霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第五章 親子(おやこ)奇遇(きぐう)〔七一七〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第23巻 如意宝珠 戌の巻 篇:第2篇 恩愛の涙 よみ(新仮名遣い):おんあいのなみだ
章:第5章 親子奇遇 よみ(新仮名遣い):おやこきぐう 通し章番号:717
口述日:1922(大正11)年06月10日(旧05月15日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年4月19日
概要: 舞台:木山の里 あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
秋彦と駒彦の宣伝使は、日高山の山奥に滝があると聞き、荒行をなそうとやってきた。滝の側には竜神の祠があり、社の周りには、立派な実をつけた柿の木が生えている。これは竜神の柿といわれていた。
二人は社の前で鎮魂をしていたが、うまそうな匂いに、鎮魂が終わると柿をむしって食った。すると社が鳴動して怒鳴りつけられ、二人は驚いて元来た道を逃げて行った。
夜が明けると、谷川で衣を洗う白髪異様の婆がいた。見ると、婆の頭からべっこうのような角が二本生えている。二人は谷を通らなければならないので、用心しながら近づいて婆に声をかけた。
婆は驚いて二人を見ると、いきなり二人を泥棒呼ばわりし始めた。秋彦が憤慨すると、婆は先日、バラモン教の宣伝使だという二人連れが泊り込んだが、夜中に強盗を働き、一人娘を殺して金品を奪っていったのだ、と答えた。
そしていきなり娘の敵、と二人に飛びかかろうとする。駒彦は、自分たちは三五教の宣伝使だ、と言い返し、鬼婆の報いとして自分の子を取られたのだろう、と諭した。
駒彦が、自分は元の名を馬という紀の国生まれの者だ、と言うと、婆は何か心当たりがあるものらしく、態度を変えて自分の家へ来てくれと二人に頼んだ。婆の角は、泥棒を脅して寄せ付けないように被っていただけであった。
秋彦は合点がゆかず、婆の家に入らず表で警護をしている。家の中では爺がいて、前のようなことがあるから旅人は泊めないと言うが、婆は紀の国出身で息子と同じ名前だというから連れて来た、と答えた。
爺が駒彦に生まれのことを尋ねると、駒彦は小さい頃に天狗にさらわれたが、自分が持っていた守り袋に常、久という字があり、自分の名前は馬楠と書いてあったのだ、と明かした。
その話で、駒彦は爺・常楠と婆・お久の息子であることがわかった。三人は涙にむせぶ。家の外で話を聞いていた秋彦も、入ってきて駒彦が両親に対面できたことを喜び、感謝の祝詞を唱えた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-06-25 18:28:58 文字数:5931 OBC :rm2305
愛善世界社版:79頁 八幡書店版:第4輯 522頁 修補版: 校定版:81頁 普及版:36頁 初版: ページ備考:
001三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)
002秋彦(あきひこ)駒彦(こまひこ)両人(りやうにん)は
003言依別(ことよりわけ)の御言(みこと)もて
004天(あめ)の真浦(まうら)の宣伝使(せんでんし)
005其(その)心力(しんりよく)を試(ため)さむと
006人(ひと)の尾(を)峠(たうげ)の山麓(さんろく)に
007姿(すがた)をやつして雪(ゆき)の空(そら)
008茲(ここ)に三人(みたり)は宇都山(うづやま)の
009武志(たけし)の宮(みや)の社務所(ながとこ)に
010暫(しば)し休(やす)らひ神司(かむづかさ)
011松鷹彦(まつたかひこ)に巡(めぐ)り会(あ)ひ
012秋彦(あきひこ)駒彦(こまひこ)両人(りやうにん)は
013天(あめ)の真浦(まうら)を深雪(みゆき)降(ふ)る
014岸(きし)の上(うへ)より突落(つきおと)し
015東(ひがし)を指(さ)して進(すす)み行(ゆ)く
016神(かみ)の恵(めぐみ)に近江路(あふみぢ)や
017比叡山(ひえいざん)颪(おろし)を浴(あ)び乍(なが)ら
018大津(おほつ)伏見(ふしみ)を乗(の)り越(こ)えて
019小舟(こぶね)を用意(しつら)ひ淀(よど)の川(かは)
020川幅(かははば)さへも枚方(ひらかた)の
021浦(うら)に漸々(やうやう)舟(ふね)止(とど)め
022浪速(なには)の里(さと)を右(みぎ)に見(み)て
