霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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112~119

インフォメーション
題名:112~119 著者:
ページ:61
概要: 備考:2023/10/22校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-22 12:05:20 OBC :B115006c08
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正9年8月11日号(第123号) > たまの礎(裏の神諭)
(百十二)稚比売岐美(わかひめぎみの)(みこと)霊魂(みたま)の罪は、いと深くして、今に至るも、心に限りなき苦しみを(かく)し、絶えず(わが)()の身の上に就きて、心を砕き給ふ。天の規則を破りたる霊魂(たましひ)は、その罪の消ゆること容易にあらざればなり。素盞嗚命は、世界の為めに悪となり給へるなれば、(ただち)(その)罪を(ゆる)されて、月の神となり給ひ、今や二度目の岩戸を開かんが為めに、(みづ)御魂(みたま)として再びこの世ヘ(くだ)り給ひても、(いづ)御魂(みたま)に比ぶれば、心の苦しみはいと軽く、胸の(うち)は常にすずやかなり。
(百十三)(みづ)御魂(みたま)御霊(みたま)は、(たの)まざる者の(やまひ)をも癒やし、頼まざる者の(にご)りをも清め、頼まざる者の曇りをも払ひ給ふ。罪は海山(うみやま)ありとても、人々は(この)御霊(みたま)(さちはひ)によりて救はれ、神の御許(みもと)に至ることを得む。同じく世を救ひ、人を救ふにも、頼まば聴く神と、頼まずとても聴く神との間には、大いなる区別あることを(さと)るべし。
(百十四)暗き世を照らして、日の出の光を(あらは)し給ふは、日之出之神なり。日之出之神は、男の身によりて、弥仙(みせん)御山(みやま)(あらは)れ給ひ、(いや)高き稜威(みいづ)(あら)はし給へど、灯台(もと)暗くして、瑞の御魂より(ほか)に知る者はなし。神の大御心は心の(うち)清まらざれば、覚ること(あた)はじ。
(百十五)「死んで()らぬ」言ひやうと、聴きやうに()りて、生身(いきみ)ともなり、死身(しにみ)ともなるべし。日之出之神は瑞の御魂に引添(ひきそ)ひて、高天原(たかあまはら)(あらは)れ給へども、誰も知るものなし。生身(いきみ)生魂(いきたま)の区別をよく(わきま)へて、不覚を取るなかれ。肉体そのままにて神に使はるる者は生身(いきみ)なり。肉体を替へて神に使はるる者は生魂(いきたま)なり。生魂(いきたま)の働きある者はその者の肉体()きたると同じきなり。
(百十六)金銭衣類を盗人(ぬすびと)に盗まるるとも、心の宝を盗まるることなかれ。身の(うち)の宝は、(ひと)より盗まるる(おそれ)なしと思はんは僻事(ひがごと)なり。身の(うち)の宝とは、霊魂(みたま)(そな)はる直霊(なほひ)御魂(みたま)なり。此御魂(みたま)を盗む者は悪魔なり。悪魔は直霊(なほひ)(たましひ)を抜き取りて、(おの)(その)(あと)に潜み、(あく)まで善の仮面を被りて、人を(おそ)るべき魔道に(おとしい)るるものなり。
(百十七)日頃思想(こころ)堅固(かたく)して、行為(おこなひ)正直(すぐ)なる人が、(まれ)に悪魔に(さそ)はるることあり、かかる人の魔道に陥りたるは、悔ひ改むることなきが故に、最も憐れむべし。思想(こころ)堅固(かたき)()し、行為(おこなひ)正直(すぐ)なるは(よみ)すべき限りなり。(ただ)かかる人の常として(われ)は善きものぞ、罪なきものぞと一図(ひたぶる)「ひたぶる」は「一途」の意。に思ひ極め、ややもすれば、(かへりみ)るといふことを(おこた)る傾きあるが(あやふ)きなり。一つの(かへりみ)るといふことを忘れむか、百の善言(ぜんげん)嘉行(きこう)も、砂上に築きたる楼閣(ろうかく)の如く、一時に土崩瓦解するとこあるべし。
(百十八)(くち)と心と(おこなひ)との一致は、容易(たやす)く常人の達し()るべきにあらずとするも、(すくな)くとも(くち)(おこなひ)と伴ふにあらずんば、(この)(みち)()りたる信徒(まめひと)とは言ひ(がた)かるべし。常に言葉を(あと)にして、(おこなひ)()きにせよ。自身(みづから)労役に服して(のち)勤勉を説き、自身(みづから)危険を冒して(のち)献身をすすめ、自身(みづから)(ひと)を教え導きて(のち)宣教を言へ。中身(ちうしん)空虚(うつろ)なる太鼓の、(いたづ)らに鳴るにも似たる大言壮語は、神に対して畏れ多きのみならず、天下に対しても、大いなる詐欺者(かたり)たるの(そしり)(まぬが)(がた)かるべし。
(百十九)昔も今も神憑者(かみうつり)、偽予言者の(るい)続出して、枯木に花が咲くやうなる(いつはり)を述べ数多(あまた)のひとびとの心を(まど)はさんとす。心せよ。真正(まこと)の神は、二つの身魂(みたま)(ほか)には、決して(かか)り給ふことなし。されど凡人(ぼんじん)は、()く所まで()かねば、到底(さと)り得ざるものにて、説けば説くほど(まど)ひを()し、言へば言ふほど疑ひを深くす。(てん)の時節に、何事も打ち任すより(ほか)(みち)はなきものか、嗟乎(ああ)
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