霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二章 皇国の道

インフォメーション
題名:第二章 皇国の道 著者:出口王仁三郎
ページ:249 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B121801c35
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]
  1. 『このみち』第35号(明治40年7月27日)
  2. 『神の国』昭和8年9月号
  3. 『直霊軍』第1号(明治42年2月15日)
   (一)
 天神地祇を崇敬するは、皇国建始以来の国風にして、上は天津日嗣天皇より下庶民に至るまで、之を苟且に附したる事なく.国家安穏にして淳厚の俗を為し、天下は実に平安であつた。故に上下の国民の行動たるや、凡てを神祇に依托し、亳も私心を交ヘず、百般のこと皆神意を奉じて処理し決行したものであつた。
 神武天皇の長髄彦以下の諸賊を征服し給ひし時にも、先づ天神地祇を礼祭し、その神意に従つて行動し給うた。又崇神天皇の天業を経綸遊ばし、景行天皇の筑紫の土蜘蛛を征討し、神功皇后の三韓を言向け給ひしも、ことごとく神意を奉じて行ひ給うた。
 天孫降臨以後、崇神天皇の御代までは、神と皇との際遠からす、常に同殿同床にましましけるが、天皇は天下の形勢を洞察し給ひし結果、和光同塵の神策を採り給ひ、天照大神及び草薙の劒を大和の笠縫邑に遷して斎き祀らしめ、外国の文物を輸入して大いに国家の経綸を行ひ給ひ、垂仁天皇の御代更に伊勢の国宇治の五十鈴の川上に宮柱太敷立てゝ大神を斎き祀らしめ給うた。
 次いで応神天皇の御代に至り、孔孟の教儒教なるもの初めて渡来したるによりて、淳朴の良風は次第に移りて、浮華の俗に浸潤し、国民思想上に稍変化を来たすことになつた。けれども、大和魂の本元は微動だもなく、忠孝仁義の大道は昭々乎として日月と共に光りを放ちつゝあつた。それより欽明天皇の御宇に至り、仏教始めて渡来し、その説くところ前の儒教に比して大いに趣を異にし、因果応報の説をもつて我が国民の精神に驚異を与へたのである。
開闢のはじめの神祇を崇敬し神意のままに動きたる国
何事も神のまにまに働きて国開きたる大和神国
惟神神の教をよそにして我が日の本は治まらざるなり
御代御代の天皇は大神をいつきまつりて世を治めましき
応神天皇の御代より儒教渡り来て国民思想動き初めたり
孔孟の教をうまく咀嚼して政治のたすけと為せし我が国
欽明天皇の御代に到りて仏の教渡来せしより風俗変はれり
淳朴の美風はことごと地をはらひ浮華軽佻の俗に変ぜり
天地の神の恵みに地の上の国のことごと生れしを知らす
釈迦孔子ヤソの教の渡り来て誠の道を失ひにけり剛
切萬事行き詰りたる世を生かす道は神祇を祀るにありけり
 仏教の渡来に就いては、国人の未だ曾て耳にせざりしところなるを以て、その奇異にして仏像の華美なるに眩惑され、これを信奉するもの多く、物部の守屋と蘇我氏の正面衝突となり、途には崇仏派勝を制し、殊に当時上下の尊敬最も厚かりし厩戸皇太子の如きも、ひたすらに仏教を政策上より尊信採用されたるにより、仏を尊奉するものますます多くなつたのである。
 然しながら舒明天皇の御代に至りて、唐の使節に御酒を賜ひて神の威徳を示したまひ、次いで孝徳天皇の御代には、先づ神紙を鎮祭して後に政事を議し、もつて内外国人をして神祇の当に崇敬すべきを知らしめ給ひしごときは、何れも敬神を以て主とせられたる証拠である。次ぎに文武天皇の御代には、律令を撰定し給ふや、大いに唐制を模倣されたりといへども、獪神祇官をもつて百官の上に置かせ給うた次第である。
 斯くして歳月を経るにしたがひ、仏教を信奉するもの多くなりしが、神紙を崇敬することは建国以来の風習にして牢として抜くべくもあらず、彼等仏教者の布教は意の如くならざるを憂ひ、茲に神仏の調和を計画するものさへ出で来り、元正天皇の御代には、既に気比の大神のために神宮寺を造りしものさへあつた。それより空海、最澄の僧輩出でゝ本地垂迹の説世に普伝さるるに至り、神社の祈祷にも僧侶をして読経せしめたり、神職の外に別に又社僧なるものを置いて奉仕せしめ、遂には仏神の文字を国史上に見るに至り、冠履顛倒を来たすことになってしまったのは、我が皇道の上から見て遺憾至極である。
仏教の渡来は我が国上下の人の心を迷はせにけり
仏教の奇異なゐ説や金ピカの仏に国民酔はされにけり
やうやくに仏を信する人ふえて物部蘇我氏の衝突となれり
物部の守屋は神の道奉じ蘇我氏は仏に盲従なしたり
神仏の正面衝突勃発し物部蘇我はにらみ合ひけり
仏教派の勝利となりて惟神神のをしへはおとろへにけり
さりながら大和魂なほうせず仏をこばむ者も多かり
仏教の宣伝容易ならざるをさとりて神仏調和をこころむ
倫の空海最澄等により神仏の混淆まつり始まりにけり
仏教は日本の祖先崇拝の教をのこらす我がものとせり
空海は本地垂迹説を唱ヘ神を仏の権現といふ
神社には神職の外に社僧ありて祈祷に経読み珠数をつまぐる
仏教の渡来せしより益良夫の睾丸のこらす割去されたり
勇壮なる大和男子も仏のため骨なし蛸となり終りたり
因果応報等の愚説を唱へつゝ淳朴の民の心乱せり
三千年の昔の風俗にねじ直す道は神紙を敬ふにあり
動きやすき国民なれどしんそこの大和心はうつらざりけり
  日の本を仏教国に化せんとし世世僧侶の計画とげずも
(昭和八、九号神の国)
   (二)
 玉鉾の道は多しと雖も、萬古に亘り干載を経て変易磨滅すべからざるものは実に斯道なり。畏くも我が 皇祖天神は斯道を以て国を肇め徳を樹つるの基礎となし給ひ、之を天孫列聖に授け賜ヘり。されば、彼の延喜格の序にも『我朝家道出二混沌一』と記せるが如く、其の源泉は遠く萬世一系の天津日継と共に、同じく高天原より此葦原の中津国に傅はり、久遠の間未だ嘗て一日も地に墜ちたることなく、天日と共に弥益々に其光輝を角しつゝあるなり。
