(五十五)斯道の正しき言葉を受けざる者は、心の外国人なり。籍は日本の人民なりとも、神は之を外国人と見なし給へばなり。故にいかにしても耳を傾けざる人には、この道は説くことなかれ、却りて神を汚し、道を汚し、又爾等を汚さん。
(五十六)暗きに隠れて信仰すべからず。いと高きに現れて、此暗き夜の灯となりて、人を救ひ、人を導くべし。かくてこそ神の御光も現れ、神の御心にも協ふものなれ。
(五十七)絹袖を纏ふもの、金銀を身に着けて飾るもの、心に洋服を着るもの、心に靴を穿くもの、牛を食ひ、豚を食ひ、その外四ツ足を食らふものは、大神の心に協はざるものなり、慎むべし。
(五十八)平生綿服を身に纏ふ者、旅立に菅笠、蓙を被るもの、草鞋を穿きて行くもの、履物は栗の木下駄に竹の皮緒と、藁の鼻緒とを用ゆる者は、大神の御心に協へる者なり。
(五十九)正しき道に赴かんとする時は、曲津神は之を忌み畏れて、あらゆる妨害を試むるものなり。曲津神の好みて襲ふは其家の人なり、親の口を用ゐて妨ぐることあり。妻子の口を借りて妨ぐることあり。兄弟姉妹の口を借りて妨ぐることあり。外形のみを見て、ゆめ正邪の審判を誤ることなかれ。
(六十)厳の御魂瑞の御魂の神代を、神の宮と思ひて敬ふものは、神に近づくことを得べし。人と思ふものは、人の徳を受くべし。又悪魔と見做すものは悪魔となるべし。神は其人の心のまにまに守り玉へばなり。
(六十一)泥水の世を固め給へる国常立命は、世界の父にして豊雲野命は母なり。父と母との御霊現れて、世界の身魂の罪を払ひ清めて、高天原へ導かせ玉ふ。
(六十二)変生男子を知りて、変生女子の誠の心を汲み取ること能はざる者は、誠の神の御心に協はざるものなり。男子の苦労は眼を以て見ることを得べしといへども、女子の苦労は容易見るべからざるなり。そは、変生男子は肉体の上に苦労あるのみならず、弥が上にも身を慎みて、ひたすら筆先の御用にのみ仕へまつればなり。手足を動かして日常の仕事に従はぬ者は、批難の種を蒔かんにも、蒔くべき遑とてなければ也。
(六十三)之に反して、女子は実行を以て人を導くが故に、其一挙一動には表あり、裏ありて、常に善悪混交するを免れず。内実は善き事も表面には悪しく見え、甲の喜ぶ事、必ずしも乙の賛する所とは成り難し。すべて表面より苦しく見ゆるものは、却て心に楽みあり。表面より気楽に見ゆる者は、却て其心に苦しみあるものなり。
(六十四)神を斎き祀らんとする者は、顕斎と幽斎との区別を弁ふべし。顕斎は神を祀るものなれば、宮殿あり、祝詞あり、供物あり、奠幣ありて、神の御徳を感謝する道なり。又幽斎は己れの霊を以て、まことの神の霊に対して祈るものなれば、社も宮もなく、又奠幣も供物もなし。顕斎のみに偏るも、幽斎のみに偏るも、共に全き道にはあらざるなり。
(六十五)賢き者、敏き者は、かへりて神の御心を悟らず、幽界の神の御守護あることを知らずして、何事も智識の働きと誤解するもののみ多し。彼等の心の庫には、さまざまの雑物充ち充ちたるが故に、新に神の教への宝を収むるの隙間もあらず。あはれむべき者は、智者、学者と呼ばるる徒なるべし。
(六十六)艮の金神を斎きまつれる、麗はしき誠の宮は厳の身魂の内に在り。坤の金神の、いと麗はしき宮は、瑞の身魂の内に在り。故にこの二個の肉体は、父と母との住みませる、尊き宮居なれば、斯道の信徒たらんものは、慎みて之を汚さざるやう心懸くべきなり。
