他方王仁三郎は大正八年頃より自己が五十六歳七ケ月に達したる際、みろく菩薩として出現し現世の大革正を行ひみろく神政を成就せしむべき旨予言し、昭和二年十二月頃に至り昭和三年三月三日が恰も之に相当する日なりとしてみろく大祭を執行し、同人がみろく菩薩として諸面諸菩薩を率ゐ、此の世に出現すと称し之に象りて祭典を行ひ其の際出口王仁三郎を中心とし大本の根本目的の真相を了知し大本の為献身的に活動し居りたる二代教主出口スミ及右諸面諸菩薩に擬すべき大本幹部十数名と共に、前記大本教義に基き我国体を変革することを目的とする結社を組織し、該不逞企図達成の為本格的活動を開始せんことを決意し、昭和三年二月上旬より右みろく大祭の準備を為し其の間諸面諸菩薩として大本最高幹部なる被告人出口伊佐男、同井上留五郎、同高木鉄男、同御田村竜吉、同東尾吉三郎、同湯浅斎治郎、同桜井同吉、同西村昂三及出口元男、出口遙、亡湯川貫一、岩田久太郎、四方平蔵、梅田信之、中野岩太、出口慶太郎、栗原七蔵の十七名を選定し、同年三月二日夜同人等を前記綾部町本宮の教主殿に招集し同所に於て偶遅刻したる井上留五郎を除く右十六名及其の場に出席したる被告人出口スミに対し、
一、明三日自分が愈みろく菩薩として諸面諸菩薩を率ゐ、此の世に下生しみろく神政成就の為現界的活動を為すことと為りたるよりみろく大祭を執行する旨
一、諸面諸菩薩は前記十七名なるを以て至聖殿に昇殿すべき旨
一、明日以後の大本は立替立直したる大本にして、其の活動は従来の活動の継続に非ざるを以て大本幹部の役職員は従来の役職を返上し翌三日一日間無役と為り、同月四日王仁三郎自ら大本総裁等に就任し、他の役職員はそれ以下の地位若くは従前通りの役職に夫々新任せらるべき旨
の意向を告げ且其の後引続き開かれたる総務会議の席上に於て他人を介し、右王仁三郎の意向を了知したる井上留五郎を加へ以て王仁三郎より同人等に対し、翌三日のみろく大祭に寓意し、同大祭を期として従来の宗教類似団体たる大本を解散し前記の者等と結束し、新に前記目的を有する大本なる結社を組織し積極的にみろく神政成就に邁進せんとする趣旨の内意を示したるに右スミ、伊佐男、留五郎、鉄男、竜吉、吉三郎、斎治郎、同吉、昂三及亡貫一等に於て孰れも右王仁三郎の意中を諒して其の挙に賛同し
次で同月三日右綾部町本宮の至聖殿及みろく殿に於てみろく大祭を執行し、みろく菩薩として出現したりとする王仁三郎がスミ及右諸面諸菩薩に擬したる者等を随へて至聖殿に昇殿し、王仁三郎先達の下に儀式を行ひ被告人王仁三郎、スミ、伊佐男、留五郎、鉄男、竜吉、吉三郎、斎治郎、同吉、昂三及亡貫一等一同は神前に於て相互に一致団結して大本の所謂みろく神政成就の為一層献身的活動を為すべき旨を相共に誓ひ合ひ、茲に王仁三郎を首班として万世一系の天皇を奉戴する大日本帝国の立憲君主制を廃止して、出口王仁三郎を独裁君主とする至仁至愛の国家建設を目的とせる大本と称する結社を組織するに至り、
翌三月四日出口王仁三郎に於て該結社たる大本の総裁等の役職に就くと共に、右綾部町本宮及亀岡町天恩郷に於ける各役職員を任命する等新なる大本(昭和八年一月皇道大本と改称す)の組織内容を整備したるが爾来大本は其の活動方針として外見上従来の類似宗教団体と何等変るところなきものの如く装ひ、主祭神及宗教的式典並設備等全然以前の大本に於けるものを踏襲し、神道類似の違法性なき宗教団の名目の下に隠れて活勤し
曩に宗教類似団体の宣伝機関として存在したる大本瑞祥会、エスペラント普及会、明光社、人類愛善会等を裏面に於て新結社大本の目的達成の為の宣伝機関として利用し、益々之が拡張を図ると共に更に活動機関若くは補助機関として表面合法団体を装へる昭和青年会(昭和六年十月十八日創立)、大日本武道宣揚会(昭和七年八月十五日創立)、昭和坤生会(昭和七年十一月一日創立)、昭和神聖会(昭和九年七月二十二日創立)、等を創設し、之が拡大に努め
諸種の機関紙其の他の文献を発行し、其の記事内容に於て又各種の講演及座談会等に於て従前の如き粉飾せる大本の主義思想を極力鼓吹し、以て真目的を隠蔽し一面世人をして大本を敬神尊皇愛国の教団の如く思惟共鳴せしめ信者を獲得したる上之に霊界物語其の他大本文献の熟読方を奨励し、且諸種の講演其の他を聴取する等の手段に依り、漸次大本の密意及不逞結社の存在を覚知し該結社の目的達成の為活躍するに至らしめて、右結社の拡大強化を図りたる結果、昭和十年十二月上旬には別院二十七個所、分院三十九個所、主会約三十四会、聯合会約百四十数会、分所支部約千九百数十個所、信者約十万人を算するに至りたるものにして、