(卅二)王仁嘗て谷口熊吉、南部孫三郎、上仲義太郎、四方春蔵なぞに鎮魂の術と、帰神の術を授けて、悪霊を祓ふことを教へたりしに、何れもよく修得したりしが、慢心の為めに、後には却りて悪魔の為めに襲はれ、叛きたるも又死したるもありき。
(卅三)谷口といふもの、師の恩を打ち忘れて、王仁に叛きたること露はれければ、首尾悪く、逃げて京都に帰りたりしが帰るや否や、習得せる神法は間に合はぬやうになりたりき。
(卅四)嘗て王仁の郷里より、老母危篤直ぐ帰れとの電信来りければ、帰らんとすれども、腹黒き谷口のありければ、不在の内にいかなる奸策を工むやもはかり難ければ、その由神に願ひけるに、谷口は忽ち烈しき熱起りて、臥床に入りたりき。
(卅五)王仁はそれより郷里に帰り、老母の病を癒やして、八日目に恙なく綾部に帰りけるが、見れば谷口は尚ほ臥床にありて、悶へ苦しみ居たりければ、王仁初めて、許すとの言葉の下に、谷口は忽ち起き上りて、さしも劇しかりし、熱は拭ふが如く冷めたりけり。
(卅六)丹後の国の宮川の河上に、天之岩戸あり、天照大御神を斎き奉る。明治三十四年の三月八日に、出口教祖は、艮之金神の神命を受け給ひて、世界の泥を濺ぎて、元の神世に清めんとの深き思召より、出口の王仁、出口の澄子、その他役員信者あまたを引き連れて、心も清き宮川の天之岩戸へ出立ち給ひけり。
(卅七)王仁は神の御言のままに、天之岩戸の深き渓間に降り、昔より未だ一度も濁りたることなき、清き産水にて、世界の人に代りて御禊祓ひて修し奉る。
(卅八)天之岩戸は剣崎山といへる、嶮しき山の麓に在り。昔はこの霊地に美はしき御社ありし由、御座石とて、大いなる巌、谿間に立ち塞れり。それより半丁許り下手に当る、谷川の真中に、巨大なる巌ありて、其巌に天然に穿たれたる穴あり、清き水を湛へたり。
(卅九)巌の穴は二個ありて、一を産釜といひ、他の一を産盥といふ。往昔の神代より今に至るまで、曾て汚れたることなき清水なれば、出口の守の、此霊境に詣で給はれたるも、この水を汲み取りて、竜宮館に移し給ひ、現世の罪穢を洗ひ給はんとの、深き神慮にぞ出でたるなりける。この産水の汲み取りに当れるは、木下慶太郎、森津由松の二人なりき。
(四十)王仁は此二個の井の前に立ちて、其水を手に掬ひて身を清め、天に向ひて拝していふ、王仁、艮之金神の道に従ひて今此清き御地に来り、千早振神の清き御心を汲みあげて、世の中の罪を洗ひ清め、高天原の道を開かんとす。願はくば天津神の広き厚き御恵を垂れさせ給ひて、大なる神業を成し遂げさせ給へと、熱心に祈りたりき。
(四十一)出口の教祖、館の福林安之助の熱心なる依願に任せ、帰途しばし其家に息らひけるに、此村の信者の子に、村上吉之助といへる者、腹水病にて長く病ひ、医師も早や手を放して、只死を待つより外に詮術なきものありたれば、彼の親兄弟の頼むに任せ、其家に到り給ひ、静かに御手を当てて、息子よ心安かれ、爾の罪は、今後三十日の間に恕さるべし。ただ神を信ぜよと、御言葉を賜ひて帰られしが、果して三十日目に、腹の水自から出でて、病全く癒えたりけり。
(四十二)翌くる日の夕方竜宮館へ帰りけるに、三ツの不思議を下して人々を戒め給ひけり。その一は、徒弟ども奥の間に石油をこぼしければ、之に火移りて畳を焼かんとしたりしが、直ちに消し止めたり。その二は、二三分経ちたる時、上框の洋灯落ちて、信者の背より腰にかけて、石油をしたたかに浴せしが、これも不思議に消えて、怪我一つなかりき。その三は、一二分経たぬ間に、又風呂場より火を失して、燃え上らんとしたりしを、王仁早く認めて消し止めたりき。人の触るるを許さざる産水を汲み来りて、帰るや間も無く、三度まで引き続きて、火の不思議ありしは、神の深く戒め給ひしなるべし。
