霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第三回公判調書(出口伊佐男)

インフォメーション
題名:第三回公判調書(出口伊佐男) 著者:
ページ:475
概要:この資料は、昭和13年8月13日に京都地方裁判所で行われた、第二次大本事件における出口伊佐男の第3回公判調書を記録したものである。この公判において、被告人出口伊佐男は大本の教義、教典の成立過程、および自身の入信経緯について詳細に述べている。

1. 入信の経緯と立場
伊佐男は、大本の説く「立替立直」や、天皇を中心とした日本が世界を統一し平和な「みろくの世」を築くという教義に感動して、大正7年に入信した。その後、教主出口王仁三郎の養子となり、大本教主補や海外宣伝部長などの要職を歴任した。

2. 警察・検事局での供述への反論
伊佐男は、予審段階での訊問調書には自身の信念に反する記載が多いと主張している。彼は、当局が「神懸り」という現象を認めなかったため、説明の余地がなく、やむを得ず人間の意思で書かれたものであると認めるような供述をさせられたと説明している。

3. 教典(大本神諭・霊界物語)の神聖性
伊佐男は、大本の教典である『神諭』や『霊界物語』について、これらが王仁三郎の個人的な創作ではなく、純粋な「神示」であることを強調している。
*神懸りの目撃: 伊佐男は大正11年頃、王仁三郎の側近として『霊界物語』の口述現場に立ちあった。王仁三郎は睡眠中であっても、覚醒時と変わらぬ速度で淀みなく口述し続けており、時には数分間の「絶息状態」に陥ることもあったと証言し、その神懸り状態を確信したと述べている。
*教義の解釈: 『霊界物語』は、論理的に分析したり研究したりするものではなく、童心に返って面白く音読することで心が浄化され、病気さえも癒やす効果がある「心の立替立直」のための書であると説いている。

4. 教義の根幹
伊佐男は、大本が皇道の大義を重んじる敬神崇祖の団体であることを主張した。『神諭』にある予言的な記述についても、神の視点から見た真実であり、人間の常識的な理解を超えたものであると信じている。

総じてこの公判調書は、国家権力による「宗教の世俗化・人間化」した解釈に対し、伊佐男が自身の直接体験に基づき、大本教義の神秘性と正当性を必死に擁護しようとする姿を浮き彫りにしている。
備考: タグ: データ凡例:裁判資料の凡例 データ最終更新日:2026-06-17 05:43:27 文字数:8670 OBC :B195503c22031
出口伊佐男公判調書
 
第三回公判調書
 
    治安維持法違反並不敬
             被告人 出口王仁三郎
    治安維持法違反  被告人 宇知麿こと  出口伊佐男
    同        被告人 吉雄こと  東尾吉三郎
    同        被告人 井上留五郎
    同        被告人 湯川貫一
    同        被告人 仁斎こと  湯浅斎治郎
    治安維持法違反不敬出版法違反並新聞紙法違反
             被告人 高木鉄男
 右各被告人に対する各頭書被告事件に付昭和十三年八月十三日京都地方裁判所第一刑事部法廷に於て、
    裁判長判事 庄司直治
       判事 大西和夫
       判事 黒坂一男
    裁判所書記 大西正紀
    同     南武雄
 列席の上検事小野謙三立会非公開の儘公判を開廷す。
 各被告人は公判廷に於て身体の拘束を受けず
    弁護人 清瀬一郎   林逸郎
        富沢効    田代三郎
        三木善建   根上信
        足立進三郎  赤塚源二郎
        前田亀千代  竹川兼栄
        鍋島徳太郎  小山昇
        小山美登四  今井嘉幸
               各出頭
    弁護人 高山義三   志賀和多利