023堺(さかひ)岸和田(きしわだ)佐野(さの)深日(ふけい)
024紀(き)の川(かは)渡(わた)り和歌山(わかやま)を
025何時(いつ)しか過(す)ぎて日高川(ひだかがは)
026やうやう川辺(かはべ)に着(つ)きにけり。
027 日(ひ)は漸(やうや)くに暮(く)れて来(き)た。028旬日(じゆんじつ)の雨(あめ)に川(かは)は濁水(だくすゐ)漲(みなぎ)り、029渡舟(わたしぶね)を出(だ)す由(よし)もない。030二人(ふたり)は已(や)むを得(え)ず後(あと)へ引返(ひきかへ)し、031日高山(ひだかやま)の山奥(やまおく)に滝(たき)ありと聞(き)き、032暫(しば)し川水(かはみづ)の減(ひ)く迄(まで)荒行(あらぎやう)をなさむと、033月(つき)の光(ひかり)を力(ちから)に、034山奥(やまおく)深(ふか)く進(すす)み入(い)る。035滝(たき)の辺(ほとり)には小(ちひ)さき祠(ほこら)があつて、036竜神(りうじん)が祀(まつ)られてある。037此(この)社(やしろ)の周辺(まはり)には不思議(ふしぎ)にも立派(りつぱ)な柿(かき)の実(み)が、038枝(えだ)もたわわにぶら下(さが)つて居(ゐ)る。039人(ひと)も取(と)らねば烏(からす)も取(と)らない。040竜神(りうじん)の最(もつと)も寵愛(ちやうあい)の柿(かき)と称(とな)へられて居(を)る。041二人(ふたり)は夜中(よなか)に人(ひと)の足跡(あしあと)に研(と)ぎすまされた路(みち)を辿(たど)り、042漸(やうや)く滝(たき)の傍(そば)に着(つ)いた。043手早(てばや)く衣類(いるゐ)を脱(ぬ)ぎ棄(す)て、044滝水(たきみづ)に体(からだ)を清(きよ)め、045祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)し終(をは)つて、046社(やしろ)の前(まへ)に端坐(たんざ)し、047鎮魂(ちんこん)の姿勢(しせい)を執(と)つた。048たわむ許(ばか)りの柿(かき)の枝(えだ)は折柄(をりから)の強風(きやうふう)に煽(あふ)られて二人(ふたり)の体(からだ)を撫(な)でて居(ゐ)る。049二人(ふたり)は美味(うま)さうな匂(にほ)ひに、050鎮魂(ちんこん)を終(をは)り、051てんでにむしつて飽(あく)まで食(く)つた。052忽(たちま)ち社殿(しやでん)は鳴動(めいどう)し始(はじ)めた。053其(その)声(こゑ)は時々(じじ)刻々(こくこく)に強大(きやうだい)となり地響(ぢひび)きがし出(だ)した。
054秋彦(あきひこ)『ヤアどうやら地震(ぢしん)らしいぞ』
055駒彦(こまひこ)『ナアニ、056地震(ぢしん)ではない。057余(あま)り烈(はげ)しき鳴動(めいどう)で地響(ぢひび)きがして居(ゐ)るのだ。058それに就(つい)ても我々(われわれ)が此(この)柿(かき)を取(と)つて食(く)ふが早(はや)いか、059此(この)社殿(しやでん)が鳴動(めいどう)し始(はじ)めたぢやないか。060神(かみ)様(さま)は惜(をし)んで御座(ござ)るのではあるまいかなア』
061秋彦(あきひこ)『ナニこれ丈(だけ)沢山(たくさん)の柿(かき)、062五(いつ)つや十(とを)食(く)つた所(ところ)で、063吾々(われわれ)でさへも惜(をし)まないのだから、064況(ま)して神(かみ)様(さま)は人間(にんげん)が喜(よろこ)んで食(く)ふのを、065御(ご)立腹(りつぷく)なさる道理(だうり)がない。066人間(にんげん)が食(く)ふ為(ため)に出来(でき)て居(ゐ)るのだ。067そんな事(こと)は有(あ)るまい』
068 社殿(しやでん)はますます鳴動(めいどう)烈(はげ)しくなり、069何(なん)とも知(し)れぬ厭(いや)らしき声(こゑ)で呶鳴(どな)りつけられる様(やう)な気(き)がして、070知(し)らず知(し)らずに二人(ふたり)は怖気(おぢけ)づき、071『惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』と称(とな)へ乍(なが)ら、072元来(もとき)し路(みち)を倒(こ)けつ転(まろ)びつ逃(に)げて行(ゆ)く。073夜(よ)は漸(やうや)く明(あ)け放(はな)れた。074谷川(たにがは)の清(きよ)き水(みづ)に衣(ころも)を洗(あら)ふ白髪(はくはつ)異様(いやう)の婆(ばば)がある。
075秋彦(あきひこ)『駒彦(こまひこ)さま、076向(むか)ふを見(み)よ。077出(で)よつたぜ』
