霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(四)

インフォメーション
題名:(四) 著者:浅野和三郎
ページ:181
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c48
 出口大先生の久振(ひさしぶ)りの宇津(うつ)入りとあつて、夜は故旧、親戚、信者、その他の村人が二三十人も押しかけて来た。懐旧談やら御道(おみち)の話に花が咲き、それから例によりて先生の揮毫(きがう)があつた。(しよ)は出来る。()が出来る。歌の如きは筆を執つて紙に(のぞ)んでから、一小(ちよつと)首を捻つたと思ふ瞬間に出来(あが)る。読んで見ると、何の無理もなく、依頼者の姓名が詠み込まれて居る。
 姓名読込(よみこ)みの歌を詠むと言うても、三首か五首(たま)に出来るといふのなら、格別驚くにも足らぬが、先生のはノベツ(まく)なしに、百首、二百首、三百首、少し踏張れば千首でも二千首でも、(あへ)て辞する色を見せぬといふのだから驚かざるを得ぬ。とても人間業とは思はれない。又実際の所、人間業ではないのだから仕方がない。
 翌日の昼過ぎ宇津を立つて、周山(しうざん)吉田(よしだ)さんの所へ(むか)つた。男、女十人(ばか)()れ立つて、晴れ亘りたる秋の午後の()を浴びながら、ブラリブラリと丹波の奥の山里めぐり、実に近来にない大保養であつた。人類もいろいろ遊び方を考へるが、矢張り(しん)の興味は、(すこ)しでも人間の小細工に遠ざかつて、(すこ)しでも余計に、天然造化の大きな懐裡(ふところ)の中に入つて行くことによりて見出さるるやうだ。天然といひ、造化といひ、(ことごと)く神の御経綸(おしぐみ)の具象化したものに(ほか)ならぬ。神は大空を造り、大地を造り、其他太陽、太陰、群星(ぐんせい)をはじめ、山川(さんせん)草木(さうもく)禽獣(きんじう)虫魚(ちうぎよ)、春夏秋冬、風雨寒暑、ありとあらゆるものを創造し、組織して一大連関運動を開始され、吾々人類にも(また)(うち)の一機関を分担せしめられて居る。さればいふ迄もなく、人類は人類の内部に於ての一つの組織を立てる必要はあるが、しかし人類をその周囲から全然切離(きりはな)すといふ事はとても出来ない。人間本位の独りよがりは、結局宇宙の檜舞台に立ちて活動する資格のない、大根役者のすることだ、人間の内部だけで(えら)がり、(つう)がり、芸術がつて見たところが、その到達する所は多寡の知れたものだ。悠然として南山(なんざん)を見たの、木の下蔭(したかげ)宿(やど)としたりする方が、まだ余程気が利いて居る。更に今一歩も二歩も百歩も進んで、大宇宙大自然と融合し、黙契(もくけい)し、神の為に働きもするが、又神に(もた)れて保養もさせて貰ふのでなければ、どうも本当ではないやうだ。無暗(むやみ)に安楽ばかりを(こひねが)ふのは我儘(わがまま)過ぎるが、矢鱈に難行苦行ばかりするのも(また)ヒネクレ過ぎる。英雄(かうべ)をめぐらせばこれ神仙と、誰やらが言つたさうであるが、まアその辺の所でやつて行けば(ほぼ)よかりさうだ。兎も角もこの(あひだ)までの新兵さん、北桑田(きたくはだ)の山の中ですつかり仙人気取りになつて了つた。
 ものの十町も行つた頃、後から(かご)を背負つて追ひかけて来た女があつた。よく見ると昨日会つた信者の妻君(さいくん)であつた。
『先生はんに差上(さしあ)げたいと思ひまして、松茸飯(まつたけめし)()きましたが、今お出立(たち)になつたと(きき)ましたので、びつくりして、急いで持つて参りました。何卒(どうぞ)皆さんお召上(めしあが)つて戴きます』
『大きにこれは』
と先生は其厚意を謝し、
何所(どこ)()い場所はないかナ、山道を歩いて来たので大分(だいぶん)(なか)が空いて来た』
『ありますあります。モウ一寸(ちよつと)行くと(あつらへ)向きの場所があります』
 一二町ダラダラ坂を登つて行くと、成る程(あつら)へ向きの場所があつた。恰度(ちやうど)峠の絶頂で、馬の背のやうな所に草がぎツしり敷きつめてあり、一本の野生の柿の老木には、赤い()鈴生(すずな)りになつて居た。(ひとみ)をあぐれば、行手には周山(しうざん)の方の比較的広い谷が(ひら)けて、人家がぼツぼツ見える。
 自分達は思ひ思ひに適宜の場所に陣取つて、松茸飯の御馳走に預かつたが、酒まで添へてある田舎の人の心づくしの有難さ、お(まけ)にポカポカする日光、色づきそめた櫨紅葉(はぜもみぢ)こんもりとせる杉林、鮮麗(せんれい)無比の秋草の花、澄み切つた秋の山の空気……。
『まるで極楽や』
 などと大阪育ちの星田さんは、恍惚(うつとり)として了ふ。
『人間の生涯も判らんもんどすナ』
と、出口先生もしみじみ自分に(むか)つて、
『ハイカラな学問をして、ハイカラな場所に住んで居た浅野さんが、夫婦揃つて斯様(こんな)連中と斯様(こんな)山の中を歩きまはるなどは、まるで夢見たやうなものですナ』
『全く夢のやうですネ』
 何もせずに五分間と居られぬ出口先生は、他の人々の休んで居る()に、柿の木に登つて、熟柿(じゆくし)幾箇(いくつ)()ぎ取つて、
『さア一ツお(あが)りやす』
などと(すす)めたりした。
 一同顔の色まで紅葉(もみぢ)をさせて、夕陽を浴びつつ周山(しうざん)の吉田邸に辿りついたのは、かれこれ夕暮近い頃であつた。
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