霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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55~95

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題名: 著者:
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概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: 文字数: OBC :B115006c06
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正9年7月11日号(第120号) > たまの礎(裏の神諭)
(五十五)斯道(このみち)の正しき言葉を受けざる者は、心の外国人なり。籍(せき)は日本の人民なりとも、神は之を外国人と見なし給へばなり。故にいかにしても耳を傾けざる人には、この道は説くことなかれ、却(かへ)りて神を汚(けが)し、道を汚(けが)し、又爾(なんぢ)等(ら)を汚(けが)さん。
(五十六)暗きに隠れて信仰すべからず。いと高きに現れて、此(この)暗き夜(よ)の灯(ともしび)となりて、人を救ひ、人を導くべし。かくてこそ神の御光(みひかり)も現(あらは)れ、神の御心(みこころ)にも協(かな)ふものなれ。
(五十七)絹袖(きぬそで)を纏(まと)ふもの、金銀を身に着(つ)けて飾るもの、心に洋服を着るもの、心に靴を穿(は)くもの、牛を食(くら)ひ、豚を食(くら)ひ、その外(ほか)四ツ足を食(くら)らふものは、大神の心に協(かな)はざるものなり、慎むべし。
(五十八)平生(へいぜい)綿服(めんぷく)を身に纏(まと)ふ者、旅立(たびだち)に菅笠(すげがさ)、蓙(ござ)を被(かぶ)るもの、草鞋(わらぢ)を穿(は)きて行くもの、履物(はきもの)は栗の木下駄(きげた)に竹の皮緒(かはを)と、藁(わら)の鼻緒(はなを)とを用(もち)ゆる者は、大神の御心(みこころ)に協(かな)へる者なり。
(五十九)正(ただ)しき道に赴(おもむ)かんとする時は、曲津神は之を忌(い)み畏れて、あらゆる妨害を試むるものなり。曲津神の好みて襲ふは其(その)家(いへ)の人なり、親の口(くち)を用ゐて妨(さまた)ぐることあり。妻子(つまこ)の口(くち)を借りて妨ぐることあり。兄弟姉妹の口(くち)を借りて妨ぐることあり。外形のみを見て、ゆめ正邪の審判を誤ることなかれ。
(六十)厳(いづ)の御魂(みたま)瑞(みづ)の御魂(みたま)の神代(かみしろ)を、神の宮と思ひて敬ふものは、神に近づくことを得(う)べし。人と思ふものは、人の徳を受くべし。又悪魔と見做(みな)すものは悪魔となるべし。神は其人の心のまにまに守り玉へばなり。
(六十一)泥水(どろみづ)の世を固め給へる国常立命は、世界の父にして豊雲野命は母なり。父と母との御霊(みたま)現(あらは)れて、世界の身魂(みたま)の罪を払ひ清めて、高天原へ導かせ玉ふ。
(六十二)変生(へんぜう)男子(なんし)を知りて、変生(へんぜう)女子(によし)の誠の心を汲み取ること能(あた)はざる者は、誠の神の御心(みこころ)に協(かな)はざるものなり。男子(なんし)の苦労は眼(め)を以て見ることを得(う)べしといへども、女子(によし)の苦労は容易(たやすく)見るべからざるなり。そは、変生(へんぜう)男子(なんし)は肉体の上に苦労あるのみならず、弥(いや)が上(うへ)にも身を慎みて、ひたすら筆先の御用にのみ仕へまつればなり。手足を動かして日常の仕事に従はぬ者は、批難の種を蒔(ま)かんにも、蒔くべき遑(いとま)とてなければ也(なり)。
