霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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96~111

インフォメーション
題名:96~111 著者:
ページ:52
概要: 備考:2023/10/22校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-22 12:03:58 文字数:2461 OBC :B115006c07
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正9年7月21日号(第121号) > たまの礎(裏の神諭)
(九十六)かく諭す程(ほど)に、四艘の船は恙(つつが)なく海上を走りて、冠島(おしま)につきたれば、一同無事を祝しつつ、朝餉(あさげ)をしたためり。教徒(をしへご)達は何(いづ)れも負け嫌ひのものどもなりければ、船路の畏(おそ)ろしかりしことは、口(くち)にする者とてなかりけるが、ただ其(その)中(なか)の一人(いちにん)、中村(なかむら)竹蔵(たけざう)のみは、素直に畏(おそ)ろしかりし事を告白し、且(かつ)海上にて、王仁(わに)の背後(うしろ)に怪しき坊主の付き纏(まと)へるを認め、いかになり行くことかと、心を悩ましたる由(よし)を語り出(い)でたり。
(九十七)その時王仁(わに)教へていふやう、そは艮之大金神の、吾等(われら)を護(まも)らせ給ひけるなり。坊主と見たるは僻目(ひがめ)なりと云へば、村上(むらかみ)清次郎(せいじろう)といふ者、次(つ)ぎに膝(ひざ)を進めて、疾風(はやて)の最(いと)も烈(はげ)しかりし時、われ三個の幣束(へいそく)の天(あめ)より降(くだ)りて、われ等(ら)が船に止(と)まりたるを拝みたり。これまさしく神の御助(みたすけ)ならんと物語りき。
(九十八)帰航の際には、四艘の小船を二艘づつ組み合(あは)せて、二艘の船となし、舟子(りやうし)を励まして、蓆(むしろ)の帆(ほ)を挙げしめ、荒浪(あらなみ)を乗り切らんとしけるは、往航(おうこう)の時にもまして風強く、雨さへ加はりて、怒涛(どとう)澎湃(ほうはい)、船しばしば覆(くつがえ)らんとしければ、王仁(わに)又曩(さき)の如く一同に向ひて改心を戒めければ、風も浪(なみ)も俄(にはか)に止(や)みて、安らかに舞鶴に着きたりき。
(九十九)綾部の大本よりは、教祖よりの御使者(みつかひ)として四方(しかた)平蔵(へいざう)、四方(しかた)春一の二人(ににん)、迎への為めに来(きた)りけるが、吾等(われら)に打向(うちむか)ひ、今朝(けさ)ほどより、陸上(くが)さへなかなか荒模様(あれもよう)にて、家などを倒さんずる光景(けしき)なりければ、海原(うなばら)はさこそ悩まされ給ひしならむ。教祖さまよりも海上の模様を承(うけたま)はりて、一向(ひたすら)御一同の無事を神に祈りたりと物語りき。
(百)一人(いちにん)も過失(あやまち)なく帰ることを得たるは、まさしく艮之金神出口教祖、坤之金神、竜宮の乙姫、その他八百万の神々の御守護(みまもり)にこそと、各自(おのおの)神に感謝し、打揃(うちそろ)ひて竜宮館(りうぐうやかた)に帰りけるに教祖は莞爾(くわんじ)と笑ひ給ひて、いかに海上は面白かりしやと尋ね給ひき。ただ有難かりしのみと、王仁(わに)の答ふるをきき給ひ、重ねて、今日(けふ)卿(なんぢ)等(ら)の無事に帰り来(きた)りしは、誠に神の御助(みたすけ)なり。この後(のち)はゆめゆめ物事を軽んずるなかれと教へ給ひけり。
(百一)これまで王仁(わに)は教祖に随(したが)ひて、二度迄も冠島(おしま)、沓島(めしま)へ参りつることありければ、自(おの)づと心ゆるみて慎(つつ)しみを失ひ、物見(ものみ)遊山(ゆさん)の如くに心得て、荒神(あらがみ)のまします行場(げうば)に、罪重き数多の教徒(おしへこ)達を誘ひ行きたれば、至仁至愛(みろく)の神は、一同の改心を促(うなが)さんとて、かかる苦しみを与へ給ひ、一日も早く、心を誠の道に向け直さしめんとは為し給ひしなりけり。
(百二)変生(へんぜう)男子(なんし)の御霊(みたま)は、いと高き大御神(おほみかみ)の御(おん)妹(いもうと)に座(ま)して、尊き神の御子(みこ)なれど、此世を救はんが為めに、くさぐさの艱難を嘗(な)めて世に下(くだ)り給へり。変生(へんぜう)女子(によし)の御霊(みたま)はいと高き、大御神の御(おん)弟(おとうと)なれど、同じく此世を救はんが為めに、幸栄(さかえ)を棄(す)てて醜(みぐる)しき世に、幾度も下(くだ)り給へり。此等(これら)二つの御霊(みたま)は吾等(われら)の父と母とにして、吾等(われら)の為めに罪の購(あがな)ひをなし給ふなれば、正しき人は、その御徳(みとく)を讃(たた)へ、その御慈(みなさけ)に潤(うるほ)はんことを努(つと)むべし。
