霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
×
設定
URL:
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
行間
ルビの表示


アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注[※]用語解説 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

脚注[*]編集用 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

外字の外周色 [?]一般のフォントに存在しない文字は専用の外字フォントを使用しています。目立つようにその文字の外周の色を変えます。[×閉じる]
現在のページには外字は使われていません

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。

第一五章 公義(こうぎ)正道(せいだう)〔一二四八〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻 篇:第3篇 天国巡覧 よみ(新仮名遣い):てんごくじゅんらん
章:第15章 公義正道 よみ(新仮名遣い):こうぎせいどう 通し章番号:1248
口述日:1923(大正12)年01月09日(旧11月23日) 口述場所: 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年10月6日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
最奥一の天国にある天人の想念と情動と言語とは、中間天国の天人たちには知覚できない。最奥一天国人はすべてにおいて、中天界より勝れて超絶しているからである。しかし大神の心にかなったときは、上天高くに火焔のような光彩として見ることができる。
天国を下に下るにしたがって、円満の度はいっそう低くなる。また各天国は、神から来る内流によって、また別の天国のために存在するのである。
高天原の形式がどのような情態に活動し、どのように流通するかは、天国の天人といえども会得することは難しい。しかし神の智慧に富んだ人が、人体の種々の事物の形態を検査して推して考えるときは、その大要を悟り得ることができる。
人間の各部を連結する神経線維、心臓肺臓胃腸、各臓腑、肢体筋肉が幽玄微妙に活動するさま、また想念によって働く知性と意性が不可思議に働くさまは、天界の形式と相応している。しかし自然界の科学によっては高天原の原則を十分に探求することはできない。
高天原に上中下があるように、天人の生涯にもまた三つの度がある。しかして下層の天界から上層の天界へは神格の内流はない。神の順序に逆らうからである。神は順序と讃え奉ってもよいものである。ゆえに、上天界から下天界に向かって内流がある。
高天原の天人は、その証覚にさまざまの程度があり、ゆえに統治の制度が布かれている。諸天人はどうしても順序を守らねばならぬ。
高天原の統治制度は正道という。正道は大神のみに属し、諸天人を導く。天人はこれを知覚し心中に記憶し感得することができる。天人は正道にしたがって大神の導き給うままに生息することをもって歓喜悦楽とする。
霊国の統治制度は公義という。霊国の諸天人は霊善にある。霊善は隣人に対する仁の徳である。各所属団体ごとに、証覚のある者が統治者となって律法を制定し事物を統制している。律法に疑問があれば、大神ご自身が下られて明白な解釈を与え給う。
天国霊国の各団体の統治者は決して尊大ぶることはなく謙譲の徳を充たし、その団体の福利と隣人のことを第一に置いて自己の福利を最後におく。統治者は非常な名誉と光栄を有しているが、それはまったく大神の御稜威であることを知っているから自然に徳がそなわるのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-04-27 19:58:48 文字数:3777 OBC :rm4715