(六十三)之(これ)に反して、女子(によし)は実行を以て人を導くが故に、其(その)一挙一動には表あり、裏ありて、常に善悪混交するを免(まぬが)れず。内実は善き事も表面(うはべ)には悪しく見え、甲の喜ぶ事、必ずしも乙の賛する所とは成り難し。すべて表面(うはべ)より苦しく見ゆるものは、却(かへつ)て心に楽(たのし)みあり。表面(うはべ)より気楽に見ゆる者は、却(かへつ)て其心に苦しみあるものなり。
(六十四)神を斎(いつ)き祀(まつ)らんとする者は、顕斎(けんさい)と幽斎(ゆうさい)との区別を弁(わきま)ふべし。顕斎は神を祀るものなれば、宮殿(みやどの)あり、祝詞あり、供物(そなへもの)あり、奠幣(みてぐら)[※奠幣(みてぐら)とは、幣帛(へいはく)のこと。]ありて、神の御徳(おんとく)を感謝する道なり。又幽斎は己れの霊を以て、まことの神の霊に対して祈るものなれば、社(やしろ)も宮(みや)もなく、又奠幣(みてぐら)も供物(そなへもの)もなし。顕斎のみに偏るも、幽斎のみに偏るも、共に全き道にはあらざるなり。
(六十五)賢き者、敏(さと)き者は、かへりて神の御心(みこころ)を悟らず、幽界(かくりよ)の神の御守護(みまもり)あることを知らずして、何事も智識の働きと誤解するもののみ多し。彼等(かれら)の心の庫(くら)には、さまざまの雑物(ざうぶつ)充ち充ちたるが故に、新(あらた)に神の教への宝を収むるの隙間もあらず。あはれむべき者は、智者、学者と呼ばるる徒(やから)なるべし。
(六十六)艮の金神を斎(いつ)きまつれる、麗(うる)はしき誠の宮は厳(いづ)の身魂(みたま)の内(うち)に在り。坤の金神の、いと麗(うる)はしき宮は、瑞(みづ)の身魂(みたま)の内(うち)に在り。故にこの二個(ふたつ)の肉体は、父と母との住みませる、尊き宮居なれば、斯道(このみち)の信徒(まめひと)たらんものは、慎みて之を汚(けが)さざるやう心(こころ)懸(が)くべきなり。
(六十七)日光(につこう)の宮は、金銀を鏤(ちりば)め、黄金(こがね)に飽(あか)して造られたれば、世に並びなき御社(みやしろ)なり。されど此(この)大本の信徒(まめひと)の種(たね)の、いと些(ちい)さき者の肉体よりも遙(はるか)に劣れるものなり。誠の信徒(まめひと)の肉体は世界を救ふ、誠の水晶の神の隠れます。瑞(みづ)の御舎(みあらか)なればなり。
(六十八)今の世に国祖の神の現(あらは)れ給ふは、恰(あたか)も盗人(ぬすびと)の群に一人(いちにん)の捕手(とりて)の現(あらは)れしが如し。逃げ迷ふものあり、力限り刃向ふものあり、又畏(おそ)れて心を改むるものなきにあらず。もとより鬼と賊(ぞく)との世の中なれば、悔ひ改むる者は少(すくな)くて、敵対(てきと)ふものは限りなけれど、今や神界は、国常立の神の統理の下(もと)に置かれたれば、従はざるものは、遂に厳しき審判(さばき)を免(まぬが)れざるべし。
(六十九)王仁(わに)初めは親を養ひ兄弟姉妹を育て、家を斎(ととの)へて、而(しか)して後(のち)に神に仕へたりしが、未だ親さへも養ひ得ざるうちに数多の畏(おそ)るべき罪を重ねたり。況(ま)して兄弟姉妹までも、それぞれに目鼻をつけんとする時は、その造る罪の幾干(いくばく)ぞや。量(はか)り知るべからずと、心(こころ)づきて道に服(した)がひき。