        久保為市
               各不出頭
 裁判長は
    京都憲兵隊分隊  陸軍憲兵少佐 林重夫
    同        陸軍憲兵曹長 清水豊諸
    伏見憲兵分隊   陸軍憲兵軍曹 川端忠一
    京都府警察部長  山内 継喜
    被告人 山県猛彦弁護人  大田黒彦八
    同            毛利与一
    京都地方裁判所
            司法官試補 清水春三
            同     新谷正夫
            同     北元正勝
            同     斎藤欣平
を特別傍聴人として在廷の許可を与へたり。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対し検事陳述通りの被告事件を告知し此事件に付弁解すべきことありやを問ひたるに、
 被告人出口伊佐男は、
  警察検事局予審に於ては私の主張の最も重要な部分は少しも容れられませぬでした。
  従つて警察検事局等に於て作成せられた聴取書予審に於ける訊問調書には私の年来の信念に相反した記載がせられて居ります。
  公判準備手続に於て詳しく申述べましたが尚多少間違つて居つた点があつたかも判りませぬが予審訊問調書予審終結決定書に書いてあります皇道の大義に反するものは何れも否認するものてありまして重要な点に付ては公判準備手続を申上げた通りでありますが立替立直みろく神政成就の点に付ては尚詳細に申上げたいと思ふて居ります、
と述べたり。
 裁判長は
  被告人出口伊佐男に対し、
  前科なきや。
  前科はありませぬ。
  被告人の学歴経歴如何。
  私は郷里大洲高等小学校卒業後愛媛県立八幡浜商業学校に入学し予科一年を修業して大正七年本科一年に進みましたが中途退学し直ちに大本に奉仕し検挙せられる迄皇道大本に関係して居つたのであります。
  被告人の家庭の状況如何。
  私の実父は佐賀亀吉と申しまして旅館業をして居りましたが私の八歳の時に死亡しました。
 夫れで私は母シナヨと姉トモヱに育てられたのであります。
 現在母と姉は郷里に旅館業をして居り義兄(姉の婿)は画家でありますので画を書いて居ります。
 私は大正七年十月綾部の大本に行つて奉仕生活をして居りましたが四年後の大正十一年十月頃現在の養父出口王仁三郎より出口家の養子になつては何うかとの話がありました。
 私は大本の奉仕生活に這入つた当初より神業に従事したいと思つて居りましたから王仁三郎の話には反対ではありませぬでしたが母の意見を聞いて見る必要がありましたから母に相談しました処母も私が出口家の養子になる事を承諾して呉れましたので大正十三年一月三十一日出口家の婿養子として披露をして王仁三郎の三女八重野と結婚し私は佐賀家の相続人であり入籍するのに手間が掛りましたので昭和五年に出口家に入籍したのであります。
 妻八重野との間に本年九歳と七歳の男の子がありまして妻と共に亀岡に住んで居ります。
  被告人の実家の宗教は如何。
  実家の宗教は禅宗でありました、而して両親共に敬神崇仏の念篤く神社寺院等の事に関しては常に尽力して居りました。
  被告人の近親者に精神病者なかりしや。
  〔省略〕
  被告人の現在の資産収入の状態如何。
  私個人としては何も取り立てて云ふ程の資産はありませぬ。
 収入としては父王仁三郎より一ケ月六十円を貰つて生活して居つたのでありまして夫れ以外の収入はありませぬでした。
  被告人が皇道大本に入信したる動機如何。
  大正五年頃であつたと思ふて居りますが大阪から大洲町に帰つて来た大本信者の佐々木と云ふ人から母が大本の話を聞いて母も大本信者となり私の家でも大本の神様を祀つて居りました。
 そして母は其の年大本の本部に参拝致しました。