愛善世界社版:213頁 八幡書店版:第8輯 551頁 修補版: 校定版:222頁 普及版:104頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎全集 > 第二巻 宗教・教育編 > 第四篇 神霊世界 > 第十五章 公義正道
001最奥一(さいおういち)の天国(てんごく)に
002在(あ)る天人(てんにん)の想念(さうねん)と
003其(その)情動(じやうどう)と言語(げんご)とは
004決(けつ)して中間(ちうかん)天国(てんごく)の
005天人(てんにん)共(ども)の知覚(ちかく)し得(う)る
006ものには非(あら)ず何故(なぜ)ならば
007最奥(さいおう)の天国人(てんごくじん)の一切(いつさい)は
008中天界(ちうてんかい)の事物(じぶつ)より
009勝(すぐ)れて超絶(てうぜつ)すればなり
010さはさりながら大神(おほかみ)の
011心(こころ)に叶(かな)ひし其(その)時(とき)は
012中天国(ちうてんごく)の天人(てんにん)は
013上天(じやうてん)高(たか)く仰(あふ)ぎ見(み)て
014火焔(くわえん)の如(ごと)き光彩(くわうさい)を
015天空(てんくう)高(たか)く見(み)るものぞ
016又(また)中天(ちうてん)の天人(てんにん)の
017想念(さうねん)及(およ)び情動(じやうどう)と
018言語(げんご)はさながら光明(くわうみやう)の
019如(ごと)きものとし最下層(さいかそう)の
020天国人(てんごくじん)より見(み)るを得(え)む
021其(その)光彩(くわうさい)は輝(かがや)きて
022いろいろ雑多(ざつた)の色(いろ)をなし
023或(あるひ)は雲(くも)と見(み)ゆるあり
024其(その)雲(くも)及(およ)び光彩(くわうさい)の
025上下(しやうか)の模様(もやう)を初(はじ)めとし
026其(その)形態(けいたい)に思索(しさく)して
027ある程度(ていど)迄(まで)上天(じやうてん)に
028於(お)ける天人(てんにん)諸々(もろもろ)の
029言説(げんせつ)し居(を)る状態(じやうたい)を
030遥(はるか)に悟(さと)り得(え)らるなり
031最高奥(さいかうあう)の天国(てんごく)は
032いと円満(ゑんまん)に具足(ぐそく)して
033神光(しんくわう)輝(かがや)きみち渡(わた)り
034中天界(ちうてんかい)に比(くら)ぶれば
035円満(ゑんまん)の度(ど)はいと高(たか)し
036次(つぎ)に最下(さいか)の天国(てんごく)に
037下(くだ)るに及(およ)んで其(その)度合(どあひ)
038一層(いつそう)低(ひく)きを加(くは)ふべし
039又(また)甲天(かふてん)の形式(けいしき)は
040神(かみ)より来(きた)る内流(ないりう)に
041よりて全(まつた)く乙天(おつてん)の
042ために永久(とこしへ)に存在(そんざい)す。
043 高天原(たかあまはら)の形式(けいしき)を、044其(その)細目(さいもく)に亘(わた)つて了解(れうかい)する事(こと)や、045又(また)此(この)形式(けいしき)が如何(いか)なる情態(じやうたい)に活動(くわつどう)し、046如何(いか)に流通(りうつう)するかを会得(ゑとく)するのは、047現在(げんざい)天国(てんごく)にある天人(てんにん)と雖(いへど)も能(よ)くし得(え)ざる所(ところ)である。