(六十七)日光の宮は、金銀を鏤め、黄金に飽して造られたれば、世に並びなき御社なり。されど此大本の信徒の種の、いと些さき者の肉体よりも遙に劣れるものなり。誠の信徒の肉体は世界を救ふ、誠の水晶の神の隠れます。瑞の御舎なればなり。
(六十八)今の世に国祖の神の現れ給ふは、恰も盗人の群に一人の捕手の現れしが如し。逃げ迷ふものあり、力限り刃向ふものあり、又畏れて心を改むるものなきにあらず。もとより鬼と賊との世の中なれば、悔ひ改むる者は少くて、敵対ふものは限りなけれど、今や神界は、国常立の神の統理の下に置かれたれば、従はざるものは、遂に厳しき審判を免れざるべし。
(六十九)王仁初めは親を養ひ兄弟姉妹を育て、家を斎へて、而して後に神に仕へたりしが、未だ親さへも養ひ得ざるうちに数多の畏るべき罪を重ねたり。況して兄弟姉妹までも、それぞれに目鼻をつけんとする時は、その造る罪の幾干ぞや。量り知るべからずと、心づきて道に服がひき。
(七十)親のいふことはいかなる無理難題といへども、素直に従ふべしとは、これまでに幾度もききし所なり。されどその親にして、悪を勧め身を汚さしめんとしたるときは、之に従ふべからず。かかる時は一時親に反きて誠の道に赴くべし。誠の道を覚りて後に親を諫めて、之を善に導くは子たる者の任務にして、根の国に落ち行く親を高天原へ救ひ上ぐる、いとも、正しき行ひと成るべし。
(七十一)日本に生れたりとも、霊主体従の神の行ひをせざる者は異邦人なり。又異邦人なりとも、この国の教を守る者は霊主体従の神の民なり。今の日本は上も下も大方は異邦人となれり。そは大和魂といふ精霊を失ひて、神の御国を知らざるが故なり。
(七十二)至聖人といへども、大賢人といへども、これ皆人より讃へしものなり。真の神の完き眼より見そなはし給ふ時は、孔子も、釈迦も、基督も未だ完きものにあらざるべし。況してや其他の予言者に於てをや。天地を造り固めなし給へる神より外に、完きはなきものと知れ。
(七十三)誠の教を聞きて、誠の道の畑を開き、誠の道の種子を蒔かんとする時は、猪来りて其畑を荒らし、烏来りて其種子を啄み、悪魔来りて雑草の種子を頻蒔きす。故に種子を蒔きて苗の生立つまでは、深く心を用ゐ、草を除き、獣を斥け、害虫を払ひ、水を濺ぐべし。刈込みの時到らば、其酬ひ忽ち現るべし。
(七十四)貧しき者は幸なり。そは高天原に到らん時、心に懸る重荷なければなり。富める者は種々の重荷身に纏ひて、高天原に到らんとすれども、能はず。苦しみ悶へつつ、終に奈落の底に沈み行くものなり。故に現世にて、富める者ほど憐れむべきものはあらず。富める者の高天原に到らんとするは、蜆を以て大海を替乾さんとするよりも難し。
(七十五)世の中の事は、大方金銀を以て之を処分し得べく、又智識学術を以て之を解決することを得べし。されど、そは真の栄にあらず。真の栄は、高天原の神の差添の種子なり。そは金銀智識を以て得べからず。ただ心の誠を以て授かり得べきなり。
(七十六)或る日王仁西原に行きて、この道を述べ伝へて、迷へる信徒を救はんとしける時、教祖は之を押しとどめ給へり。王仁怪しみて問ふて曰く、神は人を救ふを以て心とし給ふべきに、今之をとどめ給ふは何故ぞ。われ等は之を傍観するに忍びずと、いきまきたりき。
(七十七)その時教祖は徐ろに諭し給はく、西原は神より屡不思議を示し、或は病を癒やし、或は家を富ませ、今迄に幾度となく信仰の手懸りを与へ給ひ、われ自らも屡行きて教へ諭したれど、疑ひ深くして、正しき道に就くものはなし。立替の日到りなば、彼等は厳しき懲罰に逢ふべし。行くなかれ。行かば行くほど、説かば説くほど、彼等は自己が汚れし心に引きくらべて、神の御心を曲解せむ。憐れむべきものなれど、因縁なき者は、之を助くるの手段なしと教へ給ひき。