(百三)人(ひと)の四魂(しこん)を合(あは)せて心といふ。此(この)心には恥(はづ)ると、悔(くゆ)ると、覚(さと)ると、畏(おそ)るとの四つの役所(やくしよ)あり。荒魂(あらみたま)には恥(はづ)るといふ事いと重く、和魂(にぎみたま)には悔(くゆ)るといふ事いと重し。又奇魂(くしみたま)には覚(さと)るといふ事いと重く、幸魂(さちみたま)には畏(おそ)るといふ事いと重きものと知るべし。
(百四)人は生(うま)れかはらねば、高天原(たかあまはら)に到ること能(あた)はず。生(うま)れ変(かは)るといふは、肉体の事にはあらず。吾(わ)が魂(たましひ)の曇りを去りて、赤児の如き従順(すなほ)なる心に魂を持ち替へて、神の御心(みこころ)に服従(まつろ)ひ奉(まつ)ることなり。赤児が母の乳を尋ぬるが如く、神の道を尋ね慕ふ心こそ、神は受け入れ給ふなれ。
(百五)朝な夕なに、吾等(われら)を守らせ給ふ大神の御仁慈(みなさけ)は、海よりも深く山よりも高し。神は御手(おんて)を延ばして人民を抱(いだ)き給へど心の盲目(めしい)のみ多き人民は、力限りに逃惑(にげまど)ふ。されど尚(な)ほ見棄て給はず、厚きめぐみを加へ給ひて、大峠(おほとうげ)の到らぬ中(うち)に、人民を奈落の底より救ひ出さんと為(し)給(たま)ふこそ有難(ありがた)けれ。
(百六)病に臥(ふ)して苦しみ悩める時にも、神は人の心に一つの喜(よろこび)を与へて、撫恤(いたは)り給へば、人たるものは神を離れて、永くこの世に立つこと能(あた)はじ。神の御力(みちから)と御恵(みめぐみ)は、天津(あまつ)神空(みそら)より、下津(したつ)国(くに)の底までも、充ち流れて尽(つ)くることなく、何物をも潤(うるほ)し給ふこそ尊けれ。
(百七)時(とき)充ちて開(あ)けて嬉れしき玉手箱あり。開けて悔(くや)しき玉手箱あり。心一つの持ちやうにて、嬉(う)れしくもあり、悔(くや)しくもなり、宝もあらはれ、鬼も現(あら)はるべし。時漸(やうや)く充ちたるが故に、変生(へんぜう)男子(なんし)、変生(へんぜう)女子(によし)の直系(ぢきぢき)の二つの御霊(みたま)は、下津(したつ)岩根(いはね)の竜宮館(りうぐうやかた)に下(くだ)されたり。麗(うる)はしき神の御名(みな)世に光り、常夜(とこよ)往(ゆ)く闇の世の明け渡りて、日の出の松の御代(みよ)とならん時こそ、大(おほい)なる世界の玉手箱の、いよいよ開(ひら)かるる時なれ。ゆめゆめ心の持方(もちかた)を過(あやま)つことなかれ。
(百八)天津(あまつ)御国(みくに)を照(てら)させ給ふ、誠の神の御光(みひかり)は、昼と夜との区別(わかち)もなし。今や旭日(あさひ)の如く輝く神ぞ、この地に現(あら)はれませり。日(ひ)の本(もと)の人(ひと)等(ら)、いち早く来(きた)り、其(その)尊き御光(みひかり)を仰げ。苦しめる者も、悩める者も、高きも低きも、老(おい)も若きも、皆(みな)其(その)光をたよりに、踏みて行くべき正道(まさみち)を見出(みいだ)し得む。
(百九)光の神は又力(ちから)の神なり。天地(あめつち)を一つに治め、賞罰(せうばつ)の権(ちから)を握り、生死の鍵を司(つかさど)り給ふ。心の弱き人々等(ら)来(きた)りて頼め、其(その)御教(みをしへ)にだに従はば、あらゆる救ひと、慰めと、麗(うる)はしき生命(いのち)を賜ひ、又いかなる愁(うれ)ひの雲をも吹き散らし給はむ。よしや虎、狼、大蛇(おろち)など牙を研(と)ぎ、爪を露(あら)はして襲ひ来(く)るとも、真正(まこと)の神の御袖(みそで)に縋(すが)りなば、危(あやふ)きことなく、身も魂(たましひ)も常に安かるべし。
(百十)稚比売岐美(わかひめぎみの)命(みこと)は、いろの道にて過ち給へり。此(この)世の乱るるも、家の乱るるも、皆(みな)此(この)色(り)の道より起(おこ)る。其(その)罪の贖(あがな)ひの為(た)めに、幾度(いくたび)も現世(うつしよ)に来(きた)りて苦痛を受け給ひ、終(つひ)に心を改めて出口の教祖とは成り給へり。此御霊(みたま)の罪は数ふるに物なし。そは之に越したる悪事なければなり。
(百十一)速(はや)素盞嗚(すさのをの)命(みこと)は、憐(あはれ)み深き荒神(あらがみ)にましまし、世界の人々に代(かは)りて、天地(てんち)の罪の贖(あがなひ)を為し給へり。世の人誤(あやま)りて、素盞嗚命を罪人と思ふは、畏(おそ)れ多き限りなり。世の中の人々の罪科(つみとが)を免(まぬが)れしめんが為めに、その御身(おんみ)をば天地(てんち)に犠牲(いけにえ)となし給ひしなり。後(のち)天津神の御宥(みゆる)しを得て、月の国へのぼり、月読(つきよみの)命(みこと)と成り給ひて、昔も今も変ることなく、世界を守り給ふ。
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