのさもの)を召集(よびあつ)めて、若(も)し此(こ)の鉤(つりばり)を取(と)れる魚(うを)ありやと問(と)ひ給(たま)ふ。故(かれ)、諸(もろもろ)の魚(うを)ども白(まを)さく、頃者(このごろ)、赤海鯽魚(たひ)なも、喉(みのど)に鯁(のぎ)ありて物得食(ものえく)はずと愁(うれ)ふるなれば、必(かなら)ず是(こ)れ取(と)りつらむとまをしき。於是(ここに)、赤海鯽魚(たひ)の喉(みのど)を探(さぐ)りしかば、鉤(つりばり)あり。乃(すなは)ち取出(とりい)でて、清洗(すま)して、火遠理命(ほをりのみこと)に奉(たてまつ)る時(とき)に、其(そ)の綿津見大神(わたつみのおほかみ)、誨(をし)へまつりけらく此(こ)の鉤(はり)を、其(そ)の兄(いろせ)にたまはむ時(とき)に、言(の)りたまはむ状(さま)は、此(こ)の鉤(はり)は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすち)、貧鉤(まぢち)、宇流鉤(うるち)と云(い)ひて、後手(しりへで)に賜(たま)へ。然(しか)して、其(そ)の兄(いろせ)高田(あげた)を作(つく)らば、汝(な)が命(みこと)は下田(くぼた)を営(つく)りたまへ。其(そ)の兄(いろせ)下田(くぼた)を作(つく)らば、汝(な)が命(みこと)は高田(あげた)を営(つく)りたまへ。然為(しかし)たまはば、吾(あれ)、水(みづ)を掌(し)れば、三年(みとせ)の間(あひだ)、必(かなら)ず其(そ)の兄(いろせ)、貧窮(まづし)くなりなむ。若(も)し、其(そ)れ、然為(しかし)たまふ事(こと)を恨怨(うら)みて、攻戦(せめ)なば、鹽盈珠(しほみつたま)を出(いだ)して溺(おぼ)らし、若(も)し、其(そ)れ、愁請(うれひまを)さば、鹽乾珠(しほひるたま)を出(いだ)して活(いか)し、如此(かく)して惚苦(たしな)めたまへと云(まを)して、鹽盈珠(しほみつたま)、鹽乾珠(しほひるたま)、併(あは)せて両箇(ふたつ)を授(さづ)けまつりて、即(すなは)ち悉(ことごと)に、和邇魚(わに)どもを召集(よびあつ)めて、問曰(とひ)たまはく、今(いま)、天津(あまつ)日高(ひだか)の御子(みこ)、虚空津日高(そらつひだか)、上国(うはつくに)に出幸(いで)まさむとす。誰(たれ)は幾日(いくか)に送(おく)り奉(まつ)りて覆(かへりごと)奏(まを)さむととひ給(たま)ひき。故(かれ)各各(おのもおのも)、己身(おのがみ)の尋長(ながき)の隨(まにま)に、日(ひ)を限(かぎ)りて白(まを)す中(なか)に、一尋和邇(ひとひろわに)、僕(あれ)は一日(ひとひ)に送(おく)りまつりて還(かへ)り来(き)なむと白(まを)す。故爾(かれ)、其(そ)の一尋和邇(ひとひろわに)に、然者(しからば)汝(なれ)送奉(おくりまつ)りてよ、若(も)し海中(わたなか)を渡(わた)る時(とき)に、な惶畏(かしこま)せまつりそとのりて、即(すなは)ち其(そ)の和邇(わに)の頸(くび)に載(の)せまつりて、送(おく)り出(だ)しまつりき。故(かれ)如期(いひしがごと)、一日(ひとひ)の内(うち)に送(おく)り奉(まつ)りき。其(そ)の和邇(わに)返(かへ)りなむとせし時(とき)に、所佩紐小刀(みはかせるひもがたな)を解(と)かして、其(そ)の頸(くび)に著(つ)けてなも返(かへ)し給(たま)ひける。故(かれ)、其(そ)の一尋和邇(ひとひろわに)をば、今(いま)に、佐比持神(さひもちのかみ)とぞいふなる。