 此の如く斯道は天授の真理にして、至粋至美至真至善至正の極たり。故に鬼神も之に依りて立ち、人民も亦之に依りて活き、萬物も亦よりて安息するを得るなり。畏くも、 明治天皇の下し給ひし教育勅語に『斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ、朕爾臣民ト共ニ、眷々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセム事ヲ庶幾フ』と詔らせ給ひしも、実に斯道が宇宙の真理、天地の大道なるを表白せさせ給ひしものと仰ぎ奉らるゝなり。
 此を以て、彼の儒仏道若くは天主囘々耶蘇等の如き、大疵小醇真偽相半するが如き薄弱なる教理とは、実に霄壌の差と云はざるを得ず。見よ、至聖と称せらるゝキリストの本国獪太の滅亡して露の苛政の下に呻吟せるを、大聖と仰がるゝ釈迦の本国印度の仏教の感化によりて滅亡し、独立の体面を失ひて英の配下に涙を呑みつゝあるを、先聖と称せらるゝ孔子の生国支那の未開半亡国同様にして、国勢の振はざるを。そもこれらは皆何に因由する乎。則ち其の教理に欠点ありて、天理人道に適合せず、説く所根元なく、薄弱信を措くに足らず、以て治国平天下の道に稗益する所なき而巳か、却つて害毒を流布したる結果にあらずして何ぞ、然らば斯る教理を以て、治国の本、修身の要と思ひ、心酔せる外教崇拝者こそ、実に国家のために獅子心中の虫と日はざるを得ざるなれ。此に於てか、此の虫を退治し、以て国家のために臣民たる義務の萬分の一を尽さむの真情より、益々斯道研究の要務なるを感じ、茲に学生の身なるをも顧みず敢へて一言を贅して余白をけがしゝにこそ。
(明治四〇、七、二七、このみち第三五号)
   (三)
 世人(せじん)往々(わうわう)()ふ、在来の学説は陳腐(ちんぷ)なり、在来の宗教は腐敗せりと。(しか)らば(これ)に代るべき活学(くわつがく)真宗教(しんしうけう)如何(いかん)と反問すれば、一も成立したる確固不抜の形式を有するものなし。(まん)(これ)ありとするも五十歩百歩の相違のみ。日進(につしん)月歩(げつぽ)開明(かいめい)の人心を満足せしめ、信従せしめ、安堵(あんど)せしむるの学説宗教あるなし。かくいふものの決して皆無といふにはあらず、世の開明、精神的文明に(ともな)はざる為、天授の一大真理を発見し(あた)はざるのみ。王仁(おに)(はるか)に、世界の哲学を凌駕(りゃうが)し、一変し()べき、真活学(しんくわつがく)(わが)古典(こてん)に明記されあるを知る。心身(しんしん)安堵(あんど)し立命すべき活教理(くわつけうり)は、(わが)皇国(みくに)に、(しか)も古今に通じて(あやま)らず、中外に(ほどこ)して(もと)らざる真教哲理の存在するを、断言して(はばか)らざるなり。今人(こんじん)蒙昧(もうまい)頑固(ぐわんこ)なる、自国(じこく)固有(こいう)天祖(てんそ)相承(さうしよう)哲学(てつがく)神法(しんぱふ)を度外に置きて(かへりみ)ることなく、外尊内卑の(へい)は依然として上下に(ひろ)がり、何事も皆法を外に求め、(その)(すべ)(こと)に尋ぬつるの慣習(くわんしふ)(つね)となり、惟神(かむながら)神州(みくに)を日に月に(けが)しつつあり。(ああ)(かな)しい(かな)
 直霊軍(ちよくれいぐん)は、今や時代の要求に()られて生れたり。万邦(ばんぱう)無比(むひ)の国体を?明(べんみい)し、惟神(かむながら)の徳性を宇内(うだい)に拡充し、国恩の万一に報ぜむとす。斯国(このみくに)の大君に臣事(しんじ)し、斯国(このみくに)の恩に浴し、斯国(このみくに)に安全なる生を(たく)し、斯国(このみくに)(あわ)()む同胞諸氏よ。斯国(このみくに)の為、斯道(このみち)の為、本軍に参加し(きたり)敬神(けいしん)忠君(ちうくん)愛国(あいこく)の至誠を涵養(かんやう)し、(もつ)て祖先の遺風を顕彰(けんしゃう)せられんことを希望して止まざる所なり。
 宇宙の大精神、所謂(いはゆる)独一(どくいつ)真神(しんしん)たる天帝、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)は、至善(しぜん)至美(しび)至真(ししん)御徳性(おんとくせい)を有し玉ふが故に、天地万物を創造し玉ひ、(つひ)に人類を生成し、(これ)に霊魂を賦与し玉ふたのは、人間に限り無き幸福を永遠無窮に得させやうとの難有(ありがたい)神慮(しんしよ)(いで)たのである。故に人間は、(この)至尊(しそん)の神より(れい)(りき)(たい)を分与せられたる以上は、神と同様(どうやう)(げん)であるから、天地の花万物の霊長と誇称し、生き(なが)ら神たるの働きを()す事の出来得る最も(たふと)きものである。(しか)るに外教の徒の()ふ、人間の元祖が造物主に背きたる(その)(つみ)の為に、世界は変じて人間の為に難儀苦労を与ふるやうになり、人性は(けが)れて智は(くら)み、(なさけ)(ねぢ)(うま)れながらにして悪に傾き、今世(このよ)の幸福のみならず、来世(あのよ)の終りなき幸福をも失ふ()きものとなつた。そこで造物主が(これ)(あはれ)み玉ふて、人間の罪を救ふ為に耶蘇(やそ)基督(きりすと)を降誕せしめられたので、この救世主(すくひぬし)を信ずるものは救はれる、信じないものは救はれないで、地獄に陥り無限の永苦を受くるなどの邪説(じゃせつ)妄語(はうご)を真面目になつて唱導して居るは、実に憐然(りんぜん)(いたり)ではないか。宇宙の大精神(だいせいしん)(もと)より至正(しせい)至直(しちよく)(がう)も悪無き御方(おんかた)で、その分派たる吾人(ごじん)の始祖も(また)悪無きは当然である。裔孫(えいそん)千百中に(おい)(たまたま)悪罪(あくざい)あるものは、(ことごとく)(みな)自業自得(じごふじとく)で、始祖の(のこ)した悪罪では無い。皇典に所謂(いはゆる)改言(アラタメイヘトノリタマヒキ)(すなは)改過(かいくわ)無悪(むあく)の意味である。人間は造物主より至真至善なる直日(なほひ)の魂を賦与されて居るので、(みづか)正邪(せいじゃ)理非(りひ)曲直(きよくちよく)辧知(べんち)する自省(じせい)(ねん)所謂(いはゆる)良知(りゃうち)良能(りゃうのう)が在つて、事に触れ物に接し時々刻々に、過つては悔いたり、(あるひ)(さと)り、(あるひ)(かしこ)み、(あるひ)()ぢらひつつ、悪を消し善に(かへ)るといふ自然の戒律を、霊魂中に包有して居るから、吾人(ごじん)の始祖も、(また)(けつ)して裔孫(えいそん)に罪科を(のこ)して子孫を困らしむるといふ(ごと)き、道理のあるべき筈は無い。