(九十六)かく諭す程に、四艘の船は恙なく海上を走りて、冠島につきたれば、一同無事を祝しつつ、朝餉をしたためり。教徒達は何れも負け嫌ひのものどもなりければ、船路の畏ろしかりしことは、口にする者とてなかりけるが、ただ其中の一人、中村竹蔵のみは、素直に畏ろしかりし事を告白し、且海上にて、王仁の背後に怪しき坊主の付き纏へるを認め、いかになり行くことかと、心を悩ましたる由を語り出でたり。
(九十七)その時王仁教へていふやう、そは艮之大金神の、吾等を護らせ給ひけるなり。坊主と見たるは僻目なりと云へば、村上清次郎といふ者、次ぎに膝を進めて、疾風の最も烈しかりし時、われ三個の幣束の天より降りて、われ等が船に止まりたるを拝みたり。これまさしく神の御助ならんと物語りき。
(九十八)帰航の際には、四艘の小船を二艘づつ組み合せて、二艘の船となし、舟子を励まして、蓆の帆を挙げしめ、荒浪を乗り切らんとしけるは、往航の時にもまして風強く、雨さへ加はりて、怒涛澎湃、船しばしば覆らんとしければ、王仁又曩の如く一同に向ひて改心を戒めければ、風も浪も俄に止みて、安らかに舞鶴に着きたりき。
(九十九)綾部の大本よりは、教祖よりの御使者として四方平蔵、四方春一の二人、迎への為めに来りけるが、吾等に打向ひ、今朝ほどより、陸上さへなかなか荒模様にて、家などを倒さんずる光景なりければ、海原はさこそ悩まされ給ひしならむ。教祖さまよりも海上の模様を承はりて、一向御一同の無事を神に祈りたりと物語りき。
(百)一人も過失なく帰ることを得たるは、まさしく艮之金神出口教祖、坤之金神、竜宮の乙姫、その他八百万の神々の御守護にこそと、各自神に感謝し、打揃ひて竜宮館に帰りけるに教祖は莞爾と笑ひ給ひて、いかに海上は面白かりしやと尋ね給ひき。ただ有難かりしのみと、王仁の答ふるをきき給ひ、重ねて、今日卿等の無事に帰り来りしは、誠に神の御助なり。この後はゆめゆめ物事を軽んずるなかれと教へ給ひけり。
(百一)これまで王仁は教祖に随ひて、二度迄も冠島、沓島へ参りつることありければ、自づと心ゆるみて慎しみを失ひ、物見遊山の如くに心得て、荒神のまします行場に、罪重き数多の教徒達を誘ひ行きたれば、至仁至愛の神は、一同の改心を促さんとて、かかる苦しみを与へ給ひ、一日も早く、心を誠の道に向け直さしめんとは為し給ひしなりけり。
(百二)変生男子の御霊は、いと高き大御神の御妹に座して、尊き神の御子なれど、此世を救はんが為めに、くさぐさの艱難を嘗めて世に下り給へり。変生女子の御霊はいと高き、大御神の御弟なれど、同じく此世を救はんが為めに、幸栄を棄てて醜しき世に、幾度も下り給へり。此等二つの御霊は吾等の父と母とにして、吾等の為めに罪の購ひをなし給ふなれば、正しき人は、その御徳を讃へ、その御慈に潤はんことを努むべし。
(百三)人の四魂を合せて心といふ。此心には恥ると、悔ると、覚ると、畏るとの四つの役所あり。荒魂には恥るといふ事いと重く、和魂には悔るといふ事いと重し。又奇魂には覚るといふ事いと重く、幸魂には畏るといふ事いと重きものと知るべし。
(百四)人は生れかはらねば、高天原に到ること能はず。生れ変るといふは、肉体の事にはあらず。吾が魂の曇りを去りて、赤児の如き従順なる心に魂を持ち替へて、神の御心に服従ひ奉ることなり。赤児が母の乳を尋ぬるが如く、神の道を尋ね慕ふ心こそ、神は受け入れ給ふなれ。
(百五)朝な夕なに、吾等を守らせ給ふ大神の御仁慈は、海よりも深く山よりも高し。神は御手を延ばして人民を抱き給へど心の盲目のみ多き人民は、力限りに逃惑ふ。されど尚ほ見棄て給はず、厚きめぐみを加へ給ひて、大峠の到らぬ中に、人民を奈落の底より救ひ出さんと為給ふこそ有難けれ。
(百六)病に臥して苦しみ悩める時にも、神は人の心に一つの喜を与へて、撫恤り給へば、人たるものは神を離れて、永くこの世に立つこと能はじ。神の御力と御恵は、天津神空より、下津国の底までも、充ち流れて尽くることなく、何物をも潤し給ふこそ尊けれ。
(百七)時充ちて開けて嬉れしき玉手箱あり。開けて悔しき玉手箱あり。心一つの持ちやうにて、嬉れしくもあり、悔しくもなり、宝もあらはれ、鬼も現はるべし。時漸く充ちたるが故に、変生男子、変生女子の直系の二つの御霊は、下津岩根の竜宮館に下されたり。麗はしき神の御名世に光り、常夜往く闇の世の明け渡りて、日の出の松の御代とならん時こそ、大なる世界の玉手箱の、いよいよ開かるる時なれ。ゆめゆめ心の持方を過つことなかれ。
(百八)天津御国を照させ給ふ、誠の神の御光は、昼と夜との区別もなし。今や旭日の如く輝く神ぞ、この地に現はれませり。日の本の人等、いち早く来り、其尊き御光を仰げ。苦しめる者も、悩める者も、高きも低きも、老も若きも、皆其光をたよりに、踏みて行くべき正道を見出し得む。
(百九)光の神は又力の神なり。天地を一つに治め、賞罰の権を握り、生死の鍵を司り給ふ。心の弱き人々等来りて頼め、其御教にだに従はば、あらゆる救ひと、慰めと、麗はしき生命を賜ひ、又いかなる愁ひの雲をも吹き散らし給はむ。よしや虎、狼、大蛇など牙を研ぎ、爪を露はして襲ひ来るとも、真正の神の御袖に縋りなば、危きことなく、身も魂も常に安かるべし。
(百十)稚比売岐美命は、いろの道にて過ち給へり。此世の乱るるも、家の乱るるも、皆此色の道より起る。其罪の贖ひの為めに、幾度も現世に来りて苦痛を受け給ひ、終に心を改めて出口の教祖とは成り給へり。此御霊の罪は数ふるに物なし。そは之に越したる悪事なければなり。
(百十一)速素盞嗚命は、憐み深き荒神にましまし、世界の人々に代りて、天地の罪の贖を為し給へり。世の人誤りて、素盞嗚命を罪人と思ふは、畏れ多き限りなり。世の中の人々の罪科を免れしめんが為めに、その御身をば天地に犠牲となし給ひしなり。後天津神の御宥しを得て、月の国へのぼり、月読命と成り給ひて、昔も今も変ることなく、世界を守り給ふ。