 是(ここ)を以(も)て、備(つぶ)さに海神(わたのかみ)の教(をし)へし言(こと)の如(ごと)くして、其(そ)の鉤(つりばり)を与(あた)へ給(たま)ひき。故(かれ)、爾(それ)より後(のち)、稍愈(いよよ)貧(まづ)しくなりて、更(さら)に荒(あら)き心(こころ)を起(おこ)して迫来(せめく)。攻(せ)めむとする時(とき)は鹽盈珠(しほみつたま)を出(いだ)して溺(おぼ)らし、其(そ)れ、愁(うれ)ひを請(まを)せば鹽乾珠(しほひるたま)を出(いだ)して救(すく)ひ、如此(かく)して惚苦(たしな)めたまふ時(とき)に、稽首(のみ)白(まを)さく、僕(あ)は、今(いま)より以後(ゆくさき)、汝(な)が命(みこと)の、夜昼(よるひる)の守護人(まもりびと)と為(な)りてぞ仕(つか)へ奉(まつ)らむとまをしき。故(かれ)、今(いま)に至(いた)るまで、其(そ)の溺(おぼ)れし時(とき)の種種(くさぐさ)の態(わざ)、絶(た)えず仕(つか)へ奉(まつ)るなり。
 於是(ここに)、海神(わたのかみ)の女(みむすめ)、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)、自(みづか)ら参出(まゐで)て白(まを)したまはく、妾(あれ)已(はや)くより妊身(はらめ)[*底本では「妊」ではなく異体字の「姙」。]るを、今(いま)産(みこう)むべき時(とき)に為(な)りぬ。此(こ)の念(おも)ふに、天神(あまつかみ)の御子(みこ)を海原(うなばら)に生(う)みまつるべきにあらず。故(かれ)、参出(まゐで)到(き)つと白(まを)したまひき。爾(かれ)即(すなは)ち、その海辺(うみべた)の波限(なぎさ)に、鵜(う)の羽(は)を葺草(かや)に為(し)て、産殿(うぶや)を作(つく)りき。於是(ここに)、其(そ)の産殿(うぶや)未(いま)だ葺合(ふきあ)へぬに、御腹(みはら)忍(た)へがたくなりたまひければ、産殿(うぶや)に入坐(いりま)しき。爾(ここ)に、産(みこう)みまさむとする時(とき)に、其(そ)の日子(ひこぢ)に白言(まを)したまはく、凡(すべ)て、佗国(あだしくに)の人(ひと)は、産時(こうむをり)に臨(な)れば、本国(もとつくに)の形(かたち)になりてなも産生(うむ)なる。故(かれ)妾(あれ)も今(いま)、本(もと)の身(み)になりて産(う)みなむとす。妾(あ)を勿見(なみ)給(たま)ひそとまをし給(たま)ひき。於是(ここに)、其(そ)の言(こと)を奇(あや)しと思(おもほ)して、其(そ)の方(まさかり)に産(みこう)み給(たま)ふを窃伺(かさま)みたまへば、八尋和邇(やひろわに)に化(な)りて、葡萄委蛇(はひもこよ)ひき。即(かれ)見驚(みおどろ)き畏(かしこ)みて、遁退(にげそ)きたまひき。爾(ここ)に、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)、其(そ)の伺見(かきまみ)たまひし事(こと)を知(しら)して、心恥(うらはづ)かしと以為(おもほ)して、乃(すなは)ち其(そ)の御子(みこ)を生置(うみお)きて、妾恒(あれつね)は、海道(うみつぢ)を通(とほ)して往来(かよ)はむとこそ欲(おも)ひしを、吾(あ)が形(かたち)を伺(かきま)見給(みたま)ひしが、甚(いと)怍(はづ)かしきことと白(まを)して、即(すなは)ち、海坂(うなざか)を塞(せ)きて返入(かへりい)りましき。是(ここ)を以(も)て、其(そ)の所産(あれませる)御子(みこ)の名(みな)を、天津(あまつ)日高(ひだか)日子(ひこ)波限建(なぎさたけ)鵜葺草(うがや)葺不合(ふきあへずの)命(みこと)と謂(まを)す。