078駒彦(こまひこ)『ヤア本当(ほんたう)に、079怪体(けたい)な奴(やつ)が居(を)るぢやないか。080何(なに)か洗濯(せんたく)をして居(を)るやうだ。081此(この)山奥(やまおく)に人家(じんか)も無(な)いのに、082あんな年(とし)の老(よ)つた老婆(ばばあ)が洗濯(せんたく)して居(ゐ)るとは、083チツと合点(がつてん)が行(ゆ)かぬ、084此奴(こいつ)ア何者(なにもの)かの化物(ばけもの)かもしれないぞ。085用心(ようじん)せなくてはなろまい』
086秋彦(あきひこ)『谷(たに)と谷(たに)とに挟(はさ)まつた一筋路(ひとすぢみち)の所(ところ)に居(ゐ)るのだから、087どうしても通(とほ)らぬ訳(わけ)にも行(ゆ)かず、088思(おも)ひ切(き)つて行(い)つて見(み)ようかなア』
089駒彦(こまひこ)『何(いづ)れ行(ゆ)かねばならぬ道程(だうてい)だが、090マア一寸(ちよつと)考(かんが)へて行(ゆ)く事(こと)にせう。091強(つよ)く行(ゆ)くか、092弱(よわ)く行(ゆ)くか、093それから一(ひと)つ定(き)めて行(ゆ)かうぢやないか』
094秋彦(あきひこ)『兎(と)も角(かく)臨機(りんき)応変(おうへん)、095其(その)時(とき)の都合(つがふ)にしよう』
096と薄気味(うすきみ)悪(わる)く、097歩(あゆ)みもはかばかしからず、098厭(いや)相(さう)に一歩(いつぽ)々々(いつぽ)進(すす)んで行(ゆ)く。099見(み)れば婆(ばば)の頭(あたま)の白髪(しらが)から鼈甲(べつかふ)の様(やう)な角(つの)が前(まへ)の方(はう)へニユーツと曲(まが)つて二本(にほん)、100高低(たかひく)なしに行儀(ぎやうぎ)よく八(はち)の字(じ)を逆様(さかさま)にした様(やう)に生(は)えて居(ゐ)る。
101秋彦(あきひこ)『オイ駒彦(こまひこ)、102此奴(こいつ)ア弱(よわ)く行(ゆ)けば付(つ)け込(こ)まれる。103強(つよ)く行(ゆ)けば怒(おこ)つてかぶりつくかも知(し)れない。104兎(と)も角(かく)滑稽(こつけい)で婆(ばば)アの腮(あご)を解(と)いて通(とほ)る事(こと)にしようかい。105それに就(つい)ては秋彦(あきひこ)、106駒彦(こまひこ)では面白(おもしろ)くない。107元(もと)の馬公(うまこう)、108鹿公(しかこう)に、109名(な)だけ還元(くわんげん)して掛合(かけあ)つて見(み)よう』
110駒彦(こまひこ)『それが宜(よ)からう』
111と小声(こごゑ)に言(い)ひ乍(なが)ら、112婆(ばば)の間近(まぢか)に近寄(ちかよ)つて来(き)た。113婆(ばば)は聾(つんぼ)と見(み)えて、114二人(ふたり)の足音(あしおと)に気(き)が付(つ)かぬものの如(ごと)く、115一生(いつしやう)懸命(けんめい)に血(ち)の付(つ)いた衣(きぬ)を洗(あら)うて居(ゐ)る。
116秋彦(あきひこ)『モシモシお婆(ば)アさま……コレお婆(ば)アさま』
117と後(あと)の一声(ひとこゑ)に力(ちから)をこめて高(たか)く呶鳴(どな)つた。118婆(ば)アさんは一生(いつしやう)懸命(けんめい)に見向(みむ)きもせず、119洗(あら)うて居(ゐ)る。
120秋彦(あきひこ)『ハハア此奴(こいつ)ア聾(つんぼ)だ。121併(しか)し随分(ずゐぶん)厭(いや)らしい婆(ばば)だ。122彼処(あこ)を渡(わた)らねば向(むか)うへ行(ゆ)く事(こと)は出来(でき)ず困(こま)つた事(こと)だなア。123暫(しばら)く後(あと)へ引返(ひきかへ)し、124婆(ばば)アが洗濯(せんたく)を済(す)まして帰(かへ)るまで待(ま)つことにせうかい』
125駒彦(こまひこ)『イヤもう一歩(ひとあし)も後(あと)へ帰(かへ)る事(こと)は出来(でき)ない。126あれ丈(だけ)鳴動(めいどう)しられ、127厭(いや)らしい声(こゑ)で呶鳴(どな)られては、128堪(たま)つたものぢやないからな』
129秋彦(あきひこ)『それだと云(い)うて進(すす)む訳(わけ)にも行(ゆ)かず、130進退(しんたい)谷(きは)まるぢやないか』
131駒彦(こまひこ)『そこが宣伝使(せんでんし)だ。132神(かみ)様(さま)のお力(ちから)で突破(とつぱ)するのだ。133鬼婆(おにばば)に喰(く)はれた所(ところ)で構(かま)はぬぢやないか』
134秋彦(あきひこ)『こんな奴(やつ)に食(く)はれて堪(たま)るものか。135お道(みち)の為(ため)に生命(いのち)を棄(す)てるのは苦(くる)しうないが、136鬼婆(おにばば)の餌食(ゑじき)になつちや宣伝使(せんでんし)も駄目(だめ)だ。137聾(つんぼ)を幸(さいは)ひ、138ソツと背後(うしろ)から往(い)つて、139婆(ばば)を突(つ)つこかし、140其(その)間(ま)に駆歩(かけあし)で進(すす)まうぢやないか』