048これを譬(たと)ふるならば、049最(もつと)も聰明(そうめい)にして神(かみ)の智慧(ちゑ)に富(と)んだ人(ひと)が、050人体(じんたい)に於(お)ける種々(しゆじゆ)の事物(じぶつ)の形態(けいたい)を検査(けんさ)し、051これより推(お)して考(かんが)へる時(とき)は、052高天原(たかあまはら)の其(その)形式(けいしき)に関(くわん)して、053或(あるひ)は其(その)大要(たいえう)を悟(さと)り得(う)る事(こと)が出来(でき)るであらう。054高天原(たかあまはら)の全体(ぜんたい)の形式(けいしき)は、055一個(いつこ)の人身(じんしん)に似(に)て居(ゐ)る様(やう)である。056又(また)人身中(じんしんちう)に於(お)ける万(よろづ)の事物(じぶつ)は総(すべ)て高天原(たかあまはら)の事物(じぶつ)に相応(さうおう)するものである。057故(ゆゑ)に高天原(たかあまはら)の形式(けいしき)が如何(いか)に人間(にんげん)として解(かい)し難(がた)く、058又(また)説明(せつめい)し難(がた)きかは、059人間(にんげん)各部(かくぶ)を連結(れんけつ)する所(ところ)の神経(しんけい)や繊維(せんゐ)を見(み)たならば、060略(ほぼ)察知(さつち)する事(こと)が出来(でき)るであらう。061是(これ)等(ら)の神経(しんけい)繊維(せんゐ)は抑(そもそも)何物(なにもの)なるか、062又(また)如何(いか)にして脳髄中(なうずゐちう)に活動(くわつどう)し流行(りうかう)し居(ゐ)るかは、063如何(いか)なる医学(いがく)博士(はかせ)と雖(いへど)も、064肉眼(にくがん)を以(もつ)て、065或(あるひ)は顕微鏡(けんびきやう)をもつて見得(みう)るものではない。066人間(にんげん)の頭脳中(づなうちう)には無数(むすう)の繊維(せんゐ)があつて、067交叉(かうさ)する様(さま)や其(その)集(あつ)まれる所(ところ)より見(み)れば、068実(じつ)に柔(やはら)かき連絡(れんらく)した一(ひと)つの固(かた)まりに似(に)て居(ゐ)るけれど、069意性(いせい)及(およ)び智性(ちせい)よりする所(ところ)の個々(ここ)別々(べつべつ)の活動(くわつどう)は、070皆(みな)此(この)繊維(せんゐ)によつて行(おこな)はれて居(ゐ)る事(こと)は無論(むろん)である。071総(すべ)て是(これ)等(ら)の繊維(せんゐ)が肉体中(にくたいちう)にあつて、072如何(いか)にして相結束(あひけつそく)し活躍(くわつやく)するかは種々(しゆじゆ)様々(さまざま)の中枢(ちうすう)機関(きくわん)、073例(たと)へば心臓(しんざう)肺臓(はいざう)胃腸(ゐちやう)、074其(その)他(た)のものを見(み)れば明(あきら)かである。075又(また)医学(いがく)上(じやう)に於(おい)て、076神経節(しんけいせつ)と呼(よ)ばれて居(ゐ)る神経(しんけい)の束(たば)を見(み)れば、077数多(あまた)の繊維(せんゐ)が各(かく)其(その)局部(きよくぶ)より来(きた)つて此処(ここ)に集(あつ)まり、078茲(ここ)に交雑(かうざつ)し、079又(また)種々(しゆじゆ)に連結(れんけつ)したる後(のち)、080再(ふたた)び此処(ここ)を出(い)で往(ゆ)き、081外(ほか)にあつて各(かく)其(その)官能(くわんのう)を全(まつた)うするものである。082而(しか)して斯(かく)の如(ごと)きもの一再(いつさい)にして止(とど)まらない。083又(また)各(かく)臓腑(ざうふ)や各(かく)肢体(したい)各(かく)筋肉(きんにく)にあつても此(この)通(とほ)りである。084証覚者(しようかくしや)の目(め)を以(もつ)て是(これ)等(ら)の事物(じぶつ)と其(その)数多(あまた)の不可思議(ふかしぎ)とを考査(かうさ)する時(とき)は、085唯々(ただただ)其(その)幽玄(いうげん)微妙(びめう)なる活動(くわつどう)に驚嘆(きやうたん)するの外(ほか)はないのである。