 然(しか)れども後(のち)は、其(そ)の伺(かきま)み給(たま)ひし情(みこころ)を恨(うら)みつつも、恋(こひ)しき心(こころ)に得忍(えた)へ給(たま)はずて、其(そ)の御子(みこ)を治養(ひた)しまつる縁(よし)に因(よ)りて、其(そ)の弟(いろと)、玉依毘売(たまよりひめ)に附(つ)けて、歌(うた)をなも献(たてまつ)りける。其(そ)の歌曰(うた)、
  阿加陀麻波(あかだまは) 袁佐閇比迦礼杼(をさへひかれど) 斯良多麻能(しらたまの) 岐美何余曾比斯(さみがよそひし) 多布斗久阿理祁理(たふとくありけり)
 爾(かれ)其(そ)の比古遅(ひこぢ)答(こた)へたまひける歌曰(みうた)、
  意岐都登理(おさつとり) 加毛度久斯麻邇(かもどくしまに) 和賀違泥斯(わがゐねし) 伊毛波和須礼士(いもはわすれじ) 余能許登碁登邇(よのことごとに)』
 さうして竜宮(りうぐう)に行(い)つてから、自分(じぶん)の落(おと)した釣鉤(つりばり)の事(こと)に就(つい)て来(きた)れる所以(ゆゑん)を御(お)話(はな)しになつた。それから豊玉比売(とよたまひめ)を妃(きさき)として、三年(さんねん)海外(かいぐわい)に留学(りうがく)をせられたと云(い)ふ事(こと)になる。つまり日本国(につぽんこく)にメナシカタマの舟(ふね)が現(あらは)れて来(き)て、それに乗(の)つて、初(はじ)めて皇道(くわうだう)の光(ひかり)が稍(やや)発揮(はつき)しかけて来(き)た。三年(さんねん)程(ほど)の間(あひだ)に、皇道(くわうだう)の光(ひかり)が発揮(はつき)しかけて来(き)たのである。丁度(ちやうど)今日(こんにち)の時代(じだい)に適応(てきおう)して居(ゐ)るのであります。
 さうして居(を)る中(うち)に、火遠理命(ほをりのみこと)は以前(いぜん)の事(こと)を思(おも)うて、大(おほ)きな歎(なげ)きを一つし給(たま)うた。即(すなは)ち昔(むかし)の事(こと)を思(おも)うて、斯(か)う云(い)ふ結構(けつこう)な教(をしへ)が我(わが)国(くに)にある。
 『澆季(げうき)末法(まつぽふ)の此世(このよ)には、諸善(しよぜん)竜宮(りうぐう)に入(い)り給(たま)ふ』
と和讃(わさん)に誌(しる)されてある通(とほ)り、本当(ほんたう)に我(わが)国(くに)には誠(まこと)の教(をしへ)、本当(ほんたう)の大和(やまと)魂(だましひ)、生粋(きつすゐ)の教(をしへ)があつたのである。さう云(い)ふ結構(けつこう)な教(をしへ)があつたのを知(し)らずに、三年間(さんねんかん)居(を)つた。此(こ)の真直(まつすぐ)なる山幸(やまさち)を捨(す)てて、さうして海幸(うみさち)になつて居(を)つたと云(い)ふ事(こと)を、初(はじ)めて悟(さと)られて、大(おほい)に誤(あやま)つて居(を)つたと云(い)ふ事(こと)を、神界(しんかい)に於(おい)て歎(なげ)かれたのであります。ここに大(おほい)なる歎(なげ)きをせられたので、綿津見(わたつみ)の大神(おほかみ)は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)に其(そ)の訳(わけ)を聞(き)かれると是々(これこれ)爾々(しかじか)と云(い)ふ事(こと)であつた。そこで綿津見(わたつみ)の神(かみ)は大小(だいせう)の魚共(うをども)を悉(ことごと)く集(あつ)めて、鉤(はり)の行方(ゆくへ)を探(さが)した。其(そ)の魚(うを)の中(なか)でも名(な)を知(し)られて居(を)る、例(たと)へばウイルソンの如(ごと)く、其(そ)の名(な)を世界(せかい)に知(し)られて居(を)ると云(い)ふやうな魚(うを)を名主(なぬし)、此(この)魚(うを)の中(なか)の一番(いちばん)王様(わうさま)といういふのが鯛(たひ)であります。