141駒彦(こまひこ)『オウさうだ。142たかが知(し)れた婆(ばば)アの一人(ひとり)、143此方(こちら)は二人(ふたり)の荒男(あらをとこ)だ。144併(しか)し乍(なが)ら騙討(だましうち)は面白(おもしろ)くない。145婆(ばば)アに断(ことわ)つて通(とほ)らして貰(もら)はう。146万一(まんいち)通(とほ)さぬと言(い)ひよつたら、147其(その)時(とき)こそ我々(われわれ)は死物狂(しにものぐる)ひだ』
148と言(い)ひ乍(なが)ら、149婆(ばば)アの狭(せま)い谷川(たにがは)に塞(ふさ)がつて居(ゐ)る側近(そばちか)く寄(よ)り、150俯(うつむ)いて居(ゐ)る腰(こし)を恐(こは)さうに押(お)し乍(なが)ら、
151駒彦(こまひこ)『コレコレお婆(ば)アさま、152此処(ここ)を通(とほ)して下(くだ)さい』
153と揺(ゆす)つて見(み)た。154婆(ば)アさまは驚(おどろ)いて二人(ふたり)の顔(かほ)を打(う)ちまもり、
155婆(ばば)(お久)『ヤアお前(まへ)はそんな風(ふう)をして、156山賊(さんぞく)を働(はたら)いて居(ゐ)るのか。157此(この)婆(ばば)はお前(まへ)の見(み)かけの通(とほ)り何一(なにひと)つ持(も)つて居(ゐ)ないぞ』
158駒彦(こまひこ)『オイ婆(ばば)ア、159お前(まへ)は耳(みみ)が聞(きこ)えぬのか』
160と耳(みみ)の辺(はた)へ口(くち)を寄(よ)せ、161力(ちから)一杯(いつぱい)呶鳴(どな)りつけた。162婆(ば)アさんはビツクリして、
163婆(ばば)(お久)『エヽやかましいがな。164聾(つんぼ)か何(なん)ぞの様(やう)に、165そんな大(おほ)きな声(こゑ)で耳(みみ)のはたで云(い)ふものぢやない。166鼓膜(こまく)が破(やぶ)れて了(しま)うぢやないか』
167駒彦(こまひこ)『鬼婆(おにばば)ア、168お前(まへ)耳(みみ)が聞(きこ)えるのか』
169婆(ばば)(お久)『聞(きこ)えるとも、170耳(みみ)の無(な)いものならイザ知(し)らず、171此(この)通(とほ)り二(ふた)つの耳(みみ)があるぢやないか。172聞(きこ)えぬ耳(みみ)なら、173誰(たれ)がアタ邪魔(じやま)になる、174顔(かほ)の両側(りやうがは)にひつつけて置(お)くものかい。175訳(わけ)の分(わか)らぬ泥棒(どろばう)ぢやなア』
176秋彦(あきひこ)『是(こ)れは怪(け)しからぬ。177我々(われわれ)を泥棒(どろばう)とは何(なん)の事(こと)だ』
178婆(ばば)(お久)『それでも蓑笠(みのかさ)を着(き)たり金剛杖(こんごうづゑ)を突(つ)いとる奴(やつ)は皆(みんな)泥棒(どろばう)だよ。179此(この)間(あひだ)もバラモン教(けう)の宣伝使(せんでんし)ぢやとか云(い)つて、180老爺(ぢい)と婆(ばば)アと娘(むすめ)と三人(さんにん)連(づ)れの所(ところ)へ、181二人(ふたり)の奴(やつ)が泊(とま)り込(こ)み、182夜(よる)の夜中(よなか)を見済(みす)まして、183此(この)婆(ばば)アや爺(おやぢ)どのを柱(はしら)にひつ括(くく)り、184一人(ひとり)の娘(むすめ)を調裁坊(てうさいばう)に致(いた)し、185年寄(としよ)りの蓄(た)めた金(かね)をスツクリふんだくり、186終局(しまひのはて)にや娘(むすめ)を嬲殺(なぶりごろ)しにして帰(かへ)りやがつた。187大方(おほかた)お前(まへ)も其奴(そいつ)等(ら)の同類(どうるゐ)だらう。188あんまり胸糞(むねくそ)が悪(わる)いので、189お前(まへ)達(たち)二人(ふたり)がコソコソ話(ばなし)をやつて居(を)つたが聞(き)かぬ振(ふ)りをして居(を)つたのだ。190モウ斯(こ)うなる上(うへ)は讎敵(かたき)の片割(かたわ)れだ。191皺腕(しわうで)の続(つづ)く限(かぎ)り格闘(かくとう)して喉笛(のどぶえ)の一(ひと)つも喰(く)ひ切(き)らねば置(お)かぬ。192サアどうだ』
193秋彦(あきひこ)『これはこれは怪(け)しからぬ事(こと)を仰有(おつしや)る。194併(しか)しお前(まへ)さまは頭(あたま)に角(つの)を生(は)やして居(ゐ)るからは、195人(ひと)を取(と)り喰(くら)ふ日高山(ひだかやま)の鬼婆(おにばば)だらう』