 私は幼少の頃より神社へは毎朝参拝して居り御札様を家で祀つて居りましても毎日之を礼拝する癖をつけられて居りましたので何も知らずに家に母が大本の神様を御祀りしましたので毎日拝んで居りました。其の後私は商業学校の一年生の暑中休暇の際即ち大正七年八月頃佐々木もんに連れられて京都府何鹿郡綾部町の大本々部に参拝し一週間滞在して大本の説く処を聞いて居りましたが其の間の講演では立替立直の大神業が始まつたと云ふ事でありました、而して日本と外国との戦争があり世界戦争が起り又は天災地変等によつて世界を日本が統一し日本の天皇が世界を統一せられ平和なみろくの世が出来る、直、王仁三郎は神示によつて神の教を宣伝普及して大神業の為に尽力して居る、大本信者は此神業に尽力する為に奉仕して居るのであり、大本は敬神尊重の団体であると申して居りましたので私は感動しました。私は当時商業学校の一年生であり、未だ十六歳でありましたので何の疑も持たず信じ神業に奉仕して尽力させて貰ひ度いと思ひましたので、帰郷してから母に私の気持を打明けました処母も承諾して呉れましたので大正七年十月前述の綾部の大本々部に行つて奉仕生活をする事になつたのであります。
  大本の発端沿革は明治三十年頃出口直事出口ナカ出口直(ナオ)は戸籍上は登録ミスにより「ナカ」という名前になっている。が大本と称し京都府何鹿郡綾部町字裏町の自宅に艮の金神を祀り祈祷禁厭等を始めたるに端を発しナカを教主(開祖)出口王仁三郎を教主補とする宗教類似の団体を結成し後出口スミを二代教主とし王仁三郎に於て事実上右団体を統轄し皇道大本又は大本と称し天照皇大神(大本皇大神)を主祭神としナカ及王仁三郎の各手記したる所謂筆先を神諭王仁三郎の著述に係る霊界物語を神示なりと宣伝して立替立直みろく神政成就を強調し綾部町本宮を主として祭祀の中心地南桑田郡亀岡町天恩郷を主として教義宣伝の根拠地と定め信者の獲得に努め来りたるものなりや。
  其の通り相違ありませぬ。
 大本の発端に付ては明治二十五年出口ナカが本宮村の自宅に於て神懸りとなり予言警告を発し之を筆先として書き、次で明治二十七年頃自宅に艮の金神を祀り筆先を書き尚病気平癒等の祈祷禁厭等をして居つたのでありまして、之れ等は史実課に於て調査して大正十年頃から大本歴史として編輯出版して居ります、先日来の公判に於ては父王仁三郎が申した通り相違ありませぬ。
  被告人は大本に入信後大正十一年四月内事係、大正十二年夏頃大本史実編纂部長、大正十三年三月大本教主補、同年九月大本海外宣伝部長に就任し大本運動に従事したるや。
  其の通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三回訊問調書第六問答及同第八問答中の記録第八四六丁以下同丁裏七行目迄を読み聞け、
  被告人は予審第三回訊問第六問答及第八問答に於て其の詳細に付斯様に供述し居るか如何。
  只今御読み聞かせになりました通り間違ありませぬ。
  大本に入信後大本に関する如何なる文献雑誌新聞等を読みたるや。
  沢山読んて居りますが其の詳細は予審で御取調を受けた際申上げた通りであります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三回訊問調書第十問答を読み聞け、
  被告人は予審第三回訊問第十問答に於て大本に入信後大本に関する文献等を斯様に読みたる供述し居るか此の通り相違なきや。
  只今御読み聞けになつた通り大本に関する文献雑誌新聞等を読んだ事は間違ひありませぬ。
  皇道大木に於ては如何なるものを教典とすや。
  先日の公判で父王仁三郎が申して居りた通りでありまして大本の教典は神諭と霊界物語であります、神諭には表神諭と裏神諭とありまして、表神諭は天之巻火之巻、裏神諭は裏神諭と題する単行本多満の礎、道之大本、玉の柱、第一編、道の栞、瑞能神歌に分れて居ります。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する証拠品中、
  証第一六二号
    神諭天之巻及火之巻
  証第四四号