その鯛(たひ)の喉(のど)に鉤(はり)が詰(つま)つて居(を)つた。つまり口(くち)では旨(うま)い事(こと)を云(い)つて居(ゐ)るけれども、何(なに)か奥歯(おくば)に物(もの)が詰(つま)つた様(やう)な、舌(した)に剣(つるぎ)がある様(やう)な、引(ひ)つかける所(ところ)の言葉(ことば)、釣鉤(つりばり)の様(やう)な言葉(ことば)がある。国際(こくさい)連盟(れんめい)とか、平和(へいわ)とか、民族(みんぞく)自決(じけつ)とか、或(あるひ)は色々(いろいろ)の事(こと)を言(い)つて居(を)りますけれども、釣鉤(つりばり)といふものを口(くち)の中(なか)に入(い)れて居(を)る。みな言葉(ことば)で釣(つ)つて了(しま)ふのであります。正義(せいぎ)人道(じんだう)とか、平和(へいわ)とか云(い)つて、戦(いくさ)はしないと言(い)つて居(を)る。其(そ)の尻(しり)からどんどん軍備(ぐんび)を拡張(くわくちやう)して、己(おのれ)の野心(やしん)を逞(たくま)しうせむとしつつあるのであります。所謂(いはゆる)此(こ)の鯛(たひ)の喉(のど)に、海幸彦(うみさちひこ)の鉤(はり)が隠(かく)れて居(を)る。其(そ)の鉤(はり)を発見(はつけん)して之(これ)を持(も)ち帰(かへ)つて来(き)た。つまり鯛(たひ)の言(い)ふ事(こと)は当(あて)にはならぬ。総(すべ)て斯(か)う云(い)ふものを喉(のど)に引(ひ)つかけて居(を)る。斯(か)くして綿津見(わたつみ)の神(かみ)の力(ちから)に依(よ)つて之(これ)を発見(はつけん)して、さうして之(これ)を貰(もら)つて、御(お)帰(かへ)りになると云(い)ふ事(こと)になつたのであります。
 かくて其(そ)の兄(いろせ)に、此(こ)の鉤(はり)を渡(わた)す時(とき)に、憂鬱針(おぼち)、狼狽針(すずち)、貧窮針(まぢち)、痴呆針(うるち)と言(い)つて、手(て)を後(しりへ)に廻(まは)して御(お)返(かへ)しなさいと、綿津見(わたつみ)の神(かみ)が言(い)はれた。兄(いろせ)とは兄(あに)の事(こと)で、外国(ぐわいこく)思想(しさう)にかぶれたものである。今日(こんにち)は物質(ぶつしつ)の世(よ)であるから、外国(ぐわいこく)が兄(あに)である。三つ位(ぐらゐ)の日本(につぽん)の弟(おとうと)と、七つ位(ぐらゐ)の兄(あに)と喧嘩(けんくわ)すれば、何(ど)うしても弟(おとうと)が負(ま)けるにきまつて居(ゐ)る。それから此(こ)の大(おほ)きな鯛(たひ)の、所謂(いはゆる)ウイルソンか何(なに)か知(し)らぬけれども、其(そ)の中(なか)の鉤(はり)を持(も)つて帰(かへ)つたといふ事(こと)であります。それで世界(せかい)の平和(へいわ)とか、文明(ぶんめい)とか言(い)つて居(ゐ)るけれども、これを有難(ありがた)がつて居(を)る連中(れんちう)の気(き)が知(し)れないのであります。
 憂鬱針(おぼち)──今日(こんにち)は所謂(いはゆる)憂鬱針(おぼち)に釣(つ)られて居(ゐ)るのであります。即(すなは)ち物質(ぶつしつ)文明(ぶんめい)と云(い)ふもので、世(よ)が乱(みだ)れて来(き)た。或(あるひ)はマツソンの手下(てした)となつて居(を)るといふ有様(ありさま)である。憂鬱病(いううつびやう)にかかつて、自殺(じさつ)したり、或(あるひ)は鉄道(てつだう)往生(わうじやう)をしたり、もう悲観(ひくわん)し切(き)つてしまつて、何(なに)をしても面白(おもしろ)くないと云(い)ふ人間(にんげん)計(ばか)りであります。