196婆(ばば)(お久)『きまつた事(こと)だ。197鬼婆(おにばば)だから角(つの)が生(は)えとるのぢや。198サア其処(そこ)へ平太(へた)れ。199此(この)婆(ばば)が荒料理(あられうり)をして娘(むすめ)の仇(かたき)を討(う)つてやらう』
200駒彦(こまひこ)『コラ婆(ばば)、201何(なに)を吐(ぬか)しやがるのだ。202俺(おれ)は三五教(あななひけう)の馬公(うまこう)と云(い)ふ宣伝使(せんでんし)だぞ。203泥棒(どろばう)なんて……馬鹿(ばか)にするな。204さうして貴様(きさま)の娘(むすめ)なればヤツパリ鬼娘(おにむすめ)だらう。205日頃(ひごろ)人(ひと)を喰(くら)ふ酬(むく)いで吾(わが)子(こ)を取(と)られたのだらう。206鬼子(きし)母神(ぼじん)と云(い)ふ奴(やつ)は、207千(せん)人(にん)の子(こ)が有(あ)る癖(くせ)に、208人(ひと)の子(こ)を奪(と)つて喰(くら)ひよつた奴(やつ)だが、209或(ある)時(とき)に神(かみ)様(さま)から、210千(せん)人(にん)の中(なか)の一人(ひとり)の子(こ)を隠(かく)されて、211朝(あさ)から晩(ばん)まで泣(な)き通(とほ)し、212それから…わしは千(せん)人(にん)も子(こ)がある中(なか)にタツタ一人(ひとり)失(うしな)つても是(こ)れ丈(だけ)悲(かな)しいのだ、213況(ま)して人間(にんげん)は三(さん)人(にん)や五(ご)人(にん)、214多(おほ)うて十(じふ)人(にん)位(くらゐ)の子(こ)を一人(ひとり)取(と)られたら悲(かな)しからうと云(い)つて、215改心(かいしん)しよつて立派(りつぱ)な仏(ほとけ)になつたと云(い)ふ事(こと)だが、216貴様(きさま)も子(こ)を取(と)られて悲(かな)しい事(こと)がわかれば、217是(こ)れから人間(にんげん)の子(こ)であらうが、218親(おや)であらうが、219決(けつ)して取(と)り喰(くら)うてはならぬぞ』
220婆(ばば)(お久)『ホヽヽヽヽ、221わしを鬼婆(おにばば)と云(い)ふのか、222そしてお前(まへ)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)ぢやなア、223宣伝使(せんでんし)なら、224鬼婆(おにばば)か普通(あたりまへ)の婆(ばば)アか分(わか)りさうなものぢやないか』
225駒彦(こまひこ)『それでも頭(あたま)に角(つの)の生(は)えてる奴(やつ)は鬼(おに)ぢやないか。226俺(おれ)は斯(こ)う見(み)えても、227元(もと)は馬(うま)さんと云(い)つて、228紀(き)の国(くに)の生(うま)れ、229様子(やうす)あつて都(みやこ)へ出(い)で、230立派(りつぱ)な宅(うち)に召使(めしつか)はれ、231追々(おひおひ)出世(しゆつせ)し、232今(いま)は押(お)しも押(お)されもせぬ宣伝使(せんでんし)様(さま)ぢや。233どうして見損(みそこな)ひをするものかい。234そんな有耶(うや)無耶(むや)の事(こと)を言(い)つて、235俺(おれ)を誤魔化(ごまくわ)さうと思(おも)つても駄目(だめ)だぞ』
236婆(ばば)(お久)『ナニツ、237お前(まへ)は紀(き)の国(くに)の生(うま)れ……都(みやこ)へ奉公(ほうこう)に行(い)つて居(を)つたと……それは妙(めう)な事(こと)を聞(き)くものだ。238さうしてお前(まへ)の名(な)は馬(うま)ぢやないか』
239駒彦(こまひこ)『さうぢや、240馬(うま)と云(い)つたのぢや。241それが如何(どう)したと云(い)ふのだい』
242婆(ばば)(お久)『一寸(ちよつと)此方(こちら)に心当(こころあた)りがあるから、243婆(ばば)の宅(うち)まで来(き)て貰(もら)へまいかな』
244秋彦(あきひこ)『オイオイ駒彦(こまひこ)、245しつかりせよ。246計略(けいりやく)に懸(かか)るぞよ』
247婆(ばば)(お久)『疑(うたが)ひなさるな。248爺(ぢ)イと婆(ば)アと二人(ふたり)暮(ぐら)しだ。249一人(ひとり)の兄(あに)は幼(をさな)い時(とき)に天狗(てんぐ)にさらはれて、250何処(どこ)かへ連(つ)れて行(ゆ)かれたきり今(いま)に帰(かへ)つて来(こ)ず、251一人(ひとり)の妹娘(いもうとむすめ)は泥棒(どろばう)に二三(にさん)日前(にちぜん)生命(いのち)を奪(と)られ、252爺婆(ぢぢばば)二人(ふたり)が面白(おもしろ)からぬ月日(つきひ)を送(おく)つて居(ゐ)るのだ。253小(ちひ)さい宅(うち)だけれど、254滅多(めつた)に食(く)はうとも、255呑(の)まうとも云(い)はぬ。256尋(たづ)ねたい事(こと)が有(あ)るから来(き)て下(くだ)され』