086併(しか)しながら以上(いじやう)は肉眼(にくがん)にて見得(みう)る所(ところ)のほんの僅少(きんせう)の部分(ぶぶん)的(てき)観察(くわんさつ)に過(す)ぎないのである。087其(その)自然界(しぜんかい)の内面(ないめん)にかくれて、088吾人(ごじん)の視覚(しかく)の及(およ)ばない所(ところ)にある物(もの)に至(いた)つては、089更(さら)に一層(いつそう)の不可思議(ふかしぎ)を包(つつ)んで居(ゐ)るのである。090以上(いじやう)の身体(しんたい)上(じやう)の形式(けいしき)の、091高天原(たかあまはら)の形式(けいしき)と相応(さうおう)すると云(い)ふ事(こと)は、092其(その)形式(けいしき)の中(うち)にあり、093之(これ)によつて働(はたら)く所(ところ)の智性(ちせい)と意性(いせい)とが、094万般(ばんぱん)に対(たい)し発作(ほつさ)するを見(み)ても明(あきら)かである。095人間(にんげん)が其(その)意(い)に決(けつ)する所(ところ)があれば、096皆(みな)自(おのづか)らにして此(この)形式(けいしき)の上(うへ)に発作(ほつさ)するからである。097又(また)人(ひと)苟(いやし)くも何事(なにごと)か思惟(しゐ)する所(ところ)があれば、098其(その)想念(さうねん)は最初(さいしよ)の発作点(ほつさてん)より末端(まつたん)に至(いた)つて神経(しんけい)繊維(せんゐ)の上(うへ)に環流(くわんりう)せざるはなく、099是(これ)よりして茲(ここ)に感覚(かんかく)なるものがある。100さうして此(この)形式(けいしき)はやがて想念(さうねん)と意思(いし)との形式(けいしき)である故(ゆゑ)に、101又(また)智慧(ちゑ)と証覚(しようかく)との形式(けいしき)なりと云(い)つてもよいのである。102故(ゆゑ)に天界(てんかい)の形式(けいしき)は、103人体(じんたい)に於(お)ける総(すべ)ての諸官能(しよくわんのう)の活動(くわつどう)に相応(さうおう)するものなる事(こと)を知(し)り得(え)らるるのである。104又(また)天人(てんにん)の情動(じやうどう)と想念(さうねん)とは悉(ことごと)く此(この)形式(けいしき)に従(したが)つて、105自(おのづか)ら延長(えんちやう)するものなる事(こと)を知(し)り、106彼(かれ)等(ら)天人(てんにん)はこの形式(けいしき)の内(うち)にある限(かぎ)り、107智慧(ちゑ)と証覚(しようかく)とに居(を)るものなる事(こと)を知(し)り得(え)らるるのである。108併(しか)しながら高天原(たかあまはら)の形式(けいしき)は、109其(その)大体(だいたい)の原則(げんそく)すら充分(じうぶん)に探究(たんきう)すべからざる事(こと)を、110自然界(しぜんかい)の科学(くわがく)万能(ばんのう)主義者(しゆぎしや)に知(し)らさむために、111人間(にんげん)の身体(しんたい)を例(れい)に引(ひ)いて見(み)たのである。
112 高天原(たかあまはら)には三(みつ)つの度(ど)ある如(ごと)く、113各天人(かくてんにん)の生涯(しやうがい)にも亦(また)、114三(みつ)つの度(ど)があつて、115最高(さいかう)第一(だいいち)の天国(てんごく)及(および)霊国(れいごく)にあるものは、116第三度(だいさんど)即(すなは)ち最奥(さいあう)の度(ど)が開(ひら)けて居(を)り、117中間(ちうかん)の天界(てんかい)と最下(さいか)の天界(てんかい)とは塞(ふさ)がり、118又(また)中間(ちうかん)天界(てんかい)に居(を)るものは、119第二度(だいにど)のみ開(ひら)けて、120上天(じやうてん)と下天(かてん)とは塞(ふさ)がれ、121又(また)最下層(さいかそう)の天界(てんかい)にあるものは第一度(だいいちど)のみ開(ひら)けて、122中間(ちうかん)天界(てんかい)と上天界(じやうてんかい)とは塞(ふさ)がつて居(ゐ)るのである。