 狼狽鉤(すずち)──是(これ)は非常(ひじやう)に狼狽(らうばい)して居(を)るといふ状態(じやうたい)で、例(たと)へば政治界(せいぢかい)を見(み)ても、外交(ぐわいかう)上(じやう)の狼狽(らうばい)、即(すなは)ち支那(しな)問題(もんだい)とか、朝鮮(てうせん)問題(もんだい)とか、其(そ)の他(た)思想(しさう)上(じやう)の問題(もんだい)一切(いつさい)のものが、皆(みな)狼狽(らうばい)をして居(を)る。是(これ)が狼狽針(すずち)であります。
 貧窮針(まぢち)──是(これ)は申(まを)すまでもなく貧乏(びんぼう)の事(こと)であります。
 痴呆針(うるち)──馬鹿(ばか)を見(み)る事(こと)であります。日本人(につぽんじん)全体(ぜんたい)には大和(やまと)魂(だましひ)があるけれども、外国(ぐわいこく)の横文字(よこもじ)にはほうけて阿呆(あほう)になつて居(を)る。横文字(よこもじ)も必要(ひつえう)ではあるが、それにほうけて自分(じぶん)の懐(ふところ)には何(なに)もない。大和(やまと)魂(だましひ)がないといふのは所謂(いはゆる)痴呆針(うるち)にかかつたといふ事(こと)であります。折角(せつかく)竜宮(りうぐう)迄(まで)行(い)つて、何(ど)んな釣鉤(つりばり)を持(も)つて帰(かへ)つたかといふと、こんなもの計(ばか)りであつた。
 綿津見神(わたつみのかみ)が続(つづ)けて申(まを)されるのには、是等(これら)の鉤(はり)を兄上(このかみ)に返(かへ)すには後手(しりへで)に御(お)渡(わた)しなさい。さうして若(も)し兄(いろせ)が怒(おこ)つて高田(たかた)を作(つく)つたならば、汝(な)が命(みこと)は下田(しもた)を営(つく)り給(たま)へ。若(も)し兄(いろせ)が下田(しもた)を作(つく)つたならば、汝(な)が命(みこと)は高田(たかた)を営(つく)り給(たま)へと申(まを)されたのは、何(なん)でも反対(はんたい)に行(い)けといふ意味(いみ)であります。つまり外国(ぐわいこく)が若(も)しも笠(かさ)にかかつて出(で)てきて戦争(せんさう)をしかけたならば、此方(こちら)は慎(つつし)んで戦争(いくさ)をせない様(やう)にせよ。若(も)し又(また)日本(につぽん)に向(むか)つて無理(むり)な事(こと)を言(い)つて来(く)る、人道(じんだう)に反(はん)した事(こと)を言(い)つて来(く)るならば、此方(こちら)は充分(じうぶん)に皇道(くわうだう)に基(もとづ)いて、正々(せいせい)堂々(だうだう)誠(まこと)の道(みち)に高(たか)く止(とま)つて、其(そ)の手段(しゆだん)を取(と)れ。斯(か)ういふ様(やう)な事(こと)であります。さうして潮満珠(しほみつたま)と潮乾珠(しほひるたま)といふ二つの宝(たから)を持(も)たされました。若(も)し飽(あ)くまで先方(せんぱう)が反対(はんたい)して来(く)るならば、潮満珠(しほみつたま)を御(お)出(だ)しになれば、必(かなら)ず水(みづ)が湧(わ)きでて兄様(あにさま)を溺(おぼ)れさせますし、若(も)しあやまつたならば、潮乾珠(しほひるたま)の方(はう)を出(だ)して活(い)かしてやり、活殺(くわつさつ)自在(じざい)にたしなめておやりなさい、と申(まを)されました。即(すなは)ち是(これ)は仏教(ぶつけう)で申(まを)しますと、如意宝珠(によいほつしゆ)の珠(たま)といふ事(こと)であります。
 此(こ)の潮(しほ)といふ事(こと)は、火水(ひみづ)相(あひ)合致(がつち)したものでありまして、吾々(われわれ)は皆(みな)一人(ひとり)々々(ひとり)潮乾珠(しほひるたま)、潮満珠(しほみつたま)を持(も)つて居(を)るのであります。之(これ)を言霊学(げんれいがく)上(じやう)からいひますと、伊都能売(いづのめ)の魂(みたま)といふ事(こと)になります。