257 駒彦(こまひこ)は双手(もろて)を組(く)み首(くび)を傾(かたむ)け、258婆(ばば)アの顔(かほ)を熟々(つくづく)と眺(なが)めて居(ゐ)る。
259駒彦(こまひこ)『オイ婆(ばば)ア、260其(その)角(つの)は何時(いつ)から生(は)えたのかい』
261婆(ばば)(お久)『オホヽヽヽ、262あまり泥棒(どろばう)が出(で)て来(き)よるので、263用心(ようじん)の為(ため)に鹿(しか)の角(つの)を頭(あたま)にひつ付(つ)けて鬼(おに)に見(み)せて居(を)るのだ。264それ此(この)通(とほ)り……』
265と無雑作(むざふさ)に二本(にほん)の角(つの)を引(ひき)むしつて見(み)せる。
266秋彦(あきひこ)『アハヽヽヽ、267ヤア是(こ)れで一寸(ちよつと)は安心(あんしん)だ。268さうするとヤツパリ鬼婆(おにばば)ではなかつたらしいな。269コレコレ婆(ば)アさま、270お前(まへ)のお宅(たく)は何処(どこ)だ』
271婆(ばば)(お久)『そこへニユツと突(つ)き出(で)て居(を)る大(おほ)きな岩(いは)を、272クルツと廻(まは)ると、273炭焼(すみやき)小屋(ごや)の様(やう)な家(いへ)がある。274そこが妾(わし)の住家(すみか)だ。275此(この)村(むら)は七八軒(しちはつけん)の所(ところ)だが、276近所(きんじよ)へ行(ゆ)くと云(い)つても一(いち)里(り)位(くらゐ)行(ゆ)かなならぬのだから不便(ふべん)なものだ。277サアどうぞ婆(ばば)の宅(うち)まで来(き)て下(くだ)さい』
278駒彦(こまひこ)『何(なに)は兎(と)もあれ、279お婆(ば)アさま、280従(つ)いて参(まゐ)りませう』
281 婆(ばば)はニコニコし乍(なが)ら先(さき)に立(た)ち帰(かへ)つて行(ゆ)く。282駒彦(こまひこ)は何(なに)か心(こころ)に当(あた)るものの如(ごと)く首(くび)を頻(しき)りに左右(さいう)にかたげ乍(なが)ら従(つ)いて行(ゆ)く。283あとより秋彦(あきひこ)は不審(ふしん)相(さう)に二人(ふたり)の姿(すがた)を看守(みまも)りつつ、284二三間(にさんげん)遅(おく)れて、285厭(いや)相(さう)に進(すす)んで行(ゆ)く。286山(やま)の鼻(はな)にヌツと突出(つきで)た岩(いは)の麓(ふもと)を廻(まは)はると、287七八間(しちはちけん)向(むか)うにかなり大(おほ)きな草葺(くさぶき)の家(いへ)が建(た)つて居(ゐ)る。288婆(ば)アさまは駒彦(こまひこ)に向(むか)ひ、
289婆(ばば)(お久)『あれが妾(わし)の家(いへ)だ。290どうぞ今晩(こんばん)はゆつくり泊(とま)つて往(い)て下(くだ)されや』
291 秋彦(あきひこ)は『なんだ、292合点(がつてん)がゆかぬ事(こと)だなア』と呟(つぶや)きつつ、293不安(ふあん)の念(ねん)に駆(か)られ、294手(て)を組(く)んで細路(ほそみち)に佇立(てゐりつ)して居(ゐ)る。295婆(ば)アさまは半(なかば)破(やぶ)れた戸(と)をガラリと開(ひら)き、
296婆(ばば)(お久)『サアサアお若(わか)い衆(しう)、297這入(はい)つて下(くだ)さい』
298駒彦(こまひこ)『ハイ有難(ありがた)う』
299と後(うしろ)を振(ふ)り返(かへ)り見(み)れば、300四五間(しごけん)あとに秋彦(あきひこ)は手(て)を組(く)み思案(しあん)らしく佇(たたず)んで居(を)る。
301駒彦(こまひこ)『オイ秋彦(あきひこ)、302早(はや)う来(こ)ぬか。303何(なに)して居(を)るのだ』
304秋彦(あきひこ)『俺(おれ)は外(そと)から警固(けいご)して居(ゐ)るから、305貴様(きさま)用心(ようじん)して中(なか)に這入(はい)れ。306釣天井(つりてんじやう)でも有(あ)つてバサンバサンとやられちや大変(たいへん)だから、307よく気(き)を付(つ)けて這入(はい)れ。308俺(おれ)はサア事(こと)だと思(おも)つたら、309直(すぐ)に飛(と)び込(こ)んで讎敵(かたき)を討(う)つてやるから……マア予備(よび)として、310俺(おれ)は外(そと)に待(ま)つて居(を)る』
311駒彦(こまひこ)『そんなら宜(よろ)しう頼(たの)む』
312と閾(しきゐ)を跨(また)げ屋内(をくない)に姿(すがた)を隠(かく)した。313爺(ぢ)イさまは目(め)も疎(うと)いと見(み)え、314ヨボヨボし乍(なが)ら奥(おく)の間(ま)から現(あら)はれ、