(七十)親のいふことはいかなる無理難題といへども、素直に従ふべしとは、これまでに幾度(いくたび)もききし所なり。されどその親にして、悪を勧(すす)め身を汚(けが)さしめんとしたるときは、之に従ふべからず。かかる時は一時(いちじ)親に反(そむ)きて誠の道に赴(おもむ)くべし。誠の道を覚りて後(のち)に親を諫(いさ)めて、之を善に導くは子たる者の任務にして、根の国に落ち行く親を高天原へ救ひ上ぐる、いとも、正しき行ひと成るべし。
(七十一)日本に生(うま)れたりとも、霊主体従(ひのもと)の神の行ひをせざる者は異邦人(とつくにびと)なり。又異邦人(とつくにびと)なりとも、この国の教(をしへ)を守る者は霊主体従(ひのもと)の神の民(たみ)なり。今の日本は上も下も大方(おほかた)は異邦人(とつくにびと)となれり。そは大和(やまと)魂(だましひ)といふ精霊を失ひて、神の御国(みくに)を知らざるが故なり。
(七十二)至聖人(しせいじん)といへども、大賢人(だいけんじん)といへども、これ皆(みな)人より讃(たた)へしものなり。真(まこと)の神の完(まつた)き眼(まなこ)より見そなはし給ふ時は、孔子も、釈迦も、基督も未(いま)だ完(まつた)きものにあらざるべし。況(ま)してや其他(そのた)の予言者に於てをや。天地(てんち)を造り固めなし給へる神より外(ほか)に、完(まつた)きはなきものと知れ。
(七十三)誠の教(をしへ)を聞きて、誠の道の畑を開(ひら)き、誠の道の種子(たね)を蒔(ま)かんとする時は、猪(ゐのしし)来(きた)りて其(その)畑を荒らし、烏(からす)来(きた)りて其種子(たね)を啄(つひば)み、悪魔来(きた)りて雑草の種子(たね)を頻蒔(しきま)きす。故に種子(たね)を蒔きて苗の生立(おひた)つまでは、深く心を用ゐ、草を除き、獣(けもの)を斥(しりぞ)け、害虫を払ひ、水を濺(そそ)ぐべし。刈込(かりこ)みの時(とき)到らば、其酬(むく)ひ忽(たちま)ち現(あらは)るべし。
(七十四)貧しき者は幸(さいはひ)なり。そは高天原に到らん時、心に懸(かか)る重荷なければなり。富める者は種々(さまざま)の重荷身に纏(まと)ひて、高天原に到らんとすれども、能(あた)はず。苦しみ悶(もだ)へつつ、終(つひ)に奈落の底に沈み行くものなり。故に現世(このよ)にて、富める者ほど憐れむべきものはあらず。富める者の高天原に到らんとするは、蜆(しじみ)を以て大海(たいかい)を替乾(かへほ)さんとするよりも難(がた)し。
(七十五)世の中の事は、大方(おほかた)金銀(きんぎん)を以て之を処分し得(う)べく、又(また)智識学術を以て之を解決することを得(う)べし。されど、そは真(まこと)の栄(さかえ)にあらず。真(まこと)の栄(さかえ)は、高天原の神の差添(さしそへ)の種子(たね)なり。そは金銀智識を以て得(う)べからず。ただ心の誠を以て授かり得(う)べきなり。
(七十六)或る日王仁(わに)西原(にしはら)に行きて、この道を述べ伝へて、迷へる信徒(しんと)を救はんとしける時、教祖は之を押しとどめ給へり。王仁(わに)怪しみて問ふて曰く、神は人を救ふを以て心とし給ふべきに、今之をとどめ給ふは何故ぞ。われ等(ら)は之を傍観するに忍びずと、いきまきたりき。
(七十七)その時教祖(けうそ)は徐(おもむ)ろに諭し給はく、西原(にしはら)は神より屡(しばしば)不思議を示し、或(あるひ)は病を癒やし、或(あるひ)は家を富ませ、今迄に幾度(いくたび)となく信仰の手懸(てがか)りを与へ給ひ、われ自(みづか)らも屡(しばしば)行きて教へ諭したれど、疑ひ深くして、正しき道に就(つ)くものはなし。立替(たてかへ)の日(ひ)到りなば、彼等(かれら)は厳しき懲罰(みせしめ)に逢ふべし。行くなかれ。行かば行くほど、説かば説くほど、彼等は自己(おの)が汚(けが)れし心に引きくらべて、神の御心(みこころ)を曲解せむ。憐れむべきものなれど、因縁なき者は、之を助くるの手段(てだて)なしと教へ給ひき。