 火遠理命(ほをりのみこと)は一尋鰐(ひとひろわに)に乗(の)つて、愈々(いよいよ)本(もと)の国(くに)日(ひ)の本(もと)の国(くに)へ、帰(かへ)られたのであります。此(こ)の一尋鰐(ひとひろわに)といふ事(こと)には、非常(ひじやう)に重大(じゆうだい)な意味(いみ)があります。又(また)此(こ)の火遠理命(ほをりのみこと)は、日子穂々出見(ひこほほでみの)命(みこと)の事(こと)であります。御(お)筆先(ふでさき)にも『日子穂々出見(ひこほほでみの)命(みこと)の世(よ)になるぞよ』といふことがありますが、愈々(いよいよ)火(ひ)の燃(も)え上(あが)つた如(ごと)く中天(ちうてん)に輝(かがや)く所(ところ)の御(ご)盛徳(せいとく)を持(も)つた、日子穂々出見(ひこほほでみの)命(みこと)が、海原(うなばら)を御(お)渡(わた)りになる。其(そ)の時(とき)に一尋(ひとひろ)もある大鰐(おほわに)が、之(これ)を助(たす)けたと云(い)ふ事(こと)になつて居(を)るのであります。其(そ)の時(とき)に豊玉姫(とよたまひめ)も共(とも)に御(お)連(つ)れ帰(かへ)りになりました。さうすると豊玉姫(とよたまひめ)は妊娠(にんしん)せられた。御子(おこ)さんが出来(でき)たのであります。併(しか)し子(こ)と云(い)ふ事(こと)は原子(げんし)分子(ぶんし)一切(いつさい)の子(こ)である。それから、非常(ひじやう)に腹(はら)が膨(ふく)れるといふ事(こと)になつて子(こ)を産(う)む。竜宮(りうぐう)も海(うみ)を離(はな)れた島(しま)ですから、地(ち)の竜宮(りうぐう)と云(い)ふ事(こと)になります。それでお二人(ふたり)の間(なか)に一人(ひとり)の子(こ)が出来(でき)た。さうすると豊玉姫(とよたまひめ)は、子(こ)を産(う)まむとする時(とき)に夫(をつと)に向(むか)つて、妾(わらは)は国津神(くにつかみ)の子(こ)であるから、元(もと)の姿(すがた)になつて児(こ)を産(う)みますから、産屋(うぶや)を御覧(ごらん)ならないやうに、何処(どこ)かへ行(い)つて居(ゐ)て下(くだ)さい、と堅(かた)く申(まを)されました。そこで鵜葺草葺不合(うがやふきあへずの)命(みこと)を産(う)まれました。未(ま)だ鵜(う)の羽(はね)の屋根(やね)が葺(ふ)き合(あ)へない中(うち)に御(お)生(うま)れになつたから、さう申(まを)すのであります。
 此(こ)の鵜(う)の羽(はね)といふ中(うち)には、深(ふか)い意味(いみ)があるのであります。鵜(う)の羽(はね)を以(もつ)て屋根(やね)を葺(ふ)く、此(こ)の鵜(う)といふ事(こと)は、稚比売君(わかひめぎみの)命(みこと)と深(ふか)き因縁(いんねん)のある事(こと)であります。此(こ)の神様(かみさま)は非常(ひじやう)に烏(からす)と因縁(いんねん)がある。鵜(う)と云(い)ふ事(こと)は烏(う)と云(い)ふ事(こと)であります。烏(う)は羽(はね)なくては駄目(だめ)である。それで其(そ)の羽(はね)で以(もつ)て屋根(やね)を葺(ふ)く、其(そ)の出来(でき)ない中(うち)に御子(みこ)が生(うま)れたのであります。火遠理命(ほをりのみこと)は恐(こは)いもの見(み)たさで、そつと御窺(おうかが)ひになると、立派(りつぱ)な玉(たま)の様(やう)な御子(みこ)が御出来(おでき)に成(な)つて居(を)る。