霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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題名: 著者:
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概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: 文字数: OBC :B115006c03
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正9年6月11日号(第117号) > たまの礎(裏の神諭)
たまの礎
明治三十六年十月一日
 
裏の神諭
 
(一)大功(たいこう)は細瑾(さいきん)を顧(かへり)みずとは、古諺(こげん)の教ふる所なり。然(しか)れどもいと些(ちい)さき悪(あく)なりとも、之を軽視して改めざる時は、大なる善を行ふこと能(あた)はざるべし。蟻(あり)の穴より千丈(せんぜう)の堤(つつみ)も崩(くづ)るるとかや。世の大立替(おほたてかへ)なぞと唱ふる人が、日常の些事(さじ)にも心を砕くを見て、若し傍(かたはら)より之(これ)を嗤(わら)ふものあらば、其(その)人(ひと)は決して高天原(たかあまはら)に到ること能(あた)はざるべし。
(二)神に供物(そなへもの)を為(な)すに当(あた)りては、先(ま)づ心を清らかにするを要す。親子兄弟姉妹等(とう)睦(むつま)じからずして供物(そなへもの)を為すなかれ。不和(ふわ)なる家庭の供物(そなへもの)は、神之(これ)を受けんとはし給はず。神は最も人の赤心(まごころ)を歓び給へばなり。
(三)姦淫(かんいん)は慎(つつし)まざる可(べ)からず。万(よろづ)の罪皆(みな)色を慎まざるより起る。肉体にては慎みて姦淫せざるものあれど、心に姦淫せざるは甚(はなは)だ尠(すくな)し。心に姦淫したる者は肉体にて姦淫したると其罪(つみ)決して異(ことな)ることなし。早く改めざれば、高天原(たかあまはら)に到ること能(あた)はざるのみならず、根底(ねそこ)の国に落(おと)さるる也。
(四)人に見られむが為に善を為すことなかれ。貧民に衣類食物(しよくもつ)を施(ほどこ)すに当りても、其(その)事実が世に拡がりなば、そは既に世界より酬(むく)いられたるなり。故に真(まこと)の報酬(むくい)を神より受くること能はざるなり。隠れたる徳は神之(これ)を酬(むく)い給ひ、現(あらは)れたる徳(とく)は、人之(これ)を酬(むく)ゆるものなり。
(五)天は高きものとのみ思ふことなかれ。誠のある所、正しき神の坐(ゐ)ます所は皆(みな)天なり。竜宮館(りうぐうやかた)の下津(したつ)岩根(いはね)も亦(また)天なり。
(六)二個の眼(まなこ)を失(うしな)ひたる人は、この世の光明(あかり)を見ること能はず。心の眼(まなこ)を失ひたる者は、その暗きこと一(ひと)しほなるべし。心の眼(め)なき者は、神に見ゆる事能(あた)はざるべし。高天原を見る事能(あた)はざるべし。
(七)東(ひがし)の君主(きみ)に仕(つか)へ、同時に西(にし)の君主(きみ)に仕へ難きと同じく、人若(も)し財宝(たから)に仕へんとする時は、同時に神に仕ふること能(あた)はざるべし。金銭(きんせん)を使ひて国の為(た)め道の為(た)めに尽すは良し。金銭に使はるるものは、神の光を知らざるに至るべし。
(八)今日(けふ)畑に在りて、明日は釜(かま)に煮らるるものなりとて、神は其刹那(せつな)まで守護を与へ給ふ。神の教(をしへ)を守る人の身の、何ぞ神の守護なかるべき。之に反して信仰なき者の心は、恰(あた)かも薄氷(はくへう)を踏むが如く、到底安息の遑(いとま)なかるべし。
(九)日本神国(しんこく)の人よ、一切を神に任せよ。食ふもの、飲むもの、着るものに心を煩(わづら)はすことなかれ。今日(けふ)の事は今日に為すべし。明日(あす)の事を今日より思ひ煩(わづら)ふことなかれ。人の欲するがままに、明日の天候を雨となし、又晴れとなす事さへ許されざればなり。されば何事も其日の事のみ神に祈りて、其日の罪を恕(ゆる)されんことを求むべし。
(十)罪深き者よ、爾(なんぢ)の眼(め)には棒の横(よこた)はるを知らずして、人の眼(め)に在る針を見んとす。先(ま)づ自己の眼(め)の棒を抜き取りて後(のち)、人の眼(め)に在る針を抜き取ることを努(つと)むべし。罪深き間(うち)は、自己(われ)の履物(はきもの)を棚に直し置きて、人の履物の置所(おきどころ)を罵(ののし)るものなり。心せよ。神は何処(いづこ)にも坐(まし)まさぬといふことなし。
(十一)細き道を歩むべし。広き道を歩むものは、末(すゑ)必(かな)らず亡(ほろ)ぶることあらん。今の世の人、大方(おほかた)は広き道を取りて行けり。長く栄ゆる道は旧(ふる)くして且(かつ)狭きが如し。
(十二)今の世の教会の教師(とりつぎ)は、表面(うはべ)の姿は誠に優(や)さしく、忠実に見えて、神の教(をしへ)の取次(とりつぎ)らしく思はるれど、其(その)心の内(うち)は狼なり、山狗(やまいぬ)なり、蛇(をろち)なり。この世の罪といふ罪は、彼等(かれら)の心に山と積(つも)れり。人なるものよ、猛(たけ)き獣(けもの)に襲はるることなかれ。
(十三)今の教会は桜の花なり。一時は人歓(よろこ)びて其下に集まるといへども、其実(み)を結(むす)ばざれば、須臾(しゆゆ)[※「須臾(しゅゆ)」は「しばしの間」という意味。]の夢の花なり。実(み)の結(い)らざるは仇花(あだばな)にひとし。爾等(なんじら)早く桜を棄(す)て、松の下(もと)に集まれ。幾千代も変らぬ緑は生命(いのち)の証(しるし)なり。
(十四)桜の花を棄てて梅の花を尊(たふ)とめ。梅は万(よろづ)の花に魁(さきが)けて清香(せいこう)を放つものなれば、世の人之(これ)を兄(こ)の花(はな)と崇(あが)め居(を)るにあらずや。積雪の中を耐へ忍びて咲き匂ひ、後(のち)には珍(めづら)しき実を結ぶを見るべし。
(十五)薊(あざみ)の花を愛することなかれ。茨(いばら)牡丹(ぼたん)に近寄るを慎むべし。すべて外形(みめ)麗(うる)はしきものは皆刺(とげ)あり、針(はり)あり。近づくものは必ず其身(み)を害(そこな)ひ傷(やぶ)ることあるべし。
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