此の地球上に人類が生れて幾何の年数を経たかという事を科学的に判定する事は、今日の人智を以てしては殆んど不可能である。従って原始人類が、いかなる様式の生活を営んでいたかを断定する事は、むずかしい問題といわねばならない。しかし多くの学者の想像する処によれば、人類は地球上の各地に群生し、血族的集団生活を営んでいたようである。
唯物史観に基く人達は、此の時代を原始共産制社会と呼んでいる。こうした人類の原始時代を、共産制社会と学問的に決定することが正しいか、否かは別として、大自然の恵みが豊富であり、人口の極めて少い時代においては、物を独占私有する必要のなかったことは事実であろう。しかるに時の流れに従って、人口が増大し、生活物資が不足するに至ることは当然である。そこで血族社会群の移動が始まり、生活圏の拡大、獲得を回って、各社会群の間に衝突が起ったであろうことが想像され得るのである。
かくして氏族対氏族、部族対部族、種族対種族などの対立闘争が、地球上の各地において起り、優勢な種族が劣勢な種族を征服して行ったことは事実である。この征服過程において、一種族が他種族をせん滅した場合もあれば、また抱容、同化した場合もある。かかる過程は、世界各地の歴史を通観する時、大体において共通した現象であり、一面、人類の歴史は確かに闘争の歴史であったのだ。
奴隷制社会から封建制社会へ、さらに民族国家の生長過程を通じて地球上の至る処に、如何に悲惨な惨虐な、流血、闘争の歴史が無数に繰返されたことであることか。
だがわれわれが、この悠久な人類の闘争史を通じて看取し得る重大事は、人類の歴史は、闘争しながらも一大統一の方向へ向って動きつつあるということである。しかも、そのテンポは現代に至って極めて急速であるということだ。
第一次世界大戦後、アメリカ大統領ウイルソンの提唱により、国際連盟が成立した。がこれは時機未だ熟せずして破綻し、世界は間もなく、四つの大きなブロック国家群に分裂した。即ち、アメリカを中心とするブルジョア民主主義国家群とソ連を中心とするプロレタリア民主主義国家群、さらにドイツ、イタリヤを中心とするファッショ国家群と、日本帝国主義を中心とする国家群との冷い対立闘争時代を現出した。幾何ならずして後二者は枢軸国家として同盟し、従って前二者も対ファッショ同
盟として連合した。ここに至って冷い戦争は爆発して第二次世界大戦は始まったのである。全地球上を掩うた凄惨な大死闘は、原子兵器の出現によって終幕し、戦いはファッショ国家群の敗北、民主主義国家群の勝利となって現れた。ポツダム宣言は発せられ、敗戦国は大戦終了直後結成された国際連合国家の軍事的政治的占領治下に帰属したのである。
戦争は終った、大地の上に平和が来たか、否々。成程、民族国家相互間の武力戦争は一応休戦状態に入ったが、各国家における内部的階級対立は、戦争後益々激化し政治的、経済的社会革命の時代が来たのである。
欧洲においてはバルカン諸国を始め、フランス、伊太利等において共産党が急激に勃興し、独逸は事実上ソ連と米英仏との二大国家群によって分割された。アジヤ諸国においても民族独立運動が、共産主義的色彩を以て起りつつあり、その中で最も顕著なものは、中国の内戦における毛沢東の新民主主義に依る国民政府の打倒、共産中国の出現である。かくして、人類の平和は何時来るのか、果しなき闘争が今後永遠に続くのではないかと悲観したくもなるのである。
だがこの世界的紛乱の中には二つの大きな流がある。即ちその一つは、ブルジョア民主主義に立脚するアメリカ中心の世界統一運動であり、他の一つはソ連邦を中心とするプロレタリア民主主義に立脚する共産主義的世界統一運動である。この相異る二つのイデオロギーを内包して相争いつつ、今日の国際連合は表面世界的大戦争の勃発を防止しているといい得よう。だが、かかる相反する二大国家群の内面的対立闘争は、日々激化の一途をたどっている。
こうした客観的事実の前に第三次大戦を云々する声が、何処からともなく伝わって来るのは、極めて当然なことといわねばならない。両雄並び立たざるは、理の当然にして歴史の事実が雄弁に之を立証する処である。このまま放置するならば、相矛盾する米ソの二大国家群は、全世界を挙げて古今未曾有の人類自滅戦に、追い込む重大な危険性を持つて来たのである。
第一次大戦の結果は前述の如く、全地球上を大体四つの勢力圏に分割した。第二次大戦は、これを清算して、二つの大きな分野に対立せしめるに至ったのである。人類の歴史は確かに統一の方向へ急速に動きつつあるのだが、この二つの世界から一つの世界へ、全人類が大統一される迄に、われわれはなお、悲惨な武力的大戦争を経なければならぬであろうか。現代戦における原子兵器の使用が如何に悲惨であり、惨虐であるかを全人類殊に日本人は身を以て体験したのである。一発の原子爆弾は優に数十億の財と数万の人命とを一瞬の間に潰滅せしめる程の威力を持つのである。原子兵器の秘密はわれわれの窺い知らざる処であるが、四年前のそれと、四年後の進歩したそれとの間には、その破壊力において格段の相違があるであろう事は想像に難くないのである。
かかる原子爆弾が、地球上の至る処に急霰の如く投下される時、全人類の蒙る惨害は果して如何。人智の想像を絶した焦熱地獄が、全地上に実現するであろう事は火を見るよりも明かな事ではないかかかる事は人類文化の破壊であり、人類自身の自殺行為以外の何者でもないのである。
人類の歴史は一面確かに闘争の歴史であったし、現に凄惨な有形、無形の闘争を演じつつある。しかし人類の歴史が闘争の歴史であったが故に、今後における人間社会の矛盾対立を解決するにも又武力と暴力とを用いねばならぬという論理は成立しない筈である。大体武力や暴力は人智の未開時代における問題解決の方法論であって、決して文化的、進歩的方法論ではないのである。
相対立する世界の二大国家群が、科学の精鋭を集めて人類自滅の第三次世界大戦を準備しつつある時、かかる大惨事を未然に防ぎ、世界の諸問題を平和的手段に依って解決する方法を考え、且つこれを唱導、実践しつつある人々と団体のある事を、われわれは充分に知り且つ日本人の正しき批判において、これを実践に移さねばならない。
戦争か、平和か、地球上の全人類は、その何れかを選ばねばならぬ土壇場迄来たのである。