(わが)(えり)のシラミさへ探し(つく)せず、白紙一枚を()て前の見へない様な、不完全なる人間の作為した現行刑法でさへも、父が罪を犯して刑に処せられたからといふて、其子(そのこ)や孫に迄罪を及ぼさないが法律の精神である。(いは)んや、全智全能にして一()同仁(どうじん)(がう)偏頗(へんぱ)なき神の、立玉(たてたま)ふたる御制規(おきて)(おい)てをや。(しか)るに外教の徒が、(かか)る根拠も無き知れ切つた虚言を、(うそ)とも思はず()(おそ)れ、救世主(すくひぬし)泣付(なきつ)いて未来の冥罰(めいばつ)(まねか)れんとして騒ぎ廻つて居るのは、(あだか)も祖先の借りもせぬ金の利子を()けて返済せねば、身代(しんだい)(かぎり)に成つて、其上(そのうへ)懲役(てうえき)でもさせられる様に思ふて恐れて居るのと同一で、実に幼稚な愚昧(ぐまい)な思想と云はねばならぬ。神眼(しんがん)赫々(かくかく)(もと)より幽顕(ゆうけん)()く、死生(しせい)(ことはり)を一にす、生きても死しても吾人(ごじん)の住む所は大地球の神国(しんこく)なり、神国(しんこく)に生を()けたる(もつとも)幸福(かうふく)なる(わが)同胞(どうほう)諸氏(しよし)よ、生き(なが)ら神たらんことを思ひ、仮りにも未来を恐怖せず、既往を(かへり)み現在を慎みて、(もつ)(もと)(こく)(そこ)(くに)の方へは見向(みむき)もやらず、勇壮に活溌(くわつぱつ)立働(たちはたら)き、天下国家の富強(ふきゃう)ならんことを祈るべきなり。
   (四)
 今や世界に行はれつつある宗義学説は、千種万様、一も確固不抜の真理を捕促し、()つ唱導して、吾人(ごじん)を安心せしめ立命せしむる者あるなし。(いは)庶物教(しよぶつけふ)、曰く多神教、曰く一神教、曰く自然神教、曰く万有神教、曰く汎神教(はんしんけう)、曰く無神教、曰く儒教、曰く仏教、曰く報徳教(はうとくけう)と、是等(これら)の教義学説は、悉皆(しつかい)人為教(じんゐけう)にして大疵(たいし)小醇(せうじゆん)真偽(しんぎ)相半(あいはん)し、所謂(いはゆる)天授(てんじゆ)の真理にあらざれば、宇宙万有の根本、大極、大本体、大現象の(まつた)きを知ること(あた)はざるは勿論にして、(いづ)れも宇宙真理の(わづか)に一端を説明し得たるのみなれば、我二十六世紀の人心には何処となく物足らぬ心地せらるるなり。
 故に今後の社会は、猶更(なほさら)(かか)る不完全なる教義を歓迎して、(もつ)て治国安民向上立命の教義直説として耳を(かさ)ざるに至るべく、(その)結果(けつくわ)は遂に無宗教無趣味の社会と変じ、徳義信仰は地を払ひ、牛鬼蛇神(ぎうきだしん)白日(はくじつ)横行(わうかう)濶歩(くわつぽ)し、魑魅(ちみ)魍魎(もうりやう)公々然(こうこうぜん)頭上(ずじやう)跋扈(ばつこ)跳梁(てうりう)するに至らん。
 (ああ)これ天下の為に由々敷(ゆゆしき)大変(たいへん)()ふべし。(しか)らば今後の社会に(おい)て、吾人(ごじん)が向上し、発展し、安息し、立命し、天賦の幸福を全ふし()る所の活教真理なきか。世人の大多数は、この点に(つい)て大いに迷ひつつあるものの如し。余輩(よはい)(かつ)て天主教の演説を聞きし事ありしが、外国宣教師の言に、(この)世界(せかい)(くるし)みや(わざはひ)の生ずる所にして、善人も衰へ悪人却つて栄ゆる不満足の世界なり。至仁至愛の神は、吾人(ごじん)に永遠無窮の幸福を与へん()めに、未来の天国に安住させ玉ふなり。それも(しゆ)耶蘇(やそ)基督(きりすと)を信ずる者に限る。この世界は全く人民の住む国ではない、禽獣(えんじう)の住む汚穢(をわい)の地なりと。(ああ)これ(なん)たる囈語(たはごと)ぞや。迷語(めいしん)(また)(じつ)(はなは)だしからずや。
 彼等の徒の暗愚なる、現世に(おい)衷心(ちうしん)より依信(いしん)すべき至直の教義を認むること(あた)はず、煩悶(はんもん)苦慮(くりよ)(つい)に絶望の結果(けつか)(かか)厭世的(えんせいてき)口気(こうき)を漏すに至りたるか。彼等の曚昧(もうまい)頑固(ぐわんこ)なる、日夜渇仰熱望しつつある唯一無二の天国たる(わが)神洲(しんしう)(のぼ)(きた)(なが)ら、(なほ)(こころ)(つか)ずして蒼天の彼方をのみ仰望(げふばう)せるなり。
 彼輩等(かれら)は顕幽不二の真理を解せず、折角神の恩頼(おんらい)殊寵(しゆてう)に浴して、(のぼ)(がた)天国(てんごく)神洲(しんしう)参上(まい)(きた)りながら、その天国に救はれ居る事を覚知せず、(あだか)も富士へ来て富士を尋ねる富士詣(ふじまゐり)、その不二山に(をり)ながら、芙蓉(ふやう)の容姿端正にして優美高尚、言ふ(べか)らざる威厳あるを知らざるが如く、(むし)ろ気の毒の至りと()ふべし。
 (そもその)我国(わがくに)の神の建て玉ひし国なり。神の開きて神の守りたまふ国なり。万世一系天立君主たる現人神(あらひとかみ)の治め玉ふ聖地(みくに)にして、神道を行ふ君子国なり。故に我国は万国に勝れて、尊き国体なれば、又自から尊き道あり、(すなは)惟神(かむながら)大道(だいだう)と称し、古今に通じて(あやま)らず中外に施して(もと)らざる、天来の真教活理ある(うつ)御国(みくに)なり。 日本書紀(にほんしよき)難波(ナニワノ)長柄(ナガラノ)朝廷(ミカドノ)御巻(ミマキ)にも、惟神者謂随神道(カムナガラトハカミノミチニシタガヒテ)(マタ)自有神道也(オヅカラカミノミチアルヲイフナリ)とありて、(かみ)は、至尊の治国平天下の大御業(おほみわざ)より、(しも)は、万民が修身斉家の法に至る迄、学ばずして(みづ)からしり、習はずして自から覚え、書物も無く記録も無く、師匠も無く、(しか)して人々自得して忘るる事なく、(おのづか)神祇(しんぎ)の尊敬すべきを知り、君主に誠忠を尽し、国を愛し、父母に孝養(かうやう)を全ふし、夫婦相和し、兄弟(きやうだい)(たがひ)に敬愛し、朋友相信ずる等、醇厚(じゆんこう)敦朴(とんぼく)の美風良俗は、別に外来の不完全なる教義を信頼せざれども、皇祖皇宗の御遺訓に(はか)り、不言無為にして(くわ)すてふ神明の戒律を、霊魂中に保有して、事物の正邪理非曲直を自省し、各自その向上発展する処を了知するを()べく、彼の国学の秦斗(たいと)本居(もとをり)大人(うし)の「御国(みくに)はし日の神国(かみくに)と人草の心も直し(おこなひ)()し」と()底本では異体字の「咏」まれたるも道理にこそあれ。中世以降海外より渡来したる異教邪説は、(おほい)に皇国の大道を汚濁し、優美高尚にして至正至直なる人心を邪悪に導き、社会を毒したるは、実に慨歎(がいたん)に堪へざる次第なり。
