道の栞第二巻中(一)
一 己が罪を省みて、瑞の霊の救ひに預からん事を祈るべし。心を平かに安らかに、凡ての物を神に捧げて。
二 我こそは、神の信仰全きものぞと思ふ中は、未だ神の御国の方位さへも知らぬものなり。
三 洗へども洗へども清まらず。歩めども歩めども、道の遠きをかこつ心にならば、やゝ神の御前に近寄りし者なり。
四 如何に厚き信仰と雖も、働きのなき信仰は死せる信仰なり。行状の伴はざる信仰は却て神の御心を怒らし奉るものなり。
五 病み苦しめる人も、貧しきを憂ふる人も、がつくりして力を落せる人も、楽しみなき人も、神の教に従ひ来りて、神の御声聞えなば、忽ち喜びの花を咲かせ、全き実を結びて、天国の永き喜びと栄へを窺ひ知り得らるゝの幸ひを得らるベし。
六 労れ難みて今や倒れんとする霊魂をして、立ちて潔く生き働かしむる力は、直日の霊なり。直日の霊にして生ける働きなき時は、邪神界に其の霊魂の根城を、襲ひ奪はれて、遂に直日の本体を失ふに至るべし。
七 神の智慧に非ざれば、奥の深き神の道を正しく悟る事能はず。故に人の知識によりて、此の深き神の道を知らんとするものは、愚かの至りなり。
八 神の教に依らずして、我が知識をもて、探らんとすれば、迷ひより外に得る者は非ざるなり。
九 誠の信仰は人の眼より見て、不信仰に似たり。不信仰は信仰に似たるものなり。誠の親孝行は、人の眼より見て不孝に見ゆる事あり。不孝は却て孝行に見ゆる事あり。
一〇 誠の親切は、人の眼より見れば、不親切に似たり。不親切は却て親切なる如く見ゆる事あり。
一一 真の善なる行状は、人の眼より見て悪の如く見ゆるものあり。悪は却て善なる如く見ゆるものなり。
一二 真に智慧あるものは、人の眼より見て愚かなる如く見ゆるものなり。愚なる人は却て智慧ある如く見ゆるものなり。
一三 真如嘗て高熊の山にて教を伝へられたり。教を伝へし神は、言霊彦命なりし。神の御心は厚く深し。我れ先づ彼に救はれたり。我も亦本の教によりて、普く世の人の身と魂を救はんと欲するものなり。
一四 教の底は千尋の海より深く、道の光は太陽に等し。汝等救誓の船に乗りて、波風荒き此世の海原を、安く渡りて神の御国の楽しみを得よ。救誓の船とは、世を救ふ船、世を救ふ船は斯の教なり。
一五神の国にて宝となり得るものは、強き信仰と篤き行状によりて来る所の誠の生命なり。この生命は永久に老ひず死せず。
一六 大本の教によりて、限りもなき強き力と生命を得て、所在此世の悪魔と戦ふべし。
一七 悪魔に打勝ちて、神の国の都を守るベし。此大本の教は神の御言葉なり。
一八 神の御言葉を聞き得るものは、幸ひなるかな。昔の聖も大賢人も、未だ此の事を知らざりしなり。
一九 斯道は神の光なり。神の光を見る事を得る人の眼は幸ひなるかな。昔の聖人も未だ斯の如き光に逢ひしことなければなり。
二〇 人皆の誠の住家は、美しき此世にあらずして、不老不死の高天原なり。
二一 神は此の高天原を開きて、正しき霊魂の登り来りて、喜び遊ばん事をのみ待ち給へるなり。
二二 肉体の生命に限りあり。百まで生命保つものは稀なり。故に此の世の生命は、仮の生命なり。亡ぶべき生命なり。
ニ三 霊魂の生命は、永遠無窮にして不老不死なり。不老不死とは、老ひず生命死せずと云ふ事なり。故に幽界に於ける霊魂の生命なり。
二四 不老不死なる霊魂をして、永久に誠の神の国の楽しみを与ふるものは、是果して誰の力なるぞ。神を篤く信じて其行状を全くし、神の御心に叶ふ霊魂の力なり。
二五 永遠に限りなき根の国底の国の苦しみを招くものは、是果して誰の過ちなるぞ。神を軽蔑になして、之を信ずる事をせず、その上に行状正しからざる罪の致す所なり。
二六 神は絶えず、救ひの御手を延ばして、汝等を罪より救はん為に待ち給へども、汝等神の御許に近づかず、神に親しまず、却て悪魔、鬼、大蛇の群に走り行きて、自ら泣き悲しみ噛みするなり。
二七 神と親しみ和らぐ者は、現世の如何に荒き波も、如何に強き風も、鬼も悪魔も災禍も、恐れなく心平に安らかに、世を渡り得るなり。
二八 大本の教の波止場に尋ね来りて、救誓の船に乗るべし。救誓の船は神の宮居にして、覆る事なし。
二九 神の御国には罪もなく、穢もなく、病もなく、苦しみもなし。汝等如何にして、此神の御国に至らんとするや。
三〇 唯瑞の霊の救ひ主たる事を信じて、生ける信仰を養ひ、篤き行状を修めよ。四魂の活動をして全からしむるより外に道は無からん。
(「神の国」大正十四年七月八日号)