意義のふかい開教七十年を記念する大祭・諸行事をおわるにあたって、あたらしい体制が実現されることになった。すなわち、一〇月九日の第六十回審議会において、教団重要人事に関する件が上程され、出口栄二総長以下全総務の辞任と新役員の任命が決定された。そこで一〇月一一日付で総長・代表役員に桜井重雄、総務・責任役員に伊藤栄蔵・土居重夫・米川清吉・森清秀が発令され、一一月三日開祖大祭を期して、本部機構とそれにともなう新人事が発表された。
改革の要旨は、従来教団運営の中心となっていた出口家および教主身内のものは宗政面からしりぞき、祭事・教の研鑚・信徒との交流などに力をそそぎ、宗政面(宗教法人大本の代表役員・責任役員)には、信徒のなかから適任者がえらばれることとなった。このため祭教院が新設され、教主の諮間にこたえて補佐し、重要な祭祀の司宰、教典・教義の研鑚や大本の指導精神の確立を目的とし、斎司長に出口日出麿、斎司には出口家ならびにそれにつながるものが任命された。そして従来の「総長」という名称は「本部長」と改称された。
参議は従来栄誉的称号とされていたが、今回の改革で常任参議が任命され、総局の諮問機関として参議室を構成し、審査院は審査局、総務室は文書課とそれぞれ改称され、審査局長に斎藤継述が任命された。両聖地には総局のもとに梅松苑参事・天恩郷参事をおき、綾部・亀岡両本部の業務が参事のもとにそれぞれ統轄され、梅松苑には祭祀部(祭事・霊祭の二課)・庶務部(庶務・神苑の二課)と教典史実編纂所・財務部の分室がもうけられた。一方天恩郷には、大道場(祭務・道場の二課)・宣教部(宣伝・婦人・青年の三課)・国際部・編集部・管理部(庶務・神苑・福祉の三課と花明山植物園)・財務部と教典史実編纂所がおかれた。すなわち、従来教学部においておこなわれていた修行者の講座や実践教学の研鑚は大道場の所管にうつされ、宣教部広報課を編集部、管理部財務課を財務部として独立した。大本七十年史編纂会は従来のままの体制で刊行業務をつづけることとなった。
一一月二日、人類愛善会の評議員会が開催され、教団機構の改革とかかわって、出口栄二会長ならびに理事の辞任か承認された。その後対策委員会がもうけられ、運動方針・「人類愛善新聞」の刊行などについて慎重な協議がかさねられたが、一二月八日の評議員会で、理事長に米川清吉、副理事長に桑原英昭、常任理事に葦原万象・小林正雄・重栖度哉、理事に大国以都雄・伊藤栄蔵・上山南洋・土居重夫・広瀬静水が決定され、総本部の機構は宣伝・管理・国際の三部、人類愛善新聞社は編集・業務の二部とすることとなった。
このたびの教団機構改革、ならびに人類愛善会の人事更迭によって、開教七十年以降のあたらしい体制が成立した。
「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりだぞよ」と、開祖に神がかりをみた国祖国常立尊の神声にはじまる開教七十年の歴史をふりかえれば、みろくの聖霊にみたされた聖師によって教団としてのいとなみがはじまり、立替え立直しの予言警告を発して、人類の救済をめざし、神教宣布が活発におこなわれた草創期のたましいがよみがえってくる。
だがその歩みは、けっして平坦なものでもなければ、安易な道でもなかった。幾度か、その前途には困難な局面がよこたわっていた。ことに二度にわたる大本事件は教団の運命を左右し、はてはついに潰滅するのではないかという危機すらが到来した。だが国家権力もついに大本を地上より抹殺することはできなかった。踏みにじられてもなお燃えあがる信仰の力は、ふたたび花をひらいて、今日の教団をささえている。これは実に、各時代の教主・教主補を中心に信徒がその血と肉とを、あますところなくそそいできたたまものであった。
この基礎のうえにたって、今後の大本教団は、厳瑞二神のしめされた神慮を奉持し、神教護持発展のため、よき「鑑」を世界の人類にしめしつつ、みろくの世を招来すべくますます神業にいそしまねばならぬとしている。世の救済のため如何に奉仕すべきか、その課せられた責任はその歴史にかんがみて、ますます重大であるというべきであろう。この七十年の歴史に学びつつ、開教の大精神にたちかえり、大本の神の教えをさらに深化して、祈りつつかつ実践してゆく大本の前途に期待されるところはおおきい。
「まことの力は世を救う」、そのまことを結集して、使命づけられた課題に奉仕することが、神慮にこたえ、過去の歴史にむくゆる道ともなろう。覚悟もあらたに、約束された未来の栄光にむかっての前進に期待して、ここに『大本七十年史』をおわる。
大本七十年史 下巻 おわり
〔写真〕
○出口直日筆 p1316
○出口王仁三郎聖師筆 p1318