 (どう)大人(うし)の「きもむかふ心さくじりなかなかにからの教ぞ人あしくする」との歌をも思出(おもひだ)されて、いとも(いきどほ)ろしきこと共なれ。振起(しんき)せよ我会員諸氏、今日の日本は昔の日本にあらず、世界的の大日本にして、(すめら)大御神(おほみかみ)見霽(みはる)かし()す四方の国は、(あめ)壁立極(かべたつきは)み国の退()立限(たつかぎ)り、青雲の(たなび)く極み白雲の墜坐向伕(おりゐむかふ)す限り、青海原は棹舵(さをかぢ)底本では異体字の「柁」()さず舟の()の至り(とどま)る極み、大海原に船満ち続けて、陸より()く路は荷の緒結(をゆひ)(かた)磐根(いはね)木根(きね)()みさくみ、馬の爪の至り留る限り、長道(んがら)間無(ひまな)立都々気氐(たちつづきて)()き国は広く(けは)しき国は平らけく、遠き国は八十綱(やそつな)打掛(うちか)けて引寄する事の如く、(すめら)大御神(おほみかみ)の寄さし玉へば云々(うんぬん)と、雄壮(ゆうさう)遠大(ゑんだい)なる我祖先の思想及抱負の、実現せんとする好機運に際会せる大日本帝国なり。
 (かか)目出度(めでたき)神洲(かみくに)に生を(たく)する日本男子(やまとますらを)の、軽々(かるがる)看過(みすご)し、(もつ)て千(ざい)(ぐう)の好機を逸すべけんや。
 昔日(せきじつ)釈迦(しやか)はその狭き印度にありて、基督(きりすと)其小(そのせう)なる猶太(ゆだや)にありてすら、邪説にもせよ。妄語にもせよ、自身は深く真理と見做(みな)()つ救世の教義と確信して、(つひ)に三千大世界を救ふを期したり。(その)意気(いき)の勇壮に、その願行の広大にして、更にその慈悲博愛の念に富むことの甚深(じんしん)無限(むげん)なる、(つひ)に救世済民の志を(たて)んとせるは、感ずるに(あまり)ありといふべし。
 (ああ)神洲(しんしう)清潔(せいけつ)の民たるを自負する会員諸子よ、願くは直霊教主の教へ玉へる皇国固有の国教を信奉し、天神天祖の伝へ給へる敏心(とごころ)日本魂(やまとだましひ)振起(ふりおこ)し、真学(しんがく)を修め、真智を啓発し、徳器を成就し、(もつ)惟神(かんながら)の大道を宇内(うだい)宣揚(せんやう)し、祖国のため、斯道(しだう)()め、直霊軍に参加し、直日魂(なほひのみたま)元帥(げんすゐ)と仰ぎ、(いつ)(みたま)参謀長(さんばうちやう)となし、荒魂(あらみたま)の勇を(もつ)て帯剣となし、幸魂(さちみたま)の愛を(もつ)て軍旗と押立(をしたて)奇魂(くしみたま)の智を(もつ)炮銃(はうじゆう)となし、和魂(にぎみたま)(しん)(もつ)て弾丸となし、大道を進み、邪道に突貫し、(もつ)て直日に見直し聞直し、正義を(もつ)て上官となし、真理を(もつ)糧食(りやうしよく)となし、(あめ)の下の罪穢(ざいけ)過誤(くわご)掃清(さうせい)し、(もつ)神皇(しんわう)の造り玉ひし至清至潔の神洲(しんしう)神民(しんみん)堅盤(かきはに)常盤(ときは)擁護(えうご)せんことを。
   (五)
 神祇(しんぎ)に対する一般の行為は、尊崇(そんそう)主義(しゆぎ)と尊敬主義と信仰主義との三者の区別がある。(しかし)祭祀(さいき)の実行にも、幽齋(ゆうさい)顕齋(けんさい)との二者の区別がある。
 幽齋は、神社もなく、祭文も無く、奠幣(てんぺい)も無く、只管(ひたすら)に霊を(もつ)て霊に対する幽玄(ゆうげん)美妙(びめう)の神法である。(また)顕齋(けんさい)は、形を(もつ)て形に対する儀式であつて、神社を容し、祭文(さいもん)も容し、奠幣(てんぺい)も在つて、神祇(しんぎ)洪慈(こうじ)大徳(たいとく)(むく)ゆる大道である。
 (しか)りと(いへども)顕齋(けんさい)のみに偏するも不可なり。幽齋のみに偏するも不可なり。(よろし)(その)中道(ちうだう)斟酌(しんしやく)せなくては邪道に陥るの(おそれ)があるから、祭祀の道は(もつとも)注意(ちうい)周到(しうたう)で無くてはならぬ。
 顕齋は要するに報本(はうほん)反始的(はんしてき)(ぺん)の祭祀で、幽齋は祈祷(きたう)主義(しゆぎ)(ぺん)の祭祀である。この二者の区別は明かに成らねばならぬが、大抵は幽顕混合して居るのが多い様である。
 吾師(わがし)(おほい)(これ)を憂慮し玉ひて、(つひ)に皇道霊学を唱導し、祭祀の大義を(あきらか)にせられた。古事記(こじき)上巻(かみのまき)に『()の鏡は(もは)(わが)御霊(みたま)として(わが)御前(みまへ)(いつ)くがごといつき奉れ』とある天照大神(あまてらすおほかみ)神勅(みことのり)は、尊崇主義の例である。
 日本書紀(にほんしよき)神代(じだい)(まき)(しも)二に『(あれ)天津(あまつ)神籠(ひもろぎ)また天津(あまつ)磐境(いわさか)を立て吾孫(あがひと)()めに(いは)ひ奉らん(なれ)(あま)児屋根命(こやねのみこと)太玉命(ふとたまのみこと)天津(あまつ)神籠(ひもろぎ)を持て葦原(あしはら)の中津国に(くだ)りて(また)吾孫(あがひと)の為に(いは)ひ奉れ』とある高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)神勅(みことのり)は、所謂(いはゆる)祈祷主義(きたうしゆぎ)の実例である。(また)神武天皇(じんむてんわう)()に『(あま)香山(かぐやま)(もり)の中の(ほに)を取り(あま)平瓮(ひらか)八十牧(やそひら)を造りまた厳瓮(いづべ)を造りて天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)を敬ひ奉れ(また)(いづ)呪詛(かぢり)「呪」は底本では異体字の「咒」をせよかくなさば虜自(あたおのづか)ら平ぎなん』とある、天神(あまつかみ)神勅(みことのり)も、(おんあじ)祈祷主義(きたうしゆぎ)である。