(四十三)其夜祈念と祓を終るや、直ちに速素盞嗚尊の分霊、王仁に神憑り給ひ、今より後しばらくは世界の為めに、吾この者を使はさんと御言宣りし給ひき。又天之岩戸の清き御水は、神の御教へのまにまに、竜宮館の真名井を初めて、其外四ツの井戸に濺ぎ入れ、固く秘密として、猥りに語ることを許さざりき。
(四十四)神王仁に憑りて教へ諭したまはく、爾等世の為めに、光となり、塩となりて、世の人の心の曇りを払ひ、心の錆を清むることを努むべし、この度の天の岩戸に連れ行きたるもこれが為なりと。
(四十五)盲者、聾者、唖者、癩病者位あはれなるはなかるべし。況してや心の盲目、心の聾者、心の唖者、心の癩病者位あはれなる者はなし、此病を癒さんが為に、厳の御魂瑞の御魂をして、岩戸の水に御禊祓を仰せられたるなり。
(四十六)失明者は光を見ること能はず、光を見ざるが故に、万の物を悉く見ることを得ず、不便限りなかるべし。況して心の眼を失ひたるものは、その苦しきこといかばかりぞや。今の世の中、九分九厘までも、心の盲者のみなり。瑞の御魂、坤之金神、この病を癒さん為めに来れり。
(四十七)心の唖者、心の聾者、心の癩病者でも、亦ひとしく不便なるものなり。今の世挙りてこの病に犯され居るなり。天の命によりて、瑞の御魂は、この病を癒さん為めに降り来れるなり。
(四十八)すべて病は、百の中にて、九十九までは、心の罪穢より起るものなり、心を清むる時は、病は直ちに消ゆ。苦むも心、楽しむも亦心なり。故に心の病を癒さざれば、肉体の病は癒ゆることなし。根本より病を絶んと欲する者は、心の底に真の薬を飲み、心の奥の間に真の神を祭るべし。
(四十九)霊魂の死ぬる病と、肉体の死ぬる病とあり。霊魂の死ぬる病は、いと重くして癒ゆること中々に難く、一旦死したる上は、元に帰る事能はざるなり。肉体の死ぬる病は軽し。肉体の死したるは、真の死したるにあらず。霊魂の宿を更へて、元の神の御国に帰り行けるなり。されば、よし肉体を殺すとも霊魂を殺すことなかれ。肉体は従僕にして、霊魂は主人なればなり。
(五十)人といふ主人ありて、着る物要るなり。霊魂といふ主人ありて、人の肉体は要るものぞ。着る物は幾度も更ることを得べし。人の身は更ること能はず。霊魂も亦その如く。何時までも更ることなし。只着物の肉体は更ること度々なり。
(五十一)旧くなり、破り汚れて、洗濯にかからざる衣類は、人之を脱ぎて、新らしきに着更うるものなり。霊魂は肉体の衣類に宿るといへども、若しその衣類汚れたる時は、旧きと新しきとを問ふことなく、霊魂は之を棄てて清きに移るものなり。
(五十二)汚れたる衣類には、虱、蚤等発生て、醜しく臭ければ人之を纏ふことを嫌ひて、襤褸籠に投げ入るべし、汚れたる身内には、悪魔の群集まりて、或は腐し、或は害ひ傷るが故に霊魂は清きを尋ねて、他に移り行く。後は悪魔の裸踊や、修羅や畜生道の横行闊歩、盲目も聾者も餓鬼も癩病者も、うめき、うごめき、闇より闇へと迷ひ苦しむ。瑞の御魂は之を救はんために、この世に現れたるなり。
(五十三)斯道をききて、心の塵芥を掃き出したる者は、その後に、いとも力ある誠の神の分霊、変生男子の御教へを充たしめて、固く錠を下すべし。若しも、出口の教祖の教への宝、心の庫に充たざる時は、一旦逐ひ退はれたる塵芥、忽ち隙間を覗ひて忍び入り、此度は多くは悪鬼大蛇どもを誘ひ来りて以前にまさる暴威を逞しふし、益々神の御祐助に遠ざかるに至るべし。
(五十四)斯道を述べ伝ふる誠の差添は、いとも尠くして、曇れる者は数へ尽されず。現世の十五億に余れる肉体の救ひの為めに、神は誠の役員を査べたまへども、神慮に協へるものは暁の星より稀なるは、誠に神に対し奉りて畏れ多し。すべて高天原の教へを述べ伝ふるには、心と行ひを以てせざるべからず。口先のみの教へは、いかなる神心の生児なりとも、飽きて顧みることなかるべし。