一九二八(昭和三)年三月三日のみろく大祭後の大本には、第一次大本事件の暗い影は一掃された。活気にみちみちた宣教活動が全国的に展開され、聖師をはじめとする教団首脳部の巡教は、全国の信者の信仰意欲をもりあげた。『霊界物語』の拝読を通して国際性がつちかわれ、また文芸活動も活発となって芸術的情操もやしなわれるようになり、一九三一(昭和六)年ころまでの大本には、まことに順調で明朗なふんい気がただよっていた。
しかし社会は、そのころ都市でも農村でも不景気が深まり、社会不安にあえぐ民衆たちは、世の行きづまりをひしひしと感じていた。失業者の数は増加し、大企業の人員整理に反対する労働者のストライキも頻発してきた。地主と小作農民の対立はいたるところにおこり、マルクス主義にたつ社会主義的な思想もしだいに浸透していった。このような社会情勢の深刻化は聖師によって、〝不景気を挽回すべき政策は神よりほかにもたせたまはず〟〝このままに世を捨でおけば地の上はたちまち修羅の巷となるべし〟と警告された。
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民衆は戦争へとかりたてられていった 女学生の軍事教練 p88