 (また)同紀(どうき)に『我皇祖の霊天より(くだ)りて鑑「鑑」は底本では異体字の「鑒」し、(ちん)が身を光らし助け玉ひて(いま)(もろもろ)(あた)(すで)に平ぎ海内無事なり天神(あまつかみ)を祀りて大孝を(のべもう)さん』とある。神武(じんむ)天皇(てんわう)御詔勅(みことのり)は、所謂(いはゆる)報本(はうほん)反始主義(はんししゆぎ)の例である。
 (また)崇神天皇(すゐじんてんわう)()に『天皇何とて国の治まらざるを憂ひ玉へる()()く我を敬ひ祭り玉はば必ず(おのずか)ら平ぎなん』とある大物主神(おほものぬしのかみ)神教(みをしへ)は、所謂(いはゆる)信仰主義(しんかうしゆぎ)の例証である(また)仲哀天皇(ちうあいてんわう)()に『天皇何とて熊曽(くまそ)(まつろ)はざるを(うれ)ひ玉へる(これ)(そじし)空国(むなくに)なり豈兵(あにへい)を挙げて()つに足らんや茲国(このくに)(まさ)りて宝の国あり云々(うんぬん)拷衾邪羅国(たくぶすましらぎのくに)と云ふ()()(われ)を祭らば(かつ)て刃に血ぬらずして其国(そのくに)(かなら)(したが)ひなん、(また)熊曽(くまそ)(したが)ひなん云々(うんぬん)』とある向津姫命(むかつひめのみこと)神教(みをしへ)は、所謂(いはゆる)信仰主義(しんこうしゆぎ)の例証である。
 (また)推古(すゐこ)天皇(てんわう)()に『(むか)(わが)皇祖(くわうそ)天皇等(てんわうたち)の世を(をさ)め玉ふや天に(せぐくま)り地に(ぬきあし)して(あつ)神祇(しんぎ)(うやま)(あまね)く山川を(まつ)(ひそか)乾坤(あめつち)に通ず(これ)(もつ)て陰陽開和し造化共に調ふ今、(ちん)が世に当り神祇(しんぎ)を祭祀すること豈怠(あにおこた)ることあらんや、()れ群臣心を(つく)し宜しく神祇(しんぎ)を拝すべし』とある推古(すゐこ)天皇(てんわう)御詔勅(みことのり)は、所謂(いはゆる)尊敬主義(そんけいしゆぎ)の実例である。
 次に神社の成立の如きも、尊崇(そんそう)主義(しゆぎ)で成立つたものと、信仰主義で成立つたものと、以上二者の差別がある。之を要するに、伊勢(いせ)皇大神宮(くわうたいじんぐう)を初め山城(やましろ)賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじや)(およ)賀茂御祖神社(かもみおやじんじや)(おなじく)国男山八幡宮(くにをやまはちまんぐう)大和(やまと)大和神社(やまとじんじや)春日神社(かすがじんじや)広瀬神社(ひろせじんじや)河内(かはち)枚岡神社(ひらをかじんじや)和泉(いずみ)大鳥神社(おほとりじんじや)摂津(せつつ)生国魂神社(いくくにたまじんじや)の如き(かく)官幣大社(くわいぺいたいしや)も、(また)官幣中社(くわんぺいちうしや)山城(やましろ)大原野神社(おほはらのじんじや)の如きは、(みな)尊崇的成立(そんすうてきせいりつ)である。(なん)となれば神の教へに(よつ)て創立したもので無く、皆由緒に依て創立せられたものであるから、(また)この例は神社の中でも最も多数を占めて居るのである。
 次に信仰的成立の神社は、(たと)へば、天照太神(あまてらすおほみかみ)雄略(いうりやく)天皇(てんわう)御夢中(おんむちう)に告げられた(その)御告(おつげ)を信じて創立せられたる豊受皇大神宮(とようけくわうたいじんぐう)の如き、大国主神(おほくにぬしのかみ)分魂(わけみたま)大物主神(おほものぬしのかみ)の御告を信じて創立せられた官幣大社(くわんぺいたいしや)(おほ)輪神社(わじんじや)の如き、天武(てんむ)天皇(てんのう)(あめ)御柱命(みはしらのみこと)、国の御柱命(みはしらのみこと)の御告を信じて創立せられた官幣(くわんぺい)大社(たいしや)龍田(たつた)神社(じんじや)の如き、其外(そのほか)摂津(せつつ)官幣大社(くわんぺいたいしや)広田神社(ひろたじんじや)向津姫命(むかつひめのみこと)の御告に(もと)づき、同国(どうこく)官幣大社(くわんぺいたいしや)住吉神社(すみよしじんじや)底筒之男(そこつつのを)中筒之男(なかつつのを)表筒之男(うはつつのを)(はしら)の御告に(もと)づき、官幣中社(くわんぺいちうしや)生田神社(いくたじんじや)稚日女命(わかひるめのみこと)の御告に(もと)づき、官幣中社(くわんぺいちうしや)長田神社(ながたじんじや)は、事代主神(ことしろぬしのかみ)の御告に(もと)づき、官幣大社(くわんぺいたいしや)豊前(やぶぜん)宇佐神宮(うさじんぐう)誉田別之命(ほんたわけのみこと)の御告に(もと)づき、国弊中社(こくへいちうしや)常陸国(ひたちのくに)大洗磯崎神社(おほあらひいそざきじんじや)大已貴命(おほなもちのみこと)の御告に(もと)づき、同国(どうこく)国弊中社(こくへいちうしや)酒列磯崎神社(さかつらいそさきじんじや)少彦名命(すくなひこなのみこと)の御告に(もと)づき、各々(おのおの)創立(さうりつ)せられたものである。
 以上の如きは、皆信仰的成立である。要するに尊崇的成立(そんすうてきせいりつ)の由緒に基づいたもので、信仰的成立は神の教に(もと)づいて創立せられたものである。
 (しか)して(その)(おしへ)たるや、子孫(しそん)(もし)くは臣民(いんみん)に対する祖宗(そんそう)の遺訓であつて、(これ)尊奉(そんはう)履践(ふくせん)するは(もと)より子孫臣民の義務である。
 子孫臣民たるものが(まん)()の義務に背いた暁には、国体上(こくたいじやう)須臾(しまらく)()くべからざる天佑(てんいう)保全(ほぜん)の道は皆無となつて仕舞ふのである。人の教へつつある所の宗教は又別物で、(これ)を信ずるも、信じないも、(これ)に従ふも、従はないも、それは帝国憲法規定の通り(しん)に人民の自由である。
