二十五六歳の頃
白梅の花から桃へ桜へと蝶のごとくにうつらふわかき日
桃色の面はうるはし桜花のかをるもめぐし春のこころは
吾が軒に巣くふ燕の仲のよさつらつらみつつもゆる胸の火
紫雲英咲く田の面にたてばその君の姿霞のなかにうきをり
春の野は人の目しげし紫雲英咲くああこの赤き花のむしろよ
二尺余りのびたる麦の畑いくつすかして見ゆる姉さんかぶりよ
吾がもゆる心も雲雀は白雲の空からしきりにぞよいてゐやがる
森かげに簔うちしきてやすみをれば彼女は母とわが前とほる
吾が恋ふる人の母とは思へども心に淡きいまはしさのわく
母親の後よりちらちらふりむきて吾が面見つつゆく女かな
吾もまた彼女のかげの隠るまで目をそばだててのびあがりつつ
掌中の玉を奪られし心地してわれ森かげに呆然と立てり
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あしびきの山鳥の尾の長ながし春空の日はかたむかぬかな
やうやくに日はかたむきぬ野良仕事をはりて吾は家路に帰る
夕飯の箸投げ捨ててしのびしのび彼女が家の軒にたたずむ
おそること一つも知らぬ吾ながら何故か彼女の前には弱かり
春の夜はなやましかりき花にほひ鳥はうたへど吾が恋遠し