(七十八)或る日西原(にしはら)の人某(なにがし)来(きた)りて王仁(わに)に向(むか)ひ、われこの度(たび)図(はか)らざる不運に遇へり。願はくば救ひ玉へと、庭に蹲(うづく)まりて萎(しほ)れ居りければ、王仁(わに)立所(たちどころ)に答へていはく、そは金子(かね)の件(こと)なるべし五円紙幣(さつ)二枚紛失したるならむ。爾(なんぢ)家に帰りて口(くち)の間(ま)の畳の下を捜せ。爾(なんぢ)の妻の置き忘れたるのみと言へば、急ぎ帰りて捜しけるに、果(はた)して畳の下に件(くだん)の紙幣(しへい)は隠されありき。
(七十九)彼(か)の人の歓びしは暫時(しばし)の間(ま)にて、四日五日と日の経つに連れて彼(かれ)は村の人々に向ひ、綾部の金神とは名ばかりにて実は狐を使へるならん。然(しか)らざれば、一里も隔(へだ)てたる所に在りて吾が家の畳の下まで知るべき縁由(いはれ)なし。畏(おそ)るべき悪魔の巣窟(すみか)なれば、ゆめゆめ近寄るなかれと、悪しきざまに言ひ触らしければ、西原(にしはら)の信徒(しんと)等(ら)、皆畏(おそ)れて斯(こ)の教(をしへ)に遠ざかりき。
(八十)同じ村に野崎(のざき)某(なにがし)といふ十八歳の男子(をのこ)、三年(みとせ)前(まへ)より悪霊(あくれい)に憑(つ)かれて暴(あら)び狂ひ、家族をはじめ、村人達を苦しめ居たりけるが王仁(わに)鷹栖(たかのす)に帰神(かんがかり)の修行場(しうげうば)を開(ひら)きける時、その親(おや)狂へる子を連れ来(きた)りて、病の癒(いや)されんことを乞ふ。王仁(わに)直ちに言葉もて、其の悪霊(あくれい)を逐ひ出しければ、彼(かれ)初めて眼(め)の覚めたる如く正気に復(かへ)りたりき。
(八十一)彼(かれ)の親達いたく歓(よろこ)びて、厚く礼を述べて帰りぬ。彼(かれ)今や第二十連隊に入営して、いとまめまめしく服役しつつあり。然(しか)るに西原(にしはら)の村人等(たち)、王仁(おに)なる人は悪魔の頭目(かしら)なるべし。悪魔の頭目(かしら)なるが故に、悪魔を追ひ出したるにこそとて、以前に増して、口々に悪しく罵(ののし)りたりき。
(八十二)同じ村に、西村(にしむら)某(それがし)といへる少女(をとめ)、鬼に憑(つ)かれて四(よ)とせ五(いつ)とせ前より猛(たけ)り狂ひて、親兄弟、親族、村人に煩累(わづらひ)を掛けたりしが、王仁(わに)上谷(うへだに)にて修行なしける時、彼(かれ)の母伴(ともな)ひ来(きた)りて救助(すくひ)を乞ふ。王仁(わに)直ちに言葉もて鬼を逐ひ出しけるに、鬼驚(おどろ)きて娘を地の上に押倒(おしたふ)して逃げ出しけり。その時娘(むすめ)の身は硬化して石の如く、ただ眼(め)のみギロギロと光りて、物凄きこと言はん方(かた)なし。王仁(わに)静かに彼の額に手を当てて、爾(なんぢ)恕(ゆる)さんと言へるに、その娘声(こゑ)諸共(もろとも)に起き上(あが)りて、病(やまひ)全く癒(い)えたりき。然(しか)るに悪に強き西原の者は、ますます王仁(わに)を罵(ののし)りて、悪魔の頭目(かしら)なりとし、尚(な)ほ悪しき名を、普(あま)ねく遠近(おちこち)の村にまで拡めたりき。
