霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(二)

インフォメーション
題名:(二) 著者:浅野和三郎
ページ:172
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c46
 十箇月の(あひだ)神の荒療治に逢はされた新兵さんは、秋に入つて煙草一服()むべき休養期間を与へられた。相当に修行者もあり、又書かねばならぬ原稿もあつたが、之までのやうに追ひ立てられるやうな、ソワソワした事はなくなつた。
 丹波の秋は又(あく)までもこの新兵さんをもてなすべく、あらゆる御馳走を並べ立てて呉れた。有形、無形、口に、眼に、心に、とりどりに慰安の(れう)を取り揃へて呉れた。
 家邸(いへやしき)とも(あは)せてたつた六百円で買ひ取つた並松(なんまつ)佗住居(わびずまひ)も、夏までに大工や左官や、植木屋、土方(どかた)などを入れて、修復や模様がへをして見ると。中々見縊(みくび)つたものではなくなつた。門前を通る近在の人々は、
『何とまア結構なお住居(すまひ)や、斯麼(こんな)景色を見乍ら、斯麼(こんな)家屋(うち)に住んだら、さぞ善い気持ぢやろ』
 などと褒めて呉れるものも(すくな)くなかつた。実際往来から植込みを通して見あげた様子は、貧乏な別荘(ぐらゐ)に踏めぬでもなかつた。
 (やしき)の広さは約二百坪(ばかり)、裏は野菜畑になつて居り、(がけ)の麓からは清冽(きれい)な水が湧いて天然の池を造り、門の前には小川が流れて以て大根や午蒡(ごばう)を洗ふべしであつた。御三体の大神様なり、地の御先祖の国常立尊さまなりのお宮が、まだ出来ても居らぬ時に、(あか)だらけの新兵さんの住居(すまひ)としては、勿体なさ過ぎる位であつた。
 (やしき)(うち)には柿の()が四本も生えて居た。余り老木でもないが、夏はコンモリと緑の蔭を作つて、()()る日光を遮り、何よりも有難いものになつて居たが、やがて秋になつて気がついて見ると、その(うち)の三本には、枝も(たは)むほど、ぎツしり見事な実が()つて居たではないか。
 柿実(かき)は日を追ふて段々大きくなり、段々色がつき、九月の末頃にはそろそろ甘いのが出来て来た。丹波の秋の御馳走()めはまづ自邸(うち)の柿の()から始まつた。これには新兵の親達も歓んで舌鼓(したつづみ)を打つたが、新兵の(よろこ)(かた)は又格別であつた。汁気(つゆけ)の多い、甘味(あまみ)の強い、そして却々(なかなか)大粒の、実際品質(たち)の善い悪いといふよりも、自分の(うち)柿実(かき)()るといふのが、非常な歓び、非常な誇り、非常な満足の(たね)であつた。(ひま)があると(しん)三郎(さぶ)も竹棒を手にして樹上を覗く。
彼奴(あいつ)はきツと(あま)くなつて居る』
『渋いと(つま)らないから明日まで待たう』
 少々疑ひがあると、子供達はよく木登りをして点検する。爪で一寸(ちよつと)(きずつ)けて見て、
『まだチト渋い』
 などと言ふ。()つて居る()の中で、三分の一か五分の一は、いつしか爪痕(つめあと)が付いてしまつた。
 此前後から門前をば柿売りが引ツきりなしに通るやうになつた。野田、須知山(すちやま)方面の農家の爺さんや家婦(かみ)さんなどが、自分の山のを(もど)つて(まち)に売りに出るのだ。柿は一年置きに、当り外れがあるものださうだが、大正六年は丁度(ちやうど)当り年であつた。
『一貫目ばかりいかがですな。お宅のよりはこの方が品質(しな)が上等どす。お(やす)うして置きますさかい、買つてお呉ンなはれ』
 一貫目1貫は3.75kg。(すう)は粒の可なり揃つたところで、四十箇か五十箇かにのぼる。そして其値段はといへば十二銭か十五銭位だ。(ほか)の品物は、綾部は必ずしも(やす)くないさうだが、確かに柿実(かき)だけは驚くべく(やす)かつた。(やす)いものの双璧は、(けだ)し自分の邸宅(やしき)の六百円と、一貫目の柿実(かき)の十二銭であつたらう。
 (もつと)もこれは大正五六年頃の話だ、現在はさうは行かない。綾部人士は決して無欲な善人ばかりではない。大本神諭には『悪道(あくだう)鬼村(おにむら)』とあるが、(あるひ)はさうかも知れない。自分が引越した頃は、一風変つた気紛れ者位に考へて居たらしいが、段々大本に人が集まると見ると、御遠慮なしに地価其他を()り上げ始めた。一坪せいぜい二三円であつた地所が、五円となり、十円となり、二十円となり、足許でも見ると、五十円だの、百円だのと吹つかける。今日(こんにち)では却々(なかなか)(やす)いどころではなくなつた。綾部で(やす)い地所と、(それ)から柿実(かき)とを買はうとするのには、時期が五年(ばか)り遅れたやうだ。
(をし)いことをしたものです』などと自分はよく戯談(じやうだん)をいふ。
 しかし丹波の柿実(かき)は天下の名物といふ程ではない。(やす)い丈で味は広島や鳥取の柿実(かき)には及ばない。矢張り(ここ)で意張れるのは、その名にも示す如く丹波栗だ。これを売るものがまた門前を通る通る。値段は忘れて了つたが(やす)かつたこと丈は記憶して居る。今頃大本の話をきいて綾部へやつて来たとて、彼麼(あんな)(やす)い栗は食はれませぬ。栗好きの人に取りては、誠に残念なことをしたものだ。
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