    裏の神諭と題する単行本
  証第一、三二八号
    王仁文庫第六篇多満の礎
  証第一、三二八号中
    同第九篇道之大本
  証第五〇三号
    玉の柱第一篇道の栞
  証第三、六五八号及証第五五〇号
    霊界物語第一巻乃至第八十一巻
を展示し、
  大本教典たる表神諭及裏神諭並に霊界物語は之なるや。
  夫れに相違ありませぬ。
  表神諭には教祖ナカの筆先を記載し居るや。
  さ様であります。
  ナカの筆先中重要なるもののみを表神諭として編輯したるに非ずや。
  さ様であるとは思つて居りますが私は出版当時の事は知りませぬ。
  神諭天之巻火之巻に掲載してある教祖ナカの筆先は神示なりと信じ居りしや又は王仁三郎個人の意思も加はり作り上げられたるものと思ひ居たりや。
  私はナカの筆先は神示であると信じて居り王仁三郎個人の意思は全然這入つて居らぬと信じて居りました。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第五回訊問調書第八九問答を読み聞け、
  然し被告人は予審第五回訊問第八九問答に於てナカの筆先は神示に非ず王仁三郎がみろく神政を樹立し世界の統治者となりたいと云ふ欲望から書いたものである事に気付いたと斯様に供述し居るか如何。
  私は其の様に思つた事は之れ迄一度もありませぬでした。
 然るに予審に於ては幾度も斯うてはないか神懸りと云ふものはないと申されましたので私には説明をする余地がなかつたのであります、従つて神懸りが認められぬ事となりますれば人間の意思で書かれたものである事を認めねばならぬ事になりましたので只今御読み聞かせになつた通り認めたのであります。
  裏の神諭は王仁三郎の書きたるものなりや。
  さ様であります。
  右裏の神諭は神示なりや将又王仁三郎の創作なりや。
  之れも王仁三郎は神懸り状態にて書いたものであり、神示であり、王仁三郎個人の意思は加はつて居らぬと思つて居ります。
  然し被告人は予審第三十七回訊問第三問答に於ては父の書いた裏神論及神諭中に、出来るぞよ、なるぞよ、あるぞよ等神懸り口調で書いた記事は父王仁三郎が神様の道はこうであると云ふて書き神懸り口調を使はずに書いた処に父王仁三郎の意思智識で書きたるものにて裏神諭及表神諭は神様が王仁三郎の手を藉りて書いたものであると思ひませぬでしたと供述し居り、尚同第七回訊問第四問答に於ては裏の神諭に出て居る父の筆先は要するにみろく神政の成就を強調して居るもので神霊界に出て居る教祖の筆先の趣旨を言葉を変へて説明したるものなる事を知りましたと供述し居るか如何。
  夫れは前述の通りの事情によるもので私の信念に反する供述であります、口調の変つて居りますのは神の内流した場合即渾然神人一体の境地となつた際のものでありまして其の場合場合に依り異るものなのであります。
  霊界物語は如何なる目的にて発行したるものなるや。
  父王仁三郎の申して居つた通りてあると思ふて居ります、私は霊界物語は教祖の筆先の解釈本であり補充の本であると信じて居ります、又は先日の公判廷に於て神を喜ばす為に発行したものであると申して居りましたが私は之は真実に近い供述であると思ふて居ります、私は皇道の大義を表はしたい為に発行したものであると思ふて居ります。
  霊界物語は霊界の事に仮託して大本の主義主張を宣伝する為編輯発行したるものに非ずや。
  私は其の様には考へて居りませぬ。
  然し被告人は予審第八回訊問第二問答に於て霊界物語は霊界の事に仮託して大本の目的たるみろく神政成就を説いたもので同物語は皇道大本の主義主張目的等を大本信者及一般人に宣伝する目的で編輯発行したるものであると供述し居るか如何。
  仮託と云ふ言葉が私には使ひ得ぬ言葉であります、予審判事が神懸りを認めて呉れられませぬでしたから何とも弁解する事が出来なかつたのであります。
  霊界物語は神示なりや。
