霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(五)

インフォメーション
題名:(五) 著者:浅野和三郎
ページ:185
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c49
 宇津(うつ)の湯浅さんが堅い信者になつて、大本で働いて居るのも不思議だが、周山の吉田一家が大本の信者となり、又親戚になつたのは更に一層不思議で、什麼(どう)しても因縁といふより(ほか)に説明の仕方はないやうだ。当主の竜次郎(りうじらう)氏が入信したのは七八年前のこと、又その二男の大二(ひろつぐ)さんが出口家に貰はれて行つたのは三四年前のことであつたらしい。
 吉山家は北桑田(きたくはだ)での旧家であり、又素封家(そほうか)であるだけ、家も(やしき)却々(なかなか)広い。(やしき)の裏はすぐ山つづきとなつて、その(へん)に柿の老木(おいき)ばかり三四十本並んで居る。その(ほか)(くり)()もあり、松茸山(まつたけやま)もあり、丹波の秋を胃袋に(あぢは)ひたいと思ふ人には、たしかに(あつら)向きに出来て居る。
『一遍裏の山へ登つて見ませうかい』
と出口先生は座敷に落ちつく間もなく自分を促す。
(すこ)しは松茸が生えて居ませう』
『行つて見ませう』
 大二(ひろつぐ)さんも周山(しうざん)に帰つて居たが、早速持つて来てくれた藁草履(わらざうり)穿()いて、三人で裏の山へと無茶苦茶に駆けあがつた。思ひの(ほか)に高い山で、頂点(てつぺん)までは四五町はあらう。()い恰好の松が沢山生えて居た。
 イクチとか称する(たけ)は到る所にあつたが、松茸は却々(なかなか)見当らなかつた。散々捜した揚句、
『ヤツあつた!』
 手柄顔に自分が笠の(ひら)いた大きな奴を見つけて、手に取らうとすると、
小父(をぢ)さん其麼(そんな)ものを……。何とか云ふ毒茸(どくたけ)ぢやありませんか』
 大二(ひろつぐ)さんに笑はれて大失敗をやつた。元来自分は松茸食ひの名人ではあるが、松茸狩(まつたけがり)にかけてはまるきり素人だ。のみならず元来当物(あてもの)捜物(さがしもの)にかけては、自分は先天的に下拙(へた)だ。十四五の時分に北総(ほくそう)印幡(いんば)萩村塾(しゆうそんじゆく)に居たので、初茸狩(はつたけがり)の経験だけは()つて居る。塾生一同で二三時間も狩り集めると、大籠(おほかご)に一パイ位の初茸が採れたが、そんな時に、自分にはとても他の塾生の半分も採れなかつたやうに記憶して居る。
『君は()ツとも見付けんぢやないか、余程下拙(へた)な男だ』
などと友達が(あざけ)る。仕方がないから、
下拙(へた)なもんか、非常に上手なのだ。(あんま)り上手なので僕が行くと、初茸が(こは)がつて隠れる』
などと負惜(まけをし)みを言つたものだ。
 三十分ばかりも捜しあるいた揚句に、一つも見当らず、そろそろ引揚げようとして居ると、出口先生が藪蔭(やぶかげ)から大きな声で呼び立てられる。
『浅野はん、(ここ)へお()でやす、大きなのがあります』
 行つて見ると成る程大きいのが一本、(なかば)開いて(かれ)松葉と(こけ)とを押除(おしの)けてヌアと顔を出して居た。
『これで見本だけは出来ました。お()りやす』
 自分はそれを()らして貰つた。
『お蔭さまで、モウ松茸狩の経験が一度も無いとは言はずに済みます』
 裏の山には松茸がたつた一箇しか無かつたが、台所には採り立ての見事な奴が山ほど積んであつか。それを(さかな)に一杯きこしめして、主人夫婦も共に一同車座(くるまざ)になつて、秋の夜長の雑談に(ふけ)つた。
 神様の話も出れば、吉田家の先祖の意義深い因縁話も出る。又一向罪のない丹波の山里の風説(うはさ)も出る。
『この辺の秋は全く(うらや)ましいが、雪でも()り積つて来ると、随分出入(ではひ)りにお困りでせう』
と自分が尋ねる。
『冬になれば人間は冬籠(ふゆごも)りより(ほか)に仕方がありません』
と吉田さんが毎時(いつも)ニコニコ、落着いた句調で語り出す。
『しかし雪の降つた時、(れふ)でもやるには面白い所です。ツイこの(むか)うに松山が見えませう。食物(たべもの)が欠乏すると、あの(へん)まで(しし)が出て来ます。一遍彼所(あすこ)で仕留めたことがありました』
(しし)の肉といふものは(やはら)かて(うま)いものですナ。私もツイ一昨年の冬までは時々食ひに行きましたが、ただ少々臭味(くさみ)がありはしませんか』
『それは肉が古いからでせう。新しい(しし)の肉になると、(ほど)よく脂肪があつて、(やはら)かで、彼麼(あんな)(うま)いものはありません。遠方へ持ち出したものは、さツぱり味が落ちて居ます』
『それと知つて居たら、大本の信仰に入る前に、一遍猪肉(しし)食ひに丹波へ来て置くのでした。アハハハ』
(をし)(ござ)いましたネ。ホホホホ』
 (ここ)でも村人が数十人、大本の話をききに集まつて来たが、それは福島、星田両女史に任して置いて、自分達はぐツたり山里(やまざと)の静かな(ねむり)()つて了つた。後できけば両女史は、午前の三時頃迄(ほとん)ど徹夜で話しつづけたさうで、いつも乍ら其根気(きんこ)には驚かされたのであつた。
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