(七十八)或る日西原の人某来りて王仁に向ひ、われこの度図らざる不運に遇へり。願はくば救ひ玉へと、庭に蹲まりて萎れ居りければ、王仁立所に答へていはく、そは金子の件なるべし五円紙幣二枚紛失したるならむ。爾家に帰りて口の間の畳の下を捜せ。爾の妻の置き忘れたるのみと言へば、急ぎ帰りて捜しけるに、果して畳の下に件の紙幣は隠されありき。
(七十九)彼の人の歓びしは暫時の間にて、四日五日と日の経つに連れて彼は村の人々に向ひ、綾部の金神とは名ばかりにて実は狐を使へるならん。然らざれば、一里も隔てたる所に在りて吾が家の畳の下まで知るべき縁由なし。畏るべき悪魔の巣窟なれば、ゆめゆめ近寄るなかれと、悪しきざまに言ひ触らしければ、西原の信徒等、皆畏れて斯の教に遠ざかりき。
(八十)同じ村に野崎某といふ十八歳の男子、三年前より悪霊に憑かれて暴び狂ひ、家族をはじめ、村人達を苦しめ居たりけるが王仁鷹栖に帰神の修行場を開きける時、その親狂へる子を連れ来りて、病の癒されんことを乞ふ。王仁直ちに言葉もて、其の悪霊を逐ひ出しければ、彼初めて眼の覚めたる如く正気に復りたりき。
(八十一)彼の親達いたく歓びて、厚く礼を述べて帰りぬ。彼今や第二十連隊に入営して、いとまめまめしく服役しつつあり。然るに西原の村人等、王仁なる人は悪魔の頭目なるべし。悪魔の頭目なるが故に、悪魔を追ひ出したるにこそとて、以前に増して、口々に悪しく罵りたりき。
(八十二)同じ村に、西村某といへる少女、鬼に憑かれて四とせ五とせ前より猛り狂ひて、親兄弟、親族、村人に煩累を掛けたりしが、王仁上谷にて修行なしける時、彼の母伴ひ来りて救助を乞ふ。王仁直ちに言葉もて鬼を逐ひ出しけるに、鬼驚きて娘を地の上に押倒して逃げ出しけり。その時娘の身は硬化して石の如く、ただ眼のみギロギロと光りて、物凄きこと言はん方なし。王仁静かに彼の額に手を当てて、爾恕さんと言へるに、その娘声諸共に起き上りて、病全く癒えたりき。然るに悪に強き西原の者は、ますます王仁を罵りて、悪魔の頭目なりとし、尚ほ悪しき名を、普ねく遠近の村にまで拡めたりき。
(八十三)誠の道を諭せども、悟ることを知らざるが故に、神は変生男子、変生女子を用ゐて不思議を現はし、恩沢を与へ給へど、彼等は益々疑ひて、悪の眼もて観るが故に、一つとして悟ることなし。心の眼を失ひたる程、世に憐れむべき者はなし。出口教祖が早くも之を看破し給へるには、王仁も今更の如く深く感じて、その後は西原の事を思ひ切りたりき。
(八十四)独りこの村のみならず、今の世界の隅々まで皆かくの如し。限りなき愛に充ちませる真正の神は、天下の蒼生の罪を歎かせ給ひて、畏れ多くも下津岩根の竜宮館に厳と瑞との経緯の御魂を下して、錦の御機を織らせ給ふ。されば今の内に早く悔ひあらためて、元の日本魂に立返り、神の御業を四方の国々島々までも輝かし奉りて、神の御子たるに愧ぢざる行ひをなすべし。
(八十五)明治三十三年六月二十八日、王仁は二十一人の教徒を伴ひ、丹後の沓島に渡らんとして大本を立ち出でけるが、大石なる木下慶太郎が宅に、しばし足を休めける時、坤の金神王仁に憑り給ひて、この度は教徒の心を試さんが為めなれば疾風起りて浪荒らく、船は屡次覆らんとすることあらむ。されど神に任せて驀地に進み行け。神之を守らんと諭し玉ひたりき。