123故(ゆゑ)にもし上天国(じやうてんごく)の天人(てんにん)にして中天国(ちうてんごく)の団体(だんたい)を瞰下(かんか)して、124之(これ)と相語(あひかた)る事(こと)あらむには、125上天人(じやうてんにん)が有(いう)する第三度(だいさんど)は忽(たちま)ち塞(ふさ)がつて了(しま)ふのである。126而(しか)して其(その)閉塞(へいそく)と共(とも)に証覚(しようかく)迄(まで)も亡(ほろ)ぶのである。127何故(なにゆゑ)なれば、128上天国(じやうてんごく)の天人(てんにん)の証覚(しようかく)は、129第三度(だいさんど)に住(ぢゆう)し、130第一(だいいち)及(およ)び第二(だいに)の度(ど)に居(を)らないからである。131瑞(みづ)の御霊(みたま)の聖言(せいげん)に、
132一、133屋上(をくじやう)にあるものは、134其(その)家(いへ)のものを取(と)らむとて下(くだ)るなかれ。135田(た)に居(を)るものは、136其(その)衣(ころも)を取(と)らむとて帰(かへ)るなかれ。
137一、138其(その)日(ひ)には人(ひと)屋上(をくじやう)にあれば、139其(その)器具室(きぐしつ)にあるともこれを取(と)らむとて下(くだ)るなかれ。140又(また)田畑(たはた)にあるものも帰(かへ)るなかれ。
141と示(しめ)されたるは右(みぎ)の密意(みつい)を示(しめ)されたる言葉(ことば)である。142さうして下層(かそう)の天界(てんかい)より、143上層(じやうそう)の天界(てんかい)へは神格(しんかく)の内流(ないりう)なるものがない。144それは神(かみ)の順序(じゆんじよ)に逆(さか)らふからである。145神(かみ)は一名(いちめい)順序(じゆんじよ)と讃(たた)へ奉(まつ)つてもよいものである。146故(ゆゑ)に上天界(じやうてんかい)より下天界(かてんかい)に向(むか)つては内流(ないりう)がある。147さうして上天界(じやうてんかい)の天人(てんにん)の証覚(しようかく)は下天界(かてんかい)の天人(てんにん)に勝(まさ)る事(こと)万(まん)と一(いち)とに比例(ひれい)するのである。148是(これ)亦(また)下天界(かてんかい)の天人(てんにん)が上天界(じやうてんかい)の天人(てんにん)と相語(あひかた)る事(こと)の出来(でき)ない理由(りいう)である。149仮令(たとへ)下天界(かてんかい)の天人(てんにん)が仰(あふ)ぎ望(のぞ)む事(こと)あるも、150更(さら)に更(さら)に其(その)姿(すがた)を見(み)る事(こと)を得(え)ず、151唯(ただ)上天界(じやうてんかい)は尚(なほ)雲(くも)が頭上(づじやう)にかかつて居(ゐ)る如(ごと)く見(み)えるばかりである。152これに反(はん)し上天界(じやうてんかい)の天人(てんにん)は、153下天界(かてんかい)の天人(てんにん)を見(み)る事(こと)が出来(でき)る。154併(しか)し乍(なが)らこれと相語(あひかた)る事(こと)は出来(でき)ない。155もしも下天界(かてんかい)人(じん)と相語(あひかた)るやうな事(こと)があれば、156忽(たちま)ち其(その)証覚(しようかく)を失(うしな)ふものである。157高天原(たかあまはら)に於(お)ける諸々(もろもろ)の団体中(だんたいちう)の天人(てんにん)は、158善(ぜん)と真(しん)とに居(を)る事(こと)何(いづ)れも同様(どうやう)なれども、159其(その)証覚(しようかく)には様々(さまざま)の程度(ていど)がある故(ゆゑ)に、160必然(ひつぜん)の理由(りいう)として高天原(たかあまはら)にも又(また)統治(とうち)の制度(せいど)が布(し)かれてある。161諸天人(しよてんにん)は何(ど)うしても、162其(その)順序(じゆんじよ)を守(まも)らねばならぬ。