京町の天満宮の境内に太元教の看板かけあり
教会の監督松山藤五郎神官扇をかざして出迎ふ
松山は金岐の村長二三回奉職したる紳士なりけり
松山藤五郎
この紳士わが家をとび出て上島の教会場に入りて帰らず
上島も夫ある身を家出してここに教会たてゐたるなり
松山と上島教師の風評は遠近に悪しくしく伝はりてをり
道のため国家のために松山は人の噂をかへりみぬとかたる
御嶽教根本的に改革しまことの道を開くとかたる
御嶽教二万の教師はことごとく腐敗の極に達せりとかたる
御嶽教教師になれよと松山はしきりにわれを勧めてやまず
義金滞納
折りもあれ太元教会本部長の山川教正出張なしたり
教長の山川教正を松山はいと丁寧に出迎へにけり
上島は一間に入りて狩衣を身にまとひつつ教正を迎ふ
白髯を胸にたらせし山川氏いと鄭重に挨拶してをり
一ケ年教務義金の滞りを催促がてら出で来たるらし
教務義金教師の義金一ケ年に約百円を納入の義務あり
百円の納入金に困りはて上島みつ子は偽神術を行ふ
ちらほらと一日に一人また二人より来る田舎の信者はさびしき
亀岡の町人信仰ひくくして何れも狐ををろがめりけり
稲荷さんといへば狐と即断し山野のあちこち祠をたてをり
亀岡町および附近の村村は稲荷下しがよくはやるなり
稲荷さへまつれば家業繁昌と慾ぽけ男女が狐をまつる
卑近なる教は耳にかなへどもまことの道は町人きかず
惟神まことの道をときさとす土地にあらずと吾おもひけり
今にさへ亀岡町の人人は大本教理は頭に入らず
自己愛と物質慾にからまれし亀岡町はかへつて栄えず
御嶽教太元教会あとにして再びわれは穴太に向へり