 帝国憲法第二十八に『日本臣民ハ安寧秩序(あんねいちつじよ)ヲ妨ゲズ及ビ臣民タルノ義務ニ背カザル(かぎり)(おい)テ信教ノ自由ヲ有ス』と規定されてあるが、(さて)この信教の二字を解釈すれば、宗教を信ずると云ふの(ほか)に意味は無いのである。
 (しか)らば安寧秩序(あんねいちつじよ)を妨げないもの、臣民の義務に背かない者、以上は憲法規定の範囲内に(おい)て、宗教の信否(しんぴ)去就(きよじう)が自由である。(しか)らば神の教へも、(これ)を信ずると(いな)とが自由であるかと云ふに、決して()うではない。
 神の教は祖宗の命令的遺訓であるから、(これ)が信否は固より国体の(かかは)る所であつて、仮にも臣民の自由範囲に放任する事は出来ないのである。
 明治(めいぢ)(ねん)正月(しやうぐわつ)()宣布(せんぷ)大教(だいけう)御詔勅(みことのり)に『朕恭惟天神、天祖立極垂統列皇相承継之述之、祭政一致億兆同心治教明于上風俗美于下而中世以降、時有汚隆道有顕晦、治教之不洽也久矣、今也天運循環、百度維新、宜明治教以宜揚惟神之大道也因新命宣教使布教天下汝群臣衆庶、其体斯旨』との、明治天皇の聖旨(せいし)を奉体するは臣民たるの大義務であることを忘れてはならない。
 要するに神社に祭る所の神の教は、概して祖宗の命令的遺訓で宗教の教は、概して人間の立話である。
 神は上下臣民一般の祖宗であるは勿論なれば、臣民はその遺訓を遵奉(そんぱう)するは当然の義務である。宗教の教祖たる釈迦(しやか)でも、耶蘇(やそ)でも、マホメットでも、黒住氏(くろすみし)でも、金光氏(こんくわうし)でも、中山(なかやま)おみきさんでも、日蓮(にちれん)でも、空海(くうかい)でも、彼等は皆人間に相違ない。 その人間の立説に(かかは)る宗教は、信仰自由として差支(さしつかへ)ないのである。神の教は(これ)を信仰して尊崇(そんすう)敬礼(けいれい)を厚くするのが、国体上の一大義務なることを忘れてはならぬ。
 次に祈祷(きたう)の事に()き、一(ごん)せんに(およ)そ祭祀の礼典を挙行するに(おい)て、全く祈祷的観念を含有(がんいう)して居ないものはない、(かの)官国弊社(くわんこくへいしや)(おい)て行はるる祈念祭なども、大なる国家の祈祷(きたう)である。
 (しか)るに(その)名称(めいしよう)たるや、宗教家も(また)(ひと)しく祈祷(きたう)すると云ふのであるが、そこで彼我(ひが)の差別を論究する時は、彼は要するに方便的で、(これ)(よつ)(もつ)て人の精神を養ふ迄の者である。仏教にまれ、大体有名無実のものに対して祈る祈祷であるから、利益のある道理がないので、()万葉集(まんえふしふ)」にも
  相思(あひおも)はぬ人を思ふは大寺の餓鬼のしりへにぬかづくがごと
 とある如く、実に馬鹿気切(ばかげき)つた、獲まへ所のないものである。我は要するに、祖宗に対して事を歎願的請求(たんぐわんてきせいきう)する訳であるから、(これ)()つて利益のあるのが当然である。(たと)へば露西亜(ろしあ)の皇帝が軍人の為に、天帝に祈ると云ふのも、要するに軍人の心を信仰的に団結させて、(しかし)て戦争に(かつ)と云ふ一編の精神を作るまでのものである。
 ()く論ずる時は(ひと)(あるひ)()はん、綾部(あやべ)真霊教(しんれいけう)矢張(やつぱり)出口(でぐち)教長(けうちやう)の立説であるから、(もと)より方便的で、信仰自由なり、祈祷などは猶更(なほさら)無益(むえき)なるべしと、(これ)(おも)はざるの(はなはだ)しきものである。
 真霊教(しんれいけう)は現今行はれつつある宗教の如く人為的ではない。
 皇祖皇宗の御遺訓を今や忘れんとするの世俗に警告せんとするものにして、所謂(いはゆる)神教(みをしへ)である。
 法規上止むを得ず宗教部内に加はつて()るので、決して他の宗教のやうに信仰自由の範囲に放任して置く()きものでなく、(わが)正史(せいし)(あきらか)に載せられたる天神(てんしん)地祇(ちぎ)の教、(また)(とく)に国の元祖(もとおや)国常立尊(くにとこたちのみこと)御教(みおしへ)を伝ふる真理活教であつて、日本臣民たる以上は、神社に祭られ玉へる神の教同様に信奉せなければならぬ。(わが)教長(けうちやう)は、唯々(ただただ)(かみ)(めい)隨々(まま)に筆を取りて皇道の大本(たいほん)を講明せられ、(がう)も私心私説を加へず、可惜世(あたらよ)埋沈(まいちん)せんとする真教(しんけう)所謂(いはゆる)祖宗(そそう)の遺訓を中外に明かにし、神威霊徳を宇内(うだい)に宣揚せん()めの神慮に依らせ玉へるものなれば、普通一般の宗教などと同一視すべきもので無いことを断言するのである。
   (六)
 現今我国に行はるる神道宗教は十三派の多きに達し、(その)盛況(せいきゃう)は喜ぶ()しと(いへど)も、十中の八九まで(ほとん)ど偽善者の団体にして、敬神、尊皇愛国救世安民等、所在(あらゆる)美名(びめい)を楯に、白日公々然不正不義を敢行(かんかう)し、所謂(いはゆる)羊頭(やうとう)を掲げて狗肉(くにく)を売る的山師(てきやまし)の巣窟たり。
 (いは)く麗はしく塗立(ぬりたて)たる雪隠同様なり、巻絵の汁器(じふき)に馬糞を盛りたるが如く、外観の美に反し内容の醜悪汚穢にして卑劣なる、言語に絶する者あり。
 従って之等(これら)の宗教に属し布教伝道に従事せる数多(あまた)の教導職なるものを見るに、是亦(これまた)十中の八九は、無学(むがく)文盲(もんまう)常識(じゃうしき)を欠ける時代後れの田夫(でんぷ)野人(やじん)妖婦(えうふ)(たぐゐ)のみ、中にも(やや)文字(もんじ)ある者は(おほむ)奸智(かんち)()け、詐偽的の行動を()し、衆愚(しうぐ)を引率し大言(たいげん)壮語(さうご)未来(みらい)の貫主を(もっ)て自任し、派内に頭角を表はし、毒蛇の舌の其如(そのごと)く世俗を傷害しつつあるあり。
