宇津の湯浅さんが堅い信者になつて、大本で働いて居るのも不思議だが、周山の吉田一家が大本の信者となり、又親戚になつたのは更に一層不思議で、什麼しても因縁といふより外に説明の仕方はないやうだ。当主の竜次郎氏が入信したのは七八年前のこと、又その二男の大二さんが出口家に貰はれて行つたのは三四年前のことであつたらしい。
吉山家は北桑田での旧家であり、又素封家であるだけ、家も邸も却々広い。邸の裏はすぐ山つづきとなつて、その辺に柿の老木ばかり三四十本並んで居る。その外に栗の樹もあり、松茸山もあり、丹波の秋を胃袋に味ひたいと思ふ人には、たしかに誂向きに出来て居る。
『一遍裏の山へ登つて見ませうかい』
と出口先生は座敷に落ちつく間もなく自分を促す。
『些しは松茸が生えて居ませう』
『行つて見ませう』
大二さんも周山に帰つて居たが、早速持つて来てくれた藁草履を穿いて、三人で裏の山へと無茶苦茶に駆けあがつた。思ひの外に高い山で、頂点までは四五町はあらう。善い恰好の松が沢山生えて居た。
イクチとか称する茸は到る所にあつたが、松茸は却々見当らなかつた。散々捜した揚句、
『ヤツあつた!』
手柄顔に自分が笠の開いた大きな奴を見つけて、手に取らうとすると、
『小父さん其麼ものを……。何とか云ふ毒茸ぢやありませんか』
大二さんに笑はれて大失敗をやつた。元来自分は松茸食ひの名人ではあるが、松茸狩にかけてはまるきり素人だ。のみならず元来当物捜物にかけては、自分は先天的に下拙だ。十四五の時分に北総印幡の萩村塾に居たので、初茸狩の経験だけは有つて居る。塾生一同で二三時間も狩り集めると、大籠に一パイ位の初茸が採れたが、そんな時に、自分にはとても他の塾生の半分も採れなかつたやうに記憶して居る。
『君は些ツとも見付けんぢやないか、余程下拙な男だ』
などと友達が嘲る。仕方がないから、
『下拙なもんか、非常に上手なのだ。余り上手なので僕が行くと、初茸が畏がつて隠れる』
などと負惜みを言つたものだ。
三十分ばかりも捜しあるいた揚句に、一つも見当らず、そろそろ引揚げようとして居ると、出口先生が藪蔭から大きな声で呼び立てられる。
『浅野はん、爰へお出でやす、大きなのがあります』
行つて見ると成る程大きいのが一本、半開いて枯松葉と苔とを押除けてヌアと顔を出して居た。
『これで見本だけは出来ました。お採りやす』
自分はそれを採らして貰つた。
『お蔭さまで、モウ松茸狩の経験が一度も無いとは言はずに済みます』
裏の山には松茸がたつた一箇しか無かつたが、台所には採り立ての見事な奴が山ほど積んであつか。それを肴に一杯きこしめして、主人夫婦も共に一同車座になつて、秋の夜長の雑談に耽つた。
神様の話も出れば、吉田家の先祖の意義深い因縁話も出る。又一向罪のない丹波の山里の風説も出る。
『この辺の秋は全く羨ましいが、雪でも降り積つて来ると、随分出入りにお困りでせう』
と自分が尋ねる。
『冬になれば人間は冬籠りより外に仕方がありません』
と吉田さんが毎時ニコニコ、落着いた句調で語り出す。
『しかし雪の降つた時、猟でもやるには面白い所です。ツイこの向うに松山が見えませう。食物が欠乏すると、あの辺まで猪が出て来ます。一遍彼所で仕留めたことがありました』
『猪の肉といふものは柔かて甘いものですナ。私もツイ一昨年の冬までは時々食ひに行きましたが、ただ少々臭味がありはしませんか』
『それは肉が古いからでせう。新しい猪の肉になると、程よく脂肪があつて、柔かで、彼麼甘いものはありません。遠方へ持ち出したものは、さツぱり味が落ちて居ます』
『それと知つて居たら、大本の信仰に入る前に、一遍猪肉食ひに丹波へ来て置くのでした。アハハハ』
『惜う厶いましたネ。ホホホホ』
爰でも村人が数十人、大本の話をききに集まつて来たが、それは福島、星田両女史に任して置いて、自分達はぐツたり山里の静かな眠に入つて了つた。後できけば両女史は、午前の三時頃迄殆ど徹夜で話しつづけたさうで、いつも乍ら其根気には驚かされたのであつた。