315爺(おやぢ)(常楠)『アー婆(ばば)か、316よう帰(かへ)つて呉(く)れた。317どうも寂(さび)しくて困(こま)つて居(を)つた。318あまり帰(かへ)りが遅(おそ)いので、319又(また)もや泥棒(どろばう)に出会(でつくわ)したのではなからうかと、320気(き)が気(き)でなかつた。321併(しか)しお前(まへ)の背後(うしろ)に誰(たれ)か従(つ)いて来(き)て居(を)るぢやないか。322ウツカリした者(もの)を引張(ひつぱ)つて来(く)ると、323又(また)此(この)間(あひだ)の様(やう)な目(め)に会(あ)はされるぞ。324性懲(しやうこ)りもない、325道(みち)行(ゆ)く人間(にんげん)を掴(つか)まへて、326善根(ぜんこん)だの、327宿(やど)をしてあげようのと云(い)ふものだから、328あんな事(こと)が起(おこ)るのだ。329モウ今日(けふ)は、330お前(まへ)が何(なん)と云(い)つても私(わし)が承知(しようち)をせぬ。331……どこの方(かた)か知(し)らぬがトツトと帰(かへ)つて下(くだ)され』
332婆(ばば)(お久)『爺(おやぢ)さま、333一寸(ちよつと)此(この)人(ひと)は合点(がつてん)のいかぬ事(こと)があるので連(つ)れて帰(かへ)つたのぢや。334妾(わし)だつてモウ懲(こ)りてるから、335滅多(めつた)な奴(やつ)を連(つ)れて帰(かへ)りはせぬ。336此(この)人(ひと)は馬(うま)とか云(い)ふ男(をとこ)ださうな、337伜(せがれ)の名(な)も馬(うま)だから、338何(なん)とはなしに恋(こひ)しくなつて連(つ)れて帰(かへ)つたのぢや。339ヒヨツとしたら、340子供(こども)の時(とき)に天狗(てんぐ)に浚(さら)はれた馬(うま)ぢやなからうかと、341心(こころ)の故(せい)か思(おも)はれてならないから……』
342爺(おやぢ)(常楠)『さう聞(き)くと何(なん)だか恋(こひ)しい様(やう)な気(き)がする。343コレコレ馬(うま)さまとやら、344足(あし)をしもうて上(あが)つて下(くだ)さい』
345駒彦(こまひこ)『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います。346私(わたし)も一人者(ひとりもの)で御座(ござ)います。347何(なん)だか此(この)お婆(ば)アさまが恋(こひ)しくなつて参(まゐ)りました』
348と云(い)ひ云(い)ひ足(あし)をしもうて座敷(ざしき)にあがる。349秋彦(あきひこ)はコハゴハ乍(なが)ら門口(かどぐち)までやつて来(き)て、350様子(やうす)を考(かんが)へて居(ゐ)る。
351爺(おやぢ)(常楠)『お前(まへ)は馬(うま)さまと云(い)ふさうだが、352一体(いつたい)何処(どこ)の生(うま)れだ』
353駒彦(こまひこ)『ハイ私(わたし)は余(あま)り小(ちひ)さい時(とき)で、354しつかりは記憶(きおく)しませぬが、355何(なん)でも日高川(ひだかがは)の畔(ほとり)だつた様(やう)に幽(かす)かに覚(おぼ)えて居(を)ります。356併(しか)し乍(なが)らそれも夢(ゆめ)だか現(うつつ)だか分(わか)らないのです。357天狗(てんぐ)にさらはれて山城(やましろ)の国(くに)の紫野(むらさきの)の大木(たいぼく)の上(うへ)に引掛(ひつか)けられて居(を)つたのを、358そこの酋長(しうちやう)が認(みと)めて助(たす)けて下(くだ)され、359それから其処(そこ)の家(いへ)の子(こ)となつて育(そだ)つて来(き)た者(もの)で御座(ござ)います』
360爺(おやぢ)(常楠)『わしは常楠(つねくす)と云(い)ふ者(もの)だ。361さうして婆(ばば)アはお久(ひさ)と云(い)ふ者(もの)だが、362両親(りやうしん)の名(な)は覚(おぼ)えて居(を)るかい』
363駒彦(こまひこ)『何分(なにぶん)子供(こども)の事(こと)で分(わか)りませぬが、364御(ご)主人(しゆじん)様(さま)のお言葉(ことば)には、365私(わたし)の守(まも)り袋(ぶくろ)に、366常(つね)とか久(ひさ)とか云(い)ふ印(しるし)があり、367私(わたし)の名(な)は馬楠(うまくす)と書(か)いてあつたさうで、368主人(しゆじん)は馬公(うまこう)馬公(うまこう)と仰有(おつしや)つたのだと聞(き)いて居(を)ります』
