綾部に移住された方々は、その人々の因縁により時節に従って引き寄せられたもので職業や地位名望をなげうって専心御神業に奉仕するのであるから、勝手に移住すべきものではないのであります。地方において各自世間的職業にいそしみながら信仰の実を挙ぐるのも、神業奉仕の点においてはみな同様結構であります。むしろ移住者は、身魂の罪科が一層重いから嘲笑馬詈の下に贖罪しながら、一切を捧げて御用をせねばならぬわけともなるのであります。また移住の希望切なるお方は、或いは時節が来たのかも知れないから、必ず一応聖師様に伺った上に決定すべきが当然であります。もし一旦移住して再び立ち帰るようなことがあっては、神様に対してもまた自分としてもはなはだ面白からざることであります。この点は聖師様よりクレグレもご注意がありました。いわんや自分の目的を立てるため、また天災地変を見越して綾部を避難所の如く心得、大切な業職を抛棄して移住せんとする如きは、はなはだ間違った考えであって、かくの如きは実に利己主義のやり方であります。神の国甲子大変革号、聖師様ご訓示の中に
「信徒の綾部に在住しておられる意義は、神様の御用に仕えられるにあって、決して天災地変の避難に来ておられるわけでないと思います。神様の御用する以上は、真心さえあればどんな危ない中でもご守護によって平然とつとめさして貰うことが出来るものです。今後会長から頼むことは私からの頼みであり、否、神様からの御用と思って一つになって、善言美詞を用い、陰口や不平を漏らさず仲良く神様のため尽くしていただきたい」
とのご訓示であります。
綾部の大本は、申し上ぐるまでもなく最奥天国(最奥霊国と天国)の移写実現であって神々様の神集い給う聖地であります。ことに大正十三年十一月一日、聖師様ご帰綾からは大本の岩戸が開け、一層ご神力がはげしくなりましたから、在住信者はもちろん参綾の方々もその心得でご神徳をいただかねばならないのであります。
綾部にも亀岡天恩郷にも霊国と天国とがありますが、これを対照した際には綾部は最奥天国であり、亀岡は最奥霊国であります。そして第一章に述べた如く、綾部と亀岡と曽我部郷(穴太)とは三位一体の関係であって、何れも重要なる霊域であります。大本と云えば、この三霊域の総称であると心得ていることが必要であります。神諭に(大正七年旧三月十五日)
「……六年後から大本の内部にも、お邸の内に実地のお姿が、あちらこちらにお出でますなれど、あまり曇った世の中であるから、この内部お邸をよほど清らかにして、男も女も生神ばかりの中におるのであるぞよ。この大本は他の教会とは違うから、世の元の実地の生神ばかりであるから、一通りの事を思うておると、大間違いが出来てはならんから、その心でこの内部を清らかに致されよ。……」
また大正八年一月一日の神諭に
「……この大本は、地の高天原の竜宮館、神宮坪の内と申して、天地の元の生神の天地へ昇降致す神聖な地面であるから、お土を踏むだけでも恐れが多いとこであるのに……」
また大正八年二月二十一日旧正月二十一日の神諭に(神霊界大正八年三月一日号一六頁)
「……明治二十五年からの筆先は充分に腹へ入れて見て貰わぬと、大変な取違いを致すものが出来るぞよ。この綾部へ出て来ねば神徳が貰えんように思うて、一家を挙げて移住したり、今までの結構な職業まで捨てたり、学校を退学したりしてまで大本へ出て来るような事は神慮に叶わぬぞよ。大本の祝詞の中にも学びの術に戦の法に弥ますも開け添わりて玉垣の内津御国は細矛千足国心安国と云々と出てあろうがな。学びの術を捨ててまで信心いたせとは申さんぞよ。それとも事情止むを得ぬ事があれば仕方はなけれども、悔しい残念を忍耐ることの出来んような身魂でありたらとうてい神の御用どころか我が身一つさえも修まらんぞよ。これから大本の中も充分気を付け合うて落ち度のなきように心得て下さらんと、この結構な神国の教えの名を汚す事になりて、かえって世界から悪く申されても弁解の出来ぬ事が出来するぞよ。この大本の名を汚すものは大本の中から出現するぞよ。外部からは指一本さわる事は出来ぬ完全で在と毎度筆先に出て知らしたが、よほどこれからは何かの事を気配りいたして、神の教えに背かぬように善一筋の行いを致して、神の善き名を出ように致して下されよ。何も分からずに人民の心の騒ぐような事を申すでないぞよ、気を付るぞよ」
と戒めてあります。
以上聖師様よりのこの度のご訓示を述べ終わりました。マダこのほかにいろいろとお告げを頂くことがあるそうでありますが、それは時節と共に知らせるとの仰せであります。
この度のご訓示はこれを切り詰めてみると
一、大神人の神格を諒解し、大本の使命を了得すること。
一、信神、敬神、愛神の真信仰に進み、舎身的奉仕を努むること。
の二つに帰すると思うのであります。そしてこれを実行するには
謙譲……堪忍……進展
の三つの心掛けの下に神様第一とし、聖地の安危と盛否をもって我が身体と見なして勇往邁進すべきであります。(神の国第七一号、八六頁、聖師様のお話参照)
今や因縁の身魂たる世界数多の新進宗教的団体と相提携して起つ時となり、ことに日本においてもすでに大多数の覚醒めたる因縁の人々が出来ているそうでありますから、早くから引き寄せられたる吾々大本信者は、以上のご訓示を体得して甚深の注意を一切の準備とっを完うしておかねばならぬ次第であります。綾部在住信者は各地方信者の縮図であって、双方の一言一行はことごとく相関連し、直ちに大神人に影響するのでありますから、お互いに和合協力、歓喜讃美の下に大神人に服従帰一し、もってまたとなき大御神業に奉仕せなくてはならないことを痛切に感ずるのであります。
なお修業未熟の私として内分乏しく言辞足らず、充分のお取次の出来ないことを聖師様に謝し奉り、また皆様にお断りしておく次第であります。惟神霊幸倍坐世
大正十四年三月 梅花香裡において
井上留五郎謹白
=(暁の烏)終=