  私は霊界物語の中には神示である処が最も多いと思ふて居りますが総説とか序文とか或は他から引用した文章等は神示でない処もあると思ふて居ります。
  然し被告人は予審第八回訊問第四問答に於て右霊界物語は出口王仁三郎なる人間が教義の普及宣伝の目的を以て外山豊二外十数名に口述して原稿を書かせ印刷せしめ発行したものにして霊界物語に書きたる事柄は父が神憑り状態となり神示を口述したものでない事は第一巻発行当時から承知して居つた旨供述し居るか如何。
  御訊ねの通り申した様になつて居る事は間違ありませぬが神懸りが認められませぬでしたので総て私の主張が容れられなかつたが為其の様に供述した事になつて居るのであります。
  ナカ及王仁三郎は神懸り状態になりたる事ありや。
  初は神懸りなるもののある事を確信して来ました、教祖の事は噂を聞いた丈で教祖が神懸りになつた事を見た事はありませぬ、然し役員信者等から昔話を聞かされますと疑ふ余地はありませぬ。父王仁三郎も同様でありまして父が神懸りであつた事は多数の人から聞いた処によりますと父は明治三十何年頃に神懸りになつた際は飛び上りて居つたと言ふて居り又発動して居つたと申して居りました、私も父王仁三郎の神懸り状態を目撃した事は度々ありますが古い信者役員等から聞いた処によりますと父は神懸りになつても発動せず平静ではあつたが面貌態度音声等が平常とは異なつて居り或時は身体を震動して居つた事もあるが極めて緊張して居つたとの事であります、
 又私が霊界物語が人間的作品でない事を信じたのは父王仁三郎が霊界物語を口述して居るのを見て居つたからであります、私は大正十一年四月内事係として昼夜の別なく王仁三郎の側近に奉仕して居り霊界物語を口述して居るのを見て居りました、霊界物語を父が口述して居りました状況を申上げますと、父は多くの場合寝て口述して居り、其の側で筆録者が筆録して居りましたが、口述の速度は筆録者が筆録するのと同一でありまして淀みなく水の流れる如くであり、筆録者の手が馴れるに従つて一巻の原稿は二日間位であつたと思ふて居ります、筆録者の内でも松村が一番早かつたと思ふて居りますが一冊が二日で出来上つた事もありました。
 又口述中奇怪に感じたのは睡眠中に口述して居つた事でありまして口述の状態は覚醒して居る時と同一でありました、其の様な事は屡々私は見て居つたのでありまして其の状態が二、三十分も続いて居つた事がありました、そして目を醒してから前に口述した処を二、三行も読んで聞かせますと次を淀みなく口述しました、又父が睡眠中に口述した文は穏かであり名文であり歌等も良いものでありました、私は之を目撃して居りますので神懸り状態であつた事を確信して居るのであります、尚父は神懸りになりますと数分間絶息状態になつて居つた事があり少々呼んだ位では気が付かなかつた事がありました、其の後で気が付いてから綺麗であつたなあと云ふて霊界の様子を見て来て話して呉れた事もあります、大正十三年頃であつたと思ひますが、父王仁三郎は霊界物語を聞かねば寝られぬらしく私が音読して聞かせるのが仕事でありました、父は霊界物語を読むのを聞いて居つて呵笑しくて堪らぬ様に笑つた事もありました、
 又父は理窟ばつた事殺伐な事を嫌ひ諧謔が好きでありましたから之等を読んで貰つて居りましたが父としては初めて聞くと云ふ感であり、私が読違ひをしたり本に誤植して居る事も気付いて居つたらしく注意して呉れた事もあります、尚又私が読んで聞かせて居ります内に父は良く寝た様子でありましたから音読を止めますと、直ぐ目を醒し引続き読ませましたので徹夜して読まされた事は度々ありました、以上申しました如くでありますので私は神懸りを確信して居るのであります。
  王仁三郎が裏神諭を書いた際も右と同様なりしや。
  私は父が裏神諭を書いた処は見て居りませぬから如何であつたか知りませぬが裏神諭も神示であると信じて居ります。
  被告人は予審第八回訊問第七問答に於て内事係となりて以来王仁三郎が神懸り状態になつたる事を見たる事なき旨供述し居るが如何。