 (みだ)りに祈禱(きたう)禁厭(まじなひ)神占(しんせん)(とう)末技(まつぎ)(ろう)し、()つ荒唐無稽の囈語(たはごと)を吐き、(あだか)も神明の如く、天使の如く、言語動作共に壮重を装ひつつ信者の顔色を覗ひ、(その)意志(いし)肘度(そんど)し、愚婦愚婦(ぐふぐふ)瞞着(まんちゃく)(もっ)て己が衣食の資に供しつつ、神聖なる教導職の本分を忘れて斯道(しだう)を汚濁するもの而巳(のみ)此等(これら)の輩は実に我神道の為に獅子(しし)身中(しんちう)の毒虫なりと()()し。
 幾分にもせよ国史神典を解し、演説に説教に(あるひ)は文筆を(もっ)て、斯道(しだう)を天下に宣揚せんとするの技能あるもの、十七万の頭臚中(とうろちう)(はた)して幾十人かある。誠に心細き次第ならずや。
 (たまたま)(これ)ありとするも、(その)素行(そかう)にして(をさま)らず、人の軌範となるに足らず、偏狭(へんけふ)奇癖(きへき)にして高慢に長じ、世の先覚者たる()き要職にありながら、世と共に推移する事さへも覚束(おぼつか)なきのみならず、天保(てんぱう)時代(じだい)夢想(むさう)を繰返し、現時世俗の軽侮を受け、(あるひ)は識者の嗤笑(しせう)を買ひ、殊に当該(たうがい)官衙(くわんが)は近来非常の疾視(しっし)(もっ)(これ)(ぐう)し、妄誕(まうたん)虚語(きょご)(みだり)にして愚民を籠絡(ろうらく)し、変妖奇怪を神事に()りて私欲を(たくまし)ふし、治安を害するものとして検挙せられたるもの、全国の都市を通じて実に(おびただ)しき数に達せりと聞く、(むし)ろ痛快の(いたり)(いひ)()()
 (かく)の如き偽教師(にせけうし)背徳漢(はいとくかん)は、容赦なく其筋(そのすぢ)の尽力に依り、今後(こんご)倍々(ますます)清掃(せいさう)されたき事にこそあれ、従来各教派に(おい)て教職を補命するに当り、情実又は金銭の多少に()りて()したりしかば、(これ)が為に俳優にも難波節語(なにはぶしかたり)にも教正あり、大工(だいく)桶屋(をけや)にも講義あり、売卜者(ばいぼくしゃ)にも井戸掘人夫(ゐどぼりにんぷ)にも訓導等あり、(もっ)て教導職の体面を(けが)し、真価を失墜したる事、世俗の想像以外に()り。
 斯界(しかい)(かく)の如き状況なるを(もっ)て、世間の(これ)を遇すること(すこぶ)る冷酷にして()蔑視(べっし)する事、売主僧(ばいす)以下(いか)にあるが如し。
 (ここ)(もっ)て有為の人材は教導職たるを()づるの傾向を生じ、意志弱き輩は先を争ふて神職(しんしょく)其他(そのた)顕要(けんえう)の地位を求め、転職するに至れり。()れば我神道界一人の(たっ)て哲理を研究し、学識を養成し、実践(じっせん)(もっ)其道(そのみち)を明かにし、論難(ろんなん)攻撃(こうげき)斯道(しだう)の研鑽に従事するもの無く、神道界の衰微(すゐび)此秋(このとき)より(はなは)だしきはなし。
 (これ)に反し、外教の徒は、(さかん)に布教の従事し、学校を(おこ)し、議論を(たたか)はし、書冊を頒布(はんぷ)し、人物を養成し、(あら)ゆる手段方法を講じて其道(そのみち)を天下に宣伝し、(もっ)て徐々に(わが)日本魂(やまとだましひ)蚕食(さんしょく)し、国民固有の元気と美風を没却(ぼつきゃく)せしめずんば()まざらんとせり。(まこと)に痛嘆の至りなり。(ああ)、皇祖、皇宗の伝へ給へる惟神(かむながら)の大道は、(かく)の如き状態にありて(つひ)に世に埋没せんとするかと、思案に暮るるの余り、夜も安眠する(こと)(あた)はず、孤燈(ことう)(もと)に端座し国家の前途を想念する時、覚えず法然(ほうねん)として泣下(きふか)し、血涙(けつるゐ)顋辺(しへん)滂沱(ばうだ)たり。
 (かの)神道教師(しんだうけうし)()平素(へいそ)奉読(ほうどく)する処の三條の御教憲(ごけうけん)は、果して(なん)の心を(もっ)て迎へ奉りつつ()()斯道(しだう)の為一時も猶予す(べか)らざるなり。
 吾等(われら)教導(けうだう)の任にあるもの、今まで眠り居たらんには、此時(このとき)(よろ)しく覚醒す()し。今まで怠り居たらんには、此際(このさい)(よろ)しく奮起すべしと、王仁(わに)は初めて決心の(ほぞ)を固め、毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)を度外に置き、皇道霊学の教旗を(ひるが)へし、勇気を(こぶ)し、神道家に向って覚醒を(うなが)す事数年に及ぶと(いへど)も、盲目千人の世の中、(あたか)も木石に向って説くが如く軽微の反応ある無く、全く道義心の麻痺せるにはあらざる()と疑はれ、余りに無神経(むしんけい)無節操(むせっせい)にして無気力なる、到底天下の大事を計るに足るもの無きを看破したり。
 (しか)りと(いへど)王仁(わに)が心中に抱へたる一片の報告心は、如何(いか)にもして所信を断行し、有終の美を()す迄は、絶壁前に(そび)ゆるとも、白刃頭上(はくじんづじゃう)(ひらめ)くとも、真理の為には一歩も退却せず、倒れて(しかし)(のち)()むの決心なれば、(いづ)れの道より進むも君国に尽す精神に(おい)違変(ゐへん)()る無く、只々(たまたま)皇道(くわうだう)の真髄を宇内(うだい)に輝かすを得ば足れりと思惟し、断然神道宗教界を脱し、更に某官幣社神職を奉仕したりき。
 元来(ぐわんらい)王仁(わに)が理想たるや、官国弊社の神職なるものは、至って清潔にして汚穢(をわい)に浸染せず、至誠神明に奉仕し、国家の崇祀(すうし)に任ずるものにして、相当に国家の待遇あり資格あるを(もっ)て、比較的高尚なる人物や、敬神尊皇愛国の精神を有し、斯道(このみち)の為に尽すの人士も在らんかと、日夜想像せしを(もっ)てなり。
 (しか)るに王仁(わに)が理想は全然水泡に()したり。如何(いかん)となれば、現今官幣社神職の多数は、無能無智一人として立って国民を指導し、皇室の尊厳を維持し、皇道を天下に拡充せんとするの勇者なく、共に天下の大事を語るに足らず、(あした)日供(ひきょう)献徹(けんてつ)し、(ゆふべ)に賽銭を勘定して能事(のうじ)(をわ)れりと()すもの而巳。