御子(みこ)は生(うま)れて居(を)りますが、其(そ)の母(はは)の豊玉姫(とよたまひめ)は竜神(りうじん)の本体(ほんたい)を現(あらは)して居(を)る。大(おほい)なる竜神(りうじん)が玉(たま)の様(やう)な児(こ)を抱(だ)いて居(を)る。それを見(み)て大(おほい)に驚(おどろ)いた。竜神(りうじん)といふものは、天津神(あまつかみ)計(ばか)りと思(おも)つて居(ゐ)たが、地津神(くにつかみ)にもあるかと云(い)ふ事(こと)でお驚(おど)きになつた。寧(むし)ろ此(こ)の驚(おど)きは恐怖(きようふ)の驚(おど)きでなくして、感心(かんしん)の余(あま)りの吃驚(びつくり)せられたのであります。さうすると豊玉姫命(とよたまひめのみこと)は、自分(じぶん)の姿(すがた)を見(み)られたものですから、恥(はづ)かしくてもう御目(おめ)にかかれませぬと言(い)うて、元(もと)の海(うみ)へ隠(かく)れた。此(こ)の御子(みこ)さんの事(こと)を、天津(あまつ)日高(ひだか)日子(ひこ)波限建(なぎさたけ)鵜葺草(うがや)葺不合(ふきあへずの)命(みこと)と申(まを)し上(あ)げるのであります。此(こ)の神(かみ)は皇室(くわうしつ)の為(た)めに尽(つく)さむとして居(を)るのであります。又(また)豊玉姫(とよたまひめ)は還元(くわんげん)して居(を)る現状(げんじやう)を見(み)られて、申訳(まをしわけ)がないと云(い)ふ事(こと)になつて再(ふたた)び海(うみ)に隠(かく)れて、元(もと)の所(ところ)に潜伏(せんぷく)せられ、其(そ)の御産(おう)になつた鵜葺草(うがや)葺不合(ふきあへずの)命(みこと)を御(お)育(そだ)てする為(ため)に、玉依姫(たまよりひめ)と云(い)ふ竜宮(りうぐう)で一番(いちばん)良(よ)い所(ところ)の、選(え)りに選(え)つた神様(かみさま)を御(お)遣(つか)はしになつて、御(お)育(そだ)てになつたのであります。其(そ)の時(とき)に斯(か)う云(い)ふ歌(うた)を御言附(おことづ)けになりました。此(こ)の歌(うた)は中々(なかなか)意味(いみ)があります。
 『赤珠(あかだま)は緒(を)さへ光(ひか)れど白珠(しらたま)の 君(きみ)が装(よそ)ひし貴(たふと)くありけり』
 赤珠(あかだま)──日(ひ)の大神(おほかみ)、白珠(しらたま)──月(つき)の大神(おほかみ)、其(そ)の珠(たま)の緒(を)が、冴(さ)え光(ひか)つて居(を)つたといふ事(こと)である。君(きみ)──伊邪那(いざな)岐伊邪那(いざな)美とか、神漏(かむろ)岐神漏(かむろ)美とかのキミで、即(すなは)ち両(りやう)陛下(へいか)を指(さ)してキミと申(まを)すのです。『キ』は太陽(たいやう)で『ミ』は月(つき)の事(こと)であります。厳(いづ)の魂(みたま)は日(ひ)、瑞(みづ)の魂(みたま)は月(つき)、即(すなは)ち天辰日月(てんしんじつげつ)が輝(かがや)いて、完全(くわんぜん)無欠(むけつ)なる美(うつく)しい、且(か)つ尊(たふと)い国(くに)が出来(でき)たといふ事(こと)を、非常(ひじやう)に御(お)喜(よろこ)びになつたのであります。此(こ)の玉依姫(たまよりひめ)の事(こと)を竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)様(さま)と云(い)うて居(を)ります。此(こ)の神様(かみさま)が御(お)育(そだ)てした、鵜葺草(うがや)葺不合(ふきあへずの)命(みこと)が立(た)たれると、天下(てんか)は良(よ)く治(をさ)まつて、日月(じつげつ)は晧々(かうかう)として輝(かがや)き、陰陽(いんやう)上下(しやうか)共(とも)に一致(いつち)する。即(すなは)ち『貴(たふと)くありけり』と謂(い)はれたのは天下(てんか)泰平(たいへい)に宇宙(うちう)が治(をさ)まつた所(ところ)の形(かたち)をば、讃美(さんび)されたのであります。其(そ)の以前(いぜん)に日子穂々出見(ひこほほでみの)命(みこと)、亦(また)の名火遠理命(ほをりのみこと)が、豊玉姫(とよたまひめ)に御(お)送(おく)りになつた歌(うた)があります。