(八十三)誠の道を諭せども、悟ることを知らざるが故に、神は変生(へんぜう)男子(なんし)、変生(へんぜう)女子(によし)を用ゐて不思議を現はし、恩沢(めぐみ)を与へ給へど、彼等は益々(ますます)疑ひて、悪の眼(まなこ)もて観るが故に、一つとして悟ることなし。心の眼(まなこ)を失ひたる程(ほど)、世に憐れむべき者はなし。出口教祖が早くも之を看破し給へるには、王仁(わに)も今更(いまさら)の如く深く感じて、その後(のち)は西原の事を思ひ切りたりき。
(八十四)独りこの村のみならず、今の世界の隅々まで皆(みな)かくの如し。限りなき愛に充ちませる真正(まこと)の神は、天下の蒼生(あをひとぐさ)の罪を歎かせ給ひて、畏(おそ)れ多くも下津(したつ)岩根(いはね)の竜宮館(りうぐうやかた)に厳(いづ)と瑞(みづ)との経緯(たてよこ)の御魂(みたま)を下(くだ)して、錦(にしき)の御機(みはた)を織らせ給ふ。されば今の内(うち)に早く悔ひあらためて、元の日本(やまと)魂(だましひ)に立返(たちかへ)り、神の御業(みわざ)を四方(よも)の国々島々までも輝かし奉(まつ)りて、神の御子(みこ)たるに愧(は)ぢざる行ひをなすべし。
(八十五)明治三十三年六月二十八日、王仁(わに)は二十一人の教徒(をしへこ)を伴ひ、丹後の沓島(めしま)に渡らんとして大本を立ち出(い)でけるが、大石(おほいし)なる木下(きのした)慶太郎(けいたろう)が宅に、しばし足を休めける時、坤の金神王仁(わに)に憑(かか)り給ひて、この度(たび)は教徒(をしへこ)の心を試さんが為めなれば疾風(はやて)起(おこ)りて浪(なみ)荒(あ)らく、船は屡次(しばしば)覆(くつがへ)らんとすることあらむ。されど神に任せて驀地(まつしぐら)に進み行け。神之(これ)を守らんと諭し玉ひたりき。
(八十六)その時王仁(わに)半紙四十枚を命じて、一枚毎(ごと)に神の御名(おんな)を記し、肌の守(まもり)にせよとて、二十人の教徒(をしへこ)に渡せば、何(いづ)れも何心(なにごころ)なく打ち喜びて押し戴き、おのがじし懐中(ふところ)に収めたりき。かくて舞鶴なる船問屋(ふなどひや)大丹生屋(おほにふや)といふに着きて、舟子(かこ)四人と小船四艘を命じたりき。
(八十七)その時空(そら)は黒雲(くろくも)一面に塞がりて、風吹きすさみ、雨さへ降り来(きた)りければ、雇(やと)へる四人の漁夫(りやうし)どもは、海の荒きを畏(おそ)れ、命(めい)に応ぜずして帰り行けり。王仁(わに)宿(やど)の主人(あるじ)に告げて曰く、今宵九時までに船を出し呉れなば、沓島(めしま)迄は雨も風もなく、いと恙(つつが)なく着くことを得む。それまでに船人(ふなびと)を傭(やと)ひ呉れよといひければ、主人(あるじ)は諾(うべな)ひて、舞鶴八百人の漁夫(れうし)の内(うち)にて、屈強の者四人を選びて連れ来(きた)りぬ。
(八十八)主人(あるじ)は漁夫(れうし)どもに打ち向(むか)ひ、此(この)人は誠に神の御使(みつかひ)なり。今迄に二度までも出口教祖と共に、冠島(をしま)沓島(めしま)に赴(おもむ)かれし御方(おんかた)なれば、いかなる暴風にも、怒涛にも、駭(おどろ)くに及ばずと物語れば、漁夫(れうし)どもも日頃(ひごろ)頼める主人(あるじ)の言葉を疑はず、直(ただち)に船の準備に掛(かか)りければ、その間(ま)に一行は膳(ぜん)に向ひて晩餐(ゆうげ)をしたためぬ。
(八十九)天候の険悪なるまま、思ひの外(ほか)準備(したく)に隙(ひま)を費(つひや)し、船の出(いで)たるは早(はや)十時なりき。船中にては一行打ち揃ひて、祝詞を唱へ乍ら、次第に港口(こうこう)へと進み行きけるが、やがて博奕(ばくち)と云へる岬を廻(めぐ)りて、洋々たる海の上に乗り出でたる折しもあれ、烈(はげ)しき風と共に、波浪は俄(にはか)に狂ひ出でぬ。