  御訊ねの通り述べた事になつて居りますが前に申しました通り神懸が認められませぬでしたから述べる事が許されなかつたのであります。
  大本に於ては教義宣伝の為右教典の飜読を奨励し居たるや。
  其の通り相違ありませぬ。
  大本に於ては教義の疑点に付ては自ら信者が自分で研究し覚へる様な仕組に致し居りしや。
  大本教義の疑点に付ては別に回答したり指導したりした事はありませぬが筆先や霊界物語の精神に付ては大祥毆に於て講義して居りました。
  教義の疑点に付ては説明せず信者同志研究し居らざりしや。
  大本教義は簡単でありますから疑問は生じなかつたと思ふて居ります、筆先及霊界物語に付て感じた事は筆先は総て霊界の事を説かれたものであると思ふて居りました、筆先の中に「綾部宜くなりて末で都と致すぞよ福知山舞鶴は外囲い十里四方は宮の内云々」と云ふのがありますが之は現実に現はれるのであります、綾部の大本で神様を御祀りして居るので神様から見られるのである僅かの神饌物を上げても真心次第で祝詞の如く大きく見られると云ふて居ります、私は之等を読んで一層其の感を深くしたのであり地上の事も目を通して見ねばならぬ如く神も霊界の事を見られるのである事を知りました、仮りに之れが現界の事を書いて居るにしても神の見られた現界であつて人間の見た現界とは違つて居る事を信じました、又父は筆先は艮の金神が書いたのであるが色々の神の台詞(セリフ)書いてある之れが何れの神の言葉であるか判らねばならぬ、筆先の中には言葉の脱落した処があるが、夫れは自分でなければ判らぬと申して居りました、夫れで私は筆先は判らぬのが当然である父の解釈を通して知らねばならぬと思ふて居つたのであります、
 又霊界物語に付ても判らぬ処があります、即霊界は現界現界の霊界「霊界は現界現界の霊界」は底本通り。意味不明。等があり時間空間を超越して居るからでありまして霊界物語は真の霊界の物語であると思ふて居りました、之を分析したり解釈し系統立てたり研究的態度を執つては無理である理窟を教へるのではない面白く読んだら良いのであると父は申して居り研究的態度を取る事を戒めて居り三味を使ひ歌は節をつけて面白く読ませて居りました、従つて霊界物語の拝読の会としても面白く音読する会であつたのでありまして神語等を読んでも理窟的な所を読んでは判らぬものがあり童心で読まねば判らぬのであります、霊界物語を面白く読んで居れば心明るくなり豊な気持となるものであり気分の悪い時に読むと気分が変るものであり病人等に読ませると効果があります、私は霊界物語を読んで居る内に心の立替立直大洗濯が出来惟神の道に導かれて行くものであり霊界物語は神示によりて書かれたるものであると解して居つたのであります。
  筆先及霊界物語が右述べた如く難解なるものとすれば講義或は其の他の方法により本当の意味を教へ遺るべきものに非ずや。
  私の考へとしては霊界物語は今申した通りでありますが為に勝手な解釈をすべきではなく父が教へて呉れなかつたら判つて居る丈を読んで居つたら良いと思ふて居り、大本教義は教へて居るのでありますから之と対照して筆先及霊界物語を読んで誤解なき様せねばならぬと思ふて居つたのであります。
  誤解を生ずる処ありとせば当然真意を説明すべきに非ずや。
  私等も判らぬ処がありましたら父に訊ねて次で何かの形式によつて一般に発表して居つたのであります、私等が積極的な態度を執らなかつたのは皇道を主張して居る事を信じて居つたからであります。
 裁判長は、
  本日は此の程度とし爾余の審理は続行す。
  次回期日を来る八月十五日午前八時と指定し訴訟関係人に出頭を命じ閉廷したり
   昭和十三年八月十三日
   京都地方裁判所第一刑事部
        裁判所書記 大西正紀
        同     南武雄
        裁判長判事 庄司直治
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