369爺(おやぢ)(常楠)『ナニ、370常(つね)に久(ひさ)、371馬楠(うまくす)と書(か)いてあつたか。372そんならお前(まへ)は私(わたし)の伜(せがれ)ぢや。373ようマア無事(ぶじ)で居(を)つて下(くだ)さつた』
374と両人(りやうにん)は取付(とりつ)いて泣(な)きくづれる。
375駒彦(こまひこ)『あゝ何(なん)だかさう聞(き)くと、376御(ご)両親(りやうしん)の様(やう)にも思(おも)ひますが、377しかし私(わたし)の体(からだ)には一(ひと)つの特徴(とくちやう)があります。378それは御存(ごぞん)じですか』
379爺(おやぢ)(常楠)『特徴(とくちやう)と云(い)ふのは、380お前(まへ)は小(ちひ)さい時(とき)から睾丸(きんたま)が人(ひと)よりは優(すぐ)れて大(おほ)きかつた。381睾丸(かうぐわん)ヘルニヤとか云(い)ふ病気(びやうき)ださうで、382大変(たいへん)に吾々(われわれ)両親(りやうしん)は心配(しんぱい)をして居(を)つたのだ。383お前(まへ)、384睾丸(きんたま)はどうだな』
385駒彦(こまひこ)『ハイ仰(あふ)せの如(ごと)く人(ひと)一倍(いちばい)大(おほ)きいのです。386松姫館(まつひめやかた)で大金(たいきん)だと言(い)はれて引張(ひつぱ)られた時(とき)には随分(ずゐぶん)困(こま)りました。387そこまで話(はなし)が合(あ)へば全(まつた)くあなたは御(ご)両親(りやうしん)に間違(まちがひ)ありますまい。388あゝよう無事(ぶじ)で居(ゐ)て下(くだ)さつた』
389と駒彦(こまひこ)もホロリと涙(なみだ)を流(なが)す。390お久(ひさ)は、
391お久(ひさ)『せめて二三(にさん)日前(にちまへ)にお前(まへ)が帰(かへ)つて呉(く)れたなら、392妹(いもうと)のお軽(かる)もあんな目(め)に会(あ)うのではなかつたぢやらうに……あゝ残念(ざんねん)な事(こと)をした。393お前(まへ)の行方(ゆくへ)を探(さが)したさ、394若(わか)いうちに夫婦(ふうふ)が交(かは)る交(がは)る紀(き)の国(くに)一面(いちめん)を歩(ある)いて見(み)たが、395どうしても行方(ゆくへ)が知(し)れず、396斯(こ)う年(とし)が寄(よ)つては歩(ある)く事(こと)も出来(でき)ぬので、397人(ひと)さへ見(み)れば吾(わが)家(や)に泊(とま)つて貰(もら)ひ、398何(なに)かの手懸(てがか)りもがなと、399善根宿(ぜんこんやど)をして居(を)つたのだ。400さうした所(ところ)がエライ泥棒(どろばう)を泊(と)めて、401妹(いもうと)の生命(いのち)を取(と)られて了(しま)うたのぢや。402あゝ可哀相(かはいさう)に……妹(いもうと)が生(いき)て居(を)つたら恋(こひ)しい兄(あにい)に会(あ)はれたと言(い)うて、403どれ程(ほど)喜(よろこ)ぶ事(こと)であらう。404アーア、405ア』
406と婆(ばば)アは泣(な)き沈(しづ)む。407常楠爺(つねくすぢ)イも、408駒彦(こまひこ)も共(とも)に涙(なみだ)に暮(く)れ、409鼻(はな)を啜(すす)つて居(ゐ)る。410秋彦(あきひこ)はこれを聞(き)くより走(はし)り入(い)り、
411秋彦(あきひこ)『ヤア駒彦(こまひこ)、412お芽出度(めでた)う。413お前(まへ)が何時(いつ)も両親(りやうしん)に会(あ)ひたい会(あ)ひたいと云(い)つて居(を)つたが、414思(おも)はぬ所(ところ)で親子(おやこ)の対面(たいめん)が出来(でき)た。415これも全(まつた)く大神(おほかみ)様(さま)のお恵(めぐ)みだ。416お前(まへ)ばかりか、417俺(おれ)も嬉(うれ)しい。418アヽ神(かみ)様(さま)有難(ありがた)う御座(ござ)います』
419と涙声(なみだごゑ)になつて、420両手(りやうて)を合(あは)せ、421ちぎれちぎれに咽(むせ)び乍(なが)ら、422感謝(かんしや)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)する。423屋根(やね)には熊野烏(くまのがらす)の群(むれ)七八羽(しちはちは)、424松魚木(かつをぎ)に止(と)まつて声(こゑ)を嗄(か)らして悲(かな)しげに『カワイカワイ』と啼(な)き立(た)てる。425天井(てんじやう)に鼠(ねずみ)の鳴(な)き声(ごゑ)『チウチウチウ孝行(かうかう)々々(かうかう)』と聞(きこ)え来(き)たる。
426(大正一一・六・一〇 旧五・一五 松村真澄録)
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