 『沖(おき)つ鳥(とり)鴨(かも)着(ど)く嶋(しま)に吾(わが)率(ゐ)寝(ね)し 妹(つま)は忘(わす)れじ世(よ)のことごとに』
 沖(おき)つ鳥(とり)と云(い)ふ事(こと)は、沖(おき)の嶋(しま)といふ事(こと)であります。此(こ)の日本(につぽん)以外(いぐわい)の外国(ぐわいこく)を指(さ)して云(い)ふのであります。或(あるひ)は竜宮(りうぐう)の嶋(しま)を指(さ)して言(い)つたのであります。鴨(かも)着(ど)く嶋(しま)──嶋(しま)[*本稿の中に「嶋」が8回、「島」が6回使われている。文字を使い分けているのかどうか分からないが、底本の通りにした。]と云(い)ふ事(こと)は、山篇(やまへん)に鳥(とり)である。嶋(しま)には鴨(かも)とか、鴎(かもめ)[*底本では「鷗」、異体字]とか言(い)ふ鳥(とり)が沢山(たくさん)群(むら)がつて居(を)る。若(も)しも鳥(とり)が居(ゐ)なかつたならば嶋(しま)ではない。女島(めしま)男島(をしま)は真白(まつしろ)けに鳥(とり)が群(むら)がつて居(ゐ)る。鳥(とり)が沢山(たくさん)居(ゐ)る嶋(しま)が鴨(かも)どく島(しま)である。吾(わが)率(ゐ)寝(ね)し──といふ事(こと)は共(とも)に暮(くら)したいといふ事(こと)であります。妹(つま)は忘(わす)れじ──ツは大津(おほつ)といふ事(こと)で、大(おほ)きな海(うみ)の水(みづ)の事(こと)であります。マは廻(まは)つて居(を)るといふ意(い)である。例(たと)へば島(しま)のシと言(い)ふ事(こと)は水(みづ)であつて、マと言(い)ふ事(こと)は廻(まは)る事(こと)、即(すなは)ち水(みづ)が廻(まは)つて居(ゐ)ると言(い)ふ事(こと)で、小(ちい)さい島(しま)の意味(いみ)になります。或(あるひ)は又(また)シメと云(い)ふのも、ぐるぐる水(みづ)が廻(まは)つて居(ゐ)る形(かたち)である。又(また)真中(まんなか)に建造物(たてもの)のあるのは、城(しろ)とも言(い)ふのである。故(ゆゑ)に日本国(につぽんこく)を秀津真(ほつま)の国(くに)と言(い)ふのである。
 ツとシとは反対(はんたい)であつて、ツは外国(ぐわいこく)の事(こと)である。潮流(てうりう)杯(など)も日本(につぽん)と反対(はんたい)に流(なが)れて居(を)ります。忘(わす)れじ世(よ)のことごとに──といふ事(こと)は、万国(ばんこく)を一つに平定(へいてい)される事(こと)である。世(よ)のことごとに、は守(まも)るといふ事(こと)である。幾万年(いくまんねん)変(かは)つても、此(こ)の国(くに)は忘(わす)れないで、此(こ)の御(ご)神勅(しんちよく)に依(よ)つて治(をさ)めなければならない。日月星辰(じつげつせいしん)のある限(かぎ)り、飽(あ)くまでも治(をさ)めてやると言(い)ふ、有難(ありがた)い御(お)言葉(ことば)であります。
(大正九・八・二四亀岡ニテ講演筆記 九・九・一一号神霊界)
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