 其他(そのた)飲酒(いんしゅ)(ふけ)り、青櫓(せいろ)に昇り、賤妓(せんぎ)に浮れ、放逸不行の生涯を送るもの多数を占め、中にも(もっと)も優れたるものは、(わづか)に和歌を(えい)じ悪詩を(つづ)り、(もっ)て己が才学を誇るのみ。一身一家の名利栄達を計るより外に、一片の報国心を有するなく、王仁は最初の予期に反し、(おほい)に失望落胆するに至れり。
 要するに官国弊社神職の大部分は、僅少(きんせう)にもせよ(その)棒給(ぼうきふ)は一家の生計を支うる事を()るを(もっ)て、安堵し、(ただ)(その)(しょく)に恋々として地方(ちはう)官吏(くわんり)の鼻息を覗ひ、上職に媚諂(へつら)ひ、(たまたま)心中に一の抱負を有するあるも、後生大事の為に、言語に発し筆紙(ひつし)に托して平素の初志を宣言する事を躊躇せる臆病者と化し去りしなる()く、外教の跋扈するあるも(てん)として(かへり)みざるは神道家の地位としては、実に冷淡極まれりと云ふ()し。
 (しか)りと(いへど)退而熟考(しりぞいてじっかう)する時は、(また)(じつ)に止むを得ざるの事情あるなり。(そもその)官国弊社の神官神職たるや、(あだか)官吏(くわんり)が国家の機関として法律上一定の棒給を得、司法(しはふ)(もし)くは、行政事務の一部を分掌(ぶんしゃう)する如く、(もと)より信仰の有無に関せず、一定の報酬を得て(もっ)て直接国家の崇祀(すうし)に奉仕し、国家の礼典を司掌(ししゃう)するの義務を有する者なれば、神社の氏子以外に信徒の依頼を受け、惟神(ゐしん)の霊法を施行し、衆庶(しうしょ)を接化補導し(あるひ)は結合するを得ず、自由に各地へ巡教する(こと)(あた)はず、神社内に戦々(せんせん)恐々(きょうきょう)只管(ひたすら)パンの種に離れざらん事を憂うるのみ。
 一挙手一投足の行動も(また)(めん)に心を配り、社頭に(さぶら)高麗狗(こまいぬ)の如く、社前に慎み畏み仕へ奉るより(ほか)に活動の余地なきを、如何(いかに)せん。到底官国弊社の神職として、皇道を宇内に宣揚布演するの至難、(いな)絶対的(ぜったいてき)に不可能なるを看取したる王仁(わに)は、邦家(はうか)の為に、一日も其職(そのしょく)(とど)まり貴重の光陰を空費するの惜しきを覚り、心の駒の歩む儘、断然意を決し、直ちに辞表を呈出(ていしゅつ)し、(さいはひ)に許可を得たれば再び神道宗教に逆戻りを()し、年来主張せる皇道霊学に()り、(おほい)に天下に雄飛(ゆうひ)活躍(くわつやく)せんとする折しも、(ぼう)教管長(けうくわんちゃう)王仁(わに)を招いて(いは)く、()(かつ)て官国弊社に職を奉じ神祇(しんぎ)に奉仕する事前後四十余年、されど神職の地位たる、教導職の如く自由自在に国の内外を問はず接化補導の任を尽すに適せず、陛下の臣子(しんし)として皇国刻下の状況に想到(さうたつ)する時は、斯道家(しだうか)たるもの黙視するに忍びず、断然宮司の職を辞し、(さいはひ)に今や一教の貫主として、君国の為、斯教(このおしへ)の為に尽さんと日夜(にちや)孜々(しし)として活動しつつあり。
 (しか)りと(いへど)も世の中は一に人物なり、二に金なり、其第一位たる人物無きを如何(いかに)せん。聞く貴下(きか)は官幣社神職として社務(しゃむ)繫多(はんた)なるにも(かか)はらず、斯道(このみち)の拡張に熱心にして、接化輔導に最も堪能なりと、(ねがは)くは貴下(きか)()が代理となり、()つ本教の総理となり、共に相提携して惟神(ゐしん)の大道を宇内に宣揚(せんやう)せんには、如何(いか)なる内邪の仇も外邪の敵も、(たちまち)にして旭日(あさひ)に露の消ゆるが如くなる()云々(うんぬん)と、一(ごん)()(ことごと)王仁(わに)肺腑(はいふ)浸潤(しんじゅん)するにぞ、(かつ)ての思望に適合せると歓び、(ただち)其請(そのこひ)()れて入教し、(ほとん)ど二十箇月心魂を消磨(せうま)し、教勢の挽回策を講じ、教風の改革を計ると(いへど)も、元来醜悪の団結なれば、事情(じじゃう)纏綿(てんめん)容易(やうい)に手を下すの余地なく、腐敗堕落の極に達せる部内数万の教師は、(かへっ)て正義公道を(いな)(おそ)るるが如く、王仁(わに)(もく)して私慾を営む為めに大妨害者となし、暗々裡(あんあんり)に力を極めて排斥し、表面畏敬するが如く尊信するが如く欽慕(きんぼ)愛服(あいふく)せるが如き状態を示し、(もっ)介意(かいい)懸念(けねん)なからしめ、(しかし)て裏面には満腔(まんくう)機智(きち)権変(けんぺん)を運用し、奸謀(かんばう)奇計(きけい)を講究し、時機の熟するを待つといふ危険なる人物のみ。
 (かか)る教派に一身を托するも労して功無きのみならず、(あたか)颶風(ぐふう)軽舸(けいが)()せて岩礁(がんせう)点綴(てんてつ)の間を進航するが如し、派内の廓清(くわくせい)などは(おもひ)も寄らぬ難事にして、今日(こんにち)の場合自然の成行(なりゆき)に任すの(ほか)(みち)なしと断念し、(ここ)弥々(いよいよ)独立独歩(どくりつどっぽ)、従来唱へ(きた)りし皇道霊学会の主旨に()り、(その)組織(そしき)を改めて(あらた)直霊軍(ちょくれいぐん)と称し、天下に鵬翼(はうよく)を張らんとす。(そもそも)本軍(ほんぐん)の目的たる、(もと)より治国安民にあり。
 (かか)る大事業を遂行せんと欲せば、必ず千里独行の決心を(もっ)て、万難に(たゆ)まず屈せず、勝利の都会(みやこ)に達する迄は、仮令(たとへ)如何(いか)なる蹉跌(きてつ)失敗(しっぱい)危険(きけん)(とう)の襲来するある共、百も千も覚悟の上なり。堅忍(けんにん)持久(ぢきう)(もっ)()の制裁を受けず、他の扶助を(かうむ)らず、本軍同志と共に独立の体面を保持し、本軍(ほんぐん)独特(どくとく)惟神(ゐしん)の妙法に依拠(いきょ)し、細矛千足(くわちほこちたる)の国の神さびを宇内に宣伝し、発揮せずんば、死すとも退却せざるの精神なり。
 願くは天下憂国の志士賢婦、この挙を賛し(すみやか)(きた)って、本軍に参加し、神の兵士として奮戦激闘せられん事を。
(明治、四二、二、一五 直霊軍、第一号)
   
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