大本の教義は、皇道即ち天地惟神の大道であつて、所謂宗教ではないのであります。それで「皇道大本」と称へ、開教以来四十年余りひたすらに皇道の宣伝と実行とに努めてゐるのでありますから既成宗政を観る眼を以て皇道大本に対しても、その真相を正視することは困難であります。
さて我々は常に真理といふことを、言ひもし、聞きもします。
真理とは、天地間に惟神に行はれてゐる道理であつて、之を外にして森羅万象一切の存在は無いのであります。近来科学の進歩は、日月星辰等の極大世界に行はれてゐる真理と、細胞、幺微物、電子等の極小世界に行はれてゐる真理とは一貫したもので、事物に大小、広狭、深浅、明暗等の区別はあつても、真理は常に単一無雑であること、又内容複雑を極めた複合体であつても、内容の一つ一つにはたらく真理は如何にも複雑のやうであるが、複合体として単一無雑の真理に統一されてゐるといふことなどが明かとなり、ここに科学者も亦宇宙意志なる単一無雑の大精神があつて、その意志のまにまに森羅万象を造り、森羅万象を統一して、ここに宇宙美親を成立してゐると推定し得たのでありまして、そして其意志に対しては『神といふ言葉より外に適当の名詞が無い』と唱道するに至つたのであります。科学が物質に偏重し、神も霊魂も無いとしてゐたのは、つい近き過去の事でありましたが電子発見以来かくの如く宇宙真相の一端を知り得た事は、寔に慶賀すべきことであります。
この宇宙意志に対し、日本神典では天之御中主大神と奉称してありまして、大神は愛(善)と信(真)との神格を以て万有を生成化育し、宇宙を営為し給ふのであります。科学上からも、熱と光の研究が進むにつれ、次第に神格に接近しつつあるのでありますが、熱は形而上には愛として、光は形而上には真としてはたらくからであります。
それで皇道といひ、真理といひ、天地惟神の大道といひ、ひとしく大神の神格たる愛善信真の運用活現を指したものであつて、天道、地道、人道とは、神格の行はれてゐる範囲の名称に外ならないのであります。