163さうして順序(じゆんじよ)に関(くわん)する百般(ひやくぱん)の事項(じかう)は、164どうしても破壊(はくわい)する事(こと)は出来(でき)ぬ。165それから高天原(たかあまはら)の統治(とうち)の制度(せいど)は決(けつ)して一様(いちやう)ではない。166其(その)団体(だんたい)々々(だんたい)に於(お)ける個々(ここ)の制度(せいど)が布(し)かれてある。167瑞(みづ)の御霊(みたま)の大神(おほかみ)の司(つかさど)り給(たま)ふ霊国(れいごく)即(すなは)ち月(つき)の国(くに)を構成(こうせい)する団体(だんたい)にも亦(また)一種(いつしゆ)の統治(とうち)制度(せいど)が布(し)かれてある。168各団体(かくだんたい)の職掌(しよくしやう)の異(ことな)るにつれ、169其(その)制度(せいど)にも亦(また)不同(ふどう)あるは止(や)むを得(え)ない。170併(しか)し高天原(たかあまはら)に於(おい)ては、171相愛(さうあい)の制度(せいど)を外(ほか)にしては別(べつ)に制度(せいど)なるものはないのである。
172 高天原(たかあまはら)に於(お)ける統治(とうち)制度(せいど)を称(しよう)して正道(せいだう)と云(い)ふ。173大神(おほかみ)に対(たい)する愛善(あいぜん)の徳(とく)に住(ぢゆう)して行(おこな)ふ所(ところ)を総(すべ)て正道(せいだう)と云(い)ふのである。174この統治(とうち)制度(せいど)は唯(ただ)大神(おほかみ)のみに属(ぞく)するものであつて、175大神(おほかみ)が御(ご)自身(じしん)に諸天界(しよてんかい)の天人(てんにん)を導(みちび)き、176又(また)之(これ)に処世(しよせい)の事物(じぶつ)を教(をし)へ給(たま)ふ公義(こうぎ)上(じやう)の理法(りはふ)とも云(い)ふべき種々(しゆじゆ)の真理(しんり)に至(いた)りては、177各(かく)天人中(てんにんちう)の心中(しんちう)に明(あきら)かに記憶(きおく)さるるをもつて、178天人(てんにん)として之(これ)を識(し)り又(また)之(これ)を知覚(ちかく)し、179又(また)之(これ)を感得(かんとく)し得(え)ないものはない。180故(ゆゑ)に公義(こうぎ)上(じやう)の事件(じけん)に就(つ)いては争議(さうぎ)上(じやう)の種(たね)とはならないけれども、181正道(せいだう)上(じやう)の事件(じけん)即(すなは)ち各天人(かくてんにん)が実践(じつせん)躬行(きうかう)上(じやう)の事件(じけん)のみは時々(ときどき)疑問(ぎもん)となる事(こと)がある。182斯(かく)の如(ごと)き正道(せいだう)上(じやう)の事件(じけん)の起(おこ)つた時(とき)には証覚(しようかく)の少(すくな)きものより是(これ)を自己(じこ)より勝(すぐ)れたる天人(てんにん)に正(ただ)し、183或(あるひ)は之(これ)を直接(ちよくせつ)大神(おほかみ)に教(をしへ)を請(こ)うて、184其(その)結着(けつちやく)を定(さだ)むるものである。185故(ゆゑ)に天人(てんにん)は唯(ただ)正道(せいだう)に従(したが)つて、186大神(おほかみ)の導(みちび)き給(たま)ふが儘(まま)に生息(せいそく)するのをもつて自分(じぶん)等(ら)の天界(てんかい)となし、187又(また)極秘(ごくひ)の歓喜(くわんき)悦楽(えつらく)とするのである。188次(つぎ)に大神(おほかみ)の霊国(れいごく)即(すなは)ち月(つき)の御国(みくに)に於(お)ける制度(せいど)を、189公義(こうぎ)と云(い)ふ。190霊国(れいごく)の諸天人(しよてんにん)は霊善(れいぜん)に居(を)るからである。191霊善(れいぜん)とは、192隣人(りんじん)に対(たい)する仁(じん)の徳(とく)を云(い)ふのである。193さうして其(その)実性(じつせい)は真(しん)である。