(九十)王仁(わに)は何気なく、うつらうつらと仮睡(うたたね)して居たりけるが、やがて慌(あわただ)しくわれを呼び起(をこ)す声に驚かされて眼(まなこ)をあぐれば、東の空は墨(すみ)を流したるが如く黒きが中(なか)に、火よりも紅(あか)き雲の打ち混(まじ)りて、悽(ものすご)きこと言はん方(かた)なく、今にも疾風(はやて)襲ひ来て、人も船も一(ひ)と呑みにせんとする荒模様となり居たりき。
(九十一)風は益々(ますます)吹き荒(すさ)み、浪(なみ)はいよいよ逆巻(さかま)きて、乗れる小船のさながら手鞠(てまり)の如く弄(もてあそ)ばれんとするも、血気の船人(ふなびと)、日頃の手練(しゆれん)を見するは今ぞと、力限りに櫓(ろ)を操(あやつ)れど、山なす怒涛をいかんともする能(あた)はず、やがて総身(そうしん)綿(わた)の如く疲れ果てければ、かくと見たる二十一人の教徒(をしへご)も、顔の色は土の如く、生きたる心地ぞなかりける。
(九十二)教徒(をしへご)の一人声を慄(ふる)はして、竜宮さまは吾等(われら)を殺さんと為(し)給(たま)ふならむ。願(ねが)はくは先生より神に謝して、宥(ゆる)されんことを祈り給へと打ち叫ぶ。王仁(わに)莞爾(くわんじ)として、少時(しばし)一同の顔を打ち眺(なが)め居たりしが、やがて徐(おもむ)ろに口(くち)を開(ひら)きて、爾(なんぢ)等(ら)日頃千尋(ちひろ)の海より深き罪の海に沈めるを、そを少しも畏(おそ)るることを知らず。何とてかかる浅き海を畏(おそ)るることの甚(はなは)だしきや。されど爾(なんぢ)等(ら)心(こころ)安(やす)かれ、風も浪(なみ)も直(ただち)に和(な)ぎなんとて、船絃(ふなばた)に立ち、日の出の扇(あふぎ)をあげて、風(かぜ)鎮まれと呼ばはりければ、風も浪(なみ)も俄(にはか)に鎮まりたりき。
(九十三)漁夫(りやうし)達は驚きて、この人達は只人(ただびと)ならじ、吾等(われら)は海の上を我(わが)家(いへ)の如く思ひつれど、月日(つきひ)の如き疾風(はやて)に遇ひたるは初めてなれば、いかがはせんと、心ひそかに案じ居たるに、風も浪(なみ)も御指図(おさしづ)に従ひけるは、不思議といふも愚(おろか)なりとて、舌を巻きてぞ感じける。教徒(をしへご)一同も、始めて神の御力(みちから)の大いなるには、今更の如く驚きたりき。
(九十四)教徒(をしへご)の中には信仰の薄きものありて、いたく風と浪(なみ)を畏(おそ)れ、船の底にかぶり付きたるままの者ありき。王仁(わに)之(これ)に打ち向ひ、爾(なんぢ)等(ら)家(いへ)に在りて、青き畳の上にて悪しき業(わざ)を為すを畏(おそ)るるや。又は神の御教(みをしへ)のまにまに、荒(あ)らき海の上に漂ふを畏(おそ)るるやと問へば、互(たがひ)に顔(かほ)見合はすばかりにて、一人も答ふるものなかりき。
(九十五)乃(すなは)ち王仁(わに)諭して曰く、人の此(この)世に在るや、恰(あたか)も吹き荒(すさ)む風と浪(なみ)とに闘ひつつ、際涯(はてし)なき海の上を行くが如し。誠に人の身の上ほど危(あやふ)きものはなし。今この船に、舵(かぢ)と船子(ふなびと)となからむか、爾(なんぢ)等(ら)は忽(たちま)ち海底の藻屑(もくづ)と成り果てなむ。人も亦(また)神と信仰なき時は、一時(いちじ)も生命(いのち)を維(つな)ぐこと能(あた)はじ。
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