(八十六)その時王仁半紙四十枚を命じて、一枚毎に神の御名を記し、肌の守にせよとて、二十人の教徒に渡せば、何れも何心なく打ち喜びて押し戴き、おのがじし懐中に収めたりき。かくて舞鶴なる船問屋大丹生屋といふに着きて、舟子四人と小船四艘を命じたりき。
(八十七)その時空は黒雲一面に塞がりて、風吹きすさみ、雨さへ降り来りければ、雇へる四人の漁夫どもは、海の荒きを畏れ、命に応ぜずして帰り行けり。王仁宿の主人に告げて曰く、今宵九時までに船を出し呉れなば、沓島迄は雨も風もなく、いと恙なく着くことを得む。それまでに船人を傭ひ呉れよといひければ、主人は諾ひて、舞鶴八百人の漁夫の内にて、屈強の者四人を選びて連れ来りぬ。
(八十八)主人は漁夫どもに打ち向ひ、此人は誠に神の御使なり。今迄に二度までも出口教祖と共に、冠島沓島に赴かれし御方なれば、いかなる暴風にも、怒涛にも、駭くに及ばずと物語れば、漁夫どもも日頃頼める主人の言葉を疑はず、直に船の準備に掛りければ、その間に一行は膳に向ひて晩餐をしたためぬ。
(八十九)天候の険悪なるまま、思ひの外準備に隙を費し、船の出たるは早十時なりき。船中にては一行打ち揃ひて、祝詞を唱へ乍ら、次第に港口へと進み行きけるが、やがて博奕と云へる岬を廻りて、洋々たる海の上に乗り出でたる折しもあれ、烈しき風と共に、波浪は俄に狂ひ出でぬ。
(九十)王仁は何気なく、うつらうつらと仮睡して居たりけるが、やがて慌しくわれを呼び起す声に驚かされて眼をあぐれば、東の空は墨を流したるが如く黒きが中に、火よりも紅き雲の打ち混りて、悽きこと言はん方なく、今にも疾風襲ひ来て、人も船も一と呑みにせんとする荒模様となり居たりき。
(九十一)風は益々吹き荒み、浪はいよいよ逆巻きて、乗れる小船のさながら手鞠の如く弄ばれんとするも、血気の船人、日頃の手練を見するは今ぞと、力限りに櫓を操れど、山なす怒涛をいかんともする能はず、やがて総身綿の如く疲れ果てければ、かくと見たる二十一人の教徒も、顔の色は土の如く、生きたる心地ぞなかりける。
(九十二)教徒の一人声を慄はして、竜宮さまは吾等を殺さんと為給ふならむ。願はくは先生より神に謝して、宥されんことを祈り給へと打ち叫ぶ。王仁莞爾として、少時一同の顔を打ち眺め居たりしが、やがて徐ろに口を開きて、爾等日頃千尋の海より深き罪の海に沈めるを、そを少しも畏るることを知らず。何とてかかる浅き海を畏るることの甚だしきや。されど爾等心安かれ、風も浪も直に和ぎなんとて、船絃に立ち、日の出の扇をあげて、風鎮まれと呼ばはりければ、風も浪も俄に鎮まりたりき。
(九十三)漁夫達は驚きて、この人達は只人ならじ、吾等は海の上を我家の如く思ひつれど、月日の如き疾風に遇ひたるは初めてなれば、いかがはせんと、心ひそかに案じ居たるに、風も浪も御指図に従ひけるは、不思議といふも愚なりとて、舌を巻きてぞ感じける。教徒一同も、始めて神の御力の大いなるには、今更の如く驚きたりき。
(九十四)教徒の中には信仰の薄きものありて、いたく風と浪を畏れ、船の底にかぶり付きたるままの者ありき。王仁之に打ち向ひ、爾等家に在りて、青き畳の上にて悪しき業を為すを畏るるや。又は神の御教のまにまに、荒らき海の上に漂ふを畏るるやと問へば、互に顔見合はすばかりにて、一人も答ふるものなかりき。
(九十五)乃ち王仁諭して曰く、人の此世に在るや、恰も吹き荒む風と浪とに闘ひつつ、際涯なき海の上を行くが如し。誠に人の身の上ほど危きものはなし。今この船に、舵と船子となからむか、爾等は忽ち海底の藻屑と成り果てなむ。人も亦神と信仰なき時は、一時も生命を維ぐこと能はじ。