194而(しか)して真(しん)は即(すなは)ち公義(こうぎ)に属(ぞく)し、195善(ぜん)は正道(せいだう)に属(ぞく)するものである。196今(いま)茲(ここ)に月(つき)の国(くに)と云(い)つたのは、197現在(げんざい)地球(ちきう)上(じやう)の人間(にんげん)が見(み)る月球(げつきう)の事(こと)ではない。198神(かみ)の神格(しんかく)によつて構成(こうせい)されたる霊的(れいてき)国土(こくど)である。199この国土(こくど)に住(す)める諸々(もろもろ)の天人(てんにん)は亦(また)大神(おほかみ)の導(みちび)き給(たま)ひ、200統治(すべをさ)め給(たま)ふ所(ところ)なれども、201直接(ちよくせつ)ならざるが故(ゆゑ)に茲(ここ)には統治者(とうちしや)なるものが出来(でき)て居(ゐ)る。202其(その)統治者(とうちしや)の多寡(たくわ)は、203各(かく)其(その)所属(しよぞく)団体(だんたい)の必要(ひつえう)によつて設(まう)けらるるものである。204又(また)茲(ここ)には律法(りつぱう)が制定(せいてい)せられて諸々(もろもろ)の天人(てんにん)は之(これ)に従(したが)ひて群居(ぐんきよ)して居(ゐ)るのである。205統治者(とうちしや)は其(その)律法(りつぱう)によつて数多(あまた)の事物(じぶつ)を統制(とうせい)するの任務(にんむ)に当(あた)つて居(ゐ)る。206さうして、207是(これ)等(ら)の天人(てんにん)は何(いづ)れも証覚(しようかく)あるにより、208その律法(りつぱう)をよく解(かい)し、209万一(まんいち)疑(うたが)ふ所(ところ)あれば、210大神(おほかみ)が下(くだ)らせ給(たま)うて、211之(これ)に明白(めいはく)なる解釈(かいしやく)を与(あた)へ給(たま)ふ事(こと)になつて居(ゐ)る。212天国(てんごく)即(すなは)ち日(ひ)の国(くに)にあるが如(ごと)き、213善(ぜん)によつて行(おこな)はるる統治(とうち)を正道(せいだう)と云(い)ひ、214霊国(れいごく)即(すなは)ち月(つき)の国(くに)にあるやうな真(しん)によつて行(おこな)はるる統治(とうち)を公義(こうぎ)と云(い)ふのである。215天国(てんごく)、216霊国(れいごく)の各団体(かくだんたい)の統治者(とうちしや)は現代(げんだい)に於(お)ける各国(かくこく)の統治者(とうちしや)の如(ごと)く、217決(けつ)して自(みづか)ら尊大(そんだい)振(ぶ)るものでない、218却(かへつ)て卑下(ひげ)し且(か)つ謙譲(けんじやう)の徳(とく)を充(み)たして居(ゐ)るものである。219さうして其(その)団体(だんたい)の福利(ふくり)と隣人(りんじん)の事(こと)を第一(だいいち)に置(お)いて、220自己(じこ)の福利(ふくり)を最後(さいご)におくものである。221けれども其(その)統治者(とうちしや)は非常(ひじやう)なる名誉(めいよ)と光栄(くわうえい)とを有(いう)して居(ゐ)る。222是(これ)等(ら)の統治者(とうちしや)は自分(じぶん)に与(あた)へられたる光栄(くわうえい)と名誉(めいよ)は全(まつた)く大神(おほかみ)の与(あた)へられたるものたる事(こと)を自覚(じかく)し、223他(た)の天人(てんにん)が自分(じぶん)に服従(ふくじう)するのは、224これ全(まつた)く大神(おほかみ)の御稜威(みいづ)なる事(こと)を知(し)つて居(ゐ)るから、225自然(しぜん)に謙譲(けんじやう)な徳(とく)が具(そな)はり尊大(そんだい)振(ぶ)らぬのである。
226(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 加藤明子録)
